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終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2005年12月30日(金)

丸二日カンヅメだったので、さすがにグロッキー。
明日は散髪屋に行って、掃除をして、そんで洗濯、と。
マンメイドはそれからだ…(がくり)


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- 2005年12月29日(木)

ほとんど全面改造だな…。<マンメイド
しかし八年前のものをそのままのせたら羞恥プレイ同然だ。
そしてスケッチ書くよりよっぽど時間がかかっている。

まあいいや、愛着のあるブツだしねえ。
しかしアレだ、主要登場人物が全部出てくるのが中盤だ。
そりゃ選考で落ちますとも…。

書いた当時の記憶はほとんどない。
なんしか夏で、一日中書いてて、書いちゃ寝るみたいなことを
一週間くらいやってた記憶はある。
でも今おもうのは、名前、が…(苦)

オリジナルで名前を考えるのは、難しい。
もともとネーミングセンスはなくって、
コレと同じ賞に一緒に応募したブツでは
みんな日本人なのをいいことに、
鈴木とか斎藤しかいなかった(…)

ウソくさくならないカタカナの名前って難しいよね。
ラテン語とかの素養があるならともかくだ。
かといって、クワトロ、シンコみたいなことをすると
わかる人はわかるというかまずばれるので、みっともない。

結局、思いつくままにつけたようだが(遠い目)
今ならまずは賛成できないな。
ドイツとかロシアとかインドとか、
統一したほうが作品世界の色を出しやすいんだ、
完全にオリジナルな名前をくっつけるよりも。


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- 2005年12月28日(水)

フロッピーを整理していたら、大昔に書いたSF小説が出てきた。
懐かしすぎて悶絶する。

えーと、二十歳のときに某賞に応募して、三次選考で落ちたんだよなー。
だから、8年前。悶絶もするさ…。

というわけで、ちょっとお仕事忙しいのと
せっかくだからちょっと手直ししたいので、
アップしてみることにした。

とりあえずプロローグだけ。
年末年始で終わらせたいなあ。
ちなみに330キロバイトくらいあるヨ…。



http://tarouame31.nobody.jp/
↑こっからいけます。ちなみにノーマル(笑)
 よろしければどうぞ。


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- 2005年12月27日(火)

普段はぺったんこのローファーかスニーカーしかはかないのに、
寒いからショートブーツ(3−4センチくらいのヒール)はいて、
足の裏が筋肉痛です。まあ、アレだ。全速力で走るからだが。
でもペタンコブーツって作業用の長靴かなんかみたいで
どうもカジュアルっぽくて仕事にはいてけないんだよなーぁ。
ローラーブレードで出勤したい今日この頃です。(くそぅ)




サロメに関する覚書:
 サロメはヨハネに恋するのではない。
 彼女がヨハネと思うのはヨハネの教える神であって、恋と思うのは信仰の萌芽だ。サロメは神への思慕を聖者への恋と取り違える。彼女は信仰についての正しい比喩を持たないから、自身の感情や思惟を了解できないのだ。
 彼女は正しい理解によって了解できない信仰を恐れ、また恋ではないことを正しく見通したヨハネによる拒絶と諭しに苛立ち激しい怒りを覚える。
 怒りは名づけられない自身の感情への不安によってなおのことあおられ、傷ついた自尊心によって激しさを増す。そして彼女は歩み出る。七つの衣の舞いを舞うために。彼女はついにその最期まで過ちに気づかない。

マルチェロと法皇についての覚書:
 マルチェロは法皇を殺そうと思うが、殺したいのは法皇ではない。
 殺害の動機は最初の殺人と同じことだ。宗教における嫉妬。マルチェロは考えている、法皇は神に愛されていると。それは法皇の穏やかさ、信仰の深さ、人々から愛されるその人望によって、マルチェロが感じたことだ。
 マルチェロは法皇を羨んでいる。オディロを羨んだように羨んでいる。しかし法皇はいうのだ、苦しみふかきもの悩みふかきもの神を離れること遠きものこそ、神がもっとも愛し気にかけたもう(放蕩息子のように)のだと。
 しかしマルチェロは、神の愛について正しい比喩を持たないために、法皇の言葉が理解できず、かえってくだらぬことを言うものだと殺意を深める。
 最後に来るのは杖だ。杖はマルチェロの疑惑を確信に変える。ラプソーンはうそぶく、人が信じたがっていることを信じさせるのは簡単なことだと。
 そしてマルチェロは夜半、法皇の部屋へ歩いていくのだ。冷静なつもりで正しいつもりで、神すらも自身を愛さぬということに絶望して。だがそうしたときですら、神はマルチェロとともにあって、傍らを歩くのではなしに、その身を背に負って生かせたもう。


 …解釈なのです。すべては解釈だ。
 音楽が録音という技術をグールドによって獲得し、本当の意味での時間性というものを徹底的に失い、かわりに哲学的とはとても言いがたい作業的な知性を獲得したように。それでいて現在もまだ再現芸術でありうるように。
 イスラームにおいて、神をこの世ならぬ美貌の娘として、恋の憧れ悩みを信仰者の苦悩に置き換えた詩歌が流行った。ユダヤでは逆だ。信徒はシオンの娘たちであり、神=キリストは花婿だった。解釈なのだ。
 それでいて私は、逸話、物の見方や解釈などの小難しいものに左右されない逸話というものに憧れる。東洋の文学の多くは逸話文学だ。ペルシャ、インド、中国、日本。筋立てではない、登場人物には個性などないようだ。ただ起きたことの気味の悪さや素晴らしさだけが魅力のすべてである。


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- 2005年12月26日(月)

身体がだるいのはなぜだ…。
なんでもいいけど小林秀雄熱がまたぶりかえしてますよ。
なんだかんだでもう七、八年は繰り返し読んでる。

なんでもいいが、私の素養はこう言えるなら、漢文である。
詩歌はかなり偏っているが、史書、文学、思想は多少読んだ。
漢文のあの独特な無駄のない韻律というものが、
私の血であり肉だ。似たような感じは西洋の神話・伝説で。

だからなのかどうなのか、小林秀雄はなつかしい。その思想もそうだ。
私に子供ができたら小学校のうちに漢文と和歌・古典くらいは読ませよう。
子供を育てるというのはひとつの精神を観察することか。


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シルマリル:マイズロスの死のこと


 燃え盛る山は鳴動し、世界は揺れ動く。
「ことは成った」
 赤く火照る噴煙の下で、マイズロスが言った。重苦しい、つぶれた声で。頭上に緋色の髪は乱れ、それまでも炎と化したようだ。表情は穏やかで、静かで、そして隠しようもなく疲労を滲ませていた。幾星霜もの疲労を。なんという疲労だろう、と、マグロールは考える。すべての炎が消され、望みの去った夜のようだ。
「私は行くぞ」
 そしてどうだ! マイズロスはいま、軽やかに山頂を仰ぎ見た。噴煙ただならぬ山、荒れ狂う炎の、そして死の寝床と定めた。仰ぎ見て笑った。疲労は振り捨てられ、長年の苦悩、生の倦怠は冬の毛布のように落ちた。
「兄上、兄上!」
 どんどんと厳しい山肌を登り始めたマイズロスに、マグロールは、思わず声をあげた。無駄と知りつつも呼ばずにはいられなかった。そうだ、無駄だということは明らかだった。誓言の呪詛、兄弟と一族の死はことごとく兄の長身の背から滑り落ち、マイズロスは歩むごとに若くなってゆく。あらゆる悲嘆と苦悩の皺は拭われ、すべてが手放されほどけ落ち。
「……」
 マグロールは自分の言葉をもはや聞かなかった。いかに泣き叫ぼうと揺れ動く山の地鳴りがかき消し、自身の耳にさえ届かなかった。追って行こうとしても、足は動かなかった。マイズロスは次第に遠く、もう人形ほどにも見えなかった。それと認められるのは赤い髪と、断ち落とされた片方の手に代わってクルフィンの息子が作り上げた銀の義手のきらめき、そしてその銀の手に握られているシルマリルの光芒のみだった。それも遠く、遠く。
「――!」
 やがて火口の赤に飲まれる。マグロールはこみあげる慟哭に膝をつき、涙に顔を濡らした。その頭上をもはやない二本の木の光の残滓が解き放たれてきらめき、明るく瞬いて、消えた。マイズロスは死んだであろう。
 どのようにせばこうしたことに耐えられるだろうか? だがマグロールは兄の後を追おうとは思わなかった。マイズロスもまた誘わなかった。にも関わらずその最期を見ることは許した。それがなぜだか、マグロールは知っている。彼は重たげに身体を起した。重かった、重くないはずがあろうか?
 エルダマールをティリオンを出でてアルクウァロンデより船出し、中つ国に渡り来て。ああ行程は父を兄弟を一族を友人を幸福を領土を失う道であった。しかもマグロールは伶人たる本質ゆえにそれらを失い得ない。マグロールは世界から失われ行く一切すべてを歌に編みなおして身に帯びた。己が悲嘆もてつなぎあわせて。それらは心に蔵されて失われることがない。
 失いえないことこそマグロールの恩寵であり呪詛であった。兄弟のうちでただひとり生き残り、なおもまだ生き延びねばならぬ。彼のうちにすべてのノルドの悲嘆の歴史は折りたたまれていて、これよりのち、声に出して歌うつど蘇るであろう。父フェアノールの憤怒と孤独と悲嘆が、伯父フィンゴルフィンのもとエイセル・イヴリンでかつて行われたもっとも壮麗な宴が、白い胸の乙女たちの愛と悲しみと勇気よりほかなにもなくともモルゴスと戦いを繰り広げたノルドやテレリやアタニの若者たちの最期の姿が。わけてもフェアノール王家の呪われた兄弟の生と死と相克が。
 あの東部ベレリアンド、ゲリオンの流れの緑の草原、ヒムリング、ヒスルム。竜たちの襲来や、夜毎の宴や。ああ、すべてが。
 マグロールは歩き始めた。シルマリルが焼いた手の傷はもう痛まなかった。我らは生きた、とマグロールは身を切る悲しみの中で考えた。我らは生きた。私はそれを覚えている。忘れることはない。けっして。
 …ああ、だが。いつか。すべての歌が知られ、誰もが記憶するときがきたら、そのとき私は行こう。私は歴史のうちに立ち去って、そして戻るまい。


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 そういえば、私は、賞味期限が60日もあるクリームパンを見て多いに笑ったことがあるが、最近の肉類は冷やしてさえあれば一年ももつらしい。人の文明は極まっていよいよ狂気に近い。命日の一周忌を迎えた鳥や豚の肉。


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- 2005年12月25日(日)

 そこで私は終わりを始めようと思う。
 といって、手順のないぐずとは私のことだから、うまくいくかどうか。何かを正しく終わらせるのは、ただ単に始めるよりよほど力が要る。


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- 2005年12月24日(土)

1:
バッハの「無伴奏バイオリンパルティータ」をメニューインで聞いている。
メニューインというひとは、実はグールドの知り合いだ。
シェーンベルグを一緒に演奏するテレビ番組が残っている。
演奏しながら、暗譜できないのはシェーンベルグが嫌いだからだろうと
グールドにさんざんに厭味を言われてへどもどしている。

メニューインの奥さんは、浮浪者同然のグールドの
首ねっこ引っつかんで風呂場に連れて行き。
フケだらけの頭を洗ってやって、髪を短く刈り込んだ。
「なんてこと、ピアニストじゃなくて野良犬みたい!」
そんなまっとうな夫婦の音がする。

まっとうさに耐えられなかったのはグールドなんだろうか。
それとも自分のなかのまっとうさと戯れていたのか。
著作を読むとけっこうな常識人なんだよ…。
あのなんともいえないセルフインタビュー以外は。


2:
日本列島を三分の一ほど向こう、あなたどうしてる。
ねえ、あなたどうしてる。


3:
おっと、教会のミサが午後10時だ。
宇都宮市の松が峰教会でクリスマス・ミサに参加されるかたで
私を見つけたい方がもしいたら、コサックダンスのステップ踏んで。


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- 2005年12月23日(金)

 カランシアは冬の斜めの光の中に立っている。谷間の湖面は西方の切れた谷間からこぼれ入るアノールの金の光によって楔の形に輝く。裸木が寂しく震え、木立のあいだを飴色した一匹の鹿がわたっていった。もはやない国のもはやない湖とよく似た風景に、カランシアは微笑する。
「――」
 やがて星々が上るだろうとカランシアは考える。神々の鎌ヴァラキアカ、終わりの日の徴メネルマカールがあらわれ、天を廻るだろうと。そう考えて胸かきむしられるような想いに襲われた。マンドスの館に赴く日が遠くないのはわかっていた。踵を接してケレゴルムとクルフィンからの使者は訪れ、メネグロス襲撃の日は間近いことを報せている。そして、心の内なる預言の力は、その日に己が斃れるであろうと間違いようもなく告げている。
「カランシア」
 振り返れば、木立を隔てて立っているのはマグロール。輝く髪は光に透け赤く燃えている。まとっているのは白銀の鎧だ。歩み来たれば描かれた七つ星はさながら真昼の星と輝きわたる。カランシアは悲傷に胸が疼いた。
 いぶかしむようなマグロールの囁きを聞き、カランシアは静かに笑う。
「終わりがまいりました。終わりが。どれほどこの時を待ったことか」
 手をのばして、兄の肩に置く。
「この戦いから、かつてのサルゲリオンの領主は帰りませぬ。然り、もはやサルゲリオンはなくヘレヴォルンもなくその畔に光り輝いた星の塔もない。ならばその領主もまた去るのは道理。まことに運命の掟の残酷さよ、この地で得たすべてを失うまでは我らは去りえぬ」
 穏やかな悲しみに満ちた抱擁の中で、カランシアは微笑した。五百年の彼方から、この兄は自分を行かせまいとしてきた。だが今はすでにこの兄自身、生きることに倦んでいる。しかしカランシアは知っている。ありしことどもの一切を歌人なるがゆえにマグロールはなにひとつ失いえず、ゆえに安息はない。悲傷と慙愧を抱いて永劫の軌道を歩むよりほかにない。
「マグロール、兄上」
 カランシアは兄の首を抱いた。雪が降っている。黄金のごとくきらめいて。永劫はどれほど長いだろう。こうした風景を見るごとに、マグロールはどれほど悲しいだろう。だが時は来たのだ。終わりのときが。
 そしてこの心ははやっている。死への方へ、滅びの方へと。



 横たわるヘレヴォルンの暗い水面は、西の谷間からこぼれ入るアノールの残照によって楔の形に輝いている。裸木が寂しく震え、木立のあいだを亡霊のように鹿が渡っていった。カランシアは冬の湖畔に立っている。
 それともそこにはいないのだろうか? マグロールにはわからない。あの寂しい、孤独でしかも死ぬこと以外は望まぬ眼差しはもうとうに喪われた。少なくともそのはずだった。とうに。ああだがそれはいつのことだ?
 百年も経たろうか? 千年か? 大地は隆起し、王国は滅びまた興った。ヘレヴォルンもサルゲリオンももはやない。星の高殿も。だがそれは昨日のことのようにさえ思われる。そうだ、ほんの昨日のことではなかったか?
 あの戦い、灰色エルフを殺したあの殺戮、怒りの戦いの大音響。この手を焼いた宝玉の仮借ないかがやきさえ夢ではなかったか。いま立っているのは影深いヘレヴォルンのほとりではないのか。いましがたヒムリングを出て、日暮れ行こうとする野を白いエルフ馬で横切り、山あいの険阻な道をさえも一息に登りきった、そうした夕べのひとつではないのか。
 カランシアが湖畔に立っている。夜さながら黒い長い髪は光の中で輝いている。灰色の瞳は彼方に擲たれている。失うまいとする以前に、とマグロールはふと思い出した。失うまいとする以前に、わたしはあれを愛していた。あのアマンの日々の中で。そしてマグロールは歩き出した。
 ノルドの最後の伶人の行方は、それより杳として知れない。



花冠をかぶってにこにこしている二人が書きたい…!
青年マグロールとお子様カランシアの幸せな話が書きたい…!
しかしあれだ、エルダールならではだな! 人間じゃぁイヤだ。




 金の木ラウレリンの花咲く季節に、マグロールとカランシアは連れ立ってティリオンを出て行った。大気に満ちるかぐわしい花の香りは変わらず、だが都を遠く離れるに従って、空は明るい青から次第に群青に変わり、やがてその彼方にヴァルダの星々をのぞかせた。
 星空の下を、白い花冠を頂いたマグロールは銀の竪琴を爪弾き豊かな声で歌いつつ歩み、幼いカランシアは長い袖を翻して花のうちの一つの花のように舞いつつ歩んだ。見交わす視線に微笑を交えて。
「にいさま、少し、おやすみしましょう」
 どこまでも小さな金色の花が咲き乱れる広い丘で、小さなカランシアが、息を弾ませて歩みを止めた。マグロールは静かに笑って竪琴を置く。
「カランシア、私たちはずいぶんと遠くまで来たのだね」
 喜んで、傍らに身を寄せてきた子供の黒髪を、マグロールは愛撫した。上気して汗ばんだ頬と、暖かく湿った髪。伸びきらぬ背丈ながらも闊達な四番目の小さな弟を、とりわけマグロールは愛した。
「本当に、にいさま。町があんなにも遠くに明るく燃えているようです。少し離れて見えるのはマハタンおじいさまの工房で、その向こう側には父様のお屋敷があります。ほら七つ星と冠の紋章がかかって」
「ああ。それに、ごらん。山々の頂にタニクウェティル、長上王の居ます高御座。彼方にはほの光るのはローリエン、野をオロメ様の軍勢が行く」
「ほんとうに」
 感嘆してカランシアはマグロールの膝を枕にそっと仰向けに横たわる。マグロールは額にもつれた髪をのけてやった。しかし半ばもせぬうちに、その手は甘える子供の手に捕われて、鼓動を囁く心臓に載せられた。
 ふいにカランシアは頭上を見上げ、声を高くした。
「ああ、にいさま。空が輝きわたっています」
「ヴァルダの星々だ。そうか。ティリオンでは、二本の木が近すぎ、空が明るすぎてこれほどよくは見えないな」
「ええ。ええ、深い水の底に物思いする町が何万と沈んでいるようです」
 マグロールは弟の頬を撫でた。畏怖とまた壮大な美に接する喜びとに、カランシアの鼓動ははやく、吐息は乱れている。
「あれはなんという星ですか、三ツ星の横にあんなに輝いているのは」
「あれはメネルマカール」
「それに、かあさまの髪飾りのような形をしている七つ星」
「それはヴァラキアカ。その横に光っているのがソロヌーメ。おまえに星の名をみんな教えてやろう。そのいわれも教えてやろう。我らが星々の民と呼ばれるいわれもみんな。だがいまは少し、お眠り」
「ええ。でも…」
「なんだね?」
 カランシアの瞳が瞬きした。小さな手が伸びてきて、マグロールの髪の端を掴む。引かれるままに身をかがめて、マグロールは笑った。
「うたってくださいませ」
 囁かれたちいさな望みにはなおいっそう。だがいたずら心がまさって、マグロールは小さくあまく問う。
「歌人へのほうびは?」
「明日も花冠を作ってさしあげます。きっとです」
「わたしの好きな白い花で?」
「きっとそうします」
「それでは…」
 マグロールはたてごとを引き寄せる。天の星も、地をしろしめすヴァラもヴァエリアも眠らせるような、子守唄が静かに流れ出して丘に満ちた。





で、書いた。カランシアがかわいければなんでもいーんだ。





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- 2005年12月22日(木)

幾つかの日用品が行方不明になってめっちゃイライラしている。
髪留めと自転車のカギと。コートの右ポケットに入れてたのに…。
以下、かなり毒。しかもチラシの裏っぽい。いつものことだが。


1:
有史以来、人殺しを続けてきたのが人ではないか。
戦争がなければ、人間の歴史はきっと、つまらなかったことだろう。
しかもないほうがいいということはわかりきっている。


 シレノスはミダス王の問いに答えて言った。
「人間にとって、一番いいのは生まれてこないことだった。
 その次に良いのは、今すぐ死ぬことだ」


厭世家というなかれ、あたりまえのことを度外視しないだけだ。
ハッピーエンドとはつまり、幸福な死のことを言ったのだ。
幸福なうちに死ね。幸福のうちに、この世を逃れよ。そういうことだ。


2:
エルダァルの苦悩はさっさと死ねないことにある。
不幸が来て命をひっさらうまで居汚くこの世に住み続けねばならない。
寿命で死ねるというのは、これは実は奇妙に異教的な幸福なのだ。

「生まれてこなければ」というのはよくあるペシミズムではない。
そんなアホな話ではない。問題は人間の業だ。
愛し怒り執着し失うまいとする。これは人間の自然だ。

この自然が人間を不幸にする。人間をして人間の仇敵たらしめる。
だから羊と友情を結んだ狼を思い起こせ、食欲は常に思い起こされ、
狼はついに疲れ果て自分自身に言う「狼なんかに生まれなければよかった」

人間の自然が人間の仇敵だということが明らかなら、言わねばならない。
「生まれてこないことが一番良いことだったのだ」と。
「次に良いのは今すぐ死ぬことだ」と。そういうことだ。


3:
人間は人間らしからぬことを望み、しかもとどのつまりは人間に留まる。
この業を受け入れ、この業の上に生きていくよりほかにない。
業に忠実に生きるか、より道徳律を求めるかは別として。

だが業も道徳律も、人間は望まずにはいられぬものだ。
この相克のあいだにどれだけの文学があり音楽が絵画があることか。
多くの比喩がこの微細で巨大な対立と相克と融合を求めて見出さなかった。

多くの歴史がこのはざまにある。
しかも人はいまだに犬のように死ぬ。犬のように。
また犬のような死を儀式は神か天使に高める。かくて人は神のごとく死ぬ。

しかも死は死に過ぎない! 生が生に過ぎないように。
蟻塚の中の蟻の生とどこが違うというのだ。
しかも違うと私は言いたい。


4:
一万人ばかり人口が減ったくらいでなんて騒ぎだ。
これが中世で、天然痘で一千万人も死んだらなんと言うだろう!
きっと世界が滅んだような言い草をするに違いない。

富が失われるだと? 社会がなりたたないだと?
どんなに喪われたって、シェラレオネほど悪くはならない。
腹を決めろ。原爆も地震も我々を根絶しはしなかった。

飢餓や戦禍について話はしても、それがあたりまえだと言いはしても、
子や親が殺されれば身震いするのが人ってやつだ。
しかも私だって身震いするのだ!


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- 2005年12月21日(水)

久しぶりにシルマリル:怒りの戦いの夜の二人

「見るがいい、刻限だ」
 マイズロスの言葉に、マグロールは押し黙った。胸にひたひたと悲しみが満ちつつあるのがわかった。悲しみが、五百年の歳月にわたって拒み続けた巨大な悲しみの波が打ち寄せてきたのだ。この手からはもろもろの愛するものがこぼれ落ちた。こぼれ落ちて喪われた。残っているのは血と罪ばかり。
 黙りこくった二人の公子の頭上を、光り輝く船がわたっていった。北へ、最後の戦いへ。だがそれらすべてはこの二人、フェアノール王家の落人とは関わりないのであった。歴史において彼らの果たすべき役割は終わり、時は彼らを超えて、そして流れ落ちようとしている、モルゴスの頭上に。
 マグロールは膝をついて、兄を見上げた。悲傷と、終局の安堵に満ちて。
「まことに刻限は至りました。闇は極まり、その終わりに光に転じました」
 沈黙があった。恐ろしい沈黙だった。マグロールは、その沈黙に怯えた。赤銅色の巻髪を頂いた兄の眼差しは燃えている。燃えているのはウドゥンの火だ。なるほどゴルゴロスから吊られていた長いあいだ、この眼に映っていたのはその光だったのだ。その激しく暗く恐るべき炎だったのだ。
「まだだ、マグロール。まだ終わらぬ。まだ誓言が残っている」
 重たく言われた言葉に、マグロールはおののいた。それは確かに、この上悪に悪を重ね、血に血を塗ることを心定めた言葉であったのだ。しかもこの兄がそのごとくするならば、マグロールは逆らえぬ。いかなる悪、いかなる血であれ、最後に残った兄弟の絆を断つには足りないからだ。それは彼も我もよく知ることであった。それが証拠に、ウドゥンの暗い火を宿していた瞳は、憐れみに満ちている。憐れみと悲傷といやまさる没落への意志に。
「行こう。世に朝が廻ろうと、我らの上にあるのは闇。永劫の夜ぞ」
「さあれ、兄上」
 マグロールは沈痛に囁いた。
「さあれ、我らほど朝を恋うているものもありますまい。ああ、まことに、世には無数のエルダァルがあり、無数のアタニがありますれど!」
 マイズロスはもはや一言もいわず、かくのごとくその夜は更けた。夜明けの前に、北方からは幾度となく遠雷に似た轟きが物凄く響き渡り、地に生きるものすべてを不安に陥れた。
この夜は後に、大いなる怒りの戦いと呼ばれる。


カランシアがいない…。寂しい。また書こう。
fさんに捧げます。えーと、fさんでいいんですよね?


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- 2005年12月20日(火)

「言葉というのは雷光のように通じるもので、それは聞くほうがその言葉を
待っているからである。すんでのことで自分も言おうと、なかば口をあけて
いるところへ言われたから、たちまち分かるのである。その反対に思っても
いないことなら、いくら上手に言われてもわからない」
                『平和なときの平和論』(山本夏彦)


なんとなく納得した。
いや、私の書くものはわかりにくいと言われ続けているので。
そもそも土台が普遍的な見方から離れているんだ、きっと。
読み手のわかる範囲の外に自分の思いがあるなら、
やはりそれは、わからないだろうと覚悟を決めて書くべきか。

ファンタジーというのは、前提としての世界像が書き手に任される。
それは二次創作といえどもそうだ。一次内にはない設定を扱うなら。
そんで、私はそうした部分をいちいち書かない。
片言隻語からの想起を求めなければならないことあるのだ。
すべてを叙述するのはそれは物語ではないからだ。

この部分が難しいといえば難しい。
少なすぎれば十分な想起を期待できないし、多すぎれば駄作だ。
とはいえ、文章のよしあしはすべて、隠れた部分によると思う。
つまり、どれだけ書いたかではなく、どれだけ書かずにすませたか。




マルチェロは、宗教的な人間だ。これがまず根底にある。
私の書くDQ8世界の神はキリスト教的な創世・救済論を持つから、
彼の苦痛は神と人に対する罪にある。
書かれず、彼もまた想起しないが、苦悩はそこからくる。

人の罪を贖わんとしてひとり子を遣わしたもうた慈愛の神を、
世界の偉容を創造し、また己を創りたもうた創造主を悪もて裏切った。
それがマルチェロに最後に残される苦悩である。
それはどの文章でも確かに通奏低音をなしている。

彼が神の愛を信じ、自ら神のもとに帰る道筋を探しているだけだ。
「死にネタ」は要するに、その仮定とも、失敗譚ともつかないもの。
私はおそらく自分が書くだろう物語の終わりを先ごろ見たが、
そこに行き着くにはまだ遠いようである。


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- 2005年12月19日(月)

 煙るような銀髪が顔の半分を隠していた。淫らに染まった顔の中で氷色の瞳は焼け付くような激しさでこちらを見ている。赤い唇が猥褻に舌を吐く。締め上げられる感覚に、この体に小さな死に似たおののきが走ってゆく。
 マルチェロははっと目を見開いた。今しがたまで見ていた夢のせいで体はこわばり、冷たい汗で濡れていた。それから―。
「……」
 マルチェロは小さく唇を噛んだ。明け方の不安な夢は下着に不快な痕跡を残している。およそ認めたくない種類の臭気に、マルチェロは苦々しく顔を背けた。だからといってそれが消えるわけでもなかったが。
 現実にあったにも関わらず悪夢以外のなにものでもなかった夜から一月が過ぎていた。その間に見た淫夢は何度になるのか。昼がいかに貞潔であろうとしても夜がそれを裏切る。また、憎み嫌う弟の行動のために自らの行動を変えることは彼の誇りが許さなかったから、あえて夜を避けることも選択の範疇にはなかった。またなぜククールが自らに挑んだのかを問い返すことは思いも及ばなかった。思いついたとしても、不快な思いとともに頭から振り払うだけだっただろう。弟に向ける感情と思考を排除することはすでに習い性だ。とはいえ、強いて続ける日常はすでに軋み始めている。
 清い身であろうとしていたのは、いかなる瑕疵も命取りとなりうる権力をめぐる争いの中で、できる限り弱みを持たないためだった。少なくともマルチェロ自身はそう信じている。彼の性欲は、幸い運動や勉学の中でまぎらしてしまえる程度のものであったから、少しの葛藤もなしにとは言えなかったにしろ、自らを律する力が緩むことはなかった。
(こんな形で喪うことになろうとは)
 マルチェロは不快さに苦い嘔吐感さえ喉の奥に感じながら、始末をつけるために身を起した。正面の壁には、古い三叉が飾られている。それはどうしてか、かつて感じていたほど輝かしくも近しくもないように思われた。



弁解しません。
童貞奪われてトラウマになって夢精してる兄はうまむーさんに捧げます。


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- 2005年12月18日(日)

 雨の夜だった。ぼんやりと町の方の空が赤る闇を、霧のように無数の雨滴が渡っていた。陰惨な場末の宿屋、便所はそれはもうお話にならないひどい臭いがした。ククールが一人で酒を飲んでいると、扉が開いてエイトが入ってきた。バンダナを巻いた黒髪からは雨の滴が落ちている。あるいは少なくともククールはそう記憶している。
「トロデのおっさんのとこ、行ってたのか?」
「うん、食事をね。…気の毒だよ」
 ククールは冬の雨夜の中を町外れで野宿している一匹の化け物と白い馬のことを考えた。もとは一人の王であり、一人の王女であったという話が本当なら、それは本当に気の毒なことだとククールは考える。だがそうした中でこの黒髪の少年のようにけっして態度を変えることのない臣下がいるということは、きっとかけがえのない心の支えとなっていることだろう。
 エイトがククールの向かいに座を占めた。
「明日の朝早く発って、昼過ぎにはサザンビークに着く。そのことで陛下と話してきた。やっぱり町には入らないって」
「あのさ、おっさんに文書とか書いてもらった方が、中までスッと入れると思うんだけど。それくらいしてくんないわけ?」
 エイトが苦笑して首を振った。
「だめだよ。国璽を押せないから偽文書と疑われかねない。下手に疑われるよりは用件をすっぱり話してお願いしたほうがいい。陛下も、サザンビーク王はもののわかる方だから、その方がいいって」
「そうか」
 ククールは頭を傾げてまた考える。こうした夜更けの対話を交わすことは少なからずあった。ゼシカとヤンガスは夜更かしのきかないたちで、エイトがトロデのもとから戻る頃にはもう寝付いていることが多かったからだ。こうした会話は、ククールにはいつまで経ってもなれないものでもあった。何が慣れないかといえば、おそらくはきちんとかみ合っていたからだ。そうした対話はおよそあの修道院では縁遠かった。
 あの修道院では、会話はすべて裏のあるものだった。学識に裏打ちされた厭味を薄いナイフのように切りつけあったり、無言の裏の微細な陰険さを毒のようにぶちまけあうことだった。そうだ、会話は常に、腹の探りあいや、刃の代わりに言葉を用いた切り合いだった。
 互いに対する忌憚ない信頼と、同じ目的のもとともに進んでいるという確信を土台とした会話は、だからククールにはへんに居心地の悪いものなのだ。
「どうかした、ククール?」
「ん?」
 ククールは顔を上げた。エイトが心配そうな視線をこちらに向けている。
「急に黙るから」
「どうもしねえよ。明日のことを考えてたんだ」
 そうだ、エイトとのあいだにあるのは常に明日。明日だけだ。かくも凛とかくも静かに確かに、仲間たちと自分は明日に向いている。だが、どうしてそれがこんなにも、こんなにも寂しいのだろうか?
 そうだ、寂しいのだ。いったい自分はあの暗く淀んだ修道院の、人を傷つけ謀ることだけを目的とするような日々を恋うているのだろうかとククールは自嘲的に考える。いいや、そうではない。そんなゆがんだことではない。
「……ククール、どうしたんだ、ほんとに」
 こんなにも誠実になりうるのだ。人は。仲間は。善良に、前を向いて生きることができるものなのだ。俺は、と、ククールは考えた。もしできるならあいつに、あのバカに、あのどうしようもないクソッタレに、こんなふうな仲間を与えてやりたかった。静かに互いを是認し並び労わる仲間を。俺は、俺はなんにもなくていい。こんなに幸せでなくていい。あいつに全部やりたかった。それができないことが寂しい。悲しい。切ない。
「ククール?」
 ククールは我知らず両手を組み、そこに顔を埋めて、遠い雨の下で、誰といても誰もいないように生きる男に、血を同じくする兄に、なによりもその幸いを願ってやまないたったひとりのために祈った。
「……」
 テーブルの向こうから手が伸びてきて、ククールの髪をそっと撫でた。それさえ、ククールは兄に与えてやりたいと思った。


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- 2005年12月16日(金)


「なんでって?」
 エイトの問いに、ククールは面食らって問い返した。実際、それはククールにとって自明なことだったし、およそ世界中の誰にとっても自明なことだろうと考えていたからだ。
 ククールとエイトはオークニスの宿でいささか酔っ払い、いささか退屈し、いささか気が滅入っていた。だからといってそんな話題になったのは奇妙なことだった。実際、ククールはなにがどう転んでこんな話を自分がしたのかどうしたって思い出せなかった。とはいえ話したことは話したのだ。つまりもう何年も前のとある一夜、まだ修道院にいたころに、兄マルチェロと寝たことを。
「なんでってこと、ないだろ。不思議に思わないほうがおかしい。おまえはマルチェロさんに一服盛って童貞奪ったんだろ? やられた方はすごいショックじゃないの? そのことについて話もしなかったっていうのかよ」
「話なんかするわけねぇだろ。何を話すってんだよ?」
「じゃあ無言で殴られたとか?」
「おまえさ…」
 ククールはあきれ果てて年下の友人を見つめた。鯨が砂漠を散歩していたとでも言われたほうがまだ呆れはしなかった。だがどうやら相手も同じほどあきれてこちらを見ているらしいと悟って、ククールはため息をついた。
「あのさ、おまえさ、じゃあ俺が兄貴に『何でやったか知りたいか』って聞いたとしてだよ、あの兄貴が一言でも口にすると思う?」
「つーか、俺は、マルチェロさんの方が『何でやった』って聞くと思う」
「そんで、聞かれたとして、俺が答えると思う?」
「答えないの?」
「答えねえよ。まあ、賭けてもいいけど聞かれやしねえけどな」
「なんで?」
 ククールは呆れ果てるのを通り越して苦笑を浮かべてエイトを見た。
「あのなあ、『なんで』ってのは、俺たちの間にはないんだよ。兄貴は俺のことは何一つ知りたがらない。俺が何をしたって、そりゃ表ざたになれば体面があるから修道院の規律に照らして拷問を言いつけるくらいはするけど、フツーは無視。俺もそのへんはよく知ってるし、あらためて確認するとやわなハートが傷つくから、いちいち古傷抉るような質問しねえ。わかった?」
「じゃーさぁ」
 エイトが不服そうに頬を膨らませた。
「今、俺が聞くよ。なんでマルチェロさんのこと、襲ったの? 賭けってのは口実だろ、絶対」
「なんでお前に言わなきゃいけねーの? そもそもなんだってこんな恥ずかしい話になってんだよ。俺はもう寝るぜ」
「言えよ、ククール」
 立ち上がりかけたククールは食い下がられて苦笑した。
「じゃあ聞くけどよ、おまえ、ミーティア姫をズリネタにしたことある?」
 さすがに閉口した様子のエイトを見下ろしてククールはちらと笑った。
「俺は兄貴をズリネタにしてたぜ。ガキのころからな。あいつのこと考えながらあてがわれた相手とヤってたこともある。そのへんから推察してくれ。じゃあな。明日も早いから、もう寝るわ」
 言うだけ言って度肝を抜かれたエイトを残してククールは階上に消えた。エイトはしばらく身動きもせずにいたが、やがて残った酒を引き寄せた。


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- 2005年12月14日(水)

1:
楽譜が一種の里程標にすぎないとするなら、それで納得がいく。

ごく大雑把な言い方を許していただけるなら、
西洋はおよそ18世紀あたりまで、聖書の二次創作しかしなかった。
絵画、音楽、建築、それらはいずれも聖書から着想を得ている。
もう少し正確にいうなら、聖書を里程標としてそれらは作られてきた。

聖書を楽譜に置き換え、各時代の人々の“演奏”であったといっていい。
その解釈はグールド並に自由で創意工夫に富んだもので、
ときにはこの楽譜を逆さまにして弾いてみた変人“演奏家”もあったが、
しかしいずれにしろ、“楽譜”の存在には変わりがなかった。

ひるがえって現在を見てみよう。
西洋文化を規範としながらも、我々は楽譜に縛られない。
耳で演奏を聴き覚えて、自己流に曲げたり磨いたりしている。
それは楽譜から始めるのとはまったく異なることだ。
生み出されるものはまったく西洋とは異なる色彩を帯びることは確かだ。

では西洋はどうか。彼らもまた楽譜を離れようとしている。
いわゆる前衛は楽譜を離れて遠くへ行く道を模索している。
しかし西洋が自らその基盤たる楽譜を離れようとするとき、
それは盲目で闇の中を手探るようなものだ。
いかなる「山」があるのか、いかなる「目的地」があるのかを
喪い、万に一つの可能性にかけてさ迷い出るようなものだ。

どうだろう?
現代の混迷はここにある程度正しく比喩されているだろうか?


2:
「人」のいない私の物語。

私の物語には人がいないという。
これはどういうことだろう?
思うに人とは、私の中で、近代以降に信じられていたような種類の、
なんとも得体の知れない独立した音源ではない。
経験や素質というもので作り出された音響板を持つ楽器とは思わない。

私は人をそういうものとしては見ない。
私が書く人、捕らえる人は、小説向きではない。
彼らのパンツの銘柄など私は知らない。
好きなタバコの銘柄も、靴のメーカーも知らない。
私が信じるリアリティはそこにはない。

私が知る彼らは音だ。
響き会う旋律だ。しかもおそらくはポリフォニー。
互いに模倣しつつ反発しつつ、いくつかの和音においては重なりつつ、
幻のような、本当にあるかどうかは仮想の中でしか明らかでないような、
そんな線でしか証明できないような存在だ。

これはおそらくこういうことだ。
私は個性なるものを信じない。そんなものはない。
人はそれ自体が複雑なポリフォニーだ。
どの心理的な層も同時に存在する。それらはほとんど互いに脈絡がない。
人は響きだす音色だけで判断されねばならないものではないのか。

そういうわけで、私の物語には「人」がないという言葉は、正しい。
私はただ単に、「人」などいないと思ってる。


3:
少し疲れている。
この仕事をやめるべきかとか思うが、
ほかの仕事はなおさら勤まりそうもない。

義務のように仕事をするということが極めて苦手だ。
上司にとっては使いにくい部下だと思う。
私は自分の楽しみとして仕事をする、自分の喜びとして。


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- 2005年12月13日(火)

1:
気に入っている。<「その日のあとで」
理由はそれほどない。
「夕暮れ」という象徴的な時制をうまく織り込めたことと、
あとはエイトをついにしゃべらせずにすんだことだろうか。
私の好みを言わせてもらえれば、エイトは喋るべきではない。
エイトは書き手=読み手の窓であるべきであって、無個性が望ましい。

音楽のタイトルをもじってつけてみたいなあ。
『火刑台上のパルティータ』
『ククールとゼシカによる舞踏組曲』
『マルチェロの死の主題による変奏曲』
…あ、これ、いいなあ。
最後のやつは、「悲惨」でひっくくった一そろいにかぶせられそうだ。
『マルチェロの殺し方大全』とかよりずっといい。

ちなみにパヴァン=パヴァーヌだから、
『塔の上のパヴァン』
『死せる王妃のためのパヴァーヌ』
とかいうひっかけもできるわけだ。
こういうことを考えはじめると、とまらなくなるなあ。


2:
ところで『無伴奏チェロ組曲』(JSバッハ)をアホのように聞いてます。
ロストロポーヴィチ、パブロ・カザルス、ビルスマ、シュタルケル。

カザルスってどーも下手(録音技術のせいか?)だと思うが、
同じ彼の「鳥の歌」を聞いて衝撃をうけた。うまい!
情緒たっぷりチェロを歌わせる、バッハとは似つかない曲だが、
こっちのほうが彼には絶対、あってると思う。
なんだってバッハにほれ込んだんだろうねえ。わからない。

ロストロポーヴィチはDVDで視聴しているが、
彼の音楽は好きだ。解説つきなのでわかりやすいのもいい。
映像もいいが、ちょいと古くてそれほど鮮明でないのが残念。
神業的ポーイングがよく見えるのがいい。

ビルスマは頭よさそう。
彼のチェロは歌うというより語るんだが、
幾つかの速いパッセージではかなり感動した。
この音楽が、多声であるということがよくわかる。
でも、CDにさー、喘ぎ声が入ってるのはなんとかしてほしい…。

シュタルケル…もうちょっと聞かないとー。
ヨーヨーマも聞いてみるかなあ。
みんな同じ曲なのに、ときどき違う歌をきいてるみたいだったりする。
音楽とはまったく、演奏のつどに生れ落ちるものなのだなあ。


3:
グールドとレオンハルトでバッハの鍵盤をみんな聞く計画を立ててる。
あとは誰だろう。うーん。
でも「無伴奏バイオリン組曲」も聴きたいんだよね。
バイオリン弾きは誰がいいのかなあ。

そしてピアノはいつになったら買いにいけるのか…。


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- 2005年12月12日(月)

1:あいかわらずグールド/バッハ
そんなにも知性的であろうとするのはなぜなのだろう?

演奏というものを、再現芸術以上のものとしたのはグールドの知性だ。
彼は弾いて弾いて、それを聞き、そしてつないだ。
彼の録音を聞いていて感じるこのモノトーンの(私はそう理解する)
そしてどこにも一分の隙もない演奏。

彼の独白によれば、彼は引き始めるまでは予断を持たない。
ただ十幾つかのプランを持つだけだ。
そしてそれを試してみる。それを聞き返す。
そこで始めてよしあしがわかるという。

この恐ろしく作業的な知性はなんなんだろう。
表出したもの、表現されたものを他人のように見て切り貼りする彼。
彼にとって個々の演奏は彼の音楽ではない。
聞きなおし、洞察し返され、そのうえでつなぎあわされたものが、
それがグールドの音楽なのだ。
音楽の特異性=再創造/上演芸術をまっこうから否定してないか?

作家がパラグラフを入れ替えたりちょいと語順を入れ替えたり、
そんな音楽家ではないような音楽的知性を何というんだろう?
容赦のなさだとか潔さだとかいうのは違う気がする。

演奏行為を恍惚として自分のために取っておきたいという、
そういう思いのあらわれなのだろうか。そんな逆説なんだろうか。
それだけじゃない。音楽の特異性を否定したところにある音楽の探求。
楽譜を作業に不可欠の道具以上のものにはしなかった彼だ。

この知性は何かに似ている。そうだ、『意識の構造』。
「私は自分が見るという行為をしていることを知っている」
音楽が自ら立ち返って音楽を見る。

つーかこの人、書くものも面白いヨ…。<グレン・グールド著作集1・2
グールドが作ったドキュメンタリー番組、見てみたかったなあ。


2:留保
「あなたは私を好きではないでしょうが」という隠れた留保がある。
これは私の弱音だ。いやらしいところだ。
私はかつて誰かの好意を信じたことがない。これからもないだろう。

誰もあてにはならない。それはジークフリートの恐怖が証明している。
誰もあてにはならない。他者は永遠の他者だ。
誰もあてにはならない。そんなことはわかりきっている、嫌になるほど。

私は冬の深夜に戸外に投げ捨てられた死体ではないのか?
私の目には霜が降りて凍っているのではないのか?
少なくとも私はしばしばそう感じる。たとえば。


グールドのピアノが響くとき。


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- 2005年12月11日(日)

1:
 グレン・グールドが音楽に(とりわけバッハに)ついて語るとき、その言葉はとりわけ技術的で、詩的な修辞句を欠く。彼にとって美はすでにそれらの解説のうちに自明であって、あえて飾る必要を感じないのであろう。
 ここに私はグールドの本質を見る。彼はありのままに語るだけで十分だと考えるような種類の人間で、その「ありのまま」というのが彼の非凡な洞察と個性を経て見られ再構築されたものだということをほとんど意識しない。
 彼は、彼自身の繊細さやユーモアを語る必要もないほどに音楽に織り込んだと考えているだろうが、しかし悲しいかな、大方の人間はこれを理解しない。彼にとって楽典などというものは最小限の常識であり、初歩的な作曲と演奏の能力もまた基礎的知識だろうが、聴衆の私はそうではない。もっとも彼がそうした聴衆を無視したのだと考えることもできるのだが。
 グスタフ・レオンハルトのチェンバロによる「フーガの技法」を聞いている。端正で崩れないピッチで弾きだされる音楽は確かに上手であろうし、魅力もまたあるが、だが私にはいかにグールドが異質であったのかということを思い起こさせるだけである。レオンハルトの手の下で、チェンバロは確かに特有の硬質なきらめきとともに輝いているのだが、グールドのピアノが音楽そのものの生命のままに歌うようには歌ってはいないのだ。
 おそらく、積み重ねられた思索や技量の問題ではない。優劣の問題ですらない。ここにあるのは基本的なスタンスの違いなのだ。グールドがいかに怜悧な言葉で述べようとも、その言葉には写し取られないものだ。この知性の底には、汲むことの難しい魂があり、それはおそらく音楽からなっている。


2:
私は他人が何を言おうと信じも頼りもしないが、
どこか遠くで、私のためにコートを選んでくれている人がいることは、
これはきっと幸福というのに違いない。
だからといって私がそのコートを着るかどうかはまた別だ。


3:
ホットカーペットだけではさすがに寒くて、
ちっこいストーブを出した。

冬だなあ。

真冬に戸外に捨てられる死体になりたいと思うことがある。
見開いた目は、朝には霜で凍ってる。きっと。
大気と同じ温度になるというのは、きっと面白いことだろう。


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- 2005年12月10日(土)

きらきらと光るように、チェンバロの硬質な音色が鳴っている。

「クリスマス・オラトリオ」は素敵だ。
第4曲のシオンの娘たちの恋歌がいい。
オーボエ・ダモーレがピンク色しているようだ。

 もうすぐ会える、もっとも美しく、もっとも愛しいかたに。
 切ないほどに愛するために、準備を整えなさい。

愛とは深まって切ないものなのだと、バッハに歌われると、
ふーん、なんだかこそばゆいな。どんな顔して書いたんだろう。

開曲は、トランペットとティンパニが祝いの気配を歌い上げる。
天国から天使たちが降りてきて、どんちゃん騒ぎをしてるようだ。
こんなに地上的な喜びがそのまま天上のものだなんて。
きっと、この天国は楽しいに違いない。
そこに行ったらわたしの音痴も治るだろうか。


救済がまだ引っかかっている。
ドストエフスキーは神による救いを信じていただろうか?
あの大審問官の物語を書き、だが同時にソフィアを創造した書き手は?
それともそれは、一つの希望だったのだろうか?


なんだかアレだ。
私は、自分の手の届かないものを、
手の届かないものとして、切に憧れるというひとつの姿勢にハマるらしい。
ちょっと考え直さないと。

やるせない、とか、切ない、とか。
お手軽になってはならないものだ、それは。けっして。
ガツガツしよう。


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- 2005年12月09日(金)

文句なしで18禁↓
でもエロい気がしないんですけど。
某茶で投下したけど、長すぎて反省。突発は300文字以内だよね…。



 この若い貴族を憎んだこともある、とククールは考える。とりわけ何もわからなかったうちは。だがこの男はいささか悪趣味であることを別にすれば自分を人間として扱ったし、教えられた行為が快楽を呼び込むことも、学んでしまえば自明のことだったから、ククールにはもう、憎しみはない。寝台の上で互いに嬲りあい、了解済みの約束事に従って情事を楽しむだけだ。
 ―今日のように。
「なあ」
 ククールは言った。男はククールの中に太いものを埋め込んだまま、目だけで問い返す。ククールはうっすらと笑った。
「俺の兄貴、さ。知ってるだろう?」
「団長殿か?」
「そう。賭けをしようぜ」
「賭け?」
「あいつが、童貞かどうか」
 男は腰を動かしながらちらりと笑った。ククールもまたゆらゆらと腰を動かして応える。
「いいだろう。だが誰が確かめる?」
 ククールは笑う。
「――俺」


 自分の方の有利な点をククールは数える。舌を使うのはうまくなった。キスでも、その他のことでも。男を楽しませる方法はいくらも引き出しにしまってある。女を口説くように男をいきりたたせる方法も学んだ。多少の苦痛にしても、その先にある快楽を知っているから、耐えることを覚えた。なら。ククールは盆の上の器の蓋を取った。始めてしまえばこちらが有利。薄茶の粉末は音もなく茶に溶けた。あいつはどんな顔でイクんだろうか? 俺が最初にあの男にイかされたときのように怯えるだろうか? ククールはコツコツと団長室の扉を叩いた。胸には暗い蛇がとぐろを巻いている。


 マルチェロの手は剣を使う手だ。日に焼けて、爪は短く切られ、指の先までも力強い。眠る兄の両手を寝台に縛り付けて、ククールはその顔を見下ろした。額の秀でた美貌は紛れもなく精悍な男のものだ。
「――マルチェロ」
 耳元に囁きかける。頬を寄せて唇を重ね、舌を差し入れた。甘い、口だ。深い口付けを重ねるうちに、マルチェロがかすかに身じろいだ。
「起きた?」
 ククールは顔を引き、目覚めた緑の目に笑いかけた。そしてその瞳のうちに嫌悪の影が生まれて広がっていくのを認めてかすかに笑った。
「なあ」
 耳元に囁きかける。
「なあ、あんた、誰かとヤったこと、ある…?それとも」
手を伸ばして分厚い胸を探る。わき腹をたどると厚みのある体がはねた。
「清い?」
 問いは笑いを含んでいる。

 マルチェロは問いには答えなかったから、ククールは続きを始めた。揺らぐ灯火の中で寝巻きの前のあわせをはだけてやり、直に滑らかで力に満ちた体に触れた。銅貨ほどの大きさの胸先を指先でこね、帯を淫らにくぐらせ、こわばった下腹部の茂みに指を差し入れる。淫猥な思いは胸に腰にぞろりと渦巻いて、見下ろした顔に浮かぶ嫌悪さえ心地良い。
「女を抱いたこと、あるのかな。あんた、女の中にコレを突っ込んで気持ちよさに眩暈を起したり、背中を引っかかれたり…」
 柔らかい手指に、兄のものを握りこむ。やわやわと指を動かすと、低い呻きが聞こえた。

「あんたが俺を、『勉強』に出したんだぜ。そうだ、聖典を学ぶより、こっちを学べって、ことだろう? だからこれは、成果の報告さ…」
 うなだれていたものを手と指と舌で愛撫する合間に、ククールは度々顔を上げて、マルチェロに話しかけた。答えは一度もなく、だが手の中のものは鋭敏に反応を返したから、ククールは沈黙を意にかけはしなかった。手の中のものを愛撫し、何度か先端をきつく吸ってやると、それは大きくはねて、熱い液体を迸らせた。ククールは自分の体が熱いことに気づいて笑った。
 熱い呼吸をかみ殺すように唇を噛んでいるマルチェロの頬に、汚れた指先を這わせてやる。嫌悪感にか顔を背ける様子に、また熱いものが胸のうちをどろりと流れた。
「あんた、マジで清いの? これっぱかしのことで、さ。信じられないな。知らないものなんてないって顔してて。コレは、お飾りかよ?」
 錐のような視線がククールを見た。それは混じりけのない憎悪で、殺意だ。ククールは薄く笑って背を屈め、兄の顔を覗き込んだ。
「いいよ。俺が、さ…」
 なおいっそう潜めた声で続けた。
「男にしてやるよ」

 兄の顔を見下ろしながら、兄のもので濡れた指で後ろを慣らすという作業はククールをひどく興奮させた。見上げてくる視線は突き刺さるようで、それもまた心地いい。憎悪、殺意。だがその熱さは何にも代えがたい。
「あんた一人清いなんてさ、理不尽じゃないか? 俺にはこんなこと、教えさせておいてさ、なのに、あんただけ…」
 熱い息とともに囁きかけて、ククールは笑う。性急だが物慣れた欲望のまま兄のそれの上に、準備のできた体を落とし始める。マルチェロの喉がのけぞるのが見えた。

「なあ」
 ククールは絶え間なくせりあがってくる熱い呼吸の中で囁いた。視界の中のマルチェロも苦しそうに見える。それとも。
「俺の中、イイ…? イきそう…?」
 体がひどく熱い。兄のものをくわえ込んでいるのだという事実が甘い酒精のようにククールを酔わせた。体の中が潤っていくのは痙攣するように震えるそこから蜜のような液体がこぼれてくるからだ。ひとつ、きつく締め付けて、兄の呻き声を聞くと、ククールは動き始めた。


「それで?」
 若い貴族は首を傾げた。騎士服に威儀を正して座るククールは笑った。
「それでって?」
「賭けさ」
 ククールは笑って目を伏せた。一言だって言う気はなかったが、思い出すことは容易かった。マルチェロがどのようにククールの中で弾けたか。その瞬間にどのような顔をしたか。なおも締め上げ、擦り上げれば…。
「おっと」
 ククールは立ち上がった。
「ミサの時間だ、行かなけりゃ」
 男も笑い、二人はマイエラ修道院の高い堂宇の方に歩き出した。歩きながら、マルチェロはどんな顔で壇上に上がるだろうとククールは思った。


-

- 2005年12月08日(木)

 鐘が鳴っている、聖母教会の鐘が。高いラの音で。応じるのは聖トマス教会の鐘のシの音だ。薄水色の黎明が明るさを増すにつれおいおいに町と近郊の群小の教会の鐘が加わる。無色の鳩の群のように、空に鐘の音は満ちている。今日も晴れるだろう。そうだ、今日は十一月最初の主日――…。
 マルチェロは目を覚ました。鐘の音はこの館に響かない。すべては夢だ。夢。遠い夢だ。繰り返し繰り返し、どれほど忘れようとしても、この季節に立ち返って憧れと憂愁で心を暗くする。
「…」
 寝台の上に体を起こし、寝巻きの上にガウンを羽織って立ち上がる。影の窓辺に立った。四囲に聳える壁は暗く冷たく、手をつけばそこから冷気は染みてくる。なぜ俺はここにいるのかと問うには、片時も離れず身に沿う背徳が暗すぎる。右手があまりに明瞭に記憶している殺人の記憶が暗すぎる。この罪は、薄れもせず償うこともできないのだ、おそらくは死に至るまで。世にただ独りあるような孤独にマルチェロはかすかに身を震わせた。慣れるにはあまりに苦しすぎた。苦しく、そして罪は重く。


 ミサのあと、マルチェロはひとしきり、列席した市会の理事たちや、聖歌隊員の父母である貴族たちの祝福の握手や賞賛の言葉を受けた。その後ろに低い声で囁き交わす人々がいたとしても、それはこのとき、マルチェロとは関わりないことだった。オディロは微笑し、高い天井に十一月の澄んだ冬の銀光は映えて美しく、オルガンは光り輝き鎮座して、人々は着飾っている。それで十分でないはずがなかった。
「いずれあなたの良い後継者となりましょう」
 ソロを歌う聖歌隊員の父親でもある中堅の貴族の言葉に、オディロはいつものように笑って、マルチェロは慎ましく傍らで頭を下げた。あるいはそこには幾分かの世辞も含まれていたかもしれなかったが、それでもそれは悪いものではなかった。挨拶を終えて貴族が踵を返し、マルチェロはようやく周囲にほとんど人影がなくなっていることに気づいた。聖歌隊席はがらんとして、ただ総譜だけがぽつんと残っている。
「おやおや、話しこんでしもうたのう、昼の会食に遅れそうじゃ」
「どうぞ、先に行って下さいませ。総譜を保管室に置いてから参ります」
「そうか。あまり遅くならぬようにな」
 オディロは頷き、見事な円柱が柱のように立ち並ぶ堂宇の向こうの出口へ歩き始めた。その背を見送って、マルチェロは重厚な内陣の中ほど、石造りの聖歌隊席の方に歩き出した。歩みながら、笑む唇に上るのは、今しがたこの壮麗な教会に響いた音楽のこだまだ。明るく澄んで清く、幾つかの特徴的な和音が宝石のようにところどころに輝いている。
 そのフレーズがどのように心に宿り、その響きに自ら心を動かされたことが思い出された。そしてまたいざ展開しようとしてどれほど悩み苦しんだか。何度となく挫折しかけ、だが夢寐にも忘れがたく、そのためにどれだけ思案を重ねて多くの展開の形を考えてやったことか。そしてこの日、それが形を得て堂々と響き渡り、曇りなく歌われた。喜びと勝利の感覚に酔いつつ、マルチェロは総譜を取り上げた。そのとき。
「―」
 呼ばれた名に、笑みを消しがたく振り返り――マルチェロは凍りついた。立っているのは背の高い男だ。立派な鬘に威儀を正し、旅装とわかるいでたちながら重厚で金のかかった衣服を着込んで。その襟元の紋章は。
「――」
 語られる言葉の半分も、マルチェロは理解しなかった。その男が誰であり、その男によってかつてなされた一つのことを思い出せばそれで足りたからだ。ほとんど凍りついたように目を伏せてマルチェロは立ち尽くし、時間の感覚さえ消え果てようやく顔を上げた。男の姿はもう見えなかった。
 時刻は真昼、だが光はどこか翳ったようだった。笑いや喜びの感覚はどこか遠く置き忘れられた。マルチェロはわずかに頭を傾げ、考えた。どのようにすれば速やかに確実に心臓を突き刺すことができるのだろうかと。




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「ミサ曲ロ短調」のキリエ第3部で、えらく泣けた。
もう泣けて、泣けて、仕方がなかった。
涙流して声上げて泣くなんて、これはもう、何年ぶりだろう。
古い傷がもいちど切り裂かれたように胸が痛んで。
重たいような悲痛なような旋律が辛くて、辛くて。

ずっと昔、子供たったころに、道に迷って夕暮れを歩いたときのようだ。


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- 2005年12月07日(水)

立ち止まれ、落ち着け。

おまえはわかっているはずだ。
誰もがやりたがらないことがある。
しかもそれはなされねばならないことだ。
そしてそれは、いまはおまえの順番なのだ。
それだけのことなのだ。
おまえはわかっているはずだ。

さあ、息を深く吸い、深く吐け。

おまえはわかっているはずだ。
なるほどお前の妬みにはいわれがある。
だが、それは相応の犠牲を払って得られたものだ。
そのことを考えろ、寒さと空腹と焦りを。
おまえはわかっているはずだ。

そして落ち着き息を整えたなら、前を向いて歩き出せ。
やるべきことは山積している。そのことを考えろ。

そしてなにより、あの――のことを。


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- 2005年12月06日(火)

手と髪からたばこの匂い。
好きな銘柄なんてない、ただ煙の揺らぎを見るだけ。

「ゴルトベルク変奏曲」(JSバッハ、Gグールド)
カイザーリンク伯のようには眠れない。
思考は迷宮に迷い込む、どのようにこの魔界を突っ切ればいい?
白い影は遠ざかり、薄れ、どれほど走っても追いつけない。


すべてのバッハの音楽がそうであるように




これは遁走曲だ。


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- 2005年12月05日(月)

目を閉じて追跡する。


あの三叉路で、黄色い帽子と赤いランドセルはどのように揺れたのか。
雑木林に入ろうとしてどのように留まったのか。そこで何があったのか。
あの寂しい林で人形のように置き去られた体が見つかるまでに。

どのように誘拐は行われたのか。
それは暴力を伴ったか? 甘い言葉か見せかけの困惑が用いられたのか?
あるいは知人か、肉親か、親しいものの簡単な誘いか?
いずれにせよそこには何一つ残されてはいなかった。
遺体にもまた緊縛や脅しのための殴打の痕跡は伝えられていない。
衣服はどのようにはぎとられたのか? 血に濡れる前か、後か?

殺害はどこで行われたのか。
車中か? どこか密閉された個室か? それとも小暗い林か?
激昂によるものか? 静かで残酷な意志によるものか? それとも快楽に?
どこであろうと相当の出血と、殺害への意志がそこに残っているはず。
血に濡れたのは何だ、誰だ。どのようにそれは洗われ/拭われた。

二つの道具は見える。車と刃物。
車は血だらけか? シートや新聞で覆われてはいないのか?
刃物。どのように運び込まれ、用を足した後に姿を消したのか?
それらはどのような気質や関係性を暗示するのだろうか?

問いに答えるようなわけにはいかない。
この物語にはあまりに多くのピースが欠けている。
目的さえはっきりとはしない。見えるのは裏返しの行為、結果だけだ。



傷から血は流れている。流れ続けている。
止むことなく、絶えず。その瞬間から、今も。

「マクベスは眠りを殺した。ゆえにマクベスに眠りはない」
                   Wシェイクスピア『マクベス』

罪は罪びとの中でどのように醸成されているのか、この瞬間にも。今も。


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- 2005年12月04日(日)

待てよ、いたずら目的とは限らない。
怨恨か、何か別の理由でもありうる。

理由はこういうことだ、少女の傷は胸にあった。
手にはない、つまり防御創はないということだ。
一方で、殺害されたのは行方を失った直後ではない。

それではたとえば、こういう推理もできるわけだ。
知り合いが、あるいは肉親が、それとも顔見知りが少女に声をかける。
少女は車に乗る。犯人はそれらしい用事をでっちあげて走り出す。
待て、それでは殺意はどこから来るのだ。
心臓を一突きするならそれはゆるぎない殺意か?
あるいは迷った末にそれは得られたのかもしれない。
だとすれば行方不明になった時刻と殺害時刻のあいだの
灰色のモラトリアムはより犯人のものだったはず。

この場合、足取りを追うことは難しくない。
少女は逃げないから、犯人は殺すことをまだ決めていないから、
だから彼らは食事を取り、トイレにも行く。
目撃の可能性は高まるだろう。そして自首の可能性も。

奇妙だ、奇妙なことだ。

通りすがりの誰かの病的な殺意と、顔見知りの殺意とでは、
後者の方が遥かに我々を驚かさないとは。
この場合、犯人は女の可能性が高くなるだろう。
男なら、手の中の少女の殺害は、絞殺ですむからだ。それだけで。
だとすれば、注意を向けるべきは誰か。…見当がつくような気がする。



歯を食いしばれ。世界は悪意をその背面に持つ。
だが殺すのも殺されるのも常に人だ。どんな人生も人生は人生だ。


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- 2005年12月03日(土)

尋常ではない。

栃木県今市市で下校と中に行方不明になった小学校1年生の女の子が、
茨城県の山林内で全裸の遺体となって発見された。
この事件の異常さはどこにあるか。

「胸に刺し傷があった」という部分だ。
広島の事件を思い出してみるがいい、死因は窒息だった。
昨年の奈良の事件でもそうだ。
子供のか細い首なら締め上げるに造作もない。
突発的な殺意、一瞬の魔で足りる。

だが、刺し傷では、刃物がいる。
刃物を用意して幼い女の子を連れ去るというのは、
それはもう、最初から殺すことを前提としていたということだ。
ここには広島や奈良とは異なる明らかな異常性がある。
性的な関心があったにしろ、それは死と深く結びつきいっそう暗いものだ。

犯人のファンタジーにあったのは、
遺体を損壊したいというネクロフィリア的な妄想だったのか、
それとも殺害にいたるグロテスクで苦痛の多い段階も含まれていたのか。
少女の不安や恐怖や苦痛もまた楽しみの対象となったのか。
実践は、だが、何度も繰り返された妄想よりも拙劣だったろう。

事件に至るまでに、犯人は刃物を長い間持ち歩いていたに違いない。
あの物寂しい三叉路を知ったのが、偶然だったかどうかは知らない。
だがそこに通学路という看板を見たことは、忘却されなかっただろう。
妄想は、何気ない思案や行動のうちにさえヒントを得て熟成するものだ。

犯人は―男か、女か。おそらく男だろう。
孤独か、伴侶がいるか。どちらもありうる。だがない方がありそうだ。
薬物の影響があるか、ないか。あるかもしれない。だが影響は副次的だ。
前科はあるか、ないか。あるだろう。性犯罪か、保護観察中か。
車は運転できるだろう。廃棄物関係の仕事をしていたかもしれない。
栃木の人間か、茨城の人間か。どちらにも来たことはあるだろう。
だが住んでいるかとなると―あそこはICに近すぎる。わからない。

この人狼はまだ大道を歩いている。

罪の意識と異様な興奮はまだその心に取り付いているだろうか?
遺体があまり早く発見されすぎたと、不安になっているのか?
見つかっていない遺留品はそのトロフィーとして持ち帰ったか?
それともどこかに置き去りにしたか。それが見つかることを恐れているか?
車はどこに隠した、それとも何食わぬ顔をして駐車場に止めてあるのか?
今朝は貪るように新聞を読み、ニュースを見たか?
それとも巣に隠れるように布団の中に蹲り、全てを忘れようとしているか?
刃物はどこにやった、手放しがたくまだ手元に隠しているのだろうか?
今、おまえは何を見ている? 捕まる恐怖を感じるほど我に帰っているか?
あるいはサイコパス、灰色ののっぺりした精神の持ち主なのか?
人を驚かせ悲しませたあの少女の死も、何も残さないような?


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- 2005年12月01日(木)

1:
オルガンが「ぷーかぷーか」言っているように聞こえるのは気のせいか。

いや、グールドの『フーガの技法』(1962)ですけどね。
DVDで見た限り、グールドは例のちっこい椅子に座って、
足は組んでほとんどつっかえ棒のようにして弾いていた。
ということは、足もめいっぱい使って演奏するオルガンでは、
普段とは違う姿勢をとっているだろうってことだ。
本職のオルガン奏者の演奏と違って、華がないっていうか…。

オルガンの次にピアノで弾いた同じ曲が入ってるからなおそう思う。
こちらは例のハミングつきで、かなり好き勝手に弾いている。
どれくらい好き勝手かというとですね、えーと、
オルガンでは2分45秒で弾いてたコントラプンクトゥス1を、
ピアノでは4分51秒で弾いてたりするわけだ。
最初ぼうっとして聞いてたとき、同じ曲とは気づきませんでしたヨ。
まあ、この時代の譜面には、速さの指定がないからね。

時々ジャズっぽかったり。
つぶやくようだったり。
子供に話しかけるようだったり。
晴れた日の庭みたいだったり。
あ、このフォルテ、とてもきれい。

音楽ってさ、素敵だ。


2:
速度が一つの本質なのだ。生起の速度が。
音楽の生じる速度が、生じた音楽の様態を決める。
それはどういうことだ、考えろ。どういうことだ。

絵画でも建築でも文学でも、速度というものは、
隠喩として、あるいは呼び起こされるべきイメージとしてしか表出しない。
絵画ではタッチ、文学では音韻、建築なら空間構成で。
それは間接的で、より結果である。では、音楽では?
音楽では、起す方法と起きるものが重なり合う。同一なのだ。
経過がそのまま結果であるというのはどういうことだ。

演劇のような再現による神話の体験化の問題なのか?
速度、継時性、連続、演者による呼び起こしによる現実化。
過ぎ去ることを本質とするもの、それらそのものであるもの。

音楽とはなんだろう?
正しい比喩がいる、正しい比喩が。理解の技法が。
どうしたって弾かなきゃならないのか。なんて遠い道のりだ。

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