- 2005年11月30日(水) 暗闇の中に手を伸ばした。血にぬめるなにかが触れる。探ればそれは顔と知れた。成果を知ろうと焦りと不安と早鐘を打つ鼓動のまま探る。額、鼻、目、口――。びくりとマルチェロは体を震わせた。指に触れたのは濡れた毛房、髭だ。髭。よく知る形がまざまざと脳裏に浮かぶ。まさか、まさか―。 「……」 思考の停止した耳を打つのはすすり泣く声だ。声。誰の。泣いているのは。ダニエルだ。それでは、死んでいるのは。マルチェロが殺したのは。 「校、長…?」 そうに違いなかった。その呟きと同時にダニエルの悲鳴が耳を灼き、弾かれたようにマルチェロは走り始めた。闇の中を、速く、速く。逃げたわけではない、そんな思案など追いつかないほどの動揺だ。いかなる表情記号も速度記号もあらわしえぬほど速く激しく混迷して物狂おしく、それはいかなる音楽より沈黙に似ている。マルチェロは叫びもせず、ナイフを握ったままの拳を開くことさえ思いつかず、ただただひたすらに走った。この夜のなんという暗さ。なんという果てのなさ。取り返しのつかない線が背後に引かれていることがわかる。引いたのは右手のナイフだ。 恐ろしい死体の記憶が稲妻のようにマルチェロを打つ。ぽっかりとあいていた口、見開いたままの目、人間の温度を逸しつつある体。耳に蘇るの血が詰まりごぼごぼと鳴る喉、がさがさと床を掻く爪。傷口から噴出す血の高い響きと顔に散ったぬるい温度、弱々しい苦呻と痙攣。こと切れた死体がうつむいてごろりと…ひどく物質めいた音が。 (わたしが殺した) 突如として膝から力が失せた。殺した。殺した。殺人だ。校長、あの威厳のある白い髭と髪と眉。オディロと並べば一層の長身に見えた。笑うことは少なく厳しく規律を重んじ…。 (わたしが殺した!) したたか地面に体を打ち付けて、マルチェロは低い声を漏らした。どこかが切れたのか、口の中に血の味が流れ込む。あの老人は死んだ、殺されて、苦しんで、死んだ。殺したのは右手の刃。 「――ち、が…」 殺したかったのは校長ではない。あの男だ、あの男、再びマルチェロから一切を奪うために過去の暗がりから立ち現れたあの男だ。だがこの手が確かめたのは死んだ校長の顔だった、この手を濡らしたのは校長の血だった。 「――」 なぜここはこれほど暗いのだろう? マルチェロは悲鳴を食い殺して顔を上げた。はるかに遠くにちらちらと瞬く光はあるが、それはあまりに遠すぎる。右手のナイフが引いた線はいまは夜の大海ほども暗く広く横たわっているのか。救いもなく。だが、この朝には光の中にいたのに。朝には。 朝には? 朝には、マルチェロは普段よりも緊張して指揮台に上った。そうであって少しも不思議はない。この日のカンタータは彼が初めて作ったものだった。聖歌隊とオーケストラの練習も彼が見たのだ。言ってみれば、このミサは少なくとも音楽の面では、マルチェロ一人が責任を持つべきものだった。 マルチェロはちらりと客席を見た。この日ばかり、オディロと校長は並んで最前列に座っている。左右には着飾った貴族たち。座席は後ろの方まで、ずっと埋まっている。ウインクを一つ飛ばしてきたオディロに頷き返しながら、マルチェロは考えた。たった一つだけ残念なことは、母上が今日、来られなかったことだ。十七歳、学校に在学しながら作曲と指揮を任された者は初めてだと校長が言ったことを思い出す。 だがそれも指揮棒を上げるまでのことだ。誘い出されたのは甘やかな弦のうた。コラールは神への曇りなき信頼を語る。我らはあなたの苦しみと血によって悪より贖われ、清いものとされた。それゆえ我らはただひとすじにあなたを信じる。あなたを求める。続くのはテノールの朗誦。我らは弱く、幼く、罪に惑う。だがこの心に言い聞かせよう、主を離れるなと。 続くパートでは合唱隊は沈黙する。代わって管と弦が主題を噛み締めるように繰り返し、心に染み入るような変奏のうちに問い返し、揺り返す。内なる決意を確かめるように。そしてマルチェロは静かにソプラノを促した。明るい信頼と、己が心に向けた決意のアリアが輝く糸のように歌いつむがれる。最後は再び、コラール。全ての声が目覚めて、歌う。通奏低音に支えられた確固とした歩みは、光の中に歩みだすものの強さと清さ―。 そっと、マルチェロは右手を閉じて、すべての音の終わりを告げた。オーケストラは手足のごとく合図に従い、音楽は余韻を残しつつ消え去った。肩からすうと力が抜ける。背後に湧き上がった拍手に振り返ると、天窓から降り注ぐ光が視界を包んだ。めまいのするほどの明るさに思わず目を閉じる。その一瞬だけ、マルチェロは身内に溢れた曇りない幸福な充実感に身を委ねた。 -------------------------------------- 音楽家兄版「暗い日曜日」。 続くかな、多分。というかコレで終わったらなんだそれ、ですね。 人殺しのマルチェロ。殺されるのはやっぱり校長=法皇。 あ、ノットパラレルでまだ書いていないことに 気づいた。いや、日記では書いたっけ? 大事なところなのになあ。だめだなあ。書かないと。 私の文章はそのまま私の思想だなあ。 安西先生、エロい話が書きたいです…。 全球凍結の話も書きたいです。 エディアカラ動物群の話が書きたいです。 地底洞窟の嫌気生物の話が書きたいです。 あの硫黄の、イエロー・ローズ。 光を知らない薔薇、人間が見ることのない視界。 小説ってさ、見えないものを見えるように書けるからいいんだよね。 ピアノを始めるにあたって選ぶべきバッハの曲はなんだろう。 切実に情報求ム。 - - 2005年11月29日(火) 冬のボーナスは、ピアノを買う!(←レファラを鳴らして感動したらしい) グールドがオルガン弾いてる…ヒィ。 カザルスの無伴奏チェロは音が悪い。70年前の録音だもんなァ。 --------------------------------- 天井の高い聖母学校教会のオルガンが、マルチェロはとても好きだった。確かに純正調を守るそれはもう時代遅れになりかけてはいたが、堂々としたストップや金の渦巻き模様で飾られた三段の鍵盤は愛らしく、響きもまた金色を帯びて美しかったからだ。特に気に入っていたのは、ボタンで操作するおもちゃのような小さなベルで、礼拝や婚礼には、明るい響きで歌った。 マルチェロは聖歌隊の練習のない午後に、人影のない教会で、こっそりと大きなオルガンを弾き鳴らした。礼拝の時にふいごを押す老人が昼食に出ている時間が狙い目だったから、その役目はいつもダニエルに頼んだ。聖歌隊でソプラノのソロを歌う代わりに学費を免除されている給費生のマルチェロと違って、ダニエルは貴族の息子だったが、たいていマルチェロの頼みを聞いた。というのはどの授業にしろ、マルチェロのノートと親身な指導なしには合格をもらえないということがわかっていたからだ。 いつかこのオルガンで主日ごとのカンタータやミサを弾きたい、というのがマルチェロの何よりの願いだった。だがそれを声に出すことはない。もうじきに声変わりすれば、学校にもいられなくなるのがわかっていたからだ。 マルチェロは鍵盤を前に頭を傾げた。このあいだから練習しているフーガを弾こうか、それともつい二日前に聖歌隊で配られたばかりのカンタータのとりわけ美しい響きのコラールを弾こうか、迷ったからだ。 「……」 弾き始めたのはコラールだ。足で操作するペダル部が多いのは難儀だが昨年からずいぶん背が伸びたせいで、トリルだってそれほど骨を折らずに弾ける。以前は半分ばかり椅子からずり落ちるようにして弾いていたものだが。楽譜は頭の中にある。 コラールを弾き終えると、そのままオルガンに四声のフーガを歌わせ始める。こちらはなかなかの難物で、少しでも止まれば元には戻れない。オディロの作る曲はいつだって織ったように綿密で、無駄な音などなく、あんなにもやすやすと弾きこなしていることの方が信じられなかった。 それでも注意深く奏でさえすれば、絹や緞子のような、滑らかな光沢を帯びた音楽が見えてくる。マルチェロは夢中で難しい中盤を乗り切り、それを過ぎるとややほっとして、すべての糸のほどけるような終結へと向かった。奏で終えて見上げれば、窓を通って差し込む日の光で通風管が明るく輝いている。 「見事な演奏じゃった」 はっとして振り返ると、にこにこと笑みを浮かべてオディロが立っていた。その背後には「法皇」と学内外であだなされる長身の校長が。思わずうろたえるマルチェロの前でオディロが楽長の方を向いて言った。 「さっき言うたことじゃが、少しは考える気になったかのう?」 「ふむ…」 校長にじろじろと見られて、マルチェロは思わず下を向いた。禁じられてはいないとはいえ、許可なくオルガンを弾いていた現場である。オディロは怒っていないようだが、校長は…。 「よかろう」 苦みのある声が言った。マルチェロは顔を上げる。校長はマルチェロを見下ろして頷き、ついでオディロの方を向いた。 「だが、すぐにではないぞ。マルチェロももう12歳になる、声変わりも間もなくだろう。その時がきたら、おぬしの弟子にするがいい。だが今はまだ、聖歌隊にいてもらわねば困る」 「それで決まりじゃな」 きょとんとしているマルチェロの前で、オディロがにこりと笑った。マルチェロが何か言うよりはやく、高いところから歓声が上がった。 「バンザイ! マルチェロは学校を出ていかなくてすむぞ! 俺も卒業できるぞ!」 ふいごの横で小躍りしているのは小太りの影だ。 「おお? あれはダニエルじゃな。あやつが一番うれしそうじゃな」 オディロは言って、それからマルチェロを振り返って言った。 「のう、マルチェロ?」 その時ようやく事態を飲み込んだマルチェロは、慌てて首を振った。 「いいえ、いいえ、オディロ様」 喜びは息を詰まらせてこみあげる。この学校にいられる。オディロの教えを受けられる。そうだ、オルガンの! 頬を真っ赤にして、マルチェロは言った。 「一番うれしいのは僕です。僕です! 決まってますとも」 オディロがやさしく微笑んだ。 音楽家兄。子供時代。お金がないので給費生。 ソロを歌うとわずかながら俸給ももらえるので母親に仕送り。ダニエルは『宿命―』から客演。鬼のように怒りながら教えるマルチェロに試験前はいつも泣かされているらしい。 - - 2005年11月28日(月) 悲嘆に満ちたフーガ。葬列の歩みのようなアンダンテのうちに、美しいが胸に染み入るような嘆きの主題を繰り返す。かつて一つの鍵盤が、これほど深い悲しみを歌い出したことはないだろうとさえ思われた。 「…おや?」 最後の一つの音をゆっくりと大気に溶かしクラヴィコードから顔を上げた老人は、驚いたように瞬きした。それは風変わりな老人で、背丈はひどく小さいのに、髭も髪も白く長く見事だった。星霜を重ねた顔の中の見開いた瞳は青く明るく、威厳のある顔立ちだとさえいえるのに、その印象は明るい日に鳴り渡る鐘の音のように晴れやかで楽しげだ。つい今しがたまで、あれほど悲しげな音楽を奏でていたとは思われなかった。 「こんなに若いお客人とは珍しいのぅ」 ククールは首筋あたりをかいて、後ろのゼシカを助けを求めるように見たが、赤毛の従姉妹はというと、村まで送るといってさんざん急きたてて館を出たくせに、およそ見当はずれな町まで連れ回されたことでさすがに腹を立てているらしく、ツンと向こうを見たままだ。 「えーと…。あの、あんた、オディロさん?」 老人はこっくりと深く頷いた。 「そうじゃ。オディロじゃよ」 「えーと、オルガニストの?」 ほっほ、とオディロが笑って、厳しさを含んだ顔はくしゃりと崩れた。思わず釣り込まれてしまうような笑いに、ククールはなんとはなしに心穏やかになるように思う。このじいさんは、と、ククールは考える。このじいさんは、なんだか、回りまであったかくなるようだ。 「昔の話だのう。若い者にはもう負けてもいい年じゃで」 老オルガニストはよいしょと椅子を降り、ククールを見上げて言った。 「さて、ここは冷える。せっかくこの老人を訪ねて来てくれたのじゃ。あちらへ行って、お茶にしようと思うのじゃが、ご一緒にいかがかな? あちらのお嬢さんもお誘いして」 「お世話ンなります」 格式ばかり教えられた儀礼を忘れて、ククールは素直に頭を下げていた。オディロというこの老人には、そうしたものを無にして、相手に遠慮や警戒を起させない何かがあるのだろうかと思ったのは、旧家の娘だけあって堅いしつけを受けているはずのゼシカが、躊躇ったりぎこちなくなることもなく、お茶の誘いに素直に応じるのを見てからだ。 老人の住まいは立派でも大きくもなかったが、雑然としながらもどこか居心地がよかった。ククールは古ぼけたソファにゼシカと並んで腰掛け、先ほど玄関で応対した召使が持ってきたポットから、老人がお茶を注ぐのを待ちながら、部屋の中を眺めた。壁には田園風景の絵といくつかのメダイユ、何かの文書。書棚には楽譜と書物と古いが上等の金色した置時計。書き物机の上には五線譜とインクの瓶。あの塔の部屋とどこかしら似ているような気がして、ツンと鼻の奥が熱くなりかけるのを慌ててやりすごした。 「どうぞ、お嬢さん」 「ゼシカです、ありがとうございます」 ゼシカは差し出されたカップを受け取り、そうそう身内以外の誰かに見せないとびきりの笑顔を浮かべている。オディロもまたにこりと笑った。 「さて、そちらの…あー」 「ククールです」 「そう、ククールじゃな。どうぞ」 「あ、サンキュ…じゃない。えーと、あり、がとうございます」 カップからは暖かく薫り高い湯気が立ち上った。その心地いい香りを吸い込んで、ククールは肩をすとんと落とし、そのときふいに、自分が長いあいだ、体をこわばらせていたように思えた。 「よういらっしたのう、お二人とも」 オディロが言った。それからその青い明るい目がくるっと動いてククールを見つめ、興味深そうにじっと見た。 「こんな所までお尋ねいただいたからには、どうも何かいわれがありそうにお見受けするのじゃが。差し支えなければ、用向きを伺いますぞ」 -------------------------------------- 音楽家兄?なんだかよくわからないことに。 - - 2005年11月27日(日) 霧は晴れて川面は近く、鮭の群が水の下を泳いでいるのさえ見えた。 風は冷ややかで私たちは音もなくまた速く滑って行く。 ゆえあって空を飛んできた。 地上という平面がゆっくりと足の下に沈んでいった。 かすみがかった地平が遠くで弧を描いた。 山々の上はざま、川の上を霧が湿った毛皮のようにたなびいていた。 人の家はおもちゃのようで、区画された畑はパッチワークのようだった。 真下の山々を覆う紅葉する木々が不思議な立体感で連なっていた。 鳶が私たちの下で翼を広げて滑るように飛んで行った。 高度を落として川沿いの風に乗れば、夢で見たような飛行の視界だった。 川辺の樹木に集っていた烏がばらばらと逃げて飛び去っていった。 スカイダイビングの時も感じたことだが、 飛ぶ、というのは、あれはなんだろう。ともかく何かだ。 歩いたり走ったり、そういう一つの基本的な何かだ。 あれはなんだったんだろうと思えば思うほど、明確な言葉がない。 飛行の視界を得ること、飛行の自由な視界を得ること、 あれは いったい 何だったんですかね、荒井さん? - - 2005年11月26日(土) 連弾 マルチェロは不機嫌に、台の上の譜面を指さして言った。 「おまえは字が読めんのか? なら私が代わりに読んでやる。『二台のピアノのための練習曲』。いいか、二台のピアノだ。一台じゃない」 イヤミたっぷりの言葉をククールはたいして気にもせずに聞き流し、白鍵を叩いてポーンと一つ音を響かせた。 「いいじゃないか、あんたんトコにピアノは一台きりだし、幸いこの曲はそんなにややこしくない。ちょっと待って、俺、簡単な方やるから」 マルチェロは無言で眉をしかめた。 「というわけで、もうちょっとつめてくれ」 言うなりぐいぐいと押してきたククールに、マルチェロは更に渋面を深くしてわずかばかり場所を譲ってやった。どう贔屓目に見ても子どものようにとしか言いようがないほど夢中な様子でククールは鼻歌でハミングしながら譜面の音を追っている。こうなればもう自分の言うことなど聞かないことはわかりきっていたから、マルチェロは諦めて、ククールが曲の形を飲み込むのを待った。 「ヨシ、いいぜ、マルチェロ。練習! 俺、第一な」 「……」 おまえはさっき簡単な方をやると言わなかったかと一つこづきたくなるのをこらえて、マルチェロはククールの手に重ねるよう鍵盤に手を置いた。 「アンダンテ、四分の四拍子。いくぜ、イチ、ニ、サン…」 ククールの手が明るいハ長調の旋律を引き出す。追うようにマルチェロがその旋律を模倣する。旋律は歌い交わし、手は重なり追い越し追い越され、ときにほとんど絡まるよう。それでも機嫌よく第一楽章の三分の一ほど進んだが、とうとう途中でごっちゃになった。 「ちょ、あんた、頭下げてくれないと、俺が低音部に届かないじゃないか」 「バカを言うな、今のはおまえが私につっかかってくるから…」 マルチェロがみなまで言わないうちにククールが笑い出した。それからあれこれとややこしい取り決めがあって、二人はまた揃って鍵盤に向かった。 「いいか、忘れるなよ、低音部は私が弾く。おまえは…」 「ハイハイ、じゃ、行くぜ」 「よし――…」 ピアノが歌い始めた。さすがに流麗にとはいかなかったが、四本の手が重なり補い合って、一つの音楽を形作っていく。二人の手から別々に引きだされて生まれた和音は一つの手になるものかとさえ思われるほど自然でなめらかで美しく、時にからまりあい互いをかいくぐりながらつむがれる旋律は不思議な生気に満ちている。それでもマルチェロはどこまで進めるものか疑ってはいたが、ククールはそれなりに奮闘し、足らぬところはマルチェロ自身が足して第一楽章の最後の和音が鳴った。 「…」 その響きを豊かに残して、ククールはそっと指を浮かせた。 「できるものだな」 マルチェロは呟いた。この不思議な連弾は、とかく鍵盤上を自身の領土として見がちな演奏者の心を打つだけの魅力を感じさせた。早いトリルや、劇的な転調の瞬間が寸分のすきもなく決まればどれほど心地いいだろうかと思い、マルチェロは息をついた。その横でククールは顔を上げる。その頬は上気して明るく、目はぼんやりとしている。マルチェロはけげんに眉を寄せた。 「…ククール、どうした?」 カゼか、と、続ける前にククールが言った。 「あーもう、俺、ドキドキした。あんたの指と俺の指がさー、先ンとこだけつつっと触れたり、肩抱かれるみたいだったり、あんたの息が俺の耳にかかったりさー」 「このバカたれが…」 目をきらきらさせて語るククールの横で、マルチェロはもう二度とこんな連弾をするまいと心に誓ったのであった。 -------------------------------------- 仲良し音楽家兄弟。あれこれバレるまえ。 一つピアノで連弾は、目撃者がいるのでできないこともないようだ。 - - 2005年11月25日(金) 老いた家令は行く手をふさがれてはっと顔を上げ、そこにククールを見出して青ざめた。籠を抱えたままずるずると後ずさる老人ごしにククールは日の下に細く影を落とす塔を見晴るかし、それから冷ややかに言った。 「知っているはずだな、あんたは」 「私めは…」 「なんで親父はあいつをあそこに閉じ込めてる? あいつの曲を―」 ククールは言葉を切った。頬の傷が痛んだせいではない。ずっと昔から、舞台の上でしか姿を見ない父親の、だがそのときばかり奏でられる音楽の溢れるばかり心を打つ旋律に陶酔し、甘い和音に心打たれ、ときには涙さえ落として聞き入ったことを思い出したせいだ。どれほど放縦で子供のことも妻のことも見向きもしない父親であっても、その音楽のためだけに尊敬の心を失ったことはなかったというのに。ククールは唇を噛んだ。あのエチュード、あのカノン、あのパルティータ、パヴァーヌ。心打たれたそれらすべてが嘘かと思えば内臓のよぎれるような苦痛が湧き上がってくる。 「あいつの曲を、盗んでいるんだ?」 「坊っちゃま…」 あからさまな言葉に老人は、不安気に周囲を見回した。ククールは前に出た。いらだちと怒りと、それから父親に対する手痛い失望と。 「答えろ。いつからだ? いつからあいつは塔に閉じ込められてる?」 「いくら坊っちゃまでも、そればかりは…」 「ふざけるな!」 ククールは手を伸ばして老人の胸倉をつかみ、乱暴に揺すぶった。取り落とされた籠が石畳の上を転がり、老人はよろめいてがたがたと震え始める。 「あいつを閉じ込めて、あいつの曲を盗んで、盗んで…親父は…」 老人の喉がかすれた高い悲鳴を上げた。ククールは我に返り、家令を締め上げていた手を離すと、後ずさった。解放されてそのまましりもちをついた老人は荒い息をして青ざめている。 「ハ…」 ククールはかすれた笑いを一音だけ落として顔を背けた。なるほどこの老人には何一つ言うことはできまい。召使われる身の上で、主人の秘密を漏らせば地下室で殺されてもおかしくはない。ククールは惨めな気分に沈みつつ、手を振った。 「失せろ。もういい。行け。行ってしまえ!」 最後の言葉は悲鳴のように響いた。老人はそれでもしばらく呆然としていたが、やがて素早く身を起すと、声もなく逃げ去った。後には置き去りの子供のように籠が一つ残されているだけだ。 「ちくしょう…」 ククールは呟いた。老人をおどしつけた自責と、それでもなぜ吐かせるまで問い詰めなかったのかという忸怩たる念とがせめぎあって、いらだちのままに籠を蹴り飛ばす。すると汚れ物と思しい布地がいくらか散り、いよいよククールを惨めにさせた。それでもそこに放置しておくわけにもいかない。落ちた布地を乱暴に拾い上げると、かすかに記憶にある香りが鼻腔に触れた。かすかに、だが間違いようもなく。我知らず、膝をついたままくしゃくしゃのシャツを顔に押し当てて声をかみ殺す。 もう幾日、会っていないのか。思い出される記憶はその音楽でありチェンバロの黒い鍵盤の上を走る白い指であり、そこから情熱的に歌いだされる豊かな歌であり、また幾度も交わした口付けの中で盗み見た柔らかな表情だ。触れる吐息の感触さえ鮮やかに。 「…マルチェロ」 今もまだマルチェロがいるはずの塔を見上げてククールはきつく唇を噛んだ。結びもしない髪は曇った空から吹き寄せるうそ寒い風に乱れる。そこに見えているのに、そこにいるに違いないのに、どうしてこれほど遠い。だがそこに行くことができないことも確かであったから、ククールは黙ってシャツを籠に詰めて立ち上がった。 そのとき、カサリと音がして、風に揺れる紙片がある。切り裂かれた封、書かれているのは父親の文字だ。ククールは文書を拾い上げた。 「…? なんだ。二重奏組曲の評判よく…ヴァイオリン…オルガン…」 そこまで読んでククールはそれがマルチェロへあてられたものだと気づいた。おおかた、伝言がすんだあとは焼き捨てるために家礼が再び受け取ることになってでもいるのだろう。そのまま籠に突っ込もうとしてやめる。 「M、は、小康状態? オディロ…誰だっけ…」 ククールは思い当たる。確か、以前、東部の町で評判の高かった老オルガニストがそんな名前だった。だが、それとマルチェロに何の関係があるのか…。だがそれも手がかりには違いなかった。ククールは手紙を籠に押し込み、塔に背を向けて歩き始めた。 --------------------------------------- 音楽家兄でした。 ククールがやる気です。でもヘタレです。デフォルトですからむしろ。 広島弁にしたらどーなるかなァ(ウフフ) ククールはやる気ですが、だめです、体調が最悪です。 でもフルートのためのソナタ集(JSバッハ)が美しい。 フラウト・トラヴェルソ好きだ! なんかもーとろけそう…ハァハァ - - 2005年11月24日(木) 生理前らしい、情緒不安定だ。 こういう気分は大嫌いだ。重苦しく、文章が空中分解する。 こういうときは、独りで住んでいて良かったと思う。 不快なのはわたしだけですむ。 あした起きたら、わたし、元気。 ↓あんまり悟り済ましてて面白くないので広島弁変換してみた。 音楽家兄じゃないです。「海辺」っぽい。 ------------------------------------------ 日没後の灰色の海辺にマルチェロは独り立っとる。目路の限り平坦な風景にあって、垂直に立つ人間の形はどこまでも孤独じゃ。止むことのない風は衣の裾や髪を巻いてゆく、薄闇は周囲に溶けよと囁くようじゃ。頭上高く瞳を巡らせば、東方より夜闇は広がりつつあるんじゃ。壮麗な冬の星々ばっかしじゃぁ地上は照らされなぁで。波間に砕けて千々に散る白光がどがぁに美しゅう淋しゅう清浄としてから、その耀いは歌うようであっても。 「創り主よ、慈悲深き方よ。わしはここに参った、御手の間に」 マルチェロは囁いた。その言葉は不思議に穏やかじゃったんじゃ。 「もはや我らの間にわだかまりゃぁなぁ。一切を御手に委ねます」 応やぁなかったんじゃ。あったこともなかったんじゃ。おかんの死のときも、オディロの死のときも、地にマンナは降りもせず、天使の軍団も遣わされんかったんじゃ。全てのあまりに切ない祈りに対して沈黙は守られてきた。じゃがマルチェロはもはや思い悩まんかったんじゃ。すべての悩みが悩み尽くされて、すべての悲嘆の涙が隠れとったもんを洗い出したんじゃ。いや、そうじゃぁなぁで。そりゃぁすべて明らかじゃぁなかったんじゃろうか? ゴルドのあの偽りの高みであってさえ。 「オディロ様、ずっと昔にあんたの仰せられたことがようやくわかったんじゃ。今こそ、わしはなすべきことを為しましょう」 巨きな手の気配をマルチェロは思うたんじゃ。この海辺の、世界の落下をその掌に支えとる手を思うたんじゃ。そりゃぁすべての死にゆくもんの末期を看取りすべての迷うもんとともにゆく御方の手じゃ。マルチェロはかすかに震えた。振り返りゃぁ東の海から、黄金を帯びて十六夜の月が昇りつつあるんじゃ。 「―『われのちさい灯を吹き消すがよい、天に明りが点されたんじゃ』」 幼い窓辺に囁かれた老人の慈愛に満ちた言葉を、時を隔とって繰り返し、マルチェロは微笑したんじゃ。遥かあんなぁ方に帆を持つ家があり、そこまでの道のりが明るく照らし出されとったけぇじゃ。げに、このとき浜辺は白い一枚布じゃし、あんなぁ方に広がる大海は巨大な獣の眠りに息づく銀の背じゃったんじゃ。 「まっこと主は、そんしもべを導き給う」 ほいで歩みだしたんじゃ。その足跡は歓びの言葉んよう、月光に輝いた。 ---------------------------------------- め、眩暈がするほど違和感バッチリ… - - 2005年11月23日(水) 最近甘い。 個人的に、文章ならではの甘さを追求したいと思うので、 そのへんがちょいと模索中なのかもしれない。 恋い慕う心の動きは甘いし、情欲発動の瞬間の視界もイイ。 性愛というのは基本的に肉体と言語による対等な対話だと思うので、 相互理解や小さい諍いや、先んじようとする思いも好きだ。 むしろそのへんにこそ私が書けるエロはあると思う。 …「清潔で礼儀正しい」エロでいいや。 もう一つ。地震が怖い。 阪神大震災のときにケロっとしていた反動で、 夜中なんか目を覚ますと、「来るんじゃないか」とドキドキする。 ああ、言っとくけど鬱病じゃないから。 単に、科学的に「近く来る」といわれていることを知ってて、 かつ私も信じているので、それが「今」じゃないかと不安になるだけだ。 噂の不良マンションをつかまされたひとたちは、もっと辛いだろう。 そしてこの「いつくるか、いつくるか」というのが、 現代の首都圏をジワジワと覆いつつあると思う。 妙な話だが、それがいいのか悪いのか、私にはわからない。 -------------------------------------------------------- 勉強家のマルチェロは、ともかく学習が早い。とりあえずキスに関してはコンプリート。nobilmente(上品に)からleggiero(軽く)、vigorosamente(力強く)、risoluto(決然として)まで自由自在。社交界じゃちょっとは浮名も流した俺でもちょっと腰が引けちまうくらいには上達した。ちなみにあんまり上達が早いんで、 「どっかで復習してきた?」 って、からかってやったら、無言のもとに指揮棒の一撃を喰らうはめになった。いや、本気じゃなかったんだって。もちろんさ。そんなことになったら俺は落ち込む。マジで。まあ今でもあれこれ追い越されつつあるんで落ち込みつつあるんだが。音楽室ならともかくベッドの中でまで 「工夫が足りん」 とか言い出されたらどうしようかって心配してんだ、俺…。 ------------------------------------ マルチェロには鍵盤に向かって曲を作る習慣はない。五線譜の置かれたテーブルに向かい、ただ頭の中では出来上がっている曲を書きつけるだけだ。それは、もう何年も昔、音楽の師であったオディロの言いつけだ。 「すべて歌は神を称え、人の魂を喜ばせることを目的とする。奏でることもむろんそうじゃが、よいかマルチェロ。新しい歌を作るとは神聖なことじゃ。戯れに堕してはならぬ、不調和であってはならぬ。それゆえ、心のうちで一切を明らかにしてしまうまでは、五線譜に向かってはならぬ」 常ならば穏やかなオディロが、ただ音楽においてだけは何事も譲らなかった。マルチェロはその言葉を心にとめ、破ることはついぞなかった。また、鍵盤の助けなど借りなくとも音楽は糸を引くように思案のうちに自然と紡がれて旋律は生まれてむしろ手が追いつくのがいつでも困難なほどだった。 だが、近頃は様子が違う。青色で塗られた初冬の空を切り取る窓からマルチェロは黙って机の上に視線を戻した。窓から長く入る光は、まだ昼にもなっていないことを告げている。最近この塔では、とマルチェロは考える。妙に時間がたつのが遅くなった。それに、どうやら、居心地が悪いほど広くもなったようだ。そのせいか、曲を書きとめる手が途切れ途切れになるのは。 扉が開く音がした。マルチェロはかすかに身じろぎし、だが顔を上げない。足音は老人の引きずるもので、のろのろと階段を上がってくる。お仕着せの老爺が姿を見せても、マルチェロは顔を上げない。 「お、おはようございます。昨夜の演奏会は盛況だったそうで。お館さまから手紙を言付かってございますよ。それと…」 老人は机の上を眺め渡し、物問いたげにマルチェロを見た。 「渡すものはない」 「しかし…」 「ご注文は承っている。できていないと言っているのだ」 「――は、しかし」 かつてない事態におどおどとした様子の老人を一瞥する。老人はしきりにまごついた様子でまだしばらく躊躇っていたが、そのうち奥の小部屋に消えた。細々とした用事を足す音が聞こえてくる。マルチェロは置かれた手紙を手に取った。流麗な文字が仰々しい家名を告げる。裏返せば赤い蝋の封印。手を伸ばして小刀を取り、折り返しを切り開いた。 内容―。二重奏組曲評判良し、仏国風の旋律を取り入れた作品を今後も書くこと。しばらくは演奏会が続くが、既に命じたヴァイオリン独奏曲、オルガンカンタータは期日通りに書き上げること。Mの病状は小康に向かった、オディロ殿の年金についても不自由ないよう手配は継続する。以上。 むしろ何の感動もなくマルチェロは読み終え、優美な手紙を閉じた。イニシアルだけが記された母親と恩師の名によって心をかすめた思いは懐かしく、だが何一つ現状は動かないのだということも明らかだった。 「マルチェロ様、それでは私はこれで」 用事を終えた老人が立っていた。マルチェロは沈黙を守る。 「夕食はいつもの時刻に運ばせます。ほかにお言いつけは」 「五線譜とインクが足りぬ。切れる前に補充を。仏国で評判の作曲家の譜面が手に入れば届けるように」 「は」 「それから」 マルチェロはためらった。老人は辛抱強く立っている。 「何でもない。行け」 老人は頭を下げて歩き出した。マルチェロは喉のあたりまで出かかった問いを反芻する。だがそれは問うことなどできない種類のものだ。けっして。そして。なぜなら、とマルチェロは考える。なぜなら、私はそれを知ることを望んでいない。 マルチェロは窓を見た。日の光よりほか、音も風景も伝えない高い窓を。マルチェロは立ち上がり、チェンバロの蓋を開いた。 「オディロ様、お許しを」 ひときわ鋭く、ひときわ切実な痛みに満ち、だがわずかも規律を外れることを許さない、そうした異様な緊張を帯びた響きが塔に満ちた。 音楽家兄。オディロ様登場。 しかしアレか、シーツとか爺さんに始末させてたのか兄? まあいいや。 ええと、アンケート協力ありがとうございました。 御4方に回答を頂いたのですが、みんなバラバラでいらっしゃる…。 ない頭を絞って考えます。どうすっかな…。 - - 2005年11月22日(火) 「…feroce?(野性的に)」 「energico(精力的に)」 「どうやんのさ、それ。ねぇ…」 「―さあ、どうだ、わかったか?」 「ん、それさ…。どっちかっていうと、appassionatato(情熱的に)」 「違う。それは、こうだ。いいか―」 「でもそれ、cantabile(歌うように)だ」 「なかなか意見があわないな。これはどうだ、grazioso(優美に)」 「ん、いい。でも俺が好きなのはこう――amoroso(愛情をもって)」 「つまり、どう違う?」 「黙って。もう一度やってみる」 「夜があけるまで何度でも。amoroso?」 「ん、amoroso。どう…わかった?」 「そうだな…。今度は私がやってみよう」 「なあ、マルチェロ?」 「どうした?」 「俺きっと、明日は、まともな顔して楽譜、見れない」 「努力することだ。私も努力する」 「そうするよ、マエストロ。思イ煩ウナ、明日ハ汝ノ思イノ外ニアル」 「問題が解決したところで、先を続けよう」 「amoroso(愛情をもって)?」 「amoroso」 ------------------------------------------------- 不安を孕んだ弦の響きが、長く長く弾きだされる。リズムは重く、舞曲の拍子を借りながら、その気分は沈潜する狂熱と倦怠だ。おそらく名前のない曲であり、これから後も二度と奏でられることのない即興曲だろうと、ゼシカは考える。だがこの従兄弟が、これほど一心不乱に、汗みずくになりながらも一瞬も休むことなく弦と弓にたたきつけずにはいられない激情とは何だろうと、扉の脇に立ったまま、深く胸を打たれずにはいられなかった。 ククールは一つの影、部屋を照らす光は手元の小さな灯火だけ。その光の輪の中で、銀の髪はゆすられ、白い細い手が忙しなく動き続けて微細なビブラートや素早いパッセージを荒々しく生み出している。チェロにこの世ならぬ悲嘆を叫ばせているのは確かにその心だ。ゼシカは耳を澄ませた。 どれだけ時間が過ぎただろう。始まりもなく終わりもない、およそ曲の体などなしてはいないのに、聞くものの心を揺るがさずにはおかないような激しさのまま演奏は続き、だが金属の弦が裂ける断裂音とともに、途切れた。 「ツ…」 低い声。見れば、ククールは頬を拭い、その指は血の赤で濡れている。切れた弦が跳ねた瞬間に切ったに違いなかった。ゼシカは傷ましい思いに思わず進み出た。 「ククール…」 のろのろと、重たく向けられた顔はひどく悲しげだ。 「ごめん、勝手に入って。――聞いてて。ケガ…したの?」 ククールはしばらく何も言わず、やがて頷いた。大成功に終わった城の演奏会のあと、ククールはおかしかった。何も言わず、陛下からお誉めの言葉を頂く父親の姿も見ずに、帰還の馬車に乗り込み、館に帰ってからはたった一人で部屋に閉じこもってしまった。その顔は今も死人のように青ざめたままだ。髪は乱れて血を流す頬にかかり、いっそ鬼気迫るようだった。 ゼシカは躊躇しながらも部屋に歩み入り、ククールの頬の傷にそっと、ハンカチを押し当てた。今、なにかを聞くことは、手ひどくこの従兄弟を傷つけることになるだろうと思えたからだ。 「目でなくってよかったわ…」 囁いたゼシカの手をククールが押さえた。見上げる目は青い。青く涙をためている。ゼシカの記憶にある限り、ククールが泣いたことはなかった。 「ククール?」 答えはない。青い目は閉じ、涙がその頬を流れ落ちる。嗚咽は低く漏らされて、何度もかぶりを振る様子は子供のようだ。ゼシカは腕を伸ばしてククールを抱き取った。恋になるにはあまりに幼いときから一緒にいすぎたけれど、とゼシカは考える。だからこそ、あなたがどうしてほしいのかわかる。どれだけ苦しんでいるかがわかる。 ゼシカは何も言わなかった。泣き続けるククールを抱き取って、子供をあやすように揺らし続けた。倒れたチェロはククールの心のようだとゼシカは思った。弦は破れて。死人のように横たわって。 ----------------------------------- というわけで音楽家兄。二本立て。 順番、逆のほうがよかった? 『やさしくわかる楽典』(青島広志著) とてもわかりやすい。和音の話まで速くいきたいぞー! 以下、前々日分より転載。 ところで、そろそろ拍手の中身を入れ替えようと思う。 それで、こればかりは読んで下さっている方のご意見を重視したい。 1小ネタ:初心にかえってトリビア系とか。 2季節ネタ:冬だし。 3お題ネタ:適当なお題を見つけて。ラブラブ以外で(体に悪いから)。 4●年後シリーズ:今度は一万年後とか?(化石発掘?) 5パロディネタ:王書とかローランの歌とか面白そうなネタから敷衍。 ご意見お待ちしています。要するにアンケート。 三日くらいかけて集計させて頂きたい。 - - 2005年11月21日(月) ド<<レ<<ミ<ファ<<ソ<<ラ<<シ<ド …そうならそうと早く行ってくれ!!いやマジで!! ようやく調の意味がわかった。平均率という言葉に騙されていたわけだ。 しかし面白いなあ、わずかな音の高低で、こんなにも音楽は美しい。 ところで、ようやく終わりが見えた。 だがこの終わりは、物語のこんな終わりは、私にとって、あんまりだ。 しかしながら私は見たものしか書けないし、 見たなら書かねばならない。 息を吸って吐く。体を丸めて力をためよう。 --------------------------------------------- 傍らに、うつぶせで横たわっているのはマルチェロで、疲れきって眠っている。頬にかかった髪は厳しい面立ちを少しばかり若く見せて。ククールはぼんやりと開いた目で笑い、温もったシーツに頬をすりつけた。 そうだ、入れたり出したり、ほんとの情交はそんなことじゃない。触れて、触れられて、くすぐる息や甘い声や、他の誰も見たこともない聞いたこともない声や顔をとりかわすこと。じれったいほど少しずつ。 互いの体を陣地に見立てれば、喜びとともに、またかすかな虞とともに少しずつその領土を征服し、全てを征服し、だが同時に自らを明け渡して征服されること。喜びに満ちて新たな領土を点検し、完全な同意をもって明け渡した領土を隈なくさらすこと。恥じらいながら与え、王者の贈り物を受け取るように相手を受け取ること。受け取られる喜びと、受け取る喜びが等質のものだということをククールは昨夜知った。それは混じりけない幸福で、それがマルチェロにもそうだとわかったから、なおのことにそうだった。 ククールの指のひとつひとつにマルチェロはくちづけした。手首に、肘の内側に、フラウトでも愛撫するように二の腕をたどって、ついには肩に。どうしてそんなことをするのか尋ねたら、あの緑の瞳を柔らかく笑ませていった。「だって私はおまえの指にも腕にも肩にも礼を欠かしたくはないからな」。もちろん丁重な礼儀はそれではすまず、背や足や脚やそのほかもっと秘めやかな場所にも触れていった。そしてククールもそんなふうにした。 とりわけ気に入ったのは青白いほどに色白いのにけっして弱々しくないその頸で。「あんたがチェンバロを弾いていて、ときたま項がのぞくと、俺、どきっとしてた」甘い懺悔に対するに、裸身の聴聞司祭は笑って髪を払い、そこへの口付けを許したが。許されるままに幾度となく口付けして紅色を散らしたが。 ククールは声にもならないひそかな笑いを漏らしてマルチェロに寄り添う。一つひとつのキスの感触は鮮やかに抗しがたく唇に蘇る。呼吸や頬を撫でた手や、その眼差しや。真新しい記憶はいくらも蘇って肌を撫でて行く。それは愛欲より、もっとずっと真剣で幸福なものだ。 「マル、チェロ…」 ククールは囁く。髪に顔をよせれば冬の朝のような涼しい香り。窓の外は白みつつある。聞こえるのはヒバリの声。ジュリエットならナイチンゲールと言っただろう。だが何一つ畏れるもののないククールは温もりに身を寄せ、頬を触れ合わせてまた目を閉じた。マルチェロが目覚めて最初に見るのが自分であるようにとは、朝寝に途切れる前の想いだ。 …音楽家兄。ベッドの続き。後朝。 あ、あまあまァ…ッ。 以下、前日分より転載。 ところで、そろそろ拍手の中身を入れ替えようと思う。 それで、こればかりは読んで下さっている方のご意見を重視したい。 1小ネタ:初心にかえってトリビア系とか。 2季節ネタ:冬だし。 3お題ネタ:適当なお題を見つけて。ラブラブ以外で(体に悪いから)。 4●年後シリーズ:今度は一万年後とか?(化石発掘?) 5パロディネタ:王書とかローランの歌とか面白そうなネタから敷衍。 ご意見お待ちしています。要するにアンケート。 三日くらいかけて集計させて頂きたい。 - - 2005年11月20日(日) 「とおい神代の姫の夜半のあこがれ それとも明日には死ぬる若武者のねむれぬ夢か ああまさにそのごとく、永遠の月は廻り行く それは愛より古いうた」 『ケルト幻想詩画集』(エド・アルフマン著) スカイ島のスカァア女王の英雄クウフリンへの片恋の物語は凄絶だ。 スカァアはわからない、誰を殺せばいいのかわからない。 クウフリンを殺せばいいのか、その思い人イテーンを殺せばいいのか、 イテーンの夫ミテルを殺せばいいのか、自ら胸を貫いて死ねばいいのか。 ああ、誰を殺せばいいのか、女王はわからずにさ迷う。 スカァアはクウフリンを殺さず、イテーンを、ミテルを殺さなかった。 自らを殺すこともなく、捕虜二十人をことさら酷いやりかたで殺した。 戦いと死と流血を愛する女王であったが、 その心はクウフリンという傷のために喜ばなかった。 女王の恋は誇り高くまた大いなるもので、ただ一度である。 それがどれほど望みのないものであろうと、やり直しは出来ない。 スカァアは砦に立つ。砦はただひとつ、見張りの火を除いて闇だ。 安息はすべての上にあるが、スカァアの上にはこない。 この物語は、あらゆる教会の鐘の音から見放されている。 ただ荒海と、FとAの音を欠く音階で奏でられる歌があるばかり。 ところで、そろそろ拍手の中身を入れ替えようと思う。 それで、こればかりは読んで下さっている方のご意見を重視したい。 1小ネタ:初心にかえってトリビア系とか。 2季節ネタ:冬だし。 3お題ネタ:適当なお題を見つけて。ラブラブ以外で(体に悪いから)。 4●年後シリーズ:今度は一万年後とか?(化石発掘?) 5パロディネタ:王書とかローランの歌とか面白そうなネタから敷衍。 ご意見お待ちしています。要するにアンケート。 三日くらいかけて集計させて頂きたい。 ------------------------------------------------------ 乱雑な部屋はカーテンを下ろして暗く、締め切られている。ククールは目を覚まし、カウチの上で毛布にくるまったまま眠っていたことを知った。カーテンの隙間からは明るい西日がほのかに漏れている。 「――夜は明けるんだな」 しばらくその光を見ていたククールは、髪をかきあげ、苦く呟いた。テーブルの上に乱雑に並んでいるのは空の酒瓶だ。そうだ、マルチェロににべもなくあの塔を追い出されてから、もう何日たったのだろう。飲んでは眠り、起きればまた飲んで泥のように眠る。何を考えるにも耐えられなかった。 ひどい二日酔いにぐらぐらする頭に眉をしかめて毛布をかきよせ、カウチの上で体を丸める。目など覚めねばよかった。朝など来なければよかったのだ。影の中に投げ出されたチェロは横たわっている。ひどく壁に投げつけたはずだが、頑丈な楽器はニスひとつはげてもいない。そんなことはどうでもよかった。マルチェロはもう二度とこちらを向いてくれなどしないだろう。 絶望の中に蹲り、ククールは目を閉じた。泣くにはひどすぎた。ともに過ごした時間も交わした口付けもなんの意味もなかった。彼をあそこに閉じ込めているのはククールの父親で、その血は疑うらくもなく血管を流れているのだから。 はっとククールは目を開いた。なぜ父親はマルチェロをあの塔に閉じ込めているのだろうか。あの首の枷は何のためにはめられていたのか。マルチェロとは、あのオルガンとクラヴィーアの名手、黒髪と緑の目の男とは誰だったのか。ククールは自分が少しも知らないことに気づいた。それは確かに、マルチェロがそこにいる限りはどうでもよかったのだが―― 乱暴に扉が叩かれた。びくりとククールは身をすくませる。返事をせずにいると、ノックがもう一度。 「いるんでしょ、ククール! 開けるわよ!」 ばたん、と、音をたてて扉が開いた。流れ込んできたまぶしい光にククールは目を細める。声の主は見ずともわかる。くびれた腰に手をあてたゼシカだ。 「うわっ、酒臭ッ! なにこれ、ククール。あんた、最近は真面目になったって聞いてたのに、なによ。失恋でもしてアル中にでもなったってわけ?」 ククールがへどもど言ってもぐりこもうとした毛布を引っ剥がされた。 「なんでもいいから、さあ、起きなさいよ。起きてさっさと支度をするの。リーザスから呼び出しといてこのザマは何よ。おじさまの新作の発表会に行くって言い出したのはあんたなんですからね!」 有力な地方貴族の娘で遠縁の従姉妹にあたるゼシカに、ククールが勝てたためしはない。それはゼシカが常に善良で正しいからであり、今だってククールのことを本気で心配して引っ張り出そうとしているからであり、同時にその無類の向こうっ気の強さのためであった。 問答無用で風呂を使わされ、髭をあたられ、髪を洗われ、正装を着せられる。酒臭さを消すために香水をたっぷりかけられたところで、ククールはうんざりして、なんとか行かずにすまないものかと考えた。だが馬車で一日がかりのリーザスから呼び出したゼシカにもすまなかったし、なにより一人で酒を喰らっていても気持ちが晴れないことはわかりきっていた。 「なんとか見れるようになったわね」 豊かな胸を深紅のタフタのドレスに包んだゼシカがにこりと笑った。いつものククールならお世辞の一つも言うところだが、そんな気力はなかった。やつれた頬にゼシカが触れる。 「心配させないで、色男の従兄弟さん」 「…悪い」 「行きましょう」 ゼシカは微笑み、ククールの腕を取った。 馬車の窓の外次第に暮れて、城の影が近づく頃には宵にかかった。馬の蹄の音を聞きながら、ククールは目を閉じていた。出立のときに長い影を落とす西の塔を見たくなくて目を閉じ、それきり開こうと思わなかったのだ。 「もう着くわよ。でも、もう始まってしまっているわね、きっと」 ゼシカが囁いた。ククールは目を開く。馬車は長いだらだら坂をもうほとんど上りきって、車留めに入るところ。きらびやかなお仕着せの近衛兵が馬車の扉を開き、侯爵家の名を呼ばう。ククールはゼシカに手を貸して馬車から下ろし、案内に従って奥の広間へ歩き出した。 「いつも思うんだけど、このお城ってあんまり趣味が良くないわ」 小声で囁くゼシカに、ククールは少し笑った。確かに壁を鏡や絵で埋め尽くすような内装は品のよいものではない。しかもことごとく金箔で覆った光り輝く空間演出ときたら。 「いいんだ、来賓をおどかすのが目的なんだからさ」 「でも…」 「しっ、そら、着いた。もう演奏会は始まってるらしいな」 扉の脇に立った二人の侍従が扉を開けた。音楽はあふれ出てククールを包み込む。そのせつな、ククールの思考は白く塗り替えられた。 舞台にはチェンバロが置かれている。その傍らにはチェロが。音楽は四半分も進んだ気配で、主題は緊密な四声の中でさまざまに鳴っている。ククールはそれが何小節目で、どのようにこれから展開していくのか知っていた。そうだ、知らないはずがない。 (…どういう、ことだ) 突如として立ち止まったククールをいぶかしむようにゼシカが見上げる。二日酔いがぶりかえしたようにぐらぐらと目の前が回る。引きずられるようにして客席の一つの座らされたことにもククールは気づかなかった。そうだ、音楽は、そのすべてが親しい。そうでないはずがあろうか。それは西の塔でマルチェロとともに弾いた曲だ。そこは強く、そこは弱くだが歌うように。指示する声のひとつひとつ、その瞬間の表情のすべてがあまりに鮮明だ。そして。ああ、そしてマルチェロは言わなかったか、これはおまえのために書いた曲だ、ごくささやかな小曲だが響きは気に入っている。おまえもきっと気に入るだろう、と。 ククールは死人のように青ざめた顔を上げた。チェロを弾いているのは若い宮廷楽士、ではその楽士を眼差しで指揮しつつチェンバロを弾いているのは。 (親父…!) ククールはきつく目を閉じた。すべてが腑に落ちた。隣ではゼシカが、不安そうにこちらを見上げている。 音楽家兄…ゼシカさん登場。 お城はサンスーシ宮っぽく。 - - 2005年11月19日(土) ようやくオクターブの意味がわかった28歳と2カ月。 でもどうして整数倍の周波数だとおんなし音に聞こえるの? ピアノの「ミ」と「ファ」の間に半音の鍵がないのはなんで? そして相変わらず調性の意味と理屈がわからないぞ! …子供なんでも相談室に電話をするべきか。 ちょっと大人向けにつき、18歳未満は以下、閲覧禁止↓ ----------------------------- マルチェロは裸体にシーツを巻きつけただけの格好で、枕板によりかかって寝台の奥に座っている。日にあたることのない白い肩や鎖骨の上に黒い髪が散って、チェンバロの鍵盤ほどに鮮やかだ。その表情はどことなく頼りない。ククールは向かいあわせにかけて、そっと手を伸ばした。マルチェロは無言で動かない。肩口に触れる。指先だけでぎこちなく鎖骨をたどり、喉に触れて。マルチェロは身じろぎして、横を向いた。 「なあ。あんた――いま、怖い?」 マルチェロは答えない。後悔しているのだろうかとククールは考える。考えながら肩を撫でた。手の甲を髪が掃く。かすかな震えが伝わってくる。 「怖がるなよ。俺、あんたのこと大事だから。なあ、何か、言ってくれよ」 そっぽを向いたマルチェロの睫毛が音もなく瞬きし、かすかな苦笑がよぎってゆく。静かなためいきはククールに触れ、それからいささか無造作に、大きな手が頭を撫でた。 「なんだよ」 ククールはくすぐったくなって笑う。鍵盤の上ではあれほど闊達に動く手はまるでぎこちなく、ククールの頭を撫でている。マルチェロが笑った。今度は苦さよりも甘さの勝る微笑だ。ククールは身をのりだして顔に顔を寄せる。頬を合わせ、鼻先で鼻先をくすぐる。息は近く酌み交わされていよいよ甘い。頭を撫でていた手がするりと滑ってククールのむき出しの薄い胸の心臓の上に置かれた。 「……Allegro」 ククールは笑って、自分もまた手を滑らせてマルチェロの心臓の上に手を載せる。鼓動は暖かく、そして速い。初めてだといったこの肌のふれあいが、その鼓動を速くしているのだと考えるとなにともない陶酔に包まれる。 「Vivace」 マルチェロが屈託なく笑い、ククールが笑った。ついばむような接吻を交わす。幾度か、幾度も。甘い音はスタッカート、調子を変え角度を変えて。最後にはスラーが来る。互いに互いの唇を重ね合わせ、ククールは舌先を差し入れる。戸惑うような最初の瞬間の後にはまた微笑。くすぐりあう舌で、重ねた胸で、鼓動も体温も交じり合う。ククールはマルチェロの体に手を這わせた。形をなぞるよう、こすりつけるよう。重ねた唇の間からかすか、マルチェロの声が漏れるのに、脳髄は痺れる。 顔を離せば、マルチェロの目は濡れて、その頬は赤く、呼吸は速い。自分もそうだろうとククールは考える。こんなことには経験は関係ない。 「なあ…」 ククールは膝立ちになり、耳元に口付けを落として囁く。 「なんだ」 マルチェロの声は柔らかく、深く、今は濡れている。 「あんたのこと、好きだよ」 視線が向けられる。その瞼にも口付けした。泣きたいほどの思いはチェロでなら弾けるだろうか。答えよりも先に、背を撫でる手があった。 「あんたのこと、好きなんだよ。オルガンとチェンバロの次でもいいから、あんたは俺のこと、好きだろうか…。なあ、マルチェロ…」 抱き寄せられる。耳元には心臓の鼓動が歌う。Allegro con fuco、愛の歌。ククールは少し笑って抱き返した。耳元をキスがかすめる。独りの人間を音源として奏でうる限りの簡明さで。 音楽家兄シリーズ、IN寝台。 この調子でトレモロとかピッチカートとかでにゃんにゃんしてくれ。 弟だとバレる前の話。うまく弾けたご褒美とか? - - 2005年11月18日(金) 1:グレン・グールドのアリア この場合、アリアは曲名ではなく歌というふうに捉えて欲しい。 DVD『27歳のグレン・グールド』を視聴したわけだ。 そして、彼の演奏にとってあの悪名高いハミングは、 どうしたって必要なのだと妙に納得してしまった。 音楽は聞こえるものと聞こえないものでできていて、 グールドは、ピアノが弾かない音楽のパートを歌っていたのだ。 それはツァラトゥストラの言う愛に似ている。 一切を結びつけ、一つの然りを無限の然りとするあの愛に。 2:『かなしき女王』(フィオナ・マクラウド著) ケルティック! マルチェロも余計な理屈なんかこねないで、 これくらいイカれてくれればいいのになあ…。 情熱のまま生きて死ね、殺せ。老年は恥辱ぞ。 よそ人を愛する愛人を殺すか、相手の女を殺すか。 それとも我が身を。ああ、血は流されなければならぬ。 剣は乾いている、この渇きは赤い飲み物でなければ癒されぬ。 我が身の狂気と情熱のまま一ゆすりの躊躇もなく世界を苛む王侯の崇高さ。 妙な理屈はいらない。わずかな光と、美と、世界を滅ぼす怒りがあれば。 松村みね子の訳もすばらしい。 指輪物語の世界はこんな小暗い海辺から来たに違いない。 しかしはた迷惑な連中だな! 3:順位 一に仕事、二に仕事、三四がなくて、五に勉強。 以下、次点で親兄弟、友人、ヲタク。 仕事をしなけりゃ死んじまう、文字を書かねば生きてはおれん。 同じことだ、同じこと。 しかし忙しいなあ、最近…。 - - 2005年11月17日(木) 五線譜には半音書けないです…>昨日の私>芥川氏 ……でも♯♯とか♭♭はやっぱり存在意義がわからないぞ! 素直に一つ上のトコに書けよ!(また恥書くぞ) Q:甘〜いと評判の店のケーキを上司に勧められたら、あなたはどうする? A:食う。食って苦しむ。し、舌が痺れる。マジで。 それで、『音楽の基礎』をまだしぶとく読んでいる。 半分もわかりません。異国の言語のようだ。バッハってすごいなあ。 こんな難しい法則とか原則を使いこなしていたなんて。 しかし、この一群のルールが言語と違うのは、 その表現と理解の範囲の豊かさもさることながら、 ついには美を生み出そうということが目標となっていることだ。 そうだ、美。 これはすでに思想を絶した思想だ。言葉もまた思想を語りはするが、 だが美ほどに人間を、その時代を、社会を鋭く抉りはしない。 響き渡る意志、か。ではなんという思考の密度の濃密さだ。 都市や宮殿のような、それとも絵画のような。いや、それ以上の。 しかもこいつはアレだ、通りすがりの人間の心臓を引っつかんだりもする。 で、和音ってナニ? 調性ってどこ見ればわかんの?(眉間に皺) ---------------------------------------------- 広くもない塔の中二階の床の半分をオルガンが占め、残りはチェンバロと、それから五線譜が山をなしインクの瓶が無造作に投げ出されているテーブルが占める。演奏を中断したマルチェロは、テーブルとチェンバロの間で狭苦しくチェロを構えるククールを見据えて言った。 「楽譜にすべてが書いてあるわけではない。歌は、それはおまえが見出しおまえが導き出し、そして命を与えて、歌い出さねばならないものだ」 それだけ言って、マルチェロはチェンバロに視線を戻した。鍵盤とその眼差しのあいだには豊かな緊張と深い愛情が満ちて、ククールは何とはなしに弓をかまえたまま息をひそめた。男の骨ばった長い指がそっと、鍵に触れ、そしてチェンバロは歌い始めた。 ククールは息をひそめる。黒鍵の上を速くときに遅く、自在にマルチェロの指は走り、歌はそこから生まれ出て虚空に放たれる。低いハミングは音楽と語るようだ。立ち現れる音色の一つひとつがその本質において分かちがたく結びつき、それは一つの歌であると知れた。ああ、確かにこれは音楽、歌、教師の教えなかった生命を持つなにものかだとククールは考える。 だがそれにしても、マルチェロとチェンバロの仲の良さときたら! オルガンなら年配の友人に対するように節度を持って奏でるマルチェロが、今は甘やかし笑いあい囁いて、まるで恋人とでも語らうようじゃあないか…。そこまで考え、それがまるで嫉妬めいていることに気づき、ククールは閉口した。ようやくククールは、この塔に入ってもただ突き出されることがなくなっただけだ。それだって、子供の頃に教養として習わされただけで忘れ去っていたチェロを引っ張り出してきて、二重奏の候補に強引に名乗り出たからに過ぎない――もっともそれもこの調子ではいつまで通用するか。 不思議の国をめぐるように転調を繰り返した演奏が、最後に豊かな主和音を響かせて鮮やかに終わった。マルチェロはほんの一呼吸のあいだだけ名残を惜しむように押し黙り、ほっと短い息をついてククールを見た。 「――わかったな? 次もまたオウムのように弾いたら…」 「わ、わかったよ」 ククールは慌てて答えた。もしそんなことになったらきっと、二度といい顔はしてもらえなくなるというのは十分にわかったからだ。マルチェロは疑わしいとでも言いたげにククールを一瞥し、またチェンバロに向き直った。 「素質はあるのだ。努力を惜しむな」 ククールは思わずぱちくりと瞬きした。今、何と言った…。だが捕えなおす前にマルチェロが最初の一音を響かせ、ククールは雑念を忘れた。窓の外では真昼が過ぎ去り、夕方の華やかな赤みがかった光が窓辺を飾り始めている。 音楽家兄。昨日分の前の分。(時系列が嫌いです) - - 2005年11月16日(水) 『音楽の基礎』(芥川也寸志著)を読んでいる。 それで、幾つか素朴な疑問。 1:♯とか♭をつけるより、移行する先の位置に音符書けよ。 2:ト音記号とかヘ音記号とか使わずに線増やして絶対位置に表記しろ。 3:なんで一つの記号で解釈が分かれるんだ、意味ないじゃん。 4:完全な記譜法はないってなんだそりゃ! 絶対、もっとシンプルな形で明確に表記できると思う。 ただそれをやっちゃうと、解釈が貧しくなるんだろうなあ。 で、目からウロコで納得した部分。 1:音色は振動数の整数倍の周波数を持つ倍音の性質で決まる。 2:音の高さは音源によって判別しにくいものとしやすいものがある。 3:同じ高さの音でも音源の種類や大きさによって高く聞こえたり低く聞こえたりする。 4:音の高低を聞き分ける能力は訓練では向上しない(…) 勉強すればするほどわからん。 しかし音楽があらゆる概念を表現しうる『正しい比喩』であるなら、 確かにその無限数の概念を正しく二次元に表記するのは難しいかもなあ。 しかし正しく固定=表記してもらわないと、音痴には読めないぞ。 まあ、読むものじゃあないけどさ…。 ----------------------------------------- 夜半の窓辺に月影が渡ってゆく。豊かな音楽はマルチェロの手の下のチェンバロから、ククールの手の中のチェロから流れ出して交じり合う。見交わす目のあいだで拍子や強弱の変転さえ無音のうちに了解されて、音楽は滑るように進んでゆく。そのたゆみなさにククールはいつしか酔った。互いが互いを離れることなく応じ答え寄り添う音色のうちに、だんだんと彼我の心さえ交じり合ってゆくように思えてくる。それは非常な幸福で、ククールは恍惚として、もはや弓を動かす手の技にいらざる思考は混じらなかった。 生きて豊かに流れていた音楽を殺したのは、鍵盤に叩きつけられたマルチェロの両手だ。二十もの音がいっせいに強音で鳴り立てて、流麗とした旋律を殺し、調子を殺し、ククールの心に突き刺さった。 「――マル、チェロ?」 鍵盤の上に両手をついたまま、黒髪の男はうつむいて立ち尽くしている。表情は知れなかった。だがその手は震えている。怒りに? ――だがなぜ。 「なんということだ」 低い声は、呪詛のように響いた。ゆっくりと上がった顔は青ざめていた。青ざめて、乱れた髪がかかり、死人のようだ。その目ばかり、釣りあがってククールをにらみつけている。釘のようにその視線が刺さるのを感じたようにさえ思った。 「なぜ私は気づかなかったのか」 両手が鍵盤から上がった。弱い灯火の光がその喉元を戒める枷を鈍く光らせた。真鍮の枷には侯爵家の大鹿の紋が刻まれている。所有の証として。マルチェロはその枷の上に右手を置いた。 「おまえが誰かわかったぞ。そうだ、なぜ気づかなかったのか不思議なほどだ。おまえはククールだ。あの男の息子だ、あの男の嫡男、おまえはククールだ。なんということだ、私はおまえを…」 それより先は語られず、マルチェロは激しい音をたててチェンバロの蓋を閉じた。 「立ち去れ、二度と私の前に顔を見せるな」 ククールはその激しい怒りの前に一言も口をきくことができずにいたが、このときにあたってようやく我に返った。だが開こうとした口は射るような眼差しの前に言葉をなくし、一言も発さないままに閉じた。 「立ち去れ。私はこれ以上の辱めを受けるつもりはない」 退出を命じる荒々しい言葉の前に、ククールは蒼白になりつつも立ち上がった。ひどく惨めな思いのまま、チェロを引きずって歩き出す。立ち止まったのは戸口の前だ。ひどく惨めだった。怒りに燃えたマルチェロの眼差しは恐ろしく、その心がひどく傷ついただろうことを思えば辛く、だが。 「マルチェロ、俺は…」 おずおずと振り返る。マルチェロはこちらに背を向けている。 「俺は、あんたを苦しめるつもりじゃなかったんだ。ただ、あんたの音楽があんまり美しくて、美しくて…俺は、ただ」 ククールは震える手を握り締めた。胸のうちは苦しく、辛く、そして。 「あんたが、好きなんだ」 答えはない。静寂は死んだようだ。空気はふいに冷え冷えとして、先ほどまであれほど生き生きとした音楽が流れていたとは信じられなかった。 「マルチェロ、何か、言ってくれないのか…」 答えはない。ククールは黙って扉を出ると、寒い夜空の下に立ち尽くした。扉は背後に閉まり、胸の奥の涙はふいに溢れ出した。どうすることもできず、何を言うこともできず、ククールは長いあいだ、そこに立っていた。 音楽家兄、ククールの身元露見編(とびとびだ…) - 『宿命の交わる城』 4:12階の窓辺―幕間 - 2005年11月15日(火) 雨を降らせた雲はゆっくりと東に流れていって、天には光が戻った。夕暮れ間近な黄金の光は斜めに世界を照らし、濡れた城を照らし出した。暗い灰色の巨大な切り株のように円柱城は屹立し、長い影を落としている。 一羽の鳩が、羽音をたてて十二階の窓辺に舞い降りた。けっして野生のものではありえない、染み一つない灰色の小鳥は、不器用に跳ねて地上に向き直り、小首を傾げた。だが人であれば目を背けただろう。 城門と城砦を結ぶ真っ直ぐな道には、まだ馬と人との死骸が散らばって、よく見れば、灰色の異形の獣がいくつもそれらに取り付いている。死肉を食っているのだ。だが血臭は遥かに風に遮られて届かず、肉を食いちぎり骨をかじる音もまた膨大な空間に拡散し消失して届かない。ただただ食われ食っているものたちは、奇妙に清潔な光景であった。 とはいえ鳩は知らぬ。そうだ。鳩は知らぬ。つい先ほど、地下の穴倉でイーノが惨たらしく殺されたこと、その次にはシュテルンが殺されること、ジェズイーが獣のような断末魔を上げるだろうことを知らぬ。柱に縛り付けられたマルチェロが獣のごとく苦悶し、吼え、最後には哀願さえしながら殺戮の手を止めるよう請うことを知らぬ。その言葉が聴かれず、ついにその頬を涙が伝うことを知らぬ。またダニエルが狂気の哄笑を上げて年配の騎士の首を掴み、楽しげに壁に投げつけてみせることを知らぬ。砕けた骨の間から灰色の脳髄がこぼれだすことも知らぬ。鳩は首を傾げて羽をつくろい、クゥと低い鳴き声を上げる。窓のガラスにその姿は清しく映っている。 鳩は飛び立った。翼は軽く、そろえた脚は上品な小枝のようだ。鳩は光の中を行く。その脚に結ばれた印章が光った。それは丸い台の上に三叉が刻まれたマイエラ修道院の所有印であり、金色の真鍮でできている。常であれば文書を入れた小さな筒がとりつけられるべき鈎は虚ろなままであったが。 鳩はいささかも過つことのない本能が導くままに羽ばたいた。光はその姿を明るく照らし、真っ直ぐな道を影が過ぎった。そこに死んで横たわり、ぱっくりと口をあけた腹腔から今も一群の魔物に内臓を貪られ揺さぶられつつある馬のうちの一頭の傍らに、小さな金線の籠が落ちている。それは投げ出されたはずみに留め金が壊れ、鳩はそこから逃れたのであった。『我は人の思いのごとく疾く飛ぶなり』―優美な古書体で書かれた銘板が鈍く光り、鳩は彼方に飛び去った。 ----------------------------------------------- 45日ぶり? 実は忘れてはいませんでした。 ザ・グロテスク。死体情報満載。 死体好きです、血みどろ好きです。 次はチャンバラだ…。(次?) - - 2005年11月14日(月) 魔術侯と元法皇の会話 「さあ、もう忘れろ。そんなことはありふれている。 殺すことも殺されることもあまりに陳腐だ、 終わったことを思い悩んで何になる? さあ、顔を上げろ。前を見ろ。思い悩むな。 おまえを見る目などない。おまえを許す憐れみなどない。 ぜんたい、この世に神などいたこともなかったのだ。 あるいはずっと昔はいたかもしれないが、きっと死んでしまった。 でなくてどうしてこれほど悲嘆と憎悪と苦悩が 世に蔓延していることがある? いいか、神は死んだのだ。善も悪ももうない。 さあ目を開け、神など幻、神など教えられた言葉にすぎぬ。 我らはただ荒野を行くのだ、思い煩うようなことはない」 「ではこの苦しみはなんだ? この手の穢れを患う心は? 神が生きておわすのでなければこの苦しみは何なのだ? ああ、答えろ、答えられなければおまえなど信じぬぞ。 私の手の血の染み、これはどのようにしても黙らぬ。 聞け、復讐を贖罪を、あったはずのことを奪われた悲しみを、 ああ、そうした一切を叫んで止まぬ。 これが幻だというなら、私もおまえも幻に過ぎまい」 「おまえの弱さだ。死人は語らぬ、死人は求めぬ。 神などいない。そんなものは世迷言だ。 さあ、聞け。神など信じるな、霊など信じるな。 我らは塵と生れ落ちて塵にかえる、それだけだ。 塵に罪を問うものなどおらぬ。それでいい。 さあ、俺とともに来い。世界を滅ぼそう。 滅ぼし、作りかえるのだ。 どこまでできるものか、どこまで行けるものか、 私とおまえで試してみようではないか」 「おまえは天の御国を滅ぼし、地獄をも滅ぼそうとするのか。 なんという傲慢だ、神を殺そうとは。 だがおまえの言葉は快く響く。 私の前に世界を開く。自由がそこにはある。 ああ、そこには自由がある。この罪の荷を降ろす余地がある。 だがこの荷は降ろせるものなのか? どこまでも私についてくるものではないのか? おまえが見せた世界こそが幻ではないのか? そこは魔界なのではないのか?」 「疑うな、俺と来い。 俺と来い。世界を滅ぼそう。世界を作りなおそう。 おまえの苦しむ罪を取り去ってやることができるぞ、そこでなら。 さあ、俺と来い。おまえがあれほど望んだ自由をやろう。 罪にかかずりあうな、それは後ろ向きの頭だ。 そうだ、後ろしかおまえに見せぬ。かかずりあうな。 前を見ろ、おまえにはその方がふさわしい。 誇り高いおまえには、志誇りやかなおまえには」 「いけない、私を誘惑するな。 おまえがいざなうのは魔界だ。俺はそれを知っている。 そうだ、おまえは私に神を離れろと言う。 だが私の心は神のもとにある。ひと時も離れはしない。 悪を行うときですら、神は私を見捨てはしなかった。 この苦しみこそが恩寵ではないのか、この苦悩こそが。 ああ、私は行かぬぞ。私は神にこそ従うのだ。 この苦悩こそが私を私にする、この手の穢れこそが。 ああ、私はおまえとは行かぬ。 私は善悪を離れはせぬ、罪を離れはせぬぞ」 「そして苦しみぬいておまえはどこへ行くのだ。 神はおまえを救いなどしないぞ。 罪は許されなどしないぞ。 おまえが行こうとしているのは苦しみの道だ、実りのない。 さあ、俺と来い。俺と来い、世界を富ませよう、人々を救おう。 善悪にこだわるというならそれもよい、最後は同じことだ」 「いいや、いいや、私はおまえとは行かぬぞ。 同じではないのだ。すべては神の名のもとにあらねばならぬ。 私は神のもとを離れて善をなすよりは、 神のもとにあって飢えかつえ、無為でいるぞ。 ああ、どれほどこの生涯が惨めに終わったとて、神を離れはせぬ」 「いや、おまえは来る。私と来るとも。 おまえは世界を良くしたいという願いを抱いている。 おまえは無為のままに死ぬにはあまりに強い。 さあ、嘆きをやめろ。歩き出せ。 神になど、罪になどかかずりあうな」 「よかろう、おまえは正しい。 私はおまえと行くだろう。だが忘れるな。 私は神を離れはしない。私は神とともに行くのだ。 おまえはいつか私に裏切られるかもしれぬ、心しておけ。 おまえの行いが神を離れれば、私はおまえに背く。 私は罪とともに行く、この苦しみとともに」 贖罪というのは後ろ向きだからなー…。 なんとか先に行けるといい。 魔術侯は誰かって?えーと…そのうち出てくるんじゃないかなー? - - 2005年11月13日(日) 「諦めることを学べ。 神にも歴史にも取り落とされるもののあることを学べ。 救われも満たされもせず闇に閉ざされたまま消え行く魂もあると知れ。 そして願わくは、いつの日にか忘却のあらんことを」 「どういう意味だ、ああ、それはどういう意味だ。 俺たちはここに並んでいたというのに、 あんたはそんなことを考えていたというのか。 そんなこと、そんな孤独なことを。救いもないことを。 俺があんたのことを考えていた日々に、 あんたはそんなことを考えていたというのか」 「私のしたのは取り返しのつかぬことだ。 殺人の罪はいかにして清められるというのだ? 喪われたものを取り返す術はなく、帰らざるものを呼び返す術もない。 あったはずの日々を、あったはずの全てを奪ったのは私だ。 これは因果、これは応報。他の手立てはない。 私の血によって漱ぐより他に」 「俺があんたのことを考え、あんたの幸福のことを考え、 あんたの贖罪のことを考えていたあいだ、 あんたは暗がりに歩き出すことを考えていたんだな。 俺があんたの手を温め、あんたの傍らに座っていたあいだ、 あんたは俺のことなど考えもしなかったんだな。 取り戻せないことを、喪われて帰らないもののことを、 とうに死んで土となった者のことを考えていたんだな」 「私の腕をきつく掴むおまえの手を振り払いはせぬ。 こうしておまえの頬を流れる涙を軽んじはせぬ。 おまえは私に命を与え、心を与え、人間の日々の温もりを与えた。 私はおまえを愛する。だからこそ行かせてはくれぬか。 おまえが愛した誇り高い兄でいさせてはくれぬか。 この血の咎を支払わねば私は腐る。私は死ぬ、肉体ではなく魂こそが。 さあ、行かせてくれ、私の心がくじけ、 私の手に染み付いた血が私を卑怯者と呼びたてることがないよう」 「いけない、ああ、いけない。行くな。死ぬな。 行くなと言ったはずだ。あんたを死なせないと言ったはずだ。 どうか、頼む、行くな。俺の魂をこそあんたは殺そうとしている。 あんたの罪と一緒に。行けばあんたは俺を殺すんだ。 だから、行くな。あんたの手に血が染み付いていたってかまいやしない。 償えばいいじゃないか。償えない罪なんてないはずだ。 あんたはまだここに生きているんだ。どうか、頼む。 神にかけて、あんなにも優しく、 あんなにも神を信じていたオディロ院長にかけて、頼む」 「おまえは私の心を揺さぶる。 おまえへの愛ゆえに私がためらっていることを知れ。 鋼よりも厳しい私の心が。だが神の名を出してはならぬ、 いわんやオディロ様のやさしいお名前を。 私はその方々には値しない。この手の血は私を呼ぶのだ。 私は取り返しのつかぬことをしたのではないか? この手が奪った命はもはや地上に呼び返しえないのではないか? では私もせめて死なねばならない。 命を奪ったものが生きながらえてよいわけもない。 それより以上の償いをすることができればよかったが!」 「生き延びろ。生き延びろ。あんたは悔い改めた。 あんたは神のもとに帰ってきた。 あんたは神があんたをはねつけると思うのか? 今さら死ねば、それは神に背くことだ。 考えてみろ、神の慈悲をオディロ院長はどう語った? 覚えているだろう、『御自らをもって世のひとびと一人びとりを お救いになった。罪を犯す心が目覚めれば思い起こすがよい、 あの方の舐められたすべての苦痛、すべての悲しみを思い起こすがよい。 そしてあの方にふさわしいものとなることを誓いなさい。 あの方は慈父のごとくおまえを迎えてくださる。 おまえのために流された血の傷口を思いなさい。 おまえはその血によっていつでも神のもとに帰る道を与えられたのだ』。 忘れたのか兄貴、俺は忘れはしない。俺はいつでも信じていた」 「語るな、弟よ。この思い定めた心を揺るがしてくれるな。 そんなにも悲しい口調でかき口説くように語らないでくれ。 私は神の前に罪人とされるべきもの、 犯した罪の報いに永遠の彼方まで劫罰を受けるべきものだ。 救いなど求められる筋合いのものではない。 私の手を見ろ、この血に濡れた手を見ろ。 誰がこの手を清められるというのだ? 起きたことは起きたのだ」 「だがまだ幕は下りていない。 あんたが罪を償い、あんたの罪が許されるまでは何も終わらない。 終わらせやしないぜ、俺が。そうだ、俺がだ。 あんたが本当は救いを求めていることくらいは知っている」 「救いはない。私は私に救われることなど許しはしない。 この罪人、心卑しく手を血で汚した男、 私利私欲のみに憑かれた男を私は許しはしない」 「もう一度言うぞ、救済も劫罰も神に返せ。 兄貴、さあ、あんたがそんなにも苦しんでいることは知っている。 だから言うんだ、苦しめよ。うんと苦しんだらいい。 だが死ぬな。あんたは神のもとに戻ってきた。 あんたの心の痛みは神の恩寵ではないのか、 かつての罪に気づかせたもうたことこそ 神があんたを受け入れてくださった証拠ではないのか。 あんたは耐えろ。あんたの苦しみに倒れるな。 あんたは苦しみながら歩いてみせろ、 それこそ神の歩かれた道を追うことだ。 あんたの十字架はすでに神ご自身が運んでくだされたものだ。 さあ、歩け。生きろ。死ぬな。耐えろ。 償えぬなどと言う前に償い始めろ。 俺はどこまでもあんたと一緒に行くぞ。諦めなど学ぶものか」 「それでは決まった。私はなによりも神に感謝の祈りを祈るぞ。 この穢れた身をお迎えくださったことにでもなく、 その深い慈悲をもって、私の罪に気づかせてくださったことでもない。 私はおまえのゆえにこそ神に感謝を捧げるのだ。 そうだ、おまえ、私の弟。おまえこそ私の碇、私の礎。 罪を犯せば引き戻し、心弱くなれば奮い立たせる。 おまえのような弟をお与えくださったことにこそ、 私は神に最初の感謝の祈りを捧げよう。さあ、おまえの手を貸してくれ」 ラ、ラブラブ…ゲフゥ。 しかしまだまだ解決方法は定かでないのであった…。 音楽や推理のパズルと一緒で、解ける瞬間というのは美しいものだ。 - - 2005年11月12日(土) 金曜の夜から土曜の朝にかけて祭り茶にお邪魔した。 文字の人ばっかり、しかも各参加者さんのネット上にアップされた作品には 兄弟への深い愛情や鋭い洞察や知識の厚みを感じる人ばっかりという、 極めておいしい状況で、「三行突発短編」まで楽しませていただき、 これはもう、なんともいえない。ログ取っとけばよかった…!! で、太郎飴は足りない頭で考えさせられた。 「わがとこ」の兄貴の幸福とはなんだろう。 曰く苦悩に満てる、曰く真摯な…幸福とは縁遠いのは承知の助。 兄貴については、当初バッドエンディングばかり書き散らしていたことから わかるように、幸福やハッピーエンドはおよそ、あ り え な い! とか思っていた。今でも思っている。 というのは、兄貴は人殺しである。 これはおよそ、忘却もできなければ逃げることもできない、 神と人との、両方に対するとりかえしのつかない罪である。 私はおよそ、この罪を償いうる手段を知らない。 マクベスを思い出す。リチャード3世を。 権力欲にまみれて血を流せば、手は汚れるのだ。 そしてその汚れは、血を流した当人を、とりかえしもつかない形で変える。 私が仮定している程度にマルチェロが真面目な人間であれば、 そうしたことは起きるし、起きねばならない。 殺人者の苦悩を忘れたマルチェロは私のマルチェロではない。 だがそんな男に幸せなんて、あるわけがないのである。 彼はマクベスのように、それともリチャード3世のように戦場で死ぬか、 それともユダのように神殿の木に首を吊るしかない。 と思っているところに「放蕩息子」だ。(*「マタイ受難曲」JSバッハ) どーすっかなー…というわけで、救済の可能性を探っている。 多分、T月さんのような手に汗握り、暖かい人間らしさを感じる小説でも、 Yまやさんのような躍動感のある洗練された活劇にもならないな! Aさんのような詳細で膨大で複雑な背景のあるテリングでも Uむーさんのような遊び心あふれるエンターテイメントでもない。 いわんや師匠のあの隠微で優雅な作品とも似つかない。 すげーつまんなくなるかもしれないが、なんの、なんの。 それがどうした!…という心意気でやるしかない。 私自身のことばでなければならないのだから、私の書くものは。 ----------------------------------------- だめだ、おかしすぎて腹がよじれる…アーノンクール…。 カンタータのDVDを買って見ているのだが、もうダメだ! 指揮しているアーノンクールがめちゃくちゃヘンな顔で、 テノール歌手がクネクネしてるよ…。 合唱隊が表情豊か過ぎるよ…。 聞いてられないじゃないか!(オナカイタイ) そこで空手チョップするんじゃないの!>アーノンクール - - 2005年11月11日(金) 評論家の福田和也が毎日新聞に面白いことを書いていた。 『近代文学は終わったのか』ということを、 ・独創性 ・再現性 ・思想性 の三つの点から考察していた。 独創性については、これは二十世紀初めからその意義が低下し、引用へと重点が移行した、と記されている。 とすれば現代においては、原型や典型というものが研究し尽くされている現代においては、どのような作品も、模倣やアレンジメントやバリエーションやパロディであることを免れまい。しかし望んで模倣であり、パロディであるとき、それはむしろ模倣への意志、パロディへの意志において独創であると言うわけにはいくまいか。 再現性については、戯曲でも絵でも音楽でも表現し尽くせない近代人の複雑な社会とその内面性の描写というものが、小説の真髄であったとされている。しかし、インターネットがこれだけ氾濫する現在、この手法はどこまで有効なのだろうかと問い返してもいる。 私はそうは思わない。心理の叙述はフィクションだれノンフィクションであれ、文学の負うべき主流であることをまだやめていない。他人の思考回路や他人の視界にこうも鮮やかに入り込める手段は他にない。映画でさえもこうはいかないのは、やはり文字の力、呪力か。文学を欠いては、その教養を通じて得る多面的な世界を欠いては、むしろ現在の人間は社会生活を営むことができないのではないかとさえ思える。 思想性については、イデオロギーそのものが意味を失いつつあるとしている。これはもはや縮小ではなく蒸発であろうとも。 どうなのだろうか。思想そのものはもはや現代社会に存在しないのではないだろうか、あるいは望ましいとみなされなくなっているのではないかと思うことはある。だがどうだろう。思想、メッセージはプロパガンダそのものではない。裏返していえば、どのような文章も思想は持たずはいられない。なぜなら文章、表現とは、思想のあらわれであるから。 福田和也の話は面白いが、かほどに私は逆を見る。 ---------------------------------------------- 私はよく、物語の登場人物を通じて思考を進めたり、実験したりするが、そうした結果を、できる限り抽象的な思考にまとめる労を必ずとりたいと思っている。理由は一つだ。それは一つの訓練である。抽象的な概念を具象と結びつける努力を欠けば、思考は偏る。ありったけの用語を使って、中心的な思想、抽象的で透き通った話法を見に引き寄せなくてはならない。 そうした訓練を怠れば、私は少しずつ端から溶けてしまう。 - - 2005年11月10日(木) 「ここは暗いな、息が苦しいよ」 「だが私はいつもここにいたのだ。文句を言うな。こらえろ」 「知っているよ。ああ、あの窓は開かないのか? あの窓は?」 「はめ殺しの窓だ、開かぬ」 「はめ殺しの窓? あんたのようだな」 「私か? 私は飼い殺しだ。殺しているのはおまえたち」 「今さらさ」 「今さらだ」 「それに…」 「それに?」 「あんたは少しも死んでいないじゃないか」 「私が?」 「そうだ、あんたの歌、あんたの音楽は宮廷に響き、町に村に響いている。あんたの音を多くのものが聞く。さあどうだ、あんたはそれでも死んでいるというのか?」 「だがそれが私の歌、私の音楽だと誰が知る? 憎むべきおまえの父親の名を人々は称えている。私の名前は知られず、私のために花冠は編まれない。これは幸いとは言われまいな?」 「だがそれは問題か? 生きているのはあんたの歌、あんたの音楽だ。それ以上の何を望む? 空しい栄冠は少しもあんたを幸福になどしないだろう」 「それは得てから考えることだ」 「断言してもいい、あんたは今より幸せになんてなれない」 「それは私は幸福だということか? 縛られ自由もなく太陽を仰ぐこともないこの身の上が? そう言いたいのか?」 「違うとも、あんたはどこに行っても不幸なんだってことさ。玉座に上ろうと、栄光の最中にあろうと、苦しみは陰のようにあんたに取り付いて離れやしない。それはあんた自身のものだからさ。何一つ憂うべきことがなくなっても、あんたは不幸だよ」 「愚かなことを。圧制者の言いそうなことだ。看守の言いそうな」 「考えてみろ、看守と囚人はどちらが幸福だ? 不幸だ? 圧制者はほんとうに幸福か? 一つのたとえ話をしてやろう」 「くだらぬ」 「いいから聞けよ。一匹の悪魔がいた。この悪魔はある不幸な男をそそのかして、世界を手に入れることが幸福になる道だと説きつけた。男は悪魔の言うままにに対する大戦争を仕掛け、あらゆる不利にもかかわらず、知恵と悪魔の力で勝ち抜いて世界を手に入れた。男は高い玉座にのぼり、誇り高く世界を統治した。反対するものは殺した。従わないものも殺した。そのうち、だれかれ問わず殺しだした。だって、生きていればいつ反抗するか知れなかったからだ。そうして誰も彼も死に絶えた。男はたった一人残され、どうしようもなく不幸だった。世界中に誰一人男をおびやかすものがいなくなったのに不幸だった。男は叫んだ、『今こそ知ったぞ、私の不幸の基は私であった』。それで男は最後に自分を殺して不幸にカタをつけた。悪魔は誰もいなくなった王国の緑の丘に座ってしばらく泣いた。悪魔さえ泣いたんだ、男の度し難い狂気と不幸のために」 「聞き終わってなおさら私は言うぞ、くだらぬ。生涯の最後にあたってさえおまえはろくなことを言わぬとな。私はやめる気はない、お前は私を止めることはできないぞ」 「そうだ、それでいい。やれよ。やってみなけりゃこの話の意味はわからないから」 「おまえにはわかるというのか?」 「そうだ、わかるよ。俺にはわかる。あんたを見ているからね。さあ、音楽をやってくれ。頼むから。俺のためにあんたの音楽を弾いてくれ」 「愚か者め。よかろう、おまえの下らぬ物語の余韻を消すために弾いてやろう。悪魔の泣き声のような歌をこのチェロに歌わせよう」 「ありがとう」 「何と言った?」 「ありがとう、と言ったんだよ、兄貴。俺は幸福だ、これまでになく幸福だ。取り返しがつかないほどに幸福なんだよ」 「愚か者め、愚か者め。横たわっていろ。そんなにわき腹から血を流して何を言うのだ。おまえはもう死ぬのだ」 「本当だ。さあ、俺の血がすっかり流れてしまったら、あんたは扉を開いて出て行くがいい。だけどそれまでは、俺のために弾いてくれ。あんたの歌、あんたの魂で包んでくれ。俺はとても幸福なんだ」 「奇妙なことだ、奇妙なことだ。おまえはわかるか? 私は一つの言葉を言うまいとこらえている。その言葉を口にすれば私は身の破滅だ」 「なら言うな。ああ、愛している。俺はあんたを愛している。幸福だ。もうこの幸福は取り返しがつかない。お別れを言うぜ、さようなら。さようなら。永遠に、永遠にだ」 「死ぬな。ああ、死ぬな。この言葉は口にしてはならない。だがもう口にしてしまった。これは本心だ。死ぬな。おまえが消え去れば私は私の悪魔とただ二人残される。私の悪意、私の憎しみ、私の孤独、私の不幸と! 死ぬな。ただ一つの願いだ、聞いてくれ、聞いて。ああ、もうおまえは死んだ。今さら遅いか、ああ、おまえの手はこんなに冷たい。私が憎んでいたおまえの血はもうすっかり流れてしまった。待て、まだ息はある。さあ、聞け。おまえのための歌を歌おう。待て、もう一言だけ。愛している。聞こえるか、さあ、聞け。この心を地の底まで持って行け。愛している。だめだ、もう死んでいる。死んでしまった!」 …セリフだけで状況まで説明しきるというのは、 いつでも魅力的な試みではある。 うまくいったためしはないんだが。 この小文のビミョー設定は、 父親は音楽家で、兄は長男でやはり音楽の才能豊かだが、嫡男の弟が生まれたために疎まれ遠ざけられる。それで十年ほどたったころ、スランプに陥った父親は、ひょんなことで気鋭の作曲家兼演奏家に育っている兄を見つけると、母親の看護と身の安全をエサに兄を軟禁。兄の作る曲を自作のものとして世に出し、再び脚光を浴びる。 一方、大人になった弟は父親を嫌いつつ、父親の音楽(実は兄の)に対しては尊敬の念を抱いていたが、ひょんなことから軟禁されている兄を見つけてしまう。事情を知った弟は、兄を自由にするよう父にかけあうが、言い争ううちに父親を殺し、自らも瀕死の重傷を負う。 傷を負った弟は兄が閉じ込められている塔までようようやってきて、首枷を外すカギを兄に渡し、そのまま死ぬ。兄は枷を外し、束の間自由を味わうが、扉を出る前に、父親の放った刺客の手にかかって死ぬ。 …要するに、みんな死んでまッ平ら。 音楽家兄の話、こんなんになったら…誰も読まないな! - - 2005年11月09日(水) 『第九』の轟くような合唱の中で、私はあの三つの音を思い出した。 いや、あの三つの音が私を捉えたのだ。 レ、ファ、ラ。 三つの音が私の周囲に寂しく渦巻き、私は憂いに沈んだ。 目を閉じれば音色は私をめぐり、その奥底に密かな喜びがあった。 同じ経験をしたことがある、 (こっぱずかしいことを書いていると気づいたので消去) 繰り返し、繰り返し。困ったことに! 授業どころではなかった。いやまったくだ。 ぼうっとするというのはああいうことだ。 何が耳に入り、何が見えるというのだ! …そのときよりは幾分かマシだ。 だが同じ種類のことが起きている。 それは疑う余地もない。 私はまだあの(消去)のことを思い出すことができる、それは鮮やかだ。 この三つの音の記憶もまた私についてくることだろう。 この音は私のものだ。私に刻まれたものだ。 なお、オマケになるが、チェロの音色はともかく、 (消去)についての記憶の強制的な想起においては、 感覚の再現はほぼ顔の上に限定され、それ以外の部分には及ばなかった。 これはいったい、脳のどういう機能によるものなのだろう。 面白い話だが、謎は解けそうにない。 - - 2005年11月08日(火) 宮廷の夜は遅く、だがその夜も更けた。楽長はとうに辞し、王はフルートを手に座り、だが弾く気もなくてもてあそぶばかり。クラヴィーアの前の若い楽士を残して部屋にはもう誰も残っていない。王がそう命じたからだ。 「エマヌエル、おまえの父親の話をしよう」 雑談の種も尽き、王はとうとう口火を切った。若い楽士は顔を上げ、王の顔をまじまじと見た。王はかすかに笑ってワインのグラスを引き寄せた。 「まず聞かせてくれ。お前の育った家と、お前の見た楽長殿のお人柄をな」 若い楽士も勧められてグラスを手に取る。若さも手伝ってかそれほど人見知りをする性質でもない。それにもう、今夜の飲酒量もそれなりだ。 「家族は多いのです。父の先妻は四人、後妻の母も十三人の子供を生みました。成人したのは半数でございますが」 「よくあることだ、小さな墓が並ぶのは痛々しいものだ」 「さようです。それでもおおむね、我が家は陽気で幸福でした。とりわけ幼いころには。父は新しい楽しい子供向けの歌をしばしば作り、私たちは競って覚え、家族全員が歌い笑いさざめきながら夕べを過ごしたものです。父はあれでなかなかに陽気な性質なのです、子供好きで。私たちが騒ぎ歌い回るなかを、にこにこしながら、五線譜を山にして作曲していたものです」 「私もそのような家に生まれたかったものだ」 王は頷いて、傍らのカウチに移ると、横たわった。手には子供の玩具のようにフルートを持ったまま。軍事を好む父王の厳しさは、青年時代の王から音楽をほとんど奪い、また親友をも奪った。その斬首の風景を見ねばならなかった苦痛が胸をよぎった。王は天井の鏡を見た。 「まことに、幸福な家でした。父の音楽の弟子たちが出入りし、聖トマス学校の少年たちが出入りし、食べ盛りの大勢の腕白どものために母と上の姉のドロテーアはいつもてんてこまいしていたものです。音楽と笑いは絶えず」 転調を告げるように寂しい和音が静かに響いた。 「最初に気づいたのは長男のフリーデマンのことです。兄は父の最愛の弟子でした。また他のどの弟子よりも兄は父に傾倒し、その音楽を愛していました。愛して…。愛しすぎたのです。父は兄がひとり立ちできるよう職を見つけました。兄もまた父に応えるため旅立ちました。ですがそれが兄を不幸にしました。その次はかわいそうなドロテーア。誰とも結婚しようとせず、我が家を離れようとしなかったドロテーア。父は姉にはそれを許しましたが、それもまた苦痛に満ちたことではなかったかと、私は姉のために心苦しく思います…」 王は黙って聞いていた。天井の鏡に映る若い楽士の顔は見えず、黒い鍵盤の上をゆっくりと移ってゆく様子ばかりが見て取れた。 「父は親切で、誠実で、敬虔です。父の家で育った子供であれば、愛し、尊敬せずにはいられません。同時に音楽において偉大です。父の子であればこそわかってしまうのです。音楽において父を超えるなど思いもよらないということが。私も兄も父を愛し、尊敬し、離れがたく、同時に傍らにいれば身を切るような悲しみを覚えずにはおれません。可愛そうなドロテーアがどれだけ妻としてゆるぎなく父に求められ、父を愛する母を羨んでいたか…」 寂しい音色は、はたと止んだ。 「『楽長の小さい子供たち』のままでいさせてくださいと、私が幼いころ、どれほど望んだかしれません。父はよく私を膝の上に抱き上げてくれました。まだ五度にも届かなかった私の指を取ってクラヴィーアの鍵盤に置き、『私たちの血は音楽と分かちがたく結びついているのだよ、さあ、挨拶をおし。おまえが生涯にわたって学び、開こうと試み続けるべき神さまの扉がここにあるのだよ』。そう語りかけてくれたことを忘れることはできません。クリスマスに、復活祭に、また日曜ごとに、父の歌は教会を満たし、その深さを年毎に理解するに至って、あまりの複雑さ精緻さ、その彼方にある永遠への憧憬に圧倒されたこと…。陛下、このような父親を持つことは幸福か不幸か。私には判断がつきかねます」 「――まことに」 王は呟いた。あの瞳ばかり青く老いた男はそうした子供たちの葛藤に気づいただろうか? おそらくは気づいただろう。だがどのようにできただろう。それはまったく楽長の罪ではない。だが不幸になってゆく子どもたちの様子は楽長を苦しめただろう。誰一人そうしようとは思わなかったにも関わらず。楽長はその苦しみを抱いて神に祈り、その音楽はいよいよ、この世のものならぬ洞察力と深みを得ただろう。その音楽を聴いて、子供たちはなおさらに苦しんだかもしれない。 「エマヌエル」 「はい」 「それでもお前も、お前の兄弟たちも、父親を取り替えたいなどとは思いもせんのだろう?」 「露ほども」 「潔いな」 王は体を起こし、大仰なかつらを外すと傍らに投げた。かさでは人工のそれに劣るが見事な金髪の、形の良い頭があらわになる。鍵盤を見ている向き直った楽士がかすかに微笑した。それは傷ましいほどの穏やかさを持っている。 「イェーナで死んだ下の兄だとて、同じことを言ったでしょう」 「そうか」 王は立ち上がって、楽士の肩の上に手を置いた。 「エマヌエル、私はお前の父親、あの楽長に惚れたぞ」 「陛下?」 驚きで跳ね上がった楽手に、声を上げて笑う。 「そうそう剥きになるな、妙な意味ではない。私は王だぞ?」 「そして私は陛下の音楽と悪癖の友ですな」 「しっ、誰が聞いているかわからん」 「周知のことでございましょう。知らぬはイギリスの奥方ばかり」 「イギリスにいてくれてよかったよ」 「ろくなことをおっしゃいませぬ」 「いやまったくだ、あの牝牛…」 ここに至って王と楽手はそろって吹き出した。話題に上がったご夫人は、もちろん政略結婚で王妃となったのだが、結婚式以来、領内ではついぞ姿が見られたことがない。最近は少々太ったとは、風の噂だ。 「陛下」 首筋に口付けを落とされて身じろぎした楽手が言った。 「ニ長調の明るいのをやってくれ。このあいだから練習している曲だ」 「いえ、お待ち下さい。その前に父のことを」 王は笑って楽手の肩越しに手を伸ばし、鍵盤を一つ叩いた。 「月光も霧もこの手にはつかめぬ。楽長は明日、教会での演奏会の後にもう一度宮廷に表敬訪問を行い、私の伴奏を勤める。明後日には都を発って、かねてから申し出のあった東の町の新しいコンサートホールを見物して…」 「それで?」 「後は知らぬ。家に帰るだろう。懐かしの我が家に」 急に黙った楽手の肩をひとつ叩いて王は立ち上がり、フルートを手に取った。その指に触れたのは楽長の唇だ。もう少し自分が若ければ、と王は考える。恋に落ちたと思うところだが、残念ながら私もそれなりに年を取った。この思いが恋ではないことは知っている。これはただの…憧れだ。太陽や月や空を流れる雲を思うようなものだ。 「さあ、エマヌエル。弾いてくれ。弾いてくれれば明日と明後日は休暇をやろう。父親について歩いてこい」 視線をやると、俄然元気付いた楽手が最初の音を引き出すべく鍵盤の上に指を置くところ。王はフルートを引き寄せた。 夜半の二重奏は静かに流れ始めた。 楽長をとりっこする楽長家の娘と息子で計17人。 楽長(65)をとりっこする陛下(35)と三男(30)。 楽長の奥さんは天然でないと勤まらないな! 音楽を愛すること=楽長を愛することなので、アイドルです。 というわけで、このネタはおしまい。 くれぐれも、バロックの子沢山大作曲家の話じゃありません。捏造ですから。 - - 2005年11月07日(月) この音楽は、聞こえるものと聞こえないものとでできている。 フーガは残像と予感から構成され、リズムは永遠から永遠をつなぎ渡す。 この音楽は暗示、隠喩、遥かな彼方を指し示すひとつの指。 久遠の暗がりと無窮の広がりをこの心に敷き広げてゆく。 『無伴奏チェロ組曲5番』(JSバッハ) クラヴィーアを前に背筋を伸ばして座るゼバスティアンは、静かな眼差しで王を見上げた。その手指はまだ離れがたく鍵に置かれている。王はふと、ゼバスティアンに語りかければその指が豊かな和音でもって答えを返すのではないかと考えた。そう考えて、愚かなことだと払いのける。 「楽長、神かけて正直に答えてほしい」 クラヴィーアに片手を置いて、感情を抑えて話しかける。 「神かけて、また陛下への忠誠にかけて」 誓いの言葉は先ほどまで空間を彩っていた歌に比してあまりに平板だ。王はかすかな混乱を覚えた。ここに座っている男は、いったいあの音楽を、王たる彼の固有の主題を余すところなくまた王自身知りえなかったであろう深みまでも明示して奏でたというのだろうか。そのようなことがありうるか。神でも天使でもなく、この老いた男、ただその目だけが老いた男が王たる彼の心の真実それそのものを、ただわずかな音の連なりによって悟りうるというのか。そんなことは、と、王は考える。そんなことは不可能だ。 なんでもない、と言うより先に、涼しい和音が空間を過ぎった。 「陛下」 そう語りかけたのは、音であったのか、声であったのか。 「ご案じなさいますな。誰にも語りはしませぬ。もとより語りうる方法で知ったのではございませぬゆえ、そのようなことは不可能にございます」 息を吸い、息を吐くほどのフレーズ。だがその挙措は美神のものだ。黒い鍵盤の上を素早い指が走ってゆく。かすかに光るのは他国の伯爵の印象指輪。つまりはこの楽長に対してやはり己のごとく敬慕の心を抱いた貴族がいたということだ。その指輪を楽長は身に帯びている。王は唐突に兆した胸狭まる思いに顔を背けた。 「皆を呼びいれよう。心配させてはならぬ」 「――陛下」 カデンツァ、速い指の動き。そして音色が止んだ。ゼバスティアンは立ち上がる。天井に壁に貼られた鏡がその姿を映し出した。 「陛下の下さった主題を、あらゆる形に展開した一そろいの音楽を作ることをお許しくださいませ。おそらくそれらをお聞きになったそのときこそ、陛下はご自身について悟られることがございましょう。いまお聞かせしたのは、わずかな断片に過ぎませぬ」 王は少し考え、それから微笑してゼバスティアンに向き直った。 「嘉納すると約束しよう、楽長」 差し出した手は丁重に取られた。儀礼にしたがって持ち上げられ― 「指に接吻することを許そう」 そのまま降ろされようとしていた手が緩やかに留まり、指先にほんのわずか、暖かな感触が触れた。王はかすかに苦痛めいたものを覚えて眉間に皺を寄せ、次いで、礼儀正しく離された手を打ちあわせた。 「皆のもの、入れ!」 渦巻く黄金の取っ手が押されて扉が開き、王は黙ってそちらを向いた。 --------------------------------------------- 捏造部分はたくさんありすぎてアレだ。 バッハじゃないから。ええ。合致するのは偶然だから(笑) ところでロストポーヴィッチはモダン楽器のチェロな人なんだが、 スゲーですよ。ゴイスーですよ。じいさん! - - 2005年11月06日(日) 『分解された男』(アルフレッド・ベスター著) 実に久しぶりに小説を、それもSF小説を読んだ。ベスターといえばテレポーテーションを登場させた『虎よ!虎よ!』で名高いが、これが初読になる。実際、SF好きと言いつつ私の好みは狭いものだ。海外ではアイザック・アジモフ、ロバート・ハインライン、アーサー・C・クラーク、国内では星新一、小松左京―この程度だ。まっとうに読んでいるといえるのはアジモフくらいだろうか? ロボットは出てきてもエスパーは出てこないあたりが私の地味な心性を反映しているといえなくもない。 さて、感想である。エスパーがギルドを作り、通常の人間と共存しているあたりはそれらしく書き込まれている。図解的な会話がきわめてユニークである。その一方で、ベン・ライク周辺は極めて抽象的で具体的な描写が少なく、かつその行動もほとんど現実感を欠いていて、シュルレアリスム的な戯画ではないかとさえ思われるほどである。これが、ともすれば古臭くなりがちな物語を救っている。1953年の作品に現代性を求めるのは筋違いかもしれない。とはいえ、この作品はやはり古臭いし、“ヒーロー”役パウエルの最後のオチもわかりにくい。つまり、現代の読者ならフツーに「そんなことする必要はないんじゃないのか」とか、「エスパーギルドって実は危険だろう」とかいう首の傾げ方をしてしまう。それを救っているのがベン周辺をすっぽりと覆っている前述の抽象性である。虚空に浮いた尖ったガラスの破片のような印象が重なり重なって、寓意的な像を結び、この輪の中では、物語は十分以上に現実性、説得性を帯びる。それは必ずしもアジモフのあの地に足の着いたような現実性ではないが、ある仕方で読者の腑に落ちるものだ。まァ、作者には不本意かもしれないが。 -------------------------------------------------- 祈りだ。彼の右手は豊かな強弱をもって弓を動かしている。彼の左手はおよそ年齢にそぐわない機敏さでチェロの弦を押さえ、正確な音階と、音楽に陰影と活気を与える微細なビブラートを与えている。生まれたゆたい消え行く音色に歌を見出し、自ずからあふれ出る祈りを見出すのは、水のように澄み渡った意識の奥底から見上げる目だ。 彼は疑ったことがない。楽譜は深い思想と厳密な法則に則った伝達の意思よりなる。そして音楽が汲むことのできるものは無限だ。あらゆる嘆き、あらゆる悲しみ、あらゆる憂いは、たとえばこの手の内の弓と弦によって声を得る。彼は演奏の最中に、人の思いが世界に、あるいは神に向かって放たれているという感慨を、何の屈託もなく感じることがある。それは、確かにそうしばしばあることではないが、だが十分なほどにはよくあることだ。 ニ短調の2番の三つの音、レ、ファ、ラ。幾度も形を変えてあらわれるこの音色は、なんと多くの悲しみを解き放ち、この千年の祈りの家にひとつながりの響きとして飛び去らせてくれることだろう。どんな絵画もどんな文学もこの力を手に入れることはできない。つまり、経時的な減衰や展開や興隆や、ましてや消尽を。だからこそ彼は音楽に生涯を捧げた。 十字架の形をした教会は暗く、灯りは手元の小さな炎ひとつ。柱頭のマリア、礼拝壇のキリスト、ステンドグラスのあまたの聖人たちは暗がりにあって音楽は続いてく。ああ、私は祈っている、と、彼は考えた。 - - 2005年11月05日(土) レ、ファ、ラの3つの音が二短調の帯びる愁いを告げる。 プレリュードから悲しみは深まり、私は散り透いた梢を見上げる思い。 それは確かに悲傷だが、そのうちに透明で正しい軌道を持っている。 セロ弾きのゴーシュはある夜、こんな音楽を識らなかっただろうか。 『無伴奏チェロ組曲2番』(JSバッハ) 夕暮れに男は教会に向けて歩いて行く。鳥たちは彼の頭上たかく、鳴き交わしながらねぐらへ向けて飛んでゆく。石垣が牧草地の真ん中を横切って、枯れ色の野に幾何学的なアクセントを与えている。彼は小高い丘を登り、そこにひっそりと影となってうずくまる教会に近づきながら、世界が静寂に包まれたらこの音楽を演奏しようと思う。あの悲しい三つの音を弾きはじめることを思うと、深い喜びと憂いが身に沿うた。そうした感情は、もはや若い時代のように彼を押さえつけはしない。彼が生きた歳月は実り多く、日々の結実の一つには穏やかな、深い諦観があったからだ。憂いと喜びとを年来の友のように連れて、彼は丘の小道を上ってゆく。空は暮れ色になずんだ。 フリギア旋法のような凍麗なアーチが、素朴な柱頭装飾を頂く円柱に支えられて教会の内陣を支えている。彼は祭壇近くに置いた椅子に座り、チェロを身に引き寄せた。灯りはといえば手元の小さな燭台ばかり。十字架の形をした教会は闇に沈み、空気は希薄な硝子のように小揺るぎもしない。なぜこの場所で、この曲を弾こうと思ったのかを彼は思い出す。どんな近代的なホールにもない深い憂いと喜びが、千年の日々の祈りが積み重ねられて結晶したようなこの古びた、この石造りの堂宇の生み出す反響にはある。それはあの三つの音から始まる音楽とよく似ている。この場所でこそ、と、男は思う。この場所でこそ、私はほんとうにあの音楽を響かせることができる。 - - 2005年11月04日(金) 自分でつけてみる 取り扱い注意書き: 1:詮索される/触られる/待たされる―のが嫌い。 2:娯楽性のない/建設的でない/自分語りに終始する―会話が嫌い。 3:三度の飯/恋人/友人/親兄弟親戚―より仕事優先。 4:年齢/地位/立場/職業―において社会的適応、義理堅さを重視。 5:疲れた/手負い/うまくいかない―時ほどほっといて属性強化。 備考:基本的に「お一人さま」上等、荒野の一匹狼属性なので、 プラス要素(楽しい、勉強になる、仕事に役立つ)がなければ交際しない。 頭がいい、一芸がある、美人、人間データベース大好き。 舞台と同様に最初の15分が勝負と認識し、楽しませ楽しもうとするが、 ダメな場合はできる限り速やかにお別れするべく人知れず努力する。 回りを笑いの渦に巻き込んだ瞬間に感じる満足感はまさに関西人。 どうですか、友達になりたいですか? 私はなりたくないなァ、 健康で気分のいい時しか相手になってくれない友達なんてさ。 -------------------------------------------------- クラヴィーアの最後の音色が広間を去ったとき、もう音楽家の流行遅れの上着やほこりだらけのズボンを気にする聴衆はいなかった。壁際に控えた管弦楽団もまたそれぞれの楽器に沈黙を強いて、聴衆の一部となる喜びにひたっていた。ゼバスティアンは、ほっと深い嘆息を漏らすとまだ消え去った音色のうちに憩うような穏やかな顔を上げ、王の方に視線を向けた。 「素晴らしかった」 王は囁いた。鏡を張り絵画を飾った広間の絢爛たる空間は慎み深くなりをひそめて君主の賛辞を響かせた。音楽家は立ち上がり、頭を下げた。その傍らに立つ若い楽士も誇りと音楽の喜びに上気した頬で父親にならった。 「もしも、そなたが疲れていないなら」王は立ち上がった。「このささやかな館を隅々まで案内しよう。幸いにしてわが国にはオルガンからクラヴィーアまで、鍵盤楽器であれば余人の追随を許さぬ名高い製作者が住んでおり、私のもとにも幾らかその楽器がある。興味を持ってくださると信じるが―」 そして、もちろんゼバスティアンは承諾し、王は自ら先立って歩き出した。黒檀のクラヴィーア、木目込み細工のピアノフォルテ、しかもそれは美しいばかりでなく、ゼバスティアンの軽やかな手と指にかかって、たぐいまれな音色を響かせた。鼈甲と銀の象嵌の小ぶりのクラヴィーアで、とうとう王は若い楽士を押しのけると、自分から譜めくり役を買って出た。 かつて自身作曲し、王が御前での演奏を所望したそれらの曲を引き終えて、ゼバスティアンはふと顔を上げた。一群の貴婦人と貴族からなる聴衆はすっかり王に忘れ去られ、扉の向こうに立つばかりだ。 「陛下、お許しを頂きますれば、即興曲を演じたてまつりたいと存じますが」 王は喜ばしい申し出に目を輝かせた。 「まことか。そなたの息子はよく、そなたが惜しげもなく即興曲を演奏しその響きが永遠に消え去って書きとめられぬことこそ世の損失と申していたが。それは興がのったときにしか聞けぬとも」 ゼバスティアンの指先が豊かな和音を響かせた。ついで。 「これほど音楽を愛してくださる陛下の御前で、どうしてわたくしめの音楽の魂が喜ばぬということがございましょう。どうぞ、陛下。お申し付けください。陛下の御ためにこそ新しい歌を演じる栄光をおあたえください」 王はゼバスティアンのそればかり老いた青く澄んだ瞳を見つめた。それは王にとって不思議な瞬間であり、不思議な深い感慨をもたらした。 「よかろう」 王は手を伸ばし、鍵盤の上に置いた。指先がひとつの短い旋律を落とし、ほんのわずかな距離をへだててゼバスティアンの顔をのぞきこんだ。 「さあこれが私の贈り物だ。我が宮廷作曲家よ、この主題は短く素朴だが、私が幼いころから愛していた音の断片だ。この音は、私がまだ乳母車から出てそれほどもならぬうちに私の心を捉え、今もって私の心から去ろうとはせぬ。ながいあいだ私の心の秘密であった。だがそなたの魔法にかかってどのように変容し、形を得るのか知りたい。役目は重いぞ」 「まことに。よく果たしうるよう、神の慈悲がありますることを」 ゼバスティアンが微笑した。それは不思議に内面的な、表情とさえいえないほどのもので、王はひっそりと息を抑えた。音楽家の眼差しは鍵盤の上に向けられ、髪粉をつけたかつらに威儀を正した頭はわずかし傾ぐ。遥かに遠い何かに耳を澄ませるよう。 沈黙はどれほども続かなかった。鍵盤の上の指は揺らぐように動き出し、始まったのは完全な、わずかも隙のない、しかも複雑な転調をくりかえして次第に高みに至る完璧な四声フーガだった。先ほどの主題が一滴の水であるなら、しき広げられ積み重ねられる音楽は大河、それとも大海。確かに主題にもとづき、そのうちに存在していたあらゆる情感と思想を豊かにまた余すところなく歌い上げてゆく。二段鍵盤の黒鍵は演奏者の技量に応えてすべての音を明瞭に歌いかつ語った。 若い楽士は、この音楽のほとばしる流れにさらわれかけながら、ふと顔を上げてびくりと我に返った。クラヴィーアの傍らに立つ王は不思議なまでに目を輝かせ、しかもここにあるものは何一つ見えてはいない気配。うちなる想いが押し寄せ、視界もろとも意識をさらっていったかとさえ思われた。 音楽は余韻を引いて消え去り、クラヴィーアの前の音楽家はそっと身を起した。だが王は身じろぎもしない。当惑したさざめきが広がった。 「――まことに」 王はようよう囁いたが、それを聞き取れたのは二人の音楽家だけだ。 「まことに、そうだ。忘れていた。――なんということ」 ゼバスティアンを見た王の眼差しは遠い昔を見るような傷ましさに満ちている。ゼバスティアンは頭を垂れた。 「ようやく思い出した。音楽とは、このようなものであったな」 王の言葉に再び扉の向こうの人々はこの異例の賛辞にさざめいたが、ゼバスティアンはただ微笑しただけだった。 「いたみいります」 王は気だるく微笑し、扉の前に立つ士官を見た。 「わたしは少し、楽長と話をしたい。誰も、下がれ」 それから、王は若い楽士を見た。 「そなたもだ。しばし、扉の外で待て」 それは明らかに命令であった。楽長は、息子が不安げな面持ちで立ち去り、やがて重い扉が閉じるのを見送り、静かに王に向き直った。 - - 2005年11月03日(木) りるるさんから回ってきた映画バトン。うーむ…。 ●Movie that I saw for the first time in theater (初めて映画館で観た映画) 『南極物語』(日、1983) 南極観測隊がやむなく置き去りにした五匹のカラフト犬。 一年後、戻ってきた隊員は懐かしい姿を目にする…。 感動映画のはずのコレ見ながら、 「この犬ども絶対、共食いしたに違いない」とか 思っている小学校一年生ってどうですか。 横で母上がダダ泣きしてたなあ、そういえば…。 ●Movie that I saw in theater at the end (最後に映画館で観た映画) 『シン・シティ』(米、2005) アメコミ原作の雰囲気を取り入れた佳作。 ぶっちゃけストーリーはどうでもいい。ハードボイルド風味。 午後九時過ぎに始まる遅い回に見たせいか、 観客は私一人。なかなか面白かったが、人に勧めるほどではない。 最近の映画館の音響のよさとかムダだった気がする。 ●The last DVD or VHS、LD I bought (最後に買ったDVD又はビデオ又はLD) 『Bach's Greatest Organ Works』(不明、2001) Hans-André Stammがドイツ・Waltershausen教会の Trost-Organで奏でるJSバッハの名曲の数々。 オルガンがかわいい。バッハも弾いたという由緒あるオルガンは、 鍵盤の側面が黒と金に塗られ、細かい細工があちこちに施されている。 音色も豊かで、楽器の王様という呼び名に納得。演奏ももちろんピカイチ。 ●Five movie I see a lot,or that mean a lot to me (よく、見るまたは特別な思い入れのある5本) 「Load of the ring: fellowship of the ring」(米など、2002) 「Load of the ring: the two towers」(米など、2003) 「Load of the ring: return of the king」(米など、2004) とりあえず別格。動く中つ国というだけで感動。 FOTRに関しては、ボロミアとガンダルフとサルーマンにニヤリとし、 TTTに関しては、ガンダルフとサルーマンにニヤリとし、 ROTKに関しては、ガンダルフにニヤリとした。 「アンナ・マグダレーナ・バッハの年代記」(独伊、1967) レオンハルトとアーノンクールが共演してますヨ…。 「リチャード�契ぁ廖癖同僉�1995) サー・イアン・マッケランの悪役っぷりにニヤニヤ。 舞台と映画のいいとこ取りな構成も素晴らしい。 ●Five people to whom I'm passing the baton (次にバトンを渡す5人) 荒井さん、TSさん、見てたらヨロシク! ---------------------------------------- 大扉が開き、王は立ち上がった。宮廷もまた立ち上がる。人々の向こう、扉を入ってきた旅装の男は、こんな大仰な歓迎に驚いたように立ちすくみ、瞬きしている。王はつかつかとそちらに歩き出した。 「何をしているのだ、マイスター。七年も待たせておいて、まだ待たせようというのか。それはあまりだ。そうとも、あなたは仮にも宮廷作曲家の称号を受けられたのだから、少しは忠義の心を持ってほしいものだな」 言葉はともかく、王の声の調子は明るく、からかう響きを帯びていた。待ち焦がれられた高名な音楽家は、伸ばされた王の手をぎこちない仕草で押し頂き、おずおずと身をかがめた。 「ようこそ我が宮廷へ! 当代最高のクラヴィーア奏者にして、世に類なき調べの作り手、我が宮廷作曲家よ!」 解く間も与えられなかった旅装は埃っぽく宮廷の婦人の幾人かはその服が流行遅れであることに気づいたが、王は気にする風情もなかった。 「本当に私は長いあいだ待った。さあ顔を上げてくれ。マイスター、あなたの息子は音楽において私の良い相棒をつとめてくれている。あなたの息子は」 王はそこで言葉を切って広間を振り返った。父親に対し、王がかくもあけすけに取った敬意あふれる態度にもっとも呆然としていた若い音楽家は、鏡を張った壁の前にしつらえられた舞台の脇でびくりと居住まいを正した。王はその様子に笑顔を浮かべ、ようよう頭を上げた音楽家を親しく見た。 「彼は、二言目には、あなたのことばかりだ、マイスター。私が少しばかり雑な演奏をやらかせば、手厳しく戒められる。『私の父は、私がそのようなことをすればきっと頭を振って仰いました“音楽は軽々しく扱ってはならぬ。正しい音を離れれば、凶悪な喧騒あるのみ”』とな。だが今は、王国の誇りともいうべき高名の音楽家を、このささやかな宮廷に迎え入られたことを喜ぼう」 王は、そこでふと首を傾げた。 「―陛下?」 王にまじまじと見つめられて立ちすくんでいる音楽家に代わって、傍らに立つ長身の士官がいぶかしげに声をかけた。王は顔を上げ、自分の不躾な行為に気づいたように、ふと微笑を浮かべた。 「失礼した。だが私は人違いをしたのではないのかな? わたしの楽手の父君は確か、もう五十歳を超えていると聞いていたが、あなたはとてもそれほどのお年には見えない」 「陛下」 ようやく口をはさむいとまを得て、音楽家が静かに言った。確かに旅の疲れを滲ませてはいるが、しわ一つないその顔は血色も良く、細身の上着の下の体も俊敏で若々しく、王の驚きも不思議はなかった。 「私は先ごろ、六十五歳の誕生日を迎えました。神のお慈悲により」 王が一つ瞬き、その隙に音楽家は深々と頭を下げた。 「いとも高貴なる国王陛下に、慎んでご挨拶申し上げます。もったいなくも、宮廷作曲家を名乗る栄誉をたまわりましたる聖トーマス教会楽長、お招きによりまして、御手の間にまかりこしましてございます」 堂々たる挨拶を終えて顔を上げた楽長は静かに微笑した。その顔には歳月は陰りは落とさなかったが、そうして微笑すると、青灰色の瞳の奥には年齢を重ねたものだけの持つ不思議な明度が際立ち、先ほど述べられた年もそれほど不思議とは思われなかった。 「見事なものだ! あなたのことを老マイスターとは呼ばせまいとも」 王は満面に笑みを満たし、音楽家を招くと歩き出した。 「私のフルートを片付けよ! よいか、我ら凡人は沈黙せねばならぬ、我らが宮廷作曲家が来たからには!」 王と楽長の通過にしたがって宮廷の人々は膝を折って優雅に挨拶し、風になびく草のごとく次々と腰を下ろしていった。王は演奏台の前に立って音楽家を振り返った。きびきびとした姿勢と動きはまだ三十を幾らか過ぎたばかりの青年王に威厳と太陽のような強さを与えている。その手がクラヴィーアを示した。 「さあ、楽長。あなたの音楽を愛する君主の切なる願いを満たしておくれ。旅の埃を落とすのはそれからだ。まず演奏を一曲聴いてからでなければ、私はあなたを離しはしませんぞ!」 楽長は丁重に頭を下げた。 「陛下と、陛下の音楽を愛するお心への敬意にかけまして」 …は年取らないイメージがある。 というのはレオンハルトが、ほら…そういう映画だったから。 これってアレか… あの、良識に反するので、名前、削除しました…。 でもオリジナル設定交えてやりそうだなァ。 音楽好きの王(35)×年相応に見えない楽長(65、一見すると40前)。 - - 2005年11月02日(水) 音楽家兄ネタ。続くかも…?知らん。 そこは確かに城の敷地の中だったが、父親の情婦が住む庭園の向こうの瀟洒な小宅と同様、彼の生活の外にあり、書き割や背景に過ぎなかった。つまりそこに一風変わった六角の塔を備えた別館があるのを彼は朝ごとに見ていたし、城壁を一つ越えて、物寂びた小道を少しも歩けばたどりつくと知ってもいたが、星や月と同様に、そこで自分に関わる何かが起こったり、あるいは起きている可能性があるとは考えてみたこともなかったのだ。 彼――ククール。王家に連なる由緒正しい公爵の家に嫡男として生まれ、先ごろ成人したばかりの青年公子。金も若さも地位も持ち、さらに母譲りの銀の髪と端正な容貌で、若い娘から熱烈な視線を受けたり、金と閑のある貴婦人に濃厚な色目を使われるのには早くから慣れたものの、情や驕りに溺れるにはいささか如才なく生まれつきすぎたのか、社交界に派手な噂を振りまくわりには、悪い評判はまったくといってよいほど聞かれなかった。 城壁の迫持をくぐり、ククールは細い小道をたどっていった。というのは、その朝、美しい男爵夫人から、「わたくしのお友達」という心のこもった呼びかけで始まり、館への訪れのかなわなくなった理由について優雅な筆致で述べられた手紙が届いたからだ。内容についても、夫人のわびる気持ちについても得心のいく手紙だったとはいえ、ククールの一日の予定が白紙にかえったことはいかんとも仕様のない事実で、そのためふと、目の前にありながらこれまで行ったことのなかった別館を訪れる気になったのだ。 最初に不思議の思いを抱いたのは、誰も住まぬはずの館が、近づいても見て取れるほどの荒れた様子もないことだった。白い壁に蔦は絡んでも、窓を閉ざしてはいないし、石組みにも乱れた様子は見て取れない。しかし、結局は万事を取り仕切る家令の有能さに帰して、そのまま歩んでいった。 だがその次に気づいたことについては、これは、どのようにも既知のことからは理解することはできなかった。ククールはもうよほど館の近くに立ち、呆然と六角形の塔を見上げた。異変はその瞬間にも耳を打っている。 「――……」 聞こえているのは、音色だった。かすかに、だが間違いようもなく。だが、幽霊を信じるにはあまりに明るい朝であり、雲ひとつなく透き通った空でもあった。ククールは黙って扉に手をかけ、そっと押し開いた。その瞬間に、雷鳴のごとく音色はククールの上に降り注ぎ、身じろぐことさえ忘れさせた。 音色。音。だがそれはむしろ光ではなかったか。どのような手、どのような想いであればこのような楽章を奏でられるのか、ククールには見当もつかなかった。天窓から光は斜めに射し、中空の塔の中ほどに据えつけられた巨大なパイプオルガンを照らし出している。銀の風管は明るく輝いている。旋律は百の断面を持つガラスの球ように変容し変容して過ぎ去り、大気に満ちる音楽の語る思想は深い悲しみに満ちる。それはほとんど一瞬ごとに百万の言葉で語り、理解を切にせまりながら、思いの中でさえ捉えられぬ。ククールは困惑とも感動ともつかない思いに捕らえられて立ち尽くした。 「誰だ!」 鋭い誰何の声とともに、音楽が断たれた。はっと見上げたククールの目に一人の男が見えた。男はこの音楽の弾き手であるのに違いなかった。だがいま、オルガンの前に立ち、見下ろしてくる男には警戒と不審がありありと浮かんでいる。ククールは応える言葉を見つけかね、ぼんやりと男を見た。 「召使には見えぬ。客人か?」 男は黒髪だ。青白い顔の中で、見下ろしてくる瞳は翡翠の緑。ククールがなおも応えずにいると、穏やかに、だがはっきりとした拒絶の意図をもって扉が指差された。 「この塔は、主人によって余人の出入りを禁じられております。無礼の段はお詫びするが、どうか早々に立ち去られよ」 「主人――公爵が?」 思わず口をついた問いは、そもそも父親の口からこの塔の存在について聞かされたことがなかったため。「父」ではなく「公」と選んだのは無意識。 「さよう」 辛抱強さと苛立ちがその声には潜んでいる。 「あんた、は…?」 黒髪の男が唇を引き結んだ。怒りの気配は隠しようもなく。ククールはひやりとしたものを感じ、男が再び口を開く前に先を取った。 「あの、音楽が」 男の眉がけげんそうに寄せられる。ククールは必死で後を続けた。 「あの、音楽が聞こえて。美しかったものだから…。あんまり美しくて」 しどろもどろに言ううちに、男の眉がふと緩んだ。ずいぶんと美しい男だとククールはこのとき、突然に気づいた。年齢は、自分よりもよほど上だろう。だが三十路にはなっているまい。男らしい厚みが身についている。 「こんな演奏を聴くのは初めてで…なんて言ったらいいか」 「お褒めの言葉、いたみいる」 礼儀正しい言葉から冷たさや拒絶の調子は消えていた。だが依然として親しさも気軽さも感じられないことも確かであった。なにか粗相をしでかしたような、ぎこちない、落ち着きの悪い思いにククールは身じろぎした。 「音楽好きの客人のために、一曲、弾いて差し上げよう。だが、それを聞き終わったら立ち去ると約束して頂きたい」 有無を言わさぬ調子があった。ククールは黙って頷き、高みの男がオルガンに向き直るのをぼんやり見上げているほかなかった。 ストップを調節する木と木のこすれる音がコトコトと響き、続いて、意外に柔らかな、やさしい音色がこぼれた。雷鳴のようだった先ほどの曲には聞き覚えはなかったが、今度の曲はククールも知っている有名なフーガだった。低音部を欠いた明るく澄んだ音は、激しい情熱ではなく、川辺や光の射す斜面を思わせ、追いかけあう旋律は祭りの日の賑わいを思わせた。そしてその奥底には、ほのかな揺らぎのように先の曲と同じ深い憂いが漂って、暗い淵の気配が、描き出される曲想の明るさを強調している。 ククールは永遠ほどもそうしていられただろう。だが音楽は過ぎ去って、弾き手は立ち上がった。言葉で促しさえされなかったが、向けられた眼差しは厳しく、遅延も猶予も得られないことは明らかだった。それでも。 「…出て行くよ。出て行く。だけど、教えてくれ。あんた、誰だ? ―なあ」 答えは扉を指す手だけだ。ククールは渋々と歩き出し、それでも扉を出る前にもう一度振り返らずにはいられなかった。 「名前、だけでも」 男がわずかに頭を傾けるのが見えた。答えを期待していたわけではない。だが音色のなかの一つの音色のように答えは返った。 「――マルチェロ」 - - 2005年11月01日(火) 畜生、畜生、やりきれねえよォ! どうしてテメェにはわかんねぇんだよォ!!! 泣いても泣ききれない。 しかもどうしようもない。 ああ、こんなのってない。 こんなのってないよゥ! ↑言ったでしょ、酔っ払ってるときに日記書くんじゃないって。 (飲酒詳細:ビール500ml缶×2、日本酒750ml×1、焼酎若干) いやー、アレだ。 ナニを怒っているのかはだいたい見当つくんだが、 そんなに怒るほどのことでもないと思うなァ。 そして書いた記憶がないのに明らかに自分の文章って、なんだか不思議だ。 -
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