enpitu



終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2005年07月30日(土)

おかえりパソ乃さん!
愛しているよ!

というわけで、そういうわけでした。
最近のヒット。
「ビーフケーキ」
「エロティカ」
「イスラム 初期の建築バグダッドからコルドバまで」
いずれもタッシェン社。

絶版とか「もう手に入らない」とか聞くとほしくなる種類の本。
きわめてユカイだった。
白眉は「イスラム」。これのフランス語版は実家にあるんだが、
なんせ読めないもんだから、和訳が手に入ってご満悦。
イブン・トゥールーンモスクはやはり素晴らしい。
あの、なににも似ていない幾何学文様の欄干。


-

- 2005年07月25日(月)

「――聞こえぬか」
 マルチェロが言った。山頂の闇は深く、漆黒の風は天空を翔けている。
「風の音ばかりで」
 ククールは答えた。その言葉さえ遠く吹きさらわれる。思い巡らす辺りにほかに人の子がいるとも思えなかった。世界の果てにただ二人あるような、心細くもまた物哀しい思いに打たれて、兄を抱き寄せる。盲目にして無力、それでもなお飛ばねば落ちることを知る矢のごとき意志を胸に宿す兄を。
 冷え切った体は、それでも抱き寄せれば温度は届いた。
「聞こえないよ、兄貴。なにも、聞こえない」
「私には聞こえる」
 頭上の声のうちのある響きに、ククールはかたく目を閉じた。
「天なる御方の声だ。なんということだ。ああ、なんということだ」
 言うな、と、ククールは胸のうちで呟いた。頼む、言わないでくれ。
「いいか、聞け。ククール――」
 ククールは体を起こし、唐突に伸び上がって兄の唇を口付けでふさいだ。ただそれはその続きを聞かないため。続きを聞くのが恐ろしかったため。
「違う。それは違う」
 ククールは囁いた。口の中には錆めいた血の味が残る。切れていたのは兄の唇だ。乾き、冷たく激しい風に裂かれて。
「わかってくれ、兄貴。それは、違う。違うんだ」
 言葉を奪われたマルチェロは黙然として立っていた。その頭上に星がめぐるのをククールは見た。そしてすすり泣いた。


-

- 2005年07月24日(日)

 太陽がめぐってゆく、きみはもうグラウンドにいない。強い日差しが静謐な清原球場の人工芝のグラウンドに照りつけ、壊れたスコアボードをゆがませて陽炎が揺らぎ、だがきみはもうそこには戻らない。二度と。
 赤い縫い糸の白いボール、赤い土に汚れた白いストッキング、ミズノ製の黒革のスパイク、黄色い革のミット、白い粉を撒き散らすロージン・バッグ、傷だらけの金属バット。記憶よりも早くそれらのものは古びてゆくだろう。古び、消え、だが残るものはあるだろう。顔を埋めて泣いた青いタオルの粗い感触、日差しの向こうのダイヤモンドの歓声、終わりがどのようにきたかということ。抱き合った仲間の背中の汗の匂い。


-

- 2005年07月23日(土)

遁走曲:パート1

天は暗く、
雷鳴は荒野に満ちたり。
夜半の驟雨は鞭のごと、

「永遠の主の怒りを聞け」

火文字は我が頭上にあまねく記され、
罪なる足なき猟犬に追われ、
怒りの夜を行く。


遁走曲:パート2

群星すでに落ち、
月は死に染まり雲間に赤く、
闇になお暗き罪人を束の間照らせり。

「御怒りを逃るるあたわず」

泥濘に刻みたる足跡にかく語りつ。



遁走曲:パート3

夜の杯は次第に傾き、
闇は地よりこぼれ。

雷雲は遠く去りぬ。
雨は行き、
朝霧は地に起こり、
光は東方より射せり。

いと高き御方の、寛恕のごとく。


遁走曲:パート4






(借キャラ:M)



-

- 2005年07月21日(木)



夏は過ぎ去った。
そしてこの後の準決勝や決勝は、
それはもうきみたちにはあずかり知らぬことだ。

夏の日差しはマウンドを静かに熱く満たしている。
かげろうは流れ、風景を歪めている。
だが見よ、もはやきみたちはそこにはいない。

戦いは過ぎ去った。
立ち去れ、君よ。


-

- 2005年07月19日(火)

「待ち望みたる日の至るを知れ」


-

- 2005年07月17日(日)

 中指の左側の先には血豆ができている。スライダーを投げるときにボールの縫い目引っ掛けるから、爪の一部は黒くなってしまった。指先に常住する痛みはもう体の一部だ。それは彼に近しい。エースはそんな指をしていた。
 栃木工の野球部主将はくじ運が悪いのが伝統だ。去年の初戦は“かの”作新学院だったし、当代の主将・中田賢も足利工大付、真岡工、白鴎大足利、国学院栃木のかたまったおそろしく厳しいヤマを引き当てた。
 まあいいさ、と、中田寛は言う。どこが相手でも、九回まで彼が投げることに変わりはない。そして取ってもらったよりたくさん点を取られなければ負けないのもいつものことだ。落ち着き払って彼はマウンドに向かう。
 なるほどそれは確かにそれだけのことだが、いつもうまくいくとは限らない。打球が足にあたったり、暑さや連戦で調子が落ちたりすることもあるし、仲間がさっぱり点を取ってくれないことだってある。それでも彼はまだ終わってしまいたくはないのだし、またそう簡単に終わる気もないのだ。
 そういうわけで彼は始めた。最初から一つずつ。最後まで一つずつ。18日の清原球場に日差しはきつい。天気情報は梅雨明けを告げた。気温は35度オーヴァー、グラウンドにはかげろうが流れてまさに時は夏。そして汗みずくになってマウンドから降りてきた手には3つめのウイニングボールがある。
 俺はどこまでいけるだろうかと彼は考える。そして自答する、どこまでも負けないだけさ。負ければそこで終わりだから、決勝で負けたって負けは負け、終わることに変わりはないから。だから勝とう。勝ちたいんだ。そうだ、チームの調子も上向いているし、賢治も元気が出てきた。

 情熱はその胸にある。その明るい眼差しを知りながら、私は自問する。きみはどうやって終わりを知るのだろうかと。どうか、願わくは、ああ願わくは、明るい歓声のもとに、一番にベンチから飛び出してくる相棒と抱き合って夏の終わりを迎えてはくれまいか。そのとき私も歓声を上げよう。


-

- 2005年07月16日(土)

 中田賢はまだバックスクリーン前のフィールドが落ち着かない。そこはあんまり広すぎるし、彼がいつもそこにいたダイヤモンド、内野手たちの密な空間とは違って静かに過ぎる。
 栃木大会七日目、宮原球場第二試合の3回戦、栃木工対真岡工戦は奇妙な既視感を覚える一戦だった。記憶を手繰ってみよう。2004年7月15日午後一時、同じカードがやはりこの場所で行われた。一塁側が栃木工で三塁側に真岡工という配置さえ同じだった。
 それでもいくらか変化はあった。昨年の最上級生はスタンドで応援する側に回っていたし、栃木工の右腕・中田寛の女房役としてマスクをかぶっていた中田賢が中堅にコンバートした。彼はこの一年のあいだに肘と肩を壊し、最初は一塁へ、それから春の大会の前に中堅に移った。
 宮原球場の外野グラウンドにはシロツメクサが植わっている。中田賢は多くのそこだけ植生がはげてむき出しになった赤土の上に立っている。左右に広がる広い空間が彼をゲームと仲間から隔てている。少なくとも彼のいつも笑っているような顔にはこの日、そんなふうなさみしさがあった。
 彼はいま、孤独だろうか? おそらく。小学校2年生からこのかた、長いあいだ内野手に囲まれてゲームの中心のマウンドにいたのだし、そこを去ってからもやはり長いあいだ、捕手としてゲームを支配してきた。野球という競技の微細な響きや歌さえ彼には近しいものだ。あるいはそれこそが彼の本質をなしているとでも言ったらいいかもしれない。音楽家の魂がまさに音と歌から成っているように。だがこのときその調べは遠い。歓声も。
 それでも彼はそこから立ち去ろうとしなかった。彼は順番通りに打席を踏んで、順番通りに凡退した。試合は彼を疎外して栃木工に有利に進んでいった。二回表裏の激しい攻防と、九回表の凄絶な勝ち越し劇。彼は外野からダイヤモンドを見つめていることしかできない。あるいはベンチから。
 彼は試合終了後、ナインのひとりとして整列し、校歌を歌った。彼の目は、このひどい寂しさは、あの広くてトンボの飛ぶ外野から、遠いダイヤモンドを懐かしく見る目にだけ宿る、とでも言うようだった。


-

- 2005年07月15日(金)

a.



-

- 2005年07月14日(木)

 負け試合のラストバッターになるのは苦しいことだ。悲しいことだ。あなたはバットを構えて投手に向かう。九回裏、それとも10点差のついた五、六回、あるいは七点差の七回、アウトはすでに二つを数えている。ベンチからの声援を、ネクストバッターズサークルからの「俺に回せ」という声を、あるいは塁上の―もしかしたら同点が逆転の走者である―仲間から「還せ」という声を聞きながら、あなたは本当に思っている。打ちたいと。神を信じていたら、祈りさえするだろう。どうか打たせてください、どうかこれで終わらせないでください、打てたら死んでもいいんだ。などなど。
 ボールは投げられ、あなたはバットを振る。だがボールはキャッチャーミットに収まって審判がストライクとコールする。それとも打球は力なく転がって内野手がつかみとり、必死のヘッドスライディングも届かず一塁手に投げ渡される。あるいはふらふらと浮き上がって内野手か外野手のグラブに―どうか落としてくれと願う視線の先で―収まる。そして審判がアウト、ゲームセットとコールする。
 一塁線上にうずくまり、あるいはバットをグラウンドにやるせなくたたきつけ、それともはや泣きながら、それでもラストバッターは整列せねばならない。仲間は背を叩くだろう。「よくやった」と言うだろう。だがあなたにも彼らにもついに来た終わりをどうすることもできない。せめて嗚咽せよ。
 ああ、10年がたっても、この打席は後悔とともにあなたがたの胸のうちに刻まれている。この打席はいわば一つの永遠な呪詛となりまた棘となって、いついつまでもあなたの中に生き続ける。それは確かに呪詛のように見えるが、あなたがたはどのような恩寵と引き換えでもあの数分の記憶を手放そうとはしない。そのときの汗や湿った土の香りさえ。


-

- 2005年07月13日(水)



翼もて翔けよ。
天の高みを夢見よ。
永遠を抱け。さあ。


-

- 2005年07月12日(火)

 栃木大会四日目は朝から梅雨の二文字を書いたような雨。だが試合は始まる。ひとつには多くの関係者の予定がその日に合わされているため。もう一つには高野連が球場を借りている日数が限られているため。それなら彼らは幸運なのだ、清原球場は人工芝で水はけがいい。この日の第一試合は茂木―黒磯。県有数の右腕・馬籠を擁して秋春連続でベスト8入りを果たした茂木に対し、黒磯は県立中堅校にすぎない。
 それで彼は気負ったか。いいや、彼は終始、笑っていた。小柄な投手の名は高根沢。春の大会中に足首を骨折して発進が遅れたから、エースナンバーは2年生に譲って背番号は10。日に焼けたじゃがいものように彼は笑っていた。霧雨のマウンドで。
 五回、茂木・後藤の本塁打などで2点を先制される。スタンドに消える打球を彼は見送り、眉を上げて笑って見せた。彼の言い分はこうだ。俺はこのグラウンドで一番高いところにいる。だから上を向いてるだけさ。
 その裏一死、彼は打席に立った。おあつらえむきに、三塁には塩川が立っている。ここで打てばそうだ、ヒーローか? 彼はバットを振った。打球は中前に落ちた。三走は還った。そこから試合はもつれる。六回無死満塁の危機を救ったのは背後の機敏なプレーが演じた併殺劇だ。昨年の今頃はこんなプレーが自分たちにできるとはついぞ思いもしなかったような。彼は勢いづく。そうだ、夏はまだ始まったばかりではないか。この仲間との野球をこれで最後にするのはもったいない。八回、1点を奪い奪われて同点のまま九回は双方無得点で延長へ。
 十回を終えてマウンドを降りてきた高根沢の足は痛んでいた。次は下位打線だからいい。だが十二回は? ちょっと厳しい。彼はベンチの前でキャッチボールを始める。一人目はあえなく右飛。二人目は同じ方向に安打。三人目が犠打で送って四人目は井上拓、ここまでヒットらしいヒットのない4番打者だ。彼は井上が春から不調に苦しんできたのを知っていた。だがまだ信じてもいた。こいつは打つと。だから手を止めて静かに待った。
 球場は息を潜めている。マウンドの馬籠はキャッチャー阿久津に頷いた。セットポジションから投球姿勢に入る。初球は外角低めの直球、ゴロ狙いのボール球だ。井上は打つか?打つ。打った。打球は中堅の頭を越えて濡れたフィールドに落ちた。走者は還るか?還った!
 勝ったのだ! ナインはベンチから飛び出した。彼も走った。足の痛みのことはそのとき忘れられた。井上をもみくちゃにしながら、彼らは笑った。ああ、今度こそは何の気負いもなく。混じりけのない喜びはどこにあるのか。決まっている、まだ明日も、こいつらと野球ができる。

 あなたがたは一切を賭けて明日をあがなう。それとも明後日を。そしてその短い時間を愛する。死刑囚が朝の5時から執行時間の9時までの短い時間に永遠を見るように、あなたがたはそこに永遠を見る。さあ、行くがいい。





------------------------------------

それで、ディープブルーだが。
「外洋」「サンゴ礁」「南極」というだけで、具体的な地名はない。
これは多分、あまりにもたくさんの箇所で撮影したためと、
あと、こちらの方が大きいかもしれないが、
「人間の名づけ」の外の世界を意識したせいではないかと思う。
そのせいかもしれない、この映画が大好きなのは。


-

- 2005年07月11日(月)

 宮原球場は古い。おそらく現存する県内の球場の中ではもっとも古いだろう。コンクリートは乾いて柱は太く、作りは無骨。トイレは汚く、観客席は低い。その宮原球場で栃木大会は3日目のこの日に行われた第一試合、田沼―白鴎大足利には誰一人、関係者以外は誰一人、興味を持っていなかった。
 なぜなら田沼はこの7年というもの、夏の大会で白星を挙げていない弱小校であったし、対する白鴎大足利はかつて甲子園にも顔を出したことがある私立強豪のうちの1つであったのだから。事前の私の予想についていうならこうだ、五回コールド、点差は2桁にかかるか。
 だが事実は違った! 蓋を開けねばわからないものだ。エース栗原は初回、二回と続けて豪打の白鴎大足利打線を沈黙させた。三回には2点を奪われたがその後は再びゼロをスコアボードに並べていく。辛抱するエースの背後で外野の守備は深く、快音とともに打ち上げられる球はほとんどことごとくそのグラブに捕われた。そして打線も運を掴む。六回、田沼は1点を返す。一塁側の歓声は勝ったもののようだ。
 八回、白鴎大打線は再び栗原を捕えて1点を追加。しかし九回には田沼は粘りに粘り、動揺した敵のエース小野沢は死球ふたつで同点をむざむざ許して自滅。その裏。栗原は何度も帽子を脱いで、汗で濡れて光るそのつばを見た。そこに何が書かれていたのか私は知っている。三つの言葉だ。「笑顔」「勝利」そしてひときわ大きく「強気」。ああ、確かにきみは唇を引き結んで強気を崩しはしなかった。わたしがその証人になってもよろしい。
 しかし白鴎大足利はそれだけで勝てる相手ではなかったし、彼ら自身もまたあまりにも少ないことしか学んでこなかった。最後の打球は右翼に落ちて、三塁側のスタンドは紛れもない勝利に沸き立った。ナインは飛び出し、彼ら自身を抱きしめあった。栗原はマウンドの頂に立ってうなだれ、もう帽子を見ることもない。激しい嗚咽がきみを捕えたのはしばらく後のことだ。

 ああ、昨秋、あなたがたはわずかに五回までのスコアボードしか持たなかった。それから激しく妥協のないあなたがた自身との戦いの日々が始まり、そして見よ。あなたがたの上には惜しみない拍手、混じりけない感嘆が注がれている。その帽子を握り締めて赤土のマウンドに立ったこの日を思い出す都度に、ああ、きみはいつも誇り高く強くいられるだろう。


-

- 2005年07月10日(日)

高校野球選手権栃木県大会、今年も開幕しました!
いがぐり坊主たちがぞろぞろしている。わたしはどうも、彼らが好きだ。

 文星芸大付属(元宇都宮学園)は10日、県内屈指の左腕・泉を擁し、三年前の甲子園出場校・小山西と対戦。初戦最大の好カードの呼び声高い。
 案の定、試合はもつれにもつれ、文星が序盤に5点を先制して突き放したとみるや五回、小山西が6点を返して逆転。かと思うと続く六回には文星が2点を奪って再逆転。息のつけない展開だ。しかし八回、小山西はついに同点に追いつき九回はいずれも得点なしで延長へ。そして十回裏二死、一、三塁。大出が二遊間を抜く中前安打を放ってサヨナラを決めた! 
 その瞬間、文星ナインは蹲り、短い夏は湿気のこもった熱い風となって彼らの上を吹きぬけていった。ああなんという短い夏だ。2年半にわたるあなたがたの刻苦胃精励は2時間半の激しくも短い戦いのさなかに粉みじんに散って、もはや跡形もない。
 その瞬間、亡き母の面影に甲子園の夢を捧げて北海道から栃木に至った主将・木村は県営球場の広い左翼フィールドに立って空を見上げていた。風景に散らばるチームメートが背を丸め顔を泥だらけにしてあられもなく泣いているのに、きみの表情はうつろだった。しかも豊かで寂しい物思いに満たされていた。きみは負けた。敗北を抱いて立ち去れ。わたしはきみを覚えている。

 惜しみなく泣きまた笑う子供らよ。情熱のまま思い定めた道を来たきみたちは知っている。ここで多くのものが終わると。わたしはそれを見届ける。
 これは愛か。単数形で呼びかける。わたしは君を明日、見ない。


-

- 2005年07月09日(土)

力いっぱい仕事をすると、いちにちいっぱい寝ていたようだ。

透き通ったプランクトンが水中にあって、しずかに屈折率を変えている。
てのひらを器にすくいあげたら、きっとこの手の熱でも溶けてしまう。
さらさらと。ああ、ミズクラゲはゆめのなかの生き物のようだ。

水底をゆくペンギンたちが旋回し、凪いだ氷の海が輝きわたる。
どうしてこれほど愛しく思うのか。
思うにそこにはジンニーア、あなたの幽かな足跡が印されている。


-

- 2005年07月07日(木)

極めて珍しいことに朝、起きれなかった。
なんだろうと思ったら、どうやら熱のある気配である。
多分、知恵熱だ(笑)

半日ばかりの休暇を申請して、丸くなってみる。
ああそれにしても、海へ行きたい。
水を飲みパンを食べたいように海へ行きたい。
連れて行け、ジンニーア。

半日のつもりが「今週末から忙しくなるんだから養生しろ」(上司)
休んでいいって言われると休みたくなくなるんだが…。
まあ、いいや。ってんで今日は昼から『ディープ・ブルー』。
ニタリクジラじゃなくってイワシクジラだった!
おかしいなあ、ああ、さっきの映像とは違うヤツだったんか。
ペンギンロケット……(知恵熱が余計に上がりそうだ)


そして午後四時半。ああ、スローで見る波は粘性の液体のようだ。
イルカたちがサーフィンしている。イワシはボールのようになる。
しまいに群はすっかり食われて、ウロコばかりが沈んでいく。
そして熱は上がる。これ、絶対、知恵熱だ!


-

- 2005年07月06日(水)

ヨナだ。ヨナ。ヨナになりたい。
頭上をゆくサメの群が青くにじみ遠く去るのを見送りたい。
海中を飛ぶ鳥の群を水面から見下ろしたい。
ジンニーア、あなたはまったく、どれほど豊かだ。

しかしシャチを見たあとにホオジロザメを見ると、
実に無骨で、ブリキのおもちゃのようだ。
シュモクザメにしろネムリブカにしろ、実に不恰好だ。
水底に連れて行け、ジンニーア、ジンニーア、ジンニーア!

-------------------------------------

 海は銀色の獣の息づく皮のようだ。波頭は砕けて白く散る。ククールは崖から身を躍らせ、輝く水面に向けて身を投げた。呪文は飛沫のごとくに彼を包んでその身を変え、水漬くよりさきに銀鱗輝く一匹の巨魚とした。胸鰭のあたりに一筆撫でたよう、美しい青い模様があった。
 ククールであり巨魚であるその生き物は、気泡をまといつつ水に沈み、尾びれを力強く一振りすると、海面近くに浮上して頭を北に向けた。水面は薄緑に輝きながら彼の周囲に波打ってさざめき、潮は周囲を廻った。
 長い旅になった。ククールであり巨魚でもある彼は空腹を満たすためにときおりイワシの群や若い海生動物を狩りながら、北上を続けた。おこぼれにあずかることを期待するパイロットフィッシュの一群が左右にひらひらと泳ぎ、扇のように広がった。彼は浅瀬を幾つか過ぎたし、嵐も幾つかやり過ごした。海底に沈む帆船のマストを幾度か目にしもした。海は次第にその様相を変えた。水はもう緑ではなく、ククールの目の色だった薄い青で、温度もずいぶん下がった。パイロットフィッシュたちもいつしかいなくなった。
 彼は独り旅を続けた。やがて氷の海が広がり、純白の上と鮮やかな青が交錯する氷山が頭上に並んだ。彼は一度頭上を見渡し、この鮮明なかがやきの世界に最後の一瞥をくれると、頭を先に深淵へと分け入った。
 水は冷たく、もう生き物を見かけることもない。光はまだらの帯となり、やがてちらちらと瞬く点にすぎなくなり、そのうちそれも消えた。彼はなおももぐり続けた。水圧はいよいよ厳しく、水はいよいよ暗くなった。
 ククールであり巨魚であるその生き物は、ようやく力尽きようとしていた。水圧はひどく厳しく、胸鰭も尾びれももう凍えきって動かなかった。あたりは闇が実体として立ち込め、もはや何を見出すこともなかろうと思われた。だがその生き物が息絶えようとしたその瞬間――
 水底に灯りがあった。それともそれは幻であったのか。ククールであり巨魚である生き物にとっては真実であったのだから、それは問題ではなかった。星のない永劫の夜のごとく果てしない闇のさなか、たった一つの光があった。最後の力をふるって近づけば、それは人の形をしていた。横たわった人の姿をして、わずかに首をかしげて目を閉じていた。金と青の衣装は水の流れに従って揺らめいた。彼は静かに水底の死者に寄り添い、白い塵の海底に横たわった。そしてそれきり動かなかった。


-

- 2005年07月05日(火)

『ディープ・ブルー』を衝動買い。
海の映像はいわずもがな、
音楽の素晴らしいことといったら!

こんな角度でニタリクジラやマグロやカジキマグロやニシンを撮った、
こんな映像はこれまでなかった。どこにもなかった。
なんと美しく、なんとかぎりなく、なんと素晴らしいのだろう。

口を開いたニタリクジラが突き進む、その貪欲さ豪快さ、
シャチに殺されたコククジラの子供が血を流し海をひととこ赤くし沈む、
その悲しさ、哀れさ、そしてそれらすべてをこえた巨大な感覚。
花開くようなカツオノエボシのその群、光に透ける触手やかさ。
ジェリーフィッシュのなんという繊細さだろう。
水辺のカニやそのほかたくさんのいきものたちのコミカルさ、
深海の名も知らぬふしぎな生き物の光と輝き。
ああ、水中を乱舞する海鳥の群。そのつばさに気泡をかざって。

わたしは、こうした美をあらわしたい。
作り出す必要さえない、自明のものたち。


-

- 2005年07月04日(月)

「にいさま、にいさま!」
 カランシアの叫びは暗がりに響いた。がらんとした地下の空洞はどこまでもどこまでも暗く、子供を取り囲んでいる。先を行く光はあまりに遠い。
「置いていかないで!」
 声は反響して、その末尾は消える。もうなにひとつ見えない。黙っていれば自分がいるのかどうかさえわからなくなってしまいそうで、カランシアは声の限りに何度も兄を呼び、助けを呼んだ。だがその実、遠ざかっていった光が兄だったのかどうかさえ定かでない。叫び、答えはなく――
「カランシア、どうした」
 揺り起こされて、カランシアはびくりと体を震わせた。ぼやけた視界は薄暗いが、近い体温と声がある。麻痺したような手を伸ばして肩を抱く腕に手を重ねた。あやすように手が伸び、額をなで、頬を包んだ。
「――夢を見たのだな?」
 それで、夢だったのだと知った。抱き寄せられるままに体を寄せ、響く鼓動に安堵する。自分より高い体温とかすかな体臭に、涙ぐむほど安堵する。
「震えている。怖い夢だったのだな?」
ああ、あれは夢だ。そうだ、マグロールがそう言うのだから、あれは夢だ。予見などではない。いつかはまこととなる未来などではない。


-

- 2005年07月01日(金)

「私は私自身の陰鬱な影を、月夜の地上に釘づけにしてしまひたい。
 影が、永久に私のあとを追つて来ないやうに。」
             萩原朔太郎『月に吠える』序より

萩原朔太郎の長女、葉子氏が亡くなられた。
残念ながらわたしはこの閨秀作家をその作品さえ知らないが、
しかしむやみに悲しい気がする。弔意を示したい。



萩原朔太郎の「青猫」は母の蔵書だ。
古びて色あせた文庫本のページをめくったのは小学生の頃で、
そんなガキにとって、詩人の言葉は飴玉だった。
私は1ページをなかなか読み終わらなかった。
言葉の響きを舌の上で転がし、愛撫した。

いま読み返すと、なんとはなしに詰めが甘いような感覚は残る。
インテリの甘えめいたもの、インテリの無知めいたもの、
そんなものが端々から匂うような気はする。
つまり彼は俗物であったのだろう、俗物の欠点は一つだ。
普遍ではないということ。

だがその響きと想念のノスタルジー。
いまは「氷島」の方が好きである。
幻想のメッキが剥がれ、影に捕まった詩人の苦悶は本当だ。


「 家庭
 古き家の中に坐りて
 互に默しつつ語り合へり。
 仇敵に非ず
 債鬼に非ず
 「見よ! われは汝の妻
 死ぬるとも尚離れざるべし。」
 眼は意地惡しく 復讐に燃え 憎憎しげに刺し貫ぬく。
 古き家の中に坐りて
 脱るべき術もあらじかし。」
        萩原朔太郎『氷島』より


-



 

 

 

 

ndex
past  next

Mail
エンピツ