- 2005年02月28日(月) うーんと。 - - 2005年02月27日(日) えーと。 - - 2005年02月26日(土) 「ランドルフ・カーターは三十になったとき、 夢の世界の門を開く鍵を失くしてしまった」 H.P.ラヴクラフト『銀の鍵』冒頭より 怪奇作家として知られるラヴクラフトの作品中、この小品ばかり美しい。作家カーターは生活の半ばを占めていた夢を捨て去ったが後に現実に倦み、銀の鍵を持って失踪した。誰もが彼は死んだと思ったが、彼をよく知る友人は、ランドルフは幼年期に帰っていったのだという。 自閉症で絵の才能を持つ天才少女がいた。生活能力はまったくなかったがスケッチの馬は生きているようだった。彼女は「世の中に適応させる」という名目で絵を禁じられ、訓練された。その結果バスに乗ることさえできるようになったが、医師はいう。「天才少女から天才を取り去って、あとには何をとっても世間並み以下の不幸な少女が残った。このような治療を行ったわれわれ医師とはいったい何か」。 家族や恋人の代わりに幻想を身の伴侶としているものから、その半身を奪ってはならない。それはその人間を永久に片環にしてしまう行為でありまた、魂の殺害にも等しい。彼らは一般に変人奇人と評されながら、その足は人の及ばぬ輝かしい彼岸を歩んでいるのだ。 - - 2005年02月25日(金) アンナタールは深い泉の底に立ち、静寂のその奥を探った。すでに破壊は大方終わっていた。記憶や感情、意志のひとつひとつまで。宝石を砕き城壁をこぼつよう。それらは反抗したが、彼を放逐することも行為を止めることもできなかった。今や泉は消滅しつつある。 かつてこの泉、ケレブリンボールと呼ばれたこの泉に豊かにあった文様、輝き、光。すべてアンナタールが消し去った。まだわずかに残っていたその残曳もまた消えつつある。 アンナタールは静かな満足感を抱いて微笑んだ。影の影のごときこの魂はマンドスのもとに行くこともない。エレギオンの領主、グワイス=ミー=アダインの頭立つもの、フェアノールの末裔なるエルダールは破壊し尽くされ陵辱し尽くされて――かつてありしことなきがごとし。 それこそアンナタールの望みであった。つまり誰ひとり何一つその男の所有を宣言することがなくなるというのが。そうだ、銀の手そのひとさえ。 完全な所有とは破壊にほかならなかった。アンナタールは頭をかかげ、そして中空にかすかな灯りを認めた。いぶかしみ近づけば、光は星。かのシルマリルにも似た燦爛たる澄んだきらめきを帯びていた。 「まだこのようなものがあったか」 アンナタールは囁いた。その手の先で、光は恐れるように激しく瞬いた。 「だがこれで最後であろう。これで終わりにしよう」 星は手のうちにはかなく砕け、そして影が落ちた。だがアンナタールは身じろぎもしなかった。ケレブリンボールの最後の星の砕ける瞬間にほとばしったもの、銀の手の領主がその意識の深みにうずめて誰にも見せずまた気取らせなかったものを知ったためであった。 「――我が君」 アンナタール、あるいはゴルサウア、あるいはサウロン。マイアのうちもっとも力あるものの呟きは静かであったが、その実世界を切り裂く悲傷に満ちていた。冥王の知ったのはケレブリンボールの愛だった。シルマリルの輝きすら欺くほどに明るく清い。このようなものが秘められていたと誰が予感しえたであろうか。だがそのうちにも影は落ち、もはや銀の手の領主はいずこにもない。マンドスにさえ、世の外の虚空にさえ。 「おお、我が君。今やすべての望みは死にました」 狂うがごとくアンナタールは叫んだ。両の目からは血色の涙が伝い、美貌を装った顔は悲嘆と慙愧と恐怖にゆがんだ。影は深まり、アンナタールとともにその底にひとつのむくろを残した。黒髪は嵐にあったごとく散り、その目は閉じられて開くこともない公子を。 - - 2005年02月24日(木) 悪龍グラウルングは笑った。モルゴスに似た瞳、悪意ある虚無たるその緑の瞳は揺らめく炎さながら燃え、ために太陽の光さえ陰った。 「フェアノールの息子カランシア、血に赤き顔よ。俺は運命を告げに来た。見よ、これなるはグラウルング。おまえの死だ。マンドスの扉の鍵はこの爪と知れ、サルゲリオンの領主よ」 カランシアは冷ややかに、しかし真っ向から龍の小暗い目を見て、しかも囚われもせず恐れもしなかった。恐るべき剛勇であり胆力であった。 「蛇よ、恐れを知れ」 その静かな声のどこかに警戒すべき何かを見出したよう、龍は首を曲げてエルダールの公子を注視した。カランシアは肩の高さ、水平に刃を掲げた。 銀の刃は陽光に燃え、公子の目の光に輝いた。ゆらりと長い黒髪が流れ、きらめきつつ星に勝る美貌を半ばまで覆った。 「おまえは、望みを持たず願いを持たぬ者の前に立っているのだ」 龍はたじたじとして一歩退き、しかし次の瞬間には怒り狂って炎を吐いた。灼熱の輝きは風を殺し陰り深いヘレヴォルンの湖を震えおののかせた。しかしどのような炎がシルマリルの創造主の手になる魔法の甲冑の公子を傷つけられよう。足速く高い帆桁の船さながら、公子は進み出て剣を振るった。 - - 2005年02月23日(水) ククールは知っている。捕らえようとするこの手に対し、兄の背は常に遠ざかる。届いたと思った瞬間にさえ、そうだ。そしてただ絶望するには、ひととき味わった幸いはあまりに大きい。 「行かねばならない」 朝が来たというように穏やかに淡々と、マルチェロが言った。緑柱石の瞳に陰はなく、ただ透き通るほどに誠実だ。憎しみという陰をなくした兄の、この痛ましいほどの強さはどうだ。あの最初の邂逅においておぼろげに予感した優しさと誠実さと静謐な強さ。だが自身の予見の正しさを喜ぶには、このときククールの思いはあまりにも苦痛に満ちている。 「……行かせやしないさ」 裁判や拷問や絞首刑の方へ行くのを、どうして許せるだろうか。悪と破壊に向かって行くのを許せなかったのと同じことだ。手を伸ばしてその頬に触れる。その体を抱く。振り払われることはない。だが。 「わかっているはずだ」 静かな声音が厳しく告げた。見上げれば、緑の瞳がのぞきこんでくる。 「聞こえないのか? 流された血の償いを求める叫びがサヴェッラから私を呼んでいる。この罪はあがなわれねばならぬ」 「だめだ、兄貴。だめだ」 「おまえの手を振り払うことはしない。だが私はいずれ行く」 「行かせやしないさ」 ククールは言った。マルチェロは黙した。だがククールは胸のうちに言う。行かせはしないと。そのためなら、なんだってするだろう。 兄弟…! ぐるぐる回転は変わっていないようです。 マルチェロは自閉状態から抜け出したようですが経緯がわかりません。 ククールは兄が戻ってきて黒くなった…。 - - 2005年02月22日(火) 目覚めよ、祈りは眠りにまさる。 祈りは眠りにまさる。いざ、立ち出でて祈りにつけ。 マルチェロは目を開いた。朝を告げるのは森の向こうの教会の鐘だ。遠いマイエラの朝そのままに、澄んだ音色は春の朝を渡ってくる。言葉にもならぬ懐かしさに、寝台に座ったままじっと身じろぎもしないでいると、傍らに人の気配の寄るのを感じた。 「ククール、おまえか…?」 振り返らずに問う。それ以外に誰もここにはいないことは知っていた。常に寄り添っていた悲しみもない。憎しみも。ながいあいだ希望であり願いであると信じていたそれらが、実のところは躓きの石であり足を噛んだ罠であったと知ったのはつい先ごろだ。返事のないまま肩の上にひとつの手が置かれた。マルチェロは少し笑い、その上に自分の手を重ねた。 曙光は射し初めぬ。見よ、燦爛と露は輝く。 これぞ奇跡ならんや。夜は今ぞ明くる。 すがるようにまたどこにも行くなと訴えるように、ククールの腕は背後からマルチェロを抱きすくめる。マルチェロは黙ってさせておいた。窓の外で黎明は布をはぐように朝に変わってゆく。鐘は高く響いた。教会では祈りが唱えられ、清めが行われていることだろう。石の壁の内にどのような暗い思いが巣食っていたとしてもと、マルチェロは考える。鐘の音は澄んでいた。 長い暗闇の日々のあとで、洗い漱がれたように暗い想念は去った。だが罪はどうだ。犯された罪は世界の傷。癒えはしても消えはせぬ。そして己の上にはあまりにも多くの罪がある。償いはなされねばならぬ、と、マルチェロは己に告げた。常にそうであったよう、己にもまた今や愛するに至った弟にも、刃のごとく峻厳として。 新たなる朝ぞ、喜びに満ちて祈れ。 太陽は日々に新しく、楽の音のごとく生まれ出でり。 - - 2005年02月21日(月) マルチェロは頭をもたげた。その頭上に輝く真昼の光がかかり、初夏の爽やかな香が大気に満ちていた。だがそこばかり光届かぬ緑の泉の深みのごとく、あるいは緑陰深い森のごとくその緑柱石の瞳は陰に満ちている。そこまでククールの見たとき、マルチェロが振り返った。 「――…」 何か言おうとするようその口が開くのが見えて、ククールの鼓動ははねた。あの声は呼ぶだろうか。この名を呼ぶだろうか。冷ややかではない声で? あまりの恐れに目眩むのをおぼえてククールは祈るよう目を閉じた。 頬に触れるものがある。やわらかくはない。だが金属でも樹木でもない。ククールは震えながら目を開いた。もしも、もしも―― 立っているのは彼の兄だ。その瞳がすぐそこにある。すぐそこに。彼の兄が手を伸ばしたその距離。指先は頬の上にある。そして涙をぬぐっていく。泣いていたのだとククールは悟り、それ以上に言葉を失った。涙ににじみ、ややもすれば形を失いかける世界の中で―― マルチェロは微笑した、ククールが幾度となく夢見たよう。 「泣かなくて、良いのだよ」 あやすように語りかけてくる。子供にそうするよう。両手を伸ばし、ぼやけた青い布をつかんだ。額を押し当てれば、そのまま抱き取られる。 「もう一人では、ないのだからね」 ククールはうなずいた。幾度となくうなずいた。これが夢であればとククールは痛切に願った。これが夢であればけして目覚めないようにと。 - - 2005年02月20日(日) オスト・イン・エジル(エルフの砦) 城壁に囲まれた都は二重の円環よりなる。外環は庭園、内環はグワイス=ミー=アダインの仕事場と居住区。 定住者は千未満。人間社会に比べて1/10程度の密度でほとんどがノルドール。工匠たちの都。ヴァリノールに勝る美を、とかれらは願う。 庭園の東屋に彼らは学びつつ逍遥し、書物を紐解き、知識を伝えあう。また祝祭の日には木々は飾られ、着飾ったエルフたちが音楽をかなで歌い踊る。だが男たちは一度、工房に入れば数日から数週間にわたって精魂を傾ける。女たちは織りまたつむぐ。生み出された富はモリア、フォルリンドン、また遠く西方国までも交易によって運ばれていく。 定住者もまたしばしば遠くまで富や知識を求めて旅する。領主ケレブリンボールは自分自身、一人の工匠である。彼は魔法をエネルギー源とする巨大な歯車をそなえた炉を作り、研究を続けている。 - - 2005年02月19日(土) 雨のにおいのするコート 疲れ果てて迎えた週末、目覚めればすでに午後。屋根からは雨の音。空腹を覚えるが冷蔵庫の中はいつも通り空。たった一人で住み、日常的な愛情をおよそ拒むことにはこうした不都合がある。 傘がない。コートを着込んで近所のパン屋に向かう。雨は上から降ってくる。春に先立つ雨だ、冷冷たくもない。八十を過ぎた店番の老婆からコロッケパンを買って道を折り返す。雨は無言の私の上に落ちてくる。 他人に逢うことは性行為に似ている。粘膜をこすりつけあってすり減らす。少なくとも私にはそうだ。忙しかった週には、週末は面前を犯されたくない気持ちに満たされる。私は繭のような部屋にこもり、丸くなって眠る。何冊かの本はどれも薄暗い洞窟に似て私を誘いこむ。明るい日差しのような本を私は休日に読まない。そして私は暗い洞窟に竜のように長々とうろこのある体を横たえる。一人で。 -
|
|