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終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2004年05月24日(月)



死を思う。
想念の中で死はたいてい私的で秘密なものだ。
だが現実には死は社会的なものだ。あらゆる現実の些事に関わるものだ。
誉められもすれば冷ややかにも見られるものだ。

だがこの心の中で。

だがこの心の中で、わずか一瞬でも。
わずか一瞬でも秘密なものとして悼まねばならないだろう。
死は死。一人の人間として一人の人間の逝くのを哀れむ思いを失ってはならない。


この花は私の心を痛打した。
私もまたここにこの花を捧げる。見も知らぬ二人へ。
あなたがたの冥福を祈ります。


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- 2004年05月23日(日)

長い長い長い手紙を書きたくなることがある。
日記とは違う。手紙は読まれることを必要とする。
問題は送る相手がいないことだ。だがまあ、いいだろう。
ここに書けば、誰かが読まないとも限らない。




今週は忙しくて疲れていたし雨だったので、今日は一日、家にいました。
買って放っておいた本を読んだり、ニュースを見たり、料理したり。
料理といって簡単なものです。野菜やキノコを切って鍋で煮るだけ。
私はキノコがとても好きなので、シメジやエノキは必ず入れるんだ。
ほんとは洗濯や掃除もしなくてはいけないのだけれど、
なんとなくそれでもうやる気がなくなって、あとはゴロゴロしてた。

昼頃、ふっと、今日はまだ誰とも話していないことに気づいてね。
ん、これはどうなんだろう。26にもなるのに一人の休日。
誰かと会うのは仕事や外出のようなハレのものになってる。
それだけじゃない。料理も洗濯も掃除も、よしっと気力がいるものになってる。
これはどうなんだろう。生活の地としてのケがあまりにも程度が低い気がする。
そう思ってちょっと午後は落ち込んでた。
疲れてても山に登ってカメラ持ってウロついてた方がよかったのかね。
でもそういう問題でもないか。どう?

写真をさ、撮りたいんだ。
夕方つけたテレビで足尾の映像が流れて、ああ行きたいと思った。
でも行って何を撮りたいんだろうね。
故郷の山々を再生させた人々の手の跡そのものの緑なのか。
巌を露出させたグロテスクな死んだ山肌の陰影か。
これは単純な話じゃないよ。私が何を見ているかということなんだ。

私はきっと、死んだ山肌を撮ると思う。
つまり私は、遠慮会釈なく人間の罪悪を映す鏡として足尾を撮る。
しかしそれは実りあることだろうかと疑問を抱くんだ。
それは私自身のグロテスクさでしかないんじゃないだろうかと。
私が人間を嫌うのを正当化しようとしているだけじゃないかと。

そう、私は人間が嫌いなんだ。
生きている人間は余計に嫌いなんだ。悪いことばかりする。
人間ばかりだ、こんなに悪いことばかりして生きているのは。
誰かが傷つくたび私はほっとする。なにか正当なことが行われたような気がして。
変でしょう? うん、変なんだ。理由なんか知らないよ。

人間は素晴らしいだろうか?
そう信じることは私にはできない。
人間はどんなこともできるものだと思う。
でもそれだけだ。どっちかというと、回り見てると嫌いになることのが多い。
自分を見ていてもそうだ。だからそんな絵ばかり撮ってる。
でもそんな絵ばかり撮りたいわけじゃないんだ。

花が好きだ。野生の花も好きだし、園芸の花も好きだ。
園芸の花には複雑な美しさがある。情熱とひとの手を感じる。
ただそれはわずかも間違えればグロテスクになるものだ。
町となるともうだめだ。あんまりグロテスクで私は感覚を麻痺させるか、
それともグロテスクなものをそれそのものとして撮るしかない。

ねえ、次の休みには足尾に行かないか。
グロテスクなものを避けて家にいる自分がグロテスクに思えて仕方ないんだ。
会ったときにはきっと何も話さないと思うけど。


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- 2004年05月22日(土)

字書き

モノを言うのは難しいことだ。
そうだろうか?
きちんと考えていないから難しく思うだけではないのか?
……そうかもしれない。

なにを言いたいのか、意見をしっかり持っておくこと。
自分自身の意見についてきちんと評価を加えられるようにしておくこと。
私の本棚のように頭の中まで乱雑では、忘れるばっかりだ。




ああ、ねえ。
私は一人でいるのが好きだけど、それはもしかしたら貧しいことだろうか。


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- 2004年05月19日(水)



町の真中でドンパチやるなっての(怒)
18日から20日早朝まで宇都宮中心市街が見ての通り通行止めになった。
立てこもりヤクザ男のせいである。
そりゃもー周辺は混むしヤクザみたいなのがウロウロしてるし…。

警官の突入と同時に自殺したとのことだが、あまり同情心はわかない。
一番悪いのはヤクザだがその次に悪いのは神奈川県警だ。

写真は手前が機動隊?かな。後ろのノッポビルが事件現場のマンション。


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- 2004年05月17日(月)

沈黙の領域に

山が好きだ。なにも聞こえない場所が好きだ。
もちろんなにもというのは間違いであろう。
そこでは風も吹く、鳥も鳴く。

だが人間世界は沈黙している。人間世界の濃度は低い。
そこは沈黙の領域だ。私はそこが好きだ。
名前は探すほどしかなく、人の臭跡はか細く途切れがちだ。

そこではいろいろなものがよく見える。
言葉を発するにはそれに先立つ沈黙がいる、と、誰か言わなかったか。


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- 2004年05月16日(日)



雨中のヤシオツツジ。
光に透け水滴が浮かび、細い枝とあいまって、つくりもののような繊細さ。
不安で悲しみに満ちた祈りのようだ。

で、これどこかって?
日光連山、袈裟丸山。ちなみに土砂降り…(へっくし)


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- 2004年05月15日(土)

行ってきましたローズ・ガーデン。



黄色いバラ。
渦巻く形の美しいものを見つけるのに苦労。
生き物だからね、そうそう美意識に沿って生えてはくれない。



逆光の花。



刺。


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- 2004年05月11日(火)



インド人とカレーを食いに行ってきた。
もっとも相手は日本語が堪能だから会話に問題はない。
インドのことを聞きたかったのだが、
オウム真理教に話がいった。

「オウムというのはインド人にとって神聖な真言です。
 だから報道されたときはみな、真言を汚した教団に腹を立てた」

どの程度真実なのかはよくわからない。
しかし、そうだ。これは面白いことだ。


久しぶりの写真は黄色いバラ。母上が大好きな花だ。


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- 2004年05月08日(土)

かつて黄金なりしが。

そろそろ行こう、そろそろ行こうと考えてもうずいぶんになる。
だが肉の底に骨を探るようなこの思いは正しいのだろうか?
いや、正しいかどうかなどということはおそらく意味がない。
私が肉の底に骨を探っているということが、
そうしたことに時間と視力を使っていることが、
それ以外のことをしているよりも実り多いかどうか。
だがここに堂堂巡りのワナがある。
実りの多寡を決めるのは私なのだ。


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- 2004年05月04日(火)

おめでとう、おめでとう!

高校時代の友人の結婚式だった。
きれーな花嫁さんだった!
どうか幸せに、いつまでも幸せに!


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