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終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2004年03月19日(金)

何かをなすほどの人と話せば。

問い返す、私自身に。
ほんとうに、ほんとうに私は手立てを尽くしただろうか。
ある一つのことを言うために必要な事を、尽くしただろうか。
私の渡った危ない橋は、それは、ほんとうに危なかったのか。
私自身の努力と知識の欠如が、その危うさであっただけではないか。


「それが真実かどうかは知らない。それは常に知られていない。
 だがそれが真実であると思量するに足る材料があるなら、
 そしてそれを伝えねばならないと信じるなら、
 そのときは口を開かねばならない」


肝に命じる。
私は行ける。私は行く。
そして私にできることは、必ずする。


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- 2004年03月17日(水)






光の木、光の花。
庭先写真だな。あんまり面白くない。
マクロ持って行けばよかったんだがね。



……まいったなー。
舌の根も乾かないうちに危ない橋に片足突っ込んでる。
また魔界の夜に目を覚ますのか。
だがそうだ、私は約束したはずではないのか。
私にできることはやる、と。

そしてこれもまた、そうだ。
これまでしてきたことを正当とするには、やらねばならないのではないか。


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- 2004年03月16日(火)



もう少しわかりやすく撮れよ。>私
梅です、梅。


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- 2004年03月15日(月)

疲れてます。

土曜は川越市、日曜は川崎市。
今日も明日もまだまだ忙しい……。

ああ、花かなんか撮りたい(しくしく)
燃え盛るような夜桜を撮ろう。
ちょいシャッター速度を遅くして、風の夜に。

ライトアップした桜のその枝が、花が、ああ揺れ動くさまを。
どんなにかそれは美しいだろう。誰も見たことのない夢のように。

桜だけでない。
カタクリが咲く菜の花が。
四月に入ればミズバショウ、ああ。
五月には藤が咲く。美しい季節が来る。


にしても、プーチンはアレだ。
ツァーリの貫禄をつけてきたなあ。
あの表情のない冷たい瞳はいったい、ロシアをどこに導くのか。
彼は何者だろう。彼は何を願うだろう。
彼はそうだ、いつか多くの物語に書かれることになるだろう。


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- 2004年03月14日(日)

謎がある。

(1)
携帯電話を持つようになってとんとお世話になることの少なくなった公衆電話。
この一種でIC電話というものがある。
硬貨ないしICカードで使用できるはずだが、
このICカードを見たことがない。

あんまり見ないので、
IC電話を置いてあるコンビニで「おいてますか」ときいたところ
やはりなかった。

実はICカードなんかなくって、あるフリしてるだけだったら面白いかも。
政府とNTTの巨大な陰謀。幻のカードに秘められた謎をめぐる某国の陰!
そんなことして誰にナンの特があるのかは知らんが…


(2)
ローカルネタですいません。
JR宇都宮駅2F、新幹線出口付近のライオン像。

なぜ通路に尻を向け、柱を向いているのだろう。

しかもこの尻、妙に細かく作ってあって、
女としてちょっと口にしにくい部分までちゃんとついてるもんだから、
こりゃもーなんつーか。
ええ、猥褻物陳列罪じゃねーの、と…
思うわけですよ、ええ。

宇都宮に来る事があったら、まあちょっとチェックしてみて下さい。


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- 2004年03月13日(土)

仕事始めて約二年。
うっかりではなく(…)確信犯で渡った橋三つ目の危ない橋。
上司がイヤな顔してたけど結果オーライ、吉と出た(笑)
たまには冒険しないと人より一つ上の結果なんて出せないよ。
…と思いつつ、もう二度と通りたくない。あの魔界に続くような暗い夜の道。


魔界という語彙をここしばらく使ってなかったことに気付いた。
なおここ最近三行以上の文章のせなかったじゃん、というのは置いとく。
魔界。これはよく世界征服を企む魔王が住んでたりするのとは別のとこである。

入りこむのは簡単な場所で(例えば浅田農産の会長のように)、
しかし出ることは困難な場所である。

私はそこを垣間見たことしかないが、暗かったし怖かった。
世界に自分一人しかおらず、しかも自分が善を遠く離れている感覚がつきまとう。
よるべなく、孤独で、恐ろしく、しかも抜け出る道がない。


幼女連続殺害犯・宮崎勤が言ったそうだ。
「(犯行は)すべて、さめない夢の中で起きたことのようです」

神戸連続児童殺傷事件の犯人の少年Aが書いたそうだ。
「俺は真っ直ぐな道を見失い、暗い森に迷い込んでいた」


さめない夢、暗い森―
推測にすぎないが、そうした語彙は私の知る魔界と似た風景を持っている。
そのなかで私は自分の手を離れて自分の行為が遠くを走っていくのを見るのだ。
暗がりをヘッドライトをつけて走る車を遠く見るように。
手放しがたい記憶が自ら放たれて自分自身の人生から遠のくのを見るように。


――…やっぱ、もう危ない橋は渡ンない。


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- 2004年03月11日(木)

テロと戦争の時代

 スペインの首都マドリードでテロが起きた。11日午後7時現在で62人の死亡が伝えられている。もっと早く気付くべきではなかったか。21世紀の運命は9・11のときに決まっていたのだ。強大な国家権力による戦争と衝突、武器を手にした過激派による最小の資源と人力で最大の死傷者を招くテロと虐殺、戦争とテロの時代だ。
 夜ごとに人々はいかなる危険もなく異国にある己が国の兵士の姿をテレビで見るだろう。朝ごとに家を出る人々は、今日は無事に帰宅できるだろうかと思いながら、国家の中心である大都市に向かって足を運ぶだろう。
 例えばエルサレムでは、それは30年もまえから見られた風景だ。だが「私たち」は、いったい己が町をそうして歩くだろうと思っただろうか。戦争は常に遠くで起きる、「私たち」にとっては。だがテロは自ら「私たち」のもとにやってくる。この二つの違いはあるいはそれだけかもしれない。
 闘争の主因たる主張というものが東西という巨大で政治的なものから、民族や宗教といったより卑近でしかもより捨て去るに容易でないものに変わるということを、その意味をもう少しよく考えるべきではなかったか。
 こうなってくると、オウム(現アーレフ)のやり方は、世界的にはありふれたものだったと言わざるをえない。次にテロが起きるなら、起こすのは誰だろう。


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- 2004年03月09日(火)

月光の色温度は太陽光と同じである。
この意味がわかるだろうか。
長時間露光で夜間の写真を撮っても、
写るのは太陽光で昼間に撮ったのとまったく同じ光景なのである。
おわかりだろうか、月光で撮っても青くはならない。

まあ、普通に考えて月光は太陽光を反射しているだけだからね。
そうそう変わるわけがないということだ。
しかし例えば8日の写真は青っぽい。
また月光写真と題して青っぽい写真を発表し続けている写真家もいる。
これはどーやってんのか。

色温度を調節するんである。
カメラに「これは赤っぽい電灯の下です」と思いこませる。
それによって色を補正させ、青っぽくする。

ここに知覚と記録の違いが生じる。
つまりはそういうことだ。


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- 2004年03月08日(月)



3月5−6日の写真に関するメモ
撮影場所:栃木県日光市、大谷川。
撮影日時:3月7日午後9−11時ごろ

3月7−8日の写真に関するメモ
撮影場所:栃木県宇都宮市、鬼怒川。
撮影日時:3月8日午後11−12時ごろ

「あんたいーかげんしなさいよ」的冷たい視線にさらされながら、
今日も行きます無謀撮影。月がきれいなので、月光写真を撮りたかった。
ところがこれがけっこう難しい。おまけに寒い。
大谷川はあまりの寒さに指先赤黒くなったので諦めて帰還。
あらためて鬼怒川(近場)でチャレンジしました。
しかし一枚撮るのにだいたい1分はかかる。長い。
まあ、もーちょっとあったかくなったら再度チャレンジせんでもない…。


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- 2004年03月07日(日)


知覚は無定見だ。そうではないか?
私と写真とのあいだに時間という小さな溝がある。
最近気付いた。そして最も小さな溝こそ最も越えにくい溝だということも。


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- 2004年03月06日(土)


そしてこれは奇妙なことではないか。おそらくは。あるいは。
凍える河のその河畔に立ちながら、私はとりとめもない言葉を並べていた。


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- 2004年03月05日(金)


どこにもない風景をデータとして積み重ねるカメラの横に立ち、
私はどことなく孤独な思いに囚われていた。


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- 2004年03月02日(火)



特大!鐘馗様に悪を祓ってもらいたい今日この頃。
ごめんなさいーごめんなさいー。
迷惑かけてごめんなさいー。
もうやらないつって何度やったろ。
時々、辞表書きたくなる。(しょっちゅう、か…?)


ねえ、ほんとに。
かけれる言葉なくって。どうすりゃいいかわからなくって。
だからなんにもいえなくって。いえないのは申し訳なくて。だから余計、ごめん。
ねじくれてひねくれた言葉でも、汲んでくれたことがうれしい。
いつか話そう。なにか話そう。いまはわかんないけど、なんか話そう。
そうしてそれがあなたにとってなにかであればいいとこっそり願うよ。
ほんとに、心から。


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- 2004年03月01日(月)



一頭の馬が撃ち殺される。
それもつまり、夜が来たため。
葬儀には空のすべての鳥がなくよ。


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