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終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2003年10月31日(金)



勝利を望んで駆けるものは、ときに虚無を見る。
とりわけ前に誰もいないときには。









メモ:
ものごっつい粗い画像なのは、要するにシャープネスをかけまくったから。
しかしこっちの方が、もしかして本当かもしれないと思う。
彼は粗い粒子でできているようだ。その鮮烈さにも関わらず。
そういえばそうだった。愛される人間はしばしばこの世の外により多く住む。
少なくとも私はそう思いたがっている。彼に限らず。


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- 2003年10月30日(木)



 魔法の笛を吹き始める前に、老爺がいつものように言った。
 「王様、よく覚えておいて下さい。
 あせるとしくじる。
 しゃべるとこわれる。
 しくじったらまた始めから」
 笛の音にあわせて、太陽よりも月よりも美しい娘が踊り始めた。


1:
出典をすっかり忘れた。
頼りは記憶だけだから、内容はともかく字面もいいかげんである。
なんだっけ。わがままな王様が魔法使いの娘に恋をするのだが、
魔法使いは王様に娘の代価として十年の労働を課す。

王様は娘に惚れてるのでしょうがなくもくもくと働くのだが、この魔法使い、
温情なのかいじわるなんだかなんなんだか、夜毎王様に娘の踊る姿を見せてやる。
冒頭の但し書きつきで。

で、王様が我慢できずに触るともう一度やりなおし。
結局、物語はハッピーエンドになるのだが、都合三十年くらいかかる(笑)


2:
「あせるとしくじる/しゃべるとこわれる」

これ、座右の銘にしようかなー、と思っている。
仕事の都合上、デッドラインがある。日に一度くらい(笑)
で、この〆切りというヤツが、私はどうにも苦手だ。
意識するだけで頭の回転が6割に落ちる。ただでも頭悪いのにヨ。

普段は事前準備とフォーマットでなんとかやっているが、たまにどーしても困る。
頭まっちろんときに落ちつく方法ってないだろうか。
やはり蓄積と経験と普段から考えておくということなんだろう。

考えるって、普通に思われているより、多分ずっと大事だ。
経験だって、考えて消化しなけりゃ、そんなん馬齢だ。
落ちついて、落ちついて、考えて。

でないと
「なんということ。また最初からやりなおし」
ですねい。仕事するぞー!(ぐおー)


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- 2003年10月29日(水)



湧き立つ水が言った。私はここにいるんですか?
あなたは、と朝が答えて頭上を渡った。いないものが見えるとでもいうのですか?
私は言った。ここにあるとみえるものがあるとは限らないけれどね。
しかしまあ、と、小石がにやりと笑って言った。あるということにしましょうよ。


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- 2003年10月28日(火)



関東は地震が多い。
夜中に地震が起きると私は起きる。私は地震が怖い。
そうして私はたいてい一人なので、一人で丸くなる。
朝はたいてい遠すぎるように感じられる。
それでも一本の草ほどに心から、朝を待つしかない。






メモ:
日本の映画はすべて漫画である。
イギリスの映画はすべて演劇である。
欧州大陸の映画はすべて小説である。
アメリカではすべてが映画である。…私見である。


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- 2003年10月27日(月)



見えますか、と、私は尋ねた。
はい見えます、と、Aは答えた。でも何もないんです。
それはつまり、と、私は言った。見えないってことですね?



写真解説:
宇都宮市で26日に行われたジャパンカップの一コマ。
某氏曰く、チャリンコレース。ミもフタもなし。よく晴れた日だった。


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- 2003年10月26日(日)



翼を得て空駆けることはできるだろうか。
海原を草原を行くように行くことはできるだろうか。
一切の苦しみを放れてどこまでも行くことはできるだろうか、と、Aが言った。
いいから黙ってスープをお飲み、とBが答えた。
飲み終わったら歩いて行くことだ。一歩ずつ。それでけっこう遠くへ行ける。
死ぬまでにはね、と、私は付け加えた。そんなものさ。


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- 2003年10月25日(土)

サイテーだ。

連敗から始まった日本シリーズで三連勝。一気に王手。うれしくないわけがない。
だがサイテーだ。甲子園には金輪際行くまい。

二十四日日本シリーズ第五戦、八回裏。
ダイエー内野手・川崎とランナー・秀太が二塁で激突。
川崎は弾き飛ばされ、グラウンドに仰向けに転がった。
川崎はこのとき脳震盪を起こしていた。

問題はここからだ。スタンドからは川崎に向けて「はよ起て」コール。
起き上がれない川崎が担架で運ばれるのに向けて携帯電話のカメラで撮影ラッシュ。
秀太のプレイ自体は(テレビで見る限り)意図的なものではなく問題はない。
だがファンはサイテーだ。むしろファンを名乗るな。なんだこれは。

そしてなぜこれを問題にしないのか、マスコミは。
阪神ファンのマナーの悪さは今更ということか?

熱狂は当然だ、むしろファンは望んで熱狂するべきだろう。
だが一方で醒めた常識と人間としての良識を完全に忘れれば、
それはもうひいきの引き倒しになるだけだ。
きちがいざただ。ファンというのもおこがましい。


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- 2003年10月24日(金)



これ、電話なんだ。
うん、どこにも通じないよ。
壊れてるんじゃないんだ。だって、本当のことは口では言えないからさ。
そこのとこをわかってよ。そうしたらコインを入れて。


……筆者近影。以上。


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- 2003年10月22日(水)



私は天空に上った。私の乗機は鉄の翼に光を受けた。
天の果てには黄昏の残映がある。緋色の光の帯がある。
私は翼を翻した。視界の端で、地上はもう夜だ。
見上げる目の中で、今、私は一つの星だろう。


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- 2003年10月21日(火)

髪がのびた。
どうやら私は髪を伸ばす気でいるらしい。


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- 2003年10月20日(月)



遠い昔の話をしよう。先週の金曜日のことだ。
とても遠いところで悲劇が起きた。二丁目先の交差点で。
悲劇だったよ、街路樹から一枚の枯れ葉が落ちたんだ。
悲劇だったよ、小さな虫が軸を食べてしまったのさ。
そして葉が落ちたとき、小さな虫も一緒に落ちた。
そこへ私が通りかかり、葉と虫はともに踏まれ潰れて死んだよ。
そうとも私が踏んだんだ。ああかわいそうに私の靴!と父さんが言った。


―――――――――――――――

ペンとノート。

ノートは最初、値段がつく。
これはただ単に紙だから、紙の値段しかしない。
だが最後には、値段の幅はどれだけ広がるだろう。
ということを、ふと考えた。

考えたきっかけは、友人からもらった黒い革表紙のノートである。
同じ色のゴムバンドで閉じられるので便利で、ずいぶん重宝している。
さてこのノート、見返し部分に罫線が引いてあって、
そこに名前と住所など書くようになっているのだが、
その最後の部分に「これを返してくれた人には――円差し上げます」
ということが英語で書いてある。

最初は空欄にしておいたのだが、今夜埋めてみようとしてはたと困った。
いったい、このノートに幾らの価をつけるべきか?
まだ三分の一も埋まっていないが、間違いなくこのノートは無くせない。
仕事の上で機密扱いの事項がびっちり書いてあるからだ。
しかも今後ページが埋まっていくにつれて、より重要さは増すに違いない。
幾らの価をつけたとしても、正しい価格をつけるには、
そのうち値上げをしなけりゃなるまい。

もっとも正直に価格をつける必要は必ずしもない。
拾った人が返してみようと思うだけの値段を書けばいいのだ。
もちろん私はそうした。

しかし奇妙なものだ。
価格は書かれた文字にしたがって上がるだろう。
だが私にとってこのノートは空白がなければ意味がないのだ。
たとえ十八年前の阿部さんのノートであっても。
空白と情報と価格の不条理。

実際まったく奇妙なものだ、奇妙なことだ。
生きていくとはこういうことか。


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- 2003年10月19日(日)

ずいぶん久しぶりに上京して、それよりもっと久しぶりに弟に会って来た。
晩飯など食わせながら近況をいろいろ聞いていると、元気でやっているらしい。
先輩にはかわいがられ、勉強はほどほどとか。友人も随分多そうだ。
ま、もともと心配する必要などなかったが、実際話してみて安心した。

ところで、昔、私は弟に、生物学と物理学の講義をよくしていたらしい。
らしい、というのは、弟に言われるまで私はすっかり忘れていたからだが。
なんでそんなことをしていたのか、よく覚えていない。
おおかた、自分の頭を整理するついでだったのだろうと思う。
弟はわかりもしない学科を聞かされてうんざりしなかったのだろうか。
今となってはわからない。だって、私は覚えていないし弟は礼儀正しい。

今日だってせっかくの休みを姉に潰されて内心うんざりしていたかもしれない。
しかし、今日については腹いっぱい食わせたからいいだろう。<動物か



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- 2003年10月18日(土)

電話するあてもない午前2時の人恋しい紫煙と雨音。
夢紡ぐにはあまりに私は大きくなりすぎた。


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- 2003年10月17日(金)

袋小路にいると気付くのは、いつでも入りこんでからだ。
魔界にいると気付くのは、いつでも出口が見えなくなってからだ。
さあ出るぞ。(それとも出るとは奥底へ落ちることか、それが生きることか)

タイミングの問題だ。
人は一度見きりをつけたら驚くほど冷淡になる。
映画はどうしたって、必ずどこかで決めなきゃいけない。
見れるか見てられないか。その先どんなどんでん返しがあったとしても、
すでに見きったものの目は、そのときにはもう、感動してみようともしない。
本についてもそうだ。人間関係も。見きりはつけなければならないから。
デッドラインはある。越えてしまえば戻れない。遅すぎると言うだけだ。

Time could be over, I could be over, and you could.
(こんな表現はない。だがする。これもなにがしか意味を伝えるだろう)

まあ、そういうわけなんだ。


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- 2003年10月16日(木)

最近、自分がどうやって話していたかを忘れかけていた。
学ぶことは必要なことだが、自分自身を置き去りにしてはならない。
必要なのは今自分が何をしたくてそれはどうすればいいのかということ。
これもまた、学ばねばならないことのひとつだ。しかも繰り返し。


風邪っぴきがひどいので休みを頂いた一日。何をしていたか。

→ビデオ鑑賞「ユージュアル・サスペクツ」B・シンガー監督(ギャング)
      「乙女の祈り」ピーター・ジャクソン監督(サスペンス)
           ……あれーどっかで聞いた名前だぞー(笑)

→読書「毒言独語」山本夏彦著(エッセイ)
   「大空のサムライ」坂井三郎(戦記)
   「パイド・パイパー」山岸涼子(マンガ)
           ……自民党ちっくだなー、保守派だなー……

→使ったティッシュ「箱」「ロール」各一コ(パルプ製品)
           ……鼻は赤剥けゴミ箱いっぱい。


普段の日より疲れたっぽいのはなぜだ。
でも咳とまったし、だるいの抜けたし、もうかなり大丈夫だ。
明日は元気に職場に復帰するぞ、わーい。


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- 2003年10月14日(火)

最近、“昔の”メジャー映画ばかり見ている。
クラシック、古典、名作と呼ばれるほどは古くなくまた上質でもない。
わずか五分の出番のために探しまわる……イアン・マッケランが憎いです。
しかしちらっと出るカットにも思わずサーと呼びかけてしまうこの病の深さ。
それよりなにより睡眠時間が消失しそうです。いやもうしてるのか。
日付が変わってからビデオを見始めるこの不条理。サーへの愛がこわい。
こんなに俳優にはまったのは、生まれて始めてだ。

「ゴールデンボーイ」
「ゴッドandモンスター」
「X−men」「X−men2」
「ロード・オブ・ザ・リング」
「恋の闇、愛の光」
「ベント―堕ちた饗宴」
「リチャード3」
            …以上、すでに制覇。

「ラスプーチン」
「赤ちゃんにバンザイ」
「輝きの海」
「運命の瞬間」
「スキャンダル」
            …現在捜索中。

なぜこんなにサーが好きなんだろうなあ。
私が知ってるなかで一番「役者らしい」からかもしれない。
演技というものを心得ているからかもしれない。
そして時々その上をいくからかもしれない。

サーに「意外性」というものは、厳密に言ってない。
彼はけっしてコケない。彼は正しく役割をこなす。
役割に退屈したときは、鮮やかに作品全体をのっとる。
彼は安心して見ていられるのだ。だからこそ、彼の遊びは私に楽しい。
彼の挙措の一動まですきはないということがわかっているから、
私は彼を楽しめる。張りぼての向こうをのぞいてしまうという心配なしに。


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- 2003年10月13日(月)



風邪ひいちゃってもう大変。
声が出ないのに仕事の電話がばんばんかかってくる不条理。
どーしろっつー…。

無線機買いました。やったね、消防無線聞き放題。
…でもあんまりかかってないね…平和だ。
いいことなんだが…なんか損した気をする私。




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- 2003年10月11日(土)



とても珍しいことに、人間の子どもを撮ってみた。
基本的に肖像権やプライバシーは触らぬ神にタタリなしという方なので、
人間の顔はのせない。でもこれはまー…いいんじゃないかね。
知らん子だけど、特定できないでしょう。まず。
いやーしかし、まんまるですねぃ。…転がっていきそう。
もう少し背景を工夫したかった。しかし切り貼りキライです。
そこになかったものを作るなら写真でなくていいんだから。

これは栃木県鹿沼市で11・12の二日にわたって行われる祭での写真です。
屋台(食い物屋にあらず山車のようなもの)もよかったんだけど、
写真向けじゃないんです、でっかすぎて。
夜はちょうちんが随分きれいなようなので、明日は行こうかな。
脚立がいる…あとカメラマンベストがほしいなー。
女物の服ってどうしてこんなにポケット少ないんだろう。


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- 2003年10月10日(金)

イアン・マッケランが大好きだ。<何を今更

X−2のマグニートー役でのあの色気はなんだ…
「すまない、チャールズ。仕方がなかったんだ」
このへんでもうメロメロですがな。骨抜きですがな。
いいのか私、60過ぎのホモのじさまにこんなに色気を感じて。

イアン・マッケランは基本的に悪人の役が好きだと思う。
いやむしろ大好きだと思う。ここでポイントなのは「悪人」役というとこだ。
「悪」だけでなく「人」だけでなく、「悪―人」。しかも魅力的。
悪の魅力ではなく、悪い人の魅力。悪い人の色気。

冒頭に引いた「すまない〜」のセリフは、
囚人の身で薬でドロを吐かされて旧友チャールズの破滅の元になったときに言う。
この後に「なぜ殺せるときに私を殺しておかなかった」と続く。
だめだよ、もうメロメロ…。一生飼い殺しにしたい…。<こら

いや、そのへんの感想はおいといて、だ。
悪人が見せる「男気」だとか「こだわり」だとかいうのは妙にそそるものがある。
単なる悪ではなく、形容詞として人にかぶさった悪でなく、
悪い人だからこそのそうした部分。そうした輪郭。人間的悪というもの。

色気というものを「型」から外れたからこそ「型」をはっきりとみせるもの、
「こう」と思っていたものがそうではなかったという驚きのようなものとすれば、
マッケランはそのへん見事に見せる役者であり、多分「個性」でもある。
人間は「悪」におさまりきらないが、「悪い人」にはなれる。
彼の灰色がかった青い瞳はそう語るようでもある。
それに善人役より楽しそう……。<むしろ素?<こら

例えばブライアン・シンガーやP・ジャクソン監督の作品では、
彼は見事に役を演じ切り、楽しげに監督の言葉の一部になる。
しかし「どうにもなあ」という監督の作品では、
マッケランが画面の中で役以上、映画以上、作品以上のものになる。
彼は実際、別のものになり、自由自在に画面の中に存在する。

熱烈なファンの私に、問う人がいるかもしれない。
映画を見るのか、マッケランを見るのか?
どちらでもいい。彼が出ている限り、それはどうしたって面白いものになる。

しかしこの人が演じるとどの役もホモくさく…禁句か?
「ハリー・ポッター」でダンブルドアやらしちゃだめだ。
ホグワーツがハーレムになっちゃうじゃん…


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- 2003年10月06日(月)

ロッシの“しっぽ”

ファインダーの四角は私の投網だ、時間を殺し幻と走り去るものを捕まえる。
より鮮明に、より大きく、よりそれそのものの美しさをあらわすよう。
レンズは銃口、メモリーカードは銃弾。私が捕まえるのはあなたの影だ。

……オートスポーツって撮影するの難しいんだぞ。
流し撮りなんて100回やって一回成功するかどうかだぞ!(私はな)
おまけにロッシの早いことといったら!

マックス・ビアッジが1/100秒でファインダーの視界を横切るとしたら、
バレンティーノ・ロッシはその半分ぐらいしか射程にいやしない。
計器で計ればそんなこともないだろうが、目で見た感じではまさしくそうだ。
ビアッジを撮るつもりでシャッターを押せば、映っているのは“しっぽ”だけだ。
捕まえたと思ってもまだ早い。拡大すれば、静止した世界の中で、
彼だけが数センチ進んでいる。なんということだ、1/1000秒の中なのに!

次は彼を捕まえる。必ずだ。


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- 2003年10月05日(日)



魚の泳ぐように進む。
落ち葉の落ちるように自然に動く。
ヴァレンティーノ・ロッシの動きはきれいだ。
彼の線を追ったら、何が見えるだろう。
彼の視界を追ったら、何が見えるだろう。
「はやい」ということはどういうことなんだろう。


面白い世界を教えてくれた悪友Aに感謝。


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- 2003年10月01日(水)

猫を拾った話。

ひょんなことから猫を拾った。
私はこれまで猫を拾ったことがなかったので、どうすればいいかわからなかった。
パニック気味になって仕事場に持って戻って上司に怒られる(あたりまえだ)
手当たり次第に電話をかけて知り合いに引き取ってもらう。
なんてことだ、子どもみたいなことしてる。

白と黒の猫だった。私の犬と同じ色だった。
今ごろになって、あの犬をどれくらい愛してたかわかる。
小さい子猫だったんだ。手のひらにおさまるくらいの。
膝の上で丸くなって眠ったんだ。
眠くて眠くてどうしても閉じたいような様子なのに、
私がいなくなるのではないかというよう、何度も開き直したんだ。
あの犬もそうしてたんだ、ずっと小さい小さい頃に。
どれくらい愛していただろう。

だめだ、泣いてる。


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