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終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2003年05月31日(土)

5月31日阪神vs巨人、9回表11得点のビッグイニング演出。

1:
東京ドーム三連戦、二日目。
初日の前日夜は原巨人に完敗を喫した阪神。
この日も初回、福井に先制ホームランを浴びるなど早くも2失点。
嫌なムードで始まった。

巨人の先発投手・木佐貫の好投の前に阪神のスコアボードには0が並んでいく。
名(迷?)解説者・福本豊なら「たこやき並んどるゎ」とでも言っただろう。
5回まで阪神は無得点。東京までたこやき売りに来たのか。
悲観的な阪神ファンならここでテレビを消していた。

6回表、阪神は矢野の2ランホームランで同点に追いつく。
流れがこちらに来た、逆転の阪神の面目を施したと思ったのもつかの間。
打順の回ったクリーンナップも代打八木も星野監督とファンの期待に応えない。
采配は完全に妥当だった、点を取りに行く構えだった。
ここが正念場だというのははっきりしていた、にも関わらず。
歯車が噛み合っていない、そういう暗い空気が次第に濃くなる。

8回裏、阪神の四番手・谷中は二点を奪われる。
逆転の阪神を信じるファンでも多くはここでチャンネル変えただろう。
ここで追加点を取られれば終わり。息の根を止められた、と。

だが9回表。
先頭バッター・久慈が右前安打で出塁。今岡が続く。
赤星はバントの失敗にも関わらずピッチャー河原のエラーに助けられ生き延び、
金本のヒットで2点を取り返す。
浜中ときてアリアスが走者一掃の二塁打。
打順は一巡して再び久慈・今岡・赤星、極めつけは代打・関本の本塁打。
わずか1イニングで11得点とファンは熱狂。

9回裏、巨人に1点を取り返されたもののそこで試合終了。
まさに嵐だった。


2:
さて。
この勝利は巨人に徹底的な戦術の見直しを強いるだろうが、
阪神にとってはどういう意味を持つだろうか?

まず、嵐のような勝利は阪神の打撃力と精神力を示している。
間違いない。だが敵の失策に助けられたのも大きい。
それは人知のコントロールできる外のことだ。頼れやしない。

星野監督は機嫌が悪かったときく。
あたりまえだ、監督の打線采配で図にあたったのは最後の関本起用だけだ。
6回の得点後、押すべきときに押せなかった。打つべき選手が打たなかった。
今日はイキオイで勝っても、歯車がズレ始めている。
締め直さなければ、いつか決定的な試合を落とす―そう感じているだろう。


3:
ゲーム差8。
見かけほど大きくはない。
巨人は故障者リストに本来の一軍メンバーの多数が載っている。
載っている間はいいがいずれ戻ってくる。
――遠からず。

偽りの勢いではずるずる落ちる。
まだシーズンは長い。気張れ!



……あーほら、阪神ファンってさ。
手放しで喜べないのよね(笑)。
ちなみに私は八回裏で一度テレビ消しました。


-

- 2003年05月28日(水)

国枝史朗に関する記憶。

国枝史朗:大正、昭和初期に活躍した“伝説の”伝奇作家。昭和18年死去。
     代表作『神州纐纈城』『八ヶ岳の魔神』『鳶葛木曽棧』


1:
私の読書経歴の中で、国枝史朗は奇妙な位置を占めている。

幼稚園の頃に毎晩母が枕元で読んでくれた児童文学が私の原点だが、
小学校に上がってからは、江戸川乱歩や横溝正史、
『アルセーヌ・ルパン』『シャーロック・ホームズ』シリーズ、
ジュール・ベルヌなど、図書室にあった伝奇・冒険・推理を読んだ。

『沙漠の古都』(大正12年)

ショッキングだった。
何がショックだったといって…
こんなデタラメあるもんか。

伏線は沙漠の川のごとくどこぞへ消えて跡形もナシ。
こいつが主人公だと思って読んでたらいつのまにかいなくなってるし。
世界観は破天荒で必然性は海の彼方。
最後まで読んでも何一つ解決されていない不思議。


2:
問題はそれでも十分面白かったということだ。
破天荒なだけに安心できないうえ、
破天荒さの持つ魅力やエピソードの斬新さというものがあった。

評論家に言わせればおそらく“駄作”の部類に入るこの作品の方が、
私には魅力的だった。

しかしながら図書室には国枝史朗はそれ一冊しかなく、
私はその後、ずいぶん長い間この無鉄砲な魅力を持つ本を忘れていた。


3:
再会したのは最近である。
古本屋の一角に置かれていたこの本を手にとったときは、
もう題名も作者も忘れかけていた。
しかしなんとなく懐かしい気持ちがした。

箱から出してぱらぱらとめくるうちに、
埃っぽい図書室の空気ごと思い出した。

巻末の値札を見てみると5000円(驚天動地)。
しばらく迷う。

……横においてあった全集を買う。(5000×5冊)(←バカ)


4:
全集を読んで初めて知ったのだが、
国枝の作品は破天荒なだけではない。

非人、サンカ、遊行の民、妖魔、隠れキリシタン…
プロレタリア文学の流れまで汲んで非常に複雑だ。
エセ・アカデミックと一蹴してもいいんだろうが、
そうするには面白すぎる。

広がりすぎてオチないという構造的欠陥はともかく、
その広がっていく過程はワクワクする。
そのあまりにも正史とかけはなれた世界観ゆえに、
また倫理という建前をハナから無視した強靭・奔放なドラマゆえに
昭和18年の没後、同40年代半ばまで忘却されていたというのも頷ける。

むしろあまりに“現代的”ではないか。
などと思いつつ…。

そうだなあ、清涼院流水が開き直って行くところまで行ったら…
こんな感じになるかなあ。
でもムリだな(笑)


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- 2003年05月27日(火)

「きみのばん!」By花形満(阪神タイガース)


1:
いえね、アニメ面白かったんでマンガ読んでみたんです部分的に。
そしたらもう、なんつーか……
つっこみどころ満載で…

いや、言わずと知れた超有名マンガに対してむしろ失礼だと思いますが
面白かったです。絵も独特だし。


2:
問題のセリフは「大リーグボール1号」が打たれ、
二軍に沈んでいた星飛雄馬に対し、
宿命のライバル花形が鉄拳でカツを入れた後にかけた言葉。

「きみのばん!」

要するにこれまで自分や左門(大洋ホエールズ:現横浜)が
血を吐くような思いをしてきたんだから、今度はきみががんばれ!
という意味なのだが…

なんで「きみのばん」で止まりますか花形満。
せめて「きみのばんだ」とかやりませんか花形満。
まるで小学生です花形満。

…好きですけどね。(フッフフ)


3:
しかし飛ばし読みしただけなんですが、
ラストがアレですね、救いようがないというか…
なんで神様(作者)はこうまでして飛雄馬をいじめるか…

恋人死んでるしとうちゃん敵だし伴(女房役)には逃げられるし十字架も背負うさ


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- 2003年05月23日(金)

『楽園の瑕』(1994、台湾)
 監督:ウォン・カーウァイ
 主演:レスリーチャン

1:
この作品見てわかった。
私は、映画はストーリーのない方が好きだ。

ただ人々が行き交う。
出来事は映像と独白で織り成されるにすぎない。
おそらく世界が事実そうであるように、始まりもなく終わりもない。
ただ見るものがそれを汲むばかりだ。


2:
人々は光と影を行く。砂漠と荒野の明るさは暗いほどだ。
物理法則に断りなく剣の一振りに水は立ち上がり山は毀たれる。
観客にいささかの断りなく時間軸は動き独白者は交代する。
音楽と映像と物語とそこに生きる人々の時は流れる。

愛が現れ悲しみと忘却と忘却しえぬ愛とが現れ、
生と愛を全うする強さが現れ。

そして。

人に拒絶されないためには先に拒絶することだ、と。
レスリー・チャン演じる主人公、西毒・欧陽峰は語る。
それすら結論めいたものではない。呟きだ。
映像は悲傷を呑んで始まったときのように終わる。


3:
物語は何も語り尽くさない。
断片が来てそれを生きる人の独白が来てそしてうつろう。
だからストーリーはない。
私はそういうのが好きみたいだ。

ところで私のレビューはレビューになってないなぁ……
それにしても今は亡きレスリー・チャンの美貌よ…(弔)


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- 2003年05月19日(月)

「破綻したから(公的資金投入を)決めたというのではない。
 破綻させないために決めたのだ」BY 小泉首相
(5月19日、2兆円のりそな銀行への公的資金決定を受けたインタビューで)

……破綻しそーだから決めたんじゃないのか?(身もフタもなし)


1:
おわかりと思うが日記を改装した。
コンセプトは「極度に落ちこんでいる日本の心理状態の反映」である(ヲイ)。

SARSは上陸してたわ、北朝鮮はがさごそしてるわ、金融不安は高まるわ……
いいニュースって阪神の活躍しかないじゃないのさ。


2:
そう、阪神。
なんですか、貯金13!?
借金ならともかく!(ヲイ)

阪神ファンは「貧乏根性」なので、
「勝ってる間に応援に行こう!」という…涙ぐましい習性がある。
阪神ファンのペナントレースが「五月まで」だった長い冬の時代の名残である。

この「五月まで」のジンクスは破られるのか?
それとも「指定席」への転落がいつか来るのか?

……勝ってれば勝ってるほど悩み多き種族なのである、阪神ファン。


3:
ところで、阪神は老舗である。
「老舗商法」というものをある商店主から聞いたことがある。

耳の遠いばあさん一人に店番をさせて、主人夫婦は中で商品をせっせと作る。
それも多すぎないように、むしろ少なめに作る。
いつ行ってもあるとは限らないうえ、店番のばあさまでは話にならないから、
お得意はわざわざやってきて、中の主人夫婦に直に
「あれをこんなけ作ってぇな」と注文して作ってもらう。

「コツはね、『いついってもあるとは限らない』ようにすることです。
 何でかって言うと、『いついってもある』となればだんだん行かなくなるし、
 『いついってもない』となると、お得意さんも離れてしまうからね」

というわけである。
しかしこの商店主は、そうした「老舗商法」は成り立たなくなっているという。
なぜかというと、

「店が多くなりすぎて、客が待たなくなった。
 『なければあそこで』となってしまう」

というわけである。


4:
再び、阪神。

阪神が強くならないのはフロント(オーナーなど)のせいだ、という。
優勝してしまえば選手の年棒が上がるので、あんまり強くしたくないのだ。
しかも優勝しなくても、そこは虎キチだらけの大阪・神戸、
そこそこに客は入り、儲かる。

フロントにしてみりゃAクラスぐらいでいい。
だから、補強などにも積極的でなく、強くならない。
――と、いうのである。

しかし、阪神ファンはもう18年も待たされた。
甲子園の入場者数をかっちり把握していないので何とも言えないが、
この数年であろうか、ファンが「老舗商法」に対して異を唱え始めたのは。

炎の男・星野仙一は、多分、運も良かった。
それとも運が良かったのは、阪神ファンか。

星野監督は秋になっても、まだ運がよかったのだと思わせてくれているだろうか。
……切に願う。(なむー)


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- 2003年05月18日(日)

「漢(オトコ)です!」BY ABCテレビ野球中継のリポーター
(5月18日、阪神対巨人戦。
 八回表に清原が本日二度目の本塁打を放ったときのコメント)

フェミニストから文句来ないのか?(笑)


1:
『不思議惑星キン・ザ・ザ』

ずっと見たかったソ連製SF映画。
二年ないしは三年越しでようやく見れた!
真夜中の渋谷にもかかわらずつきあってくれた某Aさんに感謝。

さて。

見た甲斐ありました。
ごっつ面白い。

ストーリーは簡単にいうと、
「ひょんなことから他の星キン・ザ・ザに行っちゃった男二人が、
 現地の人といろいろありつつがんばって地球に帰ろうとする話」
言ってしまえばそれだけなんだが面白いんだ、これが。

ナニが面白いって、
キャラも世界観もみんな立ってるので普通にも面白いんだが
ナニよりもその……。


2:
それ飛ばねぇ(断言)
宇宙船(飛行船)釣鐘型ってのはいったいどういう流体力学だ。
操縦レバーの類も、なにがなんだかよくわからないっぽい。
いったい誰が担当したんだろう、デザイン(笑)

いや、機械やモノの一つ一つが楽しかった!
コップとか、給油塔とか、トロッコとか、檻とか。
けっしてCGとはいわんだろう、それ合成さ、みたいな映像も。
楽しくてワクワクする。



3:
社会主義の国の文芸・映像などの作品というのは、
「作品の世界」よりは「世界の作品」になる。
つまりソ連(社会主義・共産主義)的認識における物語になる。

しかし、この作品においては、それらしいものがあったとして、
作品世界を汚しても歪めてもいない。
確かに「資本主義か」のような用語はないことはないが、鼻につかない。
思想よりホントのとこに近い。

しかし、よくこんな国威発揚にもならん作品作るのソ連許したな…


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- 2003年05月13日(火)

「何も考えてないっす」By高見盛
男前だよこの関取…。


1:
またもや。

またもや見合いの話が来た。
恋愛不能症候群に陥ってる娘を心配してくれるのはいいんだが…ねえ。
今度は誰だ。(わりにのんき)


2:
問題はいつもどうするかなのだ。
私が何を願っているかなのだ。
時々自分でもわからなくなるものだから。


3:
旅に出たい。
どこへ。
バグダード、平安の都へ。
ヨルダンへ、レバノンへ、トルコへ。
ヨーロッパ各地へ。

平原と山脈と古い歴史を持つ砂漠へ。
乾いた大地へ。
その風の中でなら迷うことはない。

そしていつか砂漠の真中の方へ歩き出し、
けして帰らないだろう。

それだけは確かだった、昔から。


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- 2003年05月12日(月)

どうか幸いを、ほんとうの幸いを。

1:
少年Aの帰還。
彼はなにものとして戻るのか。
彼は何者として迎えられるのか。

彼の近況について私は知らない。
だが彼の罪は覚えている。


*少年A:平成9年の2〜3月にかけて、神戸市須磨区で
 通学途中の小学4年生の女生徒を殺害、ほか3人を負傷させた。
 また5月、同区内の小学6年男児を殺害、その頭部を小学校校門前に置く。
 その後、「酒鬼薔薇聖斗」の名で報道各社に犯行声明を送りつけた。
 当時わずか14歳だった。


2:
事件直後は「サイコパス」という言葉が流行った。
少年法の改正もこれが契機となった。
殺された男児の母の著書が話題となった。

これは確かに『社会的』事件だった。
なにかを意味していた。

だが我々はその意味を正しく解いただろうか?
その答えは『社会』に還元されただろうか?

少年は20歳になって戻ってくる。


3:
当時私は大阪に住んでおり、神戸の事件は隣家のそれだった。
数年のうちに大阪教育大附属池田小学校の事件が起きた。
不安を覚えている。住宅街に不安が立ちこめていたのを覚えている。

――彼は。
20歳になって戻ってくる。
そして何を見るだろうか。

かつて彼は一つの問いだった。
不気味な問いだった。
そして彼はまだ問いなのだ。

彼のことを思い出すたび、不安が立ち戻る。
彼は誰としてまた何として戻るのだろう?


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- 2003年05月10日(土)

月は沈み。夜は深く。

1:
『恐怖』は見えないのが一番怖い、というのが私の持論。
ではどうやって怖さを見せるのか。

こちら側、常識、日常、ありふれた名前でその輪郭をなぞり描き出す。
99%の日常と1%の彼岸性からできているときにだけ見るに価する。
それはホラーだけではない、あらゆるフィクションについて然り。


2:
はい、本題。
ダイアナ・ウィン・ジョーンズ。
私は知らなかったのだがジブリの新作アニメ映画『ハウルの動く城』の原作者。
英国では屈指のファンタジー作家として知られている。

『九年目の魔法』
『わたしが幽霊だった頃』
『ダークホルムの闇の君』(いずれも創元推理文庫)

の三作を読んだのだが、どれも面白かった。
こういう作家は珍しい。どれも――どれも作風は全く違う。
しかもそのどれも面白い。全く珍しい。

全く違うといったが、大家族が出現するという点では同じ。
しかもどの姉妹、父母も、欠点があり怒りっぽく細部はリアル。
ネコさえそこでは生きている。

そう、リアル。

彼女の作品の卓越した部分は、そのリアルさにある。
人間のリアル、感情のリアル、論理のリアル、視界のリアル、出来事のリアル。
どれも全くウソの臭いがしない。しかも語られているのは時に荒唐無稽な世界。
リアリティはこの世にない世界を全く構築する。
これはフィクションではなく物語だ。

(そして多くは『悪』が謎を秘め解き明かされないまま終わる)


3:
最近『CUBE2』をスクリーンで見た。
御存知ない向きには『CUBE』という往年の超名作の続編と言おう。
見ていない人のために(そして私の労力を省くために)詳細は避けるが、
これはこれ自体として悪くはない。

だがいかんせん前作が超名作だ。

アイデアは悪くない。
ドラマも悪夢めいてそこそこいい。

だが前作のあの極限までのシンプルさ、
あらゆる概念的『謎解き』を阻みしかも何一つムダのないあのシンプルさは。
数学的に美しく真実とさえ思えたものだ。
リアリティはむしろ小技を弄して崩れる。

(そして最後にキチンと落ちとつけてしまっているのも頂けない)


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- 2003年05月06日(火)

あっと驚け玉手箱。

世の中には開けてはいけないものもある。
見てはいけないものがある。
昔書いた小説…はともかく、同人小説なんてものを…(くらくら)
先日実家に帰ったついでに持ってきた、古いFD。

開けて驚け玉手箱…(ふふ)

その昔書いたSFだのなんだの、それはいい。
まあ百歩譲っていい。
が。同人小説は…。

ましてや、ましてやっ…イロモノは…(号泣)


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