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終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2002年07月30日(火)

深夜二時、時速百二十キロで走らせないで。
大音量でブルーハーツなぞ聞かせないで。

きみの知ったこっちゃないのは知ってる。
私はどんな助けもいらない。
それでもわめきたい夜もある。

もう二度と、電話はかけない。


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- 2002年07月28日(日)

今日や明日や明後日を。

1:
現代人は、人を愛しうるか。
自我を持ち始めて人間は、同じく自我を持つ人間を。
何として愛するのか。

「恋愛とは、結婚であり、相手を信頼し、
 自ら責任を感じる幸福に他ならなかった。
 さういふ簡潔で充実した恋愛が、失われてしまってから既に久しい。
 近代文学は、人間性の名の下に恋愛について
 感傷と短気と獣性より他に書いたことはないのである」
               小林秀雄「バッハ」より

人間がいわゆる「自我」を持ち始めてから、まだそれほど長くはない。
まだ人間はこのやっかいな蛇の贈り物を、どう扱えばいいのか知ってない。

実際、これは蛇の贈り物であったに違いないのだ。


2:
ラスコーリニコフは非常に大きな自我の持ち主だ。
その自我を通じて、
彼は多く考える。
彼は多く知る。
彼は多く見る。

だが、それが果たして彼にとって幸福であるだろうか?
――否。

『見えすぎる目』は不幸だ。
なぜなら体はそれに追いつかない。
しかも彼の見えすぎる目は、血と肉と骨、その上にしかない。
しかも彼の見えすぎる目は、非常に単純極まりない物理世界の上にしかない。


3:
心は千里を走る。
万里も行ける。
飛翔も沈潜も思いのまま。

だが、行ってはならない。
私は「ここ」に生きているのだ。
「ここ」に根ざしているのだ。
望むと望まざるとに関わらず。

だから、行ってはならない。
どれほど望郷に胸掻き毟られても。

自我はおそらく、この世のものではないのだろう。
この世の外から投げ込まれた黄金の果実なのだろう。
肉と霊に争いをもたらしたのは、たしかにこの果実だった。


4:
自我もまた、この世のものだ。
「ここ」にあるものだ。
私はそこから始める。
さて、どう、料理をしよう?
さて、どうやって、愛しよう?

どうしたいのかを見つけ出すまでは迷っても。
そこからは迷わない。

この足で走る。
翼ではなく。
この手で水を掻く。
銀の尾ではなく。

人間の道を。
人間の手だてで。
できることがそれだけなのだから。
――重畳。


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- 2002年07月27日(土)

反省、する。
いっくら疲れてたからって、アレはないよなー。
アレはあんまりだよなー。
うぅうう……。
先輩に謝ってこよう……。


――――――――――――――

と・ある階段で、こける。
こけた。
その瞬間、自分の行動や視界。
ヒジョーに冷静だった。自分で言うのもなんだが。
「とりあえず、首から下げたカメラは落とせない」
「転がり落ちてはいけない」
という二つを認識し、その認識の下に行動。

無事に数段ずり落ちただけで止まる。
膝を打つ。脛を打つ。死ぬかというほど痛い。
が。そのとき私は急いでいた。極度に急いでいた。

とりあえず立ち止まっている暇はない、との認識の下。
痛みを遮断して活動。そのまま忘れていた。
ら、ふと、痛ひ(涙)
ズボンむくったら、血が出てた。青タンできてた。
痛いよ、そりゃ……(涙)

人間って急いでるときはなんとかなるもんだ(うむ)

―――――――――――――――――

勝利は瞬間だが、敗北は長く尾を引く。
幸福はその間だけだが、不幸は長く尾を引く。

などと考える。

勝利を「受け取る」ことは難しいようだ。
敗北は全身に受け取られるのに。
幸福なものは、横から見て幸福だと認識されるだけだ。
もしかしたら、勝利や幸福というものは、非人間的なのかもしれない。

例えば。
高校野球で甲子園まで一度も負けなしだったチームは。
実は、野球の全ての側面のうちわずかしか知っていないのかもしれない。
回想されることが多いのは、きっと敗北の方だろうと。

思ったり、する。





……ところで。
そろそろ、休み、よこせ(怒)


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- 2002年07月26日(金)

十から十二の女子生徒たち。
性別を持たぬ子供から、既に女の匂いのする少女まで。
こんなにも雑多な一群だったろうか、私の知っている教室は。

なるほど、これでは情緒不安定にならざるをえない。
昨日の最も近しい友人が、今日は異なるものとなってこの前に立ち現れる。
肉体というものがこれほど明確に意識される時期もあるまい。
彼女らはひどく不安気だ。

見知らぬ世界、大人の空気はある日突然友人の内に、
あるいは自らの内側に知覚される。
しかも後戻りはできない。

男の子は。
男の子に過ぎないのだが、まだこの年には。
だが彼らにも、やはり同じような時期はあるのだろう。
思春期とは、そのような時期だった。


……そんな時期、通ったっけなー?
そのへんの年代を、すっとばしてきたような気がする……


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- 2002年07月24日(水)

何人の帰り来る。
また何人の。
――帰り来らざる。

夜よ、また朝よ。
眠りよ、目覚めよ。
星よ、三日月よ。

来り、帰れ。

永劫なるは人間の孤独。
それすら人間の。



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- 2002年07月22日(月)

たくさんの、視界の重なり。
この町をつくるのはこの町に住むひとびと。
あるいはこの町に住まない人々。

この町とは何なのか、とは。
それを見る人々の全ての視線を重ねた上にしか描かれない。
私はそれを、見たい。


さて。


基本的に、私は自分の評判を気にしない人である。
というのは、気にし始めたら、キリがないから。
私はそんなに暇じゃない。

しかしながら、ここ数日の間に、
聞いたわけでもないのに同じようなご意見頂いて、ちと、考えた。

「すごく穏やかな人だと思った」
「すごくやさしそうな人だと思った」

第一印象は、そう、らしい。
……鏡を見てみる。見なれた顔だ。
見なれた顔だが、その全ての表情を知っているわけではない。
私はどーも、自分の顔と「やさしい」「おだやか」という言葉を、
結び付けられないんだが……なあ……。(うーん)

確かに私は怒らない。
怒らないが……それはただ単に私がシビアなだけである。
やりたくないもんやらす気はないし。
人間ミスはするもんだから、たまのポカミスを気にする暇はないし。
どーして怒るんだろう、みんな……暇なのか?(笑)

まあいいや。
私を見る人のなかにどんな私がいようと、
それは私には関係ない。
私の中にある人々の像が、
おそらく彼ら本来の姿とはある程度かけ離れているように。


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- 2002年07月21日(日)

夜の静寂を醸成するのは。
誰の孤独なのだろう?

あるいは。

もはやない人々の、悲しむことをやめた人々の。
その、味わい抱きしめるもののない孤独であったろうか。

それなら。

朝のあの光の透明さ、清澄さは。
どこから来るのだろう?

いまだ来らざるものの、その憧れか。
既に逝った人々の、その静かな眼差しか。



などと、ときに思う。
だが夜は夜に過ぎず、朝も朝に過ぎまい。
自然はそうしたものだ。


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- 2002年07月20日(土)

ゴッホはついに、絵筆で世界を愛撫する、ということを
知らないだろう、と、ルノワールが言った。

あ、なるほど。
表現という仕方で世界を愛撫すること。
表現という、愛撫。
そのような形の表現もある。
切り裂き焼き付けるだけではなく。
憎しみや思念と同様、愛もまた語りうる。
憎しみや思念と同様――不完全に。
だが完全などというものはない。
だからそれで、いいのだ。

私はやがて知るだろうか?
世界を愛する、その愛撫を?
……既に知っているような気も、せんではないが。(多少ヨコシマな形で)


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- 2002年07月19日(金)

Calling......

きみはいなくていい。
ここにいなくていい。
どこにもいなくていい。

この手が届かなくていい。
この声が届かなくていい。
このコールがつながらなくてもいい。

私は孤独でいい。
私は疲れていい。
私は疲れ果てている。夢も見ずに寝てしまう。
きみがいなくても。

きみがいなくても、いい。


きみがいたほうが、いい。


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- 2002年07月16日(火)

住んでいるところが住んでいるところなので、
時々「夜の女」に間違えられる。

たとえばコンビニを出て道を渡ろうとするとき、
折悪しく車が通りかかったとする。
私はひかれたくないから足を止める。
すると、運転席の男が頷きかけて来たり、するわけだ。

車は数メートル先で止まるが、
私はそのまま角のCD屋にすうと入る。
出てくればもういない。

不愉快か、と言われれば、別になんのことはない。
そういうこともあるというだけで、特にどうとも思わない。
首ののびたTシャツとジーンズなんだけどねえ、とか思うくらいだ。

もしかして、と、私はふと思うだけである。
もしかして、気が向いて――
私はその車の窓を叩き、
幾ら?と、聞いてみたくなるかもしれない。

結局のところ、私と夜の女たち(少女さえ、いる)の間に、
決定的ななにか違いがあるわけではない。
彼女らが「売ろう」という意識を持って立ち、
私がそんな気はなく歩いているだけの話だ。

私が歩く同じ街路で、商談は毎夜、幾らでも、成立してる。
私の前で車を止める男は、つまり夜の側の世界の端っこ。
着飾って路上にたたずむ女も、また。
シャッターの下りた店は昼の側の名残。

昼の世界と、夜の世界は、幾らでも接してる。
私の視界は夜と昼を見渡し、そうして世界は立体感を持つ。
私はこの視界を愛する。

でも、そう――時々、夜の側を深くのぞきこんでみたくなって、困る。


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- 2002年07月15日(月)

In The Air.

1:
ココ・ハ・ドコ。

気づけば荒涼とした風景の中にいる自分を見出す。
これは私の悪いクセだ。

そんなときは布団に潜る。
頭までもぐる。
丸くなる。
言い聞かせる、ここにはいない。
ここにはいない、だあれもいない。

それは気休めなんてものじゃない。
私の儀式、私の嘘、私のぎりぎりのところのほんとうだ。


2:
ワタシ・ハ・ダレ。

私はまだ、この世のものになりきっていないのか。
何よりもそれを望んでいるのに。

気も狂うほどなにか、ほしい。ちがう、あっちへ行って。
なにか、なにか、なにか。
わからないんだ。
不安なんだ、物狂おしいんだ、怖いんだ、苦しいんだ。

ねえ、形をください。それとも私を消し去って。
お願いだから、こんな嵐のようなものには私は耐えられない。


3:
メヲトジテ・ナカナイ。

私は泣かない。
私は泣けない。

ねえ、お願いだから、私を消してしまって。
いたこともないようにして。
そうでなければ、だめだ。
お願いだから。

お願いだから。

(だがわたしは、願いを聞いてくれるかもしれないひとやものの、
 どこにもいないことも知っているのだ―それは祝福か呪詛か)


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- 2002年07月14日(日)

とある少年へ



諦めるということを、知らない瞳を。
私は見たのだろうか。

ねえ。

たった一人で走った道は、どんなにか辛かっただろう。
たった一人で磨いた白球、破れたミット。
そんなにまでして、あなたの得たものを、教えてください。

五回までのスコアボード。
それ、ぎり。

あなたは空を見上げる。
天気さえあなたの味方などしない。
雨に濡れ泥だらけのユニフォーム。

あなたの目はそれでもひたむきだ。
それでも。

終わったのは、何だったのか。
終わらなかったのは、何だったのか。

あなたは。
その腕になにかを、今、抱いていたのだろうか。
あなたはきっと、抱いていたのに違いない。

それは、きっと、ほんとうのものだった。
あなたの歩む道は、きっと全てほんとうのものなのだ。
あなたの伸ばす手は、きっと全てほんとうのものなのだ。

泣く必要は、なかったね?
どこまででも、行けるよ。


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- 2002年07月13日(土)

最近、丸坊主の頭ばっかり見ている。
青少年はひたむきだ。

愚かしいとさえ私の目には映るが―
しかし彼らは、情熱それ自体が若いのだ。
生命それ自体が若いのだ。
愚かしさとはそれを通りすぎてしまったものの云いに過ぎない。
生命にはその季節ごとの正しさがある。

さあれ―
私の情熱が若かったことなど、あっただろうか?
などと、思わないでも、ない。
『私は老人―子供』
世界の一つの壁面はそう、語る。(私はエンデびいきである)

しかしまあ、若さのかたちなんて、ひとそれぞれ。
私だって、若かった。(はず)
てか、若いのか?(かも)


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- 2002年07月10日(水)

いささか陰気な歌を歌ってみよう。

1:
私は人間である。
あらゆる悪徳は私に親しい。
およそ人間の知る限りの悪徳は。
あたりまえである、私は人間なのだから。

だから、どうするか、というと、それはまた別。
人間は嘘をつける、人間は我慢できる、人間は打算的になれる。
ならば私もそうできるわけだ。
あたりまえである、私は人間なのだから。

問題は。
私がどこまで理性を通すか、感情を生かすか。
どうしたいか。
それが私の個性だ。
何を我慢し、何を我慢しないか。
何を嘘つき、何をありのまま語るか。
何を打算し、何をしないか。

二つの色、人間誰も持つ二つの領域の。
そのどこに私の個性、私の人格があるわけではない。
そのせめぎあい、その境界にある。
私はそこにいる。


2:
私は苦しむことを、悲しむことを、拒絶されることを。
また苦しませ、悲しませ、拒絶することを。
惜しまず、また躊躇わないから。

だからこの境界線は鮮明に見える。
私の輪郭が鮮やかに見える。
この輪郭がぼやけるとき、私は鮮明にしようと努める。
この輪郭だけが私だということを、私は知っているからだ。

愛することだ。憎むことだ。
好くことだ、嫌うことだ。
絶望しまた悲嘆を抱くことだ。
願いを持ち希望を抱くことだ。
それ以外に自分の形を切りだし生み出す手立てはない。

ならばそうしよう。


3:
自分が残酷であるということを知るのは、
あまり気持ちいいものではない。
が、そうだと知ることは、知らないよりよほどいいことだ。

自分が誰であるか、
自分が何であるか。
なぞのままにして、ひどく美しいものあるいは醜いものを、
映し遊ぶことは楽しいことだ。
だがそれは、要するに子供の遊び。

百までやってはいられない。

さあ、夏だ。
この大気は狂暴だ、その牙は台風だ。
両腕を広げ、雨を抱こう。


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- 2002年07月09日(火)

なんでこんなに朝早くに目が覚めるかなっつーかなんつーか。


1:
七月一日づけで、新しい人々が来たわけだが。
これがまた……(黙)

困ったね。
入社二ヶ月目で人様(しかも年長)にものを教えることになろうとは
思いもいたしませんでしたよ……まだ自分も叱られてるのにな……。

しかし、まあ。

教えることで、自分の中で整理できている部分もあるわけで。
そう考えたら、まあいいかなってかなんつーか(黙)


2:
いささか尾篭な話で恐縮だが。
最近、暑いので、寝るときはパンツ一丁である(やめなさい)

それでも暑い。
まあ、暑いのは嫌いじゃない、が。

そーいや昨日はバーベキュー(仕事です)。
夏の光の強さ、激しさ。ひりつくような皮膚の感覚は、
私が生きてここにいるということを、教えてくれます。

バーベキューの後は二次三次会。
男ってどーしてこー……(黙)
セクハラされんのも、仕事のうちですな(諦)


3:
そろそろ高校野球のシーズンです。
シーズンですよ、まいったよ。
麦藁帽子で買いますか(げふぅ)

純真というものを、誠実というものを、私はあまり、好きじゃない。
貪欲や渇望というものほども信じていない。
だから、子供より大人がいいね。
善人より悪人がいいね。
シンプルってのは、おばかってことさ。
陰りのない青空の美しさは、非人間の美しさだよ。
それが悪いってのじゃない。
私が嫌いなだけだ。

なんだか、愚痴っぽいな。
誰か、元気、くれ(手を出し)


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- 2002年07月08日(月)

眠らして。休ませて(涙)

とかいうより先に。
死なないで。
苦しまないで。
傷つけないで。

お願いだから。
痛くて、苦しい。


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- 2002年07月07日(日)

あかんやん……。
浮かれてたから……。
ああああああ……。
お詫びと訂正もんだわ……。(ぐったり)

もー泊まりんときに遊んだりしません……。


(↑やっちゃったらしい)



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- 2002年07月05日(金)

帰り来る。

――夏だ。
このどうしようもない懐かしさを、どうすればいい。

ネオンと夕暮れが競う。
車の窓を開けよう。
空気は湿気と濃密な生気に満ちている。
排気ガスも多少ならかまわない。
緑の植え込みとアスファルト、全てが私に近しい。

空気と世界が戻ってきた。
ここは私の国だ。
私の郷里だ。
私はようやく帰ってきた。

ネオンの明るさ。
夕暮れの長さ。

長い旅路だった。
秋と冬と春を通った。
休みなく歩いても、時間は飛び越せない。


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- 2002年07月04日(木)

どうかジンニーア、私を手伝って。
百万の文字を最初から並べなおすのを、手伝ってください。
しかもこの文字は、どの文字にも似ていないのです。
あるいは文字でないものも混ざっているかもしれません。
確かに並べなおせるかどうかも、定かではありません。

どうかジンニーア。
それでも、並べなおさなければならないのです。


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- 2002年07月01日(月)

風景。


1:
回想よりまだもっと生々しく。

一つの写真立ての飛んできて、
すぽっと写真のその風景に私を取りこんでしまう瞬間がある。

それは例えば。


雨上がり、犬を連れて実家の近所の竹林をウロついていたり。
遠い昔の小学校の、熱気と渇いた埃の匂いのする真昼の教室だったり。
布団に包まり、お袋さんが枕元、本を読んでくれる子供の夜だったり。
きみと二人、向き合って話したあの部屋だったり。
勉強会と銘打ってどうしようもなく爛れて遊んだ悪友の下宿だったり。

たった一人、どこまでもどこまでも歩いたあの砂漠だったり。
たった一人、眠れない夜のあの長い闇だったり。

する、のです。


2:
その全ての風景、全ての空間、全ての――故郷を私は愛します。
それはほんとうのアルバム、
おそらくは天の彼方かどこでもない場所にある。

いつか私はそこに帰る。
そのアルバムに入りこんでしまう、そして戻ってこない。
だがそれは、まだ大分と先だ。

まだ、そのアルバムには、綴じ込まねばならない写真が、たくさんある。
に違いない、と、思ってる。


まだたくさんの風景、視界が、私を待っているはず。
私は見れるはず。
見たいんだ。

だから、まだ、ね。
猫にはなれない。
一つところには住めない。

遠くへ行きたいんだ。
見たいものがあるんだ。



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