enpitu



終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2002年03月31日(日)

さよなら。

この目を開き、この耳を澄まし。
そしてたくさんのものを見てくるよ、たくさんのひとに会いたいよ。
たくさんのことをしたいよ。
――最初はうまくできなくても。

だからいまは、さよなら。

私は一つの次元を去り、一つの存在をやめる。
私は変身する――翼を。
高く、飛ぼう。

さよなら。

泣かないで。どうか、泣かないで。
私は少し、泣くけど。


-

- 2002年03月30日(土)

帰還者の寂しさとは、何だろう。

ぴったりとはまっていた自分のその型から抜けだし、
異国を移ってきた者は、元のままの形ではいない。

元のままの形に無意識にか戻ろうとして、戻れないことを知る。
また自らの戻るべき「すきま」が、留守の間に移っているとき――
帰還者は、自らが異国にあって思っていた、その故郷のもはやないことを知る。

出立者は寂しいものだ。
だが帰還者は――更に寂しいものだ。

                   旅メモ:3.17


そしてまた、出立が廻り来れば――その寂しさに打たれている。
泣きそうな顔、しないで。泣かないで。
――ねえ、そんな声で、言わないで。
日本なんて、狭いよ。



-

- 2002年03月29日(金)

さよならを。

この日記は、今月末で終了します。
しばらくほっとくと思うけど、書き足すことは、もうきっとない。
(と言いつつあるかもしれんが←優柔不断)

どんなものにも終わりはあり、
どんな良い季節も、終わらなきゃ、いけない。
留まれば淀むから。

この日記は、私の思考をほじくりかえす爪楊枝みたいなものでありました。
思考を言葉に置きかえるということは、見かけより重要なことです。
思考は変転してすぐにも消えうせるから――だから
写真のように、切り取っておかなきゃ、あったこともなかったようです。

写真はね、見かけよりも「そのまま」ではないんです。
露出を、シャッター速度を、調整し、整えることで――
人間の目なら捕らえられない「リアル」を捕まえることができる。
それは現実なのか? それとも創作なのか?
そこにそれがなければ、写し取ることはできなかったでしょう。
それを見るための「器官」がなければ、写し取ることはできなかったでしょう。
真実の在所とは、かほど曖昧なのです。

だから、ここに並べた思考も。
――信用しないでください。
私はああした「気分」や「思考」を写し取ることのできる特殊な「文体」を、
それを印画紙として選び、それをできるだけ鮮やかに焼きつける手段で――
焼きつけたに過ぎないのです。

私はそれそのものではない。全く違うものでもないけれど。


-

- 2002年03月28日(木)

時間。

1:
『ああだれかきてわたくしを抱け、
 しかもいったいだれがわたくしにとってあてになろうか』
                       宮沢賢治

誰も「あて」にはならない。
自らを省みたものは、必ず感情と思考がいかに曖昧で
確かならざる構造の上に成り立っているのかを知るだろう。
自らの発する言葉さえ、しかと見れば――その言葉の外に無数のブレを含む。
そして振り返って他者を見たとき――あるいはその言葉を見たとき、
そこになにひとつ確かなものがなくなっていることに気づき愕然とするだろう。

誰も「あて」にはならない。
世界を愛するわたしは苦しむ。
あなたを愛するわたしは苦しむ。
永劫不信はその苦渋の叫びだ。

誰も「あて」にはならない。
どのような言葉も真実の一面に過ぎない。
どのような感情も、それに地続きの無数のスペクトルを持つ。
どのような論理も、同じほど確からしい論理によって相殺される。

誰も「あて」にはならない。
世界を愛するわたしは苦しむ。
それでも世界に生きたいと願う。
だから、何一つ信じないことにする。誰一人。
そのことによってようやく――愛することができる。

「傷つくことも構わない」と言わずに、
これほど「あて」にならない世界を愛することはできないのです。


2:
どれほど努力しても、どれほど注意を払っても、
結局のところ、わたしと世界の間には、乗り越えがたい壁がある。
わたしがなにかを望むとき、
それが叶うかどうかは、わたしの努力と誠意の外にある。

そこには跳躍を必要とする亀裂がある。

わたしはそれを飛びたいと願い。
そして「不信」という跳躍を飛んだ。
落ちることを肯定して向こう岸を願った。

それは間違いだったろうか?
だが――

誰がわたしを咎め得よう。
結局のところ、わたしは――わたしでしかない。
あなたがあなたでしかないように。


-

- 2002年03月27日(水)

歌ある日々。

1:
本日、大掃除。
明日友人が泊まりに来るので、大慌てである。
なんとか床が見えるようになりました(見えんかったんか)
お袋さんも大掃除である。
で、バタバタしてた。
二人とも疲れているので、お昼を食いに行く。

――か○道楽に。

と言っても、かの有名な道頓堀の店ではなくって、
うちの地元に新しく(それでも何年か前)にできた同じ系列の店で、
ランチが1500〜あるので割にリーズナブルなのである。

というわけで、行く。

……駐車場に入った瞬間、ナンか音楽が鳴ってるなー、とは思った。
車から降りても、別段気にせず、店へ。
店で、30分待ちと言われる。
さすがだなあ、と……思いつつ、お手水へ……。

ヒジョーにキレイな便器と便器周り。
便器シートも完備!
空調も完璧!
どっこいしょ、と、気持ち良く座り。

……ふと。

……音楽、が。
いや、歌、が……。

『かにはかーにでも、にっぽんかいの、なみにもーまれって……♪』

『とーれとっれ、ぴっちぴっち、○にどーらく〜♪』

トイレにまで店のテーマソング流すのは、
いったいいかなる効果を狙ってのことでございましょうや……(思わずお武家)


2:
帰りに寄った、ベーカリー。
某ご近所で話題のレストランに付属してて、おいしいと有名である。

晩飯にパンを食いたかったので、お袋さんに相談のうえ、
バケットを買おうと、寄る。

ごく小さな店である。
レジ横の扉は厨房に続いていて、焼きたてのパンの、うまそな匂い。
いいねーいいねーカニで腹いっぱいだけど、うれしいねー。
ところでえーと、バケットは――……と、見まわし。
あったあった、焼きたてのフダついてら、と。

……。

―――――――………。
頭の上のスピーカーから、レッツミュージック!


『さかなさかなさかな〜♪ さかなーをーたべーるとー♪』

『さかなーはーぼくーらをーまってーいるー♪』

………………………。

パン屋でおさかなソングを流す理由は、
いったいなへんにあるのでごじゃりましょうや……?(思わずお公家さま)


世界は不思議に満ちている(うむ)
しかも誰も気にしない(うなうな)


-

- 2002年03月26日(火)

カメラがほしい。

旅行に行くときに学部のときの教授の一眼レフカメラを借りて行った。
写真が、ぜんぜん違ったんだよね……わたしの腕の分はさっぴいて、
でも、キレイ。

――こいつぁ、イイ。

今のわたしはとりあえず、数年前の、
名所旧跡ばっかりの、絵葉書みたいな写真をとるより、
「ひと」を撮るほうが面白い。
表情とか、視線とか、撮るときの会話とか。
ファインダー越しの風景って、どうしてこんなに鮮明だろう。

こんなふうに、友達や、家族や、――撮れたら。
いいのに、と、思って――買ってしまいそうだ。
幸い、大阪には中古のカメラを扱ってるような店も多い。
二万円くらいから、アレコレ、ある。
多分、買っちゃうだろうな……

別に、人を「コレクション」するつもりはない。
ただ、写真を通してそのひとを再発見できることも、ある。
それよりなにより、ねえ、時々写真を見れるのは、嬉しいんだ。
――きみの。


1:
どこだったか、宮殿の、床。
モザイクは斑に射しこむ陽光に、所々浮かび上がってる。
光の鮮やかさと、その明るさと――コントラスト、闇。
まるで、鮮やかで。はっきりしてて。透明で。
それは――美しく。


2:
フェス。
あの古く美しく貧しい町。
一人の子供がこっちに、背中向けてる。
壁は白く、影は斜め。
きみは――大人に、なれるの?
細い、細い体、穴の開いた服に――裸足。


3:
わたし、鏡のなかの。
カメラを握って、支えている手は白く浮かんでる。
表情は――仏頂面だ。怒ったように無表情。
大聖堂の――天井は、その背景。
何を、みてたっけね、きみは?


4:
ぶんむくれ、きみはだれ。
きみは――だれ。
ちいさな子供、少女。
柔らかい、金の髪。乳母車。
レンズを見るのもイヤなように、目を閉じてる。
――かわいいけどね。


カメラ、やっぱ買っちゃうんだろうな――……
春になるまえに、きみの写真、撮っときたいから。



……親父のを分捕った(笑)


-

- 2002年03月25日(月)

たとえば。

1:
自分の価値観を押しつけるな、とかいう以前に。
わたしはものごとに価値があるとは信じない。

正しさなんて、ない。
権利も義務も、幻影です。
わたしはあなたに何一つ要求しえない。
あなたはわたしに何一つ要求しえない。

落ちるより上るほうがいいことだなんて、バカバカしい。
少ないより多く稼ぐことがいいことだなんて、バカバカしい。
知っているほうが知らないよりいいことだなんて、バカバカしい。
美しいほうが醜いよりいいことだなんて、バカバカしい。
賢いほうがバカなよりいいことだなんて、バカバカしい。
秩序だっているほうが混乱しているよりいいことだなんて、バカバカしい。
幸福なほうが不幸なよりいいことだなんて、バカバカしい。
生きているほうが死ぬよりいいことだなんて、バカバカしい。
豊かに生きるほうが貧しく生きるよりいいだなんて、バカバカしい。

わたしの視界で見てください。
全てのものはそのままです。
なんら意味を持っていません。

耐えられますか?


2:
それは論理性を弾き飛ばした視界なのです。
論理を欠き客観というものを全く欠いた視界なのです。
無数の主観のあることだけを肯定する感覚なのです。

わたしを忍耐強いというひとは、間違ってる。
わたしはなにかが「どうあるべき」だという展望を持っていないだけ。

わたしはわたしの目でしか見ず、
そして他者もそのようだと思っている。
これは一つの絶望なのです。
あらゆる傷の経路を断って――同時に何もかも諦めてる。

わたしはあなたになにも求めない。
求めえるとさえ思っていない。

わたしはわたしのやりたいことをするだけ。
―― 一秒ごとに裏切られることやなにやかやを「ありうる」と肯定しながら。
なにひとつ信じてない。

それは悲しいですか?


3:
なにひとつ信じてない。
信じることだけは、わたしはしない。
わたしじしんさえ。
ましてやあなたなど。

わたしは語りかけるとき、答えが返ってくるとは少しも思っていない。
わたしは笑いかけるとき、笑みが帰ってくるとは少しも思っていない。
わたしは約束するとき、守られるとは少しも思っていない。
わたしはなにかを求めるとき、与えられるとは少しも思っていない。
わたしはなにかを願うとき、与えられるとは少しも思っていない。

だから、許せる。
裏切りや、沈黙や、しかめっ面や、無視や、ドジや、利用されることにさえ。
いわゆるやさしさは――許すことだというなら。
ねえ、そのようにしか、やさしくなれない。
やさしくなれるはずもない。

そう、でしょう?










(それがどうした)


-

- 2002年03月24日(日)

ダンス・オン・ザ・アイス・アイズ。

1:
わたしはよく、体育会系のひとに怒られる。
「そんな考え方は一生懸命うまく(野球を・体操を・その他を)
なろうとしているひとに失礼だろ」
と、よく言われる。

『ひとはなにゆえ、役にもたたないこと(スポーツとか)に
 あんなに汗みどろになって頑張れるのか』

という命題について話し合うときである。


2:
わからないのである。
百分の一秒、速く走れて、そして何になるのか。
ひとより少しでも高く飛び、速く走りまた泳ぐことに意味があるのか。

だから、必然的に、「コンプレックス原動力説」を、唱えてしまう。
あるいは――「運動選手の持つ社会的地位への憧憬説」とかね。

失礼、らしい。
そりゃ、わかる。そりゃ、そうだ。
うちの弟は体操に高校生活の情熱をかけているが、
一度わたしの持論を聞いて、それ以来わたしに試合に見に来るなと言う(くすん)

でも、じゃあ納得できる説明をしてください。


3:
わたしの経験からすると――

チームの友情って、けっこう、幻だ。
チームメイトと友人って、けっこう、違う。
チームメイトは卒業や引退すると、そのまま、会わないことが多い。
「チーム」あっての「チームメイト」だから、
「チーム」がなくなれば、縁も切れてしまう、大半は。

少しうまくなった――人に勝った――そんな、喜び。
なかったわけじゃない。
でもわたしはふっと考えてしまう。
……一円も儲かったわけじゃ、ないんだよな。
誰かがそれで今夜食事にありつけたってわけでも、ないんだよな。

要するに、わたしの価値観は、非常に現実的で、
非常にシビアで、非常に俗物的なものだから……
スポーツの意味が、引っかかってこない。
のかも、しれない。


3:
文章は、表現しようとする欲求は、わたしの血の中にある。
わたしはこれに「価値があるかないか」に思い煩わない。
「価値がない」と言われても、書く。
「価値がある」といわれても、書く。

それはいかなる「手段」でもなく、
それ自体が欲求だから、わたしはこれを美名で飾らない。
わたしはこの欲求を多分「コンプレックス」に根ざすものだろうと、
頭の別の場所で分析してはみるけれど、それを信じてるわけじゃない。
そういうこともありうる、と、面白がってみるだけだ。
結局確かなのは、わたしが書くのは、ただ「書きたい」から、というだけ。

スポーツも、そうじゃ、ないのかな、と、思うけど。
友情をなくしたくなければ――黙っておくに、限る。
というのは、確かである。


-

- 2002年03月23日(土)

人から好かれるということが、ひどく居心地が悪い。
好きじゃない。――だって。

きみはナイフを渡すのだ、私に。
好意とは、きみの急所のひとつだ。
そんなに簡単にさらけ出してはいけない。

私にナイフを渡しては、いけない。

私はときおり、無造作に、乱暴に、気が向いたという理由だけで――
そのナイフを振り下ろすから。躊躇いもせずに。傷の痛みなど思いもせずに。
もっと悪いことには気まぐれに。
だから、きみはもっと――

警戒するべきなのです。


人間不信なんだってさ。
自分不信とどう違う?


私はただ、如才なく振舞うことを学んだばかり。
きみの信頼には値しない。
きみの好意には値しない。
きみが私の叫びを好むなら――きみは私の独り言を好むのだ。
きみに対したとき、わたしは独り言など言いやしない。
「きみ」のまえで――そんなことができるわけもない。
独り言を言うのは、一人のときだけだよ、決まってるじゃないか。
きみが目にするのは如才ない微笑と差し障りのない言葉だけだよ。

無造作に肌を晒さないで。
無造作に細い首を晒さないで。
血を流したくなるのが怖いから。


-

- 2002年03月22日(金)

月光の中に住む。

わたしの呼びかけるのは、いつでも永遠の二人称たるあなただ。
固有名詞ではない。実体など持たない。存在はしても目に見えない。

その昔、わたしの撮る写真はどれも、ひとのいない国のようでありました。
ひとかげのない国でありました。
ただ結晶した城や寺院だけが、無機質な陽光の中にありました。
わたしの目と心がそれしか見ることを望まなかったからです。
追憶と普遍しか見たがらなかったからです。

今、わたしの撮る写真には、人々があります。
ああ、そう。見知らぬひとびと、普通名詞としてのひとびとがあります。
わたしは彼らの名前を知らない。彼らはわたしを知らない。
わたしはただの旅人として、笑顔と瞬間を乞う。
彼らはただの土地人として笑顔をくれる。
親に向ける笑顔でも、恋人に向ける笑顔でも、
友人に向ける笑顔でもない、そうした名前のない笑顔を。

だから、わたしの撮る人々には名前がない。その笑いには名前がない。
明らかな断絶がある――このファインダーのこちらと向こう。
必要なのは名前です。実在です。確かさと儚さです。
愛と憎しみ、喜びと悲しみ、あこがれを出てこの手で抱くことです。
ファインダー以前につながるそのつながりです。


――「あなた」の誕生によって「わたし」も生れ落ちる。


あなたがカッコつきの「あなた」になることを。
わたしは望んでいるのでしょうか、それとも望んでいないのでしょうか。
わたしが、カッコつきの「わたし」になることを。
わたしは望んでいるのでしょうか、それとも望んでいないのでしょうか。

わたしの写真のなかに、あなたが。
わたしの魂のなかに――あなたを。
その全ての表情、その全ての仕草、光と影とを。
抱きしめる、ことを。



わたしは望んでいるのでしょうか、それとも望んでいないのでしょうか。
そして、ねえ――「あなた」は?


-

- 2002年03月21日(木)

1:
「指輪物語」見てきた。
すっげ、映像きれい。
でも、そうだね、「ハリーポッター」と似た匂いがしたね。
つまり、あまりにも原作に忠実すぎる。

私としてはガンダルフやガラドリエル、フロドやアラゴルンに会えて、
すっごく嬉しかったのだけれど(でも、トム・ボンバディルは出なかった……)、
映像本来の魔力や可能性、映画という手段としての物語性は、
あまりにも「狭め」られてた。というふうに言わざるを得ない。

まあ、「評価」としてはそれほど高くなくても、
「すき」レベルは高かった、かなあ……。
アラゴルンが男前で、フロドがかわいくって、
ガラドリエルが美人で怖くてやさしかったから、いいや。

あ、ガンダルフ囚われのシーンは、ちょっと・……
「なんか、ガンダルフ、薄幸のお姫さまみたい」(きらきら)
などと歪んだ感想を呟いてしまったり、
フロドをみんなで守ろうとするシーンは、
「フロド、三蔵法師みたい……」などと考え、
猪八戒や沙悟浄や孫悟空は誰かなーなんて、妄想広げちゃったり……。

だめかしら?(笑)
楽しかったから、いいよねえ。


2:
花粉症……だった。
過去形なのは、治ったから。
治るもんなのか、っつーのはおいといて。

17くらいから20くらいまで、いっつも梅雨までマスクしてたんだけど。
なんか大学後半くらいから、よくなってきて。
院の2年間では、ちっともなんとも。

よくきくって評判の注射、したけどきかなくて。
よくきくって評判のお茶、飲まされてて少しマシで。
マスクはまあ、対症療法……。

現役花粉症のひとに、同情します。
すっげ、辛いのですよね。
めんたま、くりぬいて洗いたいくらい。
息ができなくって、あっちこっち痒くて。

人間って、ほんのちょっとのことで調子が狂うものだね。
他の全部の場所が健康であっても、たったひとつの欠陥が致命的になる。
それはとても、不思議なことではありませんか。

わたしの・あなたの――からだや、こころ。

Anser1→その仕組みを、知りたい。
Anser2→そうしたものとして、そばにいよう。

さあ、どっち選ぶ?


3:
同期の連中と、飲み会。
みんな、よく飲むよく飲む……(ぐったり)

日に夜を継いで、明日へと走ろう。
いま、わたしたちは同じ夢を見ている。
それぞれの道を走り出す、ときは間近。
わたしたちは、それぞれが上の空だ。
この手は握り合うためでなく、やがて別れを告げるときのためにある。
――そしてまた、いつか会うよ。

いいや、別れながらも一緒にいる。
別々の道を歩きながらも、ひとつのなにかを共有している。

鋭く羽ばたき、鋭く叫ぶ。
ねえ、わたしたちは――巣を出る日を待ちかねる雛たちだ。
もう羽は生えそろっている。
――はやすぎる開花を告げるさくらさえ、我らにはあまりに遅い!



……おやすびー(ふとんずるずる)


-

- 2002年03月20日(水)

ビミョー……に、眠たい日々(ぐぅ)

1:
部屋んなか、ごみばこのように汚い。
なんでこうなるかな。(むぅ)

というのは、引越ししたときの荷物が、
ダンボールに入って山と積んであって。
衣類を幾つかあけたのが乱雑に引っ張り出されてて。
そりゃあもう……(黙)

旅行の荷物をほどきかけで。
あのみやげ物を出したり、このみやげ物を出しっぱなしだったり。
あー、旅行の後始末って、どーしてこんなに、めんどくさいんだろ。


2:
ベッドん中、居心地良すぎて、なかなか起きない。
いちどきに、12時間くらい寝ちゃう。
疲れてるんじゃなくって、緊張が緩んだからかな?
背骨が痛くならないからかな?

ごはんが、おいしい。
お袋さんがまだやさしいので、据え膳で食べさせてくれる。
白いご飯と、お味噌汁。佃煮、んまい。
夕食はアレがいいな、なんて言うと――ハイハイって。


3:
犬連れて、散歩に行くんだ。
じいちゃんちまで。
顔、見せるだけだけど。

日差しがいいから、歩きながら、寝ちゃいそうだよ。
――元気でいてね。
ねえ、いつまでもなんて、ムリ言わないけど。
できるだけ長く、ね。

ああ、おかえり、おかえり、と言ってくれるの。
ありがと、おばちゃん。おじちゃん。
いとこどもども。
お土産は、なんて――言ってさ。
ちゃんと、買ってきたよ。ごめんね、空港で買ったお菓子で。


4:
新聞、読む。こたつで。
ああ、そと、さくら、さいてたよ、と――告げる人のいる、しあわせとか。

お帰り、親父。
遅くまでご苦労様――と、言って笑える、しあわせ、とか。

会いたいなあ、と、思うひとに――電話、かけれるしあわせ――とか。

あとほんの、ねえ、2週間なんだけど。
もうそんなにないんだけど。


猫みたいだ。



-

- 2002年03月19日(火)

1:
学部時代の教授と飲みに行く。
非常におっとこまえの教授で、まだ若い。(つっても四十男だが)
他の院生どもが学部生と飲みに行ってたので、ツーショットだったり。(笑)

好きなんだよねえ、このひと。
なにがって、体育会系で顔が四角いとこ。(なんだそりゃ)
というのは冗談だけど……

とても、静かだ、と、思う、ときどき。
でも、いい意味で、若い。
「あるべき」姿というものを検討することを忘れない。
「ありのまま」の姿というものを直視している。
私みたいな若造でもバカにしないで「教えよう」としないで、議論してくれる。
私の言葉を聞いて、容赦なく自分の言葉を返してくれる。
……時々容赦なさすぎて、撃沈すっけど……。


2:
寿司食いつつ(おごりだったり)、議論する。
ものを言うということの、難しさ。
視線の熱さまた冷たさ、ココロの熱さまた冷静さ。
自分の限界を意識することが、世界を広げることにつなげることや、
研究や学問ということの積み上げてゆく営みや。

この先生に出会えたこと、感謝している。

自分の視界というものを、正しく知りたい。
自分に見えていないものが、どのように見えていないのか、正しく知りたい。
地面に足をつけて、歩きたい。

私が結局は捨てた学問という営みを、
歩むあなたの足取りは確かで、そしてその視線が私は好きだ。


3:
人間は、けっこう、偶然からできてる。
出会いって、大きい。

好きで行った学校じゃなかったよ、でも。
出てから、とても好きな学校になったから。

だから、私は、とても、幸せだね。
いつか出世払いで、うまいもん食わせてあげるよ、先生。(笑)
そうしてまた、議論、しよう。


-

- 2002年03月18日(月)

帰還しました。
スペイン、モロッコ、あわせて3週間あまりの旅です。

……短かった。(社会人が聞いたら殺されそうだ)

一人でこれだけの長さの旅をするというのは、
よく考えたら初めてでありました。
寂しい? とんでもない、気楽でした。楽しかった!
ちっとも疲れていないで、さあ残り少ない春休みをどう満喫するかとか、
さっそく考えている自分が怖かったり。(笑)

……まあ、
連日体を伸ばしては眠れない夜行(電車・バス・飛行機)も、
あ、ごはん食べるの忘れてたってかいつ最後に食べたっけああ昨日、も、
なんか風邪っぽいや困ったな医者と言葉通じないぞここでホネかな、も、
美容師さんちょっと待って眉毛が出てるそれじゃ猿猿猿!(号泣)、も、
あ、もうお金ないや銀行閉まってらそういや明日土日じゃんどうすっか、も、
……3週間もあればいろいろあったけど。(フゥ)


うーん、旅先で一番考えたのはね、
言葉ができないと、人間って、幼児以下……ってことかな。
いや、スペインって、英語通じなくってさー。
モロッコでの方がまだなんつか、幼児ぐらい(おい帰国子女)だったかなあ。
切符を買えて、ホテルも取れても、新聞読めないからねー。
生活を社会と共有するレベルがほんっと幼児になっちゃうんだよ。


それから……
あのね、ヨーロッパって、鐘の国なんだよ。
一時間おきに、あるいは15分おきに、鐘の音が聞こえるの。
町には大聖堂のほかにも幾つも幾つも教会はあって、
正午の空にその鐘の音が空中に響き会う。

――ねえ、わかるかな。

それに対し、アラブ世界では一日に五度、祈りの呼びかけが響きます。
スペインからモロッコへ、ジブラルタルを渡ったときに、
ああ、それは世界の変容。

ねえ、それは――

その昔、イスラームがスペインを支配していたことを覚えていますか。
イスラームは統治下のキリスト・ユダヤ教徒に対して存在を認めています。
でも、キリスト教徒は家や教会の外で儀式を行うことや、
布教を行うこと、そして教会の鐘を鳴らすことは許されていません。
レコンキスタによって国土の回復されたとき、鐘は。
どれだけも誇らかにまた明らかに、鳴り響いたことでしょう。

そしてまた。

私はイスラームの人々がスペインを、
その愛してやまなかったアンダルシアを、
離れゆくときの嘆きの言葉を幾つか知っています。

彼らは嘆き――

ああ、ねえ。
それでも大地は時を止めることはなかったのです。
コルドバにおいて西方世界の星であったメスキータは今はカテドラルとなり、
セビーリャにおいてイスラームの文様を踏まえながらモサラベ様式は咲き誇り、
グラナダにおいてアルハンブラには古い王宮に並び全盛スペインの宮殿があり、
歴史は留まることなく、彼らの去ったその上に、
透明な層を重ねていました。

ひとは、生まれることも死ぬことも、やめないようです。
古い糸杉さえ、もう彼らのことを覚えていない。


あとは、なにかな。
やっぱ、カテドラルかな。
えっとね、トレドの大聖堂が一番すき。
カテドラル内部では、ほとんど写真をとってない。
だって……出てからカメラのこと思い出すんだもん。

諸々の聖人たちを図案として絵画として、
彫刻として想念としてまた全てを統べる暗示として。
ねえ、どうしてこんなにまでも執拗に人々は刻みつづけたのでしょうか。
エル・グレコの描いた嘆きの聖母の光と影は、なにゆえに生まれたのでしょうか。

それは、そこにこそリアリテがあったからではないでしょうか。
世界の本質、世界の神話があったからではないでしょうか。

人々は聖母マリアの、あるいはマリア・マグダレーナの、
サン・セバスチャンのそれとも――イエス・キリストの、
その涙その血こそを、自分の涙、血よりもほんとうだと思わなかったでしょうか。
それこそがほんとうであり、自分自身を影だとさえ思わなかったでしょうか。

貧しかった聖母を金襴の衣装に包んで描くとき、
彼らは美徳や聖性というものを、そのように美しく輝く現世の富に比し、
また――現世の富とはそのような聖性のうつしえであると
暗黙のうちに了解しなかったでしょうか。

そしてまた、彼らは。
自らの内側の波うち渦巻きくらい生の感情を。
それら聖堂の人々によって価値付け判断し、名づけたのではなかったでしょうか。
苦しみや悲しみのあるとき、絶望のあるとき。
彼らは自分と同じような苦しみを舐めた聖人の足元に跪かなかったでしょうか。
世界を理解するための鍵として、聖人は幾たりあっても足りなかったでしょう。


あ、忘れちゃいけない、砂漠。
モロッコはサハラ、波打つ砂の群。
ほぼ一昼夜、砂ん中で遊んでいました。

砂は細かく乾いており、陽光によって白っぽくも赤茶けても見え。
季節は春、風は東南から吹きつのり。
そこに何があったでしょうか。
ああ、何も!

空漠とした天を切り取って砂丘はその空しい頭をもたげ、
音はないのです、ひとつも。
耳は痛いほど、目はめくらむほど。
手を伸ばし、天を抱こう。地を抱こう。
ああ、砂は私の腕から零れ落ちました。
砂の一粒一粒が無限の謎を抱いてそれを表す術を知らないようでした。
風は音もなく私の足跡を埋めてゆきました。
ああ、網のように広がっていた星々は消えてゆきました。
月は上り、いろのない濃淡の世界は広がってゆきました。
私の影ははっきりと砂の上に落ちました。

この世界は、絵解きするための手がかりを許さない。
解読するために人間的なものを導き入れることを許さない。
永劫の謎として横たわり――虚無によってしか癒されないものも、あるのです。





ああ、書きたいこと、いっぱい。
そのうちきっとまとめて、書くね。



-

- 2002年03月11日(月)

I need you.

I always said. I need you.

Don´t forgot me.Don´t leave me.

in cordova


-



 

 

 

 

ndex
past  next

Mail
エンピツ