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終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2002年01月30日(水)

イライラすると、髪を引きぬくクセがある。
……ハゲになりそうだ。


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- 2002年01月29日(火)

きみよ、今夜月は真円に近く――
――きみよ。今夜、月は黄金のコロナを放つ。

無限の黄金の濃淡を引き襞を引いて月は己が衣を夜に引く。
夜は無限の黄金の濃淡を引くその上にああラピス・ラズリ紺碧を忘れて。

月は今夜は女王イゾルデ。愛と死と悲しみと喜びの襞を引く。
本能は高く昇り崇高でさえ。ああ今夜月は黄金のイゾルデ。

今夜月は黄金の髪のイゾルデ、地上より雲立ち上るはイゾルデの白き手。
二人のイゾルデ、一人はこぼしひとりは受け取る。
宇宙風は彼らの髪をかき乱す黄金の髪、ああイゾルデ。
白き手のイゾルデあなたはその手を打ち振る。白き手。イゾールデ。

イゾールデ。見交わす瞳は一対それとも二対。
イゾールデ、金の髪と白い手。トリスタンはどこに。
白く空は帆に風をはらみ。――イゾールデ。瀕死のトリスタンはあなたを待つ。

だがトリスタン。トリスタン・ウント・イゾールデ。
彼は二人のイゾールデあなたがたの見交わす視線の綾にだけある。
イゾールデ、イゾールデ、イゾルデ。
見上げ見下ろし零し受け取る。白い手金の金の髪、イゾールデ。
織り成す金の髪織り成す金の襞、トリスタン、トリスタン・ウント・イゾールデ。

トリスタン、トリスタン・ウント・イゾールデ。

彼は道化、彼はトリック・スター。彼は幻、彼は世界。
イゾルデ。イゾールデ。あなたがたの見交わす瞳の間にだけある。
イゾールデ。あなたがたの視線は綾なしあなたの金の髪は天に遍く広がる。
白い手は紡ぎ織り、刺繍する。描き出すのはトリスタン。
あなたがたの愛人だ。――世界だ。謎だ。一つの結び目世界の臍。
世界を抱きしめるようにあなたがたはトリスタンを抱きしめる。
時に惨く時に優しくときに悲しみに満ちてその死を看取るためああイゾールデ。

彼は唯一の実在。彼は唯一の幻。
彼は影。彼は真実。トリースタン。
トリースタン・ウント・イゾールデ。
二人のイゾルデ、真実は一人。
遠い遥かな次元にあなたがたは重なる。
遠い遥かな次元からこの世に投影されたひとつのもの二つの影。
――わたしはあなたを愛する。イゾルデ。イゾールデ。

あなたの金の髪イゾルデ、白き手イゾールデ――……
月よ立ち上れ誇らかにその金の髪を広げよ紺碧を忘れた空に。


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- 2002年01月27日(日)

私は夜毎日毎死ぬ。
私はわずかづつ死に、そして死にきるということがない。
絶えざる死だ、終わりのない拷問だ。
きみ、これが私の日常なのだ。

私は多くのものを殺した。
私の内なる多くのものを。
死んだものは空虚を残し、空虚は私に寂しさを思い知らせる。
私は寂しさを殺そうと試みた。
ああ、幾度試みたことだろう!
だが一度死んだものは二度は死なない。
虚無を、無を取り去ることはできない!
私はこれを殺しえぬことを認めた。

いま、きみへ向けて生い茂った草叢を。
この一束の感情を。
私はどれほど殺したことだろう。
こればかり、消えはしないのだ。
こればかり、殺すことができないのだ!
硫酸を、塩を撒いたのに。
そこからは新しい、ぬめりを帯びた燐光の草花が生えてきた。
毒だ――毒草だ。生きながらの死だ。
虚無とは異なる形の――やはり死にえぬ死。
だが生きてもいない!

さあ、きみ。
きみは知るべきだ。
私は夜毎日毎に死を深めてゆく。
殺すものと殺されるものの双方の役割を私は担う。
きみ、見たまえ。
私はいつか、この体を投げ捨てる。
多分どこかの6階から。
――それくらいの高さが、ねえ、必要なのだよ。


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- 2002年01月26日(土)

きみの夢を見てる。
きみの夢を。

きみのいない夢を。
きみのいる夢を。

――どちらもきみの夢だ。

どうして夢はこうも正直なのか。
そしてこみ上げる願いは唐突だ。


(この手の中にきみがいればいいのに)
(この視線の先にきみがいればいいのに)


そんなこと、言わないよ。
ねえ――言いや、しないよ。

それは、きみの――わかってくれなきゃ――いけないこと。


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- 2002年01月23日(水)

きんけうほうこく


学校に泊まりこむこと週平均2日? 3日?
幸い下宿が近いから、風呂に入りたくなればなんとか
11時前に帰ってきて、翌朝8時に学校に着く生活。

タダレルね!(はっはっは)
しょうがないね、卒業かかってるもんね!(あっはっはっは)
あと一週間!(終わるのか?←いいっこなし)


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- 2002年01月21日(月)

……閉鎖→削除、考え中。


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- 2002年01月20日(日)

壊れた時計

以前京都に行ったときに、壊れた時計を買った。
いつ時を止めたのか、大正時代の年号を刻まれた銀の懐中時計。
これはいつなのだろう。この針のさしているのは、いったいいつなのだろう。
私は時計を買ったのではない。
止まった時間を買った。過去のいつかの時刻を買った。

使い道は?
あるわけがない。
使うために買ったのではない。
ただ私は――あらゆるものがただわけもなく零れてゆくその中で、
たった一つ、もうすでにない時刻を抱きしめた――
その時刻に属する――数兆数億の秒の中のひとつだけを抱きしめた――
その愛情深い存在を買ったのである。

いつまでも止まっておいで。いつまでも。
けっして特別ではないその瞬間を、おまえだけは抱きしめている。
こぼすことなく抱きしめている。忘れることもできず、癒えることもできず。
壊れた時計、ああ、私はおまえが愛しい。


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- 2002年01月19日(土)

ラスコーリニコフ・ソーニャ

1:
「それが出口だ」

だがどこからの?
だがなにからの?
どこへと続く?

ラザロの復活を読むソーニャを私は知る。
私もまたそこにいたかのように。

聞かせてくれ、読んでくれ。ソーニャ。
神の勝利の物語を。
キリストのあまりにも簡素な言葉を。
私もまた跪こうから、にんげんの大いなる苦悩のために。


2:
ラスコーリニコフとともに私は歩いた。
私は彼の暗い額とその背を知る。
彼の見た汚い天井を知っている。

彼は跪きたかったのではない。
跪かねばならないと知っていたのだ。
老婆を殺すことの意味を知っていたように。

彼は跪いた。
誰に?
ソーニャにか?
にんげんの大いなる苦悩のために。
キリストのために。
――だが彼自身、一人のキリストとして。
跪いたのは誰だったのか?
その跪拝を受けたのは誰だったのか?
その双方ではなかったか――ラスコーリニコフ。


3:
この物語を読み終えるのが怖い。
この人々の運命を追うのが怖い。
わたしはあまりにも彼らに親しい。


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- 2002年01月17日(木)

鵺(ぬえ)

1:
「頭は猿、
 胴は狸、
 尾は蛇、
 手足は虎、
 声は鶫」


2:
あなたは私に何を見ますか。
私の頭だけを見るひとは私を猿だと言うでしょう。
私の胴だけを見るひとは私を狸だと言うでしょう。
私の尾だけを見るひとは私を蛇だと言うでしょう。
私の手足だけを見るひとは私を虎だと言うでしょう。
私の声だけを聞くひとは私を鶫だと言うでしょう。

そしてまた、私は。

あなたが猿を見たいと願っていれば私の虎の部分を。
あなたが狸を見たいと願っていれば私の虎の部分を。
あなたが蛇を見たいと願っていれば私の虎の部分を。
あなたが虎を見たいと願っていれば私の虎の部分を。
あなたが鶫を知りたいと願っていれば私の虎の部分を。
それだけを、見せるだけの狡猾さを持っている。


3:
私を探してください。
私を分解することなく、概念として整理することなく、
ほら、その目を。――静かに。

あなたはそこに私を見るはずだ。
猿でもなく狸でもなく蛇でもなく虎でもなく鶫でもなく。
――鵺を。私を。
なにか「めいた」ものの集合ではなく、私自身を。
――鵺を。
私もそうするから。


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- 2002年01月15日(火)

意味(センス)

1:
ちょっと面白い考え方がある。


『かつて人間は自然の中に存在していた。
 不確実で危険な自然。
 文明を得て人間は自然を放逐しようとしまた放逐し――そして。
 見渡せば、自分たちだけが自然物だった』


ちょっと愉快な話ではないかな。
そうとも、森を海を放逐しても、我々だけはいついつまでも自然物。
不確実で危険、もろもろの非効率的な要素を持つ。
完全で確実で効率的な世界で、電源を入れられるペットを飼う国で、
人間だけが――。


2:
人間世界は、つまりは意味(センス)の世界だ。
名前の世界と言ってもいい。

名前は貨幣のようなもの。
実存(価値)と連結して我々の頭の中で流通する。
形容はそもそもの始まりにおいて実存の一形式であり、
それを実存から「はがして」想念としたのは灰色の脳細胞。

私は嫌いだ。――意味が嫌いだ。


3:
私は断言するのが好きじゃない。
意味付けをするのが好きじゃない。(だからして論文で苦しんでる)
私に意味をつけないで――と、ひそかに叫んでる。

誰も私を見ないで。
誰も私に名前をつけないで。
誰も私の名前を――貨幣のように使わないで。
私の生命の根源を流通させないで。

私について語ってはならない。
誰についても語ってはならない。

実存として生きることができればいい。
それとも死ぬことが?


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- 2002年01月14日(月)

1:
妙は話だが、そして私にはその理由がさっぱりわからないのだが。
どうも……中学校から高校、現在に至るまで、私は校内有名人であるらしい。

中学校、高校……大学。
ねえ……なんで?

なんで私の知らない人が私のこと知ってるの?(汗)

冗談では、ナイ。
まあ、中学校の方はよしとしよう。
田舎の学校だ、帰国子女は私が学校史上初だったんだ。

しかし……。
高校……大学。大学院。
いまだに。いまだに……私は「あの」○○さんらしい。


2:
仮説1
 実は私にはドッペルゲンガーがいて、そいつが好き勝手なことをやっている。

仮説2
 実は私が知らないだけで私の背中には触手が生えてウネウネしている。

仮説3
 実は私が知らないだけで私の頭の後ろには後光がさしていてピカピカしている。

仮説4
 実は私が知らないだけで私の影は時々勝手に……(以下、無限に続く)


アホウなことはおいといて。(おいとく)
……妙なことをしているつもりはない。
しているつもりはないのだ。
のになあ……。


3:
少し前に、おふくろさんがおフランスにご旅行に行かれたのだが。
あいにくと、出発の日、台風が近づいていた。
であるからして……飛行機が飛ぶかどうか心配して見送ったのだが。

本を読んでいると、電話が鳴った。
出てみると、おふくろさんの友人のJ子さんだった。

J子さん:お母さんはもう出られたの?
私:はい。
J子さん:飛行機、無事に飛んだのかしら?
私:母が帰ってこないところを見ると、飛んだは飛んだと思いますが。

この会話って、不思議なトコ、ないよねえ?!
だがこの後にJ子さんはたっぷり五分ほど笑いこけていた。
そして後日母にもこれを話し、二人でおおいに笑ったということ。

……わからねえよ(ぶんむくれ)


4:
私は基本、真面目で無口である。
多少理屈っぽいところはあるが……有名人になるような素質はない。
なのに、やっぱり現在でも「あの」○○さん、なのである。

……私の常識、みんなの非常識?(まさか)

いささか、不安である。
いや、不思議である。

……誰か教えてくれないか?


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- 2002年01月13日(日)

Who can say, who I am ?



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- 2002年01月08日(火)

関係の諸段階5

1:
他者との関係において基礎となるのは常に、
自らの自らに対する関係である。

正確には、自らの情動と意思に対する関係である。
情動は自らの流儀を持っている。
意思と理性が最良のものを弾き出しても、
情動はけして従わない。
そして情動から力をくみ上げられない限り、
理性や意思のなせることは微々たる物である。


――――――
俺は寝る。後日加筆する。


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- 2002年01月06日(日)

関係の諸段階4

1:
関係が固定化するということはよくある。
それはおおむね職業に関係するようだ。

ある程度自分の関係を予期するようになれば、
あるいはある一つの立場しか思いもつかないというようになれば、
その人間の関係の柔軟性は硬直してしまう。

硬直した関係はそれ自体、当人の属性として固着してしまう。
尊大さ、卑屈さはそうして身につくものであろう。
それらは人間の関係を更に硬直させ、
「習い性」属性は更にその傾向を深めてゆく。
いずれにせよ、この場合、その人間の個性は平板、貧弱となる。


2:
適応力とは、新たな関係を作り上げる力である。
見知らぬ人と出会って即座に友好的な話を始める力ではない。
そのような一過性のものではなく、
確たる関係、思いこみによらず自分の先入観によらない、
現実の相手と自分に即した関係を作り上げる力である。

属性となるまでに固着した関係における「癖」の持ち主は、
あるべきと予測した関係しか築けない。
例えば常に自分は「優位であるべきだ」という予測を持って望む者は、
相手がその予測に従わず、自分をその座りなれた位置に置くことを拒めば、
――それで途方に暮れる。
他に手立てを知らないからである。


3:
現実への絶えざる注視、自らへの絶えざる注視。
相手へ関わろうとする欲求と、
その欲求の性質を正しく把握し現実化する――意思。
自らの望む関係の形を正しく知り、忘れず、
更にそれを現実に即して変容させていけるだけの――現実性。


4:
関係における幾つかの原型、この規範、要素、ツール。
それらを磨きこみ、自らの欲求に従ってかけ、また外すこと――

容易ではない。
しかもそれは日常をこそ舞台として行われる舞踏だ。
積み重ね、積み重ねるべき――


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- 2002年01月05日(土)

I never said, I need you.

1:
愛していると、言ってしまえばいいのか?
それで全ては壊れてしまう。

この心臓を引きぬいて投げ捨てよう。
きみに用などない。
私がきみを愛していることが、きみにいったいどんな関係がある?
きみに用などない。


2:
この心臓を引きぬいて投げ捨てよう。
この思いごと投げ捨てよう。

きみなど知らない、この思いはきみには関わりない。

閉塞して死に絶えよう。
私の死因を知られてはならない。
きみに用などない。


3:
私の絶望が他の誰にも関わりないように、
この愛も他の誰にも関わりないのだ。

きみなど知らない。きみになど用はない。

だから死なせてくれ。
死んだように生きさせてくれ。
嘘の中に躯を埋めて、きみになど見せはしない。


4:
きみの慈悲など欲しくない。
きみの愛など欲しくない。

これは病だ。

私は癒えるのを待とう。
どんな病もいつかは癒える。
癒えねば死ぬまでだ。


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- 2002年01月04日(金)

関係の諸段階3

1:
人間はそのなりたちにより、幾つかの方向へと向かう力を自らのうちに持つ。
なりたちとは、個人の生育のことではない。
人類の進化史上における必然である。

愛と憎しみ。
欲望と利己性。
羨望と嫉妬。
先取制と保守性。

もし人間がその本性として、愛を持っていなければ。
他者とともにありたいという情動を持たなければ。
人間は子孫を残すことができなかっただろう。

もし人間がその本性として憎しみを持っていなければ。
他者を排斥する情動を持たなければ。
人間は広く散らばることはなく、幾つかの厳しい時代に滅んでいただろう。


2:
関係は、すなわちこれらの情動、これらの力を流す回路である。
幾つかの太い回路。交わる細い回路。
流れるのは無限に豊かな、そして尽きせぬこの情動。

内側にためこみすぎてはならない。
正しく流れる回路がなければ、溢れてしまう。
壊れてしまう。

壊さぬためには、できる限り多くの回路がいる。
でなければ万能の回路が。


3:
書く、という回路について述べよう。

「書く」

何に対して自らを規定するのか?
どのような情動を流すのか?

自らに対して。紙に対して。
あらゆる――情動を。

これは万能回路なのだ。
自らに対して自らを規定する。
自らのうちにある一つの鏡に自らを照らし出す。
そして一切の仮借は許されない。

書くことによって自らの心臓を刻む。
だが、カタルシスも――許される。

書くことは危険な回路だ。
ここで全てを吐き出し流し出すことができるが――
先へ行くことを怠れば、ここで終わる。



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- 2002年01月03日(木)

関係の諸段階2

1:
よく知られた事実に、
「精神分裂病患者は周囲の人々と一定の信頼関係を築ければある程度回復する」
というものがある。

まったく関係の欠如した人間は、個性なるものを持たない。
なぜなら個性とは、関係の中でどのようなスタンス、どのような見方をするか、
それだけのことであるから。
どのような父に、どのような母に、どのような配偶者に――なるか。
どのような恋人に、どのような友人に、どのような子供に――なるか。
孤独な人間は、人間ですらない。人間は他者によって自己となる。


2:
関係。

――他者を通して自己を発見すること。
むろん、相手が人間でなくても関係は持てる。

草を刈る――花壇の手入れをする――犬と遊ぶ。

だが、草を刈る人間が、
ただ草によってだけ自己を規定するなら、自己を見出すなら。
彼は草に過ぎない。

人間を疎んじ、犬とだけいる人間は、
ただ犬によってだけ自己を規定し、自己を見出すなら。
彼は犬に過ぎない。

人間性は豊かなものだ。美しいものだ。多様なものだ。
同じほど可能性に富んだ、複雑な――人間を相手にするときにだけ、
人間は人間になる。


3:
困難なのは、社会である。
社会に対して自らを規定するとき、
人間はある種、無力である。

社会を規定し、よく見ようとするときに引き合いに出されるのは、
「他の社会」である。いっこの人間ではない。
人間は社会に属さねばならないが、社会が一つの主体として
迫ってくるとき、人間は自身の無力、自身の無意味さだけを感じ、
正しく関係することができない。

人間は社会にあっては、常に、人間以下、である――


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- 2002年01月02日(水)

関係の諸段階

1:
人間の可能性は、全て関係の内に開かれる。

父と母。
母と子。
兄と弟。
姉と妹。
教師と生徒。
友人。
恋人。
同僚。
敵手。
親友。
仲間。
俳優と観客。
主役と脇役。
悪人と善人。
施主と乞食。
上司と部下。
反逆者と支配者。
命令者と受諾者。
加害者と被害者。

ありとある――関係。


2:
「一匹だけのチンパンジーはチンパンジーではない」
なぜなら、チンパンジーの行動様式、その種の特性は、
一定の群の中でこそ真に顕在するからである。
チンパンジーは常にチンパンジーである。
だがチンパンジーが真にチンパンジーとなるためには、
群という場が必要なのである。

人間は、更にそうだ。


3:
人間の孤独は。
人間の破壊は。
――関係の貧困、ないしは欠如にある。
言うほど単純なことではない。

関係は、幾つかの典型、幾つかの規範、幾つかの原型である。
その数種は完全に独立しており、多くのものはその組み合わせである。
関係の原型の一つないし幾つかを欠く人間は、
己の内部に何か欠陥があるとおぼろげに知りながら、
けっしてそれを案出することはできない。

それはちょうど、三原色のようなものである。
一つを欠けば、ある一群の色彩を作り出すことができなくなる。
ただ、関係の「原色」は、三つよりおそらく多いだけである。


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