- 2001年10月31日(水) 1: 学園祭が近い。 もう、明日からだ。 門から校舎へ向かう道には、手作りのベニヤの看板。 餃子やら、しるこやら、わたあめ、ヤキソバ、たこ焼き。 コンサート、演劇部の恒例の舞台。 ストリートダンス部は場所を構わず練習して困る。 7時を過ぎれば誰もいなくなるはずの校舎に人声。 騒がしい、トンカチ、カナヅチ、 忙しい人の気配。笑い。 荷物を運ぶ掛け声。 夜の中に響く。 祭の――気配。 高揚する空気。 澄んだ夜の中にエーテルが流れて行く。 私の足も、自然に軽い。 見えない何かは踊るよう。 2: そういえば。 だんじりは私の郷里の祭。 町の誇りの彫り鮮やかな地車を、辻々に引きまわす。 死人の毎年出るのはあたりまえ、勇壮ならば危険はつきもの。 法被、腹掛け、地下足袋、ねじり鉢巻きつく締め、 少女たちは長い髪を編み込みにして凛と美しく、 青年団は日に焼け声を嗄らし、屈強な体は涼しく強い。 笛と太鼓を受け持つ少年たちは、地車の彫りの間から四方を睥睨する。 大工方は団扇を翼に自由自在、地車の屋根の上を飛び、 その号令一下、長い曳き手たちの列が走り出す様は胸のすくよう。 祭は宵宮と本宮の二日に渡る。 二日目の昼間、地車は宮へと渡り、 夜更けにそれぞれの町へと帰って祭は果てる。 そうしてまた、私達は次の祭へと日付を数え始めるのだ。 がしかし。 三日夜の太鼓、という言い草がある。 三日目の夜、どこからともなく、太鼓の音が聞こえてくることがある。 驚いて祖母に尋ねた。 まだお祭り、終わってないの、と。 ああ、あれは、と、祖母は答えた。祭りの法被を畳みながら。 ああ、あれは三日夜の太鼓、祭りの行くのを惜しんで―― ――もう少し、と、未練がましい若い衆が太鼓を叩く。 呼んでも帰らぬ祭りを呼び返そうと。 三日夜の太鼓が夜半に響く。 3: その坩堝、この高揚。 前夜にさざめき、三日夜に名残を惜しむ。 そのような瞬間を持つものこそ、幸いだ。 たとえ追憶が苦しかろうと、待つことがじれったかろうと。 それは―― 生きることを惜しまないでください。 失って哀しむことも、手に入らなくて嘆くことも、 じたばたすることも。 どちらも生きることです。 おそらくは、幸福と同じほど。 - - 2001年10月30日(火) 誰へよせるともなく。 1: 私が誰かを愛するとき。 私が全てのよいものを贈りたいと願うとき。 ――まさにそのときにこそ。 私とは克服されるべきなにものかなのです。 私はそのとき最も疎外されるのです。 (大人の会話から追い出される騒がしい子供のように) 最も楽しかるべき瞬間に。 最もくつろいでいるべき瞬間に。 ――まさにそのゆえにこそ。 私は自らを放逐するのです。 私は自らを追放するのです。 2: 私をくつろがせるのは、孤独だけです。 深い眠りと、そこに糸のようにつながる思考だけです。 ああ、そう。 押し入れに閉じ込められた子供がかび臭い布団を並べ直して、 ひそかに泣きながら眠りにつくように。 (ああ、私はまだ、そこにいるのですか) 出口をください、どうか出口をください。 私とは誰ですか、私とは何ですか。 知っています。 私が許さねばならないのです、私を。 私が愛さねばならないのです、私を。 3: かつては、泣き叫ぶ私を母が押し入れに閉じ込めました。 今は私が私を閉じ込めるのです。 私を許してやれずに。私を許せずに。 いつか殺し、跡形もなく消し去ってしまうまで。 (私のいない、世界に行きたい) 私が与えることができるのはあなたの影ばかりなのでしょうか。 あなたの願いの反響ばかりなのでしょうか。 私は影となることであなたを勝ち取ろうとしているのでしょうか。 それは確かに不当だ。 (私のいない、世界に行きたい) 私自身として私が立ち現れたとき、あなたはおそらく逃げ去る。 あなたの影になってしまえればいいのに。 あなたの願いだけを叶えつづけることができればいいのに。 私などというものがいなければいいのに。 Calling........... 出口を。どうか出口を。この暗い扉を――開けてください。 開けてください、どうか。 あなたの力が、必要なのです。 いいえ、開けてはいけない。 あなたがそこに見るのは―― ――無限に黒い、闇の溜りだ。 人間には耐ええない。神だけがこれを救える。 にも関わらず、私は神を否認するものなのです。 - - 2001年10月29日(月) 誰へあてるともなく。 1: 愛するということの意味を、私は理解します。 それでいて本当には理解しません。 それはあまりに複雑で、困難です。 最初の課程は、与えるということでした。 相手を見るということでした。 何が望まれ、必要とされているのかを知ることでした。 それを、喜びと注意力を持って果たすということでした。 私はそれを学びました。 次の課程は、受け取るということでした。 相手を見るということでした。 何が差し出され、何が贈られているのかを知ることでした。 それを喜びと注意力を持って受け取るということでした。 私はそれを学びました。 2: ですが、そう。 私は。 私の何を愛されたいのでしょうか。 その、問いが。 その、問いは。執拗で。あまりに執拗で。 私を離れないのです。 私があなたにもはや――何も与ええなくなったとき。 私がもはや――あなたから何も受け取れなくなったとき。 そのとき、あなたは。 それらゆえに私を愛したあなたは。 論理的な帰結として私をもはや愛しますまい。 3: これは信頼の欠如と呼ばれるのでしょうか? おそらくは。 私は時折、病むことを夢想します。 病み衰え、五体は腐り、苦痛に狂う自分を夢想します。 苦しむ白痴、悪臭を放つ狂人としてあることを夢想します。 そのようにして私が投げ出されることを夢想します。 一つの奈落として前途に見ます。 そしてそこから、振りかえるのです。 いまの私というものを、その視界から見るのです。 そして寂しく「是」と言うのです。 これは信頼の欠如と呼ばれるのでしょうか? いいえ、これは私の病です。 神のあることを予感しながらも、 それを肯い受け入れることのない私の病です。 4: 私は深く愛することを望むものです。 深く愛されることを望むものです。 自らを誇りとしうるよう努力を惜しまぬものです。 それでも。 けして、私は本当に、愛するということの意味を知りえないのでしょう。 私が知っているのは―― 張り詰めた山上の、薄い空気と―― ――末には野垂れ死ぬであろう、孤独な猛禽の言葉です。 - - 2001年10月28日(日) 遠方への翼。 1: 異なる次元。 異なる角度。 異なる傾斜。 異なる――視界。 モネの絵を見るとき、 我々はモネの目に封じ込められる。 彼の視界で見る。 その――なんと壮麗であること。 モネの眼球とてまた人の眼球であり、 彼が描いたようには彼は見なかっただろう、と。 あなたは言うだろうか。 然り、と、私は答えよう。 然り、モネの眼球はそのようには見なかっただろう。 事実はけっしてそのようではなかっただろう。 だが―― 『真実』は、別だ。 『真実』は、そこに転がってはいない。 『真実』は、放っておけばそこに帰るような低地ではない。 それは一つの――高みだ。 それは一つの―― 創造だ。 不断の意識化。 たゆみない手の熟練。 貪欲に世界を見渡して素材を探す目。 『真実』を顕現させることの――困難――。 2: シュヴァンクマイエルを見るとき、 視界と聴覚が物語化される。 彼は難解だ、モネよりも。 だが彼の描き出す『真実』は――モネよりも更に深い! 彼は異次元の目を持つ。 彼は異次元からこの世界を見る。 事実を破砕し、文脈から切り離し、あらゆる意味と奪い―― 自らの『真実』に、服属させる! そこに描き出されるのは、バッハの音楽。 「G線上のアリア」に、実体というものがあるとすれば―― それは確かにバッハの『真実』、他の誰にも関わりない。 だが、そう! シュヴァンクマイエルは、もう一つのアリアを創造する。 彼のアリア、見間違えようもなく彼の署名の捺されたアリア―― にも関わらず、確かに――「G線上のアリア」 これは感覚の問題だ。誰に感覚を伝達できよう。 異次元の角度、ありえざる交差! 感覚は叩きつけられる、目を見開け!耳を研ぎ澄ませ! 精神病者の確信を持って、私は述べよう。 この世の外の音楽、他界に属する表現、 ――そこに響く「アリア」を聞いたと。 彼の精神に封じ込められて、彼の耳と目でアリアを聞いたと。 彼の聞いたアリアを聞いたと。 言葉のなんと稚拙で、不完全なことだろう。 3: 永劫の孤独を私は知る。 未明の闇を私は知る。しかもここの夜はけして明けない。 トッカータとフーガ。 耳を澄ませる。 最初の一音に視界が開ける。 ――海辺だ。 音楽は走る。金色の足跡として私の傍らを走り抜ける。 その足は速いが――追跡しよう。 否、その視界に入り込もう。 私は走っている―― 海辺は冷たい風が不穏に湿気を含んで吹いている。 私に吹きつける。 灰色と黄色の夕暮れの空には鴎が飛び交う。 私は飛翔するか? 飛翔する―― 視界はふいに高い。 海は皺の寄った――平面だ。 ――更に高く、更に奥へ! この足は黄金、この腕は黄金の翼――飛翔はたやすい。 旋回する、上昇する、下降する。 風にもてあそばれているのか、風をもてあぞぶのか。 翼に風を孕ませて滑空する―― 髪は頬にもつれて流れかかる。 死に行く太陽の黄色と不穏の灰色の空が――私を囲む。 そして―― そして? 4: そして私は我に帰るのだ。 果てしない孤独の中で。 音楽は、それより先に私を連れて行かない。 置き去りにされた子供の哀しみに――私は泣こう。 咽び泣こう。忍び泣こう。 バッハは私を連れて行かない。 この視界の果てに何があるのか、私は知りたくて、 もう幾度も――この曲を聴いたのだけれども。 息を殺し、息を潜め、心を添わせて。 バッハは私を連れて行かない。 もう幾度、この音楽を聴いたことだろう。 この飛翔の果てに何があるのか、私は知りたい。 そうだ――太陽が。 見えるような、気もするのだけれど。 ――バッハは私を連れて行かない。 ―――――――――――――――――――――――――――― セクシュアリティ。 1: ゲイバーに行ってきた。 ショーパブというべきだろうか。 Jack&Betty。 どう見ても女にしか見えないセクシーギャル(?)の 乱舞に頭もクラクラ…… テーブルについてくれたオネエさん(?)を、 私は非常に興味深く観察したものだが、 彼女(?)の目は、客商売フィルターがかかっていたせいか、 中まではよく見えなかった。 もう少し時間があったら何か見えたかもしれなかったのだが。 ホルモン注射をしているとのことで、 Aカップ↑くらいのバストがあった。 触らせてもらったら、柔らかかった……むぅ。 なお、二の腕のプニプニもあり、 女性と、体格からすればほとんど変わらなかった。 なお、舞台の上のオネエさん(?)がたは、 そりゃもう美人だらけで……そのボディにはかないません。(平伏) 性は、三つの要素がある。 1 身体的な性(ついてるかついてないか) 2 行動の性(男のように振舞いたいか、女のように振舞いたいか) 3 欲望の対象の選定(男に欲情するか、女に欲情するか) 簡単ではない。 少しも、簡単ではない。 「正常」は、社会の持つ事情に過ぎない。 1も2も3も、事情に過ぎない。 問題は。 ――問題は、いつも。 どうするか、と、いうこと。 ホルモン注射も、ゲイバー勤めも、とっちゃうのも。 その結果を身に負うのが自分だと理解して行うなら、 少しも倒錯ではない。 と、思った。 2: 梅田堂山、ゲイバー視察。 発起人、Bさん。 私が引っ張り込んだひと、Cさん。 ゲイバーの前に居酒屋。 ゲイバーの後にやきとり屋。 恥ずかしいことに、私は持ち合わせが途中で足りなくなってしまった。 土曜日だからってさっさとATM閉じる銀行が悪い……むーう…… (金曜日に下ろしておかなかった私が一番悪い) というわけで、Cさんに借金。(笑) 初任給出世払い……だな。 いや、今度うまいラーメン屋、教えますし……。 もうすぐ奨学金入りますし……。 また、飲みましょう。 あなたの話を聞きたい。 Bさん、頭痛は、甘くみてはいけませぬ。 睡眠と、運動と、食事。 緊張、しないこと。 肩凝りにはストレッチ。 体、大事に、ね? でないと、頭、撫でるよ?(笑) ……などとこんなとこで書いて、 本人さんたち、見てくれるのか?(てか匿名だし。むぅ) まあいいや、メルしよう…… ちなみに…… 私は、オナベ、では、ナイ…………の、だ…………が…… - - 2001年10月27日(土) 1: 梅田のPlanet+1という映画館に、 グル・ダットの映画を見に行ってきた。 この映画館にははじめて行った。 ごく普通のマンションの一室を改造しただけの およそ10畳ほどの空間が映画館で、 私と、一緒に行った親友を含めて六人ほどが客の全てだった。 だが、そういう空間は、嫌いではない。 2: グル・ダットは、1950年代に主に活躍した映画監督だ。 40才前に自殺をしたという。 ちなみに、インド人である。 したがって、インド映画である。 ……50年も前から踊ってたんだな、インド映画! すごいぞインド映画、かっちょいいぞインド映画! 踊れインド映画! 歌えインド映画! 3: 以上、感想……と言ったら、怒られそうだ。 ……。(落ちつけ、落ちつけ私) 舞台は16世紀、圧制に悩まされるインドのある藩国。 父を圧制者ポルトガル人に殺された娘ニシャが、 仲間とともに海賊として立ちあがり、 藩国の王子ラヴィとの恋物語を交えて、 国の独立と圧制者の放逐を勝ち取るまでの愛と勇気の物語である。 ……。(だんだん落ちついてきたぞ、私) 音楽と歌と舞踏というのは、 物語の流れそのものであり、 歌は感情とその変容の表現の手段としては最も説得力に富む。 音楽はムードであり、物語のほんとうの主役でもある。 ムードこそが物語りの変容を語りうるのであって、 セリフの交換というのは、その更に劣った手段なのである。 ……。(その調子だ、私) インド映画が音楽と歌唱、舞踏を積極的にとり入れてきたことは、 インド文化の成熟をかんがみれば説得力を持つことであう。 またその文化の特質として神々への絶えざる舞踏の奉納を持ってきたことからして 映像と音声の双方の特質を持つ映画文化に こうした様式が持ち込まれたのは妥当なことと言えよう。 だけど日本にはそうした伝統がありません。 だから、思わず笑っちゃっても、いいのです(多分) 4: 酒を飲んでいるので、あまり頭が働きませぬ。 明日あたり、捕捉するかもしれないし、しないかもしれない。 インドの美人って、美人だよなぁ…… ――――――――――――――――――― 以下、補足。 映画の後に飲もう、といってうちの部屋に連れてきた親友、 私の布団、独り占めして寝てます!(9:00現在) こんなに寝癖が悪いとは思わなかった…… 悔しいので、こんなとこでこっそり愚痴。 ってかあんた、今日歯医者だから8:00に起きるって 言ってなかったか―? いいのかー? あたしちゃんと起こしたぞー?(ゆさゆさ) そういえば、お泊りでひとを呼ぶなんてのは、 いったい何年ぶりだろう。 勉強会とか銘打っては泊まりによく行くんだが…… 自分の個人空間にひとを入れる、というのは、 それなりにあれこれ考えるものだ。 特に、うちの母上が、 「きちんとしてないところに人を呼ぶのは恥」という、 まあ、常識的ではあれちと堅いひとだったので、 ちょっとひとを呼ぶのでも部屋が汚れていたら、私は躊躇う。 ……ひとんちなら気にしないのだが。 とりあえず……起こそう。 続報を待て。(なんだそりゃ) - - 2001年10月26日(金) 現在進行形逃避中。 終わらないよ、レジュメ……(涙びとびと) 1: 私の好意を分解したのだから、 私の嫌悪も分解しよう。 とりあえず、姉。 幼稚園の頃に、姉が玩具を出したら「あたしが出してあげたんだから あんたが片付けなさい」、私が玩具を出したら「あんたが出したんだから あんたが片付けない」と、3年くらいダマされつづけてたことや、 小学校2年生のときに背中を引っかかれて蚯蚓腫れにされたことや、 小学校5年生のときにプールであやうく溺死させられそうになったことや、 小学校6年生のときに私がせっせとためこんでいたお菓子を勝手に食ったことや、 あるいは船便で運ばれてくるため日本で買う倍以上もして 月に一冊くらいしか買えなかったマンガ本を、 私の買った分は勝手に読むくせに自分の買ったのは見せてくれなかったことや、 ……いやまあ、そんなことはどうでもいいのである。 (しかしよく覚えてんな、私……) そんなことは別にどうでもよくないが…… (しつこいな、私……) まあ、そんなことはどうでもいいのである。 2: 姉は、けっして、私が姉に対して抱いているような、 完全に悪魔的な人間のイメージそのままの人間ではない。 母がかつて私の抱いていたような、 完全な理解者でも偉大な母性の顕現でもなかったように。 姉は多少気ままな人間で、 そして多少幼児的な人間であるに過ぎない。 長年私が一番被害をこうむってきたのは、 ただ単に私が姉の妹で、年も近く、一番鬱憤をぶつけやすい位置にいたという それだけの理由だ。 私が姉に激しい負の感情を持つのは、 姉の実像がそれに値するからというよりはむしろ、 本来なら母に向けるべきであった、 あるいは自分自身に向けるべきであった、 そうした負のイメージまでを姉の中に繰り込んでいるせいだ。 私は姉を直視していない。 魔女の像をそこに見ているだけだ。 (机の前では冷静にここまで思考できるんだけどねえ……) 3: 魔女の影を取り払えば、 姉は一人の人間として立ち現れる。 姉のものであると私の宣言したものをもう一度見てみよう。 ・理屈が通じない。 ・周りに当り散らす。 ・自分自身を変えられると信じない。 それは本当に姉のものだっただろうか? 私がそれを忌み嫌ったほどの強烈さで、 姉はそれらを持っているだろうか? ――否。 私は私の嫌う悪徳を全てまとめて、 姉という名前をつけていたに過ぎない。 あるいは少なくとも、そのような傾向があったと、そう認めざるをえない。 姉は私の激しい憎悪に値しない。 姉もまた一人の人間に過ぎない。 良かれ――悪しかれ。 私はきっと、多くのものを見過ごしている。 そうだ、とても多くのものを。 私の目は自惚れることは到底できない。 4: 母から『母親』の影を取り去ったように、 今私は姉から『魔女』の力を取り去ろう。 そして『母親』に期待し望んでいた役割と理想を 自分自身の価値観、理想、願わしいものとして受け取ったように―― 姉から取り去った『魔女』の像の中から 私自身の、負のものへの意識――なにを負のものとしているか――を、 引き寄せ、自覚し、私のものにしよう。 そして他者を憎みかけたら――私は必ず私に問い返そう。 「相手が本当にその感情に値するのか? それとも――おまえはまた『魔女』に出会っているのか?」と。 これでようやく私は、本当の姉に出会える。 憎しみに目眩まされることなく、姉を見られる。 とはいえ、感情は。 感情は一つの臓器だ。 疾患は深く、私の姉への感情は猜疑に暗い。 治癒には長い時間がいる。 ――まあ、まだあと半年は、アイツ、カナダだしな。(ふぅ) - - 2001年10月25日(木) Think of me.............. あなたを・私を、探している・探していない。 1: 私が自分の悪意と同じように 自分の好意も分解するからと言って、 どうぞ怒らないで頂きたい。 「なぜ、私はこのひとを、好きなのだろう?」 それは私がかつて母の財布に抱いたのと同じ、 世界と他者と自己の組成を知りたいという、 そのような願いの一部分。 私の最も鮮明な断片は――他者との接点から拾うしかない。 2: 『私はあなたを』 A――かつての私として愛しているのだろうか? 私はあなたの中の、かつての私を彷彿とさせる部分、 孤独な子供、不器用な子供、 どこかに畸形を負った魂――を 愛しているのだろうか? まさにそれゆえに? だとすれば。 それは私があなたの成長と変容を望まない、そういう愛し方だ。 あなたが成長し、あなたの苦しみを脱することを 私が阻む、そのような愛し方だ。 もしくは、その成長、その変容、それへの努力が―― 私の中のあなたへの愛着を消し去る。 そのような――愛だ。 B――まだ展開していない私として愛しているのだろうか? それの名を私はよく知っている。 憧れだ。幻惑だ。 誘い出される。その服の裾に触れる値打ちさえ自分にないとさえ思う。 憧れの罠は。 あまりにその思いが強すぎて、憧れに留まろうとすること。 ――自らその願いに至る努力を放棄すること。 罠に陥れば、自分自身を押しつぶし、劣等感は醸成され、 そして相手に過大な要求を押しつけることとなる。 その憧れとはまったく関わりのない部分――にまで。 そしてひとたび相手がそれに背けば、 あたかも全てを裏切られたように思うのだ。 そのような――愛だ。 C――あなたとして愛しているのだろうか? あなたはひとりの他者。 あなたはひとつの存在。 私とは、関わりのない。 にも関わらず――まさにそのゆえに。 あなたの感情と思考は、私の上に意味を持つ。 私の感情と思考が、あなたの上に意味を持つことを望む。 あなたの変化を私は愛し、心を配り、 またあなたからもそのような心遣いを享けたいと願う。 あなたの視界を私は愛し、 私の視界もまた愛されたいと願う。 あなたは私の興味を尽きず惹きつけ、 あなたの傍らの空気は私に心地よい。 そして私もあなたにとってそのようであることを望む。 3: 上の三つは、心理学から借りてきた概念に過ぎない。 同一化、依存、投射……人格の完成。 実際のところは、どれも、入り混じっている。 例えば親友に対するときでさえ。 肝心なのは――自覚することだ。自省することだ。 自分の感情を点検し、背景に紛れ勝ちな理不尽なものを 常に摘み取ることだ。 無意識は意識よりも強いかもしれないが、 同時に意識がそれの働きを知れば、その強さは半分がた失われる。 全ての感情や言葉を管理しようとすることはとうに止めたが―― だが、愛するひとたちに対するときは。 やっかみや、羨み、勝手な理想化、勝手な失望、 そのようなものを、私は放逐したい。 できうる限り傷つけぬことを望む。 そのために費やす自省や自覚を、私は惜しみたくない。 憧れの的にされたときは、私は自分の限界と不完全さについて言おう。 あなたもまた変容しうるのであり、 あなたもまたなにものかであるのだと、そう言おう。 幼いものとして見られたときは、私もまた変容しうる存在だと言おう。 私もまたなにものかであり、 少なくともなにものかであろうとしているものだと言おう。 そして私の愛情について、言おう。 それでも愛してくれるかと、問おう。 私はあなたを愛している――と。 私の愛情が意味を持ちうるとすれば―― それは投げ捨てられることさえ肯うだけの強さを持ち、 しかも静かに立ちあがって憎しみとすることなく歩き出せる。 愛することがもはやかなわなくなれば、 静かに忘却することができる―― ――そこにだけだろう。 4: 私自身の好意を解剖した。 おそらくは、その部分に過ぎまい。 私は、母親を愛するように誰かを愛しているかもしれず、 父親を愛するように誰かを愛しているかもしれず、 その他、あらゆる仕方で誰かを愛しているかもしれない。 私のまだ知らない多くの危険があり、 そして私が犯した罪は多いだろう。 だが、十全に生きることはハナから諦めてる。 これは断片だ。 破片だ。 私と私の読書と思考の垣間見せた―― おそらくは。 真実の一隅。 ……そして、私はちっとも修行が足りてない(ふぅ) 嫌われたら、嫌われると思ったら、ジタバタ、してるよ?(笑) - - 2001年10月24日(水) 観察 1: 寒くなってきたな、と、思うのは、 猫の座り方が変わったときだ。 夏。 猫はべたっと座る。 前足を投げ出して、後ろ足はそろえて、横に、 胸から脇腹まで、ぺったり床につける 冬へ。 猫は、まぁるく座る。 前足を胸の下に敷き、 後足を折りたたんで腹をのせる。 毛を膨らまし、床に触れる面積をできるだけ、小さく。 2: アルバイトは五時から七時半。 図書館のカウンターで、ぼんやり座る。 ああ、この本、読みたかった。 この本、資料に使えそう。 日毎に日暮れがはやくなる。 夏には仕事を終えてもまだ明るかったのに。 半分もすればもう暗くなり。 半分もいかないうちに暗くなり。 始まる頃にはもう夕焼け。 始まる頃にはもう夕闇。 ――季節は廻り。 満月は、学校から駅までの私の帰り道を照らす。 十六夜は駅から家までの帰り道を照らす。 十七夜、夜半を過ぎて、西側にある私の部屋で。 十八夜、十九夜、だんだん光が射すのが早くなる。 ――日々は廻り。 3: くちなしが香り、 赤い石榴が実り。 金木犀が金色の破片になって散らばり。 柿が真っ赤に熟して行き。 桜葉が次第に乾いて黄ばみ、色あせ、 窓から見える畑の大根が太り、 スーパーに黄色いみかんが並び、 隣家の夕餉におでんの匂い。 ああ、そろそろ冬の服の支度をしよう。 週末に町に出たときに、友達と一緒に選ぼうか。 それとも、明日の夜に一人で行こうか。 布団も、大きい方のを、出さなくちゃ。 4: こうして私は季節を知ります。 季節は私の周囲でこのように廻ります。 熱いコーヒーを横に置いて、私は机に向かいます。 のんきで暇で、幸福なニ年が終わろうとしています。 もうこれぎりでしょう。 来年、季節はもっと足早に通りすぎ、 私はどっぷりと人々の中に首までつかり、 騒々しく忙しく賑やかでしょう。 ニ年前、私は家族とともにあり、 夕飯はおでんだろうか、それともシチューだろうかと そのように思いながら、家まで自転車をこいでいました。 ああ、時は廻り、時は廻り。 同じ日々はけして帰ることなく。 同じ夢を再び見ることはかなわず。 それでも、幸福な日々でした。 ただ一人、静かに私はいました。 見ることと読むこと、考えることだけが私の仕事でした。 後は、仕上げ、か。(笑) - - 2001年10月23日(火) タトエバ。 私ハ夢想スル。 ドコカニ深イ井戸ガアリ、 ソノ水ハ冷タク澄ミ 私ノ渇キヲ癒スダロウト。 『ワタシ・ノ・イナイ・セカイ・ニ・ユキタイ』 ドコカニ一ツノ花ガアリ 美シイ赤イ花ガアリ ソノ花ハ私ヲ待ツダロウト。 ソノ花ヲ見出スコトヲ 私ハ夢想スル。 憧れを失ったときから、悪が始まる、と、 『鏡の中の鏡』の、青いジンは言う。 違う。 憧れを失った瞬間に、 ひとは生れ落ちる。 どこまで行っても 雑踏と人いきれしかないと、 無間の孤独と人間しかいないと、 そう知った瞬間に、 ひとは生れ落ちる。 深い井戸も赤い花もないと そうと知った瞬間に、 ひとは生れ落ちる。 それがどうした、私は生きよう、と。 強い目で天を睨み、 そう宣言したときに、 ひとは生れ落ちる。 自ら作るのでなければ、 自らそれをひとつの井戸と、 自らそれがひとつの花と、 そう定め、宣言し、愛するのでなければ、 どこにも何もない、と。 身を切るような苦しさとともに そう知ったものときに、 ひとは生れ落ちる。 この一歩は、どうでも私の一歩だ、と。 私は私だ、誰が許そうと、許すまいと、と。 そして他の誰も、同じなのだ、良かれ――悪しかれ。 そう倣岸に言い放ったとき。 ひとは生れ落ちる。 血と肉の裡に。 不完全な生に。 人間として生きるとは、そのようなもの。 ――だが憧れは残滓として私の裡に残り、 それは青く深く 逃れようのない哀しみとなって 時に私に迫る――。 ende. - - 2001年10月22日(月) ジンニーア幻想 1: 私は、どうしてもこれにこだわる。 従って、自家製のキャラはみんな、これにこだわる。 出口。 どこへの出口なのか。 どこからの出口なのか。 私は、知らない。 あるいは、狂気に通じる道なのか、と、 私は生からの脱出を願っているのか、と、 そう思いもする。時々は。 2: 私がいるのは青い空間だ。 青い空間が私の中にあるのかもしれない。 この青い空間が私そのものなのだろうかとさえ思う。 私はそれに名前をつけた。 (それとも、それが勝手に私から名前をぶんどったのか) ――ジンニーア。 共有しえない。 誰とも共有しえない。 それは私の宝で私の毒。 望もうと望むまいと、 世界の果てまで――持ってゆかねばならないもの。 3: ユング派の概念に、元型というものがある。 太母、賢者、その他、もろもろ。 受け入れそこねた自己の断片、 肯定しえない自己の影。 内なる他者として出会う。 彼女もそのようなものなのだろうか――ジンニーア。 それが私からぶんどったイメージと名前。 善悪を問うことのない魔。 幼い子供――少女。 この世界の純粋なる要素。 4: 私は「それがどうした」という言葉を、 今でもまだ、唯一の武器にしている。 ひとを傷つけた――「それがどうした」 傷ついた――「それがどうした」 なくした、うしなった、拒絶された――「それがどうした」 「それがどうした」 私はまだここにおり、世界はまだここにある。 最悪のことはまだ起こっていない。 私は自分の今いる場所から歩き出す。 どこにいようとそれだけはできる。 そのように思考と感情を叱咤する――いつでも。 にも関わらず、その言葉は、まだ本当に私のものではない。 私のものになりきることもないだろう。 私は本性として傷つけることを恐れ、傷つくことを恐れるものだ。 歯を食いしばる瞬間は、けしてなくならないだろう。 そこにあるのは青い空隙。 ――善悪を問わぬ、躊躇うことを知らぬ青白い魔が踊る。 5: 子供の思考を知っている。 かつては私もそこに安住していた。 だがもはや遠い。 少女の思考を知っている。 かつては私もそこに安住していた。 だがもはや遠い。 守られている、と。 そこでは何も悪いことは起こらない、と。 この手は私の全てを知っていると。 正しい答えはいつもある、と。 そのような深い信頼と同化がかつてあった。 ――もはやない。 それは出なければならないひとつの全き卵だった。 そこを出なければ、何一つ始まらない豊かな無だった。 だが、私が追憶するとき、 ――青白く燃える幼い子供が、そこに遊ぶ。 6: 人間が恣意というものを持つ限り、 人間において感情することと、感情をあらわすことの間に小さな亀裂がある限り、 人間において思考と理性というものが存在する限り、 世界に対する違和感、は。 それはけっして消えないだろう。 嘘をついているような後ろめたさ、 受け取るものは全て騙し取った贓品のような罪悪感、 それはけっして消えないだろう。 本質と表彰が一致することは許されない。 より大きなイエスのために、あえて小さなイエスを押し殺しノーと言うとき、 一つの嘘をついているのかもしれないという苦痛を感じないものはないだろう。 世界は我々をその一部として廻るが、 世界に対するとき我々は常に「いかにして」と問わねばならない。 言霊は存在しない。呼べば現れる魔法は存在しない。 手段の介在せざるをえないこと。 私の美しい魔は、それ自身が一つの魔法。「いかにと問う」ことのないもの。 「いかにして」の迂路を知らずに――彼女は、軽々と飛翔する。 7: いささか童話風に語ったが、 これは確かに童話風にしか語れないものだ。 全ての童話がどれも小暗い根を持つように。 青い闇の正体。 私の憧れ、追憶、かなしさ――ジンニーア。 ジンニーア、おまえから逃れる道を。 ジンニーア、おまえを連れて。 おまえは私の宝で私の毒。 望もうと望むまいと、 世界の果てまで――持ってゆかねばならないもの。 出口はどこにもなくても、出ることはできる。 - - 2001年10月21日(日) シュヴァンクマイエル 1: 扇町スクウェアという小さい映画館で、 親友と二人、夜遅くまでヤン・シュヴァンクマイエルの映画を見てきた。 「アリス」「ファウスト」辺りは見たのだが、 今回かなり初期のものが来るというので、 ちょっと楽しみにしてたのだ。 ああ、シュヴァンクマイエル、 このひとは、映画監督というよりは、 動画(アニメーション)作家。 彼の紡ぐややシュールな映像は、 物語というよりは詩。 したがって、理解するよりも 感得しなければならない種類のものだ。 しかも、映像、視覚の像というよりは、 むしろ触覚や嗅覚に触れてくる。 普段使わない脳みその部分が、刺激される。 キョーレツ(モーレツ?)だ。 2: 「G線上のアリア幻想」 冒頭、男があらわれる。 男はうすぐらい階段を上り、部屋の扉を開き、 上着をかけてピアノの前に座る。 響き始める――「G線上のアリア」 ストーリィを求める脳を置き去りに、 映像は迅速に積み重ねられる。 無意味であり、関連のない映像の羅列――は、 美的ですらない! 抉り取られる壁の穴、 閉じた窓、 開かれて闇に続く扉、 石の詰め込まれた郵便箱。 視覚だけが追いつける足の早さで、 映像は転変する。 耳にはアリア―― ふいに――気づく! この映像もまた、同じ音楽を奏でている! ――感覚を叩きのめされる。 この旋律、この変調、このメロディ、 ああ、そうだ。 ここに現出している映像だ。風景だ。窓だ。 音楽がここに顕現している! 小林秀雄は、「モォツァルトのかなしさは疾走する」と書いた。 シュヴァンクマイエルは、バッハに並走するのだ! アリア――を、この目で見ることがあるとは、思ったこともなかった。 しかも、悪魔的なシュヴァンクマイエル一流の筆致を失ってはいない。 聴覚の視覚への翻訳などではない。 音楽に合わせて映像を流しているだけなどというものでは更にない! 彼は異次元を駆けているのだ。 異世界の音楽なのだ、 異次元の暗がりに響くアリアなのだ、 ありえざる角度から突き刺さってくる――それは。 目眩む―――――― 3: 「オトラント城」 「静かな家の一週間」 「庭園」 「ジャバウォッキー」 と、プログラムは続くのだが、 それらについては書かないでおく。 どれも面白かったし、発想も手法も、なにより映像も鮮やかだったけれど。 それらは「アリス」や「ファウスト」への 前段階に過ぎなかった。 私はそれらをもっと完成した形で見ていた。 「アリア」のあの一つの方向、完成は、 私の知らないものだった。 それだけで十分だ。 4: 私は不勉強なファンである。 私は自分の見たこと、思ったことを書くだけだ。 ……映画の帰りに食った 「藤平ラーメン」の餃子が、死ぬほどうまかった、と 付け加えても、怒らないでいただきたい。 もちろん、ラーメンもうまかった。(こくり) - - 2001年10月20日(土) 私の部屋には、時々一階の住人、悪友Aが乱入する。 いいんだけどね……いいんだけどね……いいんだけ……(苦) パソコンの画面だけはのぞきこまないでくれ、頼むから…… 母のことを書こう。 1: 高校受験で、妥当ではあるが勉強の厳しい私立T高校を専願にするか、 それとも公立で、「ちょっとムリかもしれん」と担任に 言われているK校を本命にするか私が迷っていたとき、 母は公立を勧めた。 「私立の高校なんて行ったら、 あんたの爪も牙も引っこ抜かれてしまうわよ」 ……どこまで母がT高校やK高校について知っていたかは置いておく。 母は、将来のことや大学受験にどっちが有利かなんて、言わなかった。 私が楽しく過ごせるかどうかなんて、言わなかった。 母は、私の「爪と牙」について、言ったのである。 2: どれほど父が父なりに私に対して言葉をくれていたとしても、 結局、大事なときにはいつも、母しか側にいなかった。 私が子供の頃、毎晩枕元で本を読んでくれたのは母だった。 「ナルニア国物語」 「エルマーの冒険」 「日本昔話」 「グリム童話」 「アンデルセン」 「アラビアン・ナイト」 もっともっと、と、せがんでは、2時間も読ませたものだった。 今でもまだ家にあるこれらの古ぼけた本を手に取り開けば、 母の声でそれらの物語は語りかけてくる。 幾度もあった引越しの中で、 それまでの友達が全くいなくなって呆然としている私と 一緒に泣いてくれたのも母だった。 励ましてくれたのも母だった。 高校受験、大学受験……相談できるのは母だけだった。 それだけに衝突する相手も母だけだった。 ぶつかる相手は母しかいなかった。 反抗期も、勉強の進まない苛立ちも、感情の揺れも、 世界中の何もかもが腹立たしいような時期、 甘えからなにから、受け止めてくれたのは母だけだった。 私の「爪と牙」。 私について最もよく知っている(知っていた)のは母だ。 その母が、それほど深く知ってなお、私を肯定してくれているということ、 見捨てないでそこにいてくれるということ、 私のブレ、私の逃避、私の暴走を受け止めて奈落に落とさないでくれたこと、 あんなにひどいことを言ったのだから、 今度こそきっと母も私を嫌いになっただろうと思いながら台所に 深夜下りていったら、私の食事がいつも用意されていたこと。 それは、どれほど感謝しても、し足りない。 3: A 母は文学少女だった。 子供の頃の夢は作家になることだったと、よく話していた。 私に本を読んで聞かせたのも、本人なりの 「英才教育」だったのかもしれない。 B 小学校六年生の頃、日本人会の図書室に、よく本を借りに行った。 そこにしか日本語の本はなかったから。 そして子供向けの本などほとんどなく、 私は必然的に、大人の本に親しむことになった。 その日、手に取ったのは井上靖の『孔子』だった。 「決まったの?」と母は問い、 私は本を見せた。 母は多少、イヤな顔をした。 「そんなもの読んでたら、頭でっかちになっちゃうわよ」 「これでいい」と、私は答えた。 「他のになさい」母は言ったが、私はきかなかった。 母はしばらくの間、不機嫌だった。 その後、なにかの拍子に、母がぽろっと漏らした。 その本は――母が大学のときに読んだ本だったのだ。 C 19のときに、とある小説の賞に、自作の長編を応募したことがある。 初めてだったのだが……2次選考を通って、誌面に名前が載った。 母に見せた。 ……喜んでくれるだろうか、と、思って、じっと顔を見ていた。 そのときの母の顔を私は忘れない。 表情はわずかに強張り。 目は開かれ。そこを往来する表情。 私は幾つ見ただろうか。数えられない。 母が何か言う前に私は雑誌を母から取って、 ねえ、おなかへったよ、と、言った。 そしてもう、二度とその話はしなかった。 D 私の最も醜い「爪と牙」をさえ肯定した母は、 私の甘えと反発と激情とやり場のない哀しさを受け止めてくれた母は、 私の小さな小さな「成功」を、祝福してはくれなかった。 励ましてはくれなかった。 あの――目。 何もかもを分け合える相手は、いない。 そうだ、最も分け合うのが難しいのは、 「成功」や「幸運」「幸福」ではないだろうか。 私はそれを、あの短い時間に、この皮膚で学んだ。 それは恐ろしい自覚で、そして哀しい事実だ。 4: 母を好きか嫌いかと問われれば、好きだと答える。 母はなによりも私の母親であったし、 それも良い母親だった。 しかし、私は無限に母を「よい人」とはしないし、 そうであるはずがないことも知っている。 母もまた、人間なのだ。 良かれ――悪しかれ。 私は母を神聖化する危険から免れた。 母に囚われる危険を免れた。 それも、母への愛情を失うことなく。 母から贈られた多くのもの、――書物への興味、文章への愛着、 生活の型の規範と、人への接し方の規範――それらを失うことなく。 私には母親がいた。 今は、母親という巨大すぎるものではなく―― もっと小さな、もっと欠陥を身に帯びた、時には理不尽な愚痴も言う、 それでも魅力的で善良な、24ばかり年長の――女性がいる。 私は彼女が、好きだ。 - - 2001年10月19日(金) テロ 今回は、入れ子構造。 まずはテロの第一報を聞いて書いたメモ。 ―――――――――――――――――――――――――― 1: NYで、ワシントンで、人が死んだ。 なんとたくさんのひとが死んだのだろう。 ビルが崩れ落ちる寸前の写真が新聞に載っていた。 窓からは、人間の頭がひしめきあって助けを求めていた。 シャッターの切られた次の瞬間、ビルは、それごとに崩れたのだ。 親だったのだ、子だったのだ、配偶者であり、友人だったのだ。 今日について考え、明日について考え、一年後について考え、 老後について考え、そしてそれを疑いもしなかったのだ。 ――その日まで。その瞬間まで。 炎も、崩れ落ちて粉塵を巻き上げるビルも――その破片も。 何一つ頓着することなく彼らの上に降り注いだのだ。 彼らを殺したのだ。埋め、その骸を焼き、潰したのだ、無残に。 こんなにも理不尽に、だがなんとたやすく、死は落ちてきたことだろう。 民間人、誰も脅かさず、自らの危険について予告されもしなかった人々。 どれほど彼らは生きたかったことだろう。 2: あなたがたは、深く心を痛め、死者を悼んで首を振られたでしょう。 デカデカと新聞に掲載される悲惨な写真に、神の名を呟かれたのでしょう。 あなたがたは、あなたがたの宗教の上に嫌疑のかかっていることに 重苦しい不安と、違うと言い切れぬ悲しみを抱かれたでしょう。 ニュースキャスターが言います。 「――民間人が――5000人もの民間人 ――民間人の乗った――民間人を標的に――」 あなたがたは、わずかに、笑わなかったでしょうか。苦く。 あなたがたは民間人でいることを許されなかったのだから。 あなたがたは言うでしょうか、 「人権というものを知るには、人権の守られている必要があるのです。 人命の尊さというものを知るには、それが尊ばれていなければならないのです。 いかなる殺人も理不尽であると知るには、 殺人がまかり通ってはならないのです」 私は信じたいと願うものです。 あなたがたの静かな町を歩いたことのあるものとして、 私は信じたいと願うのです。 あなたがたの多くは、民間人でいることを許されなかったまさにその故に、 故郷を追われ肉親を失い、友を失い、生命を脅かされ、 自らの尊厳を世界から認められてこなかったまさにその故に、 ――今、あなたがたは失われたものの苦痛を誰よりも知り、悼んでいるだろうと。 3: 非人間的な死を押し付けられた人々と、非人間的な生に生きざるをえない人々。 私は原因をもって結果を許そうとするものではありません。 このような大虐殺は、あってはならないことです。 人権はけっして目に見えるものではなく、不断の努力によって 不断の努力のみによって――存在しうるのです。 私は悲しいのです。 こんなにも多くの死がここにあるということが。 更に多くの死がこれからあるだろうということが。 そして今私にできることがないということが。 死者の魂の安らかならんことを――願い。 今生きてある全ての人々の幸いを――願い。 ―――――――――――――――――――――――― このときはまだ、パレスチナ人が喜んでる映像を見てなかった(笑) しかし、エジプトなど穏健アラブ諸国では、おそらく言えるでしょう。 戦争など、テロなど、望んではいない人々です。 彼らはいまだ世界経済の中では相対的に辺縁の地にあります。 しかし動乱と内乱がなければ、自らの地位を確立できるのです。 それは未だ、軌道に乗ったとさえ言えませんが、 しかし、イスラームという行動様式が、ひとつの形として―― 現行の国際社会の中に既に受け入れられ、理解されつつあったのです。 今度の戦争で、アラブへの理解は大きく悪化するでしょう。 イスラームは異端と見なされるでしょう。 それは一つの形であるというだけなのに。 アフガン空爆、戦争については―― まとまったメモはないのだけれど。 ――――――――――――――――――――――――― 正義を叫んではいけない。 あなたがたが殺すのも人間だ。 あなたがたの国民、同朋と同じく人間だ。 正義を叫んではいけない。 ただ報復を叫びなさい。 事情は誰にでもあるのです。 そうです、あなたがたの背負うのは事情に過ぎません。 彼らが背負っているのも事情に過ぎないのと同じです。 どちらの事情も事情に過ぎず、神の裁きとは無縁なのです。 だから、正義を叫んではいけない。 ただ悲しみと憎しみを叫びなさい。 罪を犯すことも、泣き叫ぶことも、生きることです。 悔い改めることも、罪科を我が物として背負って行くのも生きることです。 力を尽くすこと、全ての力を尽くすことだけしかそこにはありません。 ああ、正義だけを信じてはいけない。 正義だけを叫んではいけない。 サン・テグジュペリの『夜間飛行』に、 おぼろげにしか覚えていないが、こういう一節があった。 「それら巨大なモニュメントを作った南洋の王たちは、 なるほど一人一人の国民の死や 苦しみには 同情を持たなかったけれども、人間という種の死、 その暗い忘却の深淵には限りない同情を抱いていたのだ」 生に勝る死、幸福に勝る不幸。 偉大さは全て愚行だ。非人間的だ。 ビン・ラーディンであれアメリカであれ。 人間は――どこまでも人間として振舞うべきなのだ。 ――――――――――――――――――――――― ナニサマ、という感じですな。(笑) しかしそう書いたのだから、しょうがない。 基本、私はアメリカが嫌いです。 「nation」という単語を「アメリカ」の意味で使ってる時点で嫌いです(笑) それが出てますな。 も少し、こう、ジャーナリスティックに書けないもんだろーか……(むぅ) 公平に公正に、緻密に事実のみを…… 日々是修行………………。 - - 2001年10月18日(木) 薄曇の真昼 1: 秋は好きじゃない。 曇りの日も好きじゃない。 雨は、音だけが好き。 自分がわからなくなってきたら、 自分が何をしているかを考えてみる。 掌に視線を落として。 昨日読んだ本。 昨日食べたもの、 昨日話したこと、 昨日行った場所。 回想の中から洗い出すのでなければ、 どうしても明らかにならないものもある。 2: 実存哲学、心理学。 ファンタジー、サイエンスフィクション。 評論、動物行動学、宗教。 生物学、民俗学、大脳生理学。 こんなにも雑多に、まとまりを欠いてる、私の本棚。 それでも、ほら。 静かに考えてみれば、浮かんでくる。 キイ・ワード。 『man』 人間は、生物。 人間は、動物。 人間は、社会的動物。 人間、は。 人間の内側と外側、あるべき姿を問い、あるがままの姿を訪ねる。 かつてどのようであったのか、いかにしてそのようであるのか。 なぜそのようであるのか、何を願ってきたのか、 何を願わなかったのか、願わなかったにも関わらずなぜそのようだったのか。 結局、私が知りたかったのは、それだけだ。 そのことについてだけだ。 この壮大なパズル―― 3: そういえば、恋愛感情というものがわからないので、 悪友どもに聞いてみたことがある。 Q:恋愛感情って、具体的にどんなこと? A1:「一緒にいて触りたくなる。くっついてたい。友達だとそうならないかな」 (……ほうほう、なるほど。参考になりますな) A2:「わかれへん」 (聞いた私がバカでした。今度中華の食い放題行こうか) A3:「ナ・イ・ショ☆」 (どつきまわすぞ・コラァ♪) A4:「ねぐせ見てもカワイーとか思えたわね、最初のうちは(ふふふ)」 (……今は?) A5:「ブ男が気にならなくなるかな」 (……あんたもともとゲテモノ好きやん) 参考になったんだかならなかったんだか、ガッデーム(笑) 恋愛感情なんて、多様なものなんだろう。 決まった形なんてナイのだろう。 恋愛と宣言しちまえば、 「好き」が恋愛と呼ばれるだけなのかもしれない。 4: 幾つかのことが、私には欠落している。 埋める努力を惜しんではいけないものと、 埋められないとわかってしまったものと。 それでも。 十全に生きたいとはもう思わないので、 多少の失敗はしながら、生きているのである。 時々、振り返りながら。 自分の足跡の並びを、確かめながら。 昨夜は階下の悪友とスパゲチィ・パーチー。 とりあえず、あの段取りの良さを見習おう、と、思った私……(涙) 全部の料理が同時にできあがるように作るのって、難しいよなー…… つか、まず料理しろ、私。(うむ) - - 2001年10月17日(水) 午前5:00。 1: 眠れない。 ワイン一本空けたのに、眠れない。 妙な話だ。 普段なら、泥のように寝てる。こんな、時間。 2: 感情が勝手に揺れ動く。 こんなにも女に生まれたくなかったと思うのは、 中東に行くことを大反対されたとき以来だ。 お月サマの影響が、このごろとみにキツイ。 何もないの泣き叫びたい。 しかも頭の一隅では、くだらないと言う理性が確かに醒めている。 3: ほんとうの悲痛は、祈りによってしか語られることがない。 祈りによってしか癒されない。それなら、私は祈らない。 この苦しさがなんであろうと、これは私のものだ! ここが地獄なら、けっこう、私は地獄を住処に定めよう。 (違う、これは――悪夢だ!) Calling.......... 私は繰り返し呼ぶ。 誰を? 誰でもないものを。名を持たないものを。 あるいは――ジンニーア、ワルキューレ、イーピゲネイア―――――― (やめないか、それは無益なことだ) 彼女の名前は何と言った――レイシア?違う! 私の知っているのはおまえ一人、おまえ一人、おまえ一人! ジンニーア、ジンニーア、ジンニーア、ジンニーア、ジンニーア! ここへおいで、そしておまえの青い炎で私を焼き尽くしておくれ。 そうだ――私の地獄ごと! (いけない、いけない、そんなことを願っては) Calling........ 私は繰り返し呼ぶ、生命の根源、世界の奥底に通じる名。 だが私は知っている。そこにはたどり着かねばならないということ―― 4: ああ、これはなんでもないんだ。 眠れない明け方のたわごとだよ。 (いや、箱の中からはみ出てしまった真実だ) 落ち着きたまえ、 どのみち内分泌液の多少の異常に過ぎないよ。 真面目にとる必要はない。 (それなら私を眠らせてみろ) なに、それもホルモンの問題さ、 さあ口を開けてごらん、甘いお菓子を上げよう。 そしたらすぐに眠れるさ…… まだ夜は明けないね、もうすっかり秋の日の出だ。 (ああ、そうであればよいのに!) ―――――――――― セーレン! - - 2001年10月16日(火) 今夜の私はホロ酔い加減@ワイン一本 1: 小学生の頃の同級生をネットで探してみた。 おかしなことに、見つかってしまった。 連絡しようか、どうか。 迷う。 私はあまり人から好かれない。 距離の取り方は難しい。 感情の示し方は難しい。 言葉の紡ぎ方はなおさら。 私はたいてい、愛しすぎる。 あるいは無関心でありすぎる。 2: 同じ寮の子らの間で、私はあまり芳しくない評判を頂いている。 寮と言っても私立の小さな安下宿だ。 女6人ばかり集う。 私と私の階下に住む同級生の悪友は24、 もう一人階下に住む大学院生は30過ぎだろうか、中国からの留学生。 2階の住人ばかり、若い。 18歳、19歳、21歳。 うち21歳のひとは、私が引っ越してきた当初、 ひどく私になつきたいようだった。 料理キライな私に、多く炊きすぎた五目御飯を一膳くれたり、 広辞苑を借りに来たり、レポートについて質問に来たり。 私は? ……ちっとも彼女に興味がなかった。 3: 悪口を頻々と聞く。 この寮は壁が薄い。 全部、聞こえます(笑) 「最小限しか口きかないようにしてるの」 紛れもなくあなたの声でしたねえ、21歳。 私と悪友が大きな声で笑いあい、 私が電話で某オンの友人の健康を台所で案じて話し、 ……気に障りましたか? しかし私はあなたに興味がない。 私にとってあなたは無意味。 私はあなたを見ない。 私にとって、あなたは存在しないと同じこと。 4: あなたの言葉が私を傷つけることはけっしてない。 私があなたを好きではないからだ。 私にとってあなたがなにものでもないからだ。 あなたが私を愛そうと憎もうと、 私には何の関わりもない。 あなたの言葉は私に触れない。 せいぜいそれが論理的で良心的なときに、 私の行動を矯正するくらいだ。 これは、もしかして、キチクなんだろーか? さあ、どうだろう。 5: 彼女を思う。 小学校のときに私と一緒だった彼女を。 私は彼女が好きだった。 今も彼女を好きだろうか? ――とても。 私の感情は怠け者だが――ひどく長生きなのだ。 彼女は私を覚えているだろうか? (問題は、あなたが私を愛しているかどうかではない。 私があなたを愛しているということなのです) 6: ひとを愛する瞬間は、いつでも不思議だ。 私の目はそちらに吸い寄せられ、 そのひとの感情と思考が私にとって大切なものとなり、 私はそのために多くを擲って省みない。 私は私を傷つける力を、無尽蔵に与えてしまう。 常ならば踏み込むをこと、聞くことを躊躇することがらを聞く権利を持つ。 しかもそれは瞬間なのだ、多くの場合において。 その前後では一切が変わる。 問題は、なんだろー…… 男にはなかなか……って、こと、かなー……(遠い目) - - 2001年10月15日(月) 今日から、この日記は。 身辺雑記と化す。(かもしれない……) ――――――――――――――――――――――― 1: ノーミソがうまく働かない。 ジツは、論文とは別に、やんなくてはいかんレポートがある。 分量は大したことはない(1000字)にも関わらず 課題の本がツッコミドコロてんこ盛りで、 いったいどこに焦点をあてればいいのか、 デッチ上げに苦心惨憺している。 小論文、レポートを書くときは、 雑記を書くようなわけにはいかない。 プロットをたて、問題点を絞り込み、 文字数のアタリをつけ、自分の意見を練る必要がある。 自分の意見を練る、というのはけっこう曲者で、 課題に関して自分が前前から興味を持っていればとにかく、 レポートとして筆記に耐えるまで練っていくのは かなりいつも、頭を悩ませる。 私は、嘘はつくが、嘘は書かないからだ。 お仕着せの他人の意見をさも自分のものらしく書くのは ……ナニよりキライだ。 本日朝から四時間ほどかかってなんとかプロット作成完了。 明日、書いてみることにする。 2: しばらく前、虫歯につめていた銀が外れた。 私は歯医者としいたけが死ぬほどキライなので、 どーしても行きたくなくてグズグズしていたのだが、 ……とうとう歯がシクシク痛み出した。 仕方がない、歯医者の開く時間を待って電話を入れる。 幸い、午後3時からの予約が取れた。 昼食後しばらく脳みそ使ってから病院に行く。 ……痛かった(泣きべそ) まだ若いながら実に温厚で言動にムダのない、 そしてゴム手袋の下は非常に毛深い歯医者は、 遠慮会釈もあらばこそ、ガリガリキュイーンと仕事を終えて 今週の金曜日にまた来るようにと言い渡したのだった。 3: まだ麻酔も覚めやらぬ下唇で、電車に乗る。 冬物のシャツがほとんどナイことが判明したからである。 鶴橋でJRに乗り換え、梅田まで出て、 ユニクロに行く(うちの近所にはナイのだ)。 その途中アレコレ見ながら。 梅田あたりを歩くと、実際、いろんな服を着た人がいる。 スーツ系はお勤め帰り、 制服は学校帰り、 オシャレなおねーさん系、 ゲンキにボーイッシュ系、 アフロ・ドレッド……このへんになると顔は髪の添え物だな。 ともかく、私はファッションというのが好きだ。 といって、自分でするのは……だけど。 ファッションを心がけるひとは、 自分の容姿、自分の特徴、町と流行に対して意識的である。 他人と自分の身体について意識的である。 意識的になる、というのは純粋に鍛錬の問題であり、 そしてセンスと自分の体の特徴と洋服に関する知識 「こう見せたい」という欲求を貪欲に持ち邁進することである。 私はその方面についてはまるで(と言ってもあながち嘘ではない)無知で かつ長い間放置してある者だが、 しかし、意識化されたものと猿真似くらいは簡単に見分けがつく。 猿真似は、服に着られている。 化粧なら他人の顔のために描かれたものであってモトの顔は浮いている。 自分の顔を知り、それにひとつの形を与えるために 刷毛とパフと口紅の使い方を学ぶことと、 自分の精神を知り、それを表現するために 言葉とキイボードの使い方を学ぶことは、その本質を同じくする。 精神には鏡がないだけだ。 肉体も精神も、ともに同じ重さを持つ。 どちらも真剣に学ばれなくてはならない。 4: 1000円のシャツを数枚買う。 数日前にネットの関西ウォーカーで見つけてから どーしても食いたかったラーメン屋に行く。 人気のある店だけあって、ずいぶんと混んでいた。 店の前に並んで待った。 ……前後左右、カップルばっかり。 ああ女一人、ラーメン屋の店先に立ってたらイカンですか!? でももう友達、みんな働いてるのよ!つきあってくんないのよ!(号泣) しかし、ラーメンはうまかった。 博多ラーメン一風堂、うまかとよ……(ズルズル) たまにはうまいもん、食わないとね。 味覚の幸せ(ふぅ) 5: ホントに雑記だな……(見直し) - - 2001年10月14日(日) I was on the moon, then. 1: 生活を改めよう。 私はもっと外に出なければならないし、 もっと前向きに行動しなければならない。 きちんと食事を取らねばならない。 服装を整えなければならない。 小型のラジオを買わねばならない。 誰でもない私が、私に命じる。 私はthenを終えた。 もう月の上から落ちるときだ。 夢から覚めよう。 なおざりにしていたことを叩き起こそう。 2: 何もかもを整理しよう。 中身の入れ替わってしまったCD。 ごったまぜの本棚の中身。 山積みの資料。 たくさんの感情と理性と思考の破片。 窓を開けよう、新しい空気を入れよう。 書きかけの物語を、私の中に落ちてきた始まりを、再び書き継ごう。 読みたかった本、 見たかった映画、 会いたかったひと、 したかったこと、 たくさんあったはずなのだ。 たくさんあるのだ。 ひとつづつ、そうだ、ひとつづつ。 始めよう。 3: ベルは鳴らなかった。 けして鳴らないのだ、ベルなどというものは。 私が決めるのだ、 今 今、と。 そう、叫ぶのだ。 走り出すのは私一人でいい。 それで十分だ。始めよう。始めよう。 この空はどこまでも青いだろう。 私の歩みは揺らがないだろう。 生きるとは歩くことだ。 足の動きをやめないことだ。 そんなにも簡単なことだ。 豊穣とはこの目の前に咲く花を見落とさないことだ。 4: まずはあなたに会いたい。 - - 2001年10月13日(土) 本能の環とその隙間。 1: ある種の魚、あるいは鳥の生活環は、本能だけで閉じている。 生活環というのは、 生まれ、生長し、 番になり、繁殖し、子育てし、 死ぬまで。 つまり生活の全段階を言う。 本能が全てにおいて彼らを導き、 なにが望ましくなにが望ましくないか。 これをあらゆる局面(エサの確保、番の相手探し、子育て上のモロモロ)に おいて『正しい』ものを教える。 「いかにして」という言葉さえ、彼らは問わない。 それらは常にあまりにも明らかだから。 そして本能の言葉は、常に正しい。 彼らは失敗はしない(遺伝子が間違えたときは別だ)が、 ――この環の外に出ることもできない。 2: この――『環』。 本能の環。 限界であり、正しさの規範。 「ちゃんと」 生きるための、原初の指針。 3: 人間はこの環に欠陥を持っている。 望ましいものは常に明らかでなく、 「いかにして」という問いはしばしば迷走する。 だが、そう。 そこに、個性の存在する余地がある。 個性的という言葉に意味を与えうる余地がある。 ――恣意と、意思が。 それこそ、この欠陥を生まれながらに与えられた指輪の台座、その宝石だ。 そこに紡がれるものが常に美しいとは限らない。 それは最も醜悪でありうる。 それは残酷でありうる。 だが同時に、崇高でもありうるのだ。 善良でも、偉大でもありうるのだ。 この環の欠陥が―― 「人間を偉大にも卑小にもする」 ソポクレス『オイディプス王』より そして、その偉大と卑小さえも、己で決めるのだ。人間は。 - - 2001年10月12日(金) 意識化のワナ 1: 自分の全ての行動を、 全ての言葉を、 全ての思考を、 感受する全ての感覚を、 管理したい。 と、思ってた。 割と最近まで。 現在? ……ムリだわさ。 もっと早く、気づけばよかった。 2: 「ちゃんと」の呪縛は私の上に深かった。 もちろん、子供の頃から私はだらしなかったし、 開けっぱなしの引き出し、 出しっぱなしの鋏や糊やら文房具をさして うちの母上が 「ちゃんとしなさい!」 と言いつづけてこられたのはひじょーに当然至極なのだが。 そして申し訳ないなーと思いつつ部屋のなかなか片付かない、 そういう性格は変わっていないのだが。 だが、しかし。 人間は、部屋を片付けるようなわけにはいかない。 というのも、真理だ。 3: 他者の目。 人間は、どこかで自分を、他人の目で見ている。 その目の基準は社会のスタンダート、 生物学的特性、親の垂れた教訓、 これまでの経験、マナーブックなどなどからできあがり。 これを持たない人間は、 そもそも社会的に落第する確率が非常に高い。 (よほどの天才、あるいはある程度奇人の存在の許される状況は別) 部屋を見まわして見るがいい、 鏡のない家などない。 「鏡」は。 他者の目で自分自身を見る窓、だ。 この窓は人間存在の極北であり――同時に。 人間が社会的動物であることの証明だ。 4: 人間が社会性動物である、ということ。 それはつまり、人間が人間の中でしか生きられないということ。 「環境」という言葉は、自然だけを指すのではない。 人間にとって、最大の環境が人間だ。 つまり。 嵐を予知し、今年の雨と実りと水底の状態について敏感である以上に 人間は、人間に対して最も敏感でなければならない。 仲間の表情、その向背、妻や夫の不倫の有無。 家族の、友人の、心理的な距離。 何よりも、自らの位置を測る――こと。 人間と、社会への――感受性。 狩猟社会だけではない、 この現代社会において更に、 人間が自らの位置を、周囲のわずかな変容を、 嗅ぎつける能力というものは――不可欠だ。 5: 私は自分自身を、あまりに長く「他者の目」を通して見てきた。 私は常に自分自身に対する他者であろうとしてきた。 つまり、私の基準は―― 「ちゃんと」 することだった。 服装を整えるように言葉と行動を整えること。 部屋を片付けるように感情を片付けること。 いるものといらないものをえり分けさせられたように―― 自分自身を取捨選択すること。 ああ、なんと多くを投げ捨てたことだろう。 まさしく私自身である感情や、言葉を。 しかも誰の手にもよらず自分自身の手で。 他者の目に対してあまりにも忠実であった、私は。 6: 私は、全てをなくしてはいない。 私はまだ、幾らかのものを持っている。 そして、これらを捨てる気はもうない。 誰が、あるいは何がそれを――必要だ、と言っても。 それがいかに「ちゃんと」していないことであったとしても。 他者の目を捨てる気もない。 それは実際、必要なものであるし―― これはこれで、私の財産だ。 ただ、私はこれから、自分自身により忠実でありたいと思うだけだ。 全て『徳』を、『私』の方へこそ引き寄せ、 それを私の武装にしようと望むだけだ。 全てを管理し、正しいものになりたいとは、私は思わない。 何かでありたいとは思わない。そう思うことはもうやめた。 私は私を基点として行為しよう。善かれ悪しかれ。 私の父が遠い日、あの古い山梨の家を出たように、 私の母が突然放り込まれた南洋であんなにも明るく生きたように、 私もまた、この肌を風に晒して生きよう。 出口はどこだろう。 おそらくは、きっと――近い。 - - 2001年10月11日(木) 姉。 1: 殺しかけたことがある、2度。 身内殺したら懲役15年だっけ? 出てきたら3?才かーまーいいやー とか、本気で思いつつ。 一度は首を締めて。 一度はフライパン(……)で殴りかかって。 キライなのである。 憎んでいるといってもいい。 2: ナニユエ姉が嫌いか。 ・理屈が通じない。 ・けっして謝らない。 ・自分の悪いトコが何もかも親の育て方のせいだという言動をする。 どうして、周りを見ないのか。 どうして、当り散らすことが許されると思うのか。 どうして、自分で自分を変えられると信じないのか。 こんな人間と一緒に暮らすのは、拷問に近い。 3: 姉との日々で得た教訓は、たったひとつ。 「人間がみんなわかりあえるとは限らない」 ……それだけである。 けっこうこれは役立っているかもしれない(フ) 「わたしはわたし、ひとはひと」 「侵入拒否テリトリーの示し方」 「堪忍袋の切らし方」 このへんは、それから派生している。 も少し洗練したほうがいいものもあるが……。 4: 姉はカナダに遊学中である。 ワーキングホリデー……らしい。 傷つけるためだけに罵声を紡いだ自分の思考の回路が、 いつまでも脳裏に生々しく苦々しい。 殺意という感情に身を任せたい狂暴な欲求と―― 押し留める衰弱した理性の重い摩擦が―― ふいに甦っては私を芯から震えさせる。 それでも、姉さん。 5: あなたは私の一部。私の醜い一部。 私の20年余の時間の中に落ちたあなたの影は長く、 これより先の私の時間に落ちる影も長い。 あなたにどれほど言い分があっても、それは問題ではない。 私が引きずるあなたの影は、私の受け取った影に過ぎない。 あなたの苦しみ、あなたの悲しみを、私はもはや冷ややかにしか見ない。 ひとの憎み方を、わたしは、あなたを通して知ったのです。 ……テメェ、そのまま帰ってくるな(毒) - - 2001年10月10日(水) 家族が希薄になってゆく。 1: 共有する時間が減少し、 距離が遠のき、 知らない部分が増えて行く。 「いつ髪を切ったの?」 「この賞状、どうしたの?」 「――ああ、みんなで行ったの?」 家族が遠のく。 空気が薄まる。 交わされる言葉の中に知らないことが増えて行く。 私は―――――――――― 2: これは自然なのだろう。 これは、当然の過程なのだろう。 わかっていたはずだ――家を出たときから。 私は私の軌道を行くのだ。 私の軌道は、あなたがたの家を離れたのだ―― 遠ざかる。遠ざかる。 弟の背丈は私を越した。 母は私の知らぬ理由で忙しい。 父は――また、出張が増えているようだ。 見知らぬ人になってゆく。端から。 家を見捨てた私を、家も見捨てる。 ああ、遠ざかる――。 3: 泣いてはいない。 悲しんでもいない。 ただ、ほんの少し、頭を傾げ――思うばかりだ。 「なにかになるか、なにかをするか」 私に問うたのは誰だ。何だ。 それが誰であれ何であれ。 別離があるなどということを、おまえは告げなかった! 私は憧れのうちに選んだだけだ。 別離など、その夢想の中にはなかった。 (だが、選ぶとはそういうこと。結果は裳裾のようについてくる――) 4: 私は晴れた日の野原に立つ。 空はどこまでも青い椀。 風は夏。 手を伸ばしても――何にも触れない。 私は、私の歩みを支えてきた幾つかの手から離れ行く。 ああ――この足は十分に強いだろうか。 この心は十分に強いだろうか――。 この目は、見る準備を終えただろうか。 「一人立てるだろうか?」 「やりたいことを、できるだろうか?」 立てなくても、立つのだ。 できないなら、やるのだ。できるまで。 5: 親密な空間を失う。 親しかった家族が遠のく。 わたしは、なんと多くの糧を、そこに得たことだろう。 わたしは、そこで、なんと――自由に、この枝を伸ばしたのだろう。 わたしは――。 手を伸ばしても、あの世界は遠い。 感謝する。深く感謝する。 わたしの全ての歩みをもって、感謝の言葉に代えよう。 - - 2001年10月09日(火) あ。 1: 昨日の日記を読んでから、そのへんに転がってた本を読み出して―― なんか、引っかかってた。 「……?」 例によって、私はしつこい。 しつこく、考える。 私の演算機能は、止まらない。 「……あ」 ニーチェじゃないか。 『ツァラトゥストラ』だよ。 ニーチェの善意と悪意に関する記述、 ほぼそのまんまじゃないか……。(ためいき) 気づいたのがさっき。(笑) 2: A 今年は、6つ年下の従姉妹が、大学受験の年だ。 志望動機はどんなふうに書けばいいのかと、 心配そうに電話で私に聞いてきた。 「さあ……」 頼りにならないおねーさんである。 従兄妹はスゴスゴ電話を切った。 B 大学受験は、私が、唯一、 「私、気が狂うかな?」と思ったイベントだった。 ちょっと無理めのところを狙っていたので(落ちたが) 一日、ほぼ起きてる間中、参考書とにらめっこしていた。 ふと、ある日。 図書館の自習室に滑り込み。 数学の参考書を広げた。 ……なんじゃこりゃ。 文字が文字に見えなかった。 紙の上には異様な線形がのたくっていて、 それは文字のはずなのだけれど、文字には見えなかった。 C 仕方ないので、席を立った。 席を立って、2階の閲覧室をブラブラしてた。 それは冬の日で、夕日が沈んでゆくの、見てた。 黄昏が色をなくしてゆくの、見てた。 夜が幅広に落ちて、広がるの、見てた。 疲れてた。 と、初めて、気づいた。 ああ、私、疲れてた。 不安に追われて、時間に追われて――私、疲れてた。渇いてた。 D そこらの本を手に取った。 何でもよかった。本が読みたかった。 輝くような言葉と会いたかった。 偶然だったのか、運命だったのか。 手に取ったのが、世界文学史上、最も 「キョーレツ」(モーレツ?)な本だったのは。(くらり) 『ツァラトゥストラかく語りき』 やられたよ……(ふ) 3: 18やそこらで、その思想を理解できたとは言わない。 ましてや一切の背景を知らずに読み始めたのだから。 でも、その言葉は。 澄んだ黄金だった。 鳴り渡る青銅の鐘だった。 私の中に流れ込み、私の渇きに染み入った。 私のほんとうの食べ物となった。 そして失せることがない。 良かれ――悪しかれ。 わかるだろうか? 飲み下すようにして一つの思想に触れることは、危険だ。 ほんとうの食べ物とは、いつでも極度に危険な毒物でもある。 (もっとも、危険でさえないような思想にどんな意味もないが) それは私の体内にひとつに構造を構成した。 私が理解したとさえ言いがたいその思想の構造に沿って。 私を決定した。 4: 影響を受ける、と、言う。 なんと生ッチョロイ言い方だろう。 己の精神の一部の構造が組み替えられるのだ。 その形の溝が刻まれるのだ。 開示された風景に目を奪われて――その道へと招かれるのだ。 私の見たのは、なんという風景だったことだろう。 最も明るく最も暗い。 最も多くの否と高い是のある。 その視界は――鳥のそれだ。 猛禽のそれだ。 私は魅了された。 未決定だった構造の一部がその形に姿を変えた。 その変化は不可塑だ。 あのとき、手に取る本をもっと慎重に選んでいたら、と。 そう思わなくもない。 5: で、ナニが言いたかったのかというと。 ……受験がんばれ、従姉妹よ。 でもって自己アピール五行分を一文で書くのはあんまりだ。 デスマスくらい統一しろ。 「うちの学校」なんて書くな。 ねーちゃんは応援してるぜ。 ――以上。(笑) - - 2001年10月08日(月) 私は善意を嫌う。 1: 私は善意を嫌う。 それが義務であるか、あるいは義務を装ってされるのでない限り。 それが愛情であるか、あるいはやむをえずなされるのでない限り。 極度に恥じ入りながらなされることによってその悪臭が消されない限り。 「相手のために」なされることは全て汚い。 それは生臭く、腐敗の臭気を伴う。 その濁った黄色い視線を見つめることを私は嫌う。 それは悪意とは逆の理由で私の胃腸にこたえる。 2: 受け取ることさえ、ひとつの技法なのだ。 取り落とさず受けとめることの、なんと困難なことだろう。 注意深くあるだけでは十分ではない。 そして善意ほど受け取るに困難なものはない。 与えることはむしろたやすいのだ。 困難なのは、準備の整っていないときにさえ、 差し出されるものは差し出されるということなのだ。 それゆえ。 差し出されるものほどしばしば取り落とされるものはない。 取り落とせば憎まれるのが善意だ。そこにその腐臭がある。 私は善意を嫌う。 3: イスラームの流儀を、私は愛する。 与えることは義務であり、受け取ることも義務である。 与えるものは、その代価に楽園に一歩近づく。 受け取るものは、むしろ恩恵を施すのだ。 そのような在り方を、私は愛する。 そこには腐臭がない。受け取るものの厚顔がそれを打ち消す。 そこには乾いた、深い、ほんとうの善意がある。 そのような善意でなければ、私には受け取れない。 4: 善意のみを持ってひとに近づくひとは、 その目を強く見つめられることを望まない。 猜疑を向けられるように感じるのか。 恩義を受けるものは卑屈に目を伏せていなければならぬと思うのか。 強く見つめていれば、訝しさが混じり、やがて与えるものの残忍さが浮かぶ。 善意のひとの目を、私は嫌う。 義務として一切の感情なく善き行為をするものだけを、 己が愛情からやむをえず善き行為をするものだけを、 恥ずかしげに、盗むように善き行為をするものだけを、 その善い行為だけを、私は受け取ることができる。 その余のものは私には飲めない。 無理に飲み下せば、毒のように私の中を焼くばかりだ。 - - 2001年10月07日(日) 私は悪意に耐えない。 1: 私は悪意に耐えない。 それは私が清いということではない。 弱いということの証明に過ぎない。 弱い? ――そう、胃腸が。 問題はそこだ。 悪いと知りつつ悪いことしようとすると、腹下す。 ……けっこう、どーかと、思う。 「でたらめに生きれば天が罰を下し、 でたらめに食えば腹が罰を下す」 モンゴルの諺より 私が悪いことができるのは、 だから、うっかりとか、それがそんなに悪いことと 思わなくてとか、自分が正しいと思い込んでいるとか、 あるいは――どーでもよくなって、とかいう場合だけらしい。 それだけでも世界の悪の大半を満たしているが。 自分から悪人になるにも丈夫な胃腸がいるとは。 2: 悪意を持つ人の瞳をじっと見つめるのは興味深い。 ある種のひとは目を逸らす。 ある種のひとは睨むように視線を返してくる。 そこにあるのは意思を持つ感情。感情を持つ意思。 ――人間が動物になる瞬間だ。 そしてこちらの顔はどのように見えていることだろう。 私はさぞや冷酷な目をしているに違いない。 「深淵を見つめるとき、 心せよ、深淵もまた汝を見つめる」 ニーチェ『ツァラトゥストラ』より 私は悪意に耐えない。 最も繊細な悪意さえ、私をして苦痛を覚えさせる。 最も健康な、単純な傷つける意思でさえ、私をして極度に疲労させる。 最も牢固な病となって、半永久的に私を襲う。 だが悪意の鎖もまた、独自の美しさを持ち、私の目を奪う。 3: 善良であろうとすることの呪縛を越えたものだ、悪意は。 最も疲労したときに私が『人形』を忘れていつか生のままの私であるように、 それは呪縛に拘泥し呪縛に疲弊して呪縛を忘れ、本来の形を取り戻している。 悪意は生きた、剥き出しの生命だ。 その皮膚は弱く、この世の風は全て苦痛を与える。 存在し続けるためには、瞬間ごとに湧きあがる理性を克服しなければならない。 そうだ。 攻撃の意思、殺意――その鋭い刃。 逸らされる目の中の――瞬間の道徳への自省と。 再び向けられる目の中の――感情と意思の激烈。 そして。 それが許しを乞う安逸へと傾くのか、 それとも、自己を正当とするふてぶてしさに傾くのか。 あるいは――凍って悲しみめいたものに変わるのか。 4: 私は悪意に耐えない。 私は悪意が吹き上がる以前に、それを分解してしまう。 それを噴出させるよりは、今に付け加えるための糧としてしまう。 あるいは、冷たい洞察と。 私は青く澄んだ洞に住む。 ここの空気はひどく冷たく、そして乾いている。 原初のものである激情さえ、ここから出るには足りない。 むしろそれらは溶けて滴り、白く煌く石筍と鍾乳石を飾りと付け加えるばかりだ。 私は悪意に耐えない。 私に親しいのは寂しさだけだ。 この青い寂しさを抱いて―― 私はただ見つめつづけるのか、この世界を。 出口を、ください。 - - 2001年10月06日(土) 人形の話をしよう 1: 髪の長いリカちゃん人形、 名前を何と言ったっけ、もう忘れてしまった。 私が小学校一年生のときに、発売された。 欲しかった。どうしても。 母にねだった。 ……が、敵の抵抗は頑強だ。 私は拗ね、泣いて、考え、そうして。 「どうしたら、買ってくれる?」 これには母も考えた。 そうして出てきた答えが。 「一ヶ月間、毎日、お皿拭きしたら」 かくして、私の皿拭き修行が始まった。 2: カレンダーに、バツをつけていった。 赤い油性のペンで。 夜の皿拭きを終えた後に。 力いっぱいバツをつけた。 マルのついてる日が、また近くなってく。 それが、ねえ、とても嬉しかったよ。 一日だけ、サボってしまった。 母と、ケンカして。 もう、いい、と投げ出した。 でも――次の日。 ちゃんと、ゴメンナサイを言ってから。 「昨日のぶん、なに、したら、いい?」 洗濯物、畳んだ。 母の顔、見たら、視線があった。 一緒に、笑った。 3: 一ヶ月が過ぎて、玩具屋さんへ行った。 友達がみんな、ゾロゾロついてきた。 宝物みたいに、人形の箱を抱いて帰ってきたよ。 箱を開けて。 長い、絹のよな髪に触れて。 (ずっと触りたかった) みんな、よかったね、と、言ってくれた。 よかったね、うれしいね、がんばったね―― お人形さんキレイね、かわいいね、ちょっとだけ触らせて―― ――うん、うれしいよ。とてもうれしいよ、がんばったよ ――キレイでしょう、かわいいでしょう、私のなの、でもちょっとならいいよ 一緒に、遊ぼう。 遊ぼう。遊ぼう。 あそ――ぼ――――――う―――――――――――― 4: …………。 こたつで目を覚ました。 どうしてこう、私はマヌケなのか。 友達の家に、忘れてきてしまった。 あんなに欲しかったお人形、ようやく手に入れたお人形。 急いで階段を駆け下りて、友達の家に、行った。 私の人形を、すぐに返して、もらいに。 (どうしてこう、ひとは悲しいものなのか) その子は出てこずに、母親が出てきた。 ひどくためらいがちに差し出された私の、人形。 ――ショートカットになってしまった私の人形。 あの長くてきれいだった髪を、短く、短く刈られて。 どうしてなんて、聞かなかったよ。 人形を抱きしめて、家に帰って、少し泣いて。 そうして―― 母親に連れられて謝りにきたその子に、冷たく、いいよ、と言った。 (どうしてこう、ひとは悲しいものなのか) 5: 一番傷ついたのは、誰だっただろう。 (あの人形はどこへやってしまっただろう) どうか、泣かないで。 泣かないで、あなたの苦しさを、涙を、悲しさを。 泣かないで、あなたの。 (どうしてこう、ひとは悲しいものなのか) あなたの声ばかり、必死だったのに。 よかったね、と、そう――言う声の。 必死だったのに、苦しげだったのに。 どうして、私は――人形を忘れて帰ってしまったのだろう。 誰もいない部屋でひとり、人形の髪に鋏をあてるあなたを思うのは―― (どうしてこう、ひとは悲しいものなのか) ――ひどく辛いのです。悲しいのです。 今でもまだ、ときどき夢に見る。 - - 2001年10月05日(金) 夢想断片 1: 私はひとりの男である。 私は神のあることを疑ったこともない。 全能なる目の眠ることなく世界を見渡していることを疑わない。 私の行う全てのことがやがて厳正な正しさをもって裁かれることを その報いの必ず私に返ることを一瞬も疑わない。 全ての裁きは神に返し、私は私の道を歩く。 他の全てのものたちも、それぞれの道を行くことを知る。 対立も親和も惜しまぬが、互いに己の道の上にあることに違いはない。 私が悪を望めば、私は悪をなし、そしてその報いも拒まぬ。 私が善を望めば、私は善をなし、そしてその報いも拒まぬ。 生も死もまた善悪も同一の道の上にあり、私はこれを避けない。 私は、永劫の炎も、楽園も、淡々として受け取る。 2: わたしはひとりのこどもである。 自分の内側に忙しい。 夢想と行動と思考に忙しい。 わたしは他者を知らない。 わたしは自分自身を知らない。 わたしは安全な場所を知っている。 わたしはまどろんでいる。 わたしは目覚めている。 柔らかな暖かい手は私の安堵、 寒い図書室の本棚の前に座って北への窓を見上げれば いつでも薄青い空が広がっている。 時々、鳩が羽音をたてる。 ここは静かで、そして誰もいない。 わたしは歌いたいときに、歌う。 わたしの歌はへたくそだが、わたしは気にしない。 誰もわたしを見ていないことを知っているから。 ――自由に。 3: 目覚めたいのか、眠りたいのか。 私は未だ生の辺縁にある。 生命と感情とその営みは―― 私の眼前で、銀河の鎖を紡ぐ 湧きいずる、尽きぬ泉だ。 その苦しみさえも、なんて美しいのだろう。 ――そしておまえは、その瞳の青白い炎を凪がせて見入るのか - - 2001年10月04日(木) 最近ジタバタしたこと2 1: 先週末のことである。 私は駅前で、母が迎えに来るのを待ってた。 時間が時間で、ロータリーに人影も車もあまりなく…… 駅の白い光だけがジジジと音立て…… ふと、ナニやら異様な空気に振り返ると。 闇の中から、ザッザッザと、足音が。 浮かび上がったのは……二列に汗臭い男の群れ…… すわ、ホ○の祭典か!?と見入り(やめなさい) 「ソーリャア、ソーリャア……」 なんだ、祭りの稽古じゃないか。 よく見れば紐を引いている。 うちの実家は、知る人ぞ知るだんじりの町である。 夏も半ばを過ぎると、青年団が掛け声かけながら夜な夜な徘徊する。 と。 「ソーリャア、ソーリャア……」 あの、ちょっと待ってください。 ナニ、引いてるんですか? 「ソーリャア、ソーリャア……」 紐の先についていたのは、軽トラだった。 しかも、ボロッボロの……。 重さとしては、だんじりよりも、ちょっと軽いくらいであろうか。 わかるよ。 わかるけど……。 大工方、荷台で跳ぶんじゃねえ……。(涙) 母がやってくるまで、お星様を見上げていた私でありました。 男のロマンはわからねえなあ……フ 2: 「ああたれかきてわたくしを抱け」 宮沢賢治『業の花びら』異稿より ………。 ……………。(ぼた) ごめん、ティッシュ……。 ……。(こしこし) …………。(ふぅ) 私が悪うございました。(土下座) 3: 返事がこないなあ、こないなあ、と、悩んでたメール。 一大決心、も一度聞いてみたら。 ……。 返信で送ったら、戻ってきてた。 メルアドの設定、間違ってるよアンタ。 さっさと直しなよ。 と、いう返事、戻ってきました。 ごめん。 ごめん、でも、笑いすぎて、腹痛い。 あたしって、バカ。(知ってたが) …………あー、でも、よかった。 - - 2001年10月03日(水) 1: とある動物行動学の実験。 とっても簡単。 準備:猫の前に足に傷をつけたねずみを置く。 それだけ。(笑) ただししつこくしつこくしつこく、そりゃもうエンドレスに繰り返す。 と、さて、どうなるか。 考えられるのは、 猫、ねずみを追いかける。 猫、ねずみを捕まえる。 猫、ねずみを殺す。 猫、ねずみを食べる。 という一連の事象である。 さて、これ、どーなったか。 まず、猫は満腹してねずみを食べなくなった。 これは予想できる。 猫の胃袋には限りがあるからだ。 しかし、猫はねずみを殺すのはやめないのである。 殺してどうするというわけでもなく殺す。 そのうち、それも飽きてやめた。 が、捕まえるのはやめないのである。 捕まえて殺すわけでもないのに、捕まえる。 そのうち、それも飽きてやめた。 が、追いかけるのはやめないのである。 捕まえるわけでもないのに、追いかける。 そのうち、それもやめた。 後は、ねずみが来ても、 ちょろりと片目で見て、知らんフリ、決め込んだ。 2: 種明かしをしよう。 猫の本能において、 A ねずみを食べたい欲求 B ねずみを殺したい欲求 C ねずみを捕まえたい欲求 D ねずみを追いかけたい欲求 は、それぞれ独立しており、 これらそれぞれの欲求の強さもまた違う。 つまり、Aは3回すれば満足されるのに、 Bは5回、Cは10回、Dは20回、行われなければ満足されない。 なにゆえか。 もしも、猫が『ねずみを食べたい』欲求の強さ(=A)だけしか 『追いかけたい』欲求の強さ(=D)を持たなければ、 ねずみが一度でも猫の手(足?)から逃げたら、 猫は飢え死にする。 多分、自然状態では、20回のうちに3回、 ねずみを捕まえられれば、恩の字なのであろう。 だから。 欲しい気持ちは、手に入れる必要よりも大きくなければならない。 3: 自然は最良の裁き手ではない。 自然は過たぬ導き手ではない。 我々は、必要なよりも多く求める。 実際に手に入れうるよりもはるかに多くを願う。 そのようにできている。 それが業だ。 それが罠だ。 人間は、最も広い意味での動物なのだ。 この手指の構造は無限の過去へとその起源を遡る。 「人間はなんと多くの人間らしからぬことを考へ しかもただの人間にとどまることでせうか」 小林秀雄『私の人生観』 私は私を見つめる。 私は私の構造と組成を知りたい。 内と外から、私は見つめる。 「もうけっしてさびしくはない なんべんさびしくないと云ったとこで またさびしくなるのはきまっている けれどもここはこれでいいのだ すべてさびしさと悲傷とを焚いて ひとは透明な軌道をすすむ」 宮沢賢治『小岩井農場』より ひとがその起源として『さびしさ』を背負って生れ落ちたなら そのように生きることを義務付けられているなら そのようにしか生きられないなら、 そのように生きよう。 - - 2001年10月02日(火) 1: 少年はすべからく世界制服を夢見る、という。 ホントかウソか? ある意味、ホントである。 世界征服とは、世界操作と言い換えても良い。 欲しい玩具があったら、まずそれがどこにあるか知らねばならない。 親の財布の中の紙切れを交換に渡さねばならない。 それなしでは怒られる。 親はその紙切れを大事にしており、 自分が例えばお使いや掃除をしなければそれをもらえない。 子供は、手に入れた玩具を抱きしめて考える。 あるいは、手に入らなかった玩具を見つめて考える。 あの紙切れがあれば、好きなだけ玩具は手に入る。 もしかしたら、どんな願いもかなう。 なら。 『どうすれば』 その紙切れ、世界の秘密の根幹、世界支配の法則を、手に入れられる? かくして少年は、世界征服を夢見る。 …………もちろん少女も。 2: 子供が考えたようには、 金は万能の世界の鍵ではなかった。 だがそれは、ともかく、子供が、世の中には何か法則が作用していると そう知る機会とはなった。 愛するのにも、愛されるのにも、 『どうすれば』 は、ついてまわる。 ここにも法則はある。 『どうすれば』愛される? 不当ではない。不当ではないのだ。 愛というものが人間にとって大切であればあるだけ、技能は重要なのだ。 愛だけがただ純粋にその感情のみで受け入れられる、そんなはずがない。 『どうすれば』愛される? 愛を願うこともまた、世界と他者を操作することなのだから。 ただ子供じみて「愛している」と叫ぶだけでは何にもならない。 本当に、愛を手に入れたいと思うなら。 技能は、必要なのだ。 不当、ではない。 3: 私の『人形人格』は、つまりこの『どうすれば』の集積だ。 それは少しも、病いではない。 それは私の重ねた観察の帰結であり、 私がどれだけ真剣に世界と向き合ってきたかを示す成果だ。 私はこれを、誇ることさえ、できる。 何といっても、私はこれを磨き、整え、飾るために、 人生の最上の部分を、それも惜しげもなくささげたのだから。 「以前はそれら『徳』の方が汝の主人であった。 しかしそれらはただ他のもろもろの道具に並ぶ汝の道具で ありさえすればよいのだ。 汝は汝の賛否を支配する権力を手に入れ そのつど汝のさらに高い目的に従って それらの徳をはずしたり、ふたたびかけたりすることを 心得るべきであった」 ニーチェ『人間的な、あまりに人間的な』より 潮時なのだろう。 私は再び私に返り、私自身の欲求と願いに立ちかえり、 『人形』を私の主人とあがめることをやめなくてはならない。 これは私の道具、それ以外のものではないと、 そのように宣言しなければならないのだろう。 今、私の願いを、『善』の上に置く。 正しかろうと、正しくなかろうと。 ――私がそう、したいのだ。 - - 2001年10月01日(月) 1: 周期なんだろうか。 ひどく、胸苦しい。 ひどく、孤独感が強い。 だが、これは感覚だけの話だ。 「夜の湿気とねむけがいりまじり 松ややなぎの林はくろく そらには暗い業の花びらがいっぱいで わたくしは神々の名を録したことから はげしく寒く震えている ああたれか来てわたくしを抱け しかもいったい だれがわたくしにあてにならうか どんなことが起ころうと わたくしはだまってあるいて行くだけだ」 宮沢賢治『業のはなびら』異稿より 人間が人間の中でしか生きることができないのはどうしてだろう。 全てを裁く正しさがないのはどうしてだろう。 正しい出口を教えてください。 あなたがたはどうして、そんなにも軽々と歩めるのですか。 私だけがこんなにも重い荷物を抱えているのですか。 それともわたしの背骨だけが弱いのですか。 確かにこの背骨は曲がっている。 誰も傷つけたくないのです。 誰も悲しませたくないのです。 己に誇りを持っていたいのです。 2: 雨の日曜日、長い長い散歩をした。 風が強かった、雨は激しかった。 川沿いに歩いた。 川面には奇妙な影が浮き、強く下流へと流れていった。 橋を幾つも潜った。 服はびとびとになった。 誰もいなかった。川原は灰色に翳んでた。 泣きたかった。 遠い西の空に夕空があった。 そこだけが金色で。 泣きたかった。 理由なんてなかった。体が冷えてた。 「人間は何と人間らしからぬ沢山の望みを抱き、 とどのつまりは何とただの人間で止まることでしょうか」 小林秀雄『私の人生観』より 泣きたかった。 泣けなかった。 表情と言葉、殺して、黙って歩いてた。 虹が出た。 半円を描いて見事な虹が出た。 金色の夕日が斜めに射して町を照らした。 泣きたかった。 泣けなかった。 泣き方を教えてください。 忘れてしまった。忘れてしまった、教えてください。どうか。 私はただの人間なのでしょう、 なら、泣けるはずです。教えてください。 「Ora Orade Shitori egumo」 宮沢賢治『永訣の朝』より -
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