- 2001年08月31日(金) 精神と身体のパズル 自分の肉体に、自分の精神をぴったりと重ね合わせたい。 難しく聞こえるだろうか? とても、簡単なことだ。 存在するままに生きること。 人間であり、女であり、若く、痩せて、背が高く、 美しいとはいえなくとも一つの顔を持つ。 そうしたことの意味を正しく知り、そのような限界そのものを受け入れ―― むしろそのような限界を持つものとしてこの足の上に棲みたい。 今は、重なりきっていない。 穴の空いているところもあれば、はみ出ているところもある。 例えば私の精神の――羽根だ。 これは、私の肉体には全然附属していない。 哀れ、この羽根は、私の背中から惨めに半透明な形をさらして突き出している。 例えば私の子宮だ。 これは、私の精神にはまるで見知らぬ器官だ。 哀れ、そこだけ窪み、穴空いて、風が通る。精神はこれを知らぬふりだ。 肉体は精神に、精神は肉体に、奇妙な違和感を覚えつづけている。 多分、生まれたときから、今までずっと。 双方互いに歩み寄ろうとはするのだが、どうしても駄目なのだ。 私の精神は子宮のことを問われれば、曖昧な微笑を浮かべて話をそらす。 私の肉体は、羽根のことを問われれば、ないよと答え、精神は気を悪くする。 私はデコボコ、うつくしい形には遠い。 精神は自分の顔を知らない。 とても美しいものを想像してみたり、とても醜いものを想像してみたりする。 たまさか鏡をのぞきこんでもみるが、どうもそこにあるものはしっくしりしない。 これはきっと姉の顔だろうと思ったりする。 精神は困っている。肉体は精神を訝しむ。 そうして私はといえば―― 途方にくれるばかりである。 - - 2001年08月30日(木) 1: 「男と女との関係だけに限るまい。 友情とか肉親の間柄とか、凡そ心と心との間に見事な橋がかかっている時、 重要なのはこの橋だけなのではないのだらうか。 この橋をはづして人間の感情とは理知とはすべて架空な胸壁ではないのか。 人がある好きな男とか女とかを実際上持っていない時、 自分はどういふ人間かと考えるのは全く意味をなさない事ではないのか」 小林秀雄『Xへの手紙』より 2: 「遭遇する」評論家、小林秀雄らしい言い草だと、思う。 小林秀雄は、ボードレールに遭遇し、ランボオに遭遇し、 中原中也に遭遇し、長谷川泰子に遭遇し、ドストエフスキィに遭遇し、 源実朝に遭遇し、モオツァルトに遭遇し、ゴッホに遭遇し、 骨董に遭遇し、ベルグソンに遭遇し―― それらへの眼差し、それらへの評論を通じて自分を表現した。 彼は対象への眼差し、対象への自らの感情の中に、彼自身を発見した。 彼は、「橋」をこそ、自分自身だと信じた。 「小林秀雄」という人間は、掴めるものではなかった。 見つめる眼差しの中にしか、存在しないものだった。 彼の実生活が、彼自身の本質と、いったいどんな関係があるだろう? 小林秀雄の時間は、奇妙な動きを示している。 私には想像できるような気がしさえする。 ボードレールの頃、モオツァルトの頃、と、歳月を数える小林秀雄が。 彼は一つの夢から他の夢に移行するように、生きた。 ボードレールという精緻な球体から、ランボオという球体の中へ、 更に多くの人々、更に多くの音楽、絵画と遭遇し、 そして―― そのどれも、彼を殺せなかった。 3: 「彼は逃走する美神を、自意識の背後から傍観したのではない。 彼は美神を捕へて刺し違えたのである。 恐らく此処に極点の文章がある」 小林秀雄『ランボオ�機戮茲� 「モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない。 涙の裡に玩弄するには美しすぎる。 空の青さや海の匂ひのように、万葉の歌人が、その使用法をよく知っていた 「かなし」といふ言葉のようにかなしい。」 小林秀雄『モオツァルト』より 「小田切:一流のものは全部同じということはないので、 違いはあるでしょう。 小林 :違いはあるけれども、要するに同じ魂なんだね。 何か深いアナロジーを感じるんだよ」 対談『コメディ・リテレール 小林秀雄を囲んで』より 「俺はこの疑ひの底でひそかに信じている。 もし本当の思想史というふものを人が編み出す事ができたら おそらくそれは同じような格好をした数珠玉をつないだように 見えるだらうと。」 小林秀雄『Xへの手紙』より 4: 小林秀雄は、「美神を捕へて刺し違え」はしなかった。 彼はそういう詩人の姿を見たのである。 空や海がけして悲しまないように、それを見るものだけが悲しむように、 「かなしさ」そのものである詩人、そうであるがゆえにけっして 悲しまなかった詩人の、その「かなしさ」を悲しむのである。 ただその「かなしさ」にだけ小林秀雄は見入る。 「かなしさ」を持たない「魂」は、 小林秀雄とは遭遇しない。彼はそれを見る器官をもたないからだ。 そうだ、まるで小林秀雄は、そういった「魂」を見る 特殊な器官を持っているかのようだ。 否、そのために彼の全ての感覚を研いでいったようだ。 それ以外のものが見えなくなるほどに。 そして彼の舌は、その「かなしさ」を語る。 見たものを語らずにはいられない。全て考証を装う部分は前置きだ。 そのとき、彼の言葉は歌になる。彼の言葉は、歌う。 だが、彼の遭遇した誰も――彼を殺さなかった。 もとより彼らに彼を殺すことができようはずもなかった。 そして彼は、「刺し違え」るべき美神を持たなかった。 5: 「俺は人を断じて殺したくないし、 人から断じて殺されたくない。 これが俺のただ一つの思想である。 だから必度流れ弾にあたって犬のように死ぬだらう」 小林秀雄『Xへの手紙』より 6: 中原中也は、彼自身の「かなしさ」に取り殺された。 ランボオは彼の美神と刺し違えた。 彼らは、殺された。 小林秀雄は、殺したくないし、殺されたくないと言った。 「かなしさ」を見ることのできるものは、 「かなしさ」を悲しむことのできるものは、 その「かなしさ」に殺されることがない。 悲しむことで「かなしさ」は浄化されるからだ。 そうだ、小林秀雄は、ランボオを浄化し、中原中也を浄化し、 ドストエフスキイを浄化し、全て遭遇した人々を、祈りのうちに鎮魂した。 あるいは、そうしようとした。 その「かなしさ」ごとに。 ――彼はまるで、僧侶のようだ。 詩人というこの世に紛れ込んだもの、「魔」を負うものどもを 絶え間ない全人格的な葛藤をもって迎え撃ち、 理解し、鎮め、そして言葉のうちに――過去とする。 彼はそのような遭遇をしていないとき、 そのような過程にないとき、 「自分はどういふ人間かと考えるのは全く意味をなさない事ではないのか」 と、自らに言う。 誰も彼を殺さなかった。 彼は「かなしさ」を知っていたけれど、 「かなしさ」となることはできなかった。 彼の文章は「かなしさ」を語って歌となったけれども、 「かなしさ」そのものは、彼のものになることはなかった。 誰も彼を殺さなかった。 だがその遭遇から遭遇への足取りの隙間に。その背後に。 そこに私は、おぼろげに、二重写しに、『本当の足取り』を見る。 犬のような死しか、自分にはないだろうと自嘲したひとの、 あまりにも「見る」ことにあけわたした肉体の、 絶え間ない遭遇と格闘だけが生きることだったひとの、 刺し違えるべき美神を持たなかったひとの、 そのかなしい足取りを見る。 だが、評論家を評論するのは馬鹿げたことだ。 - - 2001年08月29日(水) 1: 「『俺は恋愛の裡にほんたうの意味の愛があるかといふような事は知らない。 だが少なくともほんたうの意味の人と人の間の交渉はある。……(後略)』 (小林秀雄『Xへの手紙』より) ……(中略)…… 彼らはあらゆる修飾語を剥ぎ取られた一対の存在として、 絶え間ない全人格的な葛藤を繰り返さなければならない。 「人と人との間の交渉」はまぎれもなく成立し、彼らは確実に触れ合う。 だが、それがどれほどの苦痛を代償とするか。 ……(中略)…… そこに限度などというものがありえないことが見えすぎている。 束縛しあうところにしか「生きる」ことの様式はない。 そこに「政治」を――喰うか喰われるかという運動だけを 見れば話は簡単であろう」 江藤淳『小林秀雄』より 2: 先日、悪友A(注:女)が、彼氏と別れた。 ここのところずっと彼氏が忙しくて会えなかった上に、 誕生日を忘れられて「だめだな」と思ったらしい。 「どうしてもやりなおせないの?」 と聞いたら、 「向こうに頑張ろうって気が全然ないんだもの」という答えが返ってきた。 相手は社会人で忙しいらしく、こちらがずっと合わせてきた挙句のことだったから もう我慢できない、となったらしい。 感情を吐き出しあうような間柄ではないし、 なにより私に話してもどーしようもない(※私は恋愛経験がない)ということから、 彼女がわっと泣き出すようなこともなく、愚痴など聞いていた。 と、相手に何を求めてきたかという話になった。(※やっぱり私は聞き役である) 包容力のある人 → 一緒にいて楽しい人 → 一緒に何かできる人 という具合に彼女が相手に求めるものは変ってきたらしい。 何か抽象的な『愛っぽいもの』を与えられるのを待つ女の子から、 具体的に目の前にいる『相手』に視線をしっかり向けられるようになり、 そして、自分の『人生』というものを共有できる伴侶を探す……。 その変遷(成長?)は聞いていて、恋愛門外漢の私にも確かに説得力はあった。 むろん、多少なり彼女が頭の中で作り上げた部分もあったろうが。 とはいえ、そんなこととは別に、私はどうもしっくりしない。 3: 高校の時分、悪友B(注:男)は、非常にモテた。 頭は悪くないし、歌舞伎俳優のようなピリッと整った顔をしていたので、当然だ。 ちなみにジャンケンが異様に強く、私は二十回ほど連続で負けたことがある。 いや、余談だが。 さて、こやつ、モテるくせに、彼女はいなかった。というのは。 「つきあってください」 と言われても、 「つきあうってどういうこと?」 と答えるからなのである。 たいていの女の子はそれで涙ぐんで逃げ出した。 当時はそれを聞いて腹を抱えて笑ったものだが、 それでも、ああ、なんとなくわかるな、とは思ってた。 友人なら、いい。友人なら、同じ時間を笑って過ごせばいい。 喧嘩をしてもいい。そうして学校がひけたら、じゃあねと言って帰ればいい。 面白そうな映画があったら、わいわいと見に行くのもいい。 しかし、つきあう? 恋人? それはいったい、どういうことなんだろう? 悪友Bはおそらく、どんなふうな距離を取ればいいのか、 どんなふうに接すればいいのか、 さっぱりわからなかったに違いない。 だから――「つきあうってどういうこと?」と、聞いたのである。 つきあってほしいと言ってくるくらいなら、知ってるだろうと思って。 しかし………ねえ……気の毒だな、女の子たち……一大決心して 告白しただろうに……。 Bも、可愛い彼女、できてんだろーか、今ごろは……。 4: 「恋愛」については、ハナっから匙を投げている。 私は包容してほしいとも思わなければ、 一人でいても十分楽しめる人間だし、たいていのことは一人でもできる世の中だ。 友人で足りないような用事も今のところない。 従って、恋愛の需要がない。 問題は、「ほんたうの意味の人と人の間の交渉」だ。 自分がそうした「全人格的な触れ合い」を望んでいるのかどうか、 終には「束縛」の中の「喰うか喰われるか」というギリギリの線、 善悪と愛憎の区別がつかなくなる線にまで運ばれるような、 そんな、もの、を、望んでいるのかどうか。 わからない。 ただ、時に。 ひどく物狂おしくなることがある。 食い破られるような孤独感、寂寥感。 それはいつも、この手を伸ばしても触れるものがない、と、私に言う。 子供のようなその渇望の言葉を、なだめる術を私は知らない。 ――『本当の手』をおくれ。 - - 2001年08月28日(火) 最近ジタバタしたこと 1: 「ジブというのは四つ手網のことで、川副町大詫間では、朝鮮ジブまたは ピントコセとも呼んでおり……(中略)…… 用法は手押し網とほとんど変わらない」 『有明海の漁労習俗』より ………ジブ―――――――ッ!!!!(号泣) いや、うちで多分一番マッチョでカッチョなPC、 ジブリール・イブン・エシャーク・アル・サバーハ。 ………通称ジブ。 今度からそう呼ばれるたびに、きっと四つ手網が目に浮かぶ……。 2: 「きみに会いたい」 中原中也『書簡集』より、小林秀雄にあてた手紙 …………。 ………………………。 ねえ、そんなこと言っちゃっていいんですか。 私、オタクなんですよ? 妄想しちゃいますよ? 知りませんよ? ……………………………………中原さんってば。 - - 2001年08月27日(月) 歩くのが、好きだ。 座って考えていれば空転するばかりのものが、 踏みしめる足に従ってきちんと噛み合い、回転する、ような気がする。 といって、それだけの理由で、体力のない友人を 何時間も歩くのにつきあわせていいという法もない。 映画が終わったのが午後一時半。 某ラーメン屋でメシを食ったのが午後三時。 一駅くらい歩こうといってJR大阪駅から天満駅に行こうとして 福島駅(……)についてしまい、仕方がないから環状線に乗っていった挙句。 そのあと、お茶でも飲もうという話になって。 どうせならうまいコーヒーが飲みたい、なら スターバックスまでいこう、大阪マルビルの一階にある。 歩いてもそんなに距離はないだろうし、いい腹ごなしになる。 ……結局、茶を飲めたのは午後五時。 歩くのは、好きだ。 歩きながら交わした会話は、静かでも幸福でもなくても、速い足を持ってる。 歩いているうちは、沈黙を言葉で取り繕おうと必死になることもないから、 言葉は、正しく使える。 歩くのは、好きだ。 …………ごめん。(こっそり) - - 2001年08月26日(日) 「あの経験が私に対して過ぎ去って再び還らないのなら、 私の一生という私の経験の総和は何に対して過ぎ去るのだろうとでも 言っている声のようだった。 しかし、今もなお、それから逃れているとは思はない。 それは、以後、私の書いたものの、 少なくとも努力して書いた凡てのものの、 私があらわには扱う力のなかった真のテーマと言ってもよい。」 小林秀雄『感想』より 彼の「モオツァルト」「ゴッホ」、全て。 一つの悲しみを語っている。伝達不可能、表現不可能の悲しみを。 歌うしかない悲しみを。そのような一つの魂――中原中也。 「あの経験」を共にした、中原中也の影は絶えず見え隠れする。 彼の魂は、中原中也の中に見出した悲しみに魅入られてしまったようだ。 そこから目を離すことができずに、中也の悲しみを今度は彼自身が 歌い継がねばならないようだ。中也が失われることがないように。 「私の一生という私の経験の総和」は、「何に対して過ぎ去る」のか。 誰が中也の、そして中也ともはや分かち難くさえある自分の、 伝達不可能な悲しみ、表現不可能な悲しみを受け取りえるのか。 確かにここにあったはずのものが、かつてあったこともなかったように、 掌から零れ落ちてゆく悲しみを、彼は静かに感じていたに違いないのだ。 涙にすることもできずに、魅入られたよう。 「秋の夜は、はるかの彼方に、 小石ばかりの、河原があって、 それに陽は、さらさらと さらさらと射しているのでありました」 中原中也「一つのメルヘン」より 寂しい魂。 - - 2001年08月25日(土) ギリシア悲劇に、『オイディプス王』、という作品がある。 作者はソフォクレス、未だ悲劇の最高峰を守って譲らないこの作品は、 今から二千年以上も前に書かれた。 何度も読んだ。何度も、何度も、何度も、何度も。 文字の羅列となってさえ、言葉の全てが、歌う。 歌の全てが緻密に重なり合い、一つの壮麗な全体となる。 見る者は、陶酔して、踊ることもなお許されず、呆然と立ち尽くすよりない。 身動ぎすらできない。息さえつけない。涙は流れることを許されない。 そうするには、あまりに激烈な、足の速い、歌だから。 でも、そう。 何か、妙だ、と、最初に読んだときから思ってた。 何か、妙。何か、読みきれない。何か、隠れてる。 何度その走り去る足を捕えようとしただろう。 その正体がわかったような気がする。 かくも壮麗な歌の全ては、予感にすぎない。暗示にすぎない。 外側を緻密に辿るより他に内容を教えることのできないものを歌った歌なのだ。 器の形を、色彩を、その微細な凹凸に至るまで、ソフォクレスは歌う。 うかとすればそれをこそ歌おうとしていると信じてしまうほど克明に。 けれど――主題は器の内容なのだ。 それは、あるいは神々の飲み物、ありえざる炎。 ソフォクレスの天才をもってして、器をなぞるしかなかった、透明な。 走り過ぎる影と触れる風をもってしか、その存在を教えることのできない。 理知的な論議を舞台の上でオイディプスが、イオカステーが重ねる。 滅亡へと言葉と追求を積み重ねてゆく。あまりにも聡明に。 それこそ語られていることであるというよう、精緻に。弁証法的に。 だが観客は、そこに起っていることが『本当の舞台』の幕間に過ぎないことを 漠然と感じる。『本当の舞台』でこそ劇が進行していることを感じる。 合唱隊が歌う。神への感謝や、運命の悲惨や、人間の弱さを。 ひどく教訓的に。あたかも幕間に過ぎぬかのように。 だが観客は、その歌が『本当の舞台』の反響だということを、 『本当の舞台』の裏側を透かし見せていることを漠然と感じる。 『本当の舞台』が、裏返すことのできない舞台の板の裏側で着々と進行し、 わずかに溢れ出した余波が合唱隊の歌なのだと感じる。 ひとの言葉では、表現することのできない魔がある。 ただ暗示し、予感させることしかできない魔が。 ソフォクレスの天才は、その魔界の輪郭を歌い上げて―― そして、魔のありかを示そうとした。 『オイディプス王』が、全ての演劇に冠たるギリシア悲劇の中で 更にティラン(王)と呼ばれる理由はここにある。 - - 2001年08月24日(金) 自分を分解してみるのが好きである。 組成はいつも一定ではない。 今は、半分ばかり海でできている。 子供の頃は、九割方家族でできていた。 今はもう、一割くらいだろうか。下宿してからとみに減った。 共有する時モノが減れば、自分に占める割合も、減る、らしい。 実際、お袋さんと話があうのは、もう親戚のことくらいだ。 お袋さんは、寂しいらしい。 私は、家に帰るたび、妙な感じだ。 何かを無くすのは、哀しい。何かが減ってゆくのは、寂しい。 それでも、生きているうちは、変るものだ。 変らないということも、一つの変化だ。 今が気に入らなければ、変えればいいのだ。 変えたくなければ、守ればいいのだ。 泣くことも喚くことも、縋りつくことも、生きることに入ってる。 - - 2001年08月23日(木) 億年を経る洞。神々の様式。水走る。 連なる山々。神々の御座。竜の牙を撒いたよう。 - - 2001年08月22日(水) 死んでゆくのは海ではない。彼らの血。彼らの肉。 帰り来たれ。祈りの意味を知る。 - - 2001年08月21日(火) 変容と滅び。頭の中でない。この手に感じる潮流、この目に見る海色。 すり抜けてゆくな。 - - 2001年08月20日(月) 滅びを見つめつづけるのか。再生を望みながら。 全て遠つ祖の生きて死んだ海を。 - - 2001年08月19日(日) 宝の海。足に踏むその全ての貝殻が、かつて生きてあり。 その生は重なり重なる。 - - 2001年08月18日(土) 海を語る人々。その眼差し。遠く、望郷に似て。掌を指すにも似てこと細かに。 - - 2001年08月17日(金) 干潟の泥。遠く潮は引いて。追いかけようか。 - - 2001年08月16日(木) 嵐の通り過ぎた夕焼け。金色。虹の破片。 三角の波頭を探しに行こう、開拓平野を通り。 - - 2001年08月15日(水) 磯焼けの顔。四角い爪の太い指。網を繕う。 - - 2001年08月14日(火) イソアソビのおばちゃんらと、かすむ海と、磯と、蜻蛉。 - - 2001年08月13日(月) 賞味期限を2年ばかり過ぎたスナック菓子を食べた。 まずかった。田舎の店。 - - 2001年08月12日(日) 肉まんを食べた。佐賀県立図書館向かいの肉まん屋。 うまかった。 - - 2001年08月11日(土) テレビは私なしでもうまくやってる。 モーレツ、というのは、猛烈、なんだろうか。 - - 2001年08月10日(金) 1: 「夏の夜の博覧会は、哀しからずや 雨ちよと降りて、やがてもあがりぬ 夏の夜の、博覧会は、哀しからずや 女房買物をなす間、 象の前に僕と坊やとはいぬ 二人しゃがんでいぬ、かなしからずや、やがて女房きぬ」 中原中也 『夏の夜の博覧会は、哀からずや』 2: 小学校一年生、入学式の帰りのことを憶えている。 私は赤に白い水玉のワンピース、赤いランドセル、青いキキララの下足袋。 足止めを食らった踏み切りの前に、ラーメン屋があった。 そのショウウインドウを見た。私がいた。 「私が、ここに、いる」 そう思った。私はにやっと笑い、すぐに顔を背けた。 3: 小学校六年生のときに、ふいに、イヤな感じを覚えた。 なにか、呼吸のうまくできないような。 体の中に、なにかが蟠っているような。 息を吐いた。できる限り。 それでも、肺の内側に、黒いタールのようなものがべったりと張り付き 出てこないような。吐き気なのに吐けないような。 足掻いた。気持ち悪かった。涙が出た。 じたばたと、暴れた。それ、は、出て行かなかった。 今でもまだ、私のなかにあるのだろう。 4: ここ数年、私の寂しさは、楽しいはずの時にばかり出てくる。 賑やかなはずの場所にばかり出てくる。 そして私の上に居座って動かない。 私は寂しさに憑かれ、表情を浮かべることもできなくなる。 言葉は切れ切れ、上の空。 いつもなら簡単にできることさえ、できなくなる。 ただわけもなく寂しく。 できるだけはやく一人になりたくて。 一人になれば、泣きたいように思い、でも泣けやせず。 5: 回りで人死にが出たことがある。 祖母が二人、叔父が一人、大伯父が一人。 祖母たちと大伯父は大往生だったが、叔父は、事故だった。 母たちは病院に詰めていた。 私たちは電話の音を待ちながら、居間に座っていた。所在無く。 電話が鳴った。私が取った。叔父が死んだと知らされた。 笑いそうだった。部屋にかけこんで、笑った。 大声で笑うようなそれではなくて、顔がその形になりたがった。 得体の知れない、筋肉の勝手な動きだった。 6: 私には何かが欠けている。 私はどこかが歪んでいる。 私は何かが多すぎる。 私は何かが少なすぎる。 7: それがどうした。 私は私だ。 人間一般という鋳型があるなら見せてみるがいい。 もとよりそんなものは歯牙にもかけないけれど。 私の寂しさも、私の歪みも、みんなひっくるめて私だ。 全て、振幅を許すものだ、人間という定義は。 寛容を欠いたものだけが狂人と呼ばれよう。 自らに問い掛けることをやめたものだけが愚者と呼ばれよう。 ――――――――――――――――――――――― しばし、都合により旅に出ます。 帰還は、遅くても九月頭には。 愛する人々に、しばしの別れを。 あ、別にショックなことがあったわけじゃなく。 失恋したわけでもなく。 論文に追いつかれただけのこと。 ご心配なく……。 - - 2001年08月09日(木) 私は時々考える。 私は時々見る。 ほんの、時々だ。 いつも見えていたら、きっと、気が狂う。 いつも考えていたら、きっと、気が狂う。 「この世は深い。 『昼』の考えたよりも更に深い」 ニーチェ 『ツァラトゥストラ』 世界は深いのではないかと。 世界は広いのではないかと。 私の目の見ているのは百のうちの ほんの一つか二つに過ぎないのではないかと。 正しい角度からのぞいたように、 一瞬だけ、私は見る。私は思い至る。 その瞬間、世界はまるで違う色を持ち、 世界はまるで違う存在だったのだと理解する。 世界は確かに百の豊穣をもって私に対する。 「汝が深淵を見るとき―― 心せよ、深淵もまた汝を見る」 ニーチェ 『ツァラトゥストラ』 夢の中で解いた数学の問題のように、 一秒か二秒もすれば、確かに掴んだはずのことはどこにもない。 確かに見えたはずのものは、思い返すことさえできない。 追いかけよう、追いかけよう。水晶球の転がるように。 - - 2001年08月08日(水) 「かつて私はこれまでに踊ったこともないような舞踏を試みた。 天界の彼方にまで踊って行こうとした…(中略)… わたしは舞踏によるのでなければ、最上の事物の比喩を 語ることができない」 ニーチェ 『ツァラトゥストラ』より 私が自分のPCたちを創り出すとき、 彼らはあたかも舞踏の一シーンのような構図を伴って出現する。 十塚は、風のある夕暮れ。 大きめのカバンを肩にかけ、昼が夜に場所を変え行く道を歩いてくる。 吹いてくる風に、目を半ば閉じて、心地よさそうに。ひとり、笑う。 他の誰にも聞こえない、他の誰にも見えないものに、行き違う。 ジブリールは、雲ひとつない蒼天の下、真昼。 抜き身の大刀を背に負って、その柄に手をかけて、 たなびく衣の布を感じながら、笑う。吹き付ける砂にも目を閉じることなく。 広がるのは果てのない荒野。膨大な虚空と、虚無。 西川は、深夜、細い月の夜、緑の濃い硝子の温室。 右手を真横に、左手を心臓の上にのせて、長々と横たわる。 目を閉じて眠るよう。植物の伸びる音を聞いている。 深く項垂れた月下美人の白い細長い蕾だけが、見ている。 少年パンダは、赤い、朝焼け。 小さい、傷だらけの、薄汚れた体が、その一瞬にだけ、強ばりを解いて、 空の美しさに見入る。あんぐり、目と口あけて。空腹も寒さも、みんな忘れて。 受け止めたいように、両手の拳が開いてる。 シクリッドは、午前の、光の中。海の上。船の上。 次々突き出されるおかわりの皿を、軽口叩きながら手際よくさばいてゆく。 料理の匂い、荒くれどもの笑う顔、食器の触れ合う音、波。 南国のフルーツと、その底抜けの日差しと、海の匂い。 シヴァスワミーは、闇夜。星の廻りは星座盤のよう。 上半身は裸、腰に布だけまとって、寺院の石段に肩膝立てて座る。 シヴァとビシュヌ、ブラフマンの浮き彫り、その前の供花。 香料と甘くて濃い沙羅樹の香り。一人座る。視線は細く遠方へと擲たれている。 黒洞紫は、月の出の海辺。手には妖刀、閃。さながら地上の三日月。 今し月の上り来る海に向かってわずか斜めに立つ。その手の一方は刃を砂に引き、 もう一方は乞うように、海の彼方へと差し出されている。 風はその巻毛をゆるやかにあやすようにたなびかせ、たなびかせ。 渡会宗一郎は、白衣。診察室。今、客が部屋に入ってきたところ。 顔を上げ、椅子を回転させて半ば振り返っている。手にはペン、カルテ。 来客に、何事か笑いながら言っている。この目は他意を持つことを知らずに笑う。 髪の毛はちょっともさもさだ、傍らのソファで昨夜は寝たのだろう。 佐谷充彦は、薄暗い、無機質な酒場の隅。 薄汚れたコンクリートの壁、カウンター隅のスツール。 片方の膝を引き寄せて、行儀悪くスツールの上に立てて。 子供の顔で、大人の皮肉を笑う。きつい酒精のグラスを引き寄せながら。 北窓圭は、夕刻遅く。スタンドだけをつけた、古い図書館の個室。 山のように積んだ資料を捲りながら、神経質に長い前髪を掻き揚げる。 ノートには蚯蚓ののたくったような文字、本人にしかわからない覚書。 埃の積もったブラインドの窓の外には、遠く柔らかな家々の明かりの灯る。 伊澤朱は、半月の夜。風の強い。水走る山間の谷間。 水に半顔の美貌を映して俯く。月は高く、羽衣めいた雲の円形に輝く。 異形のもの、人外の妖魔を思わせて深いその目は見開かれている。 問うように、わずかに頭を傾げて。 ダスターンは、午後の光の中。傾き始めた金の光、影を落とす。 草原。膝ほどの丈のある草の原。風がその道を開く様も鮮やか。 白髪と焼けた肌の明暗けざやかにして、その目は暗い。 人の身に止まり、人の身に余るものを持つよう、その身を抱える。 レイヴンは、鉄の街灯の下。煉瓦の敷石の上。霧の夜。 手首にのせた鴉を、目の前に運び、悪霊めいて生まれついた顔を隠す。 干からびた左手にはステッキ、流れる霧に黒いコートの翻る。 落ち窪んだ眼窩の底の目は言うよう――メメント・モリ。(←ギャグラー) マリエはダンシング・ムーン。鏡の前、バーに片手をかけて。 真っ白いチュチュ、お団子だったはずの巻毛はすっかり零れだして肩に背に。 片手を上げる、足は交叉、優雅に。鏡に向かって立っている。 鏡の中の自分に、悪戯するよう、目の中で笑って、口元はつんと尖がり。 クロウは早朝の道を走る。野球帽、Tシャツ、短パン。どれも色鮮やかな。 耳にはウォークマン、響くのは軽快なポップス、足は速い。 通り行くひとには挨拶を、片方の目をつむって。にやっと笑う。 その瞬きは黒い肌と白目のゆえにひどく鮮やかだ。 書いていてふと…………よくもまあ生んだり……。 何人だろう……15人…………。 疲れたよ…………。 - - 2001年08月07日(火) 誰が悪いのかと聞かれたら、間違いなく私である。 私の愛機、パソ乃さん�兇硫萍未�妙なのである。 そう……主人に何のことわりもなく流れる 画面上のショッキング黄緑の霧……。 誰か助けて………(マジ泣き) ちなみに、私は、家電に名前をつける。 理由は特にない。別に話しかけたりもしない。 大事にしない方だと思う。目印をつけるわけでもない。 名前のつけ方も安直である。 初代のパソコンはデスクトップだったため、パソ子さんだった。 言ってはなんだが、おバカであった。 今でも実家にいるが、喉を痛めてずっと声が出ない。 二代目パソコンのノートパソコン、パソ乃さんはリースだったため、 今年三月でお別れだった。 彼女はとても気の毒な子で、一年しか私のところにいなかったのに キィボードが擦り切れてテカテカになってしまった。 現在のパソコンは三代目、名前はパソ乃さん�供� パソ乃さんと同じ系列の機種で、彼女よりも少し頭がいい。 回線がフレッツになったせいでこれまでの誰よりも仕事している。 携帯電話は、ケイ太くん。 時々一週間ぐらい断食させてしまうので、いつも欠食児童である。 そのせいか声が小さいし、私は彼の能力の未知数にいつも驚かされる。 冷蔵庫は、冷子さん。 ここ半年一度も電源を入れていないので、そのうち夜中に枕元に 座りに来るんじゃないかと心配している。 名前がついていないのは、地付き電話だけである。 姉から譲り受けたときに名前を聞いておかなかったので、 うっかり別の名前で呼んで旋毛を曲げられても困るから、名無しで置いてる。 名前をつけるのは、きっと彼らが唯一であるということを忘れないためである。 機械には壊れたら代わりがあると言うけれど、 でも、「私といるおまえ」「ここにいるおまえ」は、唯一だよ、と。 壊れたら、別の子が来るけれど、それはおまえじゃないと、と。 言ってあげたいのである。言ってやるのである。 かくして私は、我侭放題の連中と、けっこう楽しく暮らしている。 - - 2001年08月06日(月) 夢の話。 A:水晶球 夢の中だということを知っている。目覚めが近いということを知っている。 周囲の世界は私の目覚めと同時に滅びるということを知っている。 見上げれば、恐ろしいような空は黄昏とも朝焼けともつかない。 水晶球を持っている。なぜかは知らない。 とても大切なものだということだけを知っている。 これを持って行きたい、夢の敷居を越えて。 抱きしめている。祈るような思いで抱きしめている。 目覚めと滅びは近づき、腕の中で水晶球の溶けてゆく感覚。 強く抱き、消えないでと叫びながら、泣いた。 滅びの恐ろしい轟きが響き渡り、世界が崩れ去っても、放さなかった。 目覚めたら、水晶球はなかった。ひどく哀しかった。泣いていた。 B:学校 夢の中だということを知っている。何を夢見ているのだろうと回りを見回す。 学校だ。高校の、中庭。粗い砂の敷かれた。ロの字に並ぶ校舎、教室の窓。 私は制服、プリーツのスカートは広がる。 日差しが私の影を砂に落とす。砂が私の歩みにつれて軋む。 教室のカーテンが風を受けて揺れて、窓から溢れ出る。 ああ、なんて。 柔らかい。 体を震わせるような、しあわせ。 見上げる。空はよく晴れている。 ふたつの雲が白く浮かんでいた。私は、すぐにわかった。 私の羽根だ。私を探していた私の羽根が、ようやく私を見つけたのだ。 下りておいで、私はここ、と、呼んだ。 目覚めてから、しばらく幸せな感覚だけ残ってた。 中身を思い出したのは、顔を洗っているとき。少し泣いた。 - - 2001年08月05日(日) 金曜日の項に書いた親友と、音楽について話したことがある。 もっとも、私も彼女もそう高尚な趣味は持っていない。 ヒッキーだ倉木だ浜崎だ中嶋みゆきだ石川さゆり(?)だ、と たわいもなく流行歌手の名前を挙げていた。 さて、ここでまた面白いことになった。 どんな基準でいい歌かどうか選ぶのか、という話が出たのだ。 私は、六七時間聞きっぱなしでも、引っかかってこない歌がいい、と、答えた。 耳についてうるさいのは、だめだ、というわけである。 彼女は、何度聞いても頭に入ってこない歌はだめだ、と、答えた。 気がつけば聞き入っているような歌でなければいい歌でない、というのである。 お互いに、反対のことを言っているように聞こえる。 しかし、少し考えたらわかるだろう。 私は音楽を単に聞き、友人は音楽を聴こうとして聴くのだ。 私の音楽は常に私の焦点から少し外れた場所にある。 音楽は私の焦点に侵入してはならない。思考と行動の足を止めてはならない。 私がいい歌というのは、注意を要求しない、袖を引かない歌だ。 彼女は音楽を聴くとき、音楽を焦点に置く。 彼女は音楽に耳を傾け、全神経を注いでそこから言葉と音を拾う。 拾うべき言葉も音もない歌を、彼女はいい歌と呼ばない。 彼女は、純粋な目と耳を持つ。 彼女の目は、美しさを求め、美しさを見出し、美しさに耐える。逃げない。 彼女の耳は、音楽の語りかけてくるところに耳を澄ます。逃げない。 彼女の内部で、絵は音楽は、その本来を顕しているのだろう。 聴くことと見ることに忙しく、彼女は無口だ。 私といれば、彼女は、私にも耳を傾ける。確かに私を見る。逃げない。 逃げるのはむしろ私の方だ。私は彼女の前では、たいてい落ち着かない。 私が、自分の言葉で、衒いもなく照れもなく嘘もなく 彼女の前で語れるようになるのは、いったいいつだろう。 そうして、彼女が自分の目と耳に合うほどの絵の技量を手に入れ、 その絵が美しく豊かに彼女自身の内に受け止め育んだものを顕す、 それはいったいいつだろう。 もう七年越しの親友なのだが。 - - 2001年08月04日(土) この週末は、実家に帰った。 珍しく出張の鬼親父がおり、クラブの鬼弟がおり、 往年のテニス部の星、お袋さんがテニスに出かけるというので、 近所の焼肉屋にメシを食いに行くことになったのだが…… この焼肉屋、隣がカラオケだった。 ……何の因果か、行く破目になってしまった。 数年前の正月に、母方の一族打ち揃ってカラオケに行ったことがある。 いや、ひどかった。それはもう、ひどかった。 音痴一族だとうすうす思っていたのは本当だった。 誰も音程があってない。誰も歌いだしが合わない。 そりゃもう、作曲者と作詞者がいたら、足摺して泣いたであろう…… だから戦々恐々として入ったのだが…… これがどうして、なかなかのものなのである。 親父のレパートリーがビートルズ、ニール・セダカ辺り、 何ゆえか英語の歌の方が日本語の歌よりうまい。 弟は、ゆず、19、ポルノグラフィティ、その他現代モノは何でもござれ。 私? 私は中島みゆきとZABADAK。 ネタこそ多くは無いが、どれも歌いこんでるのでどんと来い。 親父は一族カラオケのときは酔っ払って寝ていたから聞かなかったが、 弟の歌は、確かあのときは、とんでもなく下手クソだったはずなのだ。 そして私もひとのことを言えない状況だったはずなのだ。 しかし、それ以来けっこうカラオケに行っている (正確には引きずって行かれている)のが、練習になっていたらしい。 つくづくと、実力は費やした努力の結果に比例すると思った。 ちなみに、私は「歌える」というレベルには、百回は聞き、 十回はマイクを握って練習するという時間を費やしてようやく到達するのである。 向いてないことは疑いない。才能がないことも疑いない。 だがともかく、無理ではないのだ。 そういえば、「天才とは努力できる才能だ」と、誰かが言ってた。 このでんに従うなら、天才と凡才は、どうやら地続きらしい。 - - 2001年08月03日(金) 絵をやっている親友に連れられて、美術展に行ったことがある。 誰の展覧会かは忘れてしまった。猫で有名な日本画家だったように思う。 人出もそこそこあり、二時間ほどもかかっただろうか、 見物を終えて、私と友人は会場を出た。 私は、3畳分もありそうな、柳が風を受けてたなびく様子を描いた屏風の あまりの見事さがまだ脳裏から消えやらず、あれが一番よかったと言った。 友人は、確かにあれはいい、と同意してから、 自分が一番いいと思ったのは、小さな盛椿の絵だったと言った。 言われてすぐに、私はその絵を思い出した。 ちょうどその前に人が集まっていたので、少し離れたところから見た絵だ。 ごく小さな絵だった。 底の浅い硝子の腕に盛られた椿は、異様な静謐さを湛えていた。 異様な静謐さ、そうだ、空気さえ透明に凝り、流れないような。 盛られた椿は均衡を破ることを恐れて枯れることもできないような。 私の目はその異様さを感じ取ったが、柳の絵のような単純な感動を 許されずに、見えなかったふりをして通り過ぎるよりほかなかった。 ああ、あの絵か、と、答えて、私は何と続ければいいのか困った。 あの異様さを美しいと評するには、私は多分、健全すぎた。 しかし、凄さで言えば、柳の絵よりも数段凄い絵だというのもわかっていた。 いい絵だったね、確かに、と、口の中で呟いて、私は誤魔化した。 - - 2001年08月02日(木) 来年春からの就職先から、手紙が来た。 九月頭に内定者で懇親会をするから、出欠よこせ、というのだ。 不思議に思うのは、この会社の人事部、連絡がいつも手紙だってこと。 携帯電話の番号も伝えてある。メールアドレスも伝えてある。 何ゆえ、文明の利器を利用せんのだ…… 就職活動のときに、自己分析というものをやらされる。 これまでやったことやできたことを纏めて、自分の天職を見る、というヤツだ。 もっとも、市販のシートに書き込むようなのは、私はさっぱりやらなかった。 自分流で十分間に合ったからだ。 自分の一日、二十四時間というものを考える。 具体的に昨日のことを考えるのが一番いい。 ・睡眠、6時間。 ・食事風呂その他家事、2時間程度。 ・通学往復徒歩電車含め1時間。 ・アルバイト、2時間。 ・読書、5時間。 ・勉強、4時間。 ・ネット、4時間。 こう考えると、自分が何を好きか自ずとわかってくる。 一日四時間以上することが、「好き」なのだと思っている。 もう少し長いスパンで考えるなら、月々の自分の支出である。 私は家計簿をつけていないから、うろ覚えだ。 ・食費、1万円弱。 ・交通費、5千円強。 ・書籍費、1万円前後。(図書館利用分換算したらきっと十万越す) ・衣料費、3千円前後。 ・居住費などなど、3万円弱。 ・通信費、1万円弱。 非常に簡単である。 支出に使える金額がだいたい決まっているので、わかりやすくていい。 もっと考えたいときには、部屋の空間利用を考える。 私の部屋は6畳ジャストである。 ・クローゼット、半畳。 ・机椅子、1畳。 ・本棚、1畳。 ・パソコン、半畳。(ノートなのだ) ・布団、1畳。(万年床) ・冷蔵庫、半畳。(電源入れてないから棚である) ・空間、1畳半。 これまた、分母がはっきりしているのでわかりやすい。 しかし、何もない部屋である。(テレビもビデオもない) とはいえ、家具は大小の差が激しいから、あまり正確ではない。 一日は誰にとっても24時間だし、 使える金も毎月だいたい決まっているだろう。 部屋なんて、これははっきり限定空間だ。 そして、人間、無駄だと思うことに時間や金、空間を使うことはない。 たいてい、使う時間、金、場所に見合った重要性を感じている。 誰が何と言っても。仕方なくだと思っても。 自分が何を「好き」なのか、わからなくなったら、 過去を穿り返すより、現在を見てみることだ。 自分が何を「している」か、見てみることだ。 現実というものは、おそらく、とても簡単で、単純だ。 そう、思う。 - - 2001年08月01日(水) 最近の暑さにだれている。 と言うと聞こえはいいが、実際のところは、 日々うだうだと怠けているだけのことである。 小学生の頃、中学生の頃、高校生になって。 私はいつも「やらなくてはいけないこと」というものがあると思っていた。 勉強を、運動を、クラブ活動を、「やらなくてはいけない」と思っていた。 といって、それを全部やっていたわけではない。 そこそここなしていた程度である。 しかし、そうしたことを、本当なら「やらなくてはいけない」 と思っていたことに変りはない。 小学生、中学生、高校生、大学生になっても。 うちの父親は、単身赴任の多い人だった。 家に帰ってきても、母とよく喧嘩をしていた。 頑固で、人の言うことを聞かない上、自分が間違っていても押し通した。 口よりも先に手の出るひとで、よく殴られた。 「どうしようもない」人だと、母はよく私に言った。 私もそう思っていた。 勉強、運動、クラブ活動は、本当に「やらなくてはいけない」ことだったろうか? 父は本当に、「どうしようもない」人だったろうか? 今はそう思わない。 学校の勉強を隅から隅まで「きちん」とやって、(学年で十番以内?) 運動はなんでも「きちん」とできて、(体育の授業ではいつも頼りにされる?) クラブ活動も「きちん」と実行できる。(部長や副部長として皆を引っ張って?) そんな小学生や中学生、高校生はいない。 どれかしかできない子もあれば、どれもできない子もある。 それ以外のところに生きてゆく子もある。 それでいい。 家庭よりも仕事に人生の重点を置くことを選んだ父が 疲れて家に帰ってきて、懐かない子供を相手に、 「きちん」と接し(愛想よく、怒らず、我慢強く?) ここぞと日常の不満をぶつけてくる母を相手に、 「きちん」と接する(愛情に満ちて、共感深く?) ことはまあ、不可能である。 父は父の選んだ人生を見つめている。 父は父の道をゆく。 それでいい。(子供を殴るのは考え物だが) 思い込みの枠を外すと、生きることが随分楽になった。 他人に十全を期待することもなく、 自分に十全の重石をかけることもない。 私は私の足で歩く。 私の「やりたいこと」が私の「すること」だ。 それとて、「しなければならない」という呪縛ではない。 他人に褒められれば、嬉しくないわけではないけれど、 それは私とは、ちっとも関係ない。 私は私のテンポで歩こう。 夏は、だれるか。 ……と言ってもいられない。 「やりたいこと」が私をせきたてる。 -
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