あふりかくじらノート
あふりかくじら



 黒魔術のような、赤をください。

服を買うのが苦手だ。
わたしに合うサイズなど、まずもって
普通の店にはおいていない。
どうしてサイズが大きくなると
幅ばかり大きくなって、丈は160cm用なのだろう。
わたしくらいの背の女性なんて、昨今はよく
見かけるようになったのに。

だから英国のあの店は重宝する。
都内にも店舗があるので、少々遠くても足を延ばす。
必ずわたしのサイズに会った良いものが、
良いデザインで見つかるのだ。

洋服という文化は、ヨーロッパのものなのだ。
だから、どうあがいてもたかだか百年もいかぬ
洋服文化の日本が勝てない「センスの良さ」がある。

服を買うときは、ないとわかっていても執拗に
たくさんの店を見てまわるので、
いつのまにか躍起になっている。
イメージも、着実に固まっていく。

赤が欲しかった。
とても華やかな赤が欲しくてたまらなくなった。
しかも、ほんの少し真っ赤なレース地の重なった
ものが欲しいと思った。
社交界デビューで着るのだー!と思いながら。
それは、わたしの頭の中で赤い炎のような色が
どんどん形となり、もはや手に取れるくらいに
はっきりとしたイメージにさえ成り果てていた。

祈るように電車を二回乗り換えてその店へ行く。
果たしてそれはそこにあった。
軌跡なのか、めぐり合わせなのか、黒魔術なのか、
そこにわたしのためにあった。

そんなにイメージにぴたりとした服がそこにあるなんて、
初めてのことだった。

それは静かに燃えるように、わたしを待っていた。
赤い色が、華やかに、鮮やかに。
そして、毒々しく。

***************

↓ blogをご覧あれ。

2004年09月28日(火)



 こわいものなんて、何もないのよ。

いつも、アフリカ関係の色んなシンポジウムやら
講演会やら勉強会やらにしょっちゅう顔を出し、
歯に衣着せぬ発言をされるご年配の方がおられる。

いまのアルバイト先のシンクタンクの
とっても偉い方なのだ。

土曜日、NGOのミーティングに出てみると、
その方を筆頭に、その方や50代くらいの方ばかりだった。
皆、理事長やら会長やら大使やらの経験者で
そうそうたる経歴の持ち主だ。

小さな集まりのカラーは強烈だった。
もやもやとしていたテーマが、びしっばしっと
心地よい音を立てて進んでいくようだった。

経験というのはものすごい。
とにかく、恐ろしい説得力と行動力がある。
物を知っていて、どういうことが良いことかが
彼らには見えている。
とにかく、おじいたまは、決めるのが早い。
すぐに、ぴしっと進み、攻めに出る。

雲をつかむような、壮大な計画で始まったNGOだが、
なんだかうまくいきそうではないの!?
こちらも圧倒されつつ、聞き入っている。

そして、若いうちの経験はきっと何かの
役に立つから、といって事務局担当の仕事を
仰せつかった。
有無を言わさず。

おじいたんに事務局やらせるわけにはいかないものねぇ。

そうしてわたしはまたひとつ、ボランティアの仕事を
引き受けて苦しむのである。

おじいたんというひとたちは、こわいものなどない。
わたしもいつの日か言ってやる。

「こわいものなんて、何もないのよ」
そして高らかに笑うのだ。

2004年09月27日(月)



 子ども席を狙え。

バスに乗るといつも坐る席は、
右側中央からやや後方よりの席、左側中央扉の後ろ、
運転手の後方、左前扉のところ。

つまり、いずれもひとりがけであり、
他の席より一段高さがある。
タイヤの上なのだ。

子どもは皆、この席が好きだと踏んでいる。
他の車より高さのあるバスのなかで
さらに高さのある心地よさったらない。

だから、バスに乗るとわたしはこの席を狙う。
子どもが後から来て悔しがるのがわかる。
ふふん。大人気ない大人で悪いわね。

これらは、長い脚を無理に折りたたむ必要がない席でもある。

最近、床の低いノンステップバスというのが
かなり一般的に普及してきているが、
このバスの最前列の席は、恐ろしく高さがある。
あんまり高いのでステップがついている。

見るからにタイヤのまん丸いところの上だ。
大人が乗るとじつに格好悪い。

さすがにちょっと恥ずかしいので
あんまり乗らないけれど、やっぱりときどき坐る。
この席は、幼児のひとりがけは禁止なのだ。

ふふ。

2004年09月22日(水)



 贅沢で素朴な文章ほど、かぐわしく。

ちいさな文庫本が、うつくしい人生の奇跡のように、
ささやかで輝かしい重みを持つ瞬間がある。

向田邦子の文章には、まったく贅肉がなく、
余計な色味も不要な感傷もなかった。
見事なくらい、さらりとした重みがあって、
ちょうどよい骨格に肉付けられていて、
身体中にいっぺんにぴったりと広がる
その無駄のなさは、じつに見事だ。

大人なのだ。
ちょうどよく、大人なのだ。
これぞ、エッセイストの真髄なのかもしれない。
目新しいことばづかいで読者をはっとさせる
江国香織があまりに若く見えてしまうくらい、
そこには、まったく違ったかぐわしさがある。

エッセイの第一文が、いつもとても印象的なのは、
わたしもこころがけようとしている大事な点。

このひとのエッセイに出会えてよかったと
心のそこから思える。

わたしの文章も、このように歳をとっていきたいものだと思う。

*******

『女の人差し指』向田邦子 著 文春文庫


2004年09月21日(火)



 ジャンクな休日を過ごすのだ。

無性に食べたくなったのはあれだ。
チリ・ポテト。
チーズがたっぷりかかった某ファスト・フードのやつ。
コーラと一緒でなければならない。
ああ、なんて身体に悪そうなの。すてき。

そういう日は健康上必要ではないかと思う。
精神的・肉体的ともに。

無印良品で、綿のまくらカバーを購入。
もちろんオフホワイト。
それから、アイカラー。
和紙のような色合いのグリーンと白を組み合わせた
レターセットのカラーアソート。
そして、華やかな模様の小布をいくつか。

ちいさなショッピングの一日。
デートは好きなときにしてるし、
毎週末束縛されないというのはいい。

男は必要なときにたくさんあればいい。

ジャンクな休日を過ごすのである。

2004年09月20日(月)



 ピンクのドレス、包む幸せ。

古いチャペルで、クラシックなレースをあしらった
あのベールも、白いウェディングドレスの
贅沢なドレープも、映画のワンシーンのような
時の流れにため息が出そうなくらいだったけれど、
今夜のパーティのときのやわらかなピンクのドレスの
光沢は、ひときわうつくしかったので、
わたしは身体の芯がほんわりとその色に
包まれるような、そんなふたりの幸福を感じた。

あのボランティアサークルに入ったのは、
もう十年近くも前のことになる。
あんなに幸せな結婚をするカップルもいることを
とてもすばらしいと思う。

遠い世界に来てしまっているようだけれど、
アフリカだってどこだって、人間が生きている
大地であるわけで、どこにだって「福祉」は
あるわけなのだよ、と心の中で思った。

ものすごくたくさんのことを考えたけれど、
ほんわりとしながら今夜は眠りたいと思う。

結婚、心から祝福する。

2004年09月19日(日)



 ナチュラルに、やわらかくあるために。

土曜日の夕刻、ドトール・コーヒー。
相変わらずノートPCに向かうわたしを、
ひとりの若い男が穴の開くほどじぃーっとみつめている。
(あらまあ、いやん)

年の頃、六歳くらいだろうか。
どうやら、わたしの愛人「メビウス・ムラマサ氏」が
とても気になるらしい。
そうだろう。
だって、ネコのシールはってあるもの。
(傷を隠し、我が哀しみを癒すためだがね)

ずいぶん見てるので「パソコン、見る?いいよ」と
声をかけると、男はとても恥ずかしそうにうなずいて
こちらに近づき、興味津々画面に見入り始めた。

すると、それに気づいた母親が大慌て。
子どもがわたしの邪魔をして申し訳ないと思ったらしい。
ものすごい勢いで、やめなさいっ!と子どもに
言うのである。
だめよ!お仕事の邪魔しちゃだめですっ!
(お仕事でもないが、ね)

若い男は、すごすごと母親の元にもどる。
とても恥ずかしそうだ。

そんなにしかることないのにね。
これくらい、わたしにしてみれば
なんということもない。

最近、ちょっとした親切を受けなれていないひとが
あまりにも多すぎると思う。
ドアを開けてあげること、道を譲ること、
席を譲ること、PCの画面くらいみせてやること。

小さな親切で、逆にぎょっとされてしまうことがある。
とてもぎこちない。

ものすごい勢いで謝るのではなくて、
軽く微笑んで会釈したりして、「すいません」とか
「ありがとう」とか言うのが
ほんとうのところなのではないだろうか。

あれでは、あの男の子が、
「自分はとても悪いことをした」というふうに
思ってしまう。

ナチュラルに、やわらかくあればいいのに。
そうすれば、親切をするほうもされるほうも、
とても気持ちがいいのに。

知らない人とかかわりを持つという機会が、
少なくなってきたということなのだろうか。

2004年09月18日(土)



 あたしが大学生だったころ。

先輩殿のかつて作ったというあるサークルに、
今月始めごろ参加させていただいた。
国際交流・国際協力団体ということで
目がきらきらした学生さんがたくさん。
とても前向きで、礼儀正しく丁寧な学生さんたちは、
ほんとうに元気を与えてくれたと思う。

わたしが大学生だったころ、
たくさんたくさん焦っていた。

だから、自分の所属していた国際学部で
やたらめったら「留学」だの「国際交流」だの
口にするような典型的「国際学部生」という
明るい人たちは大嫌いだった。
「国際」と口にすれば国際的だと誤解している人間は
意外と多い。
でも、「国際」自体を目的にしているのは
「国際的」ではないのでは?

そういう反発からだった。

でも、その「国際交流団体」には、あのころ感じたような
薄っぺらさとは違う空気を感じた。
何よりも、学生さんらの向上心が良かった。
向上心。それだ。いいねえ。

あたしが大学生だったころ、あまりに余裕がなかったからかしら。
ともかく、あの学生さんたちの姿勢に、
わたしは学ぶものが多かったように思う。

というわけで、彼らから丁寧なメールを頂戴した、
あふりかくじら(まだまだこれからよっ)の感想です。


2004年09月16日(木)



 生命の数、哀しみの度合い。

このところ、朝起きて新聞を眺めるのがつらいくらい、
痛々しい事件が目白押しである。
そのまま新聞をとじてしまいたくなる。

ここ日本では連続して狂気的な事件が起き、
その悲惨さに麻痺してしまうかもしれないという
危機感におそわれる。
実際、人を殺める人間は、そこのところ
完全に重要な何かが欠如している。
だが、このような社会がそういう人間を生産していく
悪循環を作っていくのだとしたら?
新聞も、恐ろしいツールのひとつだ。

バグダッドで、亡くなる人はもう、
ただの「数」に近くなってしまった。
恐ろしいことではあるまいか。

それでもわたしはこの日本で普通に生活している。
日常生活はそこにあり、それでも地球は回り続ける。

愛用のノートPC「メビウス・ムラマサ氏」に
がりっと傷をつけてしまったことに、
ショックを受けたりしている。

そのショックを癒すために、可愛らしいシールをはって
気持ちをやわらげようとさえしている。

哀しみの度合いとは何だろう。
家族をなくした人がいて、PCに傷をつけてしまった人もいる。

なんだろう、この皮肉は。

2004年09月15日(水)



 くじら売り出し中なのです。

手作り名刺の写真を変えた。
何を隠そう、自分で撮った写真はけっこう好きだ。
デジカメはあんまり好きでないから、
キャノンのふるいコンパクトカメラだが、
自分で撮った写真を名刺に使うようにしている。

短い間だけのこの職場をわたしのチャンスとし、
研究員の方々に名刺をわたしながら
昔からやってきたような「自主営業」をする。

くじら売出し中。
直接実を結ぶことでなくても、何にでも挑戦しようと
やってきたはずだったけれど、それをときどき
忘れてしまうのは、やっぱりもったいない。
ぼんやりしている暇はないんだから。
落ち込んでいる暇もないんだから。

会社勤めしていたころのような焦りはない。
そのぶん、たくさんの言葉に耳を傾け、
受け入れられるようになってきた。

前向きに構えれば、良いだけのことだ。
自由時間は、与えられている。
あとはそれを、どう使うかなのだ。

あたしの本、きっと出版されて本屋に並ぶときが
くるでしょう。
敬愛するベッシー・ヘッドの本も、そうでしょう。

そう心に描き、楽しい気分になりながら、
名刺に「作家ベッシー・ヘッド研究」と書いている。
わたしの名刺を手に取った方は、
ちゃんと裏面を見て欲しいと思う。

2004年09月14日(火)



 グラウンド・ゼロをどうみるか。

あの日、わたしはエディンバラにいて、
アメリカ人のフラットメイトと暮らしていた。
2001年の9月11日のことだ。

あの日ほど、世界中を身近に感じたことはない。
鮮烈なテロというイメージに、地球市民であり
ひとりひとりの学生であるわたしたちは
ただただ黙って一緒にテレビを見ていた。
あまりの恐ろしい映像に、小さな声をあげ、押し黙り、
ぽろりぽろりと意見を交わした。
ヨーロッパ人、アジア人、アメリカ人、アフリカ人、
とにかくいろんなひとたちが、個人として
その空間をシェアしていた。

映像になって流れていないから、恐ろしいことから
目をそらせるわけではない。
あの日、まさに911のあの日、「カミカゼ」という
言葉がテレビから流れてきた。
わたしの大叔父は、「カミカゼ」だった。
そんなこと、誰がその場で言えるだろう。
あまりにも深すぎる溝なのだ。

世界はあのときより恐ろしくなった。
人がたくさん死んでいるのはイラクだけではない。
スーダンでは、百余万人が避難民となっているという。

自分が、ここ日本は東京の珈琲館で
カプチーノを飲んでいる間に。
三年たった、911(+2)の日に。

2004年09月13日(月)



 くじらの棲む海へ。

一方では、「専門はアフリカ研究です。国際協力です」
というせりふを言ってしまうと、ふ〜ん、という顔をされる。
一方では、「コンベンション会社の営業をしていました」
というせりふを言ってしまうと、きょとん、という顔。

世界が違うのだ。
あまりにも違うのだ。
そして、両方とも、わたしは満足に自分の身をおいておく
ことができなかった。

ものすごく親切にアドヴァイスしてくださる方が
いらっしゃって、わたしはいつも「ありがとうございます」
といってちょっと苦笑するばかり。
あまりにも価値観が違うのだ。生きている世界が違うのだ。
あんなに気遣ってもらえるなんて、ほんとうにほんとうに
ありがたいと思う。
でも、そうしてわたしはどんどんアフリカから遠ざかる。
それはすごく、心に重荷となる。
それは、説明しようがない。
だって、根本的に見ている世界が違ってしまっているから。

学生のときみたいに、ひたすらひたすら自分の営業活動を
していたみたいな、ああいう気合の入れ方に意識を
戻していくべきなんだろうな。

それは、「振り出しに戻る」じゃない。
どこかの組織名がついた名刺じゃなくても、
それで他人の評価が、「ふ〜ん」であり「きょとん」で
あったとしても、わたしは前進している。



2004年09月10日(金)



 ミラクルワンダー芋焼酎。

芋焼酎をやたらと呑んだような気がして
不本意にも肉体的には九州くじらだ。

エディンバラ大学の先輩殿と、彼の作ったサークル。
それからいろんな方面からつながった、
社会ではたらく立派な「オトナ」のひとたち
(あたしもそのひとりかいねぇ)と、
なかなかに密度の濃い時間だった。
若い学生たちもたくさんご参加。
十八か、十九歳くらい。

あたしにも、あのくらいの年のときここまでに
劇的に密度の濃い機会があったらどうなったかしら。

先輩殿、といっても年はほとんどかわらないけれども、
彼と出会えたことで広がるネットワークは非常に
文化的で興味深く、酒呑みで面白い。

だからわたしは、芋焼酎を呑むのだ。
幸福だと思う。
生きていくうえでこういうつながりと一夜があることを、
わたしは幸福に思う。

でもお肌のためにはもう眠ったほうがいいんじゃないかと思う。


2004年09月08日(水)



 したたかに、しなやかに。

くじら的に、秋になり冬が近づく予感がすると
元気が戻ってくるはずなのだ。
なので、今日の秋空はそれほど悪くなかった。

あれこれ手を出して生きているわたしは、
他のひとほど社会的に評価されるようなものは
ないけれども、それでも少しずつ前に進み、
いまでは少し生きていくのが楽になったような気がする。

だから、今日、自分の将来につながるかもしれない
一本のメールを書いたり、メールマガジンを出したり、
翻訳の一枚を出したり、誰かの活動に少し手を貸したり、
ほんとうに小さなことをひとつずつやってみる。

いっぺんにじゃない。
人生はなかなかいっぺんに進まない。

今日やることを、どれだけ楽しめるかだ。

2004年09月06日(月)



 政治的に正しいものとは。

あれほどまでにたくさんの命が
奪われなくては解決できないものだったのだろうか。
チェチェン独立派によるテロというが、
テロが起きるまでに至るそれなりの背景があったはずだ。
おそらくそれまでに、多くのひとが命を落としているだろう。
ロシア政権、とりわけプーチン政権の、チェチェンに対する
強硬な態度。

テロは、テロとして始まったのではない。

テロは、それを育てる温床があったから、ここに至る。
それをつくったのは、誰か。

テロリストたちは、死ぬ覚悟で犯行に及ぶ。
そのテロと闘うということは、こちらも命を落とす覚悟であれ、
ということなのではないか。
そうして、もっとも罪のない命ばかりが奪われていく。

「テロに屈するな」というのはどういう意味か。
二百人以上もの死者を出し、なおかつ「屈しない」は何のためか。

そんな折、NHKのBSにて以前放送された太平洋戦争の
シリーズが違うバージョンで再放送された。
録音版と満州と特攻隊の話。
特攻隊員だったわたしの大叔父。

べつの番組で出てきた、ドイツ人とポーランド人のおじいさん。
一方は加害者で、一方は被害者だった。
それぞれが、心の中に深い傷をおっていた。

これほどまでにたくさんの痛みを抱えた人が
この世界には数え切れないほど、生きている。
まだ、生きていて、歴史は続いている。
忘れ去られてはいけないもの。

そんななかで、「テロに屈しない」ブッシュ氏は支持率をあげ、
反ブッシュのデモを行った人間が逮捕された。
イラク人は毎日のように亡くなっている。

人が死んでいるのならば、何であれ政治的に正しいとはいえない。

この国にいると、どこか遠い世界の物事のようにみえてしまう。
それこそ、恐ろしいことだと思う。

2004年09月04日(土)



 バレエ少女の夢くじら。

近頃、ある仕事を手伝っていて
毎日のように深川の八幡様を通り抜ける。

八幡様のすぐ脇に、古いつくりのペンションのような
建物がある。
外装に白いペンキの塗られたちいさな家で、
小さくて可愛らしい看板がかかっている。
個人のバレエスクールなのだ。
そのことに気づいて、ものすごく嬉しくなった。
昔を懐かしく思い出した。

夕方に通ると、あかりの漏れる窓から
アン、ドゥ、トロワ。
ピアノの音色がリズムよく。

バレエ少女が出てきて、にぎやかにおしゃべりしている。
おだんご髪を結って、バッグを持って。
昔、あんな日もあったなぁ、なんて
涙が出そうで、懐かしくて仕方がない。

わたしがバレエ少女だったころ。
バレエが好きで楽しくて辛くて、でも楽しかった。
バレエのない人生など考えられなくて、練習した。
トゥシューズを許された日のことは忘れられない。
幼稚園から中学生になるまで、
バレエはわたしの生活の一部だった。

でも、バレリーナになれたのは、わたしではなくて
わたしの従姉妹だった。

わたしがバレエ少女だったころ。

楽しそうに騒いでいるあの子達のように、
携帯を手にしてはいなかったけどね。

2004年09月03日(金)
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