あふりかくじらノート
あふりかくじら



 くじらはあなたに恋をした。

カーテンを通して射し込むまぶしい光で目を覚ます。
現実に放り出される瞬間。
休みだというのに、七時前だ。
また、そういう夢を見たからなのか。

今朝の夢のことを書こうと思う。
大きな窓があった。
そして部屋には光があふれていた。
ちょうど、わたしの部屋のように。
窓に向かって置かれた、わたしのデスク。

夢の中でわたしは、昨年の夏がはじまる前に
別れた恋人と居て、そして恋はもう終わりを迎えていた。
わたしは机の引き出しを開け、
彼は手に持っていた紙袋を開け、中のものを整理していた。
それぞれ、中には手紙や葉書の束が入っている。

そう。
わたしがエディンバラにいる間も、
彼が西アフリカの某国にいる間も、
手紙のやり取りをしていた。
実際、アフリカから毎日のように葉書が届いていた。
とても真面目で男っぽい彼。
大きな身体の、ラガーマン。

現実の私たちと同じように、
夢の中でもわたしたちは過去を清算しようとしていたのか。

彼が、手紙の束を捨てようと思っているのがわかった。
でも、手が止まって躊躇している。
わたしには、とても手紙を捨てることはできない。
あんなに愛情の詰まった、うつくしいものたちを。
そして、夢の中のわたしは言うのだ。
手紙だけは捨てないでよ、と。
そして彼は答える。
思い出が残ってしまうでしょ、と。

女性誌は「本当の恋」ということばを軽々しく扱うけれど、
それには、本音を言うといつも微かな反感を覚える。
何を持って、「本当の恋」と言うのか。
世の中には「本当の恋」と「本当ではない恋」の二種類しか
ないとでも言うのか。淡水魚と海水魚のように。
十回の恋をすれば、わたしは十種類の恋をしてきた。
たくさん傷ついてもきたし、傷つけてきた。

こんな夢を見てしまったのは、やはりこのところ仕事で
東西線を使うようになったからだろう。
彼と一緒でなければ、わたしの生活に東西線は
ほとんど関係がなかった。
だからいま、余計に思い出すのかもしれない。
あなたとは結婚するかもしれなかったのにね。

実際、恋が終わるといつもわたしは、
思い出が自分にとってつらすぎるものだけ捨てるようにしている。
とくに指輪は必ず処分する。
川に投げたり、引っ越すときに近所の山に投げたり。
指輪には、より深い愛情とか、とにかくそういうものが
いっぱいこもっている。他の何にもまして。

捨てられないものはたくさんある。
ものに罪はないからだ。
だから写真とか、手紙とかはしまいこんでしまう。
小さなメモひとつ、捨てることができない。

部屋のカーテンはいつも、日の光がたくさん入るように
オフホワイトを選ぶ。
だから、朝はまぶしい。
でも、遮光カーテンの暗さは重苦しくて苦手だ。
その逆をいくものが良い。

あの男と恋人だった時間。
恋が終わってからも、こういう性格のわたしだから
男がらみの話は、あまり絶えることがない。
でも、わたしはきっとあの失恋から立ち直っていない。
どちらかというと、わたしから終わらせた恋なのにね。

ひとりで眠る夜よりも、ひとりで目覚める朝のほうが
ずっと淋しい。
眠るときは、眠りがわたしの孤独をやわらげ救ってくれる。
でも、朝は無防備な身体ひとつで現実の光の中に、
人生の中に、わたしを放り投げる。
たったひとり。身体ひとつ。

目覚めたとき、胸が哀しい気持ちでいっぱいだったけれど、
涙が流れることはなかった。

2004年08月28日(土)



 珈琲館ストーリー。

お昼時のカフェで、
ひとりランチをしているひとが多い。
いま、単独男性がふたり坐ってる。
どちらもけっこういいオトコ。

ひとりは、グレーのスーツの営業マン風。
もうひとりは、ポロシャツにジーンズのさわやか系。

スーツの方がアイスコーヒーを頼むと、
なんともうひとりはチョコレートサンデーを…!
スーツのほうがおもむろに漫画を読み始めると、
もうひとりのほうはサンデーほおばりながら
日経新聞ひろげている。

さあ、あなたが女性ならどちらの男性が好み?

こちら、ミックス・サンドイッチをかじって
パソコンに向かってる二十七歳、女性です。
    
やっぱサンデー・日経さんかな。

あれ、指輪してるじゃないのさ。


2004年08月26日(木)



 ビューティフル・ベイビー。

今年の五月にストックホルムを訪れたとき
大きなお腹を抱えて幸せそうだった元フラットメイト。
とうとう、生まれましたよ。ベイビー。

写真がたくさん送られてきた。
なんてうつくしい赤ちゃんなんだろう。
頬を赤らめて、小さな小さな手を握って、
深い青色の瞳をしている。

恋の馴れ初めも、プロポーズの話も、結婚式も、
妊娠の経過も、たくさんたくさん聴いていたから
なんだか自分のことのようにうれしかった。

生命の誕生。
不思議だね。
この小さな男の子は、どういう人生を歩むのだろう。

アメリカ人の彼女、スウェーデン人の彼。
ストックホルムで幸せに暮らしてる。

人生って、なんてちいさくてうつくしいのだろう。
ちいさな命が生まれることって誰しも平等だ。
うつくしい地球を残していきたいという気持ちが
またすこし身近になった気がした。


2004年08月24日(火)



 放浪くじらの血が沸き立つ。

文字通り血が騒ぐ、というか
血が沸き立つという感覚をおぼえる瞬間がある。

生理的嫌悪感を伴った憎しみだったり、
逆に、失った恋の死ぬほど幸福な瞬間だったり、
地の底ほどに哀しい瞬間だったり、を思い出したりするとき。
はたまた底知れない怒りだったり。

頭のてっぺんから足の先まで、とはよく言ったものだ。
血液の流れがわかる感じがする。

いま、日本国内に連続して三ヶ月ほど居る。
もう、我慢できないくらいにわたしの血液が騒いでいる。
居てもたっても居られずに、今にもパスポートをひっつかんで
成田エクスプレスに飛び乗ってしまうかもしれない。

少し気温の下がった空気にエディンバラの
ひんやりした夕べを重ね、雑然とした書類の束や、窓から
吹き込む風に触れてうっすら砂埃を被ったデスクに
セロウェ村を感じ、排気ガスのにおいが混じった風に
ボツワナの首都ハボロネを連想した。
ここまでくると、けっこうやばい。

連続して何度も「デンマーク」ということばを
違う場所で聞いたので、このところ明日にでもデンマークに
飛んで行きそうな勢いだ。

だめ。まだ、だめだよ。自分にいい聞かせる。
明日もお仕事があるのだから。

ゆうべ、知らない国の知らない街を歩いている夢を見た。
ものすごく心地よくて、放浪こそが私の居場所と
確信していたくらいだった。
夢の中で、みやげ物にきれいなレターセットを買った。
とても鮮やかな色合いだった。


2004年08月22日(日)



 トウキョウ・リユニオン。

不思議な感じでした。
トウキョウで、あつまりました。

あのときエディンバラの古い古い建物を改造した
学生寮に住んでいたわたしたち。
たった三人だけの
同窓会みたいなものでした。

あの、論文や課題を抱えて
バグパイプを聴きながら、
たくさんのことを考えた日々の、
ミルンズ・コートの空気が
わたしたちの真ん中にふわりと甦り、消えました。

ここは、東京、表参道なのです。
エディンバラの、ロイヤルマイルではなくって。
終電で帰るのです。

トウキョウ・リユニオン。

2004年08月21日(土)



 テーブルの滴を拭き取る。

戦争のこと、平和のこと、人種差別のこと、国境問題や国際政治。いろいろ大きなことを考えていたとしても、まず身の回りが見えていないと厚みを持たないうすっぺらな議論だ。人間は生活し、世界は細かなことの積み重ねでなりたっている。
まず、ベッドルームと書斎の片付けをしよう。そして、テーブルに滴り落ちたアイスコーヒーのグラスの滴をそっと拭おう。

2004年08月20日(金)



 夏の終わりを予感させるような。

気温が低い日曜日でした。
一日中、涼しい風が吹いて
夏の終わりを予感させ、
エディンバラの石畳に溜まっていく
スコットランドの空気を懐かしく思い出させる
そんな日曜日でした。

八月十五日の、この日だけそんな感触だなんて。


2004年08月15日(日)



 刻まれた肉声が耳から迫る。

NHKスペシャルを観た。
六十年前、特攻隊員や「満州国」開拓民の肉声を
録音したものだった。
彼ら、一般市民の背景を追ったそのストーリーと、
中国で新たに見つかった二千余枚の録音盤。

なんともいえない、その遺されたメッセージ。
今まさに、死にゆかんとしている人間の声。
操られた軍事国家のメディア。

NHKスペシャルは、いつも時間をかけた綿密な取材によって
製作されているようで、そのメッセージ性は非常に大きい。
アフリカ21世紀シリーズもそうであった。
あのプロデューサーは、なかなかなバイタリティと
パワーのある人間だった。

今年、祖母が亡くなった。
彼女の弟は特攻隊員だった。
もちろんあの戦争で若くして亡くなった。

なによりも驚いたのが、その弟の名前が
今夜のNHKスペシャルで一瞬アップになった
特攻隊員の名簿の中に、確かにあったということだ。
目が、画面に釘付けになった。
胸が苦しくなった。
皮肉にも、祖母が亡くなった今年に…。

何を書いていいのかわからなくなったので、
今夜は筆をおくことにする。

(=PCをシャットダウンする)


2004年08月14日(土)



 具体的かつ本質的である。

本質的であるということは
抽象的になるということではない。
ゲーテは、偉大な詩人であり
しかしその人となりは、
まるで理系の考え方で、
上記のような生き方をしていた、らしい。
    
なんとなく
偉大なものがすこし背筋に触れた気がした。

2004年08月13日(金)



 電車は素敵に、ローカルに。

このところ、ある会社の手伝いをしている。
世田谷線というローカルな電車に乗るのは
初めてのことではなかったし、むしろ
このようなローカルで昔懐かしい電車は好きだ。
懐かしいような家々が並ぶ風景も心地よい。

しかし。
通勤で乗換えが三回あるというのは何故だ。
わたしは乗り換えが嫌いなのだ。
どうせなら一本でずっと長く行っちゃって欲しい。
乗り入れの乗り入れの、そのまた乗り入れぐらい
できんのかね、え?
21世紀だというのに。

仕事帰り、何度も駅で電車を待っていると
だんだんいらいらしてきて、最終的に最寄り駅についた
ころにはもう、だいぶ、ぷんぷんとしていた。
おお、God、このやり場のない苛立ちを!

乗換えが好きという奇特な人がいたら、
とりあえず極意を教えて欲しい。
(消極的な選択肢だナ)

あと、関係ないが、ひとの名前をカタカナで
「アフリカクジラ」と表記するのはぜひやめてほしい。
そんなの、ミンククジラとかナガスクジラとか
ニタリクジラとか、とにかく「鯨の種類」みたいじゃないの!!
ぷっつん、の決め手だったわよ、あなた。

あと、わたしの本名を苗字だけ漢字で表記するのはやめて欲しい。
わたしは苗字の漢字が大嫌いだから、全部ひらがなで
書いているのいうのに!
え、意味ないじゃないの、それじゃあ。

そういう気持ち、ありますでしょ?

とりあえず、風呂でリラックスします。
こういうの、美容の天敵です。

2004年08月12日(木)



 ヘルンの霊気。

ラフカディオ・ハーンの没後百周年とのことで、
大の怖い話嫌いのわたしが彼の小説をぱらりとめくる。

東洋の文化に造詣が深いラフカディオ・ハーンのこと、
彼の会談には出雲の国の霊気がそのまま漂う。
あの、独特の空気。
山々に降り注ぎ、霞を帯びて影を作る大和の国。
ひんやりとした古の空気の匂いがする。

ギリシアのレフカダ島に生まれおち、
アイルランドとギリシアとアラブの血が入っているとか。
アイルランドへ、インドへ、イギリスへ、フランスへ、
ニューヨークへ、マルティニークへ、そして、
東洋の国、日本へ。
新聞記者として、教師として、翻訳家として。
そしてなによりも、霊気みなぎる筆と観察眼。

わたしの文章には、わたしの魂がこもっているだろう。
それは、誰が何と言おうと、日本に生まれ
アラスカに暮らし、アフリカを感じ、スコットランドに暮らした
他ならぬわたしの魂。
誰にも侵すことはできない生気。

だから、ただひたすら魂の命ずるままに書くのみ。

ヘルンの写真は、右の横顔ばかりなのである。

2004年08月11日(水)



 風になってどこまで吹くの。

空と雲とを見上げて風を感じるとき、
生と死について考えることがあるのは
万国共通の思いなのかもしれません。

ずいぶん流行っていた「千の風になって」という詩。
わたしの記憶にある誰かの死と重なって
涙がにじみそうでした。    

空を見上げて
雲をうつくしいと感じて。
    
誰かの死をこころの中に抱えて生きているひとって
たくさんいるんだよね。

『白い犬とワルツを』の映画を観た。
小説もうつくしかったけれど、映像は
色と空気で迫ってくるので、さすがにこれも
人生のうつくしさに思いを馳せずにはおれないものでした。

2004年08月09日(月)



 妄想、あるいは夢想する理想の幻想。

思うことがあるので記しておく。
「理想のタイプは?」という質問を受けることがある。
周りに結婚していくひとが多いからかもしれない。

ほとんどの女が、理想のタイプを夢想する女だと思う。
まあ、わたしにも理想のタイプはある。

わがままと思って聞き流していただきたいが、
(それからいままでの結果・実績にあてはめないでほしいが)
たとえばオトコの身長は180センチ以上あってほしい。
170センチの自分が心置きなくヒールを履けるのがよいからだ。
ルックスは、ブラピ級が準ブラピ級ぐらいが良い。
(はい。わがままです)
そういうオトコは見ていて気持ちがいい。
子どものルックスもある程度保障されることになる。

頭の良いオトコが好き、と言ったこともある。
まあ、知識の豊富さというよりも、回転の速さとか
機転が利いて柔軟性があって、その上で知識と経験もある
なんていうのがいい。視野が広いオトコ。
専門バカは大きらい。
あと文学研究者と官公庁勤務も嫌い。(はい、ごめんなさい)

わたしの世界を広げてくれるような、そんな刺激をくれる
オトコに弱い。
いろんなものにおいて、わたしの上を行っているというのが条件。

でも、おバカな遊びや冗談にもつきあえるような、頭の良い
オトコでないとだめ。

それでいて、セクシーなオトコが良い。
やせすぎているひとは、男女ともとても苦手。
オトコっぽい身体の線、肩、腕、硬い胸、そして大きな手が好き。
清潔感があるオトコがいい。
声がやさしくてカッコいいと最高。
あほみたいだが、それですぐ落ちることもある。

一緒にうまい酒を呑んで、美味しいものを食べる。
そういうセンスのいいひとがいい。
バカみたいに通ぶってこだわるオトコは大嫌い。
生き方が上手な人がいい。

完璧なイギリス英語を話してくれるとうれしい。
(そうすると、十中八九イギリス人になるが)
英語能力において、わたしよりはるかに上でなくてはならない。

でももっと良いのは、そのようなすべての理想を
ものの見事に打ち砕いてしまうような、
そんないいオトコに出会えるということであろう。

あふりかくじらは、結婚とはとうぶん縁遠そうだ。


2004年08月08日(日)



 共鳴するくじららしさ。

フリーランスという名前を使うということは、ときに行き先を見失いやすく、自分を再認識するきっかけをつくっていかなければならないわけで。

だから、昨晩ふとしたきっかけで「フリーランス」や「ギョーカイ」のひとと出会えたことは、非常に良い刺激となった。つまり、情報交換や歓談を通じてじぶんに返ってくるものが大きい。

組織にいる間は、組織のことをのろってばかりであった。
ひとりになると、本当に生身の身体ひとつだ。
だからたくさん傷も負うし、自分を支えるのだけでも一苦労。
だが、それをたくさんの同じような感覚を知る人たちとつなげていくことにより、何と救われることだろう。

色んな違う世界を持った人たちと、どこか共有できる部分があるということは非常に心強い。

そして、酒はこういうときに重要な「スキル」だと思うわけで。

2004年08月07日(土)



 くじら的言語能力の限界点。

またやってしまった。
なんで無料のお仕事を引き受けてしまうのじゃろう。
ウェブ作り。嗚呼。

しかも翻訳(無料)と翻訳(トライアル)もある。
嗚呼……。
くじらって、ニシンを食べて生きるのか。

最近わかってきたことがある。
翻訳をたくさんしていると、たいていの場合、
英語がしゃべれなくなってしまう感覚に
陥ってしまうのである。

この理由はだいたい察しがつく。
ひとつに、翻訳は翻訳であり、英→日の場合は
英語を日本語に置き換えることばかり考える。
日本語がたくさん浮かぶのだ。

英語を話すときは英語の脳みそになっているということは
日本語の脳みそになっている状態のときは、
単語などが吹っ飛んでしまう。
あなおそろしや。

ともかくも、先日平塚の「かご展」に行ったとき、
ほんとうはボツワナで話されている「ツワナ語」を
勉強してぺらぺらしゃべりたかったというかつての
欲望が喚起された。
件のボツワナのアーティストは、珍しいことに
英語を話せない方だった。
→ツワナ語勉強しておけばよかった。

いつか、セロウェ村に舞い戻って、街で物を売っている
おばちゃんたちとツワナ語でおしゃべりしたいのであります。

言語能力。脳みそ、余地があるんだろかね。
くじらの脳みそって何グラムあるのだろう。

2004年08月06日(金)



 やる気喪失の瞬間について。

三年間ずっと同じだったメルマガのヘッダを変えて、
気分一新、内容一新しようと意気込んでいたら
なんか不細工にくずれていた瞬間。
しかも、それをすでに配信してしまっていた瞬間。
もうやだ。やる気なくす。

あと三分で忘れよう。
三分間、人生を呪うことにした。

2004年08月04日(水)



 編みこんでバスケット。

平塚美術館でバスケット展示会が開催されております。
お世話になってる方が企画してるもの。
http://www.city.hiratsuka.kanagawa.jp/art-muse/exhibit/index.htm
ボツワナ、インド、スコットランド、日本のカゴ。
やしの葉っぱとか、染めたものとかを、編んでいくあれです。
アートか、実用か。その狭間。
どちらか、ではないんです。いろんな素材もあるんです。
うつくしいです。

平塚が遠くてくたびれてしまったというのもあるのですが、
なんだか今夜は満月を見上げてぽかんとしてしまいました。
でも、さびしいようなあったかいような気持ち。
ひとりでいる心強さ、ということばが浮かびました。

ひとりひとり「アーティスト」によってできあがるカゴが
まったく違ってくるし、それに込める思いもちがう。
その辺は、メルマガに書くことにして今日は寝る。
(登録してない方、どうぞご登録よろしく↓)

十人いれば、それぞれとの関係は十通りあるけれども、
カゴを見た帰りに満月をみあげながら、本気で恋することを
忘れてしまった自分を思い出してしまいました。
たくさんの関係があっても、すべてをなげうってまで貫くとか、
愛のためなら、という気持ちがないんだね。

あれは、二十代前半の情熱的でうっとりするような
幻だっただけなのかな。
それとも、「くじらゲージ」を120%満たし、相手ゲージも120%
満たすことができるような、そんな万に一つのマッチする
人間が周りにいないだけなのかな。

こう、いろんな男のひとをみていると、気が遠くなる話です。
満月みてぽかんとしていたい。

2004年08月01日(日)
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