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Montgomery Book

第2章 (5) モードの本棚

文章を書いていなかったときを思い出すことができない──いつも文章を書いていたことしか記憶がない──要するにいつも作家になろうと思っていた──ということなのです。「書くこと」それがわたしの大目的だったのです。そこへ向かって人生のすべての努力、すべての希望、すべての野望が集中していったのです。

L・M・モンゴメリ/「険しい道」

 本棚を見ればその人の背景というおそろしいものがわかるという。私は人の本棚を見るのが好きだ。背表紙をただ眺めるだけで、その人の好み以上のなにかが伝わってくる。だから私の夢は、天井までの作りつけ本棚にずらっと並んだ本の壁。カナダにあるだろうはずの、現実のモードの愛蔵書が並ぶ本棚を見たことはない。が、作中や日記、手紙などに登場する本の多くは今でも知られている古典であるし、日本でも手に入るものが多い。あれほどの日記を残したモードの読書の記録が、読書日記という形で残ってないのがとても残念である。

 そしてまた、人間は、10才までに好んでしたことを一生続けるという。私にとっては読むこと・描くことだったのだが、今は学生時代に学んだ描くことをやめ、読むことにつながる「書くこと」に絞り込んだ。そんなわけで、幼いアンやエミリーや、モードの読んだ本の背表紙を、いささか片寄った目から眺めてみよう…日本人の少女だった「私」という、思い込みの激しいフィルターを通して。

 人生のピュアな初心者のころ、どんな環境でどんな本を読んだか。これは、わが身に照らし合わせても重要なことにちがいない。モードの育った島の文化度は、田舎にしてはかなり高度だったという。そしてモードはものごころついたときにはいつのまにか本が読めた、と語っている。私も誰かに文字を教わったはずだが、その記憶はなく、読んでいる記憶から始まるので、そういう感覚は理解できる。こんな傲慢な幼児に文字を教えた人は報われないが。
 モードの父方の祖父モンゴメリは上院議員という華やかな経歴で地方の名士だったが、1770年代後半にスコットランドから移住してきた母方のマクニール一族も教養のある人々で、村の基礎を築いた三つの一族のひとつである。彼らの選民意識ともいえる自尊心を、モードはエミリー・シリーズのヒロインが属する「ニュームーンのマレー家」において、さまざまな場面で焙り出している。
 エミリーの読んだ本で私も忘れられないのは、アーヴィングの「アルハンブラ物語」。彼女がディーンとその本について語るくだりがあり、エミリーは何かの力で一瞬だけその場所にいさせてもらえるならば、アルハンブラを選ぶと言っている。私にとっても、中学時代に読んだ「アルハンブラ物語」は、パン以外の食べものである幻想をもたらす不思議な案内書だった。おかしなことに、私の住む高知には、アルハンブラの「ライオンの中庭」のレプリカが存在する。スペインのお城を模した山上の建築物の前庭にそれはある。ふるびた噴水のライオンたちはけっこう良い出来だと思う。アルハンブラは、いつか訪ねたい、と焦がれながら旬を過ぎてしまった想いを残している場所だ。モード自身、一度もスペインを訪れる機会はなかったのだった。私はまだあきらめてはいない。

 自伝にも登場する宗教作品の数々は、幼いモードの価値観を左右する力をもっていた。厳格なキリスト教徒(長老派教会;the Presbyterian Church)の家庭らしく、筆頭は聖書。「アンゾネッタ・ピーターズ伝」という、口を開けば聖書の言葉が出てくる敬虔なクリスチャンの幼女が病死するまでの物語は、今の私たちには縁遠いものだが、日曜日には宗教的な本しか読ませてもらえない環境にいたら読んだかもしれない。活字中毒はたとえキャラメルの包み紙でも読む。
 そして、リットン作のゴシック物語「ザノーニ」(1842)。この主人公ザノーニに、十代のモードは熱烈に恋していたという。もっと幼い頃読んだバニヤンの「天路暦程」もそうだが、モードは後に、こうした書物が自分に与えた好ましい影響と好ましからぬ影響について言及している。
 必要なときだけ仏教徒の家庭の私は、こうしたクリスチャン的書物も含めて宗教の本には縁がなかった。家族はお経も読まない。仮にお経を読んだとしても、もともとサンスクリットに日本語の音を当てているだけだから、意味はわからない。人は死んだらどうなるか、誰も教えない国である。私のほうでも幼い頃から、そういうことを身の周りの大人にたずねようというミスは犯さなかった。いわば、宗教的にはまったくシロといっていい。モードにとってみれば、特定の宗教による絶対的世界観の刷り込みがないという、うらやましい環境だったのかもしれない。すべては教義によって、信じようが信じまいが、お膳立てされていたのだから。私といえば、自分は本を読まない母がそろえた、何パターンかの子供向けの世界童話全集を繰り返し巻き返し読んでいた。本は母が処分したので手元にないが、今でも挿絵をおぼえている。
 同じものを繰り返し読むという(新しいものが来るまでは本がない)のは、子どもだけができる遊びかもしれない。そして、そうした記憶が将来にわたって思考の表に浮かび上がり、行動に与える影響たるや、本人にも予測がつかない。今の日本で全盛を誇るキャラクタービジネスしかり。

 アンデルセンの物語や、先祖が語りついできたスコットランドを舞台とする妖精や幽霊の物語。ぞくぞくするような話を聞く愉しみと、読む愉しみの両方を幼いモードは味わうことができた。家族が定期購読していた雑誌からも、モードは流行に遅れずさまざまな情報を得ていた。宗教的には偏っていたとしても、かなり広範囲な読書はしていたといえるのではないだろうか。

 さらに、シェイクスピアをはじめとするヨーロッパの散文・詩の古典はモードにとって生きるために必要な糧でもあったようだ。これらからの引用は作中の随所に見られるし、当時は読み手にとって、日本でいう歌舞伎のように社会的に幅広い教養の共有があり、解説なしに通じるものがあったのだろう。私にとってシェイクスピアは特に思い入れがない(今の時点では)ので、明らかに引用しているとわかるような部分以外は、訳者の訳注が頼りである。こうなったら原文で読むしか、シェイクスピア文学の魅力に触れるチャンスはないかもと危惧している。
 米国ロマン主義の作家、ホーソンの出世作「緋文字」は、モードがキャラクターを絶賛していたと知って、30代になってから読んだ。胸にAの字を縫い付けて暮らさねばならない、私生児を産んだ女と、男女の魂の嘘と真実を試すようなストーリー。そこにある空気には、モードの短編集のエキセントリックで不可解な人物たちの香りも少しは漂っているだろうか。スキャンダルに負けず信念を貫く真に強い女性主人公。その洗練された不可侵のキャラクターは、「アンの夢の家」のレスリー・ムアをも思わせる。

 オルコットの「若草物語」やマーク・トウェインの「トム・ソーヤー」、G・R・オールダーの「パンジー・シリーズ」などなど少年少女を主人公にした作品はモードも広く読んでいたという。トウェインの有名な評価がある。「グリーン・ゲイブルズのアンこそは、あの不滅の生命を持つ『不思議の国のアリス』以来の愉快きわまる、そしてもっとも強く人の心に迫ってくる存在だ」(「赤毛のアン」村岡花子の解説より)。それを知ったモードは有頂天になったのではないだろうか。私ならそうなる。
 「若草物語」と「赤毛のアン」は、少女文学の二大双璧として特に日本では人気だが、そもそも、よく指摘されるように、このふたつの本の作者の意図するところは決定的にちがう。若草物語の目的は健全な子女の教育であり、アンは、極論すれば教育しようとする大人への風刺なのだから。いってみれば天使と悪魔くらい、似て非なるものである。私は少女期に両方読んで、その後若草物語は再読していないが、好みはともかく、両者の違いは感じ取ったらしい。
 小学校6年生だったか、私の本棚には、後につづく膨大なモードの本にさきがけ、誰かにもらったお古の「赤毛のアン」が最初にやってきた。後は推して知るべしである。といいたいが、のめりこんだのは数年たって読み返し、村岡花子氏訳のシリーズを次々と読んだあたりから。私も大多数の読者と同じく、少女のセンチメンタリズムにとらわれ、本質を見ていなかったひとりである。大人に与えられた、「本質を選んでそぎ落としたようなアン」から「この世界」に入ってしまうというケースもあるのだから、幸運だったと思っている。

 ジェーン・オースティンの「高慢と偏見」も、モードの薦めで読み始めた。ディケンズの「ピクウィック・ペーパーズ」は、「アンの愛情」でアンが読みながら、いつも登場人物たちがおいしそうなものばかり食べていてこちらもお腹が減って困るというので読もうとしたが、長いせいか挫折してしまった。「クリスマス・キャロル」はすぐ読めたけれど。

 ひとりの作家を通じて、本棚からあふれでてきた書物の波に思いがけなくもさらわれ、また新しい扉が開く愉しみは、誰しも経験したことがあるだろう。作家に限らず音楽でもそうだ。そこには、文化的な遺伝子が、突然変異をするような驚きがある。
 モードの本棚の背表紙を眺める日は、いつか現実になるだろうか?
参考文献
2001年05月20日(日)



第2章 (4) コメディの趣向
 コメディの要素もまた、モードの作品を彩る重要な絵の具である。何度も読み返す愛読者にとっても、意図した笑いの効果が期待できる。それはときに唐突なまでに意表を突き、嘆かわしいほど現実的ですらある。ヒロインたちの自立への苦闘も、世界一美しい島の描写も、思わず吹きだしてしまうようなペンのくすぐりとともに描かれてこそ、さらに魅惑を増す。

「…いいかね、手摺りをすべりおりたりするんじゃないよ」
しかし、これを聞くと、一寸の虫にも五分の魂で、ポーリンもおさまりかねた。
「母さん!わたしがそんなことをすると思いますか?」
「ナンシー・パーカーの婚礼のときにしたじゃないか」
「三十五年も前のことじゃありませんか?そんなことを今すると思うのですか?」

「アンの幸福」

 ただし、「青い城」の主人公ヴァランシーは29歳でそれをやってのけたが。このシーンは、最近のアンの映画でも使われていた。モードのご子息スチュアート・マクドナルド博士によれば、モードはよく書斎で執筆しながら、独り言をつぶやいたり笑ったりしていたという。自分の創りあげる世界の住人達が、ときには自分勝手にこっけいな発言や行動を巻き起こす、そんな創造の火花に触れるとき、笑い声は自然に発せられるのだろう。

 モードに限らず、ものを生みだす人々は皆、独りで悦に入って創作している自分の表情を第三者の目から見られることは遠慮したいと願っている。そんな陶酔的態度は狂った人のように見えると知っているから。創作をしない人々にとって、という意味でだが、ことに創作をしない家族にはそんな姿を見られたくない。

 自伝的な作品であるエミリー・シリーズでは、幼いエミリーと専制的な女主人エリザベスおばさんという、喜劇に縁のなさそうな組み合わせの間で、意外な所に笑いが用意されている。すこぶるシリアスな嫌みで攻撃されているにもかかわらず、無邪気な驚きと無作法な表現でエリザベスおばさんをあきれさせ、結果として勝ってしまう幼いエミリー。この場面は文章で味わうというよりも映像的だ。

「あんたのお母さんは」とエリザベス叔母はローソクの灯でエミリーをひややかに見ながら言った。こうすると、叔母の鷲みたいな顔がひどくおそろしい顔つきになった。
「駆け落ちしたんだよ。家族の恥さらしになって、お父さんの気持ちをいためたのだよ。お母さんは軽はずみで、恩知らずで、言うことをきかない娘だった。あんたには、あんなふるまいで家族の恥さらしをしてもらいたくないものだねえ」

「あら、エリザベス叔母さん」とエミリーは息をはずませながら言った。
「叔母さんがそんなふうにローソクを下のほうに持ってくると、まるで顔が死人みたいになるわ。まあ、なんて面白いんでしょう」

「可愛いエミリー」

 最後の一文を、モードは大笑いして付け加えただろうか。光と影の効果にいきいきと反応した、幼いエミリーの突拍子もない驚きようがこの一件に落ちをつけてしまう。ここに至るまでの長く複雑な父母の一族の確執があるので、落ちが何十倍にも生きている。

喧嘩は終わったが、スキャンダルはそうはいかなかった。その夜のうちに、二人のダークがおばの葬式でその財産を巡って戦い、それぞれの妻に引きずられて引き離されたという話がそこら中に広まった。(略)ピピンおじは恐れをなした振りをしたが、密かに、この喧嘩のお陰で葬式がますます面白いものになったし、ベッキーおばが生きていて、お祈りのうまいデイヴィッドと、信心深いパーシイがあんな風にげんこつで殴り合ったのを見られなかったのは実に残念だったと思うのだった。
テンペスト・ダークは、妻の死後、初めて笑った。

「もつれた蜘蛛の巣」

 ときおり、辛辣な表現が堰を切ったようにあふれることがある。それらは映像では再現しにくいが、文章ではより深く味わえる。モードの中にある、ある種の人間との間の壁、理解できないし、したくもない隣人の存在を肯定する気分が、毒のある笑いとなって仕込まれている。思いついた辛辣なアイデアを言葉にして人に知らせずにいられない人種ゆえの悲喜劇を、モードは生涯味わったことだろう。

ミス・ポターは痩せた意地悪な気むずかしい金棒引きで、だれかれを問わず嫌い、ことにエミリーを嫌っていた。ミセス・アン・シリラのほうはぽっちゃり肥った、きれいな、口先のうまい、人当たりの柔らかな金棒引きで、その口先のうまさと人当たりのよさのために、ミス・ポターが一年かかってするよりももっと多くの害毒を一週間で流していた。

「可愛いエミリー」

 このくだりは、ブラックユーモアというよりコメディの無遠慮な笑いだろう。折りに触れて我が日常のなかでも思い起こされる。もしどちらかにならざるを得ないとすれば、せめて痩せた意地悪のほうになりたいものだ。モードの書いた金棒引きの淡々とした描写は、落ち着かない気持ちにさせる。しかも、我らがヒロインのエミリーが彼らの餌食になるというのは(口では勝つのだが)、痛ましい。

(エミリーは)いろいろの人に道で会ったが少しも気がつかなかった。その結果として気位の高い娘としての噂が広まった。

「エミリーの求めるもの」

リンド夫人が人に貸したたくさんの品物の中で、二度と手もとには返るまいとあきらめていたものまでが、その晩、借り手みずからの持参でもどってきた。(注:新しい牧師とその妻を見る口実に)

「赤毛のアン」

 田舎に暮らすことは、近所の目や耳や口に絶えずさらされているということでもある。あいさつをしないということは、「えらぶっている」ということにちがいはないし、よく知る人々だからこそ、近所のニュースにしぜんと物見高くなるのも事実で、かといってそれ自体を非難しているわけではないのが田舎の良さをもわかっている作者らしい。それは本人にとってはつらいが、客観的に見れば喜劇なのだ。

ベンおじさんは騒々しい音をたてて受け皿から最後のお茶を飲みほすと、大声で言った。
「さて、これですんだ。朝起きる、一日じゅう働く、三度の食事をして寝ると。なんという生活だ!」
「父ちゃんのお気に入りの冗談だよ」と、リーナおばさんは(アンに)ほほえんだ。

「炉辺荘のアン」

 テレビのコメディならここで客の笑いが入るところだろう。私はこのベンおじさんの言葉を読むたびに、そうでない人生の可能性について思いをめぐらせるのだが、対するリーナおばさんのように、さらっとニの句が継げる度量をいつかは身につけたいものだとも思う。

アルバータおばは、話しながら、いかにも不愉快そうに唇をゆがめる。彼女は、いらないものをどんどん人にくれてやるので、大層気前の良い人だという評判だった。

「青い城」

 自分の大切な物を誰かにあげるという経験をしたことは、私には数えるほどしかない。でもそれは貴重な体験だった。アルバータおばさんには、いらない物をあげるのは捨て場所にしているだけだと─決してしてはいけないことなのだと教えられた。

 アンを敬愛する下宿先のメイド、レベッカ・デューが「少し足りない」ということを読者はその言動から勘づいている。が、そのことが公にされることはほとんどない。レベッカが重荷を抱えているのでもない。彼女は喜劇的な存在なのだ。ここでは、人の陰口などいわないアンの胸中を借りて、レベッカが引き合いにだされる。普通の大人は本当のことはいわないものだし、もちろん、本当のことしかいわないと思われているアン・シャーリーですらそうなのだ。

「ああ、母しゃん、きれいね!」と、リラが目をまるくして感嘆した。子供とばかはほんとうのことを言うという。いつかレベッカ・デューがアンのことを『わりあいに美しい』と言ったことがあるではないか?

「炉辺荘のアン」
参考文献
2001年05月05日(土)


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