ケイケイの映画日記
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2024年04月29日(月) 「ヴァージン・スーサイズ」


         

これが「ヴァージンスーサイズ」かぁ。心斎橋シネマートで、只今ガールズ映画の巨匠、ソフィア・コッポラの特集上映をやっておりまして、観てきました。名作の誉れ高いこの作品、全くの初見です。想像していた内容とは違っており、とても感慨深く鑑賞することが出来ました。

リズボン家には、父(ジェーズム・ウッズ)と母(キャサリン・ターナー)との間に、近所でも評判の、五人の美しい娘がいました。しかし五女の13歳のセシリア(ハンナ・ホール)は手首を切って自殺未遂をしますが、一命を取り留めます。医師から男子たちとの交流を提案された母は、自宅に近所の男の子たちを招いてパーティーを開きます。しかし、その最中に、セシリアは飛び降り自殺をして、亡くなります。

観る前は、美しく愛らしく、清楚で儚い姉妹が、死を美化してしまい、集団ヒステリー的に死を選んだのかと想像していました。当たっていたのは、美しくて愛らしく清楚だけ。快活な生命力を母によって抑え込まれてしまい、短い人生を拗らせてしまったようです。設定も製作当時の1999年ではなく、その約20年前が舞台。それなら私と彼女たちは、ほぼ同世代。国は違っていても時代の空気感は同じなので、凄く彼女たちの心情が解り易かったです。

「キャリー」のパイパー・ローリーのママを、丸くしたような姉妹のママ。私はそれ程酷い人には見えませんでした。籠の鳥の箱入り娘の子育てには、キリスト教の教義が強く反映されているのだと思いました。確かにファナティックな人だけど、聞く耳はある。五人の年子は、例え女子ばかりであっても、大変だったでしょう。風代わりな夫には多分手を焼き、娘たちを善き結婚相手と添わせるのが、自分の命題だと思っていたのじゃないかなぁ。製作当時でも、ファーストレディーだったローラ・ブッシュが、「婚前交渉はいけない事だ」と語ったのが、当時話題に昇った記憶があります。それよりも20年前のお話しだもの。

亡くなったセシリアは、中年男性の医師に「先生は13歳の女の子の気持ちは、解らないでしょう?」と言います。彼女たちが自殺したのは、これが全てかな?死を選ぶときは、私は絶望を感じた時だと思います。

この作品の四女ラックス役のキルスティン・ダンストは、役柄は14歳ですが、当時17歳。輝くような美しさです。子供なのに、どうしてこんなに艶やかなのか?と、本当に驚愕。子役上りには珍しく、今も演技派女優として活躍する彼女ですが、この眩しいような美しさは、どの作品でも目にした事はありません。自分が一番美しい時、この美しさを世の中にひけらかしたい時、それを封印せよと言われたら?セシリアは姉たちを見て、絶望したんじゃないかなぁ。なので輝く前に死んでしまった。

諦めてしまい、母に従順な姉たちと違い、獰猛なラックス。年の若い者から、親に反抗する。家に軟禁状態になってからは、誰かれなく男を引っ張り込んでセックスする。私は若い娘がそうなるのは、自傷行為と同じだと思っています。リストカットやオーバードースと同じ。今で例えるなら、毒親によって、メンヘラになってしまった娘です。

「ノストラダムスの大予言」が大流行したのは、私が中学くらいだったかな?1999年なら、私は38歳。学校を卒業して結婚して、子供も産んでいるだろう。もうみんな経験しているし、別に死んでもいいや、と思っていました。本当にそう思っていた。それは私も彼女たちと同じく、自分の輝かしい時代は、きっともう少し先までだろうなと、思っていたからです。結婚すれば、良妻賢母の荷を負わされ、自分自身を生きられないであろう未来は、日本でもアメリカでも、多分同じだったと思います。

1999年を迎えた時、当時の自分を思い出し、説教したい気分になりました。死んでもいいなんて、とんでもない。子供たちを社会へ送り出すまで、絶対死ねないし、未来のある息子たちのため、地球が滅ぶなんて、もっととんでもない。

近所の男子たちや、ちょい悪のイケメン男子トリップ(ジョシュ・ハートネット)を、姉妹たちと同列に描くのは、女子の方が、心の成長が早いのを、描いていたのかと思います。

姉妹たちのママ、躾するのに、軟禁状態やエアロスミスやキッスのレコードを捨てるのではなく、(私もたくさん持っていた。特にエアロの「ロックス」は超名盤)、絶望の先の希望や未来を語ってあげたら、良かったですね。だって若いだけで、希望の塊なんだもの。案外温故知新な作品です。


2024年04月25日(木) 「異人たち」




山田太一脚本、大林宣彦監督の「異人たちとの夏」のリメイク。元作はテレビ放送時に鑑賞。骨組み以外は、ほぼ覚えていません。私は親を恋しがる子供には滅法弱く、主人公アダム(アンドリュー・スコット)が、12歳で両親と別れた設定だけでも、号泣する自信がありまして、今回も何度泣いたか。監督はアンドリュー・ヘイ。この作品単体として、好きな作品です。

40代の独身男性アダム(アンドリュー・スコット)。脚本の仕事をしており、ロンドンのマンションに住んでいます。彼は12歳の時、事故にあった両親(ジェイミー・ベル、クレア・フォイ)と死に別れています。現在当時の事を小説として書いている彼は、昔暮らしていた家を、久しぶりに訪れると、30年前当時の若さの両親と、再会するのです。これを切欠に、アダムは度々両親を訪れるようになります。

ぎこちない再会当初と打って変わって、段々子供の頃に戻るアダム。矢継ぎ早に現在の彼がどんな暮らしなのかを聞く母。恋人は?の問いに、自分はゲイだと告げるアダム。母は気持ちの整理が付きません。今から30年前の価値観なら、当然です。「あんたは昔から、何を考えているのか、解からない子だった」と言い放つ母にはクスクス。うん、咄嗟に母親が言いそうなセリフですよ。どんな言葉をかければ良いのか、解からないのですね。

心配する母に、結婚も出来るし子供も持てるので、心配ないと答えるアダム。嘘だと思いました。確かに同性同士の結婚も、子供を持つ事も可能になりましたが、ストレートの人でも、生涯のパートナーを見つけるのは難しいのに、分母の小さいマイノリティーは、一層難しいはず。子供もしかりです。孤独なのは、世間に本来の自分を曝け出せないのも要因のはず。

それと同時に、恵まれない家庭環境の辛さは、自分が善き家庭を持つ事で払拭できるでしょうが、アダムには、それはとても難しい事なんだと思い至ります。。静寂をまといながら、切々と孤独が浮かび上がる画面は、アダムの心情を表しているのでしょう。私はこの「孤独」を一層際立たせるため、アダムをゲイにしたのだと思いました。

子供の頃、部屋で泣いていたろう?と聞く父。級友に虐められていたからだ。何故聞かなかったのかと問う息子に、暫くの後、「自分が級友なら、お前を虐めていたからだ」と吐露する父。このセリフのために、ベルをキャスティングしたのかと思ったほど、腑に落ちました。華奢な体に童顔を隠すような髭。子供時代のアダムよりも、父はもっと幼く、苛めの標的になったような容姿だったでしょう。先手必勝のつもりで、隙の見える同級生を見つけては、苛めていたのだと思います。コンプレックスの裏返し。繊細な我が子を得て、何の解決にもならない自分の行いを、後悔した事でしょう。「だから僕も言わなかった」と答えるアダムに、心から謝る父。父と息子の心の澱が、流れていくようでした。

亡き両親との逢瀬と並行して、同じマンションに住むハリー(ポール・メスカル)との男性同士の恋模様が描かれ、結構ハードな濡れ場もあります。思うに、生と性の繋がりの深さを描くのに、これらのシーンは、作り手に取って必要だったのだと思います。私には、特別な思い入れのあるシーンではありませんが、有りか無しかと言えば、私は有りだと思います。男性同士は、身体が結ばれ、その後愛情が芽生える方が、自然な気がするので。男女のように、先に心の愛情を育む時間が無いと思うのね。

今なのか過去なのか、両親と居るかと思えば、外に放り出されいるアダム。意識が混濁してきている。息子を想い、もう会うのは止めようと言う両親に縋るアダムに、もう私は滂沱の涙です。アダムが過去を取り戻したい12歳の子にしか、私にも見えない。それと同時に、二度目の別れをする両親の、身を切る様な辛さも感じるのです。別れのシーンでは、また号泣。思い出しては、また涙が出そうです。

タワマンなのに、アダムとハリーしか住んでいない部屋。薬物を使用している。深酒もある。そしてハリーの秘密。これはアダムの想念が呼び起こした出来事というより、私はアダムが、黄泉の国に片足を踏み込んでいるんだと取りました。途中で気がつきましたが、電車に乗る時の座席は、ずっと後ろ方向でした。

有り得ないプロットから、親子の愛情、恋人同士の恋愛、孤独。全て無理を感じる事はありませんでした。演出もですが、編集が上手かったと思います。元作では、薬物や同性愛はなかったので、元作とは別物のような気がします。これから元作も鑑賞予定で、楽しみです。



2024年04月14日(日) 「アイアンクロー」




若い頃、プロレスが好きでした。当時は団体が少なく、私が好きだったのはジャイアント馬場が率いる全日本プロレス。テレビの画面越しですが、エリック一家の姿は良く覚えており、デビッドの死去も記憶に有ります。プロレスは、華やな多彩な技と、如何わしさがない交ぜになり、哀愁を醸し出す所が、私は醍醐味だと思っています。その私の想いに添ってくれる画面に、何度も何度も泣かされました。大好きな作品です。監督はショーン・ダーキン。

得意技のアイアンクロー(鉄の爪)で名を馳せた、プロレスラーのフリッツ・フォン・エリック(ホルト・マッキャラニー)。妻のドリス(モーラ・ティアニー)との間に、次男ケビン(ザック・エフロン)三男デビッド(ハリス・ディキンソン)四男ケリー(ジェレミー・アレン・ホワイト)五男マイク(スタンリー・シモンズ)の男子がおり、皆が父の後と追い、人気プロレスラーとなっています。しかし、幼い頃亡くなった長男の他、三男のデビッドも若くして急死、次々エリック一家には、不幸が襲いかかるのです。

実話では、長男は幼い頃事故死、もう一人、やはりプロレスラーになった六男がいたはず。六男もすでに亡くなっていて、五男のマイクは、六男も投影してのキャラのように感じます。

前半は華麗なるプロレス一家の日常と試合を描いています。強くて求心力のある父は、息子たちの愛と敬意を集めています。うちも息子が三人だったので、子供たちの喧騒の日常や、大皿でドンとたくさん出した料理に、「早く食わなくちゃ、無くなる」のセリフなど、昔を思い出して、とても懐かしい。半面、夫婦の間には隙間風が吹いているのに、夫は気づいていない。独善的な夫に、妻は子供の行く末に対して意見する事も諦めており、信仰心だけが心の支えだったのでしょう。夫や膨大な家事に対する疲弊が(本当に息子がたくさんいると、家事に忙殺される)、母としての彼女の思考を奪っているように見えました。

試合の場面が盛沢山です。吹替も使っていましたが、とにかく本格的。兄弟ペアでのドロップキックなんか最高だったし、ジャーマン・スープレックスやブレンバスター、空中からの飛び技等、とても堪能しました。そしてハーリー・レイスにリック・フレアー、ブルーザー・ブロディなど、日本でも馴染みのあるレスラーが大挙出てきます。レイスは特にそっくりでびっくり!どこから連れてきたの?息子?親族?というくらい似ていたなぁ。ブロディは、もっと大きいしハンサムでした。府立体育館の試合で実物を観ましたから(笑)。俳優陣(とくにザック)も、とても頑張って技を繰り出していました。プロレス技は非常に危険を伴うもの。それを怖れず、相当トレーニングを積んだんだなと、ここにも敬意を持ちました。

まずケビンとデビッドが人気レスラーになる中、頭角を現したのはデビッド。テレビの事前収録で、汚い言葉で対戦相手を挑発するはずが、上手く出来ないケビン。生真面目な彼の人柄を表している。対してデビッドは即興で相手を挑発。華やかに場を盛り上げる。そして父は弟に目をかける。兄としての葛藤、弟としての居心地の悪さ。これは円盤投げから、プロレスに転向したケリーとケビンとの間にも受け継がれます。

ザック・エフロンが渾身の演技です。上腕の筋肉の上の血管が浮き上がるほど作ってきています。大技も繰り出し、もう感激!弟にたちに追い越される兄の悲哀も充分伝わってきます。ザックをオスカー候補に選ばなかったのは、どいう了見?オスカーの選考委員はアホなの?私から観たら、一世一代と言っても良い好演でした。

後半からは、「呪われたエリック家」が描かれ、家族の葛藤が主軸に置かれます。私がとても切なかったのは、弟たちが兄のケビンを慕っていた事です。デビッドは日本からの絵葉書で、「兄貴、日本へ来なよ。ヤバいよ、みんな俺の事を兄貴だと思ってサインをねだるんだ。嬉しかった」。デビッドの死去後にこのハガキを読むケビン。彼と一緒に私も号泣。ケリーも自殺の直前、親ではなくケビンに電話します。家族のために、誰よりも身も心も捧げていた兄を、親以上に弟たちが理解していたのでしょう。

やりたい音楽活動もしたいと言えず、リングに上がったマイク。高圧的な父が君臨する家庭で、「家業」であるプロレスが嫌とは言えない。進んでプロレスラーを選んだ息子たちとて、マジシャンズセレクトのように、レスラー以外の生き方は選べなかったのでしょう。次々、王者でなければ、誰よりも人気を得なければ、金を稼がねば。そのプレッシャーに負けていく様子が、本当に辛い。

しかし、私が感心したのは、死にゆく息子たちを理解し、憐憫の情を見せる演出ながら、親のエリックも、ただの「毒親」としては、描いてはいなかった事です。確かに独善的で子供たちを支配していた彼ですが、一子相伝(多子だけど)のアイアンクロウの技もあり、自分が立身出世したレスラーを継ぐのは、当然の事だと思っていたでしょう。ましてや息子たちは、七光りを利用できる。プロモーターとしての金の使いこみなどあれど、そんな親は、この世代ならごまんと居ます。家業であるプロレスを守ることが、家族を大切にすることだとの、間違った思い込みがあったのだと感じました。

本物のケビンが、「とても自分の気持ちを理解している作品」と評したのは、自分の描き方以上に、両親に対して、慈悲のある描き方だったからかと思います。画面のケビンからは、親に対して辛さや悔しさは感じましたが、憎しみは感じませんでした。ケビンが生き残ったのは、父親という壁を、自分なりに理解。越えられたからかと思います。

ケビンに家族の本来あるべき姿を教えたのは、妻のパム(リリー・ジェームス)であると、私は思います。華やかな喧騒の日々は、さぞ毎日がプレッシャーとストレスだったでしょう。現在たくさんの子供と孫に囲まれ、妻と共に牧場で穏やかな日々を過ごす、実在のケビンの様子が挿入され、また私は涙。

実は私も、それなりの裕福な家に生まれました。父は50人くらい従業員のいる会社のオーナーで、当たり前のように独善的。気のきつい母とは常に不和でした。両親は私の新婚時に離婚。バラバラにですが、それぞれの形(母親はそうとうしんどかった)で、二人とも看取る事が出来たのは幸いです。一緒に育った腹違いの兄二人とは、絶縁宣言した覚えもありませんが、連絡先も知りません。唯一両親が一緒の妹とも、訳あって疎遠。今は宴の残骸もなく、私の実家は跡形もありません。

私自身は夫と3人の息子に、お嫁さんと孫に囲まれ、穏やかに老後を迎えています。自分の生家を想う時、ケビンも私と同じく、寂寥感を抱いているはずです。誰も憎まず、誰も怨まず。この感覚も、ケビンと共有していると、作品から感じています。家族愛もテーマの作品ですが、人生において家族の形は変わっていき、その状況で優先順位は変わるはず。娯楽だけではなく、学ぶことも多い作品でした。


2024年04月07日(日) 「オッペンハイマー」(IMAX)




長い映画が大嫌いな私ですが、それでも観なくちゃいけない作品はある。それがこの作品。でもあまり期待はせず観ました。監督がクリストファー・ノーランなので。私にとっては立派な監督の認識はあるけれど、好きでも嫌いでもないない監督です。いつもそれなりには、楽しむのですけどね。今回は長時間にダレルこともなく、そこそこ面白く観られました。

第二次世界大戦の中、アメリカはドイツに先駆けて、原子爆弾の開発のための「マンハッタン計画」を推進することになりました。そのリーダーに、天才科学者、ロバート・オッペンハイマー(キリアン・マーフィー)を任命します。オッペンハイマーの元、優秀な学者が集められ、ニューメキシコ州のロスアラモス研究所にて原爆の製造に邁進。、ついに世界初の核実験を成功させます。

先ず原爆を作った人として、オッペンハイマーの名前は知っていましたが、彼がユダヤ人であること、原爆製造の軋轢と過程など、、名前以外の事はまるで知らなかったので、彼の公的背景を追うのは、とても興味深かったです。

反対に「私的」な部分では、びっくりの連続。共産党の党員ではないにしろ、党員と親しい関係に遭った事。(それが後で問題になる)。党員の精神科医のジーン(フローレンス・ピュー)という恋人がいながら、人妻のキティ(エミリー・ブラント)に手を出し、W不倫さながらの中、オッペンハイマーの子を妊娠したのを契機に、キティは前夫とは離婚しオッペンハイマーと結婚。しかし婚姻中にジーンや友人の妻とも関係し、あまりの好色ぶりにびっくりでした。

自分を裏切った弟子の握手にも応じたり、原子力委員会委員長のストローズ(ロバート・ダウニーjr)を、必要以上に人前で恥ずかしめ、ストローズは執念深くその事を覚えていて、オッペンハイマーは彼に失脚させられます。いやもう、学問以外は隙だらけの人ですよ。良く言えば人間臭く、悪く言えば学問バカです。

原爆開発の過程は、まるで池井戸潤原作のお仕事ドラマ・映画さながら、汗と熱意、それ以外にも狡猾な人間模様が繰り広げられます。とにかく原爆の成功に、皆が一心不乱です。私生活の隙だらけの人とは思えぬやり手ぶりに、これが成功する事は、何を意味するか、オッペンハイマーの脳裏には、すっぽり抜けていたのではないか?この事を言いたいが為に、相反する彼の二面性を浮き彫りにしたのではないかな?

だから、日本への原爆投下後のオッペンハイマーの密かな罪悪感が、段々増大する様子も、綺麗ごとではなく納得出来るものでした。開発ありきで、その結果は、想像していなかったのですね。この苦悩は、日本に住む者からすれば、もう少し深追いして欲しかったですが、アメリカでは、この描写の方が、受け入れられ易いように感じました。トルーマン(ゲイリー・オールドマン)の、
「人は君を人殺しとは思わない。人殺しは私だ」の言葉は、この作品の主張でもあるのかも。戦争は国民のせいではなく、政府のせいだと言いたいのだと思います。

オスカー受賞のマーフィーは、私は大好きな俳優です。美しいブルーの瞳は印象的でミステリアス。善人にも悪人にも見える。底が深いのか浅いのか掴みどころのない、今回のオッペンハイマーにはとても適役だったと思います。抑揚が少ない演技でしたが、オッペンハイマーとは、どんな人だったのか、私なりに咀嚼出来ました。

オスカー受賞はならずでしたが、エミリー・ブラントもとても良かった(彼女も昔から好き)。育児ノイローゼになる、か弱い様子から、恐妻というより強妻になる過程も、澱みがないです。妻の前であれこれ言わなくても良い事を喋って、オッペンハイマーもバカな男だよね。母親なら許せても、妻は許すはずがない。妻は母親ではありません。彼は「僕たちの夫婦は普通では理解出来ない絆で結ばれている」みたいに言いますが、それは夫だけが思っているかと感じます。妻はとうに夫としては見切りをつけ、家族として、夫を認識していたかと思います。多分そんな事は、夫は死んでも判らなかったでしょう。

他にはキャストも超豪華で、登場人物が大変多い為、著名な俳優ばかりのお陰で、頭の中で交通整理するのに助かりました。ケイシー・アフレック、ラミ・マレックのオスカー主演賞受賞俳優の贅沢な使い方も、ノーランのハリウッドでの立ち位置を観る気がしました。

WOWOWのオスカー中継の解説で、アメリカ在中の町山智弘氏が、今までは戦争を終焉させるため、原爆の投下は必要だったの認識が、近年は投下は間違いだったの認識が上回ってきているとの事でした。私が思うに、戦争終焉説の人たちが、段々亡くなっているのが、その理由ではないかと想起しました。だからこそ、何故戦争はいけないのか、理路整然と若者や子供たちに伝える事が重要だと思います。オッペンハイマーの友人のラビ(デヴィッド・クラムホルツ)が、「自分の研究が、兵器なんかに使われたくない」の言葉が、一番私の心に残りました。





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