ケイケイの映画日記
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2024年03月24日(日) 「コール・ジェーン ‐女性たちの秘密の電話‐ 」




重い題材の中絶を主軸に据えながら、これだけ明るくバイタリティーのある作品に仕上げた事に、喝采したくなる作品。監督はフィリス・ナジー。実話が元の作品です。

1968年のシカゴ。弁護士のウィル(クリス・メッシーナ)を夫とする裕福な専業主婦のジョイ(エリザベス・バンクス)。15歳の娘がおり、ただいま二人目を妊娠中。しかしこの妊娠のせいで、心臓の持病が悪化。中絶を申し出るも、時代は中絶禁止の時。病院の責任者は全員男性で、ジョイの申し出を却下します。途方にくれたジョイですが、バスの停留所の貼り紙に記されていた「妊娠で困っていたら、電話して。コール・ジェーン」が目に留まり、意を決して電話します。そこにはバージニア(シガ二―・ウィーバー)をリーダーとする、五人の女性たちがいました。

アメリカでは女性の身元不明遺体を、「ジェーン・ドゥ」と表現するので、「コール・ジェーン」の「ジェーン」は、特定できない女性を、表現する時に使われる名前なのかも。日本でいうと花子かな?全ての女性に向けての意味があるのでしょう。

私がこの作品に期待したのは、妊娠を継続すれば自分の命に関わるので、中絶を決意した女性が主人公な事。兼がね同じ立場の妊婦が、「自分の命は要らないので、子供を助けて!」式が美談に語られることを、苦々しく思っていました。いやいや、それで子供産んで自分が死んでいたら、誰が子供を育てるのか?それこそ無責任というもんです。自分が産むわけでもなく、妻でも娘でもないジョイの命を、どうしてこのオッサンたちが決めるのか?

女性にとって心身に思い傷痕を残す中絶。女性たちが恐怖や罪悪感で恐れおののく様子。手術の後の深い哀しみも描いています。「ジェーン」の女性たちは、限りある財源や時間の為、中絶する女性たちを選別しますが、これが喧々諤々、なかなか意見がまとまらない。彼女たちも中絶経験者です。貧しい黒人を優先しろという黒人女性や、レイプされた15歳だと!と譲らぬ人も。みんな自分の過去に、痛ましい傷を抱えているのが透けてみえる。中絶といっても、一言では語れぬ事情があるという事です。

人たらしのバージニアの目に留まり、強引に仲間に入れられたジョイ。しかし、「ジェーン」で女性たちの支援をしていくうちに、裕福で明朗な専業主婦だった彼女は、目を見張る変貌を遂げます。冒頭、ベトナム戦争反対のデモを繰り広げる広場を目前に、ガラスの扉一枚の中に「押し込められた」パーティー会場の、ゴージャスで美しいジョイが描かれていました。中絶したことで、見えなかった、知らなかった世界を見つめる事で、女性としての尊厳に目覚めたのだと思います。

まぁ猪突猛進過ぎて、聊か引いてしまうのですが(笑)。それでも、一人でも多くの中絶したい女性たちを救いたい、ジョイの熱い思いに、グイグイのど輪をかまされ、すっかり彼女に情が移ってしまいました。それはバージニアも同じだったみたい。

そのバージニアを演じるウィーバーですが、作中で、息子くらいの年の男性に色仕掛けで値段交渉する場面があるんですが、全然違和感ないの。今年75歳ですよ。「美老女」界隈は、お洒落でチャーミングなダイアン・キートンと、姉御肌で気風の良いヘレン・ミレンが二大巨頭ですが、クレバーでハンサムなウィーバーが、彗星の如く現れたって感じです。このシーンは無くても成立するので、もしかしたら女性の値打ちは、若だけではないと表現したかったのかしら?

妻・親友の変貌に、それぞれ戸惑う夫と、ジョイの親友ラナ(ケイト・マーラ)の心の交差も慈愛深い。特にラナは早くに夫と死別しており、自分が求めても得られない「良妻賢母」から、脱皮しようとするジョイの気持ちが理解出来ないのですね。大切な人であるジョイの成長に、付いて行けない二人。しかし、理解したいと思っているのも感じました。脚本も監督。この辺の肌理の細かさは、さすが「キャロル」の脚本家さんだなと思いました。

紆余曲折を経て、現在の法律通り中絶は合法に。裁判に勝った、晴れやかな「ジェーン」女性たちの姿が映ります。私の唯一の文句がここ。この裁判で「ジェーン」の女性たちを弁護したのは、ジョイの夫なのです。ガチガチの共和党支持者で、世間では権力側の夫。しかし、その層にしたら、モラハラもなく、この夫は良き人でした。

勿論、ジョイの柔軟性や頑張りが、夫をも目覚めさせたのは理解出来ますが、何かセリフや法廷場面で語らせてあげて欲しかった。私が女性が新たな権利を得たり、辛い事情から解放されるのには、誠実で良心のある男性の存在が不可欠だと思っています。結果だけではなく、過程も観たかったな。

とは言え、中絶という悲しい題材を扱いながら、この明るさと爽快さは、特筆ものです。女性にとって人生から葬り去りたい事柄を、人として成長させる事柄として捉えた描き方が、本当に素晴らしい。出産も中絶も、最終的には女性の権利です。そして権利には責任が伴う。様々な事情を抱える女性たちが登場しましたが、一人として、喜んで中絶手術を受けた女性はいないと、断言します。胸を張って言えない事をした、全ての女性が、その痛みを一生引きずって生きていくはずです。だからこそ、中絶は女性の権利なのです。






2024年03月20日(水) 「市子」




体調不良で見逃してしまったこの作品、早くもアマプラで公開中とのことで、早速観ました。苛烈な人生を送る市子を観て、私が一番感じたのは、怒りと無念です。戸田彬弘。今回ネタバレです。

長谷川義則(若葉竜也)と川辺市子(杉咲花)が同棲を始めて三年。正式に義則よりプロポーズを受けて、涙を流して喜ぶ市子。しかし次の日、彼女は義則の前から姿を消します。後日義則を訪れた刑事の後藤(宇野祥平)から、川辺市子という女性は、存在しないと告げられます。自分の愛した市子とは、誰なのか?義則は市子の人生を追いかけて行きます。

無戸籍の話は、ドキュメントやネット・新聞など、目に付くと観たり読んだり必ずするので、ある程度の知識はあります。なので、市子の事情もすぐ吞み込めました。作中、市子が救われる道は何度もありました。まずここが最初。今でこそDVシェルターが各地方にあり、警察も夫の暴力の通報で出動してくれますが、当時は難しかったはずです。

では、借金で別れた二度目の夫の時は?重度障害の妹月子は、出生届が出ています。ということは、市子の実父とは別れていたはず。この時、母なつみ(中村ゆり)には、出頭して欲しかった。多くの無戸籍者は、夫から逃れていた時に、別の男性との子を出産。夫と婚姻中のため、出生届が出せなかったケースが多いようです。罪と言っても罰金刑で済み、留置所にも刑務所にも入りません。障害児を産んで、それどころではなかったのか?

後々なつみと同棲する小泉(渡辺大地)は、元役所のケースワーカー。月子の件で知り合ったのか?彼なら色々なつみに知恵を貸せる立場では?その時既に市子と月子は入れ替わっていたかもですが、それでも情状酌量のあるケースです。利用者と担当者が男女の関係になるのは、ご法度です。そこを優先したのでしょう。親として社会人として、情けなさ過ぎる。

市子と月子は入れ替わってしまったので、医療も福祉も受けられなかったでしょう。自分が苦心惨憺して医療機器を用意してやったとの、小泉のセリフもありました。手続きを踏まないと、それは膨大なお金が必要です。月子の場合なら、身体障碍で手帳が下りるケースなのに、介護保険も使えない。なので、ヘルパーも頼めない。なつみは夜職で働き、市子はヤングケアラー。「もう限界やった」は、疲れ果てたなつみの姿、夏のクーラーも無い様子の部屋で、滴り落ちる市子の汗の姿が、雄弁に語っていました。

月子が亡くなったのを観たなつみが、「ありがとう」と市子に言います。私はなつみがやらせたのかと思いました。無戸籍で透明人間の市子。母親のせいでそうなっているのに、娘を軽んじているのだと思いました。もうこの辺りで、私のなつみへの嫌悪感が爆発。殺したいならお前がやれ!と、痛烈に思いました。

上記何度も何度も、出頭すればお仕舞の話が、後述なつみが、「もう少しもう少しと思っているうち、どうにもならなくなった」。これは正直な気持ちでしょう。でも私は思う。「女」であるうちは、バカでもか弱くてもいいのよ。可愛いだけでも構わない。しかし「母」となったら、賢くて強くなければならない。子育てに正解はないけれど、正義はあります。それは、ひたすら子供の幸せを願う事です。親から巣立つとき、自分で人生を切り開ける子になっているか?だと私は思っています。なので「幸せな時もあった」のセリフは、市子ではなく、この愚かな母の幸せだと思います。

この時点で市子が出頭していれば、まだ未成年。市子の境遇に対して大いに情状酌量はあるはずで、なつみとは離れて、児相預かりになった案件だと思います。そうすれば、その後の小泉の事件も無かったはず。

月子と入れ替わった市子は、同級生より三歳年上。子供の頃はそれなりに明るかった彼女が、段々大人しく声も小さく憂いのある風情になっていくのは、自分の境遇を理解していったからです。大人が本来の彼女を変えてしまった。

北(森永悠)の市子への愛情は、自己愛に近いのでないかな?執着の愛が、キキ(中田青渚)という、初めて出来た市子の友達から遠ざけてしまう。嘘は一つ付くと、また次の嘘を言わなければならず、それに疲れてしまうのでしょう。なら義則なら?義則であったなら、市子に自首を薦めていたのではないか?一つ目の罪、二つ目の罪、犯した後に出会ったのが義則なら、市子の人生も変わったように思います。人生のタイミングは難しい。

あの時逃げなければ、市子は最後の罪を犯さず済んだのに。今までの誰かの為、偶発的な罪ではなく、明確な殺意を抱いていての犯行。「お前は悪魔や」。そうなるように仕向けられ、乗ってしまった市子。義則と暮らしていた時の市子とは、明確に決別するのでしょう。

多くの方が書いておられるように、杉咲花が絶品。清楚で愛らしい彼女が演じる事で、市子の痛ましさが、より強く感じられました。これから期待大の大器だと思います。あまり話題になっていませんが、中村ゆりも、大変良かったです。脆くて美しく愚かな母。この手の母親は、下手すると知的障害のボーダーに見えがちですが、普通の母親として造形しています。

DVや借金など、ダメな男を転々としているなつみは、彼女の生い立ちにも何かあるのかと思わせます。DVで身を隠すしかなかったのは、頼る親族もなかったのでしょう。なつみなりの娘を思う気持ちが現れる、義則を見送るシーンでは、無性に涙が出ました。彼女も私も、同じ母親なのです。見下げる気持ちなど毛頭なく、身近になつみがいたら、私は彼女を助けたい。

還暦を超えて思うのは、人生に四面楚歌はない、です。どうしようもない時には、恥を忍んで大声で助けを求めるのよ。誰でもいい。見知らぬ人でもいい。勇気の要る事です。叫び続ければ、必ず誰かが手を差し伸べます。そして行政に繋いで下さい。私は助けて下さい!と、なつみや市子から言われる人になりたいと、心からそう思います。


2024年03月17日(日) 「ゴールドボーイ」




面白く観ました。作品のキャラの背景もそれなりに咀嚼出来たし。なのに、なんだろう、この飲み込んだ錠剤が、喉の辺りに引っ掛かっている感じは。決して散漫ではないけれど、色々詰め込み過ぎて、描き込みが少し足りないと感じていました。それが、敬愛する長年の映画友達の方と、少しだけお話しして、傍と気が付きました。視点を変えれば、描き込み不足ではなく、膨大な原作を129分の尺に、必死で形を成すように、上手くまとめたのじゃなかろうか?です。監督は金子修介。

沖縄の実業家の一家に入り婿している東昇(岡田将生)。その財産と会社の乗っ取りを目論んで、義理の両親を崖から突き落とし、殺害します。それを偶然録画していた、朝陽(羽村仁成)、夏月(星乃あんな)、浩(前出燿志)の三人の中学生。それぞれが複雑な家庭環境に苦悩しており、朝陽はこれをネタに、昇を強請ろうと言い出します。

原作は中国の小説で、ドラマも好評だそうです。沖縄に場所を据えたのは、子供たちと昇らの貧富の差や、警察の腐敗をより強調したかったからかと思いました。沖縄の人、ごめんなさい。あくまで私の沖縄のイメージです。それにしては、あまり沖縄を強く感じる風景ではなかったですが。東家の一人娘で昇の妻である静(松井玲奈)は、従兄で刑事の巌(江口洋介)に、自分が死んだら昇を疑えと言います。

まぁその通りになるわけですが、死因は家名を汚すため公表出来ない件は、無理くり許そう。だけど、公表できないからと、捜査を打ち切るのはどうなんだろう?極秘で捜査は続けられると思います。「沖縄だから許して」は、違う気がします。

朝陽の両親は父の一平(北村一輝)の不倫略奪婚により離婚しており、母の香(黒木華)が、女手一つで育てています。朝日の教育費を稼ぐため、掛け持ちで仕事をして、夜勤もこなす香。いやいや、待て。夫有責で離婚でしょう?
一平は会社を経営しており、裕福な様子。それなりの慰謝料や養育費は払ってしかるべしです。何故そんなに貧乏なの?一平は朝陽に「進学費用は心配しなくていいから」と言いますが、何当たり前の事を、今更言ってんの?しかし現実は、元妻は働きづめ。そしてたった一人の実子である朝陽(略奪ゴミ女は、女子を連れ子にして再婚)は、母の旧姓を名乗っているので、戸籍も抜けているのでしょう。跡継ぎとして、養育は元妻でも、戸籍はそのままにして、将来会社は継がしたいのでは?この辺りの描写は、とても雑に思いました。

こういう細部は、バッサリ刈り取って、現在母子家庭でお金に窮しているとだけ描いても、良かった気がします。余計な事で気が削がれました。両親の離婚は、朝陽に影を落とす事象なので、本筋に絡む事だけ描けば良かったと思います。もちろん、連れ子の件は忘れずに。

と、色々苦言を書きましたが、その他は匂わせ方が上手かったです。例えば、血の繋がらない兄妹である浩と夏月ですが、罪を問われるだろう夏月と共に浩が逃げたのは、彼女が好きだったからでしょう。恋が芽生え始めの朝陽と夏月を、そっと見守るような様子が切なかったです。なさぬ仲の娘に手を出すゴミカスの浩の父親、「お母さん、(義理の)お父さんが死んだら、また一人になる」の夏月の心配も、夏月の母親の、親としての脆弱さを感じ、この兄妹の家庭環境の過酷さは、これらの描写だけで充分に感じました。

静の不倫相手を見せるのも、素行の良からぬお嬢様だと感じさせます。だから親は、離婚話も止めたのでしょう。家名を守るには、頭脳明晰、眉目秀麗な婿殿が必要だったんですね。この時「この人はね、心が無いのよ!」と静は叫びます。心が無いというのは、「良心」が無いという意味です。サイコパスの特徴です。やはり妻です。夫の内面を感じていたののでしょう。

崖から突き落とす時、あら、あら〜!みたいな間合いで、淡々と突き落として、呆気に取られました。カジュアルに殺人を犯すのです。憎しみも恐れもなく、何の感情も無く殺す。その他の殺人場面も、流血があってもほぼ即死。阿鼻叫喚には程遠く、それがとても怖い。

そして咄嗟の嘘がとにかく上手い。人格障害系の人も、息を吐くように嘘を付きますが、第三者が加わると、たちまち嘘が露呈する。そう思うとサイコパスの嘘は、誰にも納得させてしまう。とにかく嘘が鮮やかで、周囲は翻弄されるだろうと思います。IQの高さがうかがえる昇のサイコパスぶりは、後々合わせ鏡が出てきて、成る程、と答え合わせが出来る作りです。

子供たちの方が主役みたいの声も聞こえますが、私はこの作品、岡田将生の出色の演技で成功したと思っています。とにかく「美しい」のです。イケメン、ハンサム、男前。男性の容姿を褒める言葉は数々あれど、美しい男性は希少です。元々綺麗な顔立ちだとは思っていましたが、今回は酷薄で背徳的、凄みのある美貌が、サイコパスの役柄に映えるの何の。狂気じみた笑顔もぞくぞくしたし、睨み顔は苦み走っている。ヴィスコンティの映画に放り込まれても、違和感ないような美貌で、本当に惚れ惚れしました。

子供たち三人も、それぞれとても頑張っています。特に私が目を引いたのは、当初の弱々しさから、母性にも似た愛情を朝陽に注ぐ夏月役の星乃あんな。まだほんの子供なんですが、作品の中で、夏月が成長していくのが、手に届くように解りました。ラスト近くに昇のマンションに入る前に、一旦振り返るショットが秀逸。これから始まる事が何か、全て受け入れていたのでしょうね。

この四人に比べたら、名のある俳優さんたちが、とにかく凡庸で、ほぼ記号のようでした。でもそれは、四人を引き立たせるために、わざとそう演出した気がします。その凡庸の中で一人浮かぶのが、江口洋介の巌。IQの高い冷酷なサイコパス合戦の中、叩き上げのスキルと勘という、目に見えない物を武器に戦う様子は、得体の知れないサイコパスを、既視可させる存在だったと思います。

三人の子供たちは13歳から14歳。罪になるのは14歳からです。最近、小学生が水族館のメダルを純金だと嘘をついて同級生からお金を騙し取ったり、中学生が美人局したり、世も末じゃと思う事が頻発しています。もう犯罪の年齢は、10歳に下げてもいいんじゃないかな?

事の善悪は、10歳頃には、ほぼついているはず。なので14歳では感受性や想像力、他者への傷みなど感じるための矯正は、間に合わないと思います。この作品を観て、この事を強く思いました。子供の数が減る中、犯罪年齢を適切に下げる事は、犯罪からの抑制力ともなり、子供たちの人生を守る事にもなると思います。

昇は「このクソガキが!大人舐めるなよ!」と、子供たちに言います。昇が言うと、あんたが言うなになりますが、これは大人が子供たちにきっぱりと、言わなくちゃいけないセリフだと思います。映画も面白かったですが、ドラマもとても面白いとか。私が疑問に感じた箇所がどう描かれているのか、確かめてみたいと思います。




2024年03月04日(月) 「 ARGYLLE/アーガイル 」




面白い!凄い面白い!そして大好きなサム・ロックウェルが超絶カッコいい!マシュー・ボーンだから観るか、くらいで(サムが出ているのも知らんかった。ファンとして恥)、全然気合を入れずに観たので、目を見張りました。主軸はアクションコメディですが、現代的な味付けもあり、かつてのボーン作品を知る者として、感慨深くもあります。監督はマシュー・ボーン。

流行作家のエリー(ブライス・ダラス・ハワード)。スパイ小説の「アーガイル」が大人気ですが、彼女自身は人が苦手で引きこもり気味。猫のアルフィーを溺愛しています。それなのに、彼女の小説が実際のスパイ組織の動向と重なってしまい、彼女は組織に追われるはめに。エリーを助けるために現れた、スパイのエイダン(サム・ロックウェル)は、果たして本当に味方なのか?実は敵なのか?

観て来た数々のスパイ物を彷彿させる展開を、散りばめています。この作品のここは「あの」作品だな、これは「あれ」だな、ふむふむ。という感じ。その構成がとても巧みで上手いので、文句ありません。ストーリーが進む合間に、豪華絢爛なスパイアクションがあり、キレキレだったりユーモラスだったり、まるで「007」だったり、とにかく華やか。この辺も飽きさせぬよう、趣向を凝らしています。

それと感心したのは、冒頭の何気ないモブキャラの台詞から始まり、全篇に伏線を仕込んでいますが、それを全部無事回収していた事。遊び心のあるスパイ物ですが、この辺遊ばず、しっかり取り組んでいます。因みに脚本も監督。でもこの作業、多分監督は楽しかったはずです。それが観客にも伝わってきます。

最近ね、前情報はほぼ入れません。作品を楽しむためじゃなくて、面倒臭いだけです(決して投げやりではなく。多分・・・)。.好函璽蝓爾楽しめそう監督が誰か?くらいで、雑な選び方をしているので、こんなにポスターにデカデカとサムが出ているのに、全く目にも入りませんでした。なので、サム初登場時に、誰?この人、またジャレット・レト?くらいで緩々観ていたら、あのつぶらな瞳が目に入る。おぉ!と思わず前のめりになりました。

事前に出演者で知っていたのは、ブライス・ダラス・ハワードとヘンリー・ガビルとデュア・リパだけでした。サムを筆頭に、ブランアイン・クランストン、キャサリン・オハラ、サミュエル・L・ジャクソン、アリアナ・デボーズら、地味で豪華な俳優陣をキャスティングしたのも良かった。ガビルとジャクソン以外は、それ程スパイ物には縁がない人達です。それでもアクションを含み、しっかりと楽しめる。演技派でスパイ物を作ってみようの、意図したキャスティングのような気がします。

ダンスやフィギュアスケートで、男性が女性をリフトしますよね?この作品も三回出てきます。一回目がリパをガビルが、二回目はブライスをサムが持ち上げる。ブライスはとても美人さんで、体型はぽっちゃり。加齢かな?若い時は細かったもんね。話が進むに連れて、この体型は役柄に似つかわしくなく、もうちょっと絞れば良かったかな〜と思っていました。それが三回目のリフトで、彼女がサムを持ち上げました。そこで、あぁ!と、ブライスの体型が、すごく腑に落ちました。

これ、ボディシェイミングですね。だから二回目と三回目を逆転させている。小柄なサムが大柄なブライスを持ち上げるより、ずっと自然でした。ジェンダーレスも含んでいるんでしょう。ブライスくらいの一流の女優さんなら、主役の自覚もあるだろうし、指示されれば痩せてくるでしょう。敢えて彼女の有りのままが、監督には良かったのだと思います。これを自虐的ジョークとは、捉えないで欲しい。

何故自虐的ではないか?エリーとエイダンがやり合う場面があるのですが、エイダンは決してエリーを殴らない。「君を殴りたくない」と言う。エリーにボコボコにされてんのに(笑)。「エリー=女性」と認識しました。男性が子供を産めないように、女性が男性より腕力が劣るのは当然の事。それを示唆していると思います。勿論、女性も暴力がダメなのは当然の事です。アクションとユーモアの中に、この繊細さを滲ませるのに、自虐的な笑いは取らないと思います。

「キック・アス」の感想に、幼かったクロエ・グレース・モレッツの役柄が、児童虐待だとの批判を目にした記憶があります。当時はあまり感じなかった私ですが、今ならどうなんだろう?あれから12年。監督、進化しているんだなぁと、感慨深かったです。

でもこんな考察も野暮というもの。ワクワク、ハラハラして、ガハガハ笑って、あー、楽しかった!で終わっても、全くOKな作品です。次も有りそうなラストでした。にゃんこ好きも、必見の作品です。








2024年03月01日(金) 「落下の解剖学」




昨年度のカンヌ映画祭パルムドール受賞作。カンヌの受賞作は相性が悪くて、いつもなら食指は湧かないのですが、この作品は受賞を聞いてからずっと待ち遠しくて。期待に違わぬ作品で、私的には傑作だと思います。監督はジュスティーヌ・トリエ。

フランスの人里離れた、雪深い山荘に、夫婦と11歳の視覚障害のある男子ダニエル(ミロ・マシャド・グラネール)が暮らしています。ある日、犬の散歩から帰ってきたダニエルは、ベランダから転落した父(サミュエル・テイス)を発見します。当初は事故死だと思われたのが、一転して流行作家の妻のサンドラ(ザンドラ・ヒュラー)が容疑者に。果たして真相は?

冒頭の事件から直ぐ、映画は法廷場面に。やり手の検事(アントワール・レナルツ)に対して、サンドラは旧知の弁護士ヴァンサン(スワン・アルロー)を雇います。丁々発止のやり取りは、緩やかなテンポのながら、夫婦の傍からは伺えぬ内情を浮き彫りにします。

私が特に、あぁそうかも?と感じたのは、冒頭で女子大生が、サンドラにインタビューする場面。わざとずらした返答をして、女子大生の様子を楽しんでいるように見えました。サンドラはバイセクシャルだと明かされ、彼女を誘っていたと、検事は言うのです。言われてみれば、ザンドラは艶めかしかったように、私の記憶は上書きに。。表面では不確かな事は、見方によれば真逆の方向へ行ったり、記憶は検事や弁護士の言葉に誘導されていく。決して捏造ではないのが、ポイントかと。「私は彼を殺していない」と言うサンドラに、ヴァンサンは「そこは重要じゃない。君が人の目にどう映るかだ」と言います。何度も法廷場面で目にする光景ですが、この辺は良く描けていました。

そしてびっくりしたのが、女性の裁判長。裁判内容がどんどん進むと、ダニエルの精神が耐えられなくなる危惧しと、傍聴を欠席する事を勧めます。。「僕は大丈夫です」と答えるダニエル。「あなたが大丈夫かどうかを気にしているのではない。あなたの感情を気にする状態が煩わしいのだ」的な返事をする裁判長。充分今でも傷ついているはずの子供に対して、この言い草はないでしょう。日本でもこんなに冷酷なのかな?このセリフは、裁判長に性別は関係なく、女性的配慮を求めるなという事かな?

ラスト近くに再現される、夫婦喧嘩の様子。そこには普遍的な夫婦のパワーバランスが描かれます。要するに、お金を稼いでいる方が優位だという事。妻に存分に書かせるため、自分は教師として働きながら、家事や育児を担う夫。「僕は日々君に合わせて暮らしている!」と怒りを込めて告げる夫。彼は自分を殺していると感じている。それは昔の自分を見ているようでした。夫の言葉に、自分を重ねる女性は多いのじゃないかなぁ。

サンドラは女性と不倫経験もある。いやいや、もうどこかのダメ亭主みたいじゃないか、サンドラ。女学生とのインタビューを、夫が邪魔する様子など、夫は妻の性的嗜好は女性だと感じている。ハンサムなヴァンサンの好意も受け入れない様子など、私もサンドラは、バイセクシャルというより、レズビアンなのかなと感じました。自分の妻を寝どる相手が女性というのは、夫に取って屈辱だったろうとも思います。

夫は本当は自分も小説を書きたいのです。しかし、ある事から、才能の無さを突き付けられ、サンドラはそれを軽々と超えてしまった。ダニエルの視覚障害も、夫には遠因があります。その償いも込めて、家庭に置いて内助の功を選んだのでしょう。しかしそこに遣り甲斐を見いだせず、優秀な妻に、どんどん水を開けられるのは、時間の無さだと決めつける。それは妻のせいだとの他罰的思考は、自分の通ってきた道なので、本当に本当に理解出来ました。 


 夫は伝統的な旧来の男女の在り方に、自縛されてはいなかったか?同じように息が詰まっても、私が病まなかったのは、妻であり母であったからです。私はこの夫と私は、表裏一体ではないかと感じました。

対する妻は、「私はセックス無しでは生きられない!」と言います。知性的ですが、地味な容姿のサンドラからこの言葉が出ると、とても生々しい。多情なのでしょう。夫婦はセックスレスだったのかと思います。私はサンドラが異性として初めて好きになったのは、夫だと思いました。自分には無縁だと思っていた普通の家庭、妻として母としての人生を送るのだと、きっと結婚当初は希望に満ちていた事でしょう。

しかし、妻として母として、理想とは違う方向に家庭は進み、おまけに息子は事故で障害を追う。経済的な大黒柱となってからは、段々と夫に対して無自覚に尊大になっていたのでは?。端的なのは、ドイツ人の妻とフランス人の夫は、家庭では共通の第二外国語である英語で話す。妻は夫婦は対等だからと、お互いが歩み寄っていると思っていますが、夫は「ここはフランスだ!」と言い返します。往々にしてある、このボタンの掛け違い。これを掛け直して整えて行く事が、夫婦の厳しさであり、醍醐味なんだよ。ここで片方、もしくは両方が降りてしまえば、離婚しかありません。

ダニエルを演じる、ミロが素晴らしい。澄んだ眼差しから、公平に両親を見つめる彼。何が事実なのか、必死で記憶を手繰り寄せながら、自分に出来る精一杯の行動を取ります。両親の夫婦としての側面に惑わされず、自分の親としての敬意を保ち続け、息子が両親を見守っているのです。ダニエルの聡明さと純粋さに、何度も涙ぐみました。障害に負けず、こんな良い子に育っているのは、両親ともが、頑張ったからじゃないの?私は強く二人に、そう言いたい。

ザンドラ・ヒュラーも、超素晴らしい!何だか得体の知れない人ですよ(←褒めている)。この得体の知れなさのお陰で、真相はどうなのか、最後まで展開に気を抜けませんでした。

夫婦の深淵に迫った、知的で繊細な感性を持つ作品です。ミステリー仕立てで現代の夫婦関係を映しながら、普遍性を感じさせる脚本が、本当に秀逸。夫殺しの嫌疑をかけられた妻という、スキャンダラスなプロットを主軸に据えながら、苦いけれど、血が通う作品です。カンヌで賞を取った、ワンちゃんの好演も見ものです。





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