ケイケイの映画日記
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2017年04月19日(水) 「ライオン 25年目のただいま」




四月に入って、この作品と「ムーンライト」「クーリンチェ少年殺人事件」と、手応えのある作品を観ていますが、プライベートが超多忙で、なかなか書く時間がありません。なかでもとても気に入ったのが、この作品。実母・養母の描き方に、子供の養育に何が大切なのか?ひしひしと感じる事が多く、子育ては卒業した私ですが、この思いを是非子育てに悩んでいる方々に、お伝えしたいと思います。監督はガース・デイヴィス。

オーストラリアで、善良なスー(ニコール・キッドマン)とジョン(デヴィッド・ウェンハム)夫妻の養子として育てられたサルー(デフ・パデル)。彼はインド人で、5歳の時、兄とはぐれてしまい、一人都会のコルタカで迷子として彷徨っているところを助けられ、現在に至ります。インド人の学友宅でのホームパーティーで、思い出のクッキーを見つけた彼に、抑えていたインドで暮らしていた頃の記憶が蘇ります。友人たちは、グーグルアースで、故郷を探しては?と、サルーに勧めるのですが・・・。

予告編では、もっと親探しに時間を割いているのかと想像しましたが、冒頭から半分は、丹念にサルーが迷子になるまでを描いていて、これが良かった。30年前と言うのを差っぴいても、サルーを含む子供たちの劣悪な環境に、本当に胸が痛い。しかしサルー兄弟が不幸そうかと言うと、そうではないです。暖かい母の愛情をいっぱい受けて育ち、自尊心が守られています。生まれてきて良かったと。だから自然に、母や兄の手助けをしたいと、下の子たちも思うのでしょう。人間の基本は、本当に自尊心だと思います。

つくづく貧しさだけでは、子供の心は荒まないんだなと思いました。問題は大人になってから。それが近づく兄には、将来が見えています。「いつか揚げ菓子をお店ごと買おう!」と、屈託なく笑うサル−に、顔を曇らしながら笑顔を向ける兄が切ない。観ている私も辛い。

大都会のカルタカで、誰も5歳の迷子に手を差し伸べないのには、びっくり。日本なら例え30年前でも、これはないなぁ。その他、ストリートチルドレン、性的目的の子供の人身売買など、目を覆う描写の連続です。人攫いに警官が一枚噛んでいる様子を描写しているのは、観客への啓発だと思いました。

やっとやっと「良い大人」に巡り会うサルー。劣悪な孤児院から、優しいスーとジョン夫婦に引き取られるまでを見て、つくづく感心したのは、サルーの賢さと危機を察知する能力の高さです。そして明るさを失わなかった事。綱渡りの連続ですが、この幸運は、サルーが手繰り寄せたものだと思います。

後半はいよいよ、サルーの故郷を探す長い道程が描かれると思いきや、養子とその親の物語にシフトしていきます。痛感したのは、例え里親であっても、父と母では、母親は特別な存在だと言うこと。サルーが自分たち夫婦に馴染んでくれたのが嬉しかったのでしょう、ジョン夫婦は、サルーに兄をと、インドからマントッシュを養子に貰い受けます。しかし、マントッシュは素直で聡明なサルーとは違い、繊細さが高じて、手のかかる面倒な子でした。

分け隔てなく接する夫婦ですが、関係性が構築できない子育て。一人陰で涙するスーを見て、サルーは母の涙を指でぬぐいます。あ〜、母と息子だよ。サルーに笑顔を向けて、「大丈夫」を繰り返すスーに、私は号泣。昔の自分を思い出したからです。母親には、これ以上の慰めはないでしょう。余談ですが、当日はしごした「ムーンライト」でも同じ場面が出てきて、そこでも号泣しちゃった。

母に面倒をかける兄を、常に敵対視するサルー。もちろん父にも感謝しているでしょうが、母が特別であるのは、明らかでした。それはマントッシュも同じ。スーが「私は幸せな母親だ」と言うのは、強がりではない。子育ては喜びだけではなく、悩みも辛さも背中合わせ。両方味わってこその、母親の醍醐味です。でも子供の数だけ喜びがあり、子供の数で辛さは半減されます。スーは、全部ひっくるめて、私は幸せだと言ったのでしょう。スーは立派な母親です。

実際に、養子も実子も持つニコールの演技が素晴らしい。彼女の地味な装い、ほぼメークなしの顔からは、全身で母親の喜びと悲しみが発散されて、心が同化していきます。

サルーがマントッシュに馴染めなかったのは、実の兄との思い出が、忘れられなかった事も、起因していると思います。

彼女が何故養子を貰ったかにも、感じ入りました。そこに行き着くのは、自分の父親が、アルコール依存だったと言うことも、関係していると思いました。他人が産んだ子を、我が子として幸せにしたい。何と崇高な決意でしょう。大阪では最近、ゲイのカップルが里親として認められました。賛否両論あるでしょうが、私は良いことだと思う。子供にとって、その他大勢の一人であるより、出掛けに車に気をつけてと言ってくれ、帰りが遅いと心配したじゃないかと叱ってくれる、自分だけを見つめ思ってくれる人がいることは、幸せです。今までの人生の欠落した部分を、必ず埋めると思うから。


もったいぶった割には、あっけなく見つかった実母。実話ですが、この奇跡を呼び込んだのも、実母の子を思う心であったと思います。二人の素晴らしい母たちに共通するのは、常に子の幸せはどこにあるかと模索し願いながら、子供に執着しない事です。執着しないのは、子供を信頼しているからです。子供を見守るという事は、なかなか難しい事です。私も子育ては終わっても、親はまだまだ終わらない。私も見習いたいと思います。

私は子供が喋れるようになると、自分の名前・住所・親の名前・兄弟の名前・電話番号を、必死で教えました。幸いそれが役立つ事はなかったですが、全部間違っていたのに、本当によく親が見つかったなと、タイトルの意味を教えて貰うラストで、また感心。

このお話は私にとっては、息子の物語じゃなく、お母さんの物語でした。母親になれて、本当に子供たちに感謝しています。さて大阪のゲイカップルは、お父さんが二人。お母さんに負けないお父さんになって下さい。応援しています。


2017年04月01日(土) 「わたしは、ダニエル・ブレイク」




日本でも貧困問題が取りざたされ、病気や離婚などで、生活保護など社会資源を活用しよとすると、何故か「自己責任」と言う名の下、バッシングが起こるのが、私は以前から不思議でなりません。そういう人たちも、この作品を観たら、それは当たり前の権利だと納得してくれるのじゃないでしょうか?監督はケン・ローチ。

イギリスのニューカッスル。59歳の大工ダニエル・ブレイク(デイヴ・ジョーンズ)は、介護していた妻に先立たれ今は一人暮らし。心臓を悪くして、医師からは仕事を止められています。国の援助を受けようと役所に行くも、煩雑な手続きにたらい回しにされ、途方にくれます。同じように手続きが受けれなかったシングルマザーのケイティ(ヘイリー・スクワイアーズ)と知り合い、彼女の子供たち、デイジーとディランとも仲良くなります。

まず冒頭に、審査担当女性とダニエルとの、質疑応答が出てきます。以前は受給出来たと出ていたので、同じ事を何度も、それも病状に関係ないことを聞かれ、うんざりしているのでしょうね。職人気質の、短気な彼の素養も見て取れます。しかし、それが仇となるとは。

日本では病気で生活保護を受給するとき、主治医の意見書が必要で、病状の説明、項目に就労可か不可、あるいは軽労働可など記入する箇所があります。その後審査になりますが、労働不可とされた人で、受給できなかった患者さんは、私が医療事務時代、記憶がないです。イギリスは厳しいと言うより、担当の私情が挟まれたように、描かれています。

その後に繰り広げられる、延々たらい回しのお役所仕事。嫌ならネットで申請しろ、出来ないなら、ネットで用紙をダウンロードして提出しろ。いやー、これは高齢者には大変だわ。うちは私がある程度使えるので、不便はありませんが、私が先に死んだら、うちの夫もダニエル同様です。これを契機にパソコンを学べば良いでしょうが、それをするにもお金が必要。どん底だから、行政を頼るわけで、その事をわかって欲しい。

貧困層の多い地域は、手続きも膨大なのでしょう。省けるところは省きたい行政側の気持ちもわかります。しかし、もうちょっと血の通った接遇が出来ないのかなぁと、画面を見て思います。対象は「物」ではなく、「人間」なのです。

私は以前の職業柄(医療事務)、生活保護の人をたくさん見てきましたが、世間で言うほど、不正受給などありません。昨日まで元気に仕事していたのに、病気して需給するまで、坂を転げるようだったと語る方が多かったです。ダニエルを見ていると、明日は我が身。ひしひしと感じます。

子供を見れば、父親が違うのが一目瞭然のケイティ。ハイティーンで子供が出来て結婚。その後離婚し、またその繰り返し。確かに浅はかかも知れませんが、彼女は子供の手を決して離さない。フード配給所での出来事は、衝撃でした。私は涙が止まりませんでした。でもケイティは、子供を飢えさせてはいない。ケイティは立派な母親です。子供を愛してやまない、私たちと何ら変わらない母親なのです。

スーパーでの出来事も、あんな形で貧困女性を誘導するなんてと、とても哀しい。日本でもセーフティーゾン扱いです。怒りは沸きません。「あなたを助けてあげる」。それは嘘じゃないから。でも助けるのは、やはり行政じゃないのか?そういう疑問は沸いてきます。貧乏は不幸ではないけど、貧困は明確な不幸だと思います。

私が一番心に染みたのは、デイジーがダニエルに、「あなたは私たちを助けてくれた?今度は私たちがあなたを助けたい」と言う言葉です。経済的底辺からの脱出を渇望する隣人の黒人青年チャイナが、病のダニエルを気遣い「困ったことがあれば、相談してくれよ。きっとだよ」と言う言葉も。ダニエルから、人としての情けをかけられた彼らが、今度はお返ししたいのです。

冷徹な行政だけを糾弾するのではなく、この作品は私たちにも問いかけている気がします。私は裕福ではありません。でも家族全員職を得て、飢えた事もない。大きな車はないけど、軽自動車でドライブには行ける。海外旅行は縁がないけど、近場で一泊、温泉には行けます。恵まれ過ぎて、申し訳ないような気になる。人生は同じように一生懸命生きても、運・不運、ボタンの賭け違いで左右されるものだと、この年になり実感します。決して裕福ではないからこそわかる、ダニエルやケイティの心。私に出来ることはないか?劇中、ずっと焦燥感に似た感情に、駆られました。

ラストに読まれる、ダニエルの陳情書は感動的でした。この陳情書で心が揺さぶられない人は、心を失っている人です。人として誇りを持って生きたい。それが如何に大切で、現状では困難であるかが、描かれていました。イギリスに限らず、日本でも他の国でも、当てはまる現状のはず。頑固爺さんが伝えてくれた心を、私も見失わずに生きていきたいと思います。



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