ケイケイの映画日記
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2017年03月25日(土) 「アシュラ」


春の韓国映画祭り最終作。主演のチョン・ウソンは、私が韓国人俳優で唯一萌系に好きな人。ガンちゃんとか、キム・ユンソクとか、この作品にも出ているファン・ジョンミンも大好きなのですが、それは俳優として。オンナですもの、やっぱりスクリーン観て、はぁ〜と目をハートにしたいじゃないですか!そういいながら、ヒット作の「私の頭の中の消しゴム」や「デイジー」など、男前度120%、作品値は限りなくマイナスに近い作品が多く(さっき感想を読み返したら、あまりに罵詈雑言で、あえてリンクは自粛す)、なんだかなぁでしたが、汚れ役とも言える作品で、初めて私的にクリーンヒットなんでから、世の中皮肉なもんすな。監督はキム・ソンス。

末期がんの妻の医療費に苦慮している刑事のドギョン(チョン・ウソン)。妻の腹違いの兄で、汚職まみれのアンナム市長・パク・ソンベの手下として、数々の証拠を抹消していく事に手を染め、医療費を工面しています。もうすぐ刑事を辞職し、市長の傍らで仕事を始めると言う頃、ある事件の揉み消しを嗅ぎつけた刑事を、ドギョンが過って殺してしまった事から、歯車が狂い始めます。

パク・チャヌクの映画かと思いました(笑)。変態度は薄かったので、作家性は違いますが。スクリーンは夥しい流血とバイオレンスの、出血大サービス。
そして、全員が悪。邦画でも「全員悪者」のキャッチコピーの「アウトレイジ」がありますが、あちらは悪者が全員極道もんなので、納得出来ますが、こちらは、刑事・市長・検察と、全員正義の味方の公務員なのですから、あな恐ろしや。しかしこの作品は、社会派として告発しているのではなく、あくまで法を使って人を描いており、それが成功しています。

検察はドギョンの秘密を掴み、ほとんど恫喝のようにして、ソンベの証拠固めをしろと迫ります。二重スパイのようなもんです。引くも地獄、進むも地獄のドギョンの葛藤を映しながら、ソンベのカリスマ性と恐怖、検察の正義の名を語る暴力や出世欲などが、血みどろの地獄絵図のように描かれます。

これがもう、すごく面白い!まずドギョンの本心がどこにあるのか、なかなか掴めません。今考えると、ドギョン自身が定まらなかったのでしょう。それが観客に伝わっていたのですね。ソンベが義兄である事は、信頼関係に影響があるのか?本国では、この辺りがミスリードされた要素であると思います。ドギョンは、妻の病を得るまでも、それなりに悪党だったと思います。それが妻の病気発覚後、贖罪の気持ちが沸いたのでは?その弱味が、ソンベが付け入る隙となったと思います。最後までドギョンが必死で画策した事は、妻より先に死ねない、だったんだろうと、鑑賞後思いました。

こういう思いを抱かせるだけで、ウソンをキャスティングして正解だったと思います(笑)。今回、殴られ蹴られ、顔面血だらけ、鬼の形相を見せるカーチェイス場面など、男前台無しで熱演しており、とっても素敵!世は満足じゃ(笑)。

ジョンミンがウソンに勝る勢いを見せての好演です。この人、引き出しが潤沢にあるんですね。硬骨漢・熱血漢・やくざの純情・家族を一心に思う家長など、何でもござれで好演しており、今回初めて悪役を見ましたが、演説場面でのカリスマ性と、底知れぬ恐怖を伴う威圧感など、圧巻の演技。そうかと思えば、お尻丸出ししたり、プロレスか?と思う座興も瞬時に受け取り、愛嬌もたっぷり。うんうん、この人、何を演じても愛嬌があるところが、ガンちゃんに通じる良さです。日本での公開作を見れば、韓国は今、この人の時代なのかと思います。

その他、愚鈍で善良だった
「コクソン」とは、打って変わって、狡猾で出世のためなら何でもする、クァク・ドウォンの検事も、良かったです。「正義」の御旗の元、やくざと変わらぬこんな人は、どこの国でも入そうです。他はドギョンの後輩刑事を演じたチュ・ジフンも好演でしたが、鬼気迫るウソン、余裕綽々のジョンミンやドウォンに圧倒されて、少々陰が薄くて、可愛そうでした。

筋立ても面白いですが、カーチェイス、ラストの攻防戦など、血みどろで華やかな趣向も凝らされており、娯楽作として一級品として、楽しめる作品でした。


2017年03月20日(月) 「SING/シング」(字幕版)




すごく良かった!素晴らしい!通常お子様向けアニメは、時間の関係で涙を呑んで吹き替え版を観ることが多いですが、今作は60曲のポップロックが流れるとあって、訳した歌なんか聴いてられるかと、勇んで初日のお昼に観て来ました(もうじき春休みなので、字幕はイブニング以降に押しやられる)。シンプルなタイトル同様、ストレートに歌が持つ力強い生命力を謳い上げ、何度も胸が熱くなりました。監督は私の大好きな「リトル・ランボーズ」のガース・ジェニングス。

しがない劇場の支配人コアラのバスター・ムーン(声:マシュー・マコノヒー)。子供の頃からの憧れを実現したのは良いのですが、ヒット作の出ない劇場は、銀行からの借金が返せず虫の息。思いついた起死回生の作が、素人のオーディション。膨大な数のオーディションから選抜されたのは、善良な豚の主婦ロジータ(リース・ウィザースプーン)とコンビを組むのは、歌って踊れる豚のグンター(ニック・クロール)、心優しいゴリラの若者ジョニー(タロン・エガート)、針ねずみの怒れるハイティーン少女アッシュ(スカーレット・ヨハンソン)、高慢ちきだけど、優秀なテンタティナーの鼠のマイク(セス・マクファーレン)が選ばれます。象の少女ミーナ(トリー・ケリー)は、類まれな歌声を持つのですが、生来の内気さが災いし、オーディションは受けられず仕舞い。しかしひょんな事から、裏方に採用されます。張り切って新しい演目に励むムーンと出演者ですが、数々の難問が待ち構えています。

この作品をミュージカルと捕らえると、えぇ〜!と言われそうですが、「ラ・ラ・ランド」より、こっちが好き。この作品でも「テイク・ファイブ」など、往年のジャズも少し流れますが、基本的に耳慣れた新旧の大ヒットしたポップ・ロックばかり。多分これが理由です。私はジャズよりずっとずっと、ポップスが好きなんだと、改めて感じました。

合間合間に気がつけば流れる音楽。ダンサブルだったり謳い上げるバラードだったり、ラップだったりと、そりゃーもうバラエティ豊かで、ゴキゲンになります。その中で繰り広げられる擬人化した動物たちの人間模様は多彩で、みんなみんな理解出来るものばかり。そして特別に感情移入するキャラもあるはず。私はもちろん、ロジータです。

25匹の子供(!)の世話に明け暮れ、その子供たちを養うため、誠実な夫は仕事で干からびて毎日帰宅。子育てを手伝っても言えず、毎日ワンオペ育児。不満一つ言わず、今の幸せを守ろうと頑張る彼女ですが、主婦以外の自分も見つけたいのですね。よーくわかる、わかる。苦肉の奇想天外な方法で家を脱出するも、彼女がいなくても、家が回ってしまうのは、何だか切ない。でもロジータはネガティブには受け止めず、これで明日も練習に向かえるわと安堵します。何かやりたい事がある人は強いよね。出来ないことを並べて、不満を言うのではなく、鳴かせて見せよう、ホトトギス的精神の彼女が大好きです。

ダンスが苦手の彼女が、誰に励まされ勇気を貰ったか?ここで涙ぐみました。これ、わかるなぁ。私も一期一会で、誰かを励ます人になりたいと、心底思いました。妻の新たな魅力に危機感を覚え(笑)、愛を確認する夫も素敵でした。

アッシュの傷心も印象深い。年上の才能の無い彼氏を立て、己の才能は押さえつけられるも、言い返せず。二人の夢を実現させ、アッシュは公私とも対等なパートナーとして生きたいのに、男はアッシュに嫉妬し、さっさと別の女の元へ。こんな時「コール・ミー・メイビー」なんて、歌えないよね。アッシュの巻き返しも、乞うご期待!

その他、ムーンが劇場を必死で守る本当の理由も、ジョニーと父の和解に通じます。どのパートも、それほど深追いしては描かれませんが、的確に描いているので、夫婦、親子以外でも、友情や歌への愛を強く感じ、最後まで希望に満ち溢れています。そう、ドン底まで落ちたら、後は上がるだけなんだもん!

ほぼ、サビの触りだけが流れ、あぁ〜もっと聞きたいなと、ずっと思っていたので、ラストのステージでは、最後まで全曲聞けて、ものすごいカタルシスでした。一つだけ文句があり。CMではエアロスミスの名曲「ドリーム・オン」が流れていたのに、劇中なし。すごく楽しみにしていたのに。なのでここで聞いて下さい。春休みが過ぎた頃、吹き替え版も観たいです。


エアロスミス 「ドリーム・オン」


2017年03月15日(水) 「恋妻家宮本」




今週で終了ですが、何とか見てきました。実は親愛なる映画友達の方からのプッシュでの観賞。好感の持てる箇所もありますが、違和感・嫌悪感も多々あり、残念ながらテレビドラマのスケールでした。監督は遊川和彦。

中学教師の宮本洋平(阿部寛)は、大学時代からの付き合いの美代子(天海祐希)と出来ちゃった結婚して、27年。一人息子の正の結婚を機に、夫婦だけの生活となりました。新たな生活が始まったある日、本の間から、美代子の記入と判を押した離婚届を見つけます。うろたえる洋平ですが、美代子に真意を問い質せず、日々が過ぎて行きます。

私はこの夫婦より少し先輩なので、心模様を少し懐かしみました。色んな年代の主婦・女性が出てきて、それぞれの結婚観が表されており、そこは良かったです。各々その時代では一般的な思考で、それぞれに頷く場面があります。特に30代主婦の菅野美穂が、「自分の尽くしている割合に対して、見返りが少ない」と言うお怒りに、思わず笑う。私もそう思ってたもん、30代は。その怒りは、70代主婦の富士純子ほど、主婦は自分を犠牲にして当たり前とは思っていませんでしたが、美代子と同じく、とにかく家庭をしっかり守ろうと、飲み込んだものです。

ただし40代の奥貫薫はなぁ。私の大嫌いな不倫主婦です。息子の担任である洋平は、厳しい姑・富士純子に対して、「正しいかどうかではなく、ここは優しさではないか?」と暖かい話風にまとめますけど、そんな簡単なもんじゃなかろう?私の持論は子供を生めば、高校を卒業するまで母親優先が必須。これは未来永劫変わりませんから。夫は単身赴任で海外、厳しい姑と軋轢があろうと、不倫はダメです。のこのこ担任が出てきて、越権行為も甚だしい。傷ついた生徒の心をフォローするなら、別の方法があるはずで、あまりにも浮世離れしすぎています。

洋平は一年前から料理を習いに行きますが、その動機は?私が見逃していたのかもですが、ここは美代子の落胆と繋がるので、描いて欲しいです。

美代子は何故たかが夫婦げんかで、わざわざ福島の、それも新婚の息子夫婦のところへ行くの?迷惑ですよ。たとえ遠くても新婚でも、緊急の用事ならいざ知らず、行動が姑として未熟です。カプセルホテルで寝泊まりした「魂萌え!」のヒロインは、天晴れだったと思います。

それと、何故福島なのか?ボランティアで感謝され、美代子が新たに自分の居場所を見つけるのは、わかります。でも何をどうボランティアしているかも描かず、3.11が近いので、使ってみました的に感じ、ここはかなり嫌悪感があります。東北の震災は、軽々しく扱って欲しくないと、個人的には思います。ずっと専業主婦なのですから、昨今話題に上る「こども食堂」でボランティを始め、子供の笑顔に励まされ、若いお母さんたちから子育ての相談をされると言う方が、説得力があります。

ただ、離婚届一枚で、こんなに込み入ってしまうのは、わかります。夫婦ってね、何年経っても、肝心な事は胸に閉まっているような節があります。この気持ちをわかって欲しい、こうなりたいと思っても、相手を思うからこそ、波風立てずに過ごしてしまうもんです。この作品で一番良かったのは、美代子の素直な感情が込められた、離婚届けの理由です。

ファミレスで注文に悩む優柔不断な洋平の様子は、うちの夫かと思いました(笑)。買い物に行くと、美代子みたいに、私がさっさと決める場面も多いです。何事につけ、パートナー感が薄く、家庭のことは全て私に任せるうちの夫は、昔暴君、今じゃ子供より手のかかる存在です。その点は洋平は、ずっと穏やかだったようで違うみたい。走馬灯のように流れる、新婚時代からの回想は場面は「クレヨンしんちゃん・モーレツ!大人帝国の逆襲」の、ひろしの回想を思い出しました。数段「クレしん」の方が上ですが(笑)。

でもその回想場面を見ながら、我が家を重ねて、自分ばっかり頑張っていた記憶は、そうじゃないよ、ちゃんと夫も頑張っていた、あの時は相談しまくって決めたよなと、思い起こしました。記憶の軌道修正が出来て良かったです。その内また曲がるでしょうが(笑)。

この二人は、出来ちゃった婚に対して、少々わだかまりがあるようです。でも大恋愛の末でも、お見合いでも、出来ちゃった婚でも、それは結婚に対してのきっかけに過ぎない。そこからスタートなんですよ。永く続いているのは、夫婦とも頑張った証拠です。その事を浮き上がらせるために、他の二組のカップルがどうなったのか、描いて欲しかったです。結婚までに至らなかったとか、離婚したとかね。

全体的にちょっといい話的な展開ばかりで、味わい深さに欠けるのが痛い。もう少し作りを練れば、大人の夫婦物として、秀作になったのにと、残念です。


2017年03月12日(日) 「哭声/コクソン」




チャヌクに続き、これまた相性の良いナ・ホンジン監督作品。けれん味・はったり盛りだくさんなので、ツッコミも多々ありますが、ツッコミ上等と意に介さない風情です。全編エネルギッシュな映像で、私は二時間半、とっても楽しみました。

のどかな片田舎のコクソン。平和は村に、一家惨殺事件が起こります。同じような事件が続発し、村人たちは、山に数年前から住み着く得体の知れない日本人(國村隼)のせいだと、騒ぎ始めます。警官のジョング(クアク・ドウォン)は、最初静観していましたが、一人娘のヒョジン(キム・ファニ)に、犯人たちと同様の皮膚病を見つけ、日本人のせいだと思い込みます。様子のおかしいヒョジンを心配した家族は、祈祷師イルグァン(ファン・ジョンミン)を呼び寄せます。

土俗的なミステリーだと思って見に行ったら、途中からオカルトホラーっぽくなり、混沌として行きます。ゾンビなの?エクソシストなの?と、あれこれ要素が入ってきます。些か盛り込み過ぎの感はありますが、破綻はしていません。血まみれ泥まみれの描写が多々あり、汚らしいのですが、それが恐怖感を煽るツールとして、効果を上げています。

人間は自分の思うように物事を見るものです。標的になるのが、日本人の男。裸で鹿の生肉を貪っていたと言う、口裂け女のような都市伝説が村に流れ、あろう事か、警官のジョングまでが、証拠も無いのに男を犯人だと信じ、男の家を不法侵入して家宅捜査する越権ぶり。任意同行ぐらい出来たはずが、男に見つかったため、現状保存も出来ず。毎度お馴染み、失態ばかりの韓国の警察ですが、ここは警察云々と言うより、思い込みの暴走の、慣れの果てを描いていたのかと思います。ジョングたちのバカさ加減と騒々しさに対し、一言も申し開きをしない男が、不気味感を増大させます。

祈祷師のジョミン登場から、一気に禍々しさが加速します。時間にして15分くらいでしょうか?延々祈祷の場面を映しますが、大音響の太鼓や鐘、お供物と動物の血の中、踊り狂い祈る祈祷師。その姿はいかがわしさより、ダイナミックですらある。トランス状態のその様子に、ぶっ飛びます。ここは最大の見所。

実は私、幼い頃に、実際に祈祷の場面を見ています。映画よりかなり縮小された感じですが、祖母に手を引かれ、キンキラの韓国のお寺で、踊り祈る女性のシャーマン(おばさんだった)を、はっきり覚えています。韓国は過去、シャーマニズムに基く祈祷師のお払いや祈りが栄えており、在日社会もそれを踏襲していました。それが段々と迷信だと衰退していき、最近では全く見ることもありません。韓国でも田舎では、まだ延々と信じられている様子に、少しびっくりしました。

うだつの上がらぬボサッとしたジョングが、娘を救いたい一心で、鬼も蛇も出てきそうな展開の中、逞しくも恐ろしい男に変貌する様子が、痛々しい。しかしこの痛々しさの中には、娘への父親としての愛情が溢れており、何を信じて良いかわからなくなる中、この一点だけは揺ぎ無いものでした。

警察の見解では、犯人から毒キノコが検出され、食べた副作用で精神障害を起こしての犯行と発表されているものの、誰も信じない。村全体がヒステリー状態です。「噂」の恐ろしさ。

男は何者なのか?生きているのか、悪霊なのか?祈祷師も善なのか悪なのか?目撃者を名乗る女の正体は?男は言います。「お前は俺を悪魔だと言ったろう?なら俺は悪魔だ」。私は見る人の思い込みが、相手の善なる本質さえ変えてしまうのだと取りました。韓国映画で、日本人にこの台詞を与えた意味は、深いと思います。

作品中ではキリスト教の神父も出てきますが、「エクソシスト」のメリン神父がリーガンを救うようには、してくれません。祈祷師も、災いがある方がお金儲けになって良いのです。どちらに転んでも得をする方に回る。韓国人は何につけ、ファナティックな傾向があり、私は宗教にしてもシャーマニズムにしても、入れ込んでも救われないよと、批判しているかと感じました。信じるのは何か?答えは描かれていました。

國村隼はこの作品で韓国の青龍賞の助演男優賞を受賞したとか。そりゃそうでしょう、納得の怪演にして熱演。こんな役を引き受けてくれて、涙が出るほど有難い気分。彼のお陰で、作品の世界観が、ぐっと締まったように思います。主役のドウォンも、愚鈍でユーモラスな演技から、後半の変貌の様子を的確に演じていて好演です。ジョンミンは何と言っても祈祷場面!あれだけでも彼をキャストした甲斐があります。それと子役のキム・ファニちゃんが大熱演で、リンダ・ブレアも真っ青の熱演です。老婆心ながら、友達がいなくなるのじゃないかと心配するほど。将来が楽しみなので、名前を覚えておきたいです。

エンディングはバッドですが、監督によると、どう読み取るかは、観る人次第とか。私は上記の感想です。意味を考えず、ただただ展開に圧倒されて、楽しむのも手です。ふんどしが韓国にはなく、「オムツ」と訳されていましたが、まさかこれが鍵となるとは(笑)。男は「噂」の怨念の化身だと、私は思います。


2017年03月05日(日) 「お嬢さん」

素晴らしい!めちゃくちゃ面白かった!親愛なる映画友達の方が、お好きな映画の事を「偏愛」と呼称されるのですが、この作品、まさに私の偏愛作品。観終わってみれば、この画像に対するアンチテーゼが描かれていたのだなと、胸がすく思いがします。監督はパク・チャヌク。

1939年の日本の統治下の朝鮮半島。詐欺師の母親から生まれた少女スッキ(キム・テリ)は、出産直後死んだ母親の代わりに、詐欺やスリをする一味に拾われて、育てられました。彼女らのアジトに、藤原伯爵と呼ばれている詐欺師(ハ・ジョンウ)がやってきます。大きなお屋敷に住み、叔父の上月(チョ・ジヌン)に支配されて暮らす孤独なお嬢様の秀子(キム・ミニ)をたらしこみ、結婚後、全財産を奪ったのち、病気と言うことで、精神病院に送り込むと言う。その手配のため、スッキを秀子付きの侍女として送り込み、手引きをして欲しいと言います。二つ返事でOKしたスッキは、お屋敷に乗り込みます。しかし、可憐で儚げな美しさを持つ秀子に、次第に惹かれて行くのです。

パク・チャヌクとは、大変相性が良く、観た作品全てが好きです。今作でも彼の変態性が爆発で、R18の作品ですが、ユーモラスな台詞やプロットを盛り込んでいるので、始終クスクス笑っていました。ユーモアもブラックなのではなく、コントのようなので、スクリーンで繰り広げられる、官能的で卑猥な世界観に間に上手く入り込み、観ていて女性でも居心地が悪いことはありません。

チャヌクだからと、何の情報もなく観たので、半分くらい日本語でびっくり。多少たどたどしいのはご愛嬌。主要キャスト全てが、上手く日本語を喋っていました。

作品は三章に分かれ、スッキの目から観た出来事、その裏方での別の視点、そしてエピローグです。いや〜、びっくりした。こんな展開になるなんて。エピローグの様子は予想出来たのですが、そこまでの展開の大胆な事。当時の朝鮮で、貧しいの朝鮮人の少女も、大富豪の日本人の女性も、全然幸せじゃない。特に羨望の的だったはずの日本人の秀子は、体は汚されないと言うだけで、男たちに弄ばれ、精神を陵辱され続ける暮らしで、明日の希望なんて全くなく暮らしている。国の壁などない女の悲哀です。この視点は公平感があり、良かったです。

藤原伯爵、上月の日本人になるための執着は、当時それでしか浮かばれない時勢を表してると共に、そこに精神の卑屈さがあるはずで、二人の男を女を利用し慰み者とする悪党に描いているのは、そのためでしょう。

キム・ミニ登場時、「綺麗〜!」とスッキは感激しますが、私はそうか?と訝しかったのですが、作品が進むに連れて、どんどん素敵に。憂いがあって冷たい女の秀子。彼女の背景がそうさせている。だけど哀れだけではない、女の凄味とたおやかな女性らしさのコントラストを際立たせ、パーフェクトな演技で魅せてくれます。

キム・テリは、今作が本格的なデビュー作。キム・ミニ共々、スレンダーで少女っぽい裸身も潔く見せています。洗練された秀子の美しさだけではなく、スッキが秀子に魅せられたのは、孤独な自分の身の上を、秀子に重ねたからでは?詐欺しながら、自由になりたいと言う気概を持つスッキを、素直に演じて好感が持てます。

情報を全く入れないほうが、絶対楽しめる作品。最後まで見れば、私が痛快な気分になった理由がわかります。好きな台詞もたくさんあって、「子供を生んだ後だから、遣り残した事はない」「私の世界を壊しにきた救世主。私の珠子」。言葉だけ拾えば、どうと言うことのない台詞ですが、私は思い切り落涙しました。確かめて下さいね。めくるめく、官能的で変態的で背徳的な美しい世界、どうぞご賞味下さいませ。日韓友好の鍵は、女性にあり。なーんてな。


2017年03月01日(水) 「ラ・ラ・ランド」

発表されたばかりの、今年のオスカーを席巻した作品。オスカー効果か、レディースデーとは言え、平日なのに場内満員御礼でした。賛否両論あるようですが、その両方ともわかる気がします。監督はオスカー監督賞を受賞した、デイミアン・チャゼル。

ロサンゼルスの撮影所内のカフェでアルバイトしているミア(エマ・ストーン)。オーディションを繰り返す女優の卵の彼女は、いつかジャズをメインにした店を持ちたいと熱望している、売れないピアノ弾きのセブ(ライアン・ゴズリング)と知り合います。最悪の出会い方をした二人ですが、重なる偶然にお互いを意識し始め、やがて愛を育んでいきますが。

私はミュージカルは好きでも嫌いでもなし。正直言うと、関心のあるカテゴリーじゃありません。とは言え、普通の人より、たっくさん映画は観ているわけで、有名どころのミュージカルも、それなりには観ています。その程度の人間の感想だと思って下さい。

まず冒頭の渋滞シーンでの歌や踊りで、心躍らず置いてけ堀(笑)。いや〜、これはヤバイかも?と思う気持ちは、ある程度的中。前半の歌や踊りは、懐かしい感じのする振り付けや楽曲、プロットで、それなりには楽しいのですが、やはり心は踊らず。メインになる秀でた歌唱や踊りがないのが、少々痛い。ライアンはピアノ弾きの設定なので、演奏で魅せることが出来ますが、下手ではないものの、エマは囁くような歌唱ばかり。もう少し歌い上げるような熱唱タイプの曲も盛り込んだ方が、変化があって良かったかも?

古典的なボーイ・ミーツ・ガールの物語に、これまた古典的な手法のミュージカルシーンを入れるのが、先達への敬意ではなく、アイディアに感じてしまったのも、致命的でした。楽曲がどれも良かったのが救い。でも私が一番好きな曲は、最初から最後まで、セブが弾くピアノ曲でした。ツッコミつつ、それでも楽しめたのは、ひとえに主演の二人が魅力的だったからです。

後半、愛する二人のすれ違いが描かれ始めてから、俄然私的に盛り上がる。お互いがお互いを思っての気持ちが、相手にいらぬ心配をさせ、傷つき疲弊させてしまうのは、男女の世の常なのだなぁと、痛感。恋する二人の心の変遷を、これだけ繊細に描けるなら、ミュージカルでなくてもいいんじゃないの?と、これまたツッコミかけました。

しかし、ラストに近づいての、目の覚めるような描き方に心打たれ、あー、監督はこれがしたかったから、ミュージカルにしたのかと納得。人生に、あの時こうしていたらは、誰もが思い当たるもの。本当はほろ苦い結末を、観客に幸福感を抱いてもらうには、ミュージカルと言う手法は、絶大の効果でした。

オスカー受賞のスピーチでは、監督がいかに奥様に感謝しているのかが、伝わってきました。セブとミアも、二人が愛し合わなかったら、今の自分ではないのです。ほろ苦い思い出も、いつか感謝と敬意に変わる、あなたにもと、そう言ってるんじゃないかな?

ただミュージカルは、二度も三度も観たくなるもの。その力は少々弱い。これがハリウッドを昨年代表した作品だと言うのは、個人的には疑問があります。

当初、セブの役はマイルズ・テラーだったとか。良くぞ断ってくれました(笑)。いつもハンサムでカッコいいライアンですが、ロマンスでは、何か欠落を抱えている役が多く、彼の持ち味の暖かみとマッチし、いつも希望があります。今回のセブも上出来の演技。特に中堅俳優として、子供のいる役も演じている彼が、青年から大人になる役を演じて、全く無理がないのに、驚きました。

目の大きなエマは、今回一層大きく(笑)、チャーミングさも絶品。恋する女の子から、愛を知る女性への変遷も、くっきり演じ分けており、演技的には全く文句ない瑞々しさ。でもやっぱり、もうちょっと歌とダンスは頑張って欲しかったかな?

ミアの役も、最初はエマ・ワトソンにオファーがあったそうで、ライアン&エマの後では、マイルズ&エマで作っていたら、なんともおぞましい気がします(笑)。ライアンとエマのような、好感度はなかったと思います。

前代未聞の間違いで、かなり気の毒だったオスカーの作品賞ですが、「ムーン・ライト」チームと、お互いが敬意を込めて称えあう姿の爽やかさに、映画好きである事に、誇りを持ちました。監督は、奥様への感謝を込めて、この作品が作りたかったのでしょう。決して懐古趣味のアカデミー会員へのおべっかでは、ないと思います。いや、思いたい(笑)。


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