ケイケイの映画日記
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2011年02月23日(水) 「ヒア アフター」

素敵な作品でした。イーストウッドが監督と言うと、傑作や秀作という冠がつきますが、この作品は素敵が一番似合う気がします。

東南アジアの島に恋人とバカンスに来ていたフランス人キャスターのマリー(セシル・ドゥ・フランス)は、津波に襲われ九死に一生を得ます。以降その時に観た臨死体験が頭を離れません。サンフランシスコでは、死者との会話を生業としていた超能力者のジョージ(マット・デイモン)が、その能力に疲れ、今は工員として町工場で働いています。ロンドンに暮らすマーカスとジェイスンの双子(フランキー・マクラレン、ジョージ・マクラレン)。母子家庭で母親のヘロイン中毒に悩まされていますが、二人で手を携え母を支えています。やっと母に立ち直る兆しが見えた時、兄のジェイスンが交通事故で亡くなってしまいます。

この三つのお話が独立して進んで行きます。霊界が題材ですが、イーストウッドが描くのですから、CG満載のあの世は出てくるはずもなく、一瞬死者が観えるだけ。この作品はプロットに霊界を絡ませてはいますが、それはスパイスに過ぎず、本題は孤独を彷徨う現世の人々を描いていると思います。

気鋭のジャーナリストであるマリーは、臨死体験以降、社会情勢より人の生死という永遠のテーマの捉われます。目に見える世界だけを取材し信じ、喝破して生きてきた彼女にとって、180度違う目に見えない世界。九死に一生を得た人は人生観が変わるとは聞きますが、丁寧に彼女の心の移り変わりを描いています。周囲が切れ味鋭かった彼女が変貌していく様子に戸惑う様子も納得でき、上手く描いていると感じました。

ジョージの兄は弟の超能力を「才能」であると言います。しかしジョージにとっては余計もの。知りたくもない他人の人生が見えるなど、どれほど自分の心を消耗することか。好きになった相手にも不都合なこの能力は、彼に人生のパートナーも与えてくれません。人並みの普通の人生が得られない。この辛さを芯から共有できる人はおらず、超能力者は幸せにはなれないと言われますが、その根源的なものが彼から伺えます。

家庭を仕切るジェイソンと、はにかみ屋のマーカス。彼らの母はネグレクトですが、心の底から息子たちを愛しているのがわかります。それは彼らが母を大切に思う様子からも伺えます。ジェイソンにもう一度会いたくて、あらゆる霊能力者を渡り歩くマーカスの姿が切ないです。そして彼の心を満たす霊能力者は現れず、その如何わしさの一端も描いています。

私が本当に感激したのは、全編に溢れる優しさです。それぞれの痛切な孤独を描きながら、心が浄化されるような慈悲深さです。自分の無聊を慰めるため、ディケンズ作品の朗読に癒しを求めるジョージの様子を物哀しく見つめていた私でしたが、彼が初めてその朗読者であるデレク・ジャコビ(本人)の朗読を聞くときの、子供のような純真な笑顔には、涙が止まりませんでした。利己的なものを一切捨て、霊界とは何なのかを追及するマリーに、本来なら現象しか見ないはずの女医(マルト・ケラー)の清々しい後押しもにも心が洗われました。そしてネグレクトを描くのに、母と子供の愛し合っている様子で、これほど痛ましさが描けるのかと、胸打たれたジェイソンとマーカスのエピソード。

どれもこれもが、現世に生きる孤独な彼らを温かく見守っているのです。映画では霊界は描かれませんでしたが、それが霊界の本質なのじゃないか、私はイーストウッドにそう語りかけられている気がしてなりません。その感覚はとても東洋的であり、霊界には人種も国境もないのかも知れませんね。

三つのお話がどう結び付くのか?とても品のある、やはり心温まるお話で紡がれます。癒しと簡単に言いますが、最近これほど心が癒された作品はありません。ジョージが料理教室に通う場面では、とても官能的で印象深いシーンが出てきますので、お見逃しなく。80歳になっても、癒しに官能も盛り込む御大イーストウッド。長生きしていついつまでも、映画を撮って欲しいです。




2011年02月17日(木) 「ジーン・ワルツ」



酷過ぎます。妊娠・出産と言う女性には永遠のテーマが主題で、顕微鏡受精のエキスパートの女医が主人公、原作は自身も医師の海堂尊とくれば、自分の仕事を考えれば、見逃すわけにはいきますまい。だがしかし・・・。いったい何が言いたかったの?こんな薄っぺらい生命賛歌、いまどき2時間ドラマでもやりません。監督は大谷健太郎。

帝華大学医学部産婦人科学教室の女医・曾根崎理恵(菅野美穂)は、顕微鏡受精のエキスパート。現在は大学で教鞭を取りながら、週一度、町の小さな産婦人科・マリアクリニックで診察しています。マリアクリニックは、理恵の同僚だった三枝久広(大森南朋)が、出産時に産婦を救えなかったことから逮捕。院長で久広の母茉莉亜(浅丘ルリ子)も末期の肺がんに侵され、廃院が決定的でした。院長に代わり、最後の四人の患者を診る理恵でしたが、彼女にも秘密がありました。

原作は多分描きこんでいるのでしょう。久広の件は、大野病院産科医逮捕事件」(←クリックすると、ウィキペディアの解説に飛びます)が、モデルになっていると思われます。原作ではきちんと描きこまれていると想像しますが、理恵によって久広をかばう訴えがあったのみで、あの描き方では医師の方だけが悪かったようにも見えます。世間を騒がせる妊婦たらい回しも、ちょろっと出てきますが、患者はモンスターペイシェント風ですが、引き受けられない病院が悪いみたい。

だいたいだね、出てくる医師たち、そんなに忙しそうじゃないのね。現在産科医療は全国的に壊滅寸前で、現場の医師や医療従事者さんたちの頑張りで、辛うじて成り立っている状態です。教授役の西村雅彦に、憎々しげに演じさせているけど、性格悪そうでしたが、あの演出では普通の大学教授です。背景がきちんと描けていないので、以前恋仲だった清川医師(田辺誠一)と理恵の軋轢も、単なる理恵の我がままに感じます。描かないのなら、大学病院は未だに「白い巨塔」ですと、テロップでも流して下さい。

マリアクリニックに通う最後の患者は多彩です。無脳症の胎児を抱える妊婦、何度も流産を繰り返し、やっと安定期を迎えた39歳の妊婦、恋人に去られ子供を堕胎したい二十歳の妊婦、そして55歳の代理母。各々描き方はまずまず。しかし!ここで重大な疑問が。医師があんなことするか?個人情報ダダ漏れじゃないの。特定の患者の疾患を、名指しでベラベラ他人に語る医者がどこにいる?私たち医療事務だって、厳しく言われていることです。いくら生命の大切さを教えたいがためでも、あれはないぜ。

後半信じられない事態が。吉本新喜劇くらいですよ、こんなシチュエーション。そして新喜劇なら、もっと面白く描けます(きっぱり)。何もリアル一辺倒がいいってもんではありません。しかしこれはコメディじゃないでしょ?あり得ない設定に持ち込み次々難問を、それも軽々と通り抜け、愛らしい赤ちゃんの笑顔を映し、お手手つないで生命の誕生の素晴らしさを謳う・・・。バカですか?

そんな判り切ったお安い感動「だけ」を呼んでどうする?何故産科医は激減したの?どんなに医療が進歩しても、お産が命懸けなのは今も昔もいっしょです。その事を現代人は忘れてしまって、病院でのお産=母子とも五体満足が当たり前と思われている状態です。私はそこが産科医が減ってしまった原因じゃないかと思っています。お産では突発的な事は付き物のはず。こういう難題が重なった時にこそ、生まれくる命と救えなかった命と、平等に描いて啓蒙すべきだったんじゃないですか?

そして代理母の遺伝子上の母親と父親が判った時の理恵と清川の「決心」には、とうとうワタクシ噴火。「あの代理出産の証拠なんかないわ。あれはなかったことよ!」だと?お前らそれでも医者か?医者が自分の私欲「だけ」で動いていいのか?そんなことしたら、世の中大変なことになるぞ。「医者だって普通に人間だ」という理恵のセリフがありますが、ごもっとも。それは全面的に肯定します。でもな、子供が出来なくて悩んでいる女性は、世界中にいっぱいいるんだぞ。お前だけが辛いのかよ?医師の倫理上、やってはいけないことをしまくっているのに、まるで葛藤がなく「俺様」(女医ですけど)なのも信じらんない。

私は顕微鏡受精には反対です。やはり生命の誕生に人間の手が加わることには疑問があるからです。しかし「どうしても夫と私の子が欲しかった」という向井亜希の涙。遺伝子上では母親ではないが、そのことについてどう思か?と問われた時、「ものすごい葛藤があった。しかし日に日に私のお腹で育つこの子の母親は私だ」と言い切った野田聖子の、その言葉の奥のそれまでの壮絶な苦悩に思いを馳せると、簡単に子供が授かった私の意見など、簡単に寄り切られてしまうのです。さまざまな意見がある中、好奇や攻撃的な目にも晒される彼女たち。今も戦っているでしょう。

あぁそれなのに、この産科医は!「なかったこと」だとぉ!この描き方、懸命に頑張っている産科医への冒涜です。

赤ちゃんの笑顔より素晴らしかったのは、老醜を晒した浅丘ルリ子。病み衰えた設定とはいえ、厚化粧から怖いくらいの妖気が漂っています。実際、彼女の年齢(70前後)の女優さん達でも、美しく老いている人はいっぱいます。彼女だって、テレビで時たま見かけるときは、美しい熟年女性です。それを死期が迫っている役柄に合わせ、老いの醜さを表現するのも厭わなかったのでしょう。この大女優がと思うと、素直に感動しました。

本当はネタバレにして、徹底的に書きたかったけど、そうすると観てもらえないのでしょ?この怒りを分かち合える方、掲示板でお待ちしています。


2011年02月12日(土) 「冷たい熱帯魚」

面白い!本当に面白い!バイオレンス、セックス、スプラッタを、超過激描写でこれでもかこれでもかと見せながら、内容は意外なほど真っ当な、人生についての教訓や苦悩です。ミニシアター系で上映されているのでね、エログロをモチーフにしたアート系作品と思われるかもですが、全然全く。極上で過激な娯楽作です。監督は園子温。恥ずかしながら、この監督初体験です。

静岡で小さな熱帯魚店を営んでいる社本(吹越満)。妻妙子(神楽坂恵)は年若い後妻で、思春期の娘美津子(梶原めぐみ)とは折り合いが悪いです。ある夜自宅に電話がかかり、美津子が万引きしたとスーパーから電話が入り、駆け付ける社本夫妻。全く反省の色のない美津子の態度に、事態が大きくなろうとした時、助け船を出したのが地元で社本とは比べ物にならないほど大きな店を営んでいる村田(でんでん)。それが縁で付き合いの始まった社本ですが、人の良さそうな村田は、実は裏では詐欺を働き、被害者を殺害。その遺体はバラバラにして跡形もなくするという、とんでもない顔がありました。

冒頭味気なく冷たい社本家の夕食風景が描かれます。ご飯は全部冷凍食品。会話もなく娘は携帯をいじりながら食べ、食事の最中でも呼び出しがかかれば出ていきます。なんだこの亭主は?と、びっくり。妻にも娘にも全く躾が出来ていません。妻の服装は常にボディぴったりで、大きな胸を強調するミニ。きっとあれもこれも不満なんだなぁ。「わらの犬」のスーザン・ジョージみたい。しかし以降作中で描かれるこの妻は、決して性悪ではありません。年の違わない娘に虐げられ、守ってくれない夫に愛想尽かし気味ですが、夫への愛情も感じるし、娘とは表面だけでも上手くやっていきたいのです。多分素人女性がする稼業ではなかったでしょう、男も騙したり騙されたりして、やっと手にいれた平凡な妻の座を守りたいという風に感じました。耐える姿が哀れを誘います。

ハイテンションで馴れ馴れしく、厚かましい村田に困惑気味の社本。恩人なので申し出も無下に断れず。居心地の悪さを感じるも、年若く妖艶な村田の妻愛子(黒沢あすか)が、常識的で夫の欠点をフォローするので、ますます相手のペース。この様子が圧巻でね。私は常々詐欺に遭うのは、同情は出来ても被害者にも隙があるからと思っていました。でもこれ観てたら違うのね。隙なんか与えない。とにかく押せ押せのイケイケドンドン、こちらの思考は停止させられます。普通の人は断るのは無理。隙と言えば娘の万引きですが(これは些細じゃないけど)、日常の些細な隙は誰にでもあるもの。詐欺師ってそれを見逃さないのですね。獲物として目をつけられたら最後なんだわ。実に勉強になりました。

畳み掛けるように自分の人生観を社本に吹き込む村田。「お前に愛はあるか?みんなで幸せになるんだよ!」と、恫喝に近く喋りまくる村田。甚だ自己中なんですが、「お前は妙子や美津子が死んだら泣くか?!」「はい・・・(社本)」「吉田(被害者)が死んだら泣くか!?」消え入りそうに「いいえ」と答える社本。「そうだ、それでいいんだ」と破顔一笑の村田。おいおいおい!でもそれはそうだと納得してしまう私がいるわけ。

世の中には後世に残る偉人がたくさんいますが、押し並べて家庭は二の次三の次。世の中のためという大義名分のため、家族は犠牲を強いられるのは、私はこの年になっても懐疑的です。だったら結婚しなければいいじゃない。そういう視点から観ると、村田という男は他人には鬼畜でも、家族には最愛の人になり得るわけです。事実共犯だけではなく、村田は妻愛子を人生の大事なパートナーとして、彼なりの論理で、がっちり守っています。

愛子も妙子も親ほど年の違う男と結婚しているのは、ファザーコンプレックスのようなものがあったかと想像しました。私は今も健在ですが、父親とは縁が薄く、同じ屋根の下に暮らしていても、関わりはほとんどありませんでした。なので年若い結婚だったこともありますが、夫は8歳年上です。殴られながら「ありがとうございます」「もっとぶって」。どんな強引な方法でもいいから、相手から自分の居場所を作って欲しい妙子。それが更に発展すると、愛子のように自分の命を賭けて、己を守ってくれる相手を探し求めるようになるのじゃないか?一見受け身のようですが、これが彼女たちには相手の愛を確かめる方法なのでしょう。二人の違いは、たまたま選んだ男の違いのように感じます。

家族の軋轢は自分の不甲斐なさのせいなのに、見て見ぬふりの社本。時間が解決するはずだと、嵐が去るのを待つタイプ。実際優しく誠実。妙子もそういう平凡な安定感に魅かれたのでしょう。しかし裏を返せば、大黒柱として舵取りが出来ず、妻や子に不満や鬱積も問えない情けなさです。自分に男としての自信がないのですね。

村田の顧問弁護士(渡辺哲)も村田と同年代、60代前後でしょう。二人とも男としての生々しく毒々しい人生観は、社本のそれの比じゃないです。どうしようもない四面楚歌に追い込まれ、屈服・服従する社本。嬉々として男としての生き方を、威嚇しながら洗脳しようとする村田。もうあれですよ、アニマル浜口の「気合だ!気合だ!気合だ!」に、アントニオ猪木に一発張られて、「ありがとうございました!」の世界。

そこで男に目覚めた社本はどうするか?あの映画この映画で同じような変遷を観てきたはずなのに、私はものすごく爽快でした。あの場面で男の本能が覚醒するというのは、凄く納得出来てしまう。とにかくそれまでの社本の耐え忍ぶ姿がサスペンスフルで、ずっと静々とドキドキしていたのが、これで思いっきり感情が弾けていいのね!となるので、こっちもすごいカタルシスなわけ。

社本も背景は語られませませんが、育った家庭に恵まれていたとは思えませんでした。妻の死後たった三年で後妻を迎え、娘にエロ親父呼ばわりされ嫌われますが、どうしても夫婦揃って子供のいる家庭が欲しかったのだと感じました。娘の気持ちは無視する時点で、親としてはバツ、自己満足です。自分の満たされなかった部分が、もう欠けるのはいやだったのかも。

これが男だ!とばかり、社本に教育的指導をする村田ですが、彼も父から虐待され、それを母は救えなかったと、のちのちわかります。正しい父性に恵まれなかったがため、自分の辛かった過去が影響し、他人を不幸にしても自分が家族を幸せになるのが男の務めだと、歪んだ人生観が作り上げられたのだと感じました。この作品のテーマの一つは、「父性」なんじゃないですかね?

最後に娘に向かい、「人生ってのはな、痛いもんなんだよ!」と絶叫する社本。しかし返ってきた娘の言葉には落胆する私。娘には痛い人生を送らせたくない、命懸けの父親の言葉も娘には届かず。まぁ痛い人生を送って、悟ってもらえればいいか。監督は今の自分の気持ちを正直に映画に託したんだと思います。父性に対して、まだ自分の中で迷いがあるのでしょうね。

吹越満は私は大好きな人で元々芸達者ですので、過激な内容でもすごく安心して観られました。全く文句ありません、花マルの好演でした。各方面から絶賛のでんでんですが、正直私、この人のこと上手いと思った事はないです。この作品でも、長台詞を良くこなしたなというくらいで、終始ずっとがなっていただけです。しかしその心に響かない、下手でも上手くもない演技が、返って怪物的な村田の存在感を底上げしたのですから、これは抜群のキャスティングだったと思いました。

圧巻だったのは、黒沢あすか!どの作品でも結果をきちんと出せる人ですが、妖艶に微笑んで、嘘泣きして、人殺しして、体中血みどろになって、裸になって、ファックして、気も狂ってと、どれもこれもが素晴らしい演技!結婚しているのは知っていましたが、聞けばお子さんも三人いるとか。彼女くらいのキャリアなら、無理して演じなくてもいい役です。自分の人生を全てさらけ出す様なお芝居をして、演技開眼する女優さんはたくさんいます。でも黒沢あすかは、自分の人生も私生活も微塵も感じさせず、愛子というバケモノ女を演じきったわけです。本当に彼女には感動させられました。これぞプロの女優です。

黒沢あすかに比べれば、まだ人生を出し切った状態で演じたであろう神楽坂恵み。それも女優さんとしては立派な事です。キャリアの薄い人なんでしょう、私は初めて観ました。自分の引き出しに何もないところから作り上げるのは大変だったはず。その切羽詰まった崖っぷちの思いを妙子にぶつけ、彼女にも心が動かされました。

遺体処理の生々しい場面、繰り返される暴力描写、リアルでインモラルなセックス。ありとあらゆる普段目にできない描写がてんこ盛りです。しかし内容は、解決しなくちゃならない心配事や苦悩から逃げ回っている自分を、社本の中に観る人は多いはず。私もそうです。それを解決せず踏みつけにするとどうなるか?一瞬の隙につけこまれたら、私もこうなるの?もうホントにサスペンスフルで普遍的な内容です。ちょっと過激すぎるんですけど、出来れば好事家以外の、一般の方にも観ていただきたい作品です。


2011年02月06日(日) 「毎日かあさん」


 ご存じ西原理恵子原作の映画化で、元夫・鴨志田穣の視点で描かれた「酔いがさめたら、うちに帰ろう」と同じ出来事を、今回は妻の視点で描かれています。同じ子を持つ主婦として、共感しつつガハガハ笑いながら観ていましたが、いつしか胸がいっぱいになり、涙が止まりませんでした。「酔い〜」が元妻に対しての感謝が溢れていたにの対し、こちらは妻の夫に対しての自責の念が随所に描かれています。そして共通していたのは、相手への痛切な思いやりでした。監督は小林聖太郎。

漫画家の西原理恵子(小泉今日子)は、六歳のブンジ(矢部光祐)と四歳のフミ(小西舞優)を育てながら、毎日フル回転で奮闘中です。多忙さのあまり、高知の実家から実母(正司照枝)を呼び寄せ、手伝ってもらっています。そんな理恵子の頭痛の種は、元戦場カメラマンの夫穣(永瀬正敏)。数々の賞も取った夫ですが、戦場で見てきたことがトラウマとなり、アルコール依存症となり入退院を繰り返しています。

前半描かれるのは仕事と子育てを両立させなければならない、兼業主婦の悲喜こもごもの日常です。経験のある人は、これ私のことじゃないの?と、もう一気に感情移入するはず。この息子がバカでね〜〜。バカの描写が本当にリアルで感心します。微妙な差こそあれ、私にも心当たりがいっぱいでね。昨日も二男と三男と話をしていたら、「子供の頃、ウ○コ、チ○コという言葉を聞くだけで、死ぬほど楽しかった」と言うのです。こんなもんが神の言葉だったわけですな。もう本当にバーカバーカバーカ!

私は女の子を育てたことがないので、娘はどうかはわかりませんが、三人息子を育てて「息子はバカだ」とはきっぱり言い切れます。子育てし始めの頃は、何でうちの息子たちはこんなにバカなのか?と不思議でしたが、三番目もバカだったので、要するに「男の子はみんなバカ」なんだと悟るわけ。そうするとバカの大元・夫だって、何故いつまでも「バカ」なのかが、理解出来てくるわけです。

褒めて育てるが子育ての理想なんで、どの母親だってそれは心掛けてはいるもんですが、何しろ怒られることしかしない。まず一呼吸おけばいいものの、自分も余裕がないので、まず怒鳴る。そして自己嫌悪。反省するも次の日になったら綺麗さっぱり忘れてしまって、また毎日の繰り返し。そんな未熟で至らない、でも無我夢中の母親の日々が、逞しく描かれています。保育園のお母さん友達と、子連れでor子なしで集まり憂さ晴らし、そして夕方になればお開きの、時間に縛られつつ楽しみを見つける日々も、懐かしい思いで観ました。

「酔い〜」の夫が、同じ憎めぬダメ夫であっても、淡白で飄々としていたのに対して、こちらの夫は生々しく「男」でした。息子に父親として、男の処世術も教えてやれるのです。描かれるのが離婚後であったからでしょうが、一切元夫への憎しみを見せない「酔い〜」に対して、こちらの妻は愛憎がてんこ盛り。夫へ毒の籠った辛辣な言葉も連発します。気に入らなきゃシバいたりもする。そりゃ当たり前ですよ。家計の全部は妻の負担、それに家事も子育てもなのですから。元夫の描く妻は菩薩にも似た人だったのに、著者が自分をも客観的に辛辣に観察しているのがわかります。

こりゃ私だって離婚したくなるわと、心底同情したのが、夫の失禁や勝手に犬を買ってきたり、あちこち散らかしまわる描写です。子供がいる方はわかるでしょうが、子供が小さい時は、毎日毎日水やジュースを床にこぼす、トイレをびちゃびちゃにする、あげくゲロ吐き。もう拭き掃除や片付けとの格闘なわけです。私はこれが辛くて、若いころ泣いたことがあります。それの上を行く夫がいたら、堪りません。友人(柴田理恵)が、「よその旦那さんなら笑えるんだけどねぇ」と言いますが、正にこれは真理で、他人には喜劇でも、本人にとっては、とても辛い悲劇です。

ユーモラスな幻覚だった「酔い〜」に対して、こちらの夫の幻覚は痛々しく哀しい。戦場にいる自分の子供たちを保護しようとすると、彼らから石を投げられる。きっと情けない父親である自分を、心の底では責めているのでしょう。そこで感情が爆発して見境なく暴れる。これが所謂「酒乱」というものの根底なのかと感じました。「酔い〜」の妻は、この時泣いていましたが、こちらの妻は怒るでもなく止めるでもなく、もちろん泣かない。冷ややかな蔑みの目で夫を見つめるだけです。寸でのところで、飯の種である妻の原稿だけは、破るのをとどまる夫。髪結い亭主の情けなさがいっぱいですが、彼にとっては、破らないことが、せめてもの妻への償いだったのかも知れません。

女が離婚を考える時、子供の事で思いとどまることがあります。しかし本当にもうダメだと思ったら、経済的な事も何もかも考えず、離婚してしまうものだと思います。言い換えれば、子供の事が頭に浮かぶときは、まだ引き返せる時だと思います。「夫の手を離せないのは私の方だった」と独白する妻ですが、こんな修羅場でも、冷静に冷ややかに夫を観る自分がいやになったのじゃないか?そんな気がします。

離婚後の交流時、プレゼントは何か問われても、「ない。みんなあるから」と答える妻。死の間際の夫から、心からの感謝の言葉を聞いても涙を流さない妻。物凄くわかる。長年暮らすと、夫が何を考えどういう人かがわかってくるものです。実現できないものをねだっても不毛。自分で得る方が早いのです。私だって長年夫の前で泣いていません。心を鈍感にしなければやっていられないのです。それを世の夫は、やれ女は結婚したら強くなるだの、ふてぶてしくなるだのと言うわけですね。あれが欲しいとねだり、夫の前でヨヨと泣く可愛い妻をお持ちの方は、俺は立派な亭主だと胸を張ってもよろしいかと思います。うちはもちろん違います(きっぱり)。

そんな妻が夫の後姿を眺めながら、「依存症には治療が必要なのに、それを知らなくて、この人は10年間も嘘つきだとか怠け者だとか言われ続けてきたのだ・・・」という後悔の滲む独白は、胸を打ちます。「酔い〜」ではそのセリフはなく、鴨志田穣という男性の、夫としての潔さがわかります。

元夫の死後、泣き続ける妻。やっと泣けた妻を観て、心から良かったと私もいっしょに泣きました。その意地っ張りさもとても理解出来ます。ずっと観ていて、私は彼女ほど甲斐性もなく、夫にも苦労していないのに、何故同化してしまうほど気持ちがわかるのかと不思議でした。それはラストの妻の言葉で謎が解けました。「家事をし、仕事をし、子供を育て、夫を見送る。女がみんなしていることだ。」あぁ、そうなのです。私だって自分の苦労は並みの苦労で特別な事じゃない、女ならみんな経験していることだと、自分自身を励まし、主婦仲間と語り合って頑張ってきたじゃないの。「泣く暇があるなら笑おう」。この豪快にして繊細、物事に動じない人生観こそが、西原理恵子の虜になる人が続出する所以なのでしょう。私もすっかり彼女が好きになりました。

キョンキョンは絶品。老けたというより年食ったという表現がぴったりの、生活感溢れる理恵子の毎日を好演しています。とにかく表情一つ一つの語りがすごい。お婆さんになっても立派に主演を張れる女優さんでいられると思います。永瀬正敏も、苦悩や葛藤を心に押し込めている夫を好演。キョンキョンとは本当に元夫婦なので、あうんの呼吸もぴったりでした。子役二人を挟んで、本当の家族のように見え、この二人に子供がいてもやっぱり離婚していたんだろうか?と、ふと思いました。

子役二人が超可愛い!離婚して以降の親の心を思い測るブンジが特に良く、「男はバカだけど、腐っても男」が持論の私ですが、幼い時からそうできているんだなぁと、改めて感じました。面白かったのは、二作品とも、各々自分の母親が出てきますが、お互いの姑は全く出てこず。まぁ自分の母親に感謝が自然の成り行きですよね。夫を嫌っていた(当たり前だ)妻の母が、死期が間近い元お婿さんに、柔和な笑顔を向けていたのが、とても嬉しかったです。

出来れば「酔い〜」と比べてみると、より深くこの家族が理解出来ると思います。恥も外聞もなく自分の日常を晒しながら、反省したり考察したり客観的に観たりの西原理恵子。どれも肯定も否定もせずやり過ごす。自然に明日を迎える人なのですね。夫だけが悪いように描きながら、その実チャーミングに描かれていた「酔い〜」のカモちゃんより、もっと壮絶にダメ男だった夫。しかし西原理恵子が愛した男は、やはりこちらのカモちゃんだったような気がします。




2011年02月03日(木) 「RED レッド」




I'M BACK〜〜〜!テレビのCMで流れてますね。エアロスミスの「バック・イン・ザ・サドル」の出だしで、御年62歳のスティーブン・タイラーが絶叫してるのだわ。この感じでバンバン70年代のハードロックが流れるのかと思っていたら、一か所だけで肩すかしでした。でもすかされたのはここだけ。ビッグネームのジジババ俳優たちの痛快なアクションコメディでした。監督はロベルト・シュヴェンケ。

元腕利きのCIAの諜報部員フランク(ブルース・ウィリス)。今は年金生活者で、顔も知らない担当の年金係のサラ(メアリー・ルイーズ・パーカー)と、電話で話すのが唯一の憩いです。ある日見知らぬ男たちに襲撃されたフランクは、間一髪逃げ出し初めて会うサラの元へ。敵はCIAだと感づくフランクは、電話の盗聴からサラの身にも危険が及ぶと察し、半ば誘拐のような形で同行させます。何故命が狙われるのかわからないまま、かつての上司ジョー(モーガン・フリーマン)の元へ。やがて元同僚にしてライバルのマーヴィン(ジョン・マルコヴィッチ)、英国MI6の諜報部員ヴィクトリア(ヘレン・ミレン)、成り行きで米ソ冷戦時代の大物スパイ・アイヴァン(ブライアン・コックス)までが手を組み、謎を解明することになります。

夜中に自宅でキッチンに向かうフランク。足音もなく彼を狙う数人の武装した男たち・・・。その後がどうなるかは、もう予想通り。年食ったって、そこは伝説のCIAエージェント、その辺に転がっているメンツなんて敵じゃないのだね。毎度お馴染みの銃撃戦&爆弾投下ですが、こっちは老いぼれ、相手は新進の精鋭たちと思えば、木端微塵にしてしまう様子が爽快です。

元ソ連のスパイ、アイヴァンとのやり取りが楽しいです。ウォッカなんか酌み交わしちゃって、冷戦時代は今は昔の物語、CIAは存続していますが、KGBはなくなったんだもんね。優秀なエージェントだったジョーも、今は身体を壊して老人介護施設に身を委ねているし、マーヴィンなんか、若干(いや、だいぶかな?)頭がおかしくなってます。

しかし今はペンションの女主人のヴィクトリアは、静かな余生を送っているかと思いきや、「裏で仕事をしているの。現役の頃が忘れられない。人間って変われないものよ。」ですと。裏でしっかり「人殺し」をしている彼女が一番普通というこの不思議。アイヴァンなんか、「もう何年も人を殺していない・・・」としょげてたもんなぁ。この辺、ベトナム帰還兵などを描く「真面目なドラマ」なら、その悲劇を描くでしょうが、こちらお気楽コメディ、その辺は掘り下げず華麗にスルー。アイヴァンの「○○を殺せるなんて、夢のようだ」のセリフに爆笑した私ですが、スパイの性(さが)も、チラッと感じます。

ということで、スイッチが入ったが最後、このジジババたちの弾けようは、まるで幼稚園児の運動会のよう。この辺を演技巧者でならすお歴々が、実に楽しそうに演じています。ウィリス以外は、アート系作品でも常連ですが、腕のある役者の、モノの違いを見せつけられてとっても愉快です。

超特別出演に御年92歳のアーネスト・ボーグナインがに出演。もう本当にお元気でね〜、セリフ回しも滑舌よく、とてもお年には見えません。好々爺になった今も、特異な強面の風貌で数々の作品で名演技を見せていた片鱗もしっかり伺えて、とにかく嬉しくって。ボーグナインから見れば、フリーマンは男盛り。ウィリスやマルコヴィッチは青年ですね。だからあなた、現役CIAエージェントのウィリアム(カール・アーバン)なんざ、洟垂れ小僧な訳ですよ。しかし洟垂れ小僧の良いところは、若さに任せて正義感が強いこと。CIAの一員として、忠実に職務を全うするも、最後にいい仕事してくれます。

主役たちはみんな本当に良かった!最近この手の役柄が多いウィリスはお手のもので、まだまだアクションも大丈夫そう。フリーマンはやっぱり存在感抜群。セクシーハゲの第一人者・マルコヴィッチも、今回はお茶目な役で楽しませてくれます。私が感心したのは、ブライアン・コックス。愛嬌ある容貌でユーモラスな役柄でしたが、ちゃんと恋する男の純情さが滲んでいました。「彼女」に向ける眼差しに愛があるのよね。

そしてヘレン・ミレン。言わずと知れた大英帝国の大女優ですが、本当にカッコいい!60半ばの女が、「相変わらず色っぽいな」と言われて嫣然と微笑んだかと思うと、鋭い眼差しで獲物@人間をシュートするんですから、素敵すぎ。美貌はいつかは衰えるもの、女だって生きてきた年輪が大事だよってことですね。この人として女としての満点の現役感は、是非目指したいです。

忘れちゃならないのが、私が大好きなパーカー。押しの強いハリウッド女優が多い中、お芝居が上手なのに、決してでしゃばらない彼女。退屈な日常に飽き飽きしていたアラフォー女性サラが、夢か幻かの危機また危機の中、少しずつフランクと愛を育んでいく様子を、彼女ならではの控えめな演技で表現していて、良かったです。

アクションも老友たちに合わせて、趣向を凝らしていたので無理がありませんでした。終わってみりゃ、CIAやお国の批判も尻すぼみ、下手すりゃお安いコメディで終わるところを、スピーディーな演出と名優たちのお蔭で、いくつも格がアップしてます。誰が見ても楽しい作品です。こうやって、楽しく年を取りたいもんですねぇ。


2011年02月02日(水) 「スプライス」



先週の木曜日に見たのに、仕事やらパソコンが逝ってしまったりで、書くのが遅くなってしまいました。ちょろちょろこの映画日記で、亡くなった母の悪口を書いているバチアタリ娘の私ですが(母もさぞ草葉の陰で反省しているはず)、あぁお母ちゃんの子やねんなぁ・・・と、つくづく思い知るのが、この手の作品が大好きなこと。「エンブリヨ」とか「ドクター・モローの島」とか「ザ・フライ」とか「スピーシーズ」とか(もうええって)。要するにいかがわしいホラーやミステリーです(ポイントは「いかがわしい」)。まぁね、高校生と小学生の娘を連れて、「悪魔のいけにえ」を見に行くような人でしたから(さすがに後で後悔していたが)、私も筋金入りということで。好事家には絶賛、一般の人には気持ち悪いと真っ二つの作品です。私は面白かったけど、もうちょっと描きこんだら傑作だったのになぁと、ちょっと残念な気持ちも。監督はヴィンチェント・ナタリ。

化学者のクライブ(エイドリアン・ブロディ)とエルサ(サラ・ポーリー)夫妻は、医薬品企業の援助を受けて新製品の開発に取り組んでいます。まずは動物同士のDNAを掛け合わせて、オスとメスの「ジンジャーとフレッド」の開発に成功した二人は、企業から止められていたのにもかかわらず、人間と動物のDNAを掛け合わせた生物の開発に取り組みます。生まれたのはメスのドレン(デルフィーヌ・シャネアック)。公表するわけにも行かずドレンを育てていた二人ですが、発覚しそうになり、ある廃屋へドレンを匿うことにします。

のっけから、気色悪いジンジャーとフレッドを観て「なんて可愛いの」と、うっとりするポーリーに、お前、頭おかしいだろ?と突っ込みましたが、これは序章でございまして、以降エルサは頭はいいけどイカレた女を爆走。人間と動物のDNAを掛け合わせるなんて、倫理上大変問題なのは素人でもわかります。で、クライブはのらくらエルサを止めますが、全然ヨメは聞かず。おい、しっかりしろよ、亭主だろ!と情けなくなり、ヨメにはちったぁ亭主の言うことも聞け!といらいらしていたら、生物誕生。ドレンと名付けます。



出てきた時こそ得体の知れない生物でしたが、段々と人間もどきになってくるドレンちゃん。キモカワ系です。ひらひらのワンピースなんか着せちゃって、まるで母のように甲斐甲斐しく世話をするエルサ。この辺はね、確かに「生みの親」なので、とても気持ちはわかる。ドレンちゃんもしっかりなついて、抱かれる様子や発熱時の弱々しい様子など観て、ワタクシも思わずこの子なら飼いたい、いや失礼、育てたいなと思いました。この母性のツボを刺激しまくる演出は、やっぱ異形の人を愛するプロデューサーのギレルモ・デル・トロの意向でしょうか?

知性や人格を持ち始めたドレンちゃんは、段々とキモカワからキモ美し系に。画像左がドレンちゃんの全容。膝から下は鳥みたいで、尻尾もありますが、膝から上は普通の女性。顔はヒラメ顔でスキンヘッドです。これに格納式というか、感情が高ぶると自然に羽が出てきて、このビジュアルはなかなか美しいです。気持ち悪い寸止めで、奇妙な美しさがあり、私は好きでした。




1分が1日に相当する速さで成長するドレン。言葉は話せませんが理解は十分出来て、喜怒哀楽や情緒も成長していきます。幼稚園の子が書くような幼い絵でクライブを描くドレン。外に行けず廃屋に一人きりの寂しさに耐えかねて逃げ出そうとしますが、「愛しているよ」というクライブの言葉に引き返します。育てる過程で愛情の湧いてきたクライブにとっては、父性から出る「愛しているよ」ですが、ドレンにとっては別の意味。

そして予想通りの成り行きに。確かにインモラルの極みですが、私は自然な流れと受け止めました。ワタクシ「スピーシーズ」でも、マイケル・マドセンが好きなシルの切ない思いに同情したり、どーもバケモノに感情移入するきらいがあります。「やっていいことと悪いことがあるわ!」と、お前が言うなの好き勝手し放題のエルサより、寂しい我が身を猫に重ねたり、クリリンのような頭にティアラを飾っても、似合わない自分に哀しみを覚えるドレン切なさの方が、私にはポイント高し。エルサなんかより、よっぽどまし。こんなヨメもっちゃあね、亭主だってね、(以下ネタばれのため省略)。(こんな感想を持つ時点で私もかなり変。)

と、まずまず面白いのですが、キーポイントにエルサが昔実母に虐待された過去を持つというのを持ってきているのです。ここが描きこみ不足。従順な時は猫可愛がりするのに、ちょっと反抗されれば激怒、虐待まがいのことまでするエルサ。実母の気質を受け継いでいるような描き方ですが、葛藤が薄いです。彼女が何故この実験に執着を燃やしたか、クライブにより説明をさせますが、そうじゃなくて、過去をフラッシュバックさせるとか、エルサに重点を置いて行間を深く描くとか、もう一工夫欲しかったです。他に「人間外」の自分に対してのドレンの怒りや葛藤も掘り下げて欲しかったな。ここで描きこんでいたら、伝説のカルト映画になったと思います。

それをしないならば、もっと血みどろにしなきゃ。ジンジャーとフレッドのなれの果てには、おぉ!なかなかやるわいと思いましたが、それ以降殺戮描写はぐっと少な目。野兎を食べるドレンの姿には期待できたんだけどなぁ。

とっても「ローズマリーの赤ちゃん」なラストは、私はto be continuedと見たけど、どう〜かな?しかし今回の一番の収穫はエイドリアン・ブロディ。最近怪優街道まっしぐらのオスカー俳優ですが、私にとっては別にどうということもない俳優。しかしこの作品ではツボに入りまくりで、初めて萌えてしまいました。何故うっとりしたかと言うとだね、優しく誠実で優柔不断。しかし決死の時には腐っても男の意地を見せるインテリ男です。もう私の趣味にぴったり。冬の寒空に上半身裸の情けない姿で妻を追いかけるなんて、素敵過ぎて涙なくして観られません。ドレンちゃんの抜群のキモカワさと並んで、観て良かったわ〜と思わせてくれました。

ということで、キワモノホラーとしては、私には少々パンチ不足でした。あぁ〜、トラウマになるような作品に巡り合いたい・・・。


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