ケイケイの映画日記
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2010年08月19日(木) 「キャタピラー」

2010年、主演の寺島しのぶが、ベルリン映画祭で主演女優賞を獲得した作品。戦争により翻弄された夫婦を軸に、反戦を描く作品という触れ込みでしたが、妻の描き方は良かったものの、夫の描き方が食い足りず、そのため反戦の印象も散漫になった気がします。監督は若松孝二。

戦時中の田舎。シゲ子(寺島しのぶ)の夫・久蔵(大西信満)は、戦地で四肢を失い、顔は火傷で半分焼けただれ、耳も聞こえなくなった体で帰還します。お国の為にこのような体になったと、軍神と崇められ、勲章をつけられて。以来夫の世話をするシゲ子も「軍神の妻」として、夫の介護とともに不自由な生活を余儀なくされます。次第に夫への愛憎を募らせていくシゲ子は、やがて夫をいたぶる様になります。

84分と短い作品なので、興味本位で観られるであろう久蔵の姿は、すぐに画面に登場します。田んぼに飛び込む半狂乱の妻。夫への哀れと、これからの生活への絶望感がない交ぜになったその姿は、早くも寺島しのぶの演技派女優の力量を見せつけます。

出征前、妻にたびたび暴力を振るっていた夫は、四肢を失い言葉を失っても尚、言葉なき声で妻を威嚇します。旺盛な性欲と食欲に閉口しつつ、懸命に尽くす妻。

戦争で障害者になった夫を、妻の視点で観ると、全く文句ありません。この夫婦、妻に子供が出来ない事から、理不尽に夫から暴力を受けていた描写もあり、元から円満な愛し合う夫婦ではなかったようです。しかし夫婦と言うのは不思議なもので、憎しみはお互いあっても、情と言うのは残るもの。

帰還の日、夫の姿に嘆き戸惑っていた妻が、尿意を訴える夫の放尿を確認して思わず微笑むシーンが秀逸。夫の生を確認した瞬間です。夫婦の営みも、最初は夫の要求に応えての無機質な排泄行為のようなものから、段々愛撫めいた所作が入り始め、ちゃんとしたセックスになって行きます。「まだですか?」と、うんざりした様子を見せながら、妻が夫の性を征服していくことに快感を感じ始めているのがわかります。

そして食。物資の不足している折り、皆が満足に食欲を満たしてはいないのですが、夫の要求に不承不承ながら、自分の器からも夫に与える妻。同じ食器で同じスプーンで、夫の口の端の食べこぼしも、妻は自分の口に運びます。この夫婦、愛は少ないのでしょうけど、しこたまの情はあるのです。特に妻が。この辺の描き方は過不足なく、血より濃い夫婦の不思議が、異常な背景を元に秀逸に描かれます。

世間の「軍神の妻たれ」という強制を逆手に取り、貞淑に尽くしているように見せて、いやがる夫を世間の晒しものにし始める妻。当然ながら二人の力関係は逆転して行きます。一見サディスティックに見える妻ですが、これは彼女なりのストレス発散であり、いたぶった後に妻が泣きじゃくりながら夫を抱き締め、「寝て食べて寝て食べて、二人で生きて行きましょう」と号泣する場面には、思わず涙が出ました。

誤解を恐れず言えば、セックスの相手をすること、おいしいご飯を作って食べさせる事、もし妻に二つしか求めてはいけないと夫たちに問えば、この二つが残るのではないでしょうか?妻に取って、食と性を満たすと言う事は、お互いが夫であり妻である確認でもあったのでしょう。執拗に出てくるセックスシーンを観て、私が感じた事です。

しかし一方夫の心情の掘り下げが甘いです。大西信満は熱演していていましたが、描き方に工夫がないです。妻になぶられる屈辱は表現していても、その後媚を売るような所作がないです。妻がいなけりゃ生きられないんですから、もっと卑屈さが滲む場面があってしかるべきでは?

そして何度も繰り返される戦場でのレイプシーン。勝ち誇って上に乗る妻の顔に、当時の自分を思い出し、初めて彼女たちの恐怖と屈辱感を知ります。しかし戦場のトラウマはこればっかりです。昔の記録フィルムがたくさん画面に流れましたが、それより夫の戦時下の回想シーンを織り込む方が、効果的だったと思います。

そしてこの夫、妻に対して怒りを向けるばかりで、感謝も謝罪も描写するシーンがないのです。上に乗る妻に鬼畜だった自分を思い起こすなら、殴られながら抱かれていた妻の哀しみは、何故レイプされた中国女性とシンクロしないの?レイプされる中国女性と、自分の妻は変わらなかったのだと何故気付き、悔恨しないの?自分勝手なままです。自分の罪深さは、戦争より以前にあったのだ、その傲慢な心が戦争を肯定することになったのだと、私は夫の変貌が観たかったのです。

そしてラスト。最後まで夫は私の望む姿は見せてくれません。戦時下の国民感情とは、お国のため、天皇陛下のための御言葉の元、人間の持つ倫理観や道徳観、感情を、国を挙げて壮大なマインドコントロールした結果じゃなかったのでしょうか?

それを解くのは、極めてパーソナルな出来ごとでは無かったかと思います。ビジュアル的には衝撃的でも、夫の心の軌跡に変化が乏しく、観ているこっちに、訴える部分が少ないのです。妻が心の拠り所にしていた、何度も出てくる「お国のため」と言う言葉、煽情的に映す昭和天皇・皇后の写真や勲章より、夫の心情をもっと掘り下げる方が、反戦の意味が深くなったと思います。

出てくる度にいらいらした篠原勝之や、元ちとせの歌は要らなかったと私的には感じました。大量の戦時下のフィルムも。その分、病弱で徴兵にはじかれた久蔵の弟の苦悩や葛藤を、もっと描いた方が良かったかと思います。

でも寺島しのぶは本当に素晴らしい演技でした。水準以上には感じる作品でしたが、そのほとんどは彼女のお陰かも?夫婦ものとしては秀逸、反戦ものとしては、監督の自己満足が過ぎる作品であったように感じます。


2010年08月16日(月) 「ゾンビランド」




実は先々週の木曜日に観ています。ダメだなぁ、最近。コメディだと聞いていたのに、何故15R?と謎でしたが、そこはほれ、きちんとゾンビもののセオリーを踏襲、人肉食いちぎり内臓ドバドバなシーンもあり、なるほどと納得(ちなみにニューカマーの全速力ゾンビ)。笑いあり涙ありロマンスありの秀逸なロードムービーになっており、ゾンビマニア以外の方にも(内臓ドバドバも大丈夫であれば)お勧め出来る作品です。監督はルーベン・フライシャー。

突如猛威を奮うゾンビウィルスのため、「ゾンビランド」と化したアメリカ。引きこもりの大学生コロンバス(ジェシー・アイゼンバーグ)は、自ら作った「32のルール」のお陰で、何とかゾンビにならず生きながらえていました。長らく会っていなかった家族が心配になった彼は、故郷を目指す事に。その途中でゾンビ退治に命を燃やすタラハシー(ウッディ・ハレルソン)と知り合い、同乗することに。途中詐欺師姉妹のウィチタ(エマ・ストーン)とリトルロック(アビゲイル・ブレスリン)とも、ひょんな縁から同行することになります。

爽やかなゾンビ映画。ゾンビ映画の様相を呈しながら、実は引きこもり青年の成長、過去の傷のある男の再生、詐欺師姉妹の本当は心細く純情な心情を、とってもヘンテコに浮き彫りにしています。そのヘンテコぶりやヘタレぶりがとにかく笑わせてくれます。笑わせながらやがてしんみり、涙を誘ったり心がホカホカするんだなぁ。

この辺りがセンス抜群なわけでもなく、泥臭いわけでもなく、半歩進んでいたり、下がっていたりで、絶妙のお笑いの間合いでした。でも私は本当に楽しんだんですが、何故か私の観た梅田シネリーブルは、ちょっとクスクスくらいで、私のバカ笑いが恥ずかしいのなんの。何故大阪の客はノリが悪いんだ?

ハリウッドへ渡って、とあるビッグゲストが出て来たりのお遊びのあと、一行は一路パシフィックランドなる遊園地へ。ここに来るには苦しい言い訳がありますが、もうそんなの完全に不問。ここでのゾンビとの攻防戦が楽しいのなんの。全力疾走ゾンビである利点を生かしまくって、遊園地の絶叫マシーンに自分も乗り込んでいる気分にさせてくれます。

それともう一つの気に入りは、とにかくハレルソンがカッコイイ!私はまだ彼に毛がふさふさしていた頃の「ラリー・フリント」が一番好きなんですが、それと同格くらい、この作品の彼が大好きです。何とワタクシと同じ年、丑年です。一見イカレタ禿げ親父と見せかけて、ゾンビを仕留める時のガンさばきなんてね、あの渋さと流麗さが混濁する様子なんて、若造には真似できませんて。やっぱり男は(以下省略)。

若造と言えばアイゼンバーグ君。「イカとクジラ」「ハンティング・パーティ」を踏襲した役柄でしたが、今回は何故か素の彼の素敵さが透けて見えました。今まで以上にヘタレで貧乏くじっぽい役なのに。これすなわち彼の俳優としての成長なのでしょう。あの鳥の巣のような髪をばっさり刈り込んだら、多分ハンサム君だと思いますが、当分この路線で「この役はアイゼンバーグしかいない」を確立してから、次に飛躍するのもいいかも。

エマ・ストーンは初めて観たけど、ちょいビッチ&なかなかセクシーで良かったです。まだ若いんですが、何故か退廃的な匂いも醸し出し、私は本当は15歳でアビゲイル産んだお母さんだったんだ!というオチがあるのかと思っていましたが、普通に姉のままでした。アビゲイルはだいぶ大人っぽくなっていて、ちょっと憂いも出てきていました。次に会う時が楽しみです。

ベスト10に入る傑作とか、そういう作品じゃないけど、全米で大ヒットは肯ける出来。この手の、マニアから普通の人まで満足(そこそこではなく)出来て楽しめる作品は、そうないですから。暑気払いに是非劇場でどうぞ。


2010年08月02日(月) 「インセプション」




「シャッターアイランド」に続き、レオがまた死んだ嫁に振り回されるお話を、壮大な演出で中身は適当に描いた作品。まずまずでしたけど、もっと面白くは作れたと思います。私はホームドラマ的な味付けより、社会派的な味付けの娯楽作にした方が良かったと思います。監督はクリストファー・ノーラン。

コブ(レオナルド・ディカプリオ)は、他人の夢に侵入して、そのアイディアを盗むのが仕事。アーサー(ジョセフ・ゴードン・レヴィット)を相棒とし、その技術は卓越していました。その力を買ったサイトー(渡辺謙)からある仕事を依頼されます。それは大企業主であるフィッシャー家の跡取りロバート(キリアン・マーフィー)の潜在意識に潜入して、アイディアを植え付けるという”インセプション”と呼ばれるものでした。妻モル(マリオン・コティヤール)殺しの嫌疑をかけられ、家に帰れず子供たちに会えないコブは、これを最後の仕事とし、子供たちの元に帰るべく、この仕事を引き受けます。コブ、アーサー、サイトーの他、設計士としてアリアドネ(エレン・ペイジ)、偽装師としてイームス(トム・ハーディー)、調合師としてユスフ(ディリープ・ラオ)が集められます。

要するに夢の中に侵入して、その人の潜在意識に潜む事を盗んだり、植えつけたりを仕事にしているわけです。もっとわかりにくいかと想像していましたが、この辺は最初こそあやふやな仕掛けになっていますが、だいたいが眠りにつく前フリがあるため、これは夢だなとわかります。ただ夢の中でもまた夢、そのまた夢と続きます。私がわかったのは、最大4段階くらいかな?

夢の中で構築なので、何でもありなわけです。天地がひっくり返ったり、重力がなかったり、その想像の産物である造形は、「マトリックス」がアクション面で想像を活かしていたなら、こちらはシチュエーションや壮大な景観で表していて、面白かったです。唯一雪山のシーンだけ普通のアクションで、なんじゃい!と思っていましたが、映画友達の方によると、監督が「007」をやりたかったんだって。そういうお遊び(にはなっていなかったけど)なら、許してあげましょう。お遊びと言えば、彼らが夢から目覚めるための音楽が、エディット・ピアフの「水に流して」なのは、ピアフの役でオスカー女優となった、コティヤールへのプレゼントなのでしょうね。

と、視覚はOKなんですが、問題はストーリー展開。コブが夢の中で仕事に励んでいると、必ず出て来て邪魔するのが、亡き妻のモル。これは妻の死に罪悪感のあるコブの投影なのです。この辺をどう見るかで、かなり観方が分かれそう。私は女々しく感じました。だって死んだ嫁に振り回される夫@レオを、短期間に二回続けて見せられてもなぁ。

自分の罪悪感や子供会いたさに、チーム全員の生命の危険を冒すリーダーなんて、私ならバッテン差し上げます。もうちょっと冷徹だった方が良くないか?勝手にコブの夢の中に入ってきて、彼の秘密を知るや、「あなたはもっと自分と向うべきよ」と、したり顔で語るアリアドネ。お前みたいな小娘に言われたくないわ。コブも怒れよ、納得すんなよ。このセリフ言わすなら、義父のマイケル・ケインか、サイトーじゃないの?アリアドネは、もっと才気走った小生意気な部分を強調した方が、魅力的だったと思います。

物語的に深みを出すなら、父と確執のあるロバートの背景を掘り下げて描いた方が良かった気がします。父の腹心にトム・べレンジャー(久しぶり!嬉しかった!)のような、善でも悪でもやれる役者を配したんですから、彼が敵が味方か、夢の中ではなく現実とクロスして、社会派的な企業買収の表裏を切りこんで描いたのを、私は観たかったです。

ジョセフ・ゴードン・レヴィットやトム・ハーディー、キリアン・マーフィーなど、脇を固めた俳優たちがとっても素敵で、主役のレオより数段良かったです。特に良かったのはゴードン。オールバックのひ弱なインテリ風の外観とミスマッチのアクションのキレも良く、なるほどこれは有望株だなと感じました。それと渡辺謙の役は日系人である必要はなく、彼をキャスティングしたかったから作った役でしょう。これは本当に堂々ハリウッドスターになったんだなと、ちょっと感慨深かったです。

ラストのオチは、観る人によって分かれるんでしょうね。私は「続き」だと思いました。それってアンハッピーみたですが、コブにとっては、一番のハッピーエンドのような気がします。


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