ケイケイの映画日記
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2007年04月30日(月) 道頓堀東映閉館レビュー

先日二日間通った道頓堀東映の閉館レビューが、お友達のFさんのサイト、「DAY FOR NIGHT」のコンテンツ、Theater's Cemeteryのコーナーにアップさせていただいています。

「道頓堀東映」閉館レビュー
  (クリックしてね ↑)

2004年11月には、心斎橋シネマ・ドゥの閉館レビューも書かせて頂いたのに続き、二回目です。

「心斎橋シネマ・ドゥ」閉館レビュー

今回の道頓堀東映と角座の閉館で、最盛期は8館だった道頓堀の映画館は、全てなくなりました。ミナミ地区は地下鉄・近鉄難波駅付近になんばTOHO、南海難波駅付近になんばパークスの二大シネコンが中心となって、千日前に敷島シネポップ、千日前国際劇場、千日前国際シネマ、心斎橋にシネマートとなりました。正直なんばパークスにミニシアターではなく、またシネコンが必要だったのかと言われたら、個人的には疑問なのですが、大阪の皆さんいかがでしょうか?

同じ観るなら綺麗な劇場でと思うのは、誰しも同じです。歴史のある映画館の閉館に寂しさを覚えつつ、これも時代の流れで仕方ないのでしょう。しかし今回の閉館上映に詰め掛けたお客さんは、閉館だからというだけではなく、古い名作を劇場で観たいと思った方も多かったはず。シネコンの一番小さなスクリーンで良いので、旧作を常に上映するスクリーンがあればなぁと、切に望みます。


2007年04月29日(日) 「狼少女」(DVD鑑賞)

昨年とっても観たかったのに見逃した作品。ちょうど手術で入院する前日から一週間だけ、テアトル梅田でモーニング上映でした。入院前日の土曜日は仕事を休ませてもらったので、観に行こうと思えば行けましたが、うちの夫は普通の人なので、そんなことをすれば、後々何を言われるかわからないので、涙を呑んで止めました。その後映画館復帰後は新作を追いかけるのに忙しく、すっかり忘れていたのですが、高知のオフシアターベスト10で、日本映画の1位に選ばれた聞き、また観たい気がむくむく。「仁義なき戦い」の一作目といっしょに、久しぶりにレンタルしてきました(どんな組み合わせやねん)。正直に言うと細かい難点もいっぱいで傑作とは言い難いのですが、同じくらい繊細に子供達の心もすくい取り、視点が常に子供の目線であるのが素晴らしく、この小品を1位に選んだ高知の映画好きの方々の目の高さと暖かさに、敬愛の念が湧きました。

昭和40代年から50年代くらいの、とある田舎町。小学四年生の大田明(鈴木達也)は、この町で新聞記者の父(利重剛)と専業主婦の母(大塚寧々)と暮らしています。明は今、神社の境内でテントを張る見世物小屋が気になってしかたありません。そんな頃東京から手塚留美子(大野真緒)が転校してきます。利発で垢抜けた留美子は、すぐクラスの人気者に。このクラスにはもう一人、貧しく汚い格好のため、いじめの対象になっていた小室秀子(増田玲奈)がいます。クラスメートは、見世物小屋に出ている「狼少女」は、秀子ではないかと噂しあいます。

時代がだいぶアバウトなのが、一番の難点です。見世物小屋の代金が子供80円大人150円というのは、昭和30年代の終わりも匂わせますが、田舎田舎と何回も出て来る割には、子供達の服装など結構おしゃれであまりその時代を匂わせません。ゲイラカイトは確か私が中学に入るか入らないかの時分に出てきた凧ですが、それなら昭和40年代末。その割には秀子の不潔な身なりは余りにすさまじく、私は昭和36年生まれですが、あのようにぼさぼさのざんばら髪、皮膚疾患もそのままの子供は、あの時代にも見かけた記憶がありません。

画面に出て来る秀子の母(手塚理美)や幼い下の兄弟たちの身なりは秀子ほどひどくなく、これはどうしたわけ?父親は出稼ぎのようですが、いくら病身の母という設定でも、内職出来るのですから、娘の髪を梳いてやるくらいは出来るでしょう。体の早熟な秀子がブラジャーが買えず、留美子からお古をもらうのですが、そのことを秀子の母は、貧しくとも施しを受けてはいけないと娘に諭します。それは清貧の心を秀子に教える良い場面として挿入してありましたが、あのような不潔な身なりの娘に平気で、「仕事(朝晩の新聞配達)に遅れるよ」と声をかける無神経な母親に、そんなこと言えた義理かと私は少々憤慨。それに仕事に遅れるのはいけないのに、兄弟の面倒をみる為学校は遅刻していいの?そんなのおかしいよ。まだ小学生なのに家庭の犠牲にして、心が痛まんのか?優しく凛とした母のように表現していますが、私はこのお母さんは全然共感出来ませんでした。

対する明のお母さんは、専業主婦からの自立にもがき、秀子の母が30年代なのに対し、こちらの母の憂鬱は、昭和50年代からテーマになってきたもので、この辺の整理が出来ていません。大目にみて、明の父が電車賃として差し出す500円札は、このアバウトな時代設定を全て網羅して流通していた記憶があるので、全部を表したいのだという事で納得しましょう。明の両親の夫婦喧嘩の内容も、昭和を象徴するようなものでした。今なら、「子供のことは全てお前に任せているだろう!」と妻に怒鳴る夫など、ぶっ飛ばされますからね。

対する子供達の描き方は素晴らしい!ジャイアンがいて、スネオがいて、のび太くんがいて。意地悪で群れたがる女子気質もきちんと描けています(女性トイレで髪を整える子は、平成の女子だと思うけどね)。

小4というのは、女子の方は早い子は体の変化が現れ始め、それと同時に心も思春期に突入して行きますが、男子の方はまだまだガキンチョ。そして大人びて賢くなってもいくけれど陰湿にもなる女子対し、男子はあくまでおバカで健康的。その男女アンバランスな小学生の日常が、放課後の遊び、授業、寄り道の様子などで存分に描かれていて、懐かしさが込み上げます。
上に書いた胸が膨らみ始めた秀子の件は、秀子初登場シーンから私は彼女の胸の膨らみが気になっていたので、きちんと幼い性への関心と戸惑いが描かれていたのも、良かったです

秀子に肩入れする留美子は、彼女を守ろうと自分が気になる明も誘います。しかしそのことで明と秀子が噂になると、それぞれが自分の心をもてあまし、微妙に三人の関係に影を差すのが、大人の私が観るととても微笑ましい。好意と恋の間のような描き方に好感が持てます。

留美子には秘密がありました。観客にはそれがどんな秘密か、伏線が張ってあるのでだいたい予想がつきますが、彼女の賢さ、優しさ、強さがこの秘密にあると思うと、本当に切ない。「私は秀子ちゃんを可哀想だとは思ったことはありません。秀子ちゃんが大好きなだけです」と言う手紙に込められた、ありったけの留美子の想いに私は号泣。「カポーティ」で、カポーティは、自分とペリーを重ねて、自分は玄関から家を出て、ペリーは裏から出て行った人間だと表現しました。留美子も秀子と自分を重ねたのでしょう。秀子が玄関、自分は裏からと。

出演者はみんな良かった!子供達はみんな伸び伸びと演じて、とても好感が持てます。特に留美子役の大野真緒はきりっとした整った顔立ちから表の留美子を表現しながら、彼女の心の内の陰りもきちんと表現出来ていて、一番印象に残りました。田口トモロヲが留美子に寄せる優しさと情が、私には救いでした。留美子の生命力の強さを、陰で支える人のように感じました。先生役の馬渕英里香も、子供達を引き立てる演技で好感が持てました。

人というのは何かを背負って生まれてくるものでしょう。それは留美子だけではなく、秀子だってそう。明の家庭は決して豊かではないけれど、二人に出会ったことで自分の境遇に感謝し、それぞれの人の痛みを知ったのではないかと思います。それは明だけではなく、ガキ大将たちや他の子供たちもそうだと思います。そう信じさせてくれる平凡ですが素晴らしいラストの光景に、私は号泣。学校とは勉強や社会に出るための知識を身につけるだけではなく、豊かな心も成長させる場でもあって欲しいと、昭和の学校の風景から切に感じました。


2007年04月26日(木) 「ロッキー・ザ・ファイナル」


「ロッキー」世代の男性を感涙させているこの作品、本日観てまいりました。予告編で挨拶しているスタローンにほだされての鑑賞ですが、もういっぱい泣いちゃった。映画と音楽の、切っても切れない関係も再認識させてくれる作品です。

今はフィラデルフィアで、小さなイタリア料理レストランを営んでいるロッキー・バルボア。元チャンプの彼は、店で客の求めに応じ、昔の対戦の様子を語っていました。平穏な毎日ですが最愛の妻エイドアンは既に亡く、一人息子ロバート(マイロ・ヴィンティミリア)とは疎遠。彼の心は穴が空いたようです。そんなある日、現チャンピオン・ディクソン(アントニオ・ターヴァー)と昔の彼をシュミレーションで戦う様子がテレビに流れ、ロッキーの闘争心に再び火が点きます。

私はこのシリーズは、最初と2をテレビで観て、後は未見です。もちろん「ロッキー」は好きですが、それほど思い入れのある作品ではありません。なのにオープニングに例のテーマソングが流れ、スクリーンにでかでかと、「ROCKY BALBOA 」 の文字が浮かぶと、どうしてかとっても気分が高揚するのです。これは30年以上、このテーマソングがいかに大衆に親しまれ、あらゆる「燃える」場面で耳馴染んだかということでしょう。

エイドリアンの死に打ちひしがれ、まだ受け入れられないロッキー。ただの長年連れ添った妻を失っただけではない、二人の馴れ初めからを知っている観客は、絶対しんみりするはずです。しんみりしているところに、あの場所あの場面、若き日のロッキーとエイドリアンの姿が挿入され、しんみりが倍層で胸が痛くなってきます。

息子ロバートは、いつも偉大な父と比べられ葛藤がありました。親子関係は組み合わせによって微妙に変化し、ただただ溢れる愛情をお互い注げば良い「東京タワー」のような母と息子とは違い、父と息子というのは、基本形はハードボイルドなんじゃないかと思います。父親が息子に望むのは、母親のようにあるがままの子供を受け入れるのではなく、自分を超える人間に成って欲しいと思うものでしょう。偉大な父を持つと、そこから逃げたくなるのも当然。この辺は演じるヴィンティミリアも好演で繊細に描いています。親父に説教されて、すぐに心を入れ替える様子はちょっと早すぎるけど、エイドリアンが育てた子ですもの、きっと素直な良い子なんです。

若い世代の葛藤は、強すぎて人気がないディクソンも描かれます。尊大な彼が老トレーナーに諭される場面は、良い風景として心に残ります。これがないと、いやな野郎で終わってしまいます。

ディクソンとのエキジビジョン試合が決まり、トレーニング風景が映されます。あの美術館でのランニングもあり、必死にスタローンがトレーニングする姿に、やっぱり涙が流れる私。おかげで還暦のスタローンの体は見事こんなに。



新しい恋の始まりを予感させる女性が出てきますが、彼女はエイドリアンが結びつけたような女性。ディクソンとの試合の時に、「お守りに店から持ってきたの」というのは、エイドリアンの写真。この行き届きまくったあの演出この演出に、ほとんど心を弄ばれているような気分になる私。

ディクソンとの試合の様子は大変見応えがあります。手加減はあるでしょうが、画像のように本当に打ち合っています(ディクソン役のターヴァーは、前ライトヘビー級チャンプ)。筋書きは予想通り。そんなわけないじゃん!なんですが、もうどうだっていいのだ、そんなこと。ロッキーの全てを賭けて戦う様子に泣きながら見入る私。

ロッキーは過去に栄光もあり、店も繁盛、人々からも未だに「あのロッキー・バルボア」として人気があり、何も不足のない人生に思えます。この復活劇は、エイドリアンを亡くした寂しさをまぎらわすためのものなのでしょうか?私は違うと思います。

ロッキー・バルボアは、シルベスター・スタローンなんです。

ボクサーに復活し、現役チャンプと試合する老兵ロッキーは、世間の笑いものになります。それはこの作品の製作を聞いて、何を今更と嘲笑されたスタローンと同じです。下積みの貧しい時代があった、成功した、人生のピークを迎えた、下降した、そしてまた小さく復活。ロッキーの人生はスタローンの人生とぴったり重なります。人生に遣り残したことがあるというのではなく、まだまだ燃え尽きない自分がいるのでしょう。ロバートは父に「心は年を取らないということを、見せてやって」と言いますが、スタローンはもう一度自分の原点であるロッキーになることで、それを実証してみせたのではないでしょうか?この作品も観る前はラジー賞一番候補だったのが、ふたを開ければ大好評です。ただの懐古趣味に浸るのではなく、人はいつまでも未来に向かって歩けるのだと、実感出来る作品です。

タリア・シャイヤは、幽霊でもいいから出たかったそうですが、こんなに作中で存在感がいっぱいなんですもの、許してくれるでしょう。ポーリー役のロバート・ヤングも相変わらず良い味で健在です。スタローン渾身のこの作品、観る方も熱い心を受け取り若返りましょう。


2007年04月24日(火) 「ハンニバル・ライジング」


前半兜や面を拝む場面が出てきて、このまま格調高いトンデモ作品に終わるのか?と危惧しましたが、それ以降は厚みはないけど、こじんまりまとまって、まずまず面白い作品でした。一番の功労者は、若きハンニバルを演じるギャスパー・ウリエルに尽きると思います。映画はそれなりでしたが、彼は本当に素晴らしい!

1944年のリトアニア。幼いハンニバル・レクターは、戦争で両親を亡くし、妹ミーシャと、山小屋で隠れ住んでいました。そこへやってきた逃亡兵たちにミーシャは殺害され、あることでハンニバルだけが生き残りました。このことが心の傷となり、誰にも心を開かず孤児院で成長したハンニバルは、やがて孤児院を脱走。両親の手紙を手がかりに、叔父の元に辿り着きます。叔父は既に亡くなっていましたが、彼の妻ムラサキ(コン・リー)の手厚い愛情の元、彼は医学生となります。しかしハンニバルは、逃亡兵たちへの復讐を心に秘めていました。

食人鬼ハンニバル・レクター誕生には、こんな哀しい妹との秘話があったんですねぇ。映画史上稀にみる高貴で知的な彼らしい生い立ちも描かれます。幼いハンニバルと妹を演じる二人がとても可愛いです。

全体に話としては、まとまっていますが、ややヌルイです。ハンニバル第一の殺人から警部さんが絡んでくるんですが、この人を上手く使いきっていないし、だいたい次の見通しもつく展開で、意外性はありません。サスペンスとしては可もなく不可もなくと言ったところ。殺人の方法も、まぁあんなもんかな?そんなに目を覆うような場面もなく、グロはほどほど(でもそれは、グロには強い私だから?一応R15作品)。流血もそんなにありません。ただしミーシャの場面は、何も映さないのですがかなり戦慄します。

レディ・ムラサキという素人さんの奥さんが、何故花魁の源氏名のような名前なのかはさておき(いや、本当に芸者上がりか?)、あのご先祖様の祀り方は、多分欧米の方々にはオリエンタルな黒ミサにみえるでしょうね。ここは確かにトンデモでしたが、まっ、目くじら立てることもないと思います。もしかしたら、あのハンニバルの異常な戦闘能力の高さは、神仏のご加護があったのかも?だってムラサキと剣道の練習したくらいで、あんなに一級の殺人者にはならないですよね。

このムラサキさんというのも謎の人で、最初の彼の殺人を上手くカモフラージュしたのは彼女。そんなことをしておきながら、「赦すのよ」とか、矛盾しまくりの事を仰る。そしていくら自分も戦争で身内を亡くし、同じ境遇の孤独なハンニバルの心を慈しんでいるといっても、血も繋がっていない赤の他人なわけ。それを首チョンパの猟奇殺人ですよ、普通はドン引きですぐに家を追い出しますよね?彼を母性ではなく女として愛したというには、そんな濃密な空気は二人からは漂ってきません。何度も出て来る、意外と巨乳なコン・リー姐さんのネグリジェ姿で察して下さい、というのでは、ちと品が良過ぎます。

と色々文句垂れてはおるんですが、書いたこと全て、ギャスパー君で払拭されます。私は初めて彼を観たのですが、文句のつけようのない存在感と演技です。ヨーロッパの貴族階級風な高貴な気品があるし、冷酷さにも生い立ち故の陰りが必要なのですが、それもパーフェクト。そしてとにかく美しい!ジュード・ロウとかブラピとか、世に美しい男性は数々おりますが、こんなトイレに行かないような高貴な美貌は、最近トンとお目にかかれません。話が進むにつれ、目つきや台詞回しがアンソニー・ホプキンスに似てきますが、それも計算していたんでしょうか?

口を血まみれにする彼に、ドラキュラ伯爵を是非やって欲しいと思ったのが、私だけでしょうか?いや〜ん、絶対観たい!

とまぁ、ウリエル君ばっかり褒めた感想ですが、作品としてもまずまずの出来なのは確か。ウリエル君の美貌に魅かれるもんがある方は、是非ご覧になって、悩殺されて下さいませ。


2007年04月20日(金) 「仁義なき戦い 広島死闘篇」(道頓堀東映閉館上映作)

今日は患者さんさんが多く、12時40分上映開始なのに、地下鉄に飛び乗ったのが30分。遅れること10分でしたが、何とか連日の鑑賞に漕ぎ着けました。今日は上映終了後、北大路欣也の舞台挨拶があることもあり、場内は二階まで超満員。「三階では座ってご覧になれます」との劇場の人のお声かけで、この劇場は三階まであると知りました。三階で観るなんて、これからのご時世、もう多分ないことです。これも閉館上映のお陰と、人生初の三階からの鑑賞です。

昭和三十年前後の、広島を舞台のやくざの抗争劇。今回は前作「仁義なき戦い」の主演広能役の菅原文太は脇に回り、狂犬のように凶暴な大友勝利役の千葉真一と、敵対する組のヒットマン山中役の北大路欣也が主役です。

このシリーズも劇場は未見。やはりテレビでチラチラ程度で、ビデオでしっかり見た事もありません。だってさ、清純な乙女(だったはず)がですよ、こんな、出て来る奴出て来る奴、不健康そうでとてつもなく下品で柄が悪い、その上顔が濃すぎる、そんなの積極的に観ませんよね?でも観ていなくて良かったです。当時観ていたら、二度と観ようと思わなかったはず。だがしかし!この年になると、この異様にみなぎるギラつくパワーは、とても魅力的に感じます。

昨日観た「昭和残侠伝」など、任侠物の人気に陰りが見え始めた1970年代初めに、この作品が作られました。今日のトークショー司会者の浜村淳によると、明治から昭和初期を描く任侠物は、言わば時代劇だとか。なるほどなるほど。義理人情に厚く、決して恩ある人は裏切らない、それはやくざとしての理想や美学を具現化して見せていたのでしょう。

しかしこのシリーズは義理人情はどこへやら、利権や金が絡むと、寝返ったり裏切ったり、狡猾だったり凶暴だったり。どんなにご大層なことを並べようが、やくざはやくざ、人の命がとても軽く扱われる血みどろの世界です。その狭い世界で生きる彼等がもがき苦しむ姿を、これでもかこれでもかと残虐シーンを盛り込み描くリアルさが、観客に大いに受けたのは納得です。時代が昭和三十年前後というのもあって、今観ても充分面白いです。

実話が元の「実録物」の走りのこの作品は、流石に脚本にも無理がありません。ところどころドキュメントタッチのナレーションがニュースを思い起こさせ、お馴染みにBGMが聞こえると、観客も一気に広島弁の世界へ誘われます。

しかしストーリー展開の面白さもですが、とにかく登場人物のキャラが超個性的なのが一番の魅力です。千葉真一のキレた演技は伝説だと読みましたが、なるほど〜股間をぼりぼり、放送禁止用語連発、その凶暴さはほとんど○チガイ。魅了はされませんが、夢に出てきそうな迫力でした。北大路欣也はガッチリ女性ファンのハートを掴む哀しきヒットマンの役で、やくざの命懸けの純情が義理人情ではなく、女(梶芽衣子)だったなんて、やっぱりグッときますよね。若い時の北大路欣也、濃いけど暑苦しさのない、すんごい男前なので、それもポイント高し。様式美をなぞる高倉健&藤純子の額縁に入った悲恋の描き方も良いのですが、私は身を切られる痛さと、生々しい男女の情の濃さを感じさせた、この作品の北大路&梶カップルの方が、個人的には好きです。

このシリーズと言えば菅原文太なんですが、この作品は脇に回ったせいか、他の連中より健康的で筋の通った真っ当な人に感じました。有名な焼肉のシーンは、犬が映っただけで、観客席がドッと湧きました。こういうの、楽しいんですよね。

個人的に特筆すべきは成田三樹夫。穏健派で頭が切れるやくざの若頭の役でしたが、こんな気品のある男前だったなんて!知性も感じられて素晴らしく、役者では今回一番の収穫でした。良い役者さんだとは思っていましたが、こんなに素敵だったとは知らなくて、何か今まで損したなぁ。そういえばテレビの「影の軍団」では、この人麿っちゅうか、お公家さんの役だったんですよね。それも悪人の。

ちらちら作品を覆う戦争の影。この作品の登場人物たちは、終戦時血気盛んな思春期から青年までの年齢だったでしょう。今までの価値観が崩れ去り、日本の勝利を一心に願った熱い心の持って行き場が、その時の境涯により、正しい方向に導かれるか、このようにやくざに身を落すのかは、紙一重だった気がします。

トークショーでは撮影秘話として、北大路欣也が語るには、この作品に出たいと監督に直訴したこと、初めは千葉真一と役が入れ替わっていたが、それも自分の訴えで、交替したこと、カメラマンは元より、スタッフも役者といっしょに泥だらけで撮影に参加した話を聞かせてもらいました。とにかく現場は熱かったとか。近いうちに第一作をレンタルして、絶対観ようと思っています。
 
さて昨日の私の疑問ですが、浜村淳によると、今日の演目「明治侠客伝」は、侠客ものの最高峰だとか。恥ずかしながら全然知らない作品です。やっぱ私の知識不足なんでしょうね。でも五社英雄の作品もなく、「極妻」作品もなく、やっぱり物足りません。道頓堀東映52年の歴史に、10作品では明らかに上映作が少ないのが、一番の理由だったようです。しかし男くさい東映作品は、私には縁が薄かったと思い込んでいましたが、思い起こせばたくさんの好きな作品がありました。改めて数々の作品の思い出に浸れる、名残惜しくも楽しい閉館上映でした。


2007年04月19日(木) 「昭和残侠伝 死んで貰います」(道頓堀東映閉館上映作)

今日と明日とが、52年の歴史を誇ったこの劇場の閉館上映です。東映系のロードショー作品は、近場のラインシネマで観ることが多く、数えるほどしか通わなかった劇場ですが、なくなるとやっぱり寂しいもの。そういえばこの映画日記の記念すべき第一作も、この劇場で観た「死に花」でした。今では珍しい700席近い大劇場ですが、平日ながら今日は満員でした。

今回荒筋はカット。「昭和残侠伝」シリーズは、1965年から始まり、この作品も70年です。公開当時私は9歳なんで、もちろん映画館で観るなんてこともなく、テレビでやっていたら、チラチラ観た記憶があるくらいで、今回初めてちゃんと、伝説の花田秀次郎を観ました。

う〜ん、これが「義理と人情を秤にかけりゃ、義理が重たい男の世界」か!とにかくかっこいいの!たった85分の中に、男の義理人情あり、色恋あり、なさぬ仲の母子愛あり、ドスを振り回しての大立ち回りあり、健サンの歌ありと、とにかくお楽しみが盛りだくさん。これが見事に整理されており・・・ってなことはなく、ボンとセリフだけで説明してみたり、秀次郎(高倉健)と幾太郎(藤純子)の恋の始まりなんて、目が点になるくらい無理な話なんですが、作品にあっちこっち強引に連れまわされる幸せがあります。

秀次郎や重吉(池辺良)の義理を重んじる姿も素敵ですが、善人悪人、白黒はっきりついている中、私が印象深かったのは、山本燐一のやくざ。自分個人の私怨は、幾太郎の女心に免じて引き下がるも、一宿一飯の恩義のある親分の頼みは、善悪関係なく「義理」を重んじる姿は、やくざ社会の義理人情としては、すごく真っ当な気がします。秀次郎や重吉の自分の意地には拳を引っ込め殴られっぱなしになっても、恩義のある人の死には自分の命を投げ出す姿は、きっと当時の観客の心を、ドスドス鷲掴みにしたのでしょうね。女の私が観ても、あれだけストイックに堅気のなっていた重吉の、「ご一緒願います」にはしびれたもん。そりゃもう、劇場を出たら、肩で風切って歩きたくなりますって。

売られたケンカを買う時と買わない時の間が絶妙です。いや〜昔の男の人って素敵だわ!と思いましたが、男があんまり男気溢れると、ついて行く女も大変なもの。今の時代には少々軟弱な男子がマッチしているのかもです。

しかしやくざもんが堅気になるって、難しいんですね。切っても切っても過去が追いかけてくる姿、捨て置けない義理が、業のように感じました。こんなチョイ役であの人が!というくらい、キャストは超豪華。加えて子役時代の真田広之も出てきます(すぐわかった)。四の五の言わず、畳み掛ける監督の怒涛の手練手管に酔いしいれて観るのが正解の作品でしょうか?監督は娯楽映画の大家・マキノ雅弘です。一部場面が飛んだり、フィルムの劣化が激しかったりしましたが、大きなスクリーンで観られて良かった!当時の観客は、今回以上に一体化して観ていたのでしょうね。

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ところで、今回の上映は二日間で10作品上映です。

「わんわん忠臣蔵」
「俺たちに墓はない」
「昭和残侠伝 死んで貰います」
「男の勝負」
「ホタル」
「関のやたっぺ」
「0課の女 赤い手錠」
「仁義なき戦い 広島死闘編」
「十三人の刺客」
「明治任侠伝 三代目襲名」
「鉄道員」

以上です。これって52年間に遡る道頓堀東映のベストなんでしょうか?
「0課の女」は、ピンキーバイオレンスの名花・杉本美樹主演で、私も秀作と聞いていますが、このカテゴリーなら、池玲子作品じゃないの?というか、その前に志穂美悦子の「女必殺拳」は?というか、それ以前に藤純子の「誹牡丹博徒」は?彼女は絶対映画史に残る女優さんですよ。あれだけ東映に貢献した菅原文太の主演が何故ない?「広島死闘編」は「仁義〜」でも彼の主演じゃないし、「トラック野郎」や「まむしの兄弟」とか、シリーズものもたくさんある人なのに。健サンが東映のキングなのは異論ないですが、明らかに健サン三本は多すぎ。最近の作品を入れたければ、「ホタル」か「鉄道員」をどちらかを止めて、「バトルロワイヤル」じゃないの?「俺たちに墓はない」を入れるなら、「仁義の墓場」は?

と、中途半端に映画の知識があるもんで、何となくすっきりしません。この上映セレクトは、東映通及び映画通の方には異論はないんでしょうか?どなたかご指南いただければ幸いです。明日も行くつもりなので、劇場にいた、たくさんの会社の方に聞いてみようかなぁ?出来るかしら?ほら、私って人見知りだから・・・。
ということで、明日に続く            **************


2007年04月16日(月) 「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」


イラストレイター、コラムニストなど、マルチに活躍するリリー・フランキーの原作がベストセラーになった作品の映画化。とても楽しみにしていた作品なので、初日に観て来ました。だって私も三人の息子のオカン、そして実母をガンで亡くしているからです。そんな背景があるせいか、後半はとにかく泣けて泣けて。内容からいくらでもあざとく出来るでしょうが、過剰な演出のない品の良い作品で、私はとても気に入りました。原作はとめさんからお借りしていますが、どうしても原作と比較してしまい、映画として楽しめないので、今は未読です。

1960年代後半。中川雅也(ボク)(青年時オダギリジョー)は、オトン(小林薫)に愛想を付かしたオカン(内田也哉子・樹木希林)に連れられ、小倉からオカンの実家のある筑豊へ帰ります。オカンの女で一つで育った雅也は、高校は大分、大学は東京へ。それから数年、何とか生活出来るようになった雅也は、今まで苦労をかけたオカンを東京へ呼び一緒に暮らし始めます。いつまでも平穏な毎日が続くと思っていた時、オカンのガンが転移しているのがわかります。

ラストは皆さんご存知なので、今回はネタバレです。原作者のフランキー1963年、脚本の松尾スズキ1962年、監督の松岡錠司1961年と、ちょうど1961年生まれの私とは同世代です。片田舎の筑豊と都会の大阪の違いはあれ、時代の空気は共有していたので、流行っていた歌謡曲、走っている自動車やファッションなど、行った事もない筑豊が懐かしく感じられます。それは筑豊を懐かしんでいるのではなく、私が時代を懐かしんでいるのでしょう。

前半の高校卒業までは樹木希林の実娘である内田也哉子が、オカンを演じています。どれだけ二人して肩寄せ合って頑張ったのか、描いているかと思いきや、意外なほど母子密着の描写は少ないです。どこにでもある仲の良い母と息子。暑苦しさや閉塞感は全然ありません。ただ父親がいないだけ。決して豊かではありませんが、さりとて貧しさを前面に出すでもなく、ユーモラスに日常が描かれます。それは祖母、叔母、近所の人などたくさんの人が二人の間を出たり入ったり、風通しの良い環境が、二人を精神的に孤立させなかったからでしょう。そんな中たった一度、オカンに浮いた話があった時、必死で自分を追う息子を優先したオカンが、とても印象に残りました。オカンに激しく共感してしまう私。

この作品を観た日、たまたま用事があって原作を読んでいる義妹に電話したのですが、彼女いわく「あのオカンは、息子を溺愛してたやんか。」という印象を受けたそう。しかし私は、この映画からは息子を溺愛するオカン、という印象は受けませんでした。

雅也が自堕落な生活を送り、大学を卒業できそうにないと連絡を受けた時も、「何であんた?何でやろねぇ?」と、困っているのに、なんとものほほんとした対応をするオカンに、私はびっくり。普通なら「どんな思いで私があんたを育ててきたと思ってんの!」の罵声の一つも浴びせるところです。そしてまた一年、お金を工面して息子を卒業させるオカンからは、出来の悪い息子を溺愛するのではなく、息子のためにという無償の愛を感じるのです。それには「時々オトン」の存在が大きいのだと思います。

養育費も多分出していないようなオトンで、雅也の「この人以上に自由な人をボクは知らない」の独白が示すよう、一般的な良き夫・父からかけ離れた人だったはずなのに、何故か二人からオトンの罵りは聞かれません。それどころか幼い時は夏休み毎、中学以降もオトンと二人の関係は細々続き、結局離婚もしないまま。とてもとても不思議な関係。しかしオトンが東京まで見舞いに来ると聞くと、自分の身だしなみに気を使う彼女を観て、ハッとしました。

オカンはオトンが好きなのです。オトンだってわざわざ九州から死期の間近い妻を見舞う情もある。思うに、この規格外の夫の側に居ては、遠からず夫を憎んでしまう、それがいやでオカンは実家に帰ってしまったんではないでしょうか?オカンは夫に添えなかった分、オトンの分まで雅也に愛を注いだのではなかったか?それが執着や依存の愛ではなく、正しい母としての愛を息子に注いだ秘密ではなかったかと、感じました。

東京で雅也と暮らすようになると、自慢の手料理と母性とで、たちまちま息子の友人たちと仲良くなっていくオカン。母といえば、やはりおいしい御飯なのですね。この描写には、東京は地方から来た人が多いのだろうと感じました。

東京タワーが見えるベッドからの闘病から死までの描写は、本当にありふれた、親子の今生の別れを淡々と静かに描いているだけなのですが、とにかく泣けます。死期の近い親を看病するのは、子供にとって本当に辛いものがあります。しかし辛いのだけれど、死ぬという実感もありません。覚悟はとうに出来ているのに、もしかして奇跡が起こり治るのじゃないか。だって私のお母ちゃんなんだもの。心の片隅にその思いを抱きながら、雅也もオカンを見舞っているのです。

臨終のオカンの髪を撫で「よう頑張った」と泣き、オカンの遺体に添い寝し、葬儀では喪主の挨拶も出来ないほど泣き崩れる雅也。オカンは「私は結婚には失敗したが、あなたのような優しい息子を持って幸せだった」の手紙を残しますが、母の死にこれほど号泣する雅也も、可哀想ではなくやはり幸せなのです。私は大なり小なり男の人はマザコンだと思っています。それでいいと思っています。ありったけの愛情を私に示す幼い息子たちを、私が夢中で愛した育てていた昔、ふと母親のいない男の子とは、何と可哀想なのだろうかと思いました。父は幼い時に実母を亡くしています。その思いが、破天荒で嫌いだった父を理解させてもくれました。私が何の見返りも期待せず、誰かのために喜んで生きたのは、後にも先にもこの子たちだけです(ごめんよ夫)。オカンだって、喜んで雅也のために生きたのでしょう。だから申し訳なかったとは、思わなくていいのよ。

キャストは皆とても良かったです。内田也哉子は、決して上手くはないですが、明るくとぼけた雰囲気と苦労の滲まない品の良さが、オカンの技量の大きさを表していて、存在感がありました。樹木希林は、自分の境遇と似たオカンを、いつも通りの自然体な好演で涙を誘います。思えばこの人は怪女優に位地する人だったのに、今や出て来るだけで画面が上等に観えます。オダギリジョーも熱演する場面も少ない作品でしたが、良きマザコン息子ぶりに泣かせてもらいました。一番秀逸だったのは、オトンの小林薫。彼一人だけ最初から交替せずに演じていますが、理解されにくい愛すべきオトンの魅力を演じて、とても説得力があります。この人は不思議な人で、もっさりしているのに50代半ばの今も、若い子も蹴散らす男としての魅力があって、私は好きな俳優です。

奇しくもこの作品を観た14日は、長男の23歳の誕生日。当日は友人に祝ってもらうとかで、我が家でのお祝いは一日遅れになりました。私は長男を早くに生んだので、日頃は「若すぎて可愛げがない」と悪態つかれ、こちらも「あんたが50歳の時、やっとお母さん72やで。末は老々介護やな」と憎まれ口で返す私ですが、この作品を観て里心がついたのか、この子のお誕生日に私が鯛の御頭つきを焼いて、お赤飯を炊くのはいつまでかしら?と思ってしまいました。でもいつまでも私がお赤飯炊いているのは、あんまり幸せじゃないのよね。オトンの言う、「男は若い時に家を出た方がええ」は、多分本当だと思います。


2007年04月14日(土) 「ブラックブック」


ポール・バーホーベン先生の新作。数年前某サイトで、「バーホーベンの作品は、週末に家族で観ている」と書き、変態扱いから「見上げた母だ」とのお褒めの言葉まで、たくさ賜ったワタクシ。その昔「グレート・ハンティング」や「悪魔のいけにえ」を家族で観に行った氏素性は伊達じゃないわよ。「先生」と書くには、もちろん大好きなわけで、今回故郷オランダにどういう形で錦を飾るか、ものすごーく楽しみにしていました。結果大満足!

第二次大戦中、ドイツ占領下のオランダ。ユダヤ人歌手のラヘル(カリス・ファン・ハウテン)はナチスの手によって家族を失います。一人生き残った彼女は復讐を誓い、オランダのレジスタンスに参加。髪をブロンドの染め、名もエリスと変え、ドイツ軍の将校ムンツェ(セバスチャン・コッホ)に色仕掛けで取り入るように、命令が下ります。しかし暖かなムンツェの人間性に触れ、次第にエリスはムンツェを本気で愛するようになります。

ブラックブックとは、戦時中にレジスタンスとドイツ軍との間を取り持った公証人が持っていた、記録をメモした実在の物だそうです。現在は紛失したそうですが、そのブラックブックを元に想像して作ったのが本作です。オランダでは大戦中のレジスタンスの活躍は英雄視されており、この作品のように、レジスタンスの中の人間の寝返りや裏切りなど描かれたことがなく、センセーショナルな話題になったとか。

バーホーベンらしい残虐な殺戮の様子や、ヒロインがアンダーヘアーまでブロンドに染めたり、糞尿まみれになったり、チフスに罹ったように見せかけるメイクなど、期待の悪趣味も健在です。ナチスの酒池肉林の様子は、過去のヨーロッパ作品ほど退廃的でもなく、バーホーベンっぽい妙な明るさがあります。家族の復讐だけに生きるヒロインの強さと、生きる上での必然的な苦悩や許されない愛も描かれ、盛りだくさん。そして昨今の戦争映画では必須条件の反戦の心もきちんと描かれています。

反戦を強く焼き付けるのは、意外にもナチスの残虐さではなく、戦時下においての人間の心に取り付く弱さを、綿密に描いていることです。裏切った人間の残した数々の台詞は、観た後で思い起こしてみると、深い悔恨が滲んでいます。監督は裏切った人に情けをかけているのですね。対するナチスには、ムンツェの人間としての豊かさを描く公平さも見せる反面、極悪人の将校も見せ場たっぷりで、観客が溜飲を下げる場面も用意し、さすがオランダ出身の監督です。

終戦となり、今まで我慢していたオランダ人の怒りが爆発、ナチスよりだった人々を血祭りにあげる様子は、勝者の論理だと思います。客観的に観ればそんなことをすれば、ナチスと同じじゃないかと思いますが、彼等の行動も理解出来なくはない。その感情は映画でも織り込まれていました。「お前たちのしていることは、ナチス以下だ!」との台詞を用意していたバーホーベンは、とっても偉いと思います。偉いだけで済まさないところも、さすがバーホーベン(意味深)。

「簡単に人を信用するな」「俺が医者というのは忘れろ」、チョコレートのお話などなど、前半何気なく交わされた会話は、全て伏線となり筋の重要なポイントなります。前に助かったのだから今度だってと思うと死んだり、意外な人物が現れて敵になったり観方になったりと、最後の最後までハラハラさせるサスペンスフルな脚本も、とても楽しめます。

最初から最後まで出ずっぱりのカリスは大奮闘です。この作品で自身3度めのオランダ映画祭の主演女優賞を獲得。明るい気品を感じさせる人なので、少々ビッチな演出も下品にならず、健全な色気を感じさ、今までナチスを描く作品に出てきた退廃的なヨーロッパ美女とは、少し毛色が違っていたのが印象的です。バーホーベン作品のヒロインって、意外と健康的な人も多いんですよね(根性は悪かったりするが)。容姿も大変美しく、私はとても気に入りました。彼女の次回作も是非観たいです。

エリスの同僚女性ダニーの「いつも笑ってたら、こうなったの」という言葉がすごく印象的でした。お酒を飲んで、おいしいものを食べて、歌って踊って、セックスして、人間は楽しいことだけを考えて生きていたら、戦争なんて起こらないと、この能天気で気のいい女性を使って、監督は言いたいのでしょうか?戦争によって数奇な運命を辿り安定した今があっても、尚憂いの残る横顔を見せるラヘルとは、対照的でした。

本当に面白いです。私の観たテアトル梅田は木曜日の初回から超満員。次の回も長蛇の列でした。日本には馴染みのない俳優さんばっかりですが、太鼓判でお薦めです。どうぞご覧下さいませ。


2007年04月11日(水) 「ブラッド・ダイヤモンド」


昨今ハリウッドで流行りのアフリカ物。今回は内戦中のシエラレオネが舞台です。少し食い足りない思いもありますが、見応えは充分の作品で、社会派娯楽作としては、上々の作品だと思います。監督はエドワード・ズウィック。

内戦の続く90年代半ばのシエラレオネ。家族と睦まじく暮らす漁師のソロモン(ジャンモン・フンスー)の暮らす村に、反政府軍RUFが襲撃し、家族はバラバラに。ダイヤモンドの採掘現場に回されてソロモンは、そこで高価なピンクダイヤを見つけ、密かに隠します。政府軍の襲撃で留置所送りになったソロモン。そこでダイヤモンドの密輸でしくじった、南アフリカ出身の白人ダニー・アーチャー(レオナルド・ディアプリオ)と知り合います。家族の救出を交換条件に、ダイヤの隠し場所をソロモンに迫るダニー。不穏な町の情勢は、アメリカ人ジャーナリスト・マディ(ジェニファー・コネリー)も巻き込み、過酷は状況へ彼等を導きます。

シエラレオネの内戦については、ある報道番組の特集で内情を知りました。スポットの当たっていた少女は、この作品のソロモンのようにURFに村を襲撃されレイプされ妊娠、両手首を切り落とされていました。少年兵も出てきましたが、親が亡くなって行き場がなくなったり、思想に共鳴して自ら志願した子達が出ていて、この作品のように、年端の行かない子達を拉致し、酒や麻薬漬けにして思想的に洗脳しているのにはびっくり。またそのシーンが生々しいので、胸が痛むなどどいうセンチメンタルな感傷にふけるより、これは子供達の人権にとって大変なことなんだと、憤りの方を強く感じます。

アフリカ諸国が、欧米の金の成る木であるのは、「ナイロビの蜂」などでも描かれています。今回の種はダイヤモンド。政府側・URF両方ともが軍事資金にしているというのは、考えればわかることなのに、恥ずかしながら描かれて初めてわかる私。そのため欧米の国が内戦を長引かせているというのも、やりきれない思いがします。

ダニー、ソロモン、マディが三人三様の、それぞれ思惑を秘めて接するうち、段々と同志のような感覚が芽生える構成は上手く機能しており、人物描写の描き分けもきちんとしています。中でも出色はフンスー。彼自身出身はベナンで、アフリカ育ちの俳優です。自分の出自から思うところもあったでしょう、思想的には何もない純朴で温厚なソロモンが、どんな危険も顧みず何が何でも息子を救おうとする姿には、大変心打たれます。子供が何人いようと親にとってはその子は一人。その子はあきらめて、他に子供がいるから残された子を大事にして行こう、とは到底出来ません。ふと拉致被害者の親御さんたちが浮かびました。

コネリーも凛とした美しさと、ジャーナリストとして心豊かで厳しいマディを、安定した演技で見せてくれます。レオも無精髭を生やし、過去を背負った密輸人という難しい役ですが、こちらも安定してみせてくれます。元々演技は上手な人なんですよね。その過去なんですが、大人になってからではないのが、とてもレオ的。しかしその過去は、ダニーのキャラを説明するには有効でしたが、設定的に筋に食い込んできてもいいようなもんですが、その辺はスルーなんで、ちょっと惜しい気がします。

この道行きで一番感化されたのはダニー。それはマディの正義感、ソロモンの子を思う愛でしょう。しかし少々アバウトですが、人と深く関わるということは、良きにつけ悪しきにつけ、影響されるということなのだと感じました。数々の紛争地に、危険を顧みず飛び込むマディは、私は刺激が好きなのと苦笑しますが、彼女があちこちで戦争で傷つき、死んでいく人々と深く関わることで、今の彼女の強靭な正義感が生まれたのだなと感じました。

URFの善良な村を襲撃する凄惨な様子、町を空爆したり銃撃戦の迫力は、さすがハリウッド娯楽作、見応えがありお金もかかっています。ストーリー的にも文句もあまりないのに、でも少し物足りないのです。ラストも希望も感じ後味も良いのですが、レオの扱いなど良くも悪くもハリウッド的で甘い感傷で締めくくられるのが、個人的にはイマイチ。もっと苦い結末は出来なかったかなぁと思うのです。

内戦の中、脱出より故郷に残り踏ん張る人々が何人か出てきますが、彼等の扱いは軽く、もっと無常観が漂う掘り下げガ欲しかったです。悪人も白人なら正義の味方も白人。結局はアフリカの人々は、欧米の国の保護や援助なくしては生きられないのだとの苦悩や皮肉が、イマイチ届かない。これでは観た人は、こんなこと知らなんだ、勉強になったわ、ラスト良かったわね、というナンチャって良い人で終わってしまう気がします。私も何にもしていないので、偉そうなことは言えないのですが、せめてしばらく席から立てないほど痛々しい気分になり、自分の無力や無知を恥じる感覚が欲しかったなと思いました。

とは言え上記に書いたように、充分楽しめる作品ではあります。出来が良かったので、もうちょっとこうなら傑作なのにと、贅沢を書いてしまいました。この作品を観て、オスカーはレオ&フンスーコンビにあげたかったなぁと思いました。


2007年04月05日(木) 「ホリデイ」



公開すぐに観ようと思っていたこの作品、や〜と!観ました。春休み&姑さんの白内障の手術&月末のレセプトと、次々私に襲い掛かり、何と2週間ぶりの映画です。画像の良い感じの、華も実もあるスター俳優たちの笑顔を観れば、だいたいの予想はつく作品ですが、私はとても気に入りました。見逃さなくて良かった!



クリスマス前だというのに、ロンドンの新聞社に勤めるアイリス(ケイト・ウィンスレット)は、二股かけられていた恋人(ルーファス・シーウェル)の婚約を目の当たりにし、方やロスアンジェルスで映画の予告編を作る会社を経営するアマンダ(キャメロン・ディアス)は、同棲中の恋人(エドワード・バーンズ)に浮気され追い出してしまいます。傷心の二人はネット上で知り合い、「ホームエクスチェンジ」という方法で、2週間限定で、家を丸ごと交換してリフレッシュすることに。彼女たちに待っていたのは・・・。

プロットがとても効いています。性格や仕事、年収は違っても、彼女たちに共通しているのは、恋を失ったばかりの恋愛に不器用な女性だということ。普段なら口にしないことや行動など、2週間の限定なら、大胆にもおせっかいにもなれるものです。生き生きと再生されていく二人の女性が、観ていてとても気持ちがいいです。

確かにこんな次から次へと魔法のように都合よく事が運ぶなんて、現実では有り得ません。全然リアルじゃない。でも映画は所詮は夢を見せてくれているもの。大切なのは、その時々の人物たちの心のひだを、どのように繊細に掬い取って描写するかだと思います。この作品は、その点がリアルで優れていたと思います。

アイリスの恋に奥手で涙もろくて情が濃く、都合のいい女の自分に嫌気がさしながらも、自分のどこがいけなかったの?と顧みる善良な様子は愛しいし、アマンダの気が強く可愛げのない様子も、仕事仕事で精魂付き果てている女性がいっぱいいる今、もっと大きな目でアマンダを包んであげて、可愛い女にしてあげてよ、と一回り上くらいの私なんぞ、二人の気持ちが手にとるようにわかり、とても共感出来るのです。

二人だけではなく、イケメンで秘密アリのアマンダの兄グラハム(ジュード・ロウ)や、性悪女に引っ掛けられてはいつも傷つくマイルズ(ジャック・ブラック)の心模様も、わかるよなぁ〜、うんうんと肯きっぱなし。何が気持ち良いって、登場人物たちは皆自分の人生を大切に思い、どうしたいのかと真剣に思い悩む、その姿の誠実さです。

ケイトは「ブリジット・ジョーンズ」のレネー・ゼルウィガーを彷彿させるようなコメディエンヌぶりで、今まで観た彼女の中で飛び切り可愛いです。しかし何を演じても上手いなぁ、この人は。キャメロンはいつもの彼女に若干陰を滲まして、こちらも好感です。ジュード・ロウの「ソフィー&オリヴィア」の件は、私はネタバレは読んでいませんが、ピンと来ました。だってそんなプレイボーイが、妹の家に再々泊まらないでしょう?泊まらせてくれる家なんて、ゴマンとあるはず。自宅でアマンダに語る自分の境遇の苦悩は、世の中たくさんの人の賛同を得られるはず。

私が一番びっくりしたのは、ジャック・ブラック。最初このメンバーを観て、美男美女+野獣と思っていたのに、とってもかっこいいの!映画や音楽について薀蓄を語るオタクモード全開の様子も男の子っぽく、礼儀正しく穏やかな大人の男性としての落差も魅力でした。この様子なら「あなたってイイ人ね」では、終わりませんて。

老紳士アーサー(イーライ・ウォラック)とアイリスの交流も暖かく、「彼から元気がもらえるの」とのアイリスの言葉には、老人と付き合う若い世代の心構えを教えてもらえます。

私は恋愛は縁と運だと思うんです。どんなに添い遂げたくても叶わぬ恋もあれば、切っても切っても追いかけくる恋もあり。ならば先のことばかり心配しないで、今目の前に恋しくて恋しくてたまらない人がいるなら、躊躇なくその人の胸に飛び込むのをお勧めします。後で別れちゃってもいいじゃない、上手くいくかどうかなんて、そんな先のこと、誰にもわかんないよ。

涙は心の汗だ〜♪という歌がありましたが、それは本当みたい。心が乾いていると涙は出ないのですね。心の新陳代謝をよくした後のアマンダの選択に、良かった〜と安堵する私なのでした。

ところで鬼の形相で恋人に、「浮気したでしょう!」と詰め寄るアマンダでしたが、チラッと恋人が庭師さんを見ると、首を振っています。なのに恋人は「本当」のことを告白。あぁ!浮気は絶対白状したらダメなんだとか。私が独身の頃読んだ伊丹十三の本に書いてありました。伊丹氏もレクチャーされた話なんだそうですが、まず浮気を疑われたら、即行否定する。次に証拠を捉まれたら、上手いこと言って言い逃れする。もしホテルに踏み込まれたら、今入ったばかりだ、まだ何もしていないと否定する(過去何回もヤッテいても)。もしイタシテイル最中に踏み込まれたら、今始まったばかりだ、まだ出していないと言う・・・のだそうです。

どんな女性でも夫または恋人を信じたい気持ちがあるので、疑惑が99%でも、否定しているうちに、もしかしたらそうなのかもと、%が減っていくのだとか。読んだ頃は何をふざけたことを、調子こいてんのん違うぞ!と怒りまくった乙女の私でしたが、それから四半世紀オバちゃんとなり、これは真理じゃないかと思うのですね。だって否定するのは、二人の仲を壊したくないからですよね。どうでもいいなら開き直るはず。まだ愛情が残っているなら、嘘を信じてあげましょうということなのかも。これは大昔、浮気と言えば男の専売特許の時代のお話ですが、今なら男女入れ替えたらどうなるのかな?


2007年04月03日(火) 手術から一年経ちました

おかげ様で、手術から丸一年経ちました。
昨年の今頃は、あれこれ管をつけられて、病院のベッドの上だったかと思うと、よくぞ健康を取り戻せたもんだと感慨深いもんがあります。
では、現在の状態をば。

術後三ヶ月の日記では、体調が芳しくないと泣き言を書いておりましたが、梅雨も過ぎた頃から段々と回復し、夏の暑さにも普通の夏バテくらいで済みました。

私の勤め先の病院は、専門の方が月2〜3度レセコンに入力&レセプトをして下さっていたのですが、去年の10月より各医療機関で患者さんに領収書を渡すのが義務づけられ、そのミッションが私に。今までお気楽にただの受付業務と、簡単な診療補助だけだったのですが、医療事務も請け負うことになりました。10月に向けて7月から勉強が始まり、もうしんどいなどど言っておれる状況でなく、覚えるのに必死。

機械の操作から医療事務の勉強まで、毎日特訓の日々でしたが、おかげで手術後3ヶ月なのも忘れる日々が、反って良かったのかも。本当は去年の8月に手術を希望していたので、そうなれば10月の領収書発行には間に合わず、病院は別の人を雇わなければならなかったはず。手術が早めになったお陰で、技術を身につけさせていただいたのですから、何が幸いするかわかりません。

去年の冬は暖冬だったせいもあり、格段冷えも感じずありがたかったです。秋頃に神経性の胃炎になりましたが、多分なれない医療事務のせいで、手術は関係なかったと思います。お陰様で風邪もひかず、平日のレディースデーにも、仕事帰りに梅田のミニシアターに通う元気も戻ってきました。日常もほぼではなく、全く手術以前と変わりなく、変わったのは生理がなくなったことだけ(正直言うと、とっても楽チン)。完全に健康を取り戻しました。

一口に子宮筋腫と言っても環境・病状は千差万別、様々です。手術が怖いのは誰もが同じ。今の自分の姿をお知らせして、同じ病気の方々を少しでも勇気づけられたらと思っています。



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