ケイケイの映画日記
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2005年10月30日(日) 「私の頭の中の消しゴム」


私くらいの年齢になると、友人達と会話していて必ず出てくるのが物忘れの話。笑い話になることがほとんどですが、何故いつもしてしまうかというと、心の底にアルツハイマー病を恐れる気持ちがあるからで、皆同じなのね、と安心したい気持ちがあるのかも知れません。この作品は、そのアルツハイマーに若くして侵されてしまった新妻と夫との物語です。主演は今チェ・ジウに続く人気と言われるソン・イェジンと、優男ぶりが人気の韓国俳優の中、ワイルドさで人気上昇中のチョン・ウソンです。

社長令嬢のスジン(ソン・イェジン)は、勤め先の上司との不倫に破れたばかりです。傷心の彼女を気遣い、外へ連れ出してくれた父親の仕事先で、以前ふとしたことで会った現場監督のチョルスと再び巡りあいます。お互いすぐに惹かれあった二人は、ほどなく結婚し、幸せな新婚生活を送ります。しかし物忘れのひどさを気にしたスジンが病院で診察してもらうと、彼女は若年性アルツハイマーに侵されているという、思いもよらないものでした。

冒頭今までのイメージから想像出来ないイェジンの厚化粧にびっくり。もうアルツハイマーが発病して、それで自分の行動がわからなくなった彼女が、濃い化粧で町をさまようのを映してから時間が遡るのかと思っていたら、不倫相手に捨てられるところからでした。駆け落ち相手が来なくて家に戻った彼女を優しく向かえる両親に、愛されてもいるけど甘やかされて育ったな、が私の直感でした。

案の定、チョルスと知り合ってから恋する乙女まっしぐらのスジンを観ていると、いじらしいを通り越して少々鬱陶しい感じがしました。あなただけよと、恋しい人がいなくば夜も日も明けなさそうな彼女を見て、これでは妻子アリの人とでも、見境なくなるわなぁと納得。

早いこと本題の夫婦愛に移ってよと思いながら観ていると、ふとこれってもしかして若い時の私かも?と感じました。周りも相手も鬱陶しいくらいの愛情の押し売りを、私もしていたような気がします。若い女性にはありがちな愛情表現でしょう。それが親の愛に恵まれず家庭を持つ気になれなかったチョルスの不安を払拭し、のち病魔に侵されたことを知ったスジンが仕事を辞めたいと言った時、「家にいてくれた方が俺も嬉しいよ。」と語る夫の気持ちを引き出したのかも知れません。妻のため出世しようと努力するチョルスの姿に、好き嫌いはあっても、古典的な若い男女の愛を表現するのには、間違ってはいないと思い直しました。

それが期待の病気に対して戦う夫婦愛になってからが、雑な展開に感じます。私は多少説明不足でもこの手の映画には完成度の高低に関係なく、びゃーびゃー泣くタイプですが、泣いたのはたった一度、病気発覚後のバッティングセンターでの二人の姿だけでした。どうも二人で病気に立ち向かって行く気力が今ひとつ弱いため、深みに欠け観客に訴える力が足りません。(以下ややネタバレ。終了後も感想あり)











二人だけで問題が解決が出来るわけはなく、当初経済的にも健康にも恵まれているはずのスジンの両親に相談もしません。この病気は社会的関心も高く、どういう風に若夫婦が対処していくのか、観客は見守っているはずなのに、親族に知られた後は、夫の世話にはなれないと妻は父親に離婚届を渡し施設に入り、居所も知らせません。これって何?あげく自分から夫に手紙を出すなど、居所を知らせる行動に出て、言うこととやっていることがチグハグです。それも病気のせいにするには、ちと都合良すぎです。元不倫相手がスジンの病気を知らずに訪ねた時、相手が血みどろになるまでチョルスは殴りますが、この表現もどうもいただけません。記憶が自分と元不倫相手とを混濁してしまう妻に落胆する気持ちがさせる行動だと理解出来ますが、これではただの暴力。愛する妻の記憶から自分がなくなる哀しみを表現するには、別の方法が効果的だったと思います。











ヤヤバレ終了


難病ものなどで残りの生を精一杯生きる姿に、私達は感動したり考える時間を与えられるものですが、この作品は記憶がなくなる哀しみばかりを映し、残りの日々を二人でどう生きるかという点も、すっぽり描写が抜けていました。それがラストのまとめ方であるというなら、綺麗ごとすぎます。失禁まで病状が進み、食事も自分で取れない時もあるというスジンは最後まで美しいままで、これではアイドル映画並みです。スジンの病気の進行をある程度リアルに映し、チョルスは仕事と介護でくじけそうな日々を頑張り、それを両方の親や妹、周りの人間が支えるというラストであれば、絵空事には感じなかったと思います。

イェジンは泣き顔が美しく、悲恋物やこういう作品にはうってつけかと思いました。ウソンは大柄な体から少々粗野ながら愛する人を力強く守ってくれそうで、男性的魅力全開。この二人の主演で何とか観られた感じです。最後に母を許せない夫に許しの大切さを語るスジンのセリフについて。「不倫した私を父は許してくれたわ。」って、あんたそれ許してもらう相手が間違ってない?相手の家庭を結局壊しておいて、あんたが許してもらうのって不倫相手の元妻でないかい?幼い時母に捨てられて、迷惑ばかりかけられていたチョルスといっしょにしたらあかんで。「インファナル・アフェア掘の、ケリー・チャンのジコチュー発言に匹敵するセリフと思われました。


2005年10月27日(木) 「ドミノ」


実在のバウンティ・ハンター(賞金稼ぎ)ドミノ・ハーヴェイのお話。ドミノは2枚目俳優ローレンス・ハーヴェイの実娘で、華やかなセレブ生活を嫌い賞金稼ぎで生きてきた人。残念ながらこの作品の完成前に35歳で亡くなったそうですが、そんな彼女の波乱の生涯が浮き彫りにされていると思いきや、出来上がりは監督トニー・スコットの自己満足映画。こういう題材は面白く描ける監督だと思っていたので、結構期待していたのに、すごーく残念でした。

10歳の時に父を亡くしたドミノ(キーラ・ナイトレイ)。母(ジャクリーン・ビゼット)はお金持ちの再婚相手探しに躍起。馴染めないセレブ生活にいやけがさした彼女は、15歳からモデルを始めるも入った大学は2週間で暴力事件を起こし退学。自分の生きる道を模索していた時知り合ったエド(ミッキー・ローク)やチョコ(エドガー・ラミレス)とともに、賞金稼ぎとして生きることにします。賞金稼ぎとして華やかな名声を得た頃、ドミノたちが依頼された仕事には裏があり、三人は破滅の道へと進んでいくとは、知る由もありませんでした。

前半はいいんですよ。今までのイメージから全然違うキーラも、少々苦しいながら健闘してるなぁと好感が持てるし、子供の頃から周囲から浮く彼女の孤独も、さらっと流しているけど気持ちは伝わってきます。

問題は後半から。ドミノの数々の賞金稼ぎの場面が出てきて、その時の彼女の心の浮き沈みや葛藤を掘り下げながら、キーラやロークたちのアクション場面がメインだと思うでしょ?ところがどっこい、最初の仕事と最後の仕事だけしか出てきません。最初の仕事の、色仕掛けで賞金相手の居場所を教えてもらう場面にまずびっくり。だいたいヌンチャクや手裏剣の稽古をつんできたと、ドミノが胸を張っていいますが、実践と稽古は違うのは誰でもわかるもの。いきなり初仕事で拳銃に囲まれたら立ちすくんで当たり前なのに、ストリップまがいを提案してなんなくピンチはクリア。普通ありえないでしょ?これからの展開に不安がよぎり出しますが、実話が元ということもあり、まっ、女賞金稼ぎですからね、私の理解の範疇は超えてる人なんだわと、納得しましたが・・・。

彼らのエージェント(デルロイ・リンド)が金に欲を出したため、ドミノたちは追われますが、この展開がイマイチ飲み込めません。誰が悪いのか誰に追われているのか、おおまかなことはわかりますが、人種問題やアメリカの保険制度や就労問題の欠陥、袖の下、実業家の裏の顔、マフィアなどてんこ盛りに入り乱れる中、何と元「ビバヒル」出演者が実名で出演、凋落の人気スターの哀歓まで盛り込んでいて、膨らませるだけ膨らませています。チャカチャカ四六時中変わるカメラと、下手に時空をいじっているため、何が何だかわかりません。それはお前がバカだからだよ、と言われればそうなんですが、この手の作品ってバカでも楽しめなきゃいけないんじゃないの?監督だけがわかってもなぁ。

膨らませたガス抜きが派手な事故だったり、キーラの濡れ場だったり、愛の占い師だったり、果てはアフガン問題まで出てくるんだよ、さぁお立会い!
映画的展開は悪い方へ悪い方へと転び、ほとんど最後はトンデモ系です。

キーラはパンツとブラだけで腰をクネクネさせたり、ボディダブルでなければせっかく脱ぎのある濡れ場もあるのに、そーゆー場合じゃありませんの箇所なんで、これも失敗気味。その事の方が記憶に残り、さっぱり賞金稼ぎとしての男勝りなシーンが記憶から抜けています。というか、元々少ないし。二回拳骨で相手を殴るシーンが出てきますが、両方鼻血を出していたので、それが強さの証明ってか?その相手というのは素人さんなんですがぁー。今までのお嬢さんっぽいイメージから、キーラ自身脱却しようと受けた仕事だと思いますが、この演出では彼女が可哀相に思いました。

救いはミッキー・ロークが渋くてかっこ良かったこと。「シン・シティ」では特殊メイクでしたが、素顔のロークは以前よりワイルドな感じになって、素敵でした。他は私の大好きなジャクリーン・ビゼットが皺皺になっていましたが、相変わらず素敵だったこと。今のジーナ・ローランズみたいな役どころで、また観たいなぁ。ルーシー・リューも出ていましたが、ドミノに尋問するFBI捜査官なので、動かない彼女は美貌が足りない点が強調されていたので、あんまり芳しくありません。私は動くルーシーが大好きなので、ここも減点。

最後の最後に笑激のナレーションが。「このお話が本当かどうか、今では関係ないことよ。」って、それじゃ実話じゃないの?おい!フィクションならもっと脚本練ってから撮影しろ!最後に本当のドミノが映っていました。ニコニコ笑顔の彼女は、髪は男のよう短かったですけど、目つきも優しい綺麗な女性でした。こんな柔な女性が賞金稼ぎとは。ホント、もっと面白く出来たと思いますよ。


2005年10月24日(月) 「コープス・ブライド」


ティム・バートンが「チャーリーとチョコレート工場」に続き、ジョニー・デップとのコラボも話題のアニメーション。昨今流行のフルCGではなく、人形をひとコマひとコマ動かして作る、「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」と同じく、ストップモーションアニメと言われる技法で作られています。

19世紀のヨーロッパのとある町。成金の息子のビクター(声・ジョニー・デップ)は、没落貴族の娘ビクトリア(声・エミリー・ワトソン)と結婚間近。この結婚は親同士の思惑と利害が一致する政略結婚です。結婚に対する不安を胸に抱いていた二人ですが、一目会って共に安堵します。しかし式の予行演習の時、元々内気なビクターはへまばかり。ついに結婚は延期となってしまいます。傷心のビクターは一人夜の森へ。そこでようやく誓いの言葉を間違いなく言え、枯れ枝に指輪をはめると、地下からむくむく花嫁姿の死体が!彼女はわけあって花嫁姿で殺されたコープス・ブライド、エミリー(声・ヘレナ・ボナム・カーター)でした。あっと言う間にビクターはエミリーに連れられ死者の世界へと連れて行かれます。

もう〜花嫁二人がいじらしくて、切なくて、とっても愛しいです。エミリーは男に騙されて殺されたわけですよ。普通そういう時は化けて出るでしょ?ところが自分と結婚してくれる男性を一途に待っているわけですよ。ただひたすら花嫁になることを夢見て。一生懸命尽くしてもビクトリアが忘れられないビクターを見て、”心臓は止まっているのに、何故心が痛いの?”という歌詞の歌がかぶり、涙を一筋流すエミリーといっしょに私もついホロホロ。そんな心とは対照的に、大きく開いた胸元からバストの膨らみの線や、スカートから見え隠れする足が素敵で、ベールが優雅にゆれる様子など、果物は腐りかけが一番おいしいと言いますが、腐った女(ところどころ白骨化していて、腐乱している)のお色気全開、それでも上品なのは、やっぱり花嫁姿だからでしょうか?

対するビクトリアは、格式を守るだけがための愛のない結婚生活を送る両親を見て、自分は夫を愛し一生添い遂げたいと思っている、こちらも健気なお嬢さん。腐ったフェロモンを出すエミリーとは対照的に、こちらはきっと髪を後ろに結い、肌を一切見せない衣装が、彼女の清楚で賢い内面を強調していました。静々おとなしいビクトリアが、ビクターを助けたい一心で命がけの行動を見せるなど、芯の強さも感じさせます。


ジョニデはアフレコもちょっと変な役がドンピシャみたいで、内気でドジで情けなく、でもピアノが上手な優しいビクターに合っていました。ていうか、ビクターのキャラのイメージアップ、にジョニデが大いに貢献したと言う方が正しいでしょうか?ビクトリア一途ではなく、時々エミリーに寄り道してしまうのもご愛嬌。まっ、男性は自分を好きだ愛していると、全身で突進してくる女性には弱いもんですわな、ストーカー以外は。

ラストなど、ビクターを愛しているからこそのエミリーの選択で、切なさフル稼働。アニメはブルーを基調に全体にダークで、死後の世界の賑やかさを
適当に薄め、俗人のビクターの両親、冷たいビクトリアの両親を描くにも都合がよかったと思います。「ナイトメア〜」ほどでもありませんが、歌い踊る場面も多く、ミュージカルアニメといったところでしょうか?

今時花嫁に憧れる女性を描くと、陳腐だったりコメディになったりするので、素直に胸がキューンとしたのは、アニメならではの功績です。久しぶりに一途でいじらしいヒロイン達を見て、とても嬉しくなりました。バートンは「チャリチョコ」に続き、彼の描く世界をこよなく愛する人たちを納得する作品を連発っちゅーことは、私生活も安定して幸せなのでしょうね。この作品では結婚を肯定しているように見えますが、もうじきヘレナ・ボナム・カーターと籍を入れるのかな?(家庭は持てど未入籍)。


2005年10月20日(木) 新しい病院に行ってきました

昨日4つ目の婦人科の病院に行って来ました。ここの病院は地下鉄谷町線のとある駅で、手術予定だった某「公立大病院」より家からは20分ほど遠くなります。家からは20〜30分くらいで通える大病院が数軒ありますが、前病院の患者の心を無視した対応に激怒した私は、もう大病院は懲り懲り。今日の病院は友人が私のことを心配して、仲の良い助産婦さんに相談してくれて、その方からの紹介です。助産院を立ち上げる時提携するため、医療方針など納得出来る病院をあちこち駆けずり回って探した病院と聞いていたので、最初から安心でした。

手術も出来る産科婦人科両方一緒に診療している病院で、今回は病床18という個人病院です。先生は院長先生と若い先生二人で診ていらっしゃいます。木曜日の仕事休みに受診しようと思っていましたが、助産婦さんの「絶対院長先生の日!」とのご助言で、仕事は休んでの病院通いです。着くと一階の診療時間案内の横に赤の文字で、「救急の場合は夜間でも診察致しますので、ご連絡下さい」の言葉が好印象で、更にリラックス出来ました。

初診はどこでも問診表を書くので、ここで4回目。大病院以外は似たり寄ったりで、生理の周期、初潮の年齢、家族構成、配偶者の有無、出産経験など常識の範囲内でしたが、大病院はその時も不信に感じたのですが、私の学歴、更に夫の学歴なども書かされ、初性交時の年齢まで書かされました。今思い出しても謎。個人保護法の迷走ぶりが世間を賑わしていますが、「公立病院」がこんなプラシバシーに触れること聞いてもいいんでしょうか?

混んでいたので1時間以上待ちましたが、「お待たせしてすみせんでした。」と仰る院長先生の言葉に、あぁ当たり前の感覚を持っている先生だとまた安心。今までの筋腫の経過といきさつを話し診察。結果はやはり手術が望ましいとのことでした。

「血流から診て断言は出来ませんが、肉腫の可能性は低いでしょう。あなたの年齢なら閉経まで平均7年ほどあり、大きくなる可能性が高いです。一度腎盂炎にもなっているし、手術してすっきりする方を僕はお薦めします。ただしこれはあなたが決めることです。あなたより大きい筋腫でも要観察したい人もいれば、もっと小さくても手術する人もいます。手術は膣式で可能です。僕は1キロ400の筋腫まで膣式でやっているので、あなたは推定500グラムくらいなので、まだ時間に余裕があるので、ゆっくり考えてくれたらいいですよ。」

子宮体ガンの検査の結果を聞かれ、まだだというと先生はびっくり。こちらでしてもらいました。今まで子宮頚ガンの検査だけで体ガンは初めてだったのですが、いった〜い!腫瘍マーカーの血液検査との結果を2週間後に聞きに行きます。3回目の病院で受診は年に一度でいいと言われたというと、こちらの先生は笑いながら「うちはさすがにそれは。だいたい3ヶ月に1度というところですかね。」の言葉にも、自分の考えとぴったりだったのでまたまた安心。参考にして下さい、と膣式手術の入院中のスケジュール表を手渡され、受付で手術や入院のおおまかな費用の表、入院案内をいただいて病院を後にしました。

モチベーションが下がってしまったので、当分手術は見送りますが、来年の8月くらいをめどに、やはり手術しようかと思っています。8月なら三男は夏休みだし、お盆休みを休養に充てれば、勤め先への迷惑も最小限に出来るからです。やっと信頼出来そうなお医者様に辿りつき、昨日は本当に安堵しました。

ただ私は3人子供がいますので、赤ちゃんを抱いた産婦さんの晴れやかな退院姿も、昔を思い出し微笑ましく感じましたが、出産経験なく筋腫の手術をする方は、産科といっしょは精神的にきついのではないかと思います。私の筋腫日記を参考にされている方がもしいらっしゃるのなら、出産経験のない方には、婦人科単体の病院か、産科と別々になっている病院をお薦めします。

しかしいつ大病院はこんなふんぞり返った姿勢になったのでしょう。15年前母がガンでお世話になった病院の先生は、死に行く母にも本当によくして下さり、今でも辛かった看病生活の良き思い出です。その病院に最近同じ科で手術した友人がいるのですが、体の不調を訴えても、どう考えても因果関係がはっきりしているのに、真っ向から主治医は否定。うちの病院の患者さんも、血液検査で急性肝炎がわかり別の大病院に入院されたのですが、お腹が痛いと訴えているのに肝臓は治ったからと退院させられ、こちらに戻られて盲腸がわかりました。アレルギーの悪化で大学病院に入院した甥の場合も、「主治医の先生、教授回診の時はこめつきばったみたいに平身低頭、おどおどしまくりやのに、私らには聞かんと何の説明もないんやで。」とうんざり気味に義妹が話していました。

「お前のことも、こんな軽い手術でうちみたいな大病院でしてもらえるねんから、有難いと思えくらいに思われとったん違うか。」とは夫の言葉です。手柄を立てるような手術や治療のみに心血を注ぎ、患者の体だけを診て心は診ない医師ばかりではないでしょう。きっと今の医療形態に問題があるのだと思います。お医者様方には初心を思い出していただきたいと思っていた矢先、某週刊誌で医者を志す子達に何故医者を目指すのかのアンケート結果を読み愕然!「親が勧めたから」「手に職をつけたいと思ったから。」「食いっぱぐれがないから」・・・。手に職て、大工や美容師やないねんから。あぁ、初心からしてこれか・・・。


2005年10月19日(水) 「この胸いっぱいの愛を」

塩田明彦監督を始め、あの「黄泉がえり」を作ったスタッフが集結して作った感動作というのがこの作品。題名からして、さぁ泣け!と言う感じかな?と思いましたが、意外とサラサラしていてあざとくなく、もろもろの問題点もあるのですが、コンパクトにほどよくまとまり、私は素直に観て好きと言える作品です。のちほど文句はネタバレにて。

鈴谷比呂志(伊藤秀明)は、出張で小学高学年を過ごした北九州の門司に飛行機で訪れます。かつて過ごした祖母が営んでいた旅館の前にたたずむ彼の前を、何と20年前のヒロと呼ばれていた10歳の自分(富岡涼)が現れます。20年前にタイムスリップしてしまった比呂志は、同じく飛行機に乗ってタイムスリップしてしまった布川輝良(勝地涼)、臼井光男(宮藤官九郎)共々途方に暮れますが、皆それぞれ胸にしまっていたあることがありました。比呂志は自分の名を偽り、鈴谷旅館で働くようになり、昔の自分と同居することにします。そこへ現れたのは、かつて自分を可愛がってくれた和美(ミムラ)でした。和美はこののち、若くして死んでしまうのを、大人になった比呂志は知っていました。

伊藤秀明が良い良い!未見ですが「海猿」、ドラマの「白い巨塔」など、ナイーブながら芯は強い好青年役を持ち役としている彼ですが、この作品でも、ちょっと気弱な、真面目な好青年ぶりで思う存分持ち味を発揮しています。特別演技巧者ではない人ですが、爽やかな印象を作品から感じるのは、彼なればこそ。いつの間にか30歳になり、顔も以前よりシャープになった感じで、今後役の幅を広げて欲しい人です。後10年後の渋いオヤジになった時が楽しみです。出来れば山田優のような若いお嬢さんでなく、5つくらい年上の女性と付き合った方が、芸の肥やしになる気がするんですが〜。(余計なお世話)

他にも役者さんたちは皆好演で、ちょっと脚本の流れがおかしいかな?と思うところに来ても、まぁいいかーと受け流せたのは、役者さんたちの勘違いの熱演がなく、メリハリを利かせながら、小奇麗に演じていてくれたからだと思います。ミムラ、きれいになって上手になってます。ヒロ役の富岡君も子役のいやらしさのない好演でした。

でも一番上手いなぁと感心したのは倍賞千恵子。同じくタイムスリップした老婦人役だったのですが、ほんの僅かな登場時間しかなかったのに、印象は深く、きっちり泣かせてくれます。やっぱりモノが違うのだな。それは中村勘九郎もしかり。

人は自分では忘れよう、忘れたいと思っている心の荷物を、本当はどこかで下ろしたいのですね。昔を思い出すと、あの時今の自分なら違う対処があったろうと思うものです。それは後悔先に立たずじゃなくて、人間としての成長じゃないでしょうか?比呂志たちを見てそう思います。命に対しての思いも浮かび上がりますが、私は裏テーマは母親じゃないかと思います。でも謳い文句の大感動作っていうにはちょっと食い足りません。以下ネタバレです。













比呂志たちは簡単にいうと、飛行機事故で死んでしまっているのに、この世にやり残したことがあるので成仏出来ないということですね。メインは自分を可愛がってくれた和美に手術を受けさせ、命を救いたいという比呂志の思いなのですが、これがイマイチ盛り上がりません。ミムラの好演で、和美にはそれなりに感情移入出来ますが、何故頑なに手術を拒否するのか説明不足です。若いうちは自分の生きがいであるものを失っては、生きていけないと思うのは理解出来ますが、そんなに簡単に戦いもせず、人は死を冷静に迎えられるもんじゃありません。

和美は実の両親に死なれ、今は養父と二人暮らしみたいです。この作品は「いつか読書する日」のように、小説でいうところの行間を読む作風ではなく、全てセリフや設定で説明していました。東京の音大を出してもらっただけでもありがたいのに、手術で障害が残るため、養父に迷惑をかけられない、そんなセリフや思いを和美に吐露させるなりしても、作風にそぐわぬことはないと思います。

何故なら実の母親なら、息をしているだけでも娘には生きていて欲しかろうと思うはずで、娘もそれに応えるでしょう。母のいない和美、母と遠く離れて暮らすヒロ、二人は父ではなく母のいない寂しさが結びつけた二人だと思うからです。そうすることでレイプされての妊娠だったのに、「私が産みたいとか産みたくないとかじゃないの。もう動いているの。」という、自分の命と引き換えに輝良を産んだ母のセリフが、もっともっと輝こうというもの。たとえ死んだとしても、離れていようと、母親の願い、心を感じることは、子供に勇気を与えることだと思います。

それに反して輝良、臼井、老婦人のエピソードは、メインより説明も少ないのに、じわっと心に染みました。メインも説明口調をはぶいて、もうちょっと凝縮した方が良かったかもしれません。比呂志がヒロに渡した10か条も、結局何に役立ったかわからないし、はぶいても良かったように思います。

文句の最後はラスト。なんだありゃ!あんなラストにするなら、10か条の最後に「2006年1月の飛行機には乗るな」と書けばいいだろうが。生きている人間、死んでいる人間、若い時老いた時、みんなみんなでハッピーハッピーとは、だいぶ脱力しました。これがなけりゃ、もっと人様に推薦出来るのですが。障害にもめげず、比呂志の分まで生きる和美を映して終わってほしかったなぁ。


2005年10月13日(木) 「蝉しぐれ」

まさかこんなはずでは・・・。今年の初夏「阿修羅城の瞳」を観て染五郎にノックダウンした私。作品の方はバカだのチョンだの(そこまでひどくないか)散々な言われ方をしていましたが、染五郎のおかげで私にはほとんど問題なく楽しめ、何と今年唯一2回も観てしまいました。なので評判も上々のこの作品なら、染様主演ということもあって、文句など何も出ないと思っていました。わかっているのです、何故文句があるか。藤沢周平の原作を夏に読んでしまったのです。映画の前のほんの予習のつもりが、これほど心打たれる小説とは思っていませんでした。それなのに映画は私の感激したところが微妙どころか、ピンポイント攻撃でほとんど脚本からはぶかれています・・・。映画と原作は別物、比べるのは不毛というもの。わかっちゃいるけど、あぁ!今回原作との比較になるので、少々ネタバレです。

東北地方の小藩である海坂藩。牧文四郎(少年時代石田卓也のち市川染五郎)は、下級武士ながら人徳のある父助左衛門(緒形拳)、母登世(原田美枝子)の元、勉学に剣術に励む日々を送る一方、隣家の娘ふく(少女時代佐津川愛美のち木村佳乃)と、お互い淡い恋心を抱きあっていました。そんなある日、父が藩の家督争いの騒動に巻き込まれ、汚名を着せられ切腹。母と二人、世間の冷たい目の中を生きる文四郎。その上心の支えであるふくは、藩主の下女として江戸へ奉公に行ってしまいます。数年後青年となった文四郎に家老里村からお役目に戻すとの沙汰が。しかしこれには父の敵である里村の陰謀が隠されていました。

前半長い時間をさいて、文四郎とふくの淡い恋心、友人の逸平、与之助との友情など、父が切腹するまでは丁寧に描いており、明朗で快活な少年が、父の汚名のため、これからの長く暗く辛い日々を予感させるのを、長尺の原作を上手くまとめていました。子供時代を演じる二人は、石田卓也など棒読みせりふでしたが、容姿やしぐさなど清潔感があり、男としての強さの芽生えかける少年期を感じさせ、存在感がありました。それにも増して魅力的だったのは佐津川愛美。大きな目にとても力があり、決して器用に演じていたわけではないですが、ふくの芯の強さと賢さ一途さ、文四郎を思う気持ちの強さが痛いほど伝わってきます。二人して助左衛門の遺体を荷車で運ぶ場面は、健気さ純粋さ、そして心のたくましさが感じられ、この作品の中で一番秀逸に感じました。

しかし!この前半に唯一最大の脚色の欠陥が!私の見誤りでなければ、文四郎と助左衛門は実の親子として描かれていました。原作では文四郎は登世の兄の子で、幼い時養子にもらわれています。原作では厳格な登世より、穏やかな人格者の助左衛門を文四郎は慕っており尊敬もしています。血のつながりを越えた文四郎の思いに、文章や映像で語る以上の助左衛門の人物像が浮かび上がります。また囚われた助左衛門に会うのは家から一人という決まりに、妻の登世ではなく、跡取りの文四郎が会いに行くということに、昔の人の家に対する思い、それを理解して支える妻の美徳を感じるのです。原作でのち文四郎が楽しいはずの青春時代を父の汚名のため辛酸を舐めながら、自暴自棄にならずじっと耐え、家を絶やさぬよう自重する姿は、幼いながら男としての器の大きさと厳しさを感じさせ、本当に心打たれました。大げさでなく、原作では私は耐えて家を守る文四郎の姿に、日本人の強さと美しさを見た思いでした。こういう形でその国の人の心栄えを描くのは、決して他の国では見られないと思います。だから実子と養子では雲泥の差なのです。

後半文四郎が青年となるところから、私は不満が続出。上に書いた青春期の文四郎の苦労の描写が希薄。あれだけではいかに彼が家を守るため大変であったかが伝わりにくいです。お役回復までの文四郎の心の支えは、剣の腕を磨くことであったはず。その場面もなく生前の助左衛門の「お前は道場で一番筋がいいそうだな。矢田さんから聞いたぞ。」のセリフだけです。その矢田や矢田の妻も、原作では本筋ではありませんが、枝葉の部分として物語の陰影を深める大切な登場人物でした。あれくらいの役割なら、全部切ってしまった方が良かったかも。

大立ち回りが一箇所ありますが、それもなんだかなぁ。秘刀・むらさめを伝授された剣豪なんですよ、文四郎は。むらさめのむも出てこん!立ち回り場面は血しぶきがかなり上がりますが、これも作風と合っていると思いませんでした。剣豪と言う感じもせず。数箇所ちょこちょこ出てくる犬飼兵馬は、原作ではやはり印象に残る人物ですが、映画では、はぁ〜〜?というくらい、どんな人かわかりません。文四郎と対決するシーンでは、原作ファンなのでしょう、後ろのご婦人が盛んに「出た〜出た〜」を10回くらい仰り、期待の一番勝負が観られると思いきや、これもへっ???というくらいあっさり終わりました。ここは映画なら原作以上に膨らませて描いてもいい部分だと思うのですが。

私が最もがっかりしたのは、画像に貼り付けているシーンの時、ふくが初恋の文四郎に抱きつくところです。原作では久しぶりの再会の時、今は藩主の側室となり子まで産んだふくは、一貫して「文四郎殿」と呼び続けるのに、このシーンの時、たった一回「文四郎さん」と昔のふくに戻り彼を呼ぶ時、胸がかきむしられるほど、私は切なく思ったものです。ふくは下級武士とはいえ武家の娘。文四郎と同じく、自分の運命を甘んじて受け、そして流されまいと必死に踏ん張った女性です。そんな賢い女性が自分の立場もわきまえず、昔の恋しい人に自分から抱きつくようなはしたない真似は、私はしないと思います。木村佳乃の風情なら、原作通りで充分だったと思います。

その他お笑いから今田耕司とふかわりょうが、それぞれ文四郎の幼馴染として影になり日向になり彼を励ましますが、これも彼らをキャスティングしたのは意味がなかったような。特に今田はお笑いを取る役でもないのに、そういう役回りを着せられ、場の雰囲気を壊してしまい、演じる彼が可哀想でした。若い頃の明石屋さんまのような役どころなら、彼の真価が発揮されると思います。

後半ダダーと私的には尻すぼみ。期待の恋しい染様も、「阿修羅城の瞳」ほどには魅力がなく、無難な演技だけの印象です(でも萌えは続行中)。この作品には清貧や清廉という、とても美しい日本語がよく引用されます。清貧や清廉を保つには、自分を見失わない強靭な心が必要なはず。攻撃的ではなく、受身にそれを表現し続けたからこそ、後の文四郎の家老に対する行動にカタルシスを覚えるはずが、その過程の描きこみ不足で、全体に平坦な印象が残りました。

自然の穏やかさ厳しさ、懐の深さを映す風景は絶品でした。全体的にはぎりぎり及第点かというところ。これは原作を読んでしまったからなんでしょうか?映画単体の人の観方の方が、私より的を射ているかも知れません。う〜ん、私もまだまだ修行が足らんなぁ。


2005年10月07日(金) 「いつか読書する日」

全国的にヒットしているようで、大阪ではOSCAPでの上映が大きなOS劇場に小屋換え、終了予定も三週間伸び、上映回数も一回増えています。手術のドタキャンのためバタバタし、次の病院探しで見逃しも覚悟していましたが、無事昨日鑑賞。本当に観て良かった。せりふや情景に無駄が一切なく、登場人物全ての掘り下げも隅々まで完璧な2時間で、感激しました。監督は緒方明。今回ネタバレです。

生まれてこの方ずっとある地方都市に住み続ける大場美奈子(田中裕子)は、50歳の独身女性。早朝の牛乳配達とスーパーで働いて生計を立てています。彼女には高校時代から思い続けている大切な人がいます。やはり同じ町に住み続ける公務員の高梨槐多(岸辺一徳)です。二人は高校時代付き合っていましたが、美奈子の母と槐多の父が関係を持ち、自転車に二人乗りしていた時に事故死、以来付き合いを辞めてしまったのです。お互いを意識しながら、しかし言葉も交わさない二人に転機が訪れます。病の床で死を待つばかりの槐多の妻容子(仁科亜季子)が、美奈子に手紙を出したからです。

ファーストシーン、美奈子が早朝の段差のある階段の多い町並みを、軽やかに駆け抜けて配達するシーンが描かれ、ちょっと意外な気がしました。もっと落ち着いた、でも少し寂しい人を思い浮かべていたからです。地味ですが若々しく元気の良い美奈子を印象付けます。それもそのはず、後述で彼女は牛乳配達が生きがいだと言います。町中みんなに配達したいと。不器用な人ですが、自分で自覚する「愛情の足らない人」では決してないのです。

槐多は余命いくばくもない妻を、自宅で介護しています。これは妻の希望か夫の希望かわかりませんが、私は妻のような気がします。寡黙ですが、淡々と介護をこなす様子に疲れを見せない槐多は、ともすれば遠慮や気詰まりで神経を使ってしまう病人にとり、とても素敵な介護者に思いました。それなのに妻の独白は「結婚して26年と8ヶ月、私はこの人がどういう人なのか、まだよくわからない。」という、とてもとても哀しいセリフが、私の意表を突きました。私は今年の12月で結婚して丸23年、この十数年そんな思いは抱いたことがないからです。毎日牛乳配達をしているのが美奈子だと知ると、容子は一瞬にして夫の思いを知ります。妻だからこその直感。牛乳嫌いの夫が、捨てる前に一口だけ牛乳を飲むのは、美奈子への労いと想いだと悟る時、どんなに心寂しかったろうと思います。

槐多は本当に優しく思いやるのある人です。仕事から帰って家事をして疲れているはずなのに、眠る時は妻の手をそっと握ります。しかし妻は「妻が手を握ってもらうと嬉しいから」との思いで、夫が自分の手を握ってくれているのがわかるのです。あなたが私の手を握りたくて握って下さい、そう言えない辛さ。私は介護してもらっている、もうすぐ死ぬ、愛する夫を父親にしてやれなかった、そんな引け目が言えなくしてしまうのです。歩くこともままならないはずなのに、牛乳受けまで必死に手紙を入れに行く容子に私は号泣。愛は奪うものではなく、与えられるものでもなく、この人のために自分は何が出来るかという「与えるもの」だと言うことを、再認識しました。

職場の上司に「大場さん、まだバージン?」と不躾な問いに、普段は何事も毅然と言い返す美奈子が狼狽する様子に、それは本当だとわかります。その夜寝付けない彼女が深夜ラジオに自分の気持ちを投稿します。「私には大切な人がいます。この気持ちをわかって欲しいと思うときもあるのです。」を破り捨て、「誰にも知られてはいけないのです。」と書き直す美奈子。わかって欲しいと思う女性なら、50歳までバージンでいるわけがありません。

自分亡きあと、夫と暮らして欲しいと願う容子に、「ずるい」と答えて帰ってしまう美奈子。このずるいは、死んだ後いっしょになんかなれやしない、という風にも、死に後では自分は分が悪い、そうとも聞こえました。それが容子の葬式のあと、容子の訪問看護婦に、「何故来てくれなかったの。」と詰問された時の、「私はずるい」に繋がるように思いました。

一瞬映る艶やかな母と対照的な地味な美奈子、「女癖が悪かった」と父を語り、一生平凡に生きると誓ったと言う槐多。親の不行跡で人生が変わってしまったのがわかります。容子の死後、彼女に導かれるようにして会い、結ばれる二人。「今までしたかったこと、全部したい。」「全部して。」何と年齢の割りに味もそっけもない、だけどこれ以上の表現があろうかという会話が胸に染みます。二人が結ばれるシーンも、丸で10代の子の初体験のように気ばかりあせり、中々服が脱げない様子に微笑みつつ、瑞々しさに心打たれ、やはりセックスは愛あってのものだと、キス一つに泣きじゃくる美奈子を見てそう思いました。美奈子がおしゃれな勝負下着ではなく、おばさん下着姿なのも、返って初々しくて良かったです。

気にかけていた虐待されていた子を救うため、溺れ死んでしまった槐多に、そんな、こんな終わらせ方あるかと少々怒りに似た気持ちになりましたが、それは違うのだと、今思っています。笑顔を浮かべた槐多の死に顔は、前夜長年の想いを遂げた喜び、自分を重ねていた子の命を救えた嬉しさがあり、平凡であることを人生の指針としてきた彼にとって、一世一代の充実した時に死を迎えたことを表していたのかと思います。

それにお互い35年、いっしょの町に住み顔を合わせていたとて、実際暮らしたり付き合ったりしたら、こんなはずではなかったの思いも出るでしょう。二人の愛ではなく「恋」の終焉に似つかわしいように思います。美奈子なら、一夜の思い出を胸に、これからも正しく生きていけるでしょう。長年愛した人も自分を想い、そして成就したことは、これからの彼女の人生に誇りと自信になるはずです。

美奈子の親代わりの夫婦も印象深かったです。最初えらくこの奥さんはボケの進み始めた夫を上手にコントロールして、受け入れているなぁと思っていたら、介護手記を断るシーンで夫をさらし者にしたくない気持ちに触れさせ、最後は略奪愛で妻子から奪った人だったと美奈子に語る段で、妻の本心を悟らせるように出来てありました。きっと自分の罰だと思っていたのでしょうね。最後まで夫を手厚く介護するのが、妻子への贖罪だと思っていたと思います。脚本上手い!

「いつか読書する日」というタイトルですが、美奈子が新刊の広告を切り取ってとってあるシーンがありました。読んでいた本や家にあった膨大な蔵書は、みな古典や古い書物だったように思います。それは35年前、槐多と別れてから思い出から抜け出せない彼女の心を表しているように感じました。槐多の死後、これからどうするの?の問いに「本でも読みます」と答える本は、切り取った新刊ではないでしょうか?「いつか読書する日」は、新しい美奈子の人生の始まりの日、私にはそう思えました。


2005年10月04日(火) 「シン・シティ」


先週の日曜日に、道頓堀の角座で観て来ました(またタダ券)。予定通りなら今日が手術日で、この作品は体調が良ければ観るけど、多分見送りだろうなぁと思っていた作品。予告編を観て面白そうオーラ全開だったので、カッカきている頭を冷やすのにちょうどいいさと鑑賞しました。が・・・。う〜ん、好きな人ははまって絶賛する作品でしょうが、私はあんまり気分良くありませんでした。

罪の街・「シン・シティ」で繰り広げられる三つのお話から成り立っています。1話目は定年間近な刑事ハーディガン(ブルース・ウィリス)は、連続少女暴行殺人犯が、街の実力者の息子だと突き止め、囚われている少女を助けに行きますが、銃で撃たれてしまうのですが・・・。2話は屈強な体と醜い容姿から女性から一度も愛されたことがないマーヴ(ミッキ・ローク)が、一夜の愛を捧げてくれた娼婦ゴールディを殺した相手に復讐するお話。
3話は何かの罪から逃れるため、顔を変えてシン・シティに潜むドワイト(クライブ・オーエン)。昔の恋人ゲイルが仲間の娼婦とともに刑事を殺したため、追われるだけでなく街が無法地帯に逆戻りすると知り、一肌脱ぐことにします。

この三つのお話が少しずつ絡み合い、段々と全容がわかるようになっていますが、一つずつの短編として観ても、展開は早いし、適当に挿入されるユーモアや筋も確かに面白いです。全編モノクロ画面で、パートカラーになっており、パートの赤や黄色が鮮やかで、非常に目に焼きつきます。首が飛んだり、車に引かれたり、血しぶきがあがったりの連続のバイオレンス物ですが、モノクロのせいか、そんなにグロクはありません。

しかしグロくはないけどエグいです。シルエットですが、犬に人肉を食べさせたり、手足が切り刻まれても薄ら笑いを浮かべたり、死刑執行シーンの見せ方も執拗だったりで、ファーストシーン、ジョシュ・ハートネットと美しい女性の気の利いた会話から、どんな斬新なバイオレンス作品が始まるのかと、期待に包まれたのですが、進むに連れてこっちのテンションは段々下がる一方です。

私が一番いやだったのは、平気で女を殺したり殴ったり、レイプ犯が幼い少女が対象だったりするところです。特にムカッときたのは、ドワイトが口答えするゲイルに一発頬を張るのですが、その直後ゲイルは、「やっぱり私が惚れた男」とばかり、嫣然と笑って自分からキスしにいくところです。わかるわぁ〜という大人の女性もおられるでしょうが、こちとら成熟する前に枯れてしまった身、こんなことは絶対にありえん!こういうの、私は安手の男のロマンだと思いますが。

確かに彼らを懲らしめるシーンもあるのですが、爽快感を感じるはずの銃撃戦では、全裸に近い半裸のお姉ちゃんばっかりなので、女の私は胃にもたれます。というか、女性はデヴォン・青木以外は、みんなこんな格好でした。「スパイキッズ」のママ、カーラ・グギノなどおっぱいかお尻を見せている時間の方が長いです。マーヴから「そそる体」と言われますが、確かにエッチなボディ。いやびっくりしました。

ドワイトのパートは思い起こす方も多いと思うのですが、この作品の監督ロバート・ロドリゲスとは作風が違いすぎるし、比べるのは愚の骨頂、それは百も承知なのですが、ペキンパーの「ガルシアの首」が浮かびました。虫けらのような底辺の男のありったけの底力を見せられ、カタルシスと共に胸を熱くしながら、腐っても男は男、やっぱり男の人には勝てないなぁと、女の私もしみじみ感じた「ガルシアの首」に対し、こちらは男の純情が全編を貫き、闘争本能や綺麗なお姉ちゃんの裸などで、夢のような男性のロマンを、ゴージャスに「悪趣味」に描く、縦横斜め、どこを取っても男性向きの作品に思えました。しかしこれが好きな男性を、私は嫌いではありませんので、念のため。

あの俳優、この俳優がびっくりの役で出てくるのはお楽しみです。役者はみんな良かったです。印象に残ったのはミッキー・ローク。醜いメイクは昔「ジョニー・ハンサム」でやってましたが、あれよりマッチョな分、哀愁が漂います。それとイライジャ・ウッド。仕事選ばないとアンソニー・パーキンスみたいになるよ。最後にベニチオ・デル・トロ。あなたは仕事を選ばず何でもやって下さい。いつもマックスで期待してます。


2005年10月01日(土) 「がんばれ!ベアーズ/ニューシーズン」(吹き替版)

別の病院の検診の帰り、梅田で観てきました。その日は予定通り入院なら「いつか読書する日」をモーニングで観る予定でしたが、日記に書いた事情により早急に筋腫の状態を診察して欲しかったので、涙を呑んでパス。しかし意外な見通しの明るさに気を良くしての、その後の鑑賞です。元作の方は、中3くらいの時観て大層気に入り、先日書いた「映画バトン」でも、何故名前が浮かばなかったのかと、後で不思議でした。しかしラストのラストまで観て、どうして忘れていたかが胸にズシンときました。

害虫駆除の仕事をしている飲んだくれの不良中年バターメーカー(ビリー・ボブ・ソーントン)は、一度だけメジャーリーガーとしてマウンドに上がったことがありました。少年野球チームの監督を頼まれ、こずかい稼ぎがてら引き受けた彼ですが、想像を絶する子供達のヘタレ具合に、全然やる気がありません。しかし最初の試合でぼろ負けして猛烈に悔しがる子供達に、彼の中で何かが変わります。別れた妻の連れ子であったアマンダ(サミー・ケイン・クラフト)や、少年院上がりと噂されるケリーをチームに招き入れるや、ベアーズは快進撃を続けます。

「スクール・オブ・ロック」のリチャード・リンクレイターが監督なので、どんな出来かと思いきや、ほとんどオリジナルといっしょ。そういえば「スクール〜」も、一見破天荒に見えて、むしろオーソドックスに先生と教え子の絆を描いていたように思います。

ボールもろくすっぽ投げられないくせに理屈ばっかりいい、バターメーカーに悪態ばっかりつくヘタレの悪ガキたちが、屈辱的な最初の試合の大敗に、身分不相応に猛烈に悔しがるのがいいです。この気持ちをバネにするかあきらめてしまうかでは大違い。大げさに言えば、彼らの人生にも関わる出来事です。子供達の選択はあきらめの方。しかし彼らの情けない様子に、人生あきらめきったバターメーカーの心に火がついたのは、まさに「負うた子に教えられ」で、ストーリーは先刻ご承知の私も、やっぱり嬉しくなります。

ウォルター・マッソー以上の適役はないと思われるバターメーカーを、実に自分に引き寄せて演じているビリーボブにびっくり!元は善人だろうムードのあったマッソーに対し、こちらはやさぐれた不良中年がぴったり。ダメな男のセクシーさ全開で、子供映画でこんなにフェロモン出してどうするなんですが、子供達に段々と愛情を持つ人間的な魅力と、男としての魅力も兼ね備えたビリーボブのバターメーカーは見事でした。

母と自分を捨てた元義理の父に対する、アマンダの気持ちの描き方がいいです。演じるのは元作はご存知最年少オスカー受賞女優テイタム・オニールで、ほんの子供の容姿ながら見事な娘心を見せたの対し、今回のサミーは体格が良くぱっと見はローティーンには見えませんが、最初は自分たちを捨てた義理の父に突っ張っていますが、本心は彼を慕っておりまだ幼いのだという気持ちが観ていてドンドン湧いてきて、心に染みます。サミーは野球経験者だそうで、堂々のピッチングでした。

バターメーカーがやる気になる様子、アマンダとケリーの関係など、細部の心の移り変わりに、元作はもう一息工夫があった気がしますが、もう20年以上観ていないので、定かではないです。この作品から観た方は、気にはならないと思います。一球の判定やアウト・セーフの判定に子供以上に大人がエキサイトする様子は、うちの息子達もラグビーをしているので、とってもわかるなぁ。私が一番好きなセリフは、チビで喧嘩っ早いターナーが、チーム一の弱虫が悪ガキどもに痛めつけられているのを助ける時の、「こいつをいじめていいのは俺だけだ!」。同じ釜の飯を食った仲間はこうでなくっちゃ。

ラストは知っているのにウルウルしました。初めて観た方は意外な印象を受けた後の爽快感が、とても心に残ると思います。勝負はどんな手を使っても勝てばいいのではなく、されど勝ち負けを意識せず、全力を出せば参加することに意義がある、も違うのです。最後のベアーズの弾けた姿は、勝つ気持ちを持ち続けるのが大切、そう教えてくれているようです。勝つ対象は人それぞれ。仕事、スポーツ、お金、病気、家庭不和、長い人生でそれぞれ対象は変わるはず。子供から大人までが一丸となったベアーズがそう教えてくれます。そんな気持ちを失っていたから、私はこの作品を忘れていたのですね。「勝ち組・負け組み」という言葉がもてはやされ、一見多様化したように見える価値観の中、実は経済的に潤ったものこそ一番の考えが、広くはびこっているように思います。そんな考え方を木っ端微塵にしてくれたラストでした。さしずめ私の対象は病気。ベアーズの子供達に負けないよう頑張ります。


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