ケイケイの映画日記
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2004年10月30日(土) 「エクソシスト・ビギニング」&「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」

仕事休みの木曜日に、格安チケットを入手した友人のお相伴に預かり、道頓堀の角座からアメリカ村のパラダイス・スクエアまで、久しぶりにはしごして来ました。

★「エクソシスト・ビギニング」★

元の「エクソシスト」は、私が中1の時の夏休み公開でした。まだ子供だった私には本当に衝撃的で恐ろしく、悪魔にとりつかれたリーガンの部屋はとても寒々しそうで、クーラーがガンガンに効いた劇場と相まって、文字通り凍える思いで観たものです。初作のメリン神父は、粛々しく厳かな雰囲気を漂わせていたマックス・フォン・シドー。当時彼を知らない私にも、威厳を感じさせました。今回の若き日のメリン神父は、ステラン・スカルスゲールド。若き日といっても充分中年で、老人の役だったシドーより若いということです。渋いけど、元聖職者という割には少々生臭い感じがして、そこが若さなんでしょうか?シドーと同じスウェーデン出身ということで、キャスティングされたのではないかと思います。

物語の軸は、戦時中ナチスの残虐な行動を止められなかったことに、神の存在を否定してしまったメリン神父が、アフリカの地で悪魔と対峙することで、信仰心を取り戻すまでのお話です。元作が母娘の愛情、シングルマザーの孤独、若き神父の信仰に対する葛藤など、オカルト・ホラーの中に共感出来る人間ドラマの部分を、色濃く強調していたのに対し、こちらは、土俗的なアフリカの因習を巧みに見せながら、未開の地に土足で踏み込む先進国の批判を絡ませています。

しっかりした脚本で、レニー・ハーリンが監督ということで、もっと爆発シーンなど火薬とCG満載かと思っていたのですが、意外や重厚な作りです。単体として見れば、合格な作品だと思います。でも元作と比べる気のなかった私ですが、ちょっと退屈しました。色々山場を張ってくれているのですが、全部にこじんまり。あれもこれも手を出さないで、たとえば戦闘場面を減らして、メリン神父の信仰に対する葛藤をもっと掘り下げて描けば、ぐっと作品が締まったように思います。出演者はみなそれなりに好演でしたが、大幅に華に欠けたように感じます。演技巧者というので選んだキャスティングなら、ドラマ部分の各々出演者の心の動きを、もう少し丹念に描く方が良かったと思いました。

監督はジョン・フランケンハイマーがクランクイン直前に亡くなり、ポール・シュレイダーはほとんど撮り終えて降板させられ、イチから取り直したのが、今作・ハーリン版だそうです。シュレイダーなら、メリン神父にきちんと焦点が当るだろうし、フランケンハイマーなら、エンタメ度がぐっと上がったかも。両方観たかったです。


★「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」★

この作品の初回の公開時は、まだ末っ子が2歳で、映画なんかとんでもない、という時期でした。ビデオもテレビも観ずの、正真正銘の初見です。少々グロテスクでユーモラスなキャラクターたちの生き生きした様がとても楽しく、ダニー・エルフマンの音楽も気に入りました。CG全盛の今では、こういう手動のアニメは、とても暖かく感じられます。「餅は餅屋」ということわざを思い出しました。

私が好きなのは、オンボロ人形と揶揄されるサリー。あちこち継ぎはぎで、さながら女フランケンのサリーですが、自分の置かれた運命にあらがい自由を求める姿は、等身大の共感を呼びます。がい骨のジャックを一途に思う心には、思わず切なくなります。

先に短編の「フランケンウィニー」が上映されましたが、この作品の優しいお母さんがシェリー・デュヴァル。彼女もかなり個性的な容姿ですが、いつも観た後、最後にはとても愛しい気持ちにさせる人です。大きすぎる目と縫い後だらけの手足を持つサリーが、シェリー・デュヴァルに重なって見え、シェリーがモデルなのかしら?と思ってしまいました。

一見悪趣味っぽい中の暖かさと切なさ、とてもティム・バートンらしいファンタジー・ミュージカルでした。


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