ケイケイの映画日記
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2004年12月27日(月) 「エイリアンVSプレデター」

今年劇場鑑賞100本目の作品を、24日のクリスマスイブの日に観てきました。この日は学校の終業式と重なったこともあり、館内は小中学生の男子がいっぱい(私も息子連れ)。何故かおじいちゃんもいっぱい。そして「ヘルボーイ」に続き、また女性は私一人の鑑賞と相成りました。

2004年、謎の熱源が南極大陸の地下で発生し、巨大企業ウェイランド社の社長・チャールズ・ビショップ・ウェイランドは、早速調査を開始するため、各方面に精通する探検家や科学者を集めます。南極についた調査団は、ピラミッドを発見。そこは人間を生贄とし育てたエイリアンと、成人を迎えるプレデターとを戦わせる、儀式の場でした。

人類最強の敵同士の対決、人間は刺身のツマの、トンデモな映画なのだと確信していた私ですが、それが前半やけに前フリが長く、真面目にお話が進んでいきます。10分くらいでドンパチ派手に始まると思っていたので拍子抜け。無名の地味な俳優ばかり集めての、これまた地味な前フリは少々退屈です。

その中で光輝いていたのは、ビショップさん。いや別に特別な芝居をしていたわけじゃなく、彼くらいしか知っている名前がなく、演じるのもお馴染みランス・ヘンリクセンということで、ヘンリクセン→ビショップ→アンドロイドとすり込まれてある私の頭は、まぁお久しぶりね、随分老けられて御苦労されたんですね、という感じだったのですが、あれ?どうして「エイリアン」のずっと以前の設定なのに、アンドロイドが老けるのだ?と思っていたら、彼はミドルネームにビショップの名前がついているだけで、人間なのでした。監督のポール・w・s・アンダーソンは、両方のシリーズのファンらしく、ちょっとしたお遊びです。

その他両方のシリーズの筋立てをミックスしてお話が進んで行くので、だいたい展開がわかり、誰が残るかも予測がつきます。期待のバトルシーンは、ちょっと地味目。プロレス技の応酬みたいで、まぁまぁというところ。しかし、生き残りをかける人間が必死に考えた「敵の敵は味方」という案に私はウハウハ。要するにどちらかについて、いっしょに戦いましょう!ということです。ついた方とのボーイ・ミーツ・ガールな道行に、私はまた爆笑。(しかし場内誰も笑わず)この人間の行動は、結構巷の評判ではシリーズを愚弄していると悪評ですが、トンデモで頭空っぽで面白いのを期待していた私は、これ以降文句なくアクションや戦闘場面を楽しめました。ラストは次も作る気に感じました。

映画の中で、女性の調査員が銃を所持して調査に出ようとすると、リーダー格のヒロインが、「持っていっても使い道はないわ。」と言います。すかさず調査員は「避妊具と同じよ。使わなくても持っていると安心なの。」というイキな比喩で答えます。そうそう、男性をあてにするばかりでなく、自分の身は自分で守らないとね。こんなセリフを生かせるドラマ部分の強化があれば、更にポイントはアップしたでしょうが、VSものには返って邪魔かも。年末年始の慌しい中、ちょっと息抜きには手頃な作品かと思います。


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この作品で、取り合えず今年の劇場鑑賞は終了の予定です。今年は拙い私の感想文にお付き合い下さり、ありがとうございました。来年もマイペースでジャンルにこだわらず映画を観たいと思っております。また、たくさんの方が掲示板にもお越し下さり、楽しい時間を過ごさせていただき、感謝しております。来年は「カンフーハッスル」で幕開けしたいと思っていますが、予定は未定。でも三が日に、何か一つは観たいと思っております。それでは皆様、良いお年をお迎え下さい。


2004年12月20日(月) 「誰にでも秘密がある」

今年99本目の作品です。年の瀬の押し詰まった日曜日に、お気楽に友人と観てしまいました。良くない評判ばかり目にするので、もっとユルユルの出来なのかと思いきや、意外やとても楽しかったです。胸をはだけたセクシー・ビョンホンに、3人の下着姿の美女のポスターを見た方は多いと思いますが、あのまんまゴージャスな艶笑コメディで、ウッフ〜ン、アッハ〜ンなムード満載、終始クスクス笑いっぱなしでした。

母親がオーナーのクラブで、ジャズシンガーのアルバイトをする女子大生のミヨン(キム・ヒョジン)は、恋愛や性に対してとても奔放な考えの持ち主。今日も歌いながら素敵な男性を物色中。目にとまったのが、プレイボーイ風ながら品の良いスヒョン(イ・ビョンホン)。果敢に彼にアタックする彼女は、あっという間に婚約まで漕ぎ着けます。しかしスヒョンは、ミヨンの長姉で人妻のジニョン(チュ・サンミ)や、次姉の27歳にして勉強の虫で未だ処女のソニョン(チェ・ジウ)とも怪しい仲に・・・

と言うお話。一人のプレイボーイと3人の美女ということで、若き日のアラン・ドロンのラブコメ・「お嬢さん、お手やわらかに!」を彷彿させます。こういう作品は、演じる人たちの容姿が美しいだけでなく、どこか育ちの良さを感じさせないと、下品になりがちですが、その点は合格です。ビョンホンは、青年実業家というよりお金持ちの息子風で、女性陣を惑わすキザなセリフや振る舞いも、こんなに素敵ならそりゃポーっとなるでしょう、と思わすのに充分。

姉妹の方は、チュ・サンミは中谷美紀を年を取らせてふっくらした感じで、可愛くしっかりした長女・奥さんぶりです。こんなに可愛い妻にセックスアピールを感じない夫など、そんなダメ亭主と思うのですが、この夫が俗人ぶりもおかしくコミカルなので、深刻な感じがしません。
チェ・ジウは、「ジウ姫」と称されるイメージが良い意味で覆される好演で、泣いたり笑ったり喜怒哀楽が激しい役ですが、中々のコメディエンヌぶりです。ロストバージンのシーンなど、経験がないのでエロビデオで勉強をした成果を発揮しようとするのですが、アップになるとふっくらした頬、つぶらな瞳の童顔が愛らしく、いやらしさがありません。あなた、女性は最初の時は怖がっているだけでいいんです、と微苦笑しながら見ていました。

拾い物は三女役キム・ヒョジン。最初出てきた時は、濃すぎるアイラインとつけ睫毛が鬱陶しく、整形天国の韓国なんだから目をくっきりすればいいのにと思っていましたが、喋りだすととても快活でチャーミング。シンガー役なので特訓したとかで、歌い踊る姿はすぐにでも本職になれそうな上手さで、スタイルも抜群です。その他、姉たちに容姿のよき遺伝子の全てを吸い取られたような長男役・チョン・ジョヒョンの、愛嬌のある雰囲気と演技が楽しませてくれます。

姉妹の家がちょっとしたお金持ちの設定なので、ゴージャスなお屋敷や調度品、衣装なども目を楽しませてくれます。どうしてほわんほわん、お手軽にエッチしてしまうのに、いやらしさをあまり感じないかというと、バストやお尻の露出がなく、白いベッド・白いシーツにくるまれて、BGMは懐かしの日本のムード歌謡風で、清潔感とミスマッチなロマンチックが笑いを誘うからだと思います。それだけでなく、ビョンホンとヒョジンがいっしょにお風呂に入るシーンでは、豪華な湯船にいっぱいのバラの花が浮かべられため息もの。こっちは本当にロマンチックでした。長姉とだけ、おぉファックシーンという感じですが、着衣のままですし(チョゴリ姿だ!)、こちらのBGMは情熱のラテン風です。まぁ人妻ですから。

艶笑といっても、スペインのアルモドヴァルやベガス・ルナのようなストレートなダイナマイト級ではなく、昔懐かしのイタリア風です。話の流れもスムーズでした。女性が純潔や貞操を捨てると、一皮向けた自分がわかると言う描き方は私も同意しかねますが、一面真理でもあると思います。いい方向に転ぶばっかりじゃないぞ、という限定つきでOKかと思います。

それにしても、彼女達のお父さんは、さぞ艶福家であったことでしょう。(意味は映画をご覧になってお確かめを。)ビョンホンファン以外の方にも、私はお薦めしたいです。






2004年12月18日(土) 2004年・年間ベスト10

本当は「ターミナル」を観てから決めようと思っていた年間ベスト10ですが、昨日ラインシネマの時間表を見たら、どうも年内は無理みたいです。年内の予定はまだ3〜4本あるのですが、多分これで固定すると思うので、書かしていただきます。

今年の劇場鑑賞は、アメリカ46本、邦画25本、韓国13本、フランス3本、イギリス3本、イタリア2本、ドイツ、スペイン、中国、ベルギー、スウェーデン、タイ、各1本の計98本。そのうち新作90本から選びました。

1  オアシス
2  父と暮せば
3  誰も知らない
4  砂と霧の家
5  Mr.インクレディブル
6  シルミド
7  お父さんのバックドロップ
8  殺人の追憶
9  ジョゼと虎と魚たち
10 ミスティック・リバー

1〜3は順不同です。この3本は早くから決まりました。どれも非常に重たいテーマでありながら、ユーモアとファンタジーを交えて見せ、ズシンと心に響かせる手法が感銘を受けました。3本ともラストに救いがあり、自分の生き方を立ち止まって考える機会をもらいました。

4はハリウッド作品ですが、地味な作品です。登場人物全ての掘り下げが完璧で、ドラマとしての脚本の素晴らしさは、一番だと思いました。
5はとにかく楽しい!今年のアニメNO.1でもあります。

6は今まで韓国の歴史から葬り去られていた事柄を、泥臭い演出ながら泣かずにはおられないエンタメ仕立てで作られており、男臭さ満開。自国の恥部・暗部を、真正面から見せる、監督の男気に惚れました。

7はとにかく大好き!1980年のファンキー大阪を舞台に、笑いと涙と人情がこれでもかと押し寄せる、濃いのにコクは残しあっさり、匙加減が絶妙な作品です。

8は6と対照的な作品。軍事政権下の連続殺人を舞台に、充実したサスペンスと心理ドラマが展開される中、当時の政治批判もしっかり見える、コテコテが旗印の韓国映画には、珍しい洗練された作品です。これからポン・ジュノの名前が出たら、取りあえずは必ず観ようと強く心に誓った作品。

9は去年末から公開ですが、私は今年1月に観たので入れました。みずみずしい恋愛模様が、中年の私にも切なく心に響き、観ている間一足飛びに若い時分に戻っていた作品。女性が障害者という設定のため、「オアシス」とよく比較されて甘いとのコメントを見かけますが、私はそうとは思いません。障害が最大のテーマであった「オアシス」と比べ、こちらは何故若い二人の仲がダメになったか?、その理由がたまたま障害であったということで、あくまでもモチーフに使っているだけで、今ドキの若い男女の風景を表したかったと思います。

10は観たときは、絶対今年のベスト1であろうと確信していたのですが、ずるずる後退。しかし完成度という点では圧倒的です。最近の作品の中では比類なき見事な人間ドラマを見せてもらいました。

他に入れたかった作品は「シービスケット」「エバとステファンと素敵な家族」「スクール・オブ・ロック」「パッション」「恋愛適齢期」「チルソクの夏」「ヘルボーイ」「笑の大学」などなどです。90本というと多いようですが、これでも見逃しがいっぱい。書くために観るということはしていません。純粋に全て観たい作品ばかり観ました。ので、ある程度自分に合うかどうか考えて観るので、大ハズレはあまりありません。5本くらいかな?挙げた作品の中で、読んで下さっている方も好きな作品があれば、とても嬉しいです。


2004年12月16日(木) 「僕の彼女を紹介します」

この手の映画を観て好きだと思うと、あぁ私はプライド低く映画を観ていて良かったと、確認します。人様よりたくさん映画を観ていて、こんな感想文のサイトを立ち上げていると、どうしてもプチ評論家気取りになりがちです。絶対素人の感想文だと肝に銘じておこうと思っていますが、そんなに気を張らなくてもいいみたい。だってこんなに雑で出来の悪い作品に、2回も泣いて、愛せてしまうのですから。

女子高で教師をしているミョンウ(チャン・ヒョク)は、引ったくり犯を追いかけている時、熱血だけど早とちりの婦人警官ギョンジン(チョン・ジヒョン)に、痛めつけられてまくって誤認逮捕されてしまいます。謝りもしないギョンジンに、ミョンウは憤慨しますが相手にもされません。後日非行防止の夜間パトロールで、再び出会った二人は、今回もギョンジンの早とちりから、てんやわんやの騒動に。しかしこれが縁で、二人は付き合うようになり・・・

この作品を観るのを正直ためらっていました。予告編を見る限り、あまり魅力が感じられませんでした。クァク・ジェヨン監督、チョン・ジヒョン主演の前作「猟奇的な彼女」は、強引なプロットながら、若さのエネルギーと初々しい主演二人の愛らしさに、最後まで楽しく観られました。ジヒョンばかりに注目が集まりましたが、相手役・チャ・テヒョンの男らしいのではなく、甘酸っぱい「男の子」らしさにとても好感を持っていた私は、チャン・ヒョクでは、トウが立って新鮮味がなく、イマイチ感がぬぐえませんでした。

それがヒョクが中々良かったのです。善良な小市民っぽい雰囲気、少々気弱だが愛する女性を守りたい、理解したいという、男性としての誠実さも上手く表現できていました。

それに対して、「猟奇的な彼女」を彷彿させるというか、そのまんま大人になった役なので、安全パイだと思っていたジヒョンに、魅力が不足していました。これは脚本のまずさなのですが、前作の場合は、自分よがりの正義感を爆発させても、学生のプライベートな事柄なので、笑ってすませられますが、今回は社会人が仕事上でそれを発揮しています。ちょっとこれで笑えといわれても、あまりにもギョンジンのキャラクターが幼稚すぎます。演じるジヒョンも、今回は腫れぼったい目がいやに目立ち、あまり美しくは見えませんでした。相変わらずスタイルはいいので、これは撮り方のアングルが悪いのでしょうか?

撮影といえば、ジヒョンを中心にして、グルグル周りが回転する撮り方が始終出てくるのですが、これがいただけません。嬉しい時、楽しい時、哀しい時、切ないとき、全部このショットです。これではあまりに工夫がありません。

前回の劇中劇同様、今回も指きり伝説のような、コスプレ物の劇中劇がありますが、これもダメ。韓国人が西洋人の衣装を身にまとい、お姫様はともかく、ハンサムと言えない男性のタイツ姿の王子様は、まるで学芸会です。せっかく韓国にも李王朝があるのですから、「スキャンダル」ばりに自国のコスプレを見せても良かったと思います。

後半、ある民間人の誤射がキーポイントとなり、切ないメロドラマが展開されます。この事件の元となったのはギョンジン。普通なら巡査の民間人誤射など、警察全体を揺るがず大事件で、本人は元より上司の首も危なかろうというもの。しかしその後、いきなり彼女が刑事に昇進しているのでびっくり!そして凄腕スナイパーの如く拳銃の腕前がすごいのです。それを表現するのに、カーチェイスしている車をし止めるシーンが挿入されていますが、これがもう・・・。漏れたガソリンに引火した車が、爆発しているのを背に一人決めポーズでたたずむギョンジン。もう脱力・・・。そんなシーンを入れないで、ここは刑事になるため、必死だったギョンジンの姿を入れるんでしょーが!

その他もプロットのつながりが悪く、いきなり展開するので???がつきますし、強引そのもの。音楽もオールディズ、クラシック、Xジャパン、ボブ・ディランなど、統一感が全然。どの分野でも、そのシーンにあった曲があるはずで、思いつきだけで曲を選んでいるようです。

ここまで読んだ方、観る気失くしますよね?でもこの作品から私は、上に書いたことを全部不問にしてもいいほど、もう一度あの人に会いたい、いっしょにに過ごしたいという、人を愛する気持ちの美しさや切なさに、思い切り涙しました。それも過去を忘れられないという、人を愛するという誰もが持つ感情で、転じて人間の強さまでも感じてしまいました。薄氷を踏みながら歩いていて、冷たい湖に落ちてしまったような感情、薄皮をむくように、曇っていた心に光明が差す表現など、非常に上手いです。

今年日本中を席巻した韓国映画ですが、民族性なのかこの作品と同じく、人の感情のひだを、過剰なまでに煽る作品が多いです。しかしそれが幅広い層に受け入れられたということは、人付き合いの中での、カジュアルで薄い心の行きかいに寂しさを感じ、もっと本音でぶつかりたい、そういう方も多かったからではないか?左右前後、年齢の幅のあるたくさんの女性観客の涙する姿に、ふとそんなことを思いました。

ある種ハッピーエンドで終わるラストも清清しく、ラブコメ・メロドラマ・ガンアクションとてんこ盛りのストーリーも、見方によればお正月のおせち料理かもしれません。但しこの作品を好きな人も、私のように出来が悪いのは重々承知の人ばかり。これは作家性以前の問題だと思います。ポン・ジュノのように、知性があり洗練された若手監督が出てきている韓国、うかうかしていると置いていかれてしまいます。クォク監督、次回作に期待しています!「猟奇的な彼女」ファンの方には、ラストに嬉しいプレゼントあり。ジヒョンにゲロを吐かれたおじさんが、今回も特別出演?しています。前半で出てきますので、お見逃しなく。


2004年12月10日(金) 「お父さんのバックドロップ」

この作品は大まかなストーリーだけ頭に入れて、鑑賞に望みましたが、主人公の名前でまずヒット!下田牛之助って、往年の名ヒール・上田馬之助のもじりではないの!ヒール転向後の金髪+隈取風メイクはグレート・カブキも入っているような。そうです、私はこの映画の設定の1980年前後、大のプロレスファン(主に全日本プロレス=ジャンアント・馬場)でした。

ドサ回りの新世界プロレスのレスラー・下田牛之介(宇梶剛士)は、妻を亡くし一人息子の一雄(神木隆之介)を連れ、生まれ育った大阪・平野区のアパートに戻ってきました。そこには牛之助の父(南方英二)がおり、韓国人だった夫を亡くし、一人息子哲夫(田中優貴)を育てる金本英恵など、昔懐かしい人々が、彼らを大歓迎して迎えてくれます。少々短気ですが男気溢れる牛之介は、皆から好かれていますが、プロレス嫌いの一雄とは気持ちが通わず、それが悩みの種。折りしも経営状態の悪い団体の起爆剤として、社長(生瀬勝久)からヒール転向を打診された牛之介は、古参レスラー松山の解雇取り下げを条件に、その役を引き受けます。拍車がかかる息子との間。自分の息子を思う気持ちを伝えようと、極真空手チャンピオンとの、勝ち目のない異種格闘技に、牛之介は望みます。

全編笑いと人情に溢れています。そして何気ない言葉・シーンが、セットや情景が、ハッとするほど胸に染む込むように演出されています。面白くなさそうに一雄とキャッチボールをする牛之介は、気の合わない息子と、どう接していいかわかりません。血の気の多い彼が、息子に対しては腫れ物に触るようです。ソリが合わない父子は世間にゴマンといますが、その潤滑油となってくれるはずの母はいません。母を語る一雄の「いつも優しかったわけじゃない。ケンカもしたし、たたかれもした。でも僕はそんなお母さんが大好きだった。」本当にどこにでもある母と息子の風景。この言葉に、自分の時間などまるでなく、時には不満を募らせながらも、子供だけを見ていた時期のある私は、ただ当たり前のことをしただけでも、子供とは母親をこんなにも愛してくれるのかと、目頭が熱くなりました。

対する父親はというと、父に何故勝ち目のない戦いを挑んだと問われた牛之介は、「息子に尊敬されたいから。」と言い切ります。父親は何よりもプロレスが大事だと思っている一雄に、そのプロレスが出来なくなるかも知れない相手と戦うことで、自分の気持ちを伝えようとする牛之介。この尊敬されたいの平凡な言葉に、息を呑むほど父親というものの厳しさを感じました。

しかしながら、お互いの孤独な心が浮かび上がるかと言うと、そうではありません。切なさや不器用さは感じても、お互いを求め合い、二人とも孤独ではないのです。何故ならとぼけた味で二人の仲を取り持つ祖父。ほのかに牛之介に思いを寄せて、愚痴を聞いてあげる英恵は、一雄の事だって心から案じています。社長は業突く張りのようですが、根は善人で何としても団体を存続させたいと思っており、誰よりもレスラー・牛之介を認めています。哲夫は嬉しい時悔しい時、いつも一雄の隣にいて、喫茶店でやけ酒ならぬ、やけイチゴセーキを飲む仲です。これらともすれば、押し付けがましく見えかねない人物達の熱い人情を、素直に観客の心に溶け込ませます。

私が主役二人と同じくらい気に入ったのが、金本英恵。女手一つで忘れ形見の哲夫の幸せだけを一心に願い・・・という母ではなく、厚化粧で家業の焼肉屋の手伝いに哲夫をこき使い、心配やうんざりさせまくりの母です。しかし金本という姓は在日の通名ではポピュラーで、日本人の彼女は夫の死後、旧姓に戻れるはずなのに、息子共々そのまま名乗っています。多分夫と営んでいた店なのでしょう、いまだに韓国歌謡が流れ、韓国の酒がおかれている様子に、彼女がいかに夫を愛していたかが忍ばれます。そんな彼女の口から、「おばちゃん、寂しいねん。」の言葉は、一人寝の寂しさではなく、夫恋しさからだと感じました。転じてほのかな牛之介への思いも、下世話な様子と裏腹に、純粋さを感じてしまいます。

演じる南果歩は、都会的な今までのイメージをかなぐり捨ててのまさかの怪演。何故かとても楽しそうです。宇梶剛士は、強面の容貌の中に見える優しさと男らしさが魅力。決して演技が上手いのではないのですが、自分の持ち味を最大限に出すことで、乗り切っています。ネイティブ関西人の中に入って、違和感のない関西弁でした。神木君は言わずと知れた、現在NO.1の名子役。今回も賢さと繊細さの表側と裏腹の、子供らしい親への屈折した気持ちを好演。意外な好演の田中君は、いてるいてる、こんなごんた(やんちゃ)な子、と言う感じで、とても可愛かったです。何でも上手く出来なくて、監督に相当鍛えられたそうです。その甲斐がありました。南方英二は、出てくるだけで、私は嬉しいです。生瀬勝久は、いつもながら名脇役ぶりです。憎々しく演じているのに、演じている社長の本心を的確に観客に伝えるのがすごく上手です。彼の演技は、いつも作品の良いスパイスになります。

他には古参レスラーがバカにされたスナックの客に向かって叫ぶ「お前がプロレスの何を知っているのだと!」という言葉。今はK-1やプライドなど、真剣勝負を売り物にした格闘技がもてはやされている中、筋書きのあるプロレスには、いかがわしさがつきものです。しかし昔府立体育館で生で全日の試合を観たことのある私は、ブルーザ・ブロディに鎖で追い掛け回されて逃げるも、彼は細心の注意を払っていたので、誰一人観客には怪我をせず。ブッチャーやテリー・ファンクの技の応酬と本物の流血とに、感動を覚えた私は、軽々しくショーとは呼べないものを感じたものです。本作では、このいかがわしいショーに魅せられ心と体を賭けた、男の美学も感じさせます。但しプロレスシーンは突っ込みとあっさりが満載。清らかな優しい心で観てください。

監督は初作品の李闘士男。テレビ出身の人で、もっとスタイリッシュな作品を撮っても良かろうに、泥臭くファンキーなこの作品は、大阪出身の監督の、故郷への愛を感じさせます。

脚本は何と「血と骨」で私を大いに落胆させた鄭義信。よっしゃ、チャラにしたろう!


2004年12月05日(日) 「ゴジラ FINAL WARS」

なんと言っていいか・・・。今回で最後になる”ハズ”の、北村龍平監督作品による「ゴジラ」。しかしこれが、ゴジラがこじつけみたいに押しやられたストーリーでして。最後だから怪獣大集合で、お祭騒ぎに作っているだろうから、無礼講で観ればいいかと思っていましたが、ちょっと待ったらんかい!の出来でした。

出だしは歴史ある人気シリーズに、リスペクトを感じさせます。昔の映像を映したり、過去作で出演していた水野久美や佐原健二、宝田明の出演にも、嬉しいものがありました。ところが、肝心の物語の核になるのが、昔話題になってヒットした某SF海外ドラマのパクリっぽく、それを主に進んでいくので、一向に肝心のゴジラが出てきません。2/3くらいで、やっと出てくるのですが、ためにためて出したというより、出さないといけないので、強引に持ってきた感じです。横で息子が、「こんな話やりたいねんやったら、別の映画でやって欲しいわ。」とブンむくれだったのですが、それもさもありなん。

ということで、ゴジラより主役は人間側で、松岡昌宏のはずなんですが、彼に精彩がありません。彼が悪いのか演出が悪いのか、敵役の北村一輝や上官役のドン・フライの方がよっぽど目だっていました。北村一輝は私は大好きなんですが、しょうもないギャグを飛ばしたり、キレた演技も寒々しく、彼得意の怪しく妖しい眼差しも、今回は無駄に終わっています。これは彼のせいでなく、監督の演出のせいだと思うのですが。(だって私は一輝チャンのファンですからそう思いたい)

女優陣も、キャスター役水野真紀は、代議士夫人になっても美しいおみ足を意味なく披露する、その女優としてのサービス精神は立派で良いです。が、問題は科学者役菊川玲。あんな危機また危機の状況で、ミニスカートはないやろ。いつでも唇グロスでテカテカ、ずっとてんぷらでも食べ続けているのかと思うほど。髪も美しくアップしたまんまで、一糸乱れずです。この人は東大卒の才媛なのに、どうしてこうも知的な役が似合わないのでしょうか?
北村監督の女性を描く趣味はわかりましたが、それならもっと水野久美を綺麗に撮らんかいと私は言いたい。ドラマの方がもっと綺麗に彼女を撮っています。それがゴジラ映画に対する礼儀ってもんじゃないでしょうか?

こういう作品にリアリティや辻褄合わせを望んではいませんが、それでも許せることと、そんなアホなおい!は別問題。この作品は、そんなアホなのツッコミが満載でした。その他アクションシーンは「マトリックス」のパクリがいっぱい。グルグル回転ばっかりのカメラワークは、メニエールの気のある私には、少々しんどかったです。

特別ゴジラに思いいれのない私がこれなんですから、
ゴジラファンの方々の感想は、もっと辛らつなんではないかと思います。





2004年12月03日(金) 「山猫」

昨日観てきました。ヴィスコンティ作品はテレビやビデオで観るも、恥ずかしながら劇場では初めてです。思春期に観た「若者のすべて」には、当時大変感銘を受けた記憶がありますが、他の作品はどうもこれといってピンと来る作品はありませんでした。「地獄に堕ちた勇者ども」も、絢爛たる退廃とでもいうような雰囲気に圧倒されても、どうも好きにはなれず理解も出来ず。まっ、20歳前に観たのですから当たり前ですか。しかし同じ頃観て、ヴィヨルン・アンドレセンの美しさと退屈しか記憶になかった「ベニスに死す」を、去年BSで観て全編揺るぎない美しさに絶句!様式美や登場人物だけでなく、老いの孤独や執着を醜悪に見せているはずなのに、それまでも心には美しく響きました。そんなわけで今回のニュープリント版、どんな感想になるのか、自分でもワクワクの鑑賞でした。

1800年代半ばののイタリア。貴族支配打倒を企てる義勇軍がシチリアに上陸。代々続く名門・サリーナ公爵家の当主(バート・ランカスター)は、やがて来る貴族社会の終焉を見据え、実の息子以上に目をかける甥・タンクレディ(アラン・ドロン)に、平民ながら裕福なブルジョワ家庭の娘・アンジェリク(クラウディア・カルディナーレ)と婚約させ、新しい時代の貴族の有り方を、彼らに託そうとします。

この作品の観る目的の1番はヴィスコンティ作品の中でも名高い作品だということ。2番目は若く輝くような頃のアラン・ドロンを観ること。彼は私の中では、20世紀で一番美しい男性です。しかしこれが・・・。もちろんドロンはとても素敵なのですが、バート・ランカスターがあまりにも素敵過ぎ。威厳と風格を兼ね備え、時代の空気を冷静に見つめるクレバーな知性、貴族社会の幕引きの綱を一人で握り締める孤独、もう見事と言う他ありません。引き際の美学とも言える潔い身の施しには、貴族としての、凛とした品が感じられます。そういう冷静さを観続けた後に、最後に見せるサリーナ公爵の涙は圧巻。彼の心の底の寂しさと葛藤に心を揺さぶられます。

アンジェリカを見ていると、美貌とはかくも女性に自信をつけさせるものなのだと感じます。平民の血筋、足らぬ教養に最初はオドオドしていた彼女が、男性の賞賛の声を浴び、段々と自信に満ちてくる。色気には少々の隙が必要と何かで読んだことがありますが、彼女の場合の少々は品のなさ。しかし情熱的で意志の強そうな瞳を持つ彼女は、今は愛らしいペルシャ猫のようですが、必ず気高い女豹になるでしょう。品は生まれ持ったものであっても、人としての風格は、生き方で築いていくもの。貴族の中でただ一人放り込まれて気後れせず、堂々とした彼女を見てそう感じました。

ランカスターに圧倒されて、少々分が悪いドロンですが、もちろん光り輝く華やかさです。貴族ながら野心に満ちて、風見鶏的に義勇軍から国民軍に鞍替えするタンクレディは、やはり少々品の欠けるドロンには、ぴったりの役でした。自分の母と同じの、長年連れ添う夫におへそも見せないであろう、面白みのないサリーナ家長女のコンチェッタより、魅力的な獰猛さを感じさせるアンジェリカの方が彼にお似合いなのも、貴族と平民の血の混ざる明るい未来を予感させます。

本物の貴族の血筋であるヴィスコンティは、細部に渡るセット・美術まで本物にこだわったそうです。建築物・調度品に至るまで目が眩むようです。彼の思いは、全てサリーナ公爵に注がれていたのでしょうか?

この三人しか出演者は頭になかったのですが、サリーナ家長男は、ピエール・クレマンティ、末娘は子役時代のオッタビア・ピッコロ、義勇軍上官にジュリアーノ・ジェンマなど、出るは出るはのお宝の出演者でした。しかし見渡してみれば、みんな俗っぽい娯楽作でヒットを飛ばしたお歴々ばかりの出演者。その面子で、こんな豪華絢爛の様式美を掲げた芸術的な映画で、普遍的な人の世の移り変わりを見事に描くなんて、やはり唸ってしまいます。少々敷居が高いと感じていたヴィスコンティですが、少しずつビデオで観ようと思っています。美術や芸術に知識の乏しい下世話な私でも、充分に堪能出来た作品です。


2004年12月01日(水) 「透光の樹」

高樹のぶ子原作の文芸作品。不倫を通しての純愛がテーマらしいですが、私には中年期に究極に肌の合う異性にめぐり会った男女を描いた、文芸「ポルノ」に感じました。今回ネタバレです。

ドキュメンタリー制作会社の社長の永島敏行は、二十数年前に出会った女性が経済的窮地にあると知り、援助を申し出ます。初めは金で買われた形だった秋吉久美子ですが、いつしか本気で相手を愛してしまいます。

演出やセリフが、いったいいつの時代なのかと言うくらい古臭いです。時代設定は今から15・6年前なのですが、ノスタルジックを誘うのではなく、当時の映像感覚をそのまま今に持って来ている感じです。昔を描きながら今に通じると言う感じがありません。

永島敏行が合っていません。陳腐で歯の浮くようなセリフが、彼から連発されるのですが、正直失笑を禁じえませんでした。セックスシーンでお尻も見せていますが、この役はもっと男の色気を感じさせるか、すこぶるつきの美中年の人が演じる役です。この役は当初萩原健一がキャスティングされていたそうですが、トラブルで降板。でも彼も違う。私は奥田英二なら、あの陳腐なセリフにも言霊が宿るような気がします。容姿からなら草刈正雄でも可。

純愛がテーマらしいですが、中年が主人公なのでやたらセックシーンが連発されます。それがエロティックなわけでもなく、美しいわけでもなく、何とも中途半端。監督の根岸吉太郎は、日活でポルノを撮ったはずなのですが、忘れちゃったのか?

途中までダラダラ付き合わされていたのですが、急に永島敏行が癌になり、手術をせねば死ぬと宣告されながら、それじゃセックスが出来なくなると拒否。えぇぇぇぇぇ!あんた妻子は?会社の社員の生活は?秋吉久美子も、離婚後ボケた父と娘の3人暮らしの中、年端の行かぬ娘にボケた父を押し付けて、妻子ある男と逢瀬を重ねて、一向に罪悪感も葛藤もなし。だいたい自分だって離婚の理由は、夫に女が出来たからだろうが?何故その事にも罪悪感が全く描写されないのか不思議です。

秋吉久美子は50歳とは信じられない、美しいヌードを披露していますが、健闘しているというより、その心意気には頭が下がります。でもいつもの演技が上手いんだか下手なんだか分らない芝居で、アンニュイというより表情が乏しいだけです。それがいきなりセックスシーンだけ大熱演。いつまでも少女っぽいというより、彼女の持つアダルトチルドレン風の雰囲気が、演じる女性に対しての共感を呼ぶのに邪魔します。

かように純愛というより、中年期に色狂いした不倫男女の恋にしか思えませんでした。私は嫌いですが、不倫全てを否定する気はありませんし、いい年をして無分別に走る恋愛も、またあって可と思いますが、今作はどうも盛りのついた動物のように感じるのです。ラスト、男が死んで15年後のボケてしまった秋吉久美子が、永島敏行を思い出し悶絶するシーンは、同性として、不潔なものを観た気がしました。

何故か劇場はお年寄が多かったです。映画友達によると、号泣していた60代女性もいたとか。年齢により、映画は値打ちが違うものなのですね。


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