♀つきなみ♀日記
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2004年09月03日(金) 「小町」ってヴァカ?//実像と伝説

秋風にあふたのみこそ悲しけれわが身むなしくなりぬと思へば

って事で、小町娘と呼ばれたことは一度も無い、つきなみ♀っす。どうせ不細工だよ私は!!(逆切れ)

それはともかく、「小町」って言えば、言うまでも無く六歌仙、三十六歌仙の一人であり、古今和歌集に歌を残す実在の人物だ。そして、美人さんの代名詞なんだよね。

この歌をそのまま読んじゃうと、
「秋風にあってしまった田の実(稲っすね)は悲しい。もうすぐ稲穂の中身の米は無くなって、空っぽになっちゃうよ」

ってことなんだけど、「だからどうした?」ってしょぼい歌にも思えてしまうけど、この歌には当然もう一つの意味が掛けてあって

「好きだった人に飽きられちゃった私は、あの人を(信じて)頼っていた事さえ(今となっては)悲しいよ。」

って事なんだよね。「あぁ、私もそれなら記憶にあるなぁ。あの頃は、私も・・・・」って事で、繊細な乙女心の襞と、広がる風景に思いを馳せる感性に、この歌に触れた人達は惹かれるってことになるんだよね。ま、私にも覚えがあるような無いような、って振られてばかりで悪かったな!!(再び逆切れ)

では、実体の小町はどんな人だったのかと言えば、色んな研究書や論文はあるんだけど、今のところは「生没年未詳」だし、「小野氏系図」によると、歌人として古今集にも採られている、遣唐副使から隠岐に流されたりして波乱の生涯を送った小野篁(おののたかむら)(802〜852)の孫で出羽郡司小野良真(おののよしざね)の娘とされているが、別説では出羽守小野滝雄の娘とされている。

これ以外にも、全国各地に、小町誕生と終焉地の伝説は腐るほどあるわけなんだけど、殆どは観光目当てのでっちあげなんで、ここでは触れない。

前に、蝉丸の伝説について書いたんだけど、蝉丸の場合は、実体がはっきしない名前だけの人物が、伝承に組み込まれていったのだけれど、小町の実在はほぼ疑い無いんだけど、伝説が付加されていく過程は、陰陽師 安部清明が伝説になる過程に、ある意味似ている。

御存知の方も多いと思うけど、能の卒塔婆小町(そとばこまち)で描かれる小町は、100夜通う約束で、99夜目に死んでしまった深草の少将の求愛を翻弄した美人ではあるが権高な女だ。そしてその他諸々の因果で、零落し都を避ける途中で、桂川の河畔で卒塔婆に腰掛けて休んでいる時に高僧にに出会って物語は進んでゆく。(この話では”出羽の郡司小野吉實の娘”)

その他にも、「通小町」「鸚鵡小町」「関寺小町」は、年老いて零落した小町を描いていて、小町の登場する現存5曲の中で、唯一「草子洗小町」だけが、若く才気に溢れた小町の姿を残している。

巷に溢れる伝説は、すごく大雑把に言えば、美しさを誇って恋に遊び、年を重ねたために、男から見向きもされなくなって零落し、寂しく死んでいく。あるいは、若い日のことを反省して、清く正しく生きる。って、小町ってヴァカ?

花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに

余りにも有名なこの歌が、小町のその後の伝説を作ってしまった気がする。

この歌をそのまま読んでみれば

「花は色褪せちゃったな。私がなにもしないでボーっとしてる間に。春の長雨が降り続いていた間に。(なので、ちゃんと毎日をくらさないとね)」

となるんだけど、もう一つの意味を読もうとすると

「私も年取って、綺麗じゃなくなってきちゃった(のでちやほやされなくなっちゃった)な。(恋愛ばっかりしていて)なにもしないで暮らしているうちに」

ってになっちゃうけど、これは単に四季の移ろいを、人生の移ろいにに重ねたんだと思うけど、後世の人達は、そうは解さなかったんだよね、これが。

「自分を花に例えるなんて、思い上がってるんじゃない?ヴァカ?」なんて、今なら匿名巨大掲示板に書いちゃうって感じかな?<=違います。

もう一つの誤解は、古今和歌集の中での紀貫之の小町への評

「あはれなるやうにて強からず,いはばよき女の悩めるところあるに似たり」

を「小町の歌」への評ではなくて、「小町」への評と誤解した慌て者が、勝手にムカプンしていた気もするんだよね。

「小町の"歌"は、叙情性と感性がとても表現されていて、”悩める美人”って雰囲気が、いいんだよね」って貫之は言っているのに

「どこが良い女なんだよ、若いだけジャン、あんな不細工。ゴラァ!」と、掲示板に投稿するヤシがいた、と。<=止めなさい

私は、他の小町の歌と引き合わせてみても、小町の歌は「作品」であって、経験や自分のことを詠んでいるとは思わない。これは、当時の歌には当たり前のようにあって、小町に限ったことでは無いし、ある意味「フィクション性が最も強い歌を作れるnew-wave歌人」が、小町だった気がする。

あれだけ素晴らしい歌を詠んだ小町が、あからさまに美化した自分語りの歌を詠むとは到底思えない。瞳にうつる風景に心象を重ね、それを歌という形にして残していく歌人・小町に、思い上がりは無い。

才能があり心のある人達は、あまりあからさまな自分語りをすることは無い。虚勢を張る空虚な人物こそ、他者からの視線を気にして、言葉を駆使して自らを権威付け、友人の数や権門との関係を誇ったりすることは古今東西同じだが、小町の歌は、まさに貫之が評すように、”悩める美人”のようであって、それは自分と切り離した「作品」だから到達した高みのような気がする。

現在小町の真作として間違い無い物は、古今集の18首と後撰和歌集の4首だけだとの説が有力になっている。そして、和歌以外に書き残した物は無く、書いていたと推測される資料も今日まで一切発見されていない。

実体から遥かに離れて、仏教の無常観から作り出された老衰落魄伝説の主人公や、伝説の超美人になった小町は、

「まっ、いいか。生きてるときより、超有名になったし。
 作品をちゃんと読む人はちゃんと読んでくれてるし」

って思っているような気もする。

ってことでまたね!

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資料
*「小野氏系図」続群書類従第7輯 上 続群書類従完成会
*「古今和歌集」岩波文庫版
*「後撰和歌集」和泉書院


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