♀つきなみ♀日記
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2001年04月04日(水) 史実?清明について。蝉丸伝説など。

ってことで、今日4月5日は二十四節季の清明でしたね。以上<=おい!

ちなみに藤原道長は966-1027年在世で、これはほぼ間違いないけど、安倍清明さんの生没に定説はない。「尊卑分脈」によれば1005年9月26日85歳で没っした事になっているけど、没年代と歴任した官職以外はよく判らないんだよね。ちなみに源博雅さんは922(918年説アリ)年生まれで、2つ年上か年下なんだよね。ってフィクションに史実持ち込んでもしかたないと思うし。

ちなみに関白道長を助ける有名な説話は、鎌倉時代に編集された「古今著聞集」が初出だと言われているんだけど、そもそも道長が関白になった時には清明さんはもう死んでたりするし。

さて、ついに稲垣吾郎さん版TVの放送も開始され&野村萬斎さん版映画化でなにかと話題の陰陽師@夢枕獏&岡野玲子さんなんだけど、この第一巻中、実質第一話は「玄象といふ琵琶 鬼のために盗らるること」だ。って題名の文法に突っ込み入れたい気もするんだけど、それは置いといて、蝉丸さんが琵琶の名手として登場する。

これやこの 行くも帰るも 別れては しるもしらぬも 相坂の関

と言えば、坊主めくりカード、もとい百人一首の蝉丸なんだけど、この人物というか伝承は興味深い。

陰陽師の中で安倍清明さんのマブダチとして登場する源博雅さんは、誠実で門閥でありながら才能に恵まれて、しかも頓狂で、魅力に溢れている訳なんだけど、一応モデルに実在の人物がいるわけだ。って面倒なんで以下敬称略ね。

専門サイトっつうか、ファンサイトも数あるんで履歴についてはパスるけど、この博雅(博雅の三位)と蝉丸の話は、ご存知「今昔物語集」巻24第23話に登場する。って勿論、陰陽師のストーリーはフィクションなのでこれとはまったく関係ない。

ザッパに略すと時代を代表するミュージシャンだった博雅が、伝説の琵琶プレイヤー蝉丸が都会を離れて逢坂っていう辺鄙な処へ隠棲しまっているんで、アゴ足・家・仕事付きで都へ住んじゃどいなもんやって誘うんだけど、この中での蝉丸は「敦実親王の雑色であった」とされているんだよね。そんでもって、この破格の誘いに対して

世の中は とてもかくても すごしてむ 宮も藁屋も はてしなければ

つうてやんわり断るんだよね。そんでも諦めきれない博雅は、3年間逢坂へ通って「流泉」「啄木」って言う秘曲を聞かせてもらう。

この典拠は「江談抄」なんだけど、こちらでは「會坂目暗(原典のママ)」となっていて、名前はない。この事から蝉丸という名前は今昔物語集の編者が入れたのではないかと言われている。つまり、和歌の上手として伝説の人物であった蝉丸に「盲目の琵琶法師」という外殻が付加されたと考えられる。

ちょっと年代を整理すると今昔物語の成立は1120年以降の12世紀前半説が有力だ。博雅と蝉丸の話自体が中国の説話の翻案だと言われていたりもするし。

処がどっこい、約100年後に「方丈記」で有名な鴨長明は「無名抄」の中で、「會坂の関の明神は蝉丸也」と述べていて、蝉丸はこの100年で実体を持つようになってゆく。

蝉丸の名が登場するのは「後撰集」(900年代半ば)が初出とされるが、「古今集」(900年代初頭)にも「詠人知れず」として存在していると長明と同時代の歌学書「八雲御抄」には記述されている(傍証不詳)

前述した蝉丸の説話に登場する歌も「後撰集」「新古今和歌集」に採られているんだけど、明らかに本人の来歴は不明なんだよね。

ちょっとはしょると、その後蝉丸は謡曲「蝉丸」に見られるように、醍醐天皇の落胤として語られ、姉「逆髪(さかがみ)」と共に、「異形の漂泊者」としての地位を与えらる。博雅とのエピソードが変形して挿入され、能として演じられると共に、諸国を漂白遍歴する琵琶法師や芸能の徒によって、実体のある人物として人々に受け入れられていった。

うひゃ、長いなぁ、まったく。しかも中途半端。

秋風に靡く浅茅の末ごとに置く白露のあはれ世の中

蝉丸はこうも、詠んでいたりもする。

でも、坊主めくりなんていうゲームが後世出来て、自分の歌の書かれた百人一首が、まさか札を全部取られちゃうカードになるなんて事は、きっと予想だにしなかっただろうけど。<=おい!

ってことでじゃ、また!


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