想い出の樹

2004年04月28日(水) 上達できる嬉しさ

昨日テレビにジャズピアニストの秋吉敏子が出演していました。
74歳にして、「私、まだまだ上達すると思うの。」
ルービンシュタインは78歳のとき、
「僕は今よりもっと、ショパンのエチュードは上手になれるよ。」
と言ったそうです。

すごいことだなぁと思う。
第1線で活躍し偉業を成し遂げ、歴史を作り上げてきた人たちが、
まだまだ上を目指している。

そういえば、ミケランジェリやリヒテル。
彼らは毎日6時間から8時間の練習を日課にしていたそうです。
リヒテルの本を読むと、
なんと音楽に対し謙虚で奥深い視野を持っているのだろうと、
びっくりさせられます。
この世界で偉業を成し遂げる人たちは、
音楽に対して非常に謙虚ですね。

上達したい、この曲をもっと自分のものにしたい、
もっとよくなるはずだ・・・と追い求めること。
だからこそ演奏するのって楽しいのだろうなと思います。
ただ、好きなだけだったら、聴けばいいことだから。
演奏する楽しみは、そういうところにあるんじゃないかな。
苦しくもあり、楽しくもあり・・・。

ミケランジェリやリヒテルのように、
8時間もの練習時間を確保することはできないし、
なによりも、それだけの練習時間に私の精神が耐えられるとも思えないけれど、
私なりにマイペースに、上達していきたいな・・・と思ったのでした。



2004年04月26日(月) ゲネプロと連弾の練習

昨日は、午前中が弾きっこ。午後からソレイユのゲネプロでした。
ゲネプロなんてカッコイイ名前はついているけれど、
全体の流れの把握、時間の把握・・・程度です。(笑)
照明をどうするかなど、いろいろ細かなことをチェックしました。
第4回目ともなると、慣れてきてラクチンです。
その上、メンバー間の交流も充分なので、
いろんな意見が、ぱぱぱっと出てきて楽しいことこの上なし!
本番はどんな感じになるんだろう。
ワクワクします。
考えてみると、もう本番目の前!
ということで、祝日はプログラム作成に追われそうです。(^_^;)

で、今日は合わせ。今回2人の先生と連弾をします。
一人は近所のO先生とルロイ・アンダーソン3曲。
もう一人は、T先生とビゼーのカルメンから2曲。
どちらも結構難しい・・・。(^-^;A
追い込みでしっかり練習せねば!といった感じです。
でも、やっぱり連弾は楽しい♪
私は、曲を仕上げていく過程を楽しむタイプ。
2人とも気の合う先生なので、とても面白いです。

で、気をつけねばならぬこと。(笑)
トランペット吹きの休日やビゼーは、
派手目でノリノリの曲なのですが、
どちらも思わず気持ちだけ乗って荒っぽくなりがち。
冷静に弾く方が、効果が出る。
体を揺らしても、音にならなきゃ意味がない。(笑)

ゲネプロのときnaoちゃんに、
「集中してるときとしてないときと、すぐわかる。」と言われました。
こういう友人って嬉しい。
私もnaoちゃんの演奏でそれがわかるのだけれど、
お互いにそれがわかるって嬉しいなぁ〜。

荒っぽくならないように、というのもnaoちゃんのアドヴァイス。
こういうアドヴァイスを言ってくれる友人がいるってありがたいです。
ま、アドヴァイスを受け入れられるかられないかは、
相手にもよるのでしょうが、
naoちゃんのアドヴァイスはすんなり受け入れられちゃいます。(*^_^*)
連弾を合わせる二人の先生とも気が合うので、
とことん曲を仕上げていくことが可能。
お互いに意見を交換しあって、それがたまらなく楽しい!

ワルツィング・キャットのときなど、
O先生が、「こういうネコっぽいとこ恵美ちゃんらしいじゃんっ。
恵美ちゃんらしくね、にゃぁお〜〜ってね。」
なぁんてアドヴァイスもらったら、
なぜか次の瞬間よく弾けたりする。さすがO先生!!

O先生はO先生で
「恵美ちゃんみたいなネコに私もなりきったつもりで」なんて。
とにかく楽しい。
先日の合わせのとき、弾いていてO先生と双子になったような気分になって、
それが不思議だったなぁ〜。非常に気持ちよいのですヨ。

連弾の相手に自分にないものを見出すって、
とても大切なことだと思います。
そういう相手じゃないと、連弾はつまらない。
又、そういう相手だからこそお互いに意見を交換し合えるし、
お互いに尊重し合いながら、実のある練習ができると思うのです。

また、お互いにお互いが持っていない音色を出し合えるのも、
連弾の楽しみのひとつだと思います。
相手の音色を自分のものにする・・・自分の音色の世界が広がるよい機会です。
音のバランスひとつとっても、
ソロの時とは大きく違ってくるので、よい勉強になります。
相手の右手だけ、私の左手だけ・・・などと、
どういった音のバランスがよいのか、どういったノリで弾くのか、
一緒に研究していく時間はとても愛しいものです。

ジャズのように相手の出方、自分の出方、
そういった即興的なやりとりを楽しむ音楽もよいですが、
連弾の場合は、2人でとことん作り上げていくことが大切な気がしています。
同じ呼吸、同じ歌。それを感じていないとひとつの曲として成り立たない。
一体感のある曲にしていきたい。
そういった同じスタンスで取り組める相手との連弾は、
練習が本当に楽しいです♪




2004年04月22日(木) 暖かな空気

今日Piano Salonでお馴染みのたかみさんが、
仲良しのNAOMIさんと一緒に遊びに来てくれました。
このNAOMIさんも、6月に出産予定。
2人で仲良くお母さんです。

かわゆい女の子。
実家に帰っていたたかみさんは、
時々赤ちゃんの写真をメールに添付してくれたり、
近況を報告してくれていました。
なので、やっと会える〜〜!と、今日を心待ちにしていた私。
添付してくれていた頃よりも、ずっと顔立ちがはっきりしてきていて、
かわいかった〜〜。
たかみさんは、しっかりとお母さん姿が板について、
元気でしたよ〜。(ちょっと痩せたかな??)

2人が持ってきてくれたケーキを食べながら、しばし談笑。
レッスンの合間だったので、ゆっくりとした時間はとれなかったのですが、
とても心に残った暖かな空気に触れることができました。

ぽよよんお気楽ファミリーの日記を書いてくれているF家のみんなが、
レッスン時間になり、来たときのことです。
Fママ、Cちゃん、Nちゃん、みんながたかみさんの赤ちゃんを囲み、
とても暖かな雰囲気になったのです。
Fさんは、「たかみさんがお母さんなんてぇ〜」と時の流れを感じ、
ちっちゃなおててのCちゃんは、
Cちゃんよりちっちゃなお手手の赤ちゃんにドキドキした面持ちで触れ、
Nちゃんは「かわいい〜〜」と満面の笑顔。
でも、一番印象に残ってるのはFママが赤ちゃんを抱きながら見せてくれた、
とてもとても暖かな笑顔。
あんまり素敵な笑顔なので見惚れちゃいました。

私はこういう暖かな雰囲気が大好きです。
ただそこにいるだけで幸せな気分になっちゃいます。
お教室のみんなが顔見知りになり、暖かな交流を持てるということ。
そのことに最高の幸せを感じます。

レッスンを受ける時お互いに子守りをし合う、
なんて話が出てくるのも嬉しくて嬉しくて。
早く赤ちゃんが大きくならないかなぁ〜と、
気の早い私は今から親子連弾を楽しみにしていたりします。

まるで今日のお天気のように、
とっても暖かな気持ちになれた一日だったのでした♪






2004年04月21日(水) 聴くということ

『ピアノを弾くということは、聴くということなのです。』

先日、大人の生徒さんから内田光子がインタビューを受けている記事の切り抜きをいただきました。(ありがとうございました〜♪)この言葉はそこに書かれていた言葉で、一番印象に残った言葉です。

そう、あの演奏会のとき、内田光子は自分の演奏を聴いていた!弾いていたというよりも聴いていたんだ、と納得。内田光子の演奏会以降、私自身自分の音を聴くようになった気がします。あの音色は衝撃的だった。ただ音色がきれいだった・・・だけではこんな風に私自身の中に入ってこなかったでしょう。それは演奏者が「聴いていた音」だったから自然に私の中に入ってきて、普段ピアノに向かうときの「耳」が影響を受けたんだと思います。

そしてもう一つ印象に残った言葉・・・。

『私にとっては、音楽を言葉に換えるのはとても興味深い。』

以前から「言葉の表現力」がいまいち足りない。というか全然足りない!!と思っていた私。音楽を言葉で表現することができたら、どんなにかイメージがはっきりしてよいことか。これは自分にとってだけではなく、指導するにあたっても重要なことです。公開レッスンなどに行き、生き生きとしたよいレッスンだったと感じるレッスンをなさる先生は、この言葉が豊富で表現豊かなのです。言葉が音楽している・・・そんな感じです。

クラシカチャンネルで、内田光子がハイドンやシェーンベルクを解説して演奏する番組があります。これを見ると、まさに言葉が音楽している!なんと生き生きとしたはっきりしたイメージだろうかと感心します。そして、それは内田光子だけではなく、クラシカチャンネルに出てくる様々な演奏家に感じることでもあるのです。先日ミューズ資料館に投稿した井上直幸の「ピアノ奏法」というビデオでも同じことを強く感じました。

私は音楽を「音」として聴くことが多く、なかなか映像としてイメージできずらい性格です。色だったり感情だったり・・・そういうことに置き換えることもありますが、たいがい「音」だけで感じてる。そうするとイメージがあいまいになりやすいのです。いつか「表現」する単語をたくさん紙に書いて集めてみたいと思っています。

楽譜の奥にあることを紐解いていくことはとても大切。けれど、最後は感性です。分析したところで、それが「音楽」していなければピアノを弾く意味がありません。理論だけでもダメだし、感情だけでもダメだし、その両方のバランスが自分の中でいい具合に根付いた曲が、いい演奏になるのだろうな・・・と思います。内田光子の演奏は、まさにそれを極めたようなすばらしい演奏で、ほんっとしびれちゃう。自分の感性にぴったりくる演奏家に出会えたこと、これは最高の幸せ♪






2004年04月18日(日) アートな一日

今日は、とっても充実したアートな一日でした。
まずは、「モネ、ルノワールと印象派展」へ。
大大満足!!
これだけテーマがはっきりしていて、
内容の充実した企画力のある美術展って珍しい。
それくらい楽しかった♪

印象派の絵画に、特にそれ感じるのですが、
印刷物と本物とは全く別物。
本物はやっぱりいい。
特に私が好きなのはモネ。
水面に映る影や一瞬の光の様子が最高です。
モネの絵は特に、距離を置いて見ると感動します。

スーラやシニャックなどの点描画も展示されていたのですが、
あそこまでいくと、目の中で色が溶け合わないんですよね。
ということで、私はあまり好きになれません。
シニャックなどは、かなり現代アート寄りだし。

で、今回いい〜〜!と思った画家。
カミーユ・ピサロです。
一時点描画にはまった時期があったようですが、
その時期以外の絵が気に入りました。
汽車の煙が空に溶け込んでいく絵や、
プレルおばさんというおばさんの日常の一コマ。
モネより色使いが素朴な感じなのですが、
それがまたよいのです。

上野の美術館や博物館より、ずっと空いていて、
最後まで見終わった後、もう一度逆走し(笑)、
印象に残った絵をゆっくり堪能。
印象派の絵は、混んでいると距離を置いて見られず、
本当の絵の良さを堪能することができません。
なので、今回は大大満足だったのでした。(*^_^*)

で、お次は友人の作陶展。
もう大半が売約済み。大成功を収めていました。
和食器だけではなく、洋食器などもあり、個性が光ってました。
私の大のお気に入りの葡萄のモチーフも、
フルーツコンポートやワインゴブレットなどになっており、
私はワインゴブレットを2つ購入しました。

私はああいう空間が大好き。
全体のレイアウトのセンスがとてもよくて、
ずっとその場をグルグルまわって、
作品を堪能していたい気持ちにかられる、
そんな空間だったのでした。

早速、ワインをオレンジソーダで割って彼女のゴブレットを楽しみました。
丸みを帯びたゴブレットは、手に心地よく、
ワインを口に含んだ瞬間に見える、
ゴブレットの中の刷毛目は、美しくて目に優しく・・・。

ゴブレットが入っていた桐の箱の蓋には、
彼女のサインと葡萄の絵が描かれており、
蓋の裏にしておくにはもったいないほど素敵な絵だったので、
食器棚に飾ることにしたのでした。
食器棚を見ながら、にやける私。
一口飲んではゴブレットに描かれた絵を見て、にやける私。
とてもとても幸せなひとときだったのでした。






2004年04月15日(木) 友人の励まし

人前に出ると緊張する症状が出てきてしまった・・・、
というメールを友人に出したら、
こんな返事が返ってきました。

『人前であがる症状が出てきたって、良い事だよね!
それこそ恵美子の言う、進化してるってことじゃん!!
人は現実に満足したとたんに衰退に入るっていうからね。
人前をたくさんこなしたって、駄目なんだろうと思うな。
だって、その時その時弾く曲は違うわけでしょ?
音楽は時間の芸術だから、やっぱり、
「その時のもの」が自分の中にどれだけ入り込んで沁み込むかなんだろうね。
あがる事を機にさらに身が引き締まるんだから、
良い病気にかかったと思って
更に更に弾きまくってくれーーー!!』

1行1行すぅ〜〜と私の心の中に入ってきて、
とても嬉しかった。
説得力のある励ましの言葉。
ひとつのことに打ち込んでいる人の言葉って、重みがある。
そういう友人がいるということ。感謝です。

彼女は陶芸家。
4月14日〜20日まで、
松屋銀座7階アートスポットにて、
作陶展を開催中です。

ひとつの素材をどんどん進化させ、
作品を洗練させていく彼女の過程は、
私にとって大きな大きな励みです。
大胆なデザインの中に、
女性らしい繊細さを兼ね備えた作品は、
本当に彼女らしい魅力的な作品です。

興味のある方は、是非足を運んでみてくださいね。






2004年04月08日(木) や・・・やりたいことが出てきてしまった!

ホームコンサートでやりたいことが出てきてしまった!!(^-^;A
ソロでアレグロ・アパショナートをやろうと思っていたんだけど・・・、
異常にやりたい病にかかっている。
ホームコンサートはステージ制。
ということで、みんな自分のステージを演出するわけだけど、
私も私のステージを演出したい気持ちにかられてきてしまった。

いやね、そのやりたいことって。
以前ラジオでやっていたことなのです。
それがすっごくすっごく気に入ってテープにとってあるのですが、
これ自分でもやれるじゃん!と。
本当はサティそれをやっちゃいかんと言っていたらしいのですが、
ラジオではその掟を破ってやっちゃったんですねぇ〜。
だけど、それがとぉってもよかったんですよ。

で、久々にサティの楽譜を見て弾いていたら、
やりたくてやりたくてたまらなくなってしまった。。。
どうしよう・・・・。
ソロは11月にも弾く予定だし、
ホームコンサートのステージは楽しんじゃおうかなぁ〜。
このサティ雰囲気満点で演出したいなぁ〜。
面白いと思うんだよなぁ。やりたいなぁ。まいったなぁ。
アレグロ・アパショナートは昔弾いたことのある曲だし、
こっちをやりたくなってきちゃったなぁ。

こっちにしちゃうかも・・・・。
こっちになったら、naoちゃんにお願いがあるのだ。
雰囲気満点であることをしてもらわねばなのだ。ふふふっ( ̄ー ̄)ニヤリッ
すごく私らしい企画なのよねぇ。面白いのよねぇ。うほほっ
あぁ〜どぉしよぉ〜〜〜。
ソロも弾くとなると、時間が足りないし。
どっちもってわけにはいかんかなぁ。



2004年04月06日(火) 自分を潰さないように・・・

ここ2回人前で緊張し失敗することが続いていることについて、
いろいろ考えます。
自分の畑だけで演奏してきて人前に慣れてきたつもりになっていた以外に、
自分に厳しくしすぎる点がある・・・・ということ。
普段の練習はそれで構わない。
でも、本番それでは自分を潰してしまいかねないなと感じています。

自分の生徒のときには、練習中は仕上がるように多少厳しく。
本番は優しく。
生徒がリラックスできるように、かなり細心の注意を必要とします。
私は子どもでもないし、アマチュアでもないけれど・・・。
でも、もしかしたら・・・
今の私にはこういう優しさも本番必要なのでは、と感じ始めています。
自分で自分に優しくできない以上、
誰かに「気楽にしていいんだよ。」と一言かけてもらえるだけで、
本番の緊張度合い集中できる度合いというのが、
かなり違ってくるのではないかな・・・と。

もうこれ以上ないというくらい、自分で自分を追い込んでいるので、
とりあえずそれ以上周りから追い込まれたら、きっと潰れてしまう。
本番前は、大したことなくてもそれを必要以上に感じやすいのです。
ということで、自分で自分を追い込んでいる以上、
周りにはそれを理解してもらう必要があるのかもしれない・・・。
ん〜〜、こどもっぽい発想ではあるけれど、
私は精神的にかなり弱いところがあるので、
自分を追い込んだらどうなるかわかってるんですよね。(^-^;A
ということで、こりゃ自分を潰しかねないぞ・・・と、
危機感をすこし覚えたのでした。

本番前の過ごし方をもっと考えなきゃだな・・・。
とりあえず、自分に厳しくした上での発表の場を設けたときは、
私の身近にいる人に「あまり追い討ちかけないように」と協力してもらって、
少しずつ人前に慣れていかなければと思います。

先日の室内楽。
レッスンしてくださった先生と本番お目にかかったとき、
「緊張してるんです」と言ったら、
「とにかく楽しめばいいのよ」とおっしゃってくださいました。
この一言と笑顔をいただけたから、
あの程度の失敗ですんだのかもしれない、とも思います。
前日のレッスンでは、
とにかく手足が震えて自分で自分にびっくりしちゃったので。

こんなに人前が苦手なはずではなかったのですが・・・。
慣れたいとは思っていたけれど、ここまでひどくなるとは。
自分に追い討ちをかければかけるほど、ひどくなるのだろうと考えています。
練習は厳しく、本番はもう少しずうずうしくなりたいなぁ。



2004年04月05日(月) 室内楽体験

ピアノトリオを体験してきました。
前日に公開レッスン、翌日本番という日程でした。
で、がっくし落ち込みました。(自爆)
とにかく人前がこんなにダメだったかと、
自分に驚いています。

ソレイユや講師演奏で随分人前に慣れたと思っていたのですが、
先日のテンペストにしても今回にしても、
あまりにも緊張しすぎる自分がいてまいっています。
特に今回はアンサンブル。
アンサンブルって緊張したことなかったのに・・・(T∇T)
まぁ、気持ちはソロのような設定だったので、
(チェロもヴァイオリンも知り合いじゃない。。。)
そういう意味では、ソロと同じだけの緊張感があって当然といえば、
当然だったのかもしれません。
でも、テクニック的にかなり簡単な曲だったのに、
あんなミスをしてしまうとは・・・・。

テンペストと今回で思ったのは、
今まで本当に自分の畑で演奏していただけ、
本当の意味での緊張感は味わってきていなかったのだ・・・ということです。
また、これまでにないほど自分に厳しくしてきている点も大きいかな。
1曲に関わる際の姿勢や視点が以前より厳しく深くなったのです。
音楽の深みが見えてくれば見えてくるほど、
本番小心になる自分がいます。
本番は自分を自由にしてあげればいいのだけれど・・・。
なぜか必要以上に緊張してしまうみたい。

以前順子先生が、大学時代は年に4回くらい人前で弾く機会があって、
あるとき突然緊張していない自分に気づいた・・・・とおっしゃってました。
それくらいの頻度で不特定多数の人に演奏を聞いてもらう機会をもたないと、
きっとこの大きな壁は崩せないのだろうと感じています。
今まで体験したことのないほど大きな壁が自分の前にあって、
かなり落ち込んでイマス。

でも、今日は埼玉でnaoちゃんと花見をし、
夜は思う存分彼に今回のことをお話し、
かなぁり気が楽になったので、
この大きな壁に逃げることなくぶつかっていけそうです。
緊張感というのはどんな一流のプロでもあることですが、
(アルゲリッチなどは「逃げたい!」と言うことがあるほど、
楽屋裏で蒼白になるらしい・・・。
ミケランジェリもそうだったっていうし。)
それでもきちんと本番自分を表現できるということは、
やはり集中力のなせる技なのでしょう。

きっとまだまだ集中力が足りないんだな。。。
人目を気にしすぎる性格も影響している気がする。
とりあえず、普段の練習からもっと集中力を高めて練習するようにしようっと。

あ、で、室内楽体験ですが、アンサンブルはやはりよいです。
私にはソロよりも向いている気が前からしていたのですが、
今回もやはり、アンサンブルの方が好きそうな自分を発見しました。
今後はもっとトリオをやっていきたい。
今回は自分のためのレッスン、自分のための発表の場でしたが、
本来アンサンブルとは全員のための発表の場。
3人で曲を作り上げていく・・・という経過も体験したい。
ということは、チェロとヴァイオリンの仲間を発掘せねば・・・なんですよね。

10月にもこのようなレッスンの機会があり、
早速申し込んできたので、
どんどんこういった場にでかけていって、
よい仲間を発掘できるよう視野を広くもっていきたいなぁ。

自分の足りない部分、目の前に広がる大きな壁との遭遇は、
とてもとてもきつくツライものですが、
考えてみると、今までそこまで自分に厳しくしたことがなかった。
与えられた厳しさなどはあったけれど、
自分に課した厳しさというのはなかったし、
大きな壁というのも経験したことがありませんでした。

それだけ甘い環境の中で、音楽を勉強してきていたということなのでしょう。
人生のうち一度は自分に厳しい環境を設定しないと、
この世界で本当の意味で精進するということは無理・・・。
趣味ではないのですから。
「音楽バカ」になる時代が絶対に必要な世界なのだと実感しています。
すごい世界を自分の人生に選んでしまったものだ・・・。

でも、自分の人生の道をこれと決めた以上、
どこまで自分に挑戦できるのかやらなきゃ後悔するだろうと思います。
こんな風に日記で「がんばってる」を表現するのって、
格好悪いと思う人もいるかもしれないけれど、
「必死」になるっていいことだと思う。
みっともないほど必死な姿をあらわにしたって、
それが自分の成長に繋がるのであれば素敵なことだと思う。

これから10年くらいは必死に髪振り乱してがんばって(爆)、
10年後くらいに、
「でも、音楽の世界ってまだまだ深くて。
一生勉強しつづけないとね。」
なぁんて言いながら、ゆとりを持って勉強しつつ、
生徒と接していく講師になれたらいいなぁ〜〜〜〜〜〜〜。
ん〜〜、10年後じゃまだ40だな・・・。
この言葉は60歳くらいにならないと合わないなぁ・・・。
じゃ、あと30年髪振り乱してがんばんなきゃなのか・・・。(自爆)
やっぱすごい世界を選んでしまったものだ。(⌒〜⌒;A



2004年04月02日(金) 不思議なこと

先日内田光子の演奏会へでかけ、
あまりの衝撃に昨日一日はぼぉっとし、
今日もなんかぼぉっとし。(爆)
でも、室内楽のレッスンが明日あるので、
さすがに今日はピアノの練習をばしたのでありました。

普通いい演奏を聴くと、その印象が強く頭にこびりつき、
自分もそんな風に弾けないかなぁ〜〜とピアノに向かった瞬間、
想像したのと全く違う音が出てきて、愕然とすることがしばしばあります。
で、今回も自分の音に愕然とすることになるのだろうなぁ〜と、
ある程度覚悟してピアノに向かったのです。

なのになのに、不思議とそういう感情に襲われない??
あれれ?と、ちょっと拍子抜け。
で思ったのです。
内田光子に対する私の思いは、
彼女の演奏を分析するとか、それを自分の演奏に生かしてみようとか、
そんな次元のものではなかったのだと。

普段演奏会へ出かけると、
どんなペダリングしてるかな?とか、
どんな音色かな?どんなタッチかな?とか。
とにかく聴きながらいろいろ分析してしまう。
ほとんどの演奏会がそうです。
職業病とでもいえばよいのか・・・。
素直に演奏を聴くことができない悲しい性です。

ところが、先日の演奏会ではそんな余裕なかったのです。
とにかくただただ感動し、音楽そのものを堪能することができたのでした。
ということで、ぼぉっとしてうっとりしてただけ。
内田光子の演奏を分析する・・・なんてしてないんですよね〜〜。
だからなのか、練習しても愕然としてピアノに向かいたくなくなっちゃう、
なんてことがなくて、
ひたすらモーツァルトの音楽を楽しめる自分がいたのでした。

もっともっと素直に受け入れ、感動することのできる、
「音楽」そのものを聴かなきゃなんだなぁ〜と実感です。

それにしても、いつまで内田光子病にかかってるんだろぉか・・・。
ちょっと油断すると、すぐにぼぉっとしてしまう。(^-^;A
明後日は室内楽ステップの本番だというのに。
早く目を覚ましなさい!自分!!(自爆)


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