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2002年05月31日(金) 実は厳しかった

経済学のレポート結局ぎりぎりまでかかってしまったけど、ついさっき提出し、そのままパソコンの教室。

昨日、あるspeakingの授業で、絶対謝ることはないと思っていた先生が授業後謝罪した。3週間前、先生は勘違いで授業が無いと思い込み、学校に来なかったのである。(忙しいのに)無駄足運ばされた。ほかの授業なら、急な休みで喜んでいただろう。その次の週、先生は自分が勘違いしていたどころか、「教務課が授業はないと言ったんだー!。だから私は来なかった。欠席した人はラッキーだったね」などと自分のミスに気付いていないように話し始めたんで、正直、許せんと思った。

その後教務課に直行。一体どういうことか、それなりの責任は問われるのかというのをはっきりさせたかった。約束通り訓告は為されたようだ。通常の規定通り、補講を行うことになった。そうじゃないなら授業料返すよう言いたいところだ。もう言ったけど。

昨日の、その授業の最初に、3週間前の件について先生が書いたアンケートが実施された。どれもYES or NOの形式で、1.16日教室に来たか、2. 23日先生は前週来なかった理由を説明したか、3.先生は謝ったかとかそういうの。一体何を知りたいのだろう。学部共通コースの授業であり、英語学科でもないし、英語コースみたいに専門的な内容は一つもない。実際この授業が高いレベルにあるとは思わないし、実際私も含め英語力がそれなりに、あるいはそれ以上ある人ばかりが集まっているとは思えない。全員が話真面目に聞いて正確に理解してるかも分らないのに。先生はちゃんと謝ったよなどと思い込んでいる人もいるだろうということだ。しかもアンケートには学籍番号、氏名まで書かされる。あの先生、根に持つタイプだと察する。「One student
compalined (about absence) !」とかって説明していたけど、バレバレやね、これじゃ。

後で聞いた話、あの日大宮のほうは本当に休講だったみたいで、前日の水曜日は学校自体休みだったし、混乱した外国人の先生は多かったらしい。ついでだが、このカリフォルニア出身の先生は、アメリカ最高日本イギリスダメダメ洗脳授業(T氏談)で印象強いらしい。評判についてはいまいち良く知らない。

T氏、ハリウッドの野崎さん、みきへ。ありがとうございます。


2002年05月29日(水) 許さない(2ちゃん)

レポート作成+父にメール、のため学校に来てます。

2chの猫虐待事件のことで、ショックはかなり大きかったらしく、度々不安な気持ちに教われるし、不機嫌になりがちだし、電気消して寝られなくなった。

その2chには、私は関わっていない。たまに携帯で見ることはある。「犯人起訴したい人」「今回の事件が本当に許せないと思ってる人」、要は「まともな人」がまだたくさんいてくれて、それだけでも安心した。2chには独特の言葉づかいがあるみたいで私はついていけないだろう。それにあの世界、どうも変わっている関わらないほうがいい。今日あまり話してる時間ない。たぶん次金曜日。

今回の事件のことで、じゃあ牛やブタは殺されてもいいの??とかネズミは、バッタは、とか無関係なこと言ってくる奴いっぱいいるみたいだけど、論点が違うっちゅうねん。そういうヤシは消えるべし。大学の先生までそんなんやで。まあ、無関心なんでしょうな、ほとんどの人は。


2002年05月17日(金) 緊張症

お昼は友人と。そのあといったん家に戻る。例の経済学、発表するなら適当に文章にまとめればいいのに、過信してるのか、ただ面倒なのか、何もしようとしない。資料を眺めていただけ。1時台の、味気ないメロドラマなどをつい見てしまった。

4こう始まる。発表は最初かと思っていたけど、先生は他の話題から始めるし、そのまま普段の授業へ。「忘れてる!」そう思った。そう願った。折角調べたとは言え、無ければ無いでわざわざ変な緊張感と戦う必要もなくなる。が、結局最後の最後でそれはやって来た。もうすでに無いと確信していたので、最初の緊張も消え失せてしまっていたが、かえってそれが良くなかった。内心準備ができているときに、行動するのがあるべきタイミングであって、忘れたはずのものが後から急に現れると心底驚くのと同じで、もうその時の私は覚悟ができていなかったので、もう緊張を忘れるための何かとか考えることも忘れていた。仕方なく前へ進み出るしかできなかったけど。人の視線は気にしてる暇もなかった。だけどたぶん声が震えていた。もう少し言いたいことがあったけどもう仕方ない。

今、振り返ってみても思うのだが私は相当のあがり症である。たぶん小さいときからずっと。

広い教室だったからとか、多分関係ない。実際、ぎこちなく文章を声に出して並べながら、ふと顔を上げると目の前に、たくさんの顔…。その光景自体はどうってことないはずであるのに、「緊張するはずないのに」と思っても、どうしても無意識に体が、声が震える。

あの時は仕方なかったと、いつものように考えるしかできないけど、それでいいのだろうか。結局はmore is betterが正しいのに、それができなくて諦めて逃げているのではないだろうか。

良い経験にはなったかもしれない。

最低限のことしか、言えなかった。いや、最低限のことが十分言えた。
彼女ならそう言うだろう。

最後に、父に感謝!頼りすぎてすみません。
You're the great CPA!


2002年05月16日(木) 生きる喜び(神の否定)

夕方からネット。ほかの教室が空いてなかったので仕方なくMacを使っている。明日の某教授の経済学で当てられてるんで、どういうわけかその資料集め。ゼミでもあるまいし。クジ運が悪かったのでしょう。とりあえず東証と大証のページからいくつか項目を選んで印刷しておいた。どのくらい調べたらいいのかも、どのくらい手を抜いていいのかも、見当がつかない。

6時のニュースによれば宇都宮で猫が殺されたらしい。ほかに、虐待画像を、娯楽であるかのように掲載している、そんな異常なサイトもあって問題にするべきだという話もあった。

目を覆うような虐待や動物実験の実態。これまでも、メディアを通してそんな光景や実情を聞かされ目の当たりにしてきた。どうしても救いたい、苦しみから解放してあげたいといくら願っても、こんなちっぽけな私という人間一人の存在でいったい何ができるのだろうと、結局その力のなさに失望するだけだった。動物保護団体というのが数多く存在し、最近は動物虐待を罰するための法律も成立したけれど、尚不幸な動物達が後を断たないのはやっぱり人間の意識そのものが変わっていないからじゃないだろうか。

動物実験に携わる人たち、医学部では実験は当たり前とされているけれど私は彼等のことをただの変人だと思っている。実際本当に必要かもわからないような実験て動物を苦しめ、生き物を「道具」としか思っていない。話によれば、論文作成のため、優秀評価を得るためだけに、不必要で残酷な実験をする研究者が多くいるという。

かれらに欠けているのは生命への愛情。今日みたホームページでは、「生命への畏敬と憐憫」が欠けていると表現されていた。本当にそのとおりだ。欠けているというよりはじめから無かったのかもしれない。それは日本の受験社会とか偏差値教育が生み出したものだったら、この先、考えただけでも恐ろしい。

言いたくなかったけどやっぱり。神は、いません。多分私のほうが異常だとあなた方はおっしゃるでしょう。それでも結構。神がすべての生命をつくり出し、そしてそれらの幸福を願っているのなら、なぜこんなにも不幸で救われない動物が存在しているのか。無闇に貴い命を奪う人間たちを、どうして放っているのか。

世間には、善と悪、美しさと醜さ、逆のものが常に存在するという。無論、悪は罰せられる。

本当に強い信仰を持ちつつ、善人だったにもかかわらず戦争や事故で「不幸にも」死んでしまった人々は無数に存在しただろう。なぜ彼等は殺されたか??神の思し召し??答え。悪人を罰する際の証拠として、善人達は犠牲になってしまったのだという。

なるほどね。これで納得できる人がいるんだから、単純。狂ってる。わざわざ犠牲者を出させることができるくらいなら、はじめから悪人を消滅させてしまえばいいのに。神は万能ではなかったか??

自分の都合のいいように解釈して、死んでから幸せになるんだと変な空想に耽り自己満足している暇があったらもっと現実を見て救われるべきものを救おうと努めてほしい。協力してほしい。

話は戻るけれど、今すぐに私ができることと言ったら、動物実験をしている化粧品の不買運動、今までにも心掛けていたけど、もっと徹底したいと思う。それからもっと他の人たちにも伝えたいと思います。あんな宣教師たちじゃあるまいし、生命に関わることだから、現実のことだから、人間であるならみんな分かってくれると思う。

「殺す喜びより生きる喜びを」(映画「子熊物語」より)


2002年05月08日(水) SCENE

未だにMacの、キーボードの使い方が良く分らない。ついさっきも、ただ改行するつもりで何か押したら、書いていた日記が全部消えてしまった。たくさん書いていたけど、今朝作ったマフィンがどうしようもない失敗作となったこととか、しょーもない内容だったのでもういいとしよう。ただ時間が無駄になってしまった。

さて。

ついさっきアマゾンでASKAのアルバム「SCENE 2」を注文した。昨夜TSUTAYAで探したけれどなかったからだ。これは連休の間に加古川で、以前友人からもらったテープ(ASKAの写真切り抜きが貼ってある。友人作)で聞いていた。これをもらった時は、中3くらいだったか、歌詞やメロディのその美しさに、ここまで心を揺さぶられたことはなかったと思う。特に「DAYS OF DREAM」(タイトルを知らなかった!)は、調子は「MOON LIGHT BLUES」の少しゆったりめ。歌詞は聞いてみると切なく、ASKAの歌声の優しさと落ち着いた空気がすごくいい。何回も巻き戻して聞いていた。そして後半の「PLEASE」。最近は、神(God,Lord,Jesus Christ=superstar)というものが身近にあったせいもあり(ほとんどは悩まされていたとはいえ)、「神様を信じてる ほんの少し思うよ」という歌詞から始まるこの歌も今では新鮮に聞こえた。ASKAの柔らかな歌声と、それにコーラスが加わって完成された、全体の響きそのものの美しさがしみわたる。きっと誰もが、穏やかで優しい気持ちになれると思った。

かの友人は、知っているのだろうか。



2002年05月07日(火) 南5

昨日は2時に京都に着いた。そこからバスで学校へ向かうという今までに試したことのないルートを使い南下。バスを降りてから、まず家に英和辞典を取りに帰る。なぜかぎりぎりの時間に授業へ。もともと政治学科ではなかったとはいえ最近はこの政治英語も(去年とは違い)予習するようになっただけでかなり充実したものと感じている。もっと早くこの楽しさ気付いていればね。まあ以前さぼりすぎだったというのもあり。先生にも失礼ですわ。終わってから先生に去年の写真を渡してから帰る。

一度家に荷物を置いてから美容院へ。先日自分で切った前髪のせいで、まったくもって変な、外に出るのも躊躇してしまうようなどうしようもない髪型になってしまい、ちゃんとした美容師サンに「正常」に直してもらわなければならなかった。最初からここに来るべきだったですね。それで完成したのが今の髪型。いちおう金太郎イメージらしいけれど。しかしそんな不評でもなかった。


2002年05月01日(水) Choose The Right 2

卒業年次だというのに、どういうわけか今年が一番忙しい。こうやって学校に来てパソコン触るのもめったにできなくなった。

日曜日は教会に行った後、コネリー氏と京都の西のほう、右京区の山と緑がたくさんあるところにエンソクに行った。

教会というのは友人に会うためであり、無論あの中では一人、今もこれからもunbaptizedの身である。まず私に信仰はないし、批判をするつもりも全くないけれど、ここで彼らが頼りにしている書物から引用させていただくと、やはり“Be wise. What can I say more."。まことにそのとおりである。

常に賢くあり、間違った選択をしないことである。迷ったときは祈りなさい、とか彼らはいうけど、そこで答えを授かることができるとかそういう超常現象的なことは私たちにはここでは不要。選択には、もちろん精神的な強さも必要だと思う。どうしても私は楽なほうを選んでしまいがちだし、それを正当化する理由探しに夢中である。今するべきこと、自分にとって今何が大切か、それを見極める力が、かつての私にはほとんどなかった。今の私には思い起こされる時々の反省と多少の後悔が残っている。

道は、もちろんまっすぐじゃないし、ただ堪え忍んで前に進まなければならない。だからこそ、途中で自分が壊れてしまわないためにも、引き返せなくなったりしないためにも、常に正しい選択をして行くべきなんだと思う。


川村 |MAIL