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2002年06月18日(火) グランパドドゥ(?)。化粧品メーカー。他

さっきの時間、英語予習をほとんどしていなかったので、大変な目に遭いました。先生も目の前にいらっしゃることですし。自分の順番が回ってくるまでのあいだ、必死で辞書めくったりしてパニックになってる姿たぶん見られていることでしょう。お見通し。ベルサイユのとこちょっとフランス語っぽく言ってみた、といっても特に意味無し。別にどうってことなかった。先生からフランス史について学びたいと思ったりする。とりわけサンジュストにロベスピエールについて深く語り(合い)たいのです。きっとよく御存じだと思いますわ。

動物実験をしていない化粧品メーカーを調査中。といってもお「お客様窓口」にメール送ったりするだけなんだけど。必ずしも真実を答えるわけではないかもしれないと心配していたが、実験を行っていると答えた会社では、動物実験が非道徳的であると分かっていることをまず述べ、「やむを得ず実験に動物を使用する」、という回答をしており、きれいごとばかり並べていない点で「おそらく事実である」と判断しているのであるがやはり曖昧だ。個人の力ではどうも。NPO等、ボランティア団体なら、もっとはっきりした裏付調査等も行っているのかもしれないし、あるいは、これが関与できる立場の限界なのかもしれない。ただ、やはりメーカーと消費者の間の隔たりは失くすべきであるし、消費者側へは常に公開の状態であってほしい。その上で、メーカーへの信頼を築いていかなければならないと私は思う。牛肉に始まる、食品表示偽造問題も議論されているし、消費者に対する生産者側の意識や責任は今後も厳しく問われるべきであろう。

先週の、バヤでールに話を戻らせていただく。「たぶんガムザッティのソロ」とあの時思ったが、パドドゥの順よく考えれば、あのアレグロの前がどう男性のバリエーションであるので、その次に女性がでてくるとパドトロワになってしまうような気がする(3人ということになる)。小品ではないので、おそらく形式も多様なのかも知れない。グランパドドゥでもないのなら、一体あの曲は誰が踊っているのか。

誰か教えてください。


2002年06月15日(土) ラ・バヤデ−ルへの想い

昨晩はいろいろと悩みましたが、悩み抜いた結果、もう悩むのをやめようという結論に達しました。考えないことにしたのです。おそらく周りから見れば、しょーもないことで苦しんでいるように見えるんだと思いますが、私の性格上、そのしょーもないことで苦悩し、困惑し、何度胸が張り裂けそうな思いで泣いたか知れません。(後半3語は同義語か??)思えば、過去にも、思い悩んだ末もう諦めたこと何度もあったようです。やっぱり、自分ではどうしようもないからなのです。それが最大にして決定的な理由。

最近、バヤデールの1幕後半〜2幕の音楽ばかり聞いている。この曲には特に思い入れがあるのか、聞く度にその感動は新鮮なものであるし、それに過去のバレエの日々を一番よく思い出させてくれる。怪我で中断しているけど、またすぐにでも踊りたくなったりする。

私の、もしかしたら悪い癖なのかもしれないけど、音楽にしても聴くのはもちろん好きだけど、必ず自分でも弾きたくなってしまう。舞台もそうだ。ただ見てるだけでは物足りなくて、どうしても自分で実際に歌い、踊り、演じ、表現せずにはいられない。それはもう昔から。だけど結局どれも中途半端で、何か一つ群を抜くような特技があるわけでもないので、何も私にもたらしたものはなかったのだろう。

ラ・バヤデールのストーリーと、役の割り当てもほとんど覚えていないけど、一番気に入っている曲があって、それが1幕の23番くらいのアレグロ。たぶんそこはパドドゥだと思うので、曲順からするとガムザッティのソロになるか??めちゃくちゃ曖昧。パドドゥの前は侍女達だったかゲストが主に踊っていたが、ワルツが主で、その華やかな雰囲気がすごくいい。その、たぶんガムザッティのソロがどうしてもやりたいと思ったりする。物語では主役ではないけれど1幕のこの場面では明らかなプリマドンナではあるし、大役の一つだ。短い曲だけどこれが踊れたらどんなに嬉しいだろう。

でもまあ、たとえバレエ団の規模が小さくても、私などがこのプリマを演じることなどまず無理。第一に技術が追いつかない。またメインの役をやる人は、先生の信頼とかも含め、数年間変わらなかったりする場合がほとんどなので、よっぽど!の目ざましい上達やなにか光るものがあったりしない限り、途中から入ってきた、ただの20代の自称経験者には役は回ってこない。コールドばっかりやってた人のほとんどには移籍は不利だと言えよう。私だけか!?

国立劇場でべートーヴェンの協奏曲を東京フィルと競演したいとか言ってるわけじゃないんだし、とか思ったけど、やっぱり同じくらい難しいことだろう。

それでもまあ、バレエは好きなので、ただ踊ることを楽しんでいられたらそれでいい。

ただ、以前のように現実を忘れて踊っていられないのが今の現状。こんなことしてる場合じゃない、と何かが思わせるのであります。


2002年06月14日(金) 一年に一度

もうすぐ学校閉まる。日記書く時間ありません。
今日限りだと誓いますが、不平不満だけ言わせてください。

なんかもうーいや。
好きな人は遠ざかり、嫌いな奴は寄ってくる。
なぜ??

思うようにはいかないことばかり。

以上。一年に一度くらいは構わない・・・でしょう??


2002年06月12日(水) 茨城県よ、ペット引き取りをやめろ。

今朝は自然に目が覚めた。

嫌々ながら英語Wの宿題を済ませて、バヤデールの2幕とかショパンのワルツ集とか聞いていた。次ショパン弾くとしたら2番だ!

読売テレビで、捨てられたペットたちを世話している、ある女性について取りあげられていた。少しでも多くの動物を救いたいと、保健所に収容されたペットのうち、何匹かを引き取って、世話をしているのである。ペットたちを飼うのにかかる費用はすべて自腹だと言ってた。ものすごく大変なことだけど、本当にすばらしいことだと思う。こんなにも優しい人が、確かに居るということが嬉しかった。

ただ、保健所で預かってるペットたち、何も知らずにこんな所に連れてこられ、何の罪も無いのに殺されていく。彼らの目を、TVを通してでさえも、まともに見る事が出来なかった。涙が止まらなかった。泣いた。同時に悔しかった。人間のすることの身勝手さ、残酷さに対して。無力な自分に対して。

茨城県は定期的に、「不要になったペット」(こんな日本語があっていいのか)を回収しているという。トラックで地元を回るわけだ。まだ小さな動物が入っているであろう箱を引き渡す住民の姿が画面に映る。若い女に、老人に・・・、後ろ姿をみて、本当に心から憎いと思った。その場で彼ら人間を撃ち殺したいとさえ本気で思った。

この番組は見たことないので、スタジオにいた人たち、地井武男以外は名前知らなかったけどある女性の話では、茨城県のこの政索は、最終的に回収してもらえるから、と、安易にペットを飼い、そして簡単に捨てるという意識を住民に持たせてしまう。この方法は間違っている、と。本当にその通りだ。そもそも人間の身勝手さが原因でありながら、命を、しかも大量の、簡単に消してしまおうとする、一番許されるべきでないことを、平然と行っている、しかもこれを積極手段とするのは今後の改善(野良猫が害であるという問題が存在している上で)につながるとは思えないし、市民の倫理感覚の欠如はますます著しくなると思われる。もっと、考えてほしい。生命に対する意識を、変えてほしい。

どうして、あんなに小さくても私たちと同じ命、一生懸命に生きているのに、せっかく生まれてきたのに、こんなに簡単に殺されなければならない?不要な人間のほうがよっぽど多いのと違います??


2002年06月03日(月) commandment??

自分のどこかでspeakingの先生良いところもあると思ってるし、今回のことも何だか悪いように思ったりするのです。一瞬でも、いい気味だ、みたいに笑みを浮かべた自分が、逆に哀れに思うよ。なんて醜くて心の狭い人間なのだろうと。どちらが自分なのかわからない。loving neighbours??自分がどうありたいかを思い起こせば、自分らしくあるための答えがわかるはず。


今日は恐ろしく怠惰に過ごしてしまった。

私の一日はこれからである。授業1〜4のはずがどれも行かず、昼寝は2回くらいした。今考えただけでも、あきれるばかりで、怠け癖の程度ははもう普通じゃない。

夕方から活動開始。キャットフードを買いにドラッグストアへ。そのあとダイエーにアイスクリを買いに行く。終わりかけの学校に来て掲示板を見てから図書館で例の署名用紙をコピー。

このあと家に帰ってすることといえば政治英語の予習と経済原論と、終わらない英語自主学習くらい。今日も徹夜と見た。生活リズム再び狂い始める。なぜいつもこう自分には甘いのか。こりゃあかんやろ。

TOEFL600点ですか…。うううううう。
3ヶ月でどこまで延びることやら。まあ…頑張ります。


優しさは相手の立場になることから学べ。


川村 |MAIL