心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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2011年09月05日(月) セラピー(治療)と支援の違い

信州発達障害研究会での、小栗正幸先生の講演を録画したDVDを見ています。
小栗先生は、法務省の心理技官として少年医療刑務所で少年の更生にたずさわった人で、発達障害の専門家です(多くの触法少年に何らかの発達障害が見られるため)。

その講演のある部分が気になって、DVDのその部分を何度も見直してしまいました。

小栗先生は、まず「一対一の人間関係はあまり社会的なものではない」とおっしゃっています。「皆さんの中に、今まで一対一の関係の中で何かを成し遂げた経験を持つ人はいらっしゃいますか?」と先生は聴衆に問いかけます。

トム・ソーヤーとハックルベリー・フィンの冒険のように、一対一の関係の中で素晴らしい経験をすることもあり得ます。しかしそれは珍しいことで、たいていの人にとって一対一の関係の中で素晴らしい経験があったすれば、それは「恋愛」でしょう。恋愛というのはアブノーマルなものであり、だからこそ何才になっても恋愛することは素晴らしいと言われるのです。

先生は、子供たちに「恋愛の場面で起きる様な一対一の濃密な対人関係スキルを学習させようとしているわけではない」と続けます。むしろ、大勢がいる場面で要求されるようなスキルを学んでもらうことが目的となるわけです。その例の一つは挨拶です。仲間に入れて欲しいときに「俺も仲間に入れてくれ」と頼むことや、入れてもらえたら「ありがとう」と礼を言い、失敗したときは「ごめん」と謝ることです。

(某断酒系掲示板を見ていると、アル中さんたちの中にこの社会的スキルを持たない人が目立つことに気づかされます。それも掲示板の雰囲気が荒れる一つの原因でしょう)。

一対一の人間関係があまり社会的なものではないと指摘したのはフロイトなのだそうです。精神分析の自由連想法による治療では、患者は心に思い浮かんだことを何でも隠さずに話すように求められます。つまり、このセラピー(治療)では、被治療者が何を言っても、何をやっても許される雰囲気が作られねばなりません。

一方、支援の場合には、何を言っても何をやっても許されるだけではなく、「待て」と制止することが必要になります。何を言っても、何をやっても許される環境は、子供返り(退行)を起こさせます(それまでに手に入れた社会的スキルを使わなくてもすむため)。支援者と被支援者の間に信頼関係を作るためには、何を言っても受容される関係も必要になるものの、どうやって子供に社会性を身につけさせ、集団生活に戻していくかという戦略も必要になる・・。

というのが小栗先生のお話でした(講演はまだまだ先へ続きますが、とりあえずここまでにして)。

これを聞いて僕は考え込んでしまったわけです。AAのミーティングは「言いっぱなしの聞きっぱなし」で進行します。ディスカッション・ミーティングと言われながらも、debate は行われず、他の人の話に口を挟んだり、質問したり、反論したりということは禁じられています。

「言いっぱなしの聞きっぱなし」という仕組みが採用されているのには、いろいろな理由があるのでしょう。その一つがこの「何を言っても、何をやっても許される」必要があるということなのでしょう。支援において被支援者(子供)が支援者(大人)に隠さずに自由にものが言える環境を作ることで信頼関係を作るように、新しくAAにやってきたビギナーは、この「言いっぱなし、聞きっぱなし」のシステムによって受容され、「待て」と言われることなく、他のメンバーとの信頼関係を築くことができる仕組みなのでしょう。

「待て」と言われることは、つまり「お前の言っていること、やっていることは間違っているぞ」と指摘を受けることです。アル中の一番嫌いな言葉はNoです(自分の意見がYesと肯定されることばかり求めるものです)。AAミーティングに「待て」を導入したら、言われたビギナーはもう来なくなるでしょう。(古いメンバー同士だっていがみ合いが始まるでしょうし)。

「言いっぱなし、聞きっぱなし」のミーティングは、ビギナーを受容し、他の仲間の支えにつなげる効果があるわけです。それは社会性の薄いアルコホーリクが集団でうまくやっていくための手段ということになります。しかし同時に「言いっぱなし、聞きっぱなし」が子供返り(退行)を引き起こすこともあるでしょう。実際、何年もAAにいて酒は止まり続けているものの、仕事が長続きしないとか、AA以外の人間関係がうまく作れないとか、AAの中でも議論が発生するサービスの分野ではめげてしまうとか・・・そんな例はいくらでもあるわけです。

そういった問題を解決するのは、スポンサーシップ、そして12ステップの役割なのでしょう。社会性の薄いアルコホーリクを受容して支えてくれるのがミーティングならば、その人が社会集団の中でやっていけるように戻してくれるのがスポンサーシップと12ステップ、という分担なのではないか。ミーティングで癒しを求めるのは結構なことなのですが、そればっかりだと、その人が社会でやっていくスキルが身に付かないわけで、アルコホーリクにはそのどちらも必要なものに違いありません。

小栗先生の話を聞きながら、そんなことを考えたのです。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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