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2010年10月19日(火) AC(アダルト・チルドレン)とは何か

AC(アダルト・チルドレン)とは何であるか、については、まだ僕は確信的な見解を持てていません。
ただ、いくつか感じていることはあります。

おそらくACというのは、虐待による発達障害のことを現象面から捉えた概念なのでしょう。
発達障害は大きく三つの分野があり、知的障害、自閉圏(含むアスペルガー)、ADHDです。
杉山先生は被虐待を第4の発達障害に挙げています。というのも、被虐待の人というのは、他の発達障害に似た特徴を持つからです(とりわけ自閉圏に似る感じ)。そして、ACoAやACoDの人というのは虐待を経験した人たちでもあります。

発達障害について学べば学ぶほど、発達障害の特徴とACの特徴の類似性に気がつきます。ACの人は「生きづらさ」を抱えていると言われますが、その生きづらさは、発達障害による生活の困難さで説明がつきます。(そして、依存症の人の中にも発達障害が多いのではないか、と考えています)。

発達障害だとすれば、その人の抱える問題は二つに分けられます。
一つは器質の問題であり、修正不能なもの(変えられないもの)。
もう一つは生活の困難から来た二次障害(自信喪失や抑うつ、神経症的症状など)、変えられるもの。
そして、この二つを見分けていくことが大事だということです。

修正不能な問題については、いくら自助グループに通ってステップをやったところで、変えようがないことです。それを無理に変えようとするのは、無くした足を生やそうとするようなものです。それよりも、松葉杖を使うようにしたほうがいい。
一方、二次障害のほうは解決可能だし、ステップも効く可能性があります。

大事なことは、何でも自助グループやステップで解決可能だと思わないことで、何年自助グループに通ってもスッキリ解消しない人は、それはおそらくグループやステップでは解決できない問題を抱えているのでしょう。そしてその問題は発達障害かもしれません(別の問題かもかもしれないけど)。
それを、自分はステップを真剣にやっていないせいじゃないか(実際そうである場合もあるけど)として自分を責めたり、他者が「あいつはちゃらんぽらんだ」という評価を与えてしまうのは、二次障害を悪化させる結果につながりかねません。

(なのだが、なぜかそういう人に限って、12ステップで何でも解決できるという考えにしがみつきたがる傾向があるのは気のせいでしょうか?)

とは言うものの、発達障害、とりわけ大人の発達障害に関する社会の整備はこれからです。その診断を受けるだけでも簡単ではありません。実はスポンシーの一人に検査を受けに行ってもらっているのですが、脳波だ、MRIだ、知能検査だと、手間も金もかかって大変です。それでも予約が取れただけでも幸運だったのです。それぐらい大人の発達障害に関する社会資本の整備はこれからなのです。

もう一つ、発達障害という言葉を出すと、まるで「発達障害である」「ではない」の二者択一のように考えしまう人がいます。白黒思考といいましょうか。実際には、発達障害を黒、通常を白とすれば、その中間にはグレイのグラデーションが広がっているわけで、くっきり発達障害の人もいれば、普通だけどちょっとだけ発達障害っぽいという人もいるのです。

僕自身、例えば何かに集中することが難しく、また注意・関心の切り替えが苦手で、二つのことを同時に進める能力は明らかに他の人より低いのです。それを性格の問題として捉えてもかまいませんが、僕はそれを脳の器質の問題と捉えるようにしています。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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