心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2010年10月17日(日) 真面目であればあるほど良いと思っていた

母に言われたことがあります。少し兄を見習えと。
母が言うには僕は真面目すぎるのだそうです。
そう聞くと、真面目なことは悪いことじゃないじゃないか、と思ってしまいます。確かに僕から見れば兄はちゃらんぽらんな性格です。母から見ても、兄はいい加減で、弟は真面目に見えるのでしょう。

しかし、そんなちゃらんぽらんな性格の兄のほうが、弟の僕よりはるかに多くの成果を積み重ねています。それは人間関係もそうだし、経済的なこともそうです。僕が依存症になっていろいろ損失を抱えたことを差し引いて考えても、兄のほうがパフォーマンスが高く結果を残しているのです。

例えば兄は子供との約束を平気で破ります。休日に子供と遊びに行く約束をしていても、むしゃくしゃしたという理由で何も言わずに大型バイクで一人日帰り旅行に行ってしまったりします。そのかわり帰ってくれば機嫌良く子供の相手をしています。基本的に子供が好きな兄なのです。

それに比べてお前は・・と母の話は続くのですが、子供との約束を守らねばと思い詰めて不機嫌な顔で相手をされては子供も迷惑だろうと。なんだか子供が悪いことをしている気分になるじゃないか。おまけに、結局は約束をすっぽかすのに、家で寝ているだけで、不機嫌が治らないのだからお前が悪いのである、と続くわけです。

人との約束を反故にするには体調が悪いという理由しか思いつかず、例えば体調が悪くて仕事を休んだ人がへらへら遊びに行っていたら怒られてしまう文化の影響もあるわけで、嫌なことを放り出して好きなことをしたら気分が良くなりましたと平気な顔で言えるヤツは懲らしめてやりたい気分になり、だから自分にもそうした行動を許せないのです。

真面目であるのは、真面目にやった方がより多くの成果を出せるはずだという思い込みから来ているわけです。けれど実際には成果が思うように上がらず、能力以上の努力をしようとして悪循環に陥っているわけです。

成果主義的な考えに従えば、真面目であるよりちゃらんぽらんであるほうが成果が上がるのであれば、どちらを選べばいいのか明らかです。その逆を選ぶのだからお前は愚か者である、というのが母の言いたかったことなのでしょう。(その性格の形成には母もずいぶん寄与しているはずなんだけど、まあそれはともかく)。

真面目にこつこつやって積み重ねなくては・・・とわかっていても、何もかもやる気がなくなってしまうときがあります。電話が鳴っても出る気がしない、玄関の呼び鈴を鳴らされても出られない。メールの返事も面倒すぎる。

そんな時には布団にこもってないといけない気分になるわけですが、そうする義務はなく、映画でもなんでも外に遊びに行っちゃって、機嫌良くなって帰ってきた方がいいのでしょう。

どうせ明日からまた真面目にやんなくちゃならないのだし。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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