心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」

たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
もくじ過去へ未来へ


2010年04月13日(火) 自立しない中年男たち

たまちゃんのブログ朝日新聞の切り抜きを載せたエントリ があります。

話は「親の婚活」なので、この雑記の守備範囲とは無縁ですが、そこに信田先生の話が載っています。携帯で読んでらっしゃる方のために、該当部分を丸ごと引いておきます。

−−−−
 母子関係などに詳しいカウンセラーの信田さよ子さんは「『子どもが自立しない』という、シニア世代の母親からの相談は少なくない。でも、そういう自分自身が子どもを縛り付けていることに、気づいていない人が多い」と話す。
 経済的には自立できるのに、社会人になっても同居させ、食事から洗濯までしてあげているのは、母親自身という指摘だ。「就職したら自活させる。収入が少なくて一人暮らしができないなら、家事を分担させるなど、親も子も、ある種の境界を設けるべきです」
−−−−

なんでこの部分に目が止まったかというと、AAやその周辺を見渡してみて、やっぱり「中年男が親と同居しているパターンは難しい」と感じるからです。

高齢者の家を訪ねることの多い介護職員の話も載っています。中高年・独身・無職で、老齢の母親と同居、生活費は亡くなった父親の遺族年金。これで母親が亡くなったらどうやって暮らしていくのか・・・。

僕は実家で飲んでいた頃に母親から「夫婦だったら別れられるけど、親子の縁は切れないからねぇ」と嘆かれたことがあります。作った子供にPL法は適用されないはずなんですが、かように母親というのは製造者責任を(取りたがる|取らされる)ものなのです。

「ぬるま湯につかる」という言葉があります。「気も意欲も持たず、現在の境遇に甘んじてぬくぬくとくらす」という意味です(広辞苑)。男子にとって実家はまさにぬるま湯そのものです。風呂が熱すぎても冷たすぎても、入った人はすぐに飛び出します。ほどよく熱ければ身体が温まって出て行きます。しかし、ぬるま湯というのは熱くも冷たくもないのでいつまでも入っていられます。かといってホカホカに暖まらないので、出ればカゼを引きそうな気がして出られず。おまけにぬるま湯は、徐々に冷えていくのです。

実家は快適かというと決してそんなことはないものです。家族の胃袋を握っている主婦(この場合は母親)というのは「権力者」です。機嫌を損ねて飯や風呂や洗濯の世話をしてもらえなくなったら大変なので(ぬるま湯が冷水に一変するので)なかなか逆らえないわけだ。え? それは普通の夫婦関係でも変わらない? そうかもね。

お母さんとしては「息子に一人暮らしをさせて、飲んだくれて世間様にご迷惑をおかけしては申し訳ない」という気持ちなので、そこは夫婦関係と違うんですけど。

実家から出れば必ず良い方に向かうか、と言えばそうとも限らないのが難しいところですが。

実はアクティブなスポンシーの一人がこんな状況で、とりあえず彼が精神的・経済的に自立するまでお母さん元気でいてくださいと、こちらも祈るような気持ちでいるのです。


もくじ過去へ未来へ

by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


My追加