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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2008年09月07日(日) カードの秘密 12&12のステップ12のお終いあたりに、
He learns that he can be content as long as he plays well whatever cards life deals him.
という文章があります。
初版の訳「人生は、どんなカードが配られても、楽しく遊べる限り満足できるものだ、ということを学ぶ」
現在の訳「人生がどんな試練を投げかけてきても、真剣に対応してゆくかぎり、満足のいくものだということを学ぶ」
「カッコーの巣の上で」という精神病院を舞台にした映画がありました。僕は見ていないので伝聞ですけど、ある場面で患者さん達がカードゲームに興じています。でも、頭のおかしなじいさんがゲームのルールをしょっちゅう破ってしまいます。
頭のいい別のじいさんは、そのルール破りがどうしても気に入らないので、注意するのですが、それで直るわけもありません。ついにじいさんが怒り出したところで、後で見ていた別のじいさんが「ともかくゲームを続けるんだよ」と諭すのであります。
そう。人生がどんなに理不尽であろうとも、投げ出すわけにはいきません。続けていればきっと楽しいこともあるでしょう。人生は楽しんだ者勝ちです。他の人がどんなルール破りをしているかはおかまいなしに、ゲームの本質を掴んで楽しんだほうが自分が充実するわけです。
新しい訳は正しいけれど真面目すぎて面白くありません。古い訳は直訳過ぎて、そこだけ取り出してしまうと「なんのこっちゃ」ですが、味があります(前後の文脈を追えば意味は分かります)。ただ、どちらか一つを選べと言われたら、僕は新しい訳ですね。というわけで、訳が改まっても「配れたカード」という表現は残り、時折古い人たちがミーティングのテーマに持ち出してきたりするわけです。
「そこだけ抜き出してくる」ってのは僕は好きではありません。例えば「中途半端は何の役にも立たなかった」というのは、ソーバーを確実にするためにステップ3から先に取り組んで神を探すのか、それともまた飲んでしまうリスクを取っても面倒なことはなしですませるのか、二者択一を迫る文章です。二つの道は同時に歩けない。さあ、どうする、どうする? とカルト的決断を迫る文章なんですけど、「中途半端・・・」というところだけ取り出してミーティングテーマにしたりすると、皆の話はとてもバラエティに富んだものになります。
そりゃそうだ。人間どこかしら中途半端なことを抱えているものですから。90分いろいろな「中途半端なこと」の話を聞き、ふーん人生っていろいろなんだなぁ、となんだか心が軽くなって帰るわけです。
が、ふと「僕はここに何しに来たんだっけ」ということも考えるわけですよ。
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