心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2007年01月30日(火) 恨みについて

親を恨んでいるAAメンバーは多いです。

恨みは乾かさなくちゃいけない、とは言うものの、最近の僕は「無理に親を許すことはない」という意見です。

そういう僕も「許さなくちゃいけない」と言っていた時期がありました。
親を恨んでいるAAメンバーが多ければ、AAミーティングで親への恨みを話す人も多くなります。僕はそういう話を聞くと、なんだか落ち着かなかったものです。

ひとつには、自分もその頃親になっていて、しかも自分が親として十分なことが出来ていないという引け目を感じていたので、親への恨み言を聞かされると、なんだか自分が責められているみたいでいたたまれないのだと、分かりました。
親としてほやほやの新米であるにも関わらず、早く立派な親になろうと焦っていました。子供が親を親として育ててくれるってことが分からず、一気に「親として二十歳」になるのを自分に課していたのでした。
親として修行中という現状を認めることが必要でした。

もうひとつは、「自分は親を許せた」と自分を騙していたことでしょう。
僕が求めるだけの愛は与えてもらえなかったが、親は親なりに僕のことを愛していてくれた。という文脈を使って、無理に許していた。いや許せたことにしていたのでした。実際にはちっとも許せていなかったにもかかわらず、親への恨み言を言うのを自分に禁じていました。そしてそれは苦しかったのです。喜びのない許しでした。
だから、他の誰かが親への恨みを話しているのを聞くと、なぜこの人は僕と同じ我慢ができないのだろう、という苛立ちを感じるのでした。

さらには、僕はいったん人生を投げ出した不肖の息子で、引け目を感じており、親への恨みを許すことで、自分も許されたいという、取り引きを試みていたのでした。

そういった理由で、他の人にも「親は許さなくちゃいけない」と説教じみた話をしていたのです。でも本音は、「親への恨み言なんて聞きたくねえよ、もうその話はするな」でした。

親を許すことが、具体的にどういうことなのか分かりませんが、僕の考えでは「一緒にいて緊張しない」ってことだと思います。敵意を持った相手と一緒にいれば、緊張するし疲れます。この正月も実家に行きました。母が「二泊していきなさい」と言ったのですが、さすがに二晩目はこちらが耐えられなくなり、AAミーティングへと脱出してしまいました。ちっとも許せていないのであります。

恨みのリストを作って、恨みが強い順に並べると、親はトップか2番目に来るんじゃないでしょうか。そういうでかい目標をいきなり許そうというのは、登山の経験がないのにいきなりヒマラヤへ登るようなもので、遭難間違いなしです。まず低い山から練習でしょう。

そうした気づきがあって、最近は「親は許さなくて良い」と言っています。
AAプログラムに取り組んでいれば、そのうち自然に許せるようになるだろうから、それを信じていこうよと話しています。ふと振り返ってみれば、以前よりは許せる範囲が大きくなっている自分に気づくだろうと。

うつ病患者は、怒りを無理に押さえ込んでうつになります。同じように、許せないものを無理に許そうとすれば、ソブラエティの質は悪くなるでしょう。

父親から性的虐待を受けてきたメンバーの話を聞いたことがあります。ホームグループで1年間、繰り返し親への恨みを語ったそうです。そして父親くらいの年齢のおじさんメンバーたちは、黙ってそれを聞き続けてくれた。おそらくその受容が、その人の恨みを溶かし、やがては酒からの解放をもたらしたのだと、僕は思います。
そのグループのメンバーが、回復した人たちで良かったと思います。僕だったら、いつか耐えられなくなって、「AAの目的から外れる」とかイチャモンをつけて、全て台無しにしていたかもしれません。

親より仲間を許しなさいと言っています。親が許せなくて一緒に暮らせなくても、生きていけます。けれどAAの仲間が許せなければ、AAの中で自分の居場所がどんどん狭くなって、やがて自分で自分をAAから締め出すことになります。それで自分は生きていけるかどうか。
誰かが、親への恨みを話していても、それは自分も同じだと思って、許容することが僕に必要なのだということです。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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