心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2006年11月17日(金) 献金

先週車をぶつけてしまいました。
スーパーマーケットの駐車場で、バックさせている時に、下げすぎて後ろの車にボコリとぶつけてしまいました。相手の車には、買い物中の奥さんを待っていたとおぼしき男性が乗っていて、さっそくバンパーの傷の確認などをしました。
ともかくこちらとしては謝るほかありません。なにせ、相手には何の非もないのですから。再塗装の請求書をこちらに送ってもらうことにして、連絡先を交換して別れました。
相手のバンパーはすでに傷だらけで、そこに新しい傷が加わっても大したことはなさそうだったのですが、そこでごちゃごちゃ言っても始まりません。
数日後、ディーラーから3万5千円+消費税という連絡がありました。
大きな事故は別にして、自動車に乗っている限りは、細かな事故は避けられないものだとしか言いようがありません。こういう話をすると、「私はぶつけたことがない」と言う人が出てきますが、そう言う人に限って、何かの力に守られていることに、感謝しようという気持ちを感じられないのは、気のせいでしょうか。

毎日AAミーティングに出ている人は、毎日100円の献金という人が多いと聞いています。もちろん、献金は義務ではありませんし、どれぐらいすればいいと言う目安があるわけでもありません。けれど、毎日出席派の人は100円という人が多いような気がします。一日100円でも、一ヶ月で3千円。十分立派な額だと思いますね。もちろん、少ない人もいれば、もっとたくさんしている人もいて、それは自由なことです。

僕は週に二回なので、500円玉にしています。ミーティングに行く前には、なるべく500円玉が財布に残るように努めていますが、ない時は100円玉三つで(自分に)勘弁してもらっています。もちろん、忘れてしないときもあります。

献金て何なのか? と問われれば、それは「感謝」でしょう。
感謝とは気持ちでするものではなく、行動でするものだと思うのであります。
「金銭と霊性(スピリチャリティ)が結びつくところが、この世の中にひとつだけある。それが献金箱の中だ」と本にもありました。
献金箱にお金を入れるのは、そのお金で自分に何か買ってあげるのを諦めることです。それから、誰か他の人が責任を負えばいいことではなく、それが自分の責任だということでもあります。

そうやって何かを手放し、何かをもらっていると、いざお金が必要になった時(たとえば車の修理費が必要になったとき)そのお金は不思議と都合が付くのであります。まあ、裕福にはならんですが。
ところが、献金を節約していると、金回りも心も苦しくなってきます。
どういう理屈かはしりませんが、それが僕の経験です。
結局自分の利益のために献金しているのであります。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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