ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」
たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
もくじ|過去へ|未来へ
2006年08月25日(金) 勉強 仕事でセミナーに行きました。今回はお昼ご飯は自前でした。
そうそう free lunch にはありつけないということですね。
外へ出て歩いていても、うっすらと汗ばむぐらいで、日陰で風が通るところにいると涼しいです。やっと夏も終わりに向かいだしてくれました。お盆過ぎぐらいから、これぐらい涼しくなって欲しかったのですが・・・。
まだまだクーラーがありがたい季節は続きます。
教会の一室で汗を拭いながらミーティングをし、窓を開けているんで花火が始まると、うるさくて仲間の話が聞こえない。そんな経験をしたものですが、今月行った教会でのミーティングは、すべて空調が効いて快適でした。涼しい部屋の中で、花火を見ながら仲間の話を聞いていました。
最近「お願いの祈り」について、学びました。
お願いの祈りは、○○が欲しいという実に分かりやすい欲望を、神さまにお願いすることです。例えば、大学に合格したい、お金が欲しい、男が(女が)欲しい・・・。大人になっても、お願いはなくなりませんね。
でも、ただお願いするだけで、あとはサンタクロースがそれを届けてくれるのを待っているだけでは、欲しいものは手に入りません。それは、みんな分かっているわけです。
なので、「私も一生懸命努力しますから」という約束もついでにします。
しかし、努力をしたからといって、欲しいもの全部が手にはいるようには、世の中できていません。
人間の努力を越えた部分は、何か超越的な存在にお願いする。これは日本人がとても親しんできたやりかたです。赤ん坊が生まれればお宮参り、七五三、年が明ければ初詣、結婚する時も神さまの前。自分で何でもできると思っている人には、神さまも仏様も不要です。限界を知るからこそ、幸せをお願いするのでしょう。
人が亡くなった時も、お坊さんをお願いします。人知の及ばない、この世ならぬ場所での幸せをお願いします。
なるほど、日本人は超越的存在が大好きな民族なんでしょう。
大切なことは、努力して、そこから先は神さまにお願いして、やることはやったのだから、結果が悪くても恨まないという約束だそうです。
努力する約束・お任せする意志・恨まないという約束。この3つが揃って「お願いの祈り」として完成するというお話でした。
努力すると約束をしたものの、あんまり努力しない。中島らもに言わせれば、本来もっと努力できたはずと思うのは幻想で、そこまでしか努力できない能力の限界なんだそうです。そうかもしれません。
そうなると、かなり手前のとこから、お願いすることになります。
でも、恨まないという約束は、いつもできてない気がします。要するに自分は幼稚だってことなんでしょう。
努力できなかったことも後悔せず、欲しいものが手に入らなくても恨めしく思わないような人がいたら、その人にはお願いも超越的存在も不要なんでしょう。そんな人には会ったことありませんが。
もくじ|過去へ|未来へ![]()
![]()