心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2005年07月10日(日) あと一週間

日曜日だというのに、家族の中で一番早く起きてしまいました。
娘たちにレトルトのカレーと親子丼で朝食を作りました。またレトルト買ってきておかないといけません。

娘たちが、昨日ラベンダーを収穫した空港近くの畑に行きたいというので、一家で出かけることにしました。途中100円ショップで剪定ばさみを買うという気合いの入れようであります。

尾道ラーメン店で昼食。この店があるところは、以前はうどん屋であったり、カレー屋であったり、どんなテナントが入っても長続きしない場所でありました。テナントがころころ変わる場所というのが市内にいくつかあって、なぜ長続きしないのか誰にも理由はわからないのですが、長続きしない不思議があるのであります。
別の場所ですが、ゲームセンターやゲーム販売などのテナントがくるくる変わる店に、ビデオレンタルショップが入って1年半ほど長続きしていたことがありました。今度は成功したのかなと思っていたら、自動車が店舗につっこむという大事故が起って、店舗補修の資金が出ずに泣く泣く閉店に至ったということもありました。悪霊に取り憑かれているとしか思えません。今はその場所はブライダルショップになっていますが・・・。
尾道ラーメンにはがんばってもらいたいところであります。

午後は眠くなったので寝てしまい、夕に起き出して夜にスポンシーとスカイプでビッグブックの分かち合い。
どうしてもWindows 95ではTCP/IP経由でLANが組めないので、Windows 98をインストールしようとしたら486SXはサポートしていないとすげなく断られてしまいました。Windows NTのインストールを試しています。

さて、復職まであと一週間と迫りました。
今年の正月は実家に泊まりがけで帰省したものの、ずっと寝ているといううつ状態でした。年が明けて勤務が始まってもどうにもならず、残っていた有給休暇を使い果たした段階で、医者の診断書を出して休職となりました。11月あたりから、寝る前に夜食とポテトチップの他に柿ピーやさきイカを食べる習慣がついてしまい、就業時間中もこっそり何か食べているということの連続で、一気に10キロ太ってしまいました。精神科医がしてくれた血液検査の状態が悪かったのも、休む後押しになりました。もしあそこで食べ吐きに突入していたら摂食障害者のできあがりだったのかもしれません。
就職後半年もたたずに休職したので、はっきりいってやめる覚悟だったんですが、落ち着いてくると、ウツが良くなったらまた仕事に戻りたいとは思うようになりました。
1〜2月は生活習慣も崩れ、家族も悲鳴を上げて、医者が「入院」を口にするようになりました。大学病院に入院して電気けいれん療法をする案も出ました。3月15日に入院するか見極めるという話でしたので、AAのホームグループのチェアマン・司会・バスケット持ち・会計などを仲間に全部預けました。
でもまあ、ルボックスが2ヶ月かけて効いてきたのか、入院するほどでもないでしょうという判断になり、あとは自宅で無為の日々を過ごすことになります。
途中台湾に行ってみたり、プログラムを書きかけてみたり、いろいろありました。5月から始めた副業だけは無駄だったと今さらながらに思います。
傷病手当金がでなくて、障害者年金の申請に踏み切ってみたりもしました。
貯金も底を突き、(親にではあるものの)借金だけが残りました。

でも、こんな半年も人生の一こまとして記憶されるにすぎないのでしょう。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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