心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2005年06月13日(月) 睡眠

日曜日は7時45分に起きて授業参観に行きました。
お母さんたちに囲まれて男ひとりで恥ずかしい思いをするのではと心配していたのですが、日曜日だったので半分ぐらいはお父さんであり安心しました。
一時間目は長女の体育の授業で、親子混じってドッジボール。大人は利き腕じゃないほうで投げるというルールだったのですが、右腕で子供たちをぼこぼこアウトにしているお父さんがいました。きっとその人は左腕では野茂のような剛速球を投げるのでしょう。
二時間目は茶話会というので、PTAの会議というか懇親会をするのかと思ったら、自分の子供の隣りに座って、子供はペットボトルのジュースを、大人は同じくペットボトルのお茶を飲むだけのものでした。子供たちには駄菓子のたぐいが配られて・・・、いったいこのどこが授業参観なのか。
三時間目は次女のほうへ行き、工作の授業に混じりました。プラスチックの板に絵を描いて、オーブントースターでチンとやると、グニャグニャと曲がったあとに、また平らになってサイズが縮み、かわりに厚くなります。穴に金具を通してキーホルダーのできあがり。

子供たちはパパが起きられるか心配だったのでしょう。僕の顔を見ると安心していました。
最後に教頭先生と校長先生の講話を聞いて帰りました。小学校高学年で5%ぐらい、中学だと半分弱、高校だと2/3の生徒が「寝るのが午前0時過ぎ」なのだそうです。「そんな生活をしていたら、朝きちんと起きられる訳がありません」と校長先生は強く主張しておられました。
そうだそうだ。そんなことをしていたら僕のような大人になってしまうぞ!

ちなみに僕の場合には小学校時代は10時過ぎに寝ていました。中学になって深夜のラジオ番組を聞くようになりましたが、眠くて最後まで聞ききることができませんでした。当時のラジカセはオートリバースではなかったので、120分テープを使っても60分録音するのが精一杯。録音の切れた続きがきになったものです。
夜半過ぎまで起きている生活が定着したのは、ひたすら受験勉強をしていた高校時代からであります。三百数十人いる学年の中で、20位以内に入っていないと「ラブひな」の目標大学を受験するのは「無謀」「見栄っ張り」と言われたものですが、僕はその順位を維持することが出来なくなって、急速に勉学に対する熱意を失っていきます。思えば当時がうつの発症なのでしょうが、治療に結びつくのはその10年後で、考えれば長い病歴であります。

復職へ備えて朝起きるリズムを作っていこう、そう決意したのですが、月曜日に起きてみるともう午後1時半でした。代休になった子供たちと公園へ。芝生の上でまた昼寝。

こんどの水曜日は上司との面談であります。ひょっとすると解雇通知もあるかもしれません。いやまさかそんないきなり。でもあるかもしれない。
AAミーティングのテーマは「希望」。不安と恐れがなくなるのが僕の希望という話をしたら、すこしだけ水曜日に対する恐れが薄れました。

「なんとかなるでしょ」というのが僕の会社で長野県を営業担当している人の口癖です。きっとそう言う人は霊的(スピリチュアル)なプログラムなどなくても、そういう気持ちで生きていけるのでしょう。僕が「なんとかなるでしょ」と言う時には、暗闇が怖いので大声で叫んでいる少年のようなものなのですから。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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