心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2005年05月26日(木) お風呂

米野よ、お前もっとバッティングをなんとかしないと、古田の代わりは務まらんぞ。

小遣い稼ぎの副業のほうは、なんだかうまくいかないです。結果の金銭を気にしすぎると、仕事と変わらなくなってしまいます。プロセスを楽しむようにすれば、趣味になるのでしょうか。

我が家は毎日風呂に入っています。水道代を負担してもらっている義父母からは「二日にいっぺんにしたらどうか」というお小言をいただいたこともありますが、やっぱり入らないと気が済まない自分であります。

元々生まれ育った家が、毎日風呂に入る習慣の家でした。戦前は大地主だったようで、風呂の準備などは住み込みの小作人の役割だったそうです。毎日風呂に入るというのはかなりの贅沢であったようです。
農地改革があって没落した後も、この「毎日風呂」という習慣は残り、子供の頃の僕は薪風呂の火の管理や湯加減を任されていました。考えてみれば、あのころは子供が家のことを手伝うのが当然でありました。今でも長野県の小中学校には1学期、2学期、3学期の真ん中に短い休みが残っている学校があります(なくなったところも多い)。それぞれ「田植え休み」「稲刈り休み」「寒中休み」と呼ばれていました。
学校を休んで農作業を手伝いなさいという主旨でしたが、僕の頃には実際の農繁期と時期がずれてしまっていて、あまり意味はありませんでした。
寒中休みってのは、節分の頃に「あんまり寒いから学校も休み」という休みであります。まあ、年平均気温が今より2℃も低かった時代の話ですから、今の長野がそんなに寒いと思わないでください。

話がそれました。で、実家の風呂は「沸かし直し」と言って、水を換えずに2日〜3日と風呂に使いました。当時の僕は「バスクリン」という入浴剤は、風呂の残り湯の濁りをごまかすための薬剤だと思っていました。
農家を大きくやっている家では、汗をかくので「沸かし直し」でも毎日風呂に入るところ多かったようですが、勤め人の家は「あまり体を使わないから」週に2回というところが多かったです。

東京でひとり暮らしをしていた頃は、ずっと風呂なしのアパートだったので、飲んだくれて銭湯に行けない時の汚れはひどいものでした。長野に戻って、両親と同居するようになり、また風呂の習慣が戻って清潔になりました。しかし、いつも酔っぱらっているし、肝臓が悪くて体がだるいので、風呂にはいるのは大変面倒な作業で、親にうるさく言われるのが苦痛でたまりませんでした。独身最後の頃は、風呂の習慣も崩れて週に2〜3回ぐらいだったかもしれません。

結婚した相手は毎日入浴して、洗髪も毎日する人でした。僕は洗髪なんて週に2〜3回で十分だと思っていたのですが、温かいお湯を頭にかけると目の疲れや肩の張りが楽になるようで、毎日洗髪することになりました。いまも風呂にはいると、血の巡りが良くなって、気分が良くなり、ついつい夜更かしする原因のひとつになっています。

だいぶ前のBOX-916の記事に、「私は疲労を取るのは、睡眠、入浴、飲酒の三つしかないと思っている」という言葉がありました。僕もそうだなぁと思います。相変わらず睡眠障害もあり、飲酒も出来ない自分としては、風呂は(面倒だけれど)楽しみのひとつであります。

兄家族と母の二世帯住宅として建て直された実家の風呂は、24時間の循環風呂であります。広々と大きなその風呂をうらやましいと思うこともありますが、冬場は寒さがこたえるので、我が家のちいさなユニットバスのほうがお気に入りであります。

仕事を抜け出してスーパー銭湯でのんびり過ごしている、というお気楽なメールをもらってそんなことを考えました。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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