心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2005年05月21日(土) ノートパソコン

妻用のノートパソコンを購入したのは、僕が初めて台湾へ渡航する直前でした。
もちろん会社には外で仕事をする時のためのノートパソコンがあるわけなんですが、少々型が古かったのと、(マウスの役割を果たすのが)キーボード中央のトラックボールという設計が気に入らなかったので、自分専用のを用意するつもりになったのでした。

当時「ソーテック」というメーカーが安さを売り文句にパソコン業界に進出してきた頃で、僕の住む街にもソーテックのお店が出来ていました。ノートパソコンが12万円というのは、(今なら12万円は普通の値段でしょうけど)当時としては破格の安さでした。廉価版のために、液晶がTFTでなくてSTNだったり、軽量化の工夫がなくてずっしりと重かったりと、安かろう悪かろうではありましたが、「12万円なら買っちゃうよーん」と、出来たばかりのソーテックのお店で、買って帰りました。

パソコンの箱を抱えて帰宅した僕を迎えたのは、妻の厳しい目つきでした。
「その箱はなに?」
「き、君へのプレゼント」

仕事が忙しすぎて、そのノートパソコンにWindows2000やら開発ソフトやらをインストールしている暇もなく、結局会社のノートパソコンを持って台北へ行くことになってしまい、ソーテックのノートPCは、そのまま褄の所有物へと変わってしまいました。
それが西暦2000年のことであります。

さて、今年の5月5日の日記にあるように、妻が「えっくすぴーじゃなきゃ嫌だ」と言い出したので、しかたなくWindows XPのインストール作業にかかりました。でもHDDの容量が4GBでは、XPと一太郎とメールソフト云々を入れると容量不足であふれてしまうだろうと思い、HDDの交換をしようとして・・・見事に失敗し破壊してしまいました。
メーカーに修理を出しても良かったのですが、その前に「なるべく直しておこう」と思っていじっているうちにどんどん破壊してしまって、修理に出すと何万円かかるかわからない状態になってしまったので、メーカー修理は諦めました(だいたい修理見積もりだけで1万7千円は高すぎるぞ!)。

それから僕は妻のと同型のノートPCで、動作しなくなって「ジャンク品」と呼ばれるようになったものを都合4台買い集め、それから使える部品を集めて3台の完全動作するパソコンを作り出しました。バラしては組み立て、バラしては組み立てを繰り返すたびに、だんだんと習熟し、メインボードの交換にも30分もかからないという立派な「パソコン組立工」になってしまいました。

さて、実際に5年前のパソコンにXPをインストールしてみると、動作が重くて(遅くて)使い物になりません。Meというので我慢してもらうことになりました。これだったらHDDの交換なんてしなくても良かったのに・・・。

3台のうち1台は妻に返し、1台は子供たち二人が教育ソフトを動かす共用パソコンになり、もう1台は僕の手元に残ってapacheとsambaを動かすために働いてくれることになりました。
そして動かない2台はジャンク品として売られていくことになります。

そのうちにこのパソコンの分解・組み立て・オーバークロックを開設したサイトでも作ろうかと思っています。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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