心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2005年03月03日(木) 「溺れる人」を見る

Windows Encoder 9がクソタコで、何回エンコードをかけても途中で止まってしまうので、ちっとも終わりゃしません。

ま、それはともかく、「溺れる人」をやっとみました。

やっぱ午後10時45分て「魔の時間帯」ですよね。11時になると自動販売機が酒を売らなくなってしまいます。酒を買いに行くべきか、行かざるべきか、悩みに悩んで、けっきょく財布を片手に出かけてしまう・・・。
僕はやらなかったけど、水洗トイレのタンクの中に酒を隠しておくのは定番だと仲間が言っていました。
重症のアル中でも幻聴幻覚を見るのは4割ぐらいにすぎないのだそうです。逆にそれほど進行していないアル中の人でも、幻聴を聞くこともあるわけであります。

で、感想ですが・・・。
妻がアルコール依存症になっても、あんなに献身的にしてくれる旦那がどれだけいるのでありましょうか? 「おまえの問題なんだから、おまえが自分で解決しろよ」という態度で逃げちゃう人のほうがずっと多いんじゃないんでしょうか。
たとえば妻が内臓疾患とかで2〜3ヶ月内科に入院することになったとして、主婦を失った家庭の夕食のおかずが毎日毎日コンビニのものであっても、「やむを得ない」として了解してくれる家族は多々あるに違いありません。でも、「酒の飲み過ぎ」が原因で精神病院に入院するのを「致し方ないこと」と納得してくれる人々はなかなか少なかったりするのが現実ではないでしょうか。

まあドラマは退院するところで終わってしまうわけですが、それは依存症の治療という観点から見ればほんの「序章の終わり」にすぎないです。「男が女を愛するとき」もまだ見ていないのですが、チャプターリストから推測すると酒が止まったところで映画が終わってしまっているみたいであります。小説の「今夜すべてのバーで」も同じであります。どのドラマも真のシナリオが始まる前にストーリィは終わりを迎えてしまっているわけでありますね。
「酒とバラの日々」は、まあ「解決方法が見つかったよ」というところで終わっているところが救いがあると言えなくもありませんが。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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