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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2003年12月08日(月) 月の光の下を走りながら 月曜日と木曜日は、僕はほとんど残業しないということが職場で定着しております。まあ、忙しければすくに消し飛んでしまうような暗黙の了解に過ぎないのですが、僕はこの暗黙の了解(というか既得権)を守っていかなければなりません。つまり、ミーティングに出るために職場から脱出しやすい状態を保っていかなければならないのです。
そのためには、他の日にはそれなりに「がんばって」仕事を片付ける必要もあり、月曜と木曜には夕方まで仕事が残らないように気を配っているのです。もっとも、僕の仕事は「ヶ月」単位で進む仕事ですから、仕事がきれいに片付いた状態で職場を後にすることなど珍しいのですが・・・。
月曜日はホームグループのミーティングではなくなったので、それほど気にかける必要ななくなったのですが、週2回よりミーティングを減らしてしまうと、おそらく辛くなってしまうでしょう。それは、仕事で出張していて何週間もミーティングに出られないでいると、だんだん神経がささくれ立ってくる経験から推し量れます。そんなわけで、フリーになった月曜日も、どこかのミーティングには出るように努めています。
有料トンネルを抜けながら、「自分はいったい何をしているのか」と考え込んでしまいました。それはつまり、なぜそうまでして時間と金と体力を使ってミーティングに出なくちゃならないのか? という疑問です。最初のうちは「自分が助かるため」だから自明です。その次には「他のアル中を手助けすることで、ソブラエティが得られる」というピンクの雲に乗っているわけです。そのうちその霧も晴れてくると、「だからといってそこまでする必要があるのか」という疑問に捕らわれるわけです。
これはとても常識的な考えですから大切にしないといけないと僕は思うのです。信仰とは感情に溺れることではなく、理性を納得させる必要があると。そして僕の理性の結論としては(過去の経験に照らして)「そこまでする必要がある」というわけです。感情では「めんどっくせー」と思っていても、仕事と同じで「好きであるか嫌いであるかともかくやる必要があること」をやっているのだと。
「自分ひとりじゃ助からないし続けられない。だから、他の人を引きずりこんでいくんじゃないか」と仲間が言いました。ほかの誰でもない、ただ自分のためにやる。そうやってAAは始まったし、これからも続いていくのでしょう。
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