心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

ホーム > 日々雑記 「たったひとつの冴えないやりかた」

たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
もくじ過去へ未来へ


2003年10月16日(木) アル中のプログラム・入院のプログラム

窮地に追い込まれている。というほどでもないのですが、困った事態に陥りました。来週日曜日に持っていく予定のプログラムが、うまく動作してくれないのです。例によってなおざりな動作検証で「動いたから、これからも<動くはず>」と思い込んでいたのですが・・・「動くはず」≠「動きます」であることを思い知らされています。まったく、もう20年以上プログラムを組んでいるのに、同じ失敗を繰り返してばかりいます。
今夜も入れて、まだ夜が3回と昼が2回ありますから、なんとかなるでしょう。

と言いながら、夕方から病院メッセージへ行ってきました。他のアディクションの人からは「アル中は病院に集まってくるからいいよね」と言われたことがありますが、それは確かにそうだと思います。ただ、集団を相手にした「メッセージ活動」というのは決して効率は良くないシロモノです。AAのプログラムはスポンサーとスポンシーという一対一の関係の中で最大の効果を発揮するのでしょう。
それと、2ヶ月〜3ヶ月という長期の入院が必要なのかどうか、僕は懐疑的なのです。禁断症状として重い抑うつ傾向が出たり、社会生活が崩壊しているような人を除けば、たいていのアル中さんは急性期の一週間から10日ぐらいの「解毒入院」さえ受ければいいといっても極論ではないでしょう。もちろんそれでは、またすぐに飲んでしまうでしょうけどね。でも「入院して酒を切る」→「またすぐ飲む」という繰り返しの中で、「自分がアルコールを支配しているのではなく、アルコールが自分を支配している」ということに気づくことに意味があるのです。

もっとも医療の立場から見れば、治療の成績というのも無視できないのだとか。確かに退院してすぐ飲んでしまうのであれば、何のための入院なのか意味付けが難しいでしょう。しかし長い入院に、退院後の(ケアレス)断酒期間を長引かせる効果があったとしても、それは底つきまでの期間を長くしている効果しかないわけで、病気の進行を遅らせる単なる「対症療法」に過ぎないわけです。
例え3ヶ月の入院のおかげで7年間ケアレスで飲まないでいたとしましょう。「3ヶ月の入院で教育効果を上げたからこそ7年間飲まないでいられたのだ」という論に意味はありません。最終的に飲んでしまうのであれば、本人にとっても家族にとっても、その年月など吹っ飛ぶぐらい再飲酒というのは大きな破壊力があるわけですから。

ただ、そういう話を医療側の人間に向かって言うわけにはいかない立場に、僕は立っているのです。で、こういうところでガス抜きをしていたりするのですね。


もくじ過去へ未来へ

by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


My追加