心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2003年10月11日(土) 収穫のとき

午前中1時間半、午後3時間の労働で脱穀を終了しました。あてにしてはいけないと判っていながら、それでも天気の週間予報を信用してしまい、この休み3日間は晴れが続くものとばかり思っていました。いつの間にやら気圧の弱い谷に入っているようで、すでに雨が降っているところもあるというのが驚きです。
僕が、明日新潟に行きたいがために、12日の予定だった脱穀を今日に早めてもらったのが幸いしたようです。

毎年同じ田んぼの収穫を自家消費米にしているので、収量の変化というのを追うことができます。今年は20袋と半分でした。昨年は21袋と半分でしたから、たしかに今年は「若干の不作」なのでしょう。過去最高は24袋でした。
この田んぼは、一時期休耕田として畑作に使われていたことがあります。そこで親父が野菜を作っていたのですが、野菜というものは平らな地面では栽培できません。排水を良くするために畝を作り、その上に野菜を植えるのが普通です。畝の間の溝には雨水が流れ、それは毎年深くなっていくわけです。
もう10年ほど前になるでしょうか、皆でタイ米を食べたほど不作のときがありました。その翌年は米増産の掛け声がかかり、親父は休耕田を稲作用に戻すことに決めました。ところが、凸凹の畑をトラクターでかき回してみても、なかなか完全に平らには戻らないものです。おかげで、当時週末は完全に酔っ払って布団にこもっていた僕が、スコップと鋤簾(じょれん)を渡されて、泥田の中を這いずり回る羽目になってしまいました。五月の連休の熱さと禁断症状で猛烈に汗をかき、悪寒に震えながら、世の中のすべてを呪っていたことを思い出します。「あぜに酒瓶を隠しておくんだった」と一日じゅう繰り返し繰り返し考えていました。

毎年その田んぼで農作業をしながら、今しらふでいられること、そして体がしんどくないことを感謝しています。もっとも、そのぶん年は取ってしまったので、体がつらい部分もあるのですけど。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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