21世紀猫の手日記
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2021年08月24日(火) 父、母と同じ病院に移動したのが17日。そして、安心したのか?

(25日に書いている)22日の午後3時ころ母と面会した。

手を触った感じや、私と話したらウンウンとうなずいていたのでまだ10日は持つと思ったんだが、医者の予言は2-5日。父とも面会した。

父はふらつきがあるのか車椅子になっていた。1週間でガクッと落ちた感じだ。まさに、死ぬのを待つモードになっている。

険しいなにかが、取れたのだろうか?ありがとうございます、感謝しますと皆に言い、ナースに何に感謝しているの?と突っ込まれていた。私に見せていたのとは違う、まったく良い敬虔な感じの爺さんになっている。別人だー!!

看護師に合掌してお礼言ってるのだ……えーーーー?モードチェンジしたのか?


……父は母にたくさんのハガキを書いていた。私と会話すると、何故か私を叩き潰さないと気が済まない傾向があるのは、ものすごく寂しかったせいなのかもしれない。私は、父の言葉に心が傷ついて、あった後泣くことが多かった。1か月から3か月は泣いた。(出勤前とか)だから、なるべく合わないようにして、通信はこまめにハガキを書きあうことにした。

叔母には”寂しいサミシイ”と電話で言っていたそうだ。服をとってきてとか甘え放題である。えーーーー?


私はめちゃくちゃ後悔している。えーと、家族全員会いたかったけどあえて合わないで寂しい思いをしていたのだろうか。私がめちゃくちゃ悪い人じゃないか。……いや、これは私悪い人だ。(確定と後悔と反省した)しかし、あったら出勤に支障がでるギリギリレベルの状態になるので、やはり気軽には会えなかったのだ。

母、23日、夜の11:23頃死亡する。第一類感染症とかいてあった。24日、通夜(24日は私はうっかり朝出勤して帰りなさいと言われ帰った:帰ってから葬儀場へ行った)。25日、告別式をして火葬してきた。

叔母の家で父母の書類を整理したり、手続きを確認していたら、父から電話が来た。もさもさした上着をとってきてとのことだった。なんでも言って甘えたいモードと敬虔なモードが混じっている。傲慢で嫌味というか、人をえらく傷つけることを言う父ではなかった。

傷つけるってどんなことって、うーん、お前の帰る家はもうない、ここにお前の住むところはない、って言われたことはある。意図はわからん。しかし、父が体調をくずしてからは、この家に私が住んでほしいと言っていた(7月ころ)。家の近所の職場に合格したら、近所に住んで面倒をみるパターンもありなのかと、ちょっと考えたことがある(3月頃)。

話はもどる。父が急にいい人になった…。人は状況で変わる。私も沢山悪いところがある。弱った父といい距離が取れずに、放置気味で見放したと言われればそういうことになる。食事の面倒ももっと見るべきだったのだろうか?こまめにおかずを作って持って行ったりする余裕は無職期間ですらなかった。無職期間は、ここまで苦しいことがあったかというくらいの悩みっぷりだった。

私は良くないっていうのがすごくわかった。基本、他人に興味ないのがまずい。今の職場は、人間関係いいほうだと思うんですね。リーダーや、体制が良くないんで、自然とみんな協力し合うというか。私も、もっと人のために働こうと思う。


zaza9013

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