過去 : 未来 : メール 2006年10月31日(火)


どれだけマスコミが

「安心して学校に子どもを預けることが出来ない。」

と言っても、

どれだけワイドショーの司会者が

「学校は責任逃ればかり考える。」

と涙を流しても、学校がなくなることはない。




もしかしたら中には実際に今、いじめに苦しんでいる子で

「そっか、命はってまで学校へ行くことないんや。」


という選択をして学校に行かなくなった子もいるかもしれない。

それもいいでしょう。

死んでしまうよりも数倍いいでしょう。







それでも大半の子はいつもと変わらず学校へ行くし、教師だっていつものように仕事に向かう。



学校の中の生活はいつもと変わらない。


でも、テレビ、新聞を見るとどの番組でも学校批判の嵐。



イジメを見つけなかった先生が悪い。

イジメをとめなかった先生が悪い。

イジメを認めない先生が悪い。

イジメに対処しなかった先生が悪い。




時には

「現場の教師は昔と違って指導しにくい環境にあるんです。」

なんていう専門家の意見もあるが、それは印象に残らない。



そうだよなぁ、今は体罰なんてもってのほかだし、生徒のプライバシーに介入しにくいし・・・。









でも学校の中の生活はいつもと変わらない。


朝、ニュースを見ると「またか」と嫌な気持ちになるが授業に行って生徒達の顔を見るとほっとする。




特に今日は不登校の子が久々に私の選択英語の授業にやってきた。

私の顔を見てニコニコして

「先生、よくわかったから出来たよ。」と言った。

嬉しかった。

「そっか〜。そりゃすごいやん。またおいでよ〜。」









↑エンピツ投票ボタン

My追加





誰の責任?



加害者?
加害者の周り?
親?
教師?
校長?
教育委員会?
文科省?
国?



そんなことわからない。






今回亡くなった子の意味は「次」を失くすこと。






「次」が出ないために考えなければならないことはたくさんありすぎる。




そう思う。

■ 目次 ■