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夏の作品 |
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| 過去 : 未来 : メール | 2006年08月25日(金) | ||
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ミホもカホも夏の作品を提出することができた。 二人ともよく頑張った。 ミホの切り絵の絵本もすごいし、カホの毎日こつこつ続けた雲の観察と天気予報も楽しい。 二人とも親(ダーリン)の応援がなかったからココまでの仕上がりにはならなかっただろう。 夏休みの一研究、一作品への親の手助けは必須だと思っている。 「親と一緒に何かに取り組む。」 というのも夏休みの大事な経験とも言われる。 でも、多くの大人はそれを「めんどくさい」と思い、それを「子どもが自分でやらなければ意味はない。」という言葉に変換する。 そしてそれが何故か学校批判へと・・・(汗 もちろん忙しくて子どもに構っていられないとかという家々の事情はあるだろう。 でも、我が子なんだから・・・・。 いつも構ってくれないお父さん、お母さんが自分のために一緒に何かをして【愛】を実感するのが大事ってことだ。 いろいろそれに対して意見はあるだろうけど、とりあえず前向きに取り組むしか道はない。 が その手助けの仕方というのがまた難しい。 「やり方」を教えたり提案するのが本来だとは思うが、中にはそうでなく、ついつい大人が手を出しすぎちゃったなんて作品も見え隠れ。 今日は小学校の作品の展示会が行われているので見てきた。 貯金箱、木工作品、クッション作り、ビーズのアクセサリーなどなどいろいろな工作品。 観察や研究作品では小学校2年生ながら実験でDNAがなんとやらと研究して感想には「医者になりたい」と書いてるすごい子。 たくさんの草を調べてと根っことの因果関係を見つける小学3年生。 何となく思ったのは高学年に向かって親の手出しが減るのか、目をみはる作品を仕上げるのはわりと低学年や中学年の方が多い。 それにしてもこれだけの作品の裏にはたくさんの大人が関わっているはずだ。 知り合いですべてを親が作ったという人がいる。 「子どもは全くやる気ないから仕方ないで私が作ったわ。」 それに自分の名前をつけて「頑張ったところ」の欄にデタラメを書いて提出して良心が痛めばそれも良しか?(汗 |
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